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自称グルメが起こした裁判沙汰

久しぶりの号外 新・辛口批評というブログに書かれているのは、週刊誌でお店のそして料理の、またお酒についても相当辛口の評価をすることで、知られているT氏と、大学の教授でありながら自称グルメとして、「私のグルメ術」というブログで、お店のガイドを掲載しているF氏の「名誉棄損裁判」についてのことである。

小生は当該の両人の出版物は読んでいないのだが、ネットでは読める限りのものを読んだ。

そもそも小生がなぜこのような事実を知ったかというと、それは今から2年ほど前のこと、MIXIの「蕎麦」のコミュでのことが発端であった。

江戸蕎麦そして蕎麦と酒の話題になった時のこと、蕎麦の歴史の話が出て、蕎麦切り…現在の蕎麦の形の発祥は、江戸であるとか難波であるとかの話となった。

小生は家内の実家の古くからの知り合いで、京都市の女性議員だった人の長野の実家が、古いお寺で、木曽大桑村の定勝寺であること、たまたま小生の先祖の地の近くであり、そのお寺で発見された書物が、蕎麦切り発祥の一番古い文献であることを知っていたから、そのように登校した。

すると、件のF氏からすぐさま反論があって、江戸が発祥であるといい、詳しくは自分の出版物を見ろ・・・そう書かれてあった。

蕎麦切り発祥を探るというブログ記事にもあるように、ここに書かれていることは間違いではないと思う。

ただし蕎麦切りが、大衆食文化・・・今のファーストフード的に、庶民の口に入る様になったのは、やはり巨大な市場を持つ江戸か難波であったことも推測可能だが、発祥は蕎麦の産地の田舎の冠婚葬祭のときに供されたものであっただろう。

こんなやり取りをしたのだが、F氏は相変わらず江戸説を曲げないのだった。
おまけに、蕎麦切りは当初は蒸籠で蒸されて供したのだから、(江戸ではそうだったかもしれないが)などとあまり脈絡と関係のない話を出し、しかも詳しくは自分の著述に書いてあると繰り返した。

なぜそれほど江戸蕎麦に拘るのかと疑問に感じ、F氏の書いた書物を当たると(読んではいない)「蕎麦屋酒」というタイトルだった。

本を買うのもバカらしいので、彼のHPを探ると、その中に「私のスーパーグルメ術」というコラムを発見してそれを読んだ。

MIXI蕎麦のコミュで、再三にわたり自分の著述を読めと言っており、蕎麦栽培を10年やっている・・・などと書きこんでいたが、どうにも腑に落ちない・・・つまり何とか自分の著述に照準を合わせようと意識的に誘導するかのような言動だったので、「本物か否か」を小生なりに確認してやろうという考えが浮かんできた。

小生もかつて長野県南安曇郡奈川村(現在は松本市に編入され奈川地区)・・・ここは手打ち蕎麦職人の間では幻の蕎麦の産地としても知られるところ・・・そこで蕎麦を作ったことがある。

畑の耕しから土壌改良肥料の施肥、種まきから刈り取り、そして蕎麦の実落とし、そして「とうみ」による不純物除去、蕎麦石臼挽きを経て、蕎麦打ちに至る工程をすべて自身で体験した。

通常田舎に畑を借りて過ごす「クラインガルデン」では、ほとんどを現地の人が手伝うが、小生は懇意の蕎麦作り名人のアドバイスのもとに、通常使うことが多い早生種の蕎麦ではなく、奈川村の地の蕎麦・・・在来種の種を分けてもらって、それを播いた。

理由は小粒だがとりわけ美味しいからである。

その時名人に教えてもらった事は、施肥は少なすぎず、かといって過度にやりすぎないことだった。

これについては面白い話を思い出したので、ついでに書いておく。

小生の会社時代の後輩で「ハッタリ君」という、今は蕎麦で名を上げたようだが、その人物と、居酒屋で話した時のこと。

彼は、蕎麦は荒れたそして土壌が豊かでないところでも栽培ができるのだから、肥料を沢山あたえれば、もっと美味しく大きな蕎麦の実がとれる・・・などというのだった。

この言動が示すように、何も知らないものでも、うまくマスコミに便乗してしまえば、立派に蕎麦の大先生として活躍できてしまうのが悲しい現状なのだが、さらに「ハッタリ君」は、自分が出版した「蕎麦の本」の中で、小生から聞いた情報を逆手にとって、「蕎麦農家の人へのお願い」とし、「信濃1号などの早生種の蕎麦は作らないで欲しい」と書いた。

そんなことは現場の農家の人は百も承知のこと、ではなぜ早生種と在来種の両方使うのかといえば、その答えはひとえに「人で」に起因する。

種まきや収穫時期が同じでは、機械が全く入らない…いわば段々畑に近い農作業地においては、時期が重なれば大変な重労働が一気に来る。

昔なら共同で作業も出来たろうが、家族も少なく、ほとんど高齢化の進んだ過疎地において、それは苦肉の策なのだ。

狭い畑で作られる奈川村の蕎麦は、必然的に手刈り天日干しとなる。
だから少量だがよい蕎麦ができる、すなわち幻たる所以だ。

こんな現状も知らずして、のうのうと不満を・・・要求だけ突き付けてしまうやり方は、サラリーマン時代と全く変わってない。

蕎麦の道に進むといって、手始めに出張蕎麦~やり始めることになり、サイドメニュー(蕎麦だけでは客が満足しないから)や酒のつまみなどのアドバイオスを聴きに小生のところに頻繁に相談に来たが、少し有名になると、もう見向きもしなくなってしまい、小生からの、チョットした依頼にも返答が無い。

このような人物と同じようなところが、F氏には見えたので、10年も蕎麦栽培をやったというのならと、あるクエッションを出してみた。

「蕎麦が最もよく生育しつつあるときの蕎麦の茎の色は?」という
蕎麦栽培を真の意味合いにおいて経験した人ならば、即答できる類の質問である。

「赤い」と答える人は「赤の色具合」が分かってない・・すなわち未経験者だ。

本当の答えは「少し紫がかった赤」で、「真っ赤に近い」のは、肥料不足の証拠・・・・蕎麦の名人の古老から、実物を提示してもらって教えていただいたから、間違いないことだ。

それまで・・・江戸蕎麦や蕎麦と酒について、即答してきたF氏、とたんに押し黙ってしまって、それからの投稿は無くなってしまった。

小生は蕎麦栽培歴10年いや20年だったかのF氏の蕎麦栽培とは、「クラインガルデン」に見られるような、現地のお手盛りの上に成り立っていたものとしか思えなかった。

それを、蕎麦栽培10年と、いかにも蕎麦栽培のベテランぜんと書いていることから思うと、相当の食わせ物では無いか、そんな疑いが頭をかすめてしまった。

そんな中、最初に揚げたある方のブログ記事のような、F氏とそれを批判したT氏の争いが分かり、紆余曲折あって、裁判沙汰になって一応の決着となったというのが経過である。

F氏の訴えが勝訴し、名誉棄損が成り立った結果であるが、小生には少なからず自身の経験からは、素直に納得がいきかねる。

少々ややこしいが、争点の記事について、あるいはそのほかの記述内容を読まれた上でのご判断はいかがであろう。

自分を売り込むために・・・自分の著書を読めなどと、事あるごとに平気でMIXIのコミュに投稿する人。
ある特定の日本酒を賛美し、その酒を置く店とその料理までを賛美する常套手段。
これが趣味の人が書く食通ブログであればまだしも、大学教授という肩書をちらつかせ、食に関して出版物まで出すという人だから、その記事内容におかしな点があれば、批判を受けても、それは当然のようにも思える。
プロであるからだ。

いい加減な情報による「提灯記事ライター」と批判される根拠は、S氏に言わせれば「酒」そのものにもあるという。

行く店行く店がすべて素晴らしく美味しい料理を出す・・・そんなことは誰にしても到底考えられることではないのだが、世の中にはそれを間に受けてしまう人も大勢いることを思うと、T氏の批判そしてそれとほぼ歩調を合わせるような、S氏のダイナミックなブログにも注目する必要がある。

F氏のTOMOSATOBLOG裁判の経緯についてはこちら

ことが「食」に起因している話だけに、見過ごすわけにはいかなかったので、書きとめた。
裁判所が名誉棄損を認める結果になったが、F氏の過去記事の内容とMIXIでのやり取りからは、名誉などという高尚なものは散見されず、あるのはかなり強い自意識というのが小生の感想だ。

by noanoa1970 | 2009-07-04 14:05 | トピックス | Comments(0)