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白沙村荘の茶室が火災に・・・

京都新聞によると

31日午前1時ごろ、京都市左京区浄土寺石橋町の白沙村荘・橋本関雪記念館から出火、庭園の池の南側にある木造平屋の茶室(約120平方メートル)を全焼し、約20分後に消した。けが人はなかった。京都市消防局や川端署が原因を調べている。

 茶室は、関雪が1932年ごろ妻のために造った「倚翠亭」や「憩寂庵」の2つで、出火当時茶室はいずれも無人だったという。

 現場は、銀閣寺の西約350メートル。

 【白沙村荘】 大正から昭和前期にかけて活躍した日本画家・橋本関雪(1883-1945年)の旧宅。関雪が文展で初めて特選を受けた1916(大正5)年に建造された。如意ケ岳(大文字山)を借景にした池泉回遊式庭園、大画室「存古楼」、国の重要文化財の木造地蔵菩薩立像を安置する「持仏堂」などがある。関雪の素描画や、関雪が収集した美術品を展示している。庭園は83年に京都市の名勝に指定され、観光客も多く訪れている。白沙村荘内では1998年12月に、関雪の子孫が住む母屋の一部を焼く火事があった。

わずか20分「なぜ」
白沙村荘茶室全焼


 橋本関雪が亡くなるまで造り続けた旧宅から炎が上がり、庭園は猛煙に包まれた。京都市左京区の銀閣寺門前の閑静な住宅地には、けたたましいサイレンの音が響きわたった。31日未明に出火した白沙村荘の茶室は、わずか20分で骨組みや屋根を残して全焼した。1998年にも母屋が火災に見舞われており、関係者や近所の住民は「なぜ」と無念の表情を浮かべた。

 東隣に住み、119番通報した藤井功さん(63)は「自宅2階の窓から白沙村荘を見ると、炎が一気に北から南へ広がった。火の粉が飛んで来ないか恐ろしかった」と興奮した様子だった。近所の主婦(50)は「サイレンに気付くと木立の向こうに炎が上がって見えた。古い物をよく手入れして保存していたようなので残念だ」と肩を落としていた。

 府警によると、30日午後11時ごろに記念館関係者が見回りした時は異常がなかったという。

 市消防局は消防車など18台を出動させて消火に当たるとともに、国宝建物のある銀閣寺への飛び火も警戒した。

 銀閣寺の警備担当者(52)は「消防車のサイレンが何度も聞こえたので驚いた。寺にも火の粉や煙が飛んで来ていないか確認した」と話した。


前日は茶会に使用されたというから、その関係なのか。
先日は旧吉田亭が出火した。

火事の原因は調査中とのことだが、2つの茶室が同時に火災にあうとは・・・・
延焼したものだろうか、あるいは放火の疑いも捨てきれない。

古い建物は維持管理が大変だが火事には特に気をつけないと、日本の財産を失ってしまう。

以前から気になっていたことなのだが、財団法人橋本関雪記念館といっても、個人経営にすぎないから、随所にその歪は出るものだ。

同族経営運営のまずさは、こういうところにも表れてしまう。

ここらで一度、今までの経営運営方法を改め、新しい血を入れて改革しなければ、また同じようなことが起きるであろう。

国宝や重文を維持管理するための基本マニュアルさえもできていない可能性もある。

以前は母屋の台所からの出火があったが、その経験が全く生かされていない。

過去には茶室での火の使用は控えており、客も中には入れないようにしていたが、経済に尾論理には勝てなかったのだろう。
それは仕方がないことだが、それだけに万全の注意を払ってしかるべきである。

いずれにしろ今回の火事は、白沙村荘を愛する小生としては、まことに残念なことであるが、人災であると言われても仕方がないだろう。


これで白沙村荘の茶室は、老朽化が進んだ「問魚亭」を残すのみとなってしまった。

今度火事が起きたらそれこそ終わってしまうことになりかねないから、リスクヘッジ策の早急な対応と順守が必要とされる。

まさに日常の気持ちのたるみが引き起こした災害である。

館長、副館長両人の反省を促すとともに、新しい経営体制への見直しを至急検討されたい。

by noanoa1970 | 2009-03-31 13:08 | トピックス | Comments(0)