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以前から気になっていること

この時期・・・年末が近づくと毎年の如くTVの音楽番組では「懐かしのメロディー」という言葉に代表されるように、昔の持ち歌をかなり時がたってから同一歌手で歌うという番組がある。

今年はそんなものがあるのかどうかわからないが、赤白歌合戦でも数は多くはないがそのような傾向があると思う。

そういう場合、つまり昔の持ち歌をその歌手が今歌うとき、ほとんどが「シンコペーション」を施しているのがほとんどだ。

小生はこの「シンコペーション」、とりわけ我が国の歌い手の、特に演歌などでそれをやられるのが、鼻もちならなくてしょうがないのである。

良いアレンジャーのもとに、程よく変形された音楽であれば文句はないのだが、聴くに堪えられないようなプアーで醜悪なシンコペーションで歌われると、背中に虫唾が走ってしまう。

歌手自らそのほうがよいと判断して、歌手自らアレンジするのか否かはわからないが、小生はそんなアレンジなど不必要だから、当時の歌い方のまま歌ってくれた方がどれほどいいかと、いつも思うのである。

昔の持ち歌をそのままのスタイルで歌うことが、何か罪悪でもあるかのように、ほとんどすべての歌手が同じようなシンコペ手法をとるのは一体どのようなる李有があるのだろうか。

古い歌を今歌うのに、彼らはあたかもシンコペがそれを新しく見せるための手段であるかのようにやっている。

しかし小生には、そのシンコペ手法による音楽が、例え本人や関係者がよしとしても、大概の場合は見事に破綻しているように感じられるのだが、そんなことはお構いなしに猫も杓子もと、今やそれが当たり前となってしまっているようだ。

もちろん海外の音楽でも、昔の持ち歌を今歌うときには、そのようなシンコペ傾向はあるが、我が国のものに比べると、いやな感じがしないのはなぜだろう。
素晴らしいアレンジャーがいるからなのか。

そういう観点からいえば、たかがポップスや演歌といえども、手抜きはよくないことだ。

どうしても昔のままに歌うのがいやならば、しっかりしたアレンジャーに依頼して音楽を再構築しなおすべきであろう。

そんなことばかり・・・聴衆を小馬鹿にしたようなインスタントテクニックで逃れようとしても、古い歌い手はいつまでも落ち目のままの存在となってしまうから、それなら古い持ち歌なんぞ歌わない方がよいのだと思う。

声が出るとか出なくなったとかはあるだろうが、昔の歌い方で今も歌ったほうがよほどよいと思うのだがいかがだろう。

懐かしのメロディーを今要求するのは、当時と変わらないその音楽だと思うのは小生だけだろうか。

昔のままでか、よいアレンジャーに依頼するか、どちらかにしていただきたいものである。

中途半端なままで出演し歌うことが、自分の押し下げになることを自覚すべきであろう。

by noanoa1970 | 2008-12-22 15:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)