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高田渡さんのこと-Ⅲ

息子が東京の会社に入社して4年になる。武蔵野にあるY電機という会社で、なんでも医療システムのSEをやっているそうだ。
社会人になるまでは地元の大学を経て、奈良にある大学院専門の国立大学に行った。
その息子もこの1月に結婚した。

小生はクラシック以外の音楽をよく車中で聞くのだが、小生の運転のときだけで、息子が運転してどこかに遠出したりすると、どうしても息子好みの最近の音楽となる。

小生運転のとき、70年代フォークをダビングしたものを聞いていると、眠くなる・・・と息子
それでも耳には残っているようで、高田渡という名前と、代表的な歌をいつのまにか覚えたようだ。

息子が東京に赴任するときに、荷物運びにと車を運転して寮についたその夜、小生にとって有名な吉祥寺の焼き鳥屋「いせや」に行った。何が有名かというと高田渡さんがしょっちゅう来るという話を聞いたからで、行ってみると、それらしい雰囲気が漂っていた。飲みながら息子にそのことや、武蔵野に住んでいるらしい話をした・・・それから数週間ほどたったある日、小生の電話が鳴った。

珍しく息子からで、・・・いきなり・・・・高田渡ってどんな顔をしているの?
特徴を教える小生に・・・・間違いない・・・・たった今目の前を三輪自転車を必死に漕いで吉祥寺方面に向かう男がいて、話を聞いていた高田渡っぽかったので・・・といった。高田渡さんのこと-Ⅲ_d0063263_8362619.jpg

そこでメールで写真を送ると矢張り間違いないらしい。そしてそれから数回に渡って自転車にギターケースを乗せて吉祥寺方面に走る彼を見た、との報告があった。

今考えればこの頃の彼は、誰にも知られないように、こっそりと井の頭公園に行って、ギターの練習をしていた・・・・という話を後に聞いたので、きっとその時の姿なのだと思っている。
体調を悪くした彼は、ギターの腕も衰えてしまったのを自覚し、公園でヒッソリと人知れず練習をしていたのであろう。
もうすでに死んでしまった彼の、この時の姿を想像すると、涙腺が熱くなってくる。

写真の彼の顔はスマートに写っているが、いつもはもっともじゃもじゃ顔である。
息子が勤めている会社のすぐ前の道路を、数え切れないほど自転車を漕いで往復したことだろう。

そういえば「自転車に乗って」という歌を彼は歌っております。
小生が小学生時分、子供用自転車はほんとに珍しく、自転車に乗れる子供はみんなから羨望の目で見られていた時代、そういう時が確かにありました。

「自転車に乗ってベルを鳴らし、あそこのハラッパまで野球の続きを・・・そして帰りにゃ川で足を洗って・・・・自転車に乗っておうちに帰る・・・・
「自転車に乗って、自転車に乗って・・ちょいとそこまで歩きたいから・・・・」

ちょいとそこまで歩きたいから・・・・という言葉に得意な反面、少しはにかんだ様子が
とてもよく表現されていると思います。

by noanoa1970 | 2005-06-08 20:22 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)