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昔の味・・・神戸「ハイウェイ」

1971年のことだったか、結婚前の家内と神戸に遊びに行ったことがある。
一度目は、家内の大学の友人の結婚式の披露宴がオリエンタルホテルで開催されるというので、付き合うことにしたとき。

披露宴で出された、イセエビの「テルミドール」を、ナイフ・フォークを使って、なかなか外れず、苦労していたら、そばにいたボーイが来て手伝ってくれたので赤面したという話を聞いた。

その間小生は、どこで何をしていたのか記憶はないのだが、2度目に行った時は、三ノ宮から、トアロード散策をすることにした。

それにはある目的があって、少し前(谷崎潤一郎の書物そのものではなかったようだ)神戸に「ハイウェイ」というレストランがあって、そこのビーフステーキが極上で、凄いという、どこかからの情報を得ていたから、まだ学生の身でありながら、バイトのお金が入ったら、神戸に行ってぜひとも、一度食してみたいと思っていたからのことだった。

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そのとき、トアロードを歩いて、横文字だらけの看板の、恐らくは輸入陶磁器の店に立ち寄って見つけたのが、「ブルーダニューブ」の「カップ&ソーサー」。

テッキリ輸入物だと思って2客購入したそれは、後に国産であることがわかったが、恐らく外人向けに店頭に並べられていて、当時は殆ど輸出品であったと思われる。

マイセンの「ブルーオニオン」ソックリは、実は美濃で焼かれた染付け磁器であることが判明したが、しかし今現在で約50年の歴史というから、入手した頃は、京都でも見かけず、多分市場に殆ど出回っていなかったため、「ブルーダニューブ」を、ましてそれを国産と知る人は余りいなかったと思われる。

それに今、小生が所有するものは、初期のものということになり、たび重なる引越しにもかかわらず、40年近く割れないで耐えて来て今も現役である。

息子が小学生になったとき、愛知県「岡崎市」で、一客買い足したのは、1984年のことであった。

「ブルーダニューブ」を2客購入してから、その斜め向かいにある「ハイウェイ」を発見したのだが、何せまだ学生の身だから、しばらく躊躇しながら、深呼吸して中に入った。
店は入り口が狭い、京都の洋食屋「のらくろ」や「小宝」をほんの少しだけ、モダンにしただけという感じだった。

勿論見た目はとりわけ高級そうではなかったが、テーブルクロスが、やけに白かった印象がある。
肉が余り好きではない結婚前の家内が、躊躇するのを押し切って、注文したのが、「オニオングラタンスープ」と「テンダーロインステーキ」。
知ったかぶりで「レア」と焼き加減を指定した。

ステーキで牛肉の美味しさを味わうなら、「レア」がよいと、食通達が物の本に書いていたし、折角神戸牛を堪能するのだから、当然「レア」にするのが耳学問からは当然とばかり思った結果のことであった。

入店した12時少し前、店にはわれわれの他に客は無く、ひっそりした店内の白いテーブルクロスが掛けられたテーブルの前で、料理を待った。

15分ほど立ったか、やがて「オニオングラタンスープ」が運ばれてきたので、アツアツを口に含むと、どうしたことか、期待した味ではなく、かなりアッサリ目の、どちらかというと、「コク」が無いものに感じられ、オニオンも、ソテーの色が薄い色に仕上げられていて、長時間ソテーされて出てくるはずの、あのオニオンの甘みが余り感じられなく、コンソメの味にも深みがないように感じたが、名のあるレストランだから、この味が正解なのだろうと、素人学生の小生は、黙って飲み干した。

スープが終わってさらに15分、これは待つ側にとっては相当長い時間で、少しイラついたが、これも有名レストラン、致し方ないかとじっと我慢した。

コック服の給仕が運んできたのは、陶器の皿に盛られた「テンダーロインステーキ」だったが、一目見たとき何かが違う感じがして、なんとなく悪い予感がした。

それでも長いこと待たされて、お腹の減り具合がピークを迎えたときだったので、ステーキにナイフを入れて、一口、そして二口。

一目見たとき、何かおかしいと思ったのは、ステーキの焼き色。
焼き色が薄くついていただけだったが、しかしこれもこのレストランのステーキの焼きの流儀なのかと思うことにして、ナイフを入れたのだった。

しかし、口に含んだ瞬間、小生は唖然としてしまった。
なぜならば、ステーキの中心が冷たかったからだ。
それもただ冷たいのではなく、冷蔵庫から取り出したままの状態のような、冷たさであることを、限りなく想像させる冷たさであったのだ。

それでも我慢しながら(ここが素人学生の身のつらさ)半分ほど口に入れたが、本来ならば美味しさの原点の脂肪が、真ん中部分で固まったままでいるような感触があり、肉の味も香りもしない状態だったから、こんなことは今まで絶対無かったことなのだが、大事なステーキを半分残さざるを得なかった。

結婚前の家内の皿はと見ると、3分の2以上も残している。

いくら焼きを「レア」で注文したとしても、ステーキの真ん中部分が冷たいものは、文字通りの「レア」。

これでは生肉を食べるのと同じ事となってしまう。
生肉を食べるなら、タルタルステーキでよいのだから・・・・


これはいったいどうしたことだろう・
普段、われわれのような学生風の客など来ないから、客を見くびって修行中のコックにステーキを焼かせたのだろうか。

「オニオングラタンスープ」を注文したから、普通に冷蔵庫から肉を取り出して、カットして、しばらく置いておけば、中が冷たいステーキなどになるはずは無く、表面はキチント美味しそうな焦げ目がつき、しかも「レア」に仕上がるはずである。

しかも肉の部位は、少ないグラム数では、厚みが取りにくい「ロース」の頭の部位ではなく「ヒレ」だから厚みが取れるのはずなのに・・・・

冷凍した肉をカットして、解凍するのに30分近く時間を要し、待たせた挙句に、料理の技術がないコックが焼いたために、表面が白茶けた焼き色で、内部が冷たいステーキを提供したのだろうか。

京都から食べたい余りやってきた、かの谷崎潤一郎が絶賛し、名付け親ともなったといわれる「ハイウェイ」のステーキとは、このようなものだったのか。

これは失敗であった。
「レア」でも「ミディアムレア」でもなく、「ミディアム」にするべきであった。

神戸の、しかも名前が通り過ぎてしまった(谷崎潤一郎のせいでもあるのだが)レストランは、きっと裕福な中年の客筋が多いのであろう。

従ってコンソメも、「お上品」に仕上げられていて、小生のような血の気の多い若者には合わないのだろうが、しかし、売り物の「肉」は、どう考えても料理として成立していない。

「レア」でステ-キを注文する客など、今までに存在しなかったのか。
勿論、今考えれば、店によって「レア」という概念が違うことを認めないわけでもないが、およそ一流の、(一流でなくても)ステーキを売り物にしている店であれば、内部が冷たい(常温ではなく、それ以下の冷たさの)物を堂々と客に出すようなことは、絶対にしないであろう。

表面がキチント美味しそうな焼色がつくぐらい焼けているにもかかわらず、内部の70%~80%がピンクから赤いグラデーションを保っている焼き加減が、「レア」であろう。
しかも肉の内部は常温かほんのり暖かくなければよい仕上げとはいえないのである。

今でこそこのようなことが言えるのだが、当時の小生では、いかんせんステーキの知識など到底持ち合わせていなかったし、ましてステーキを食べた経験は、大学受験の前日、なぜか父親が肉屋で「モモ」の部位を買ってきて、ガチガチのウエルダンで焼いた硬いものを、(トンカツのほうがいいのにと思いながら)我慢しながら食べた時と、親が京都に出てきたとき「のらくろ」で(焼き加減の注文など出来ないような)薄いロースのステーキを食べた時のことぐらいの稀事であった。

これがあの、名前が轟渡っていた「ハイウェイ」のステーキなのか・・・そう思いながら、ガッカリし、ひどく落ち込んだことを思い出した。


今思うに、多分冷凍の肉をカットし、解凍する時間が無かったため、そのまま低温でフライパンに肉を載せて、解凍しながら焼いていった結果が、表面が白xは毛、しかも技術が内製で、中の部位がまだ冷たい・・・決して「ステーキ」と呼んではいけない「ステーキ」となってしまったものと思われるのである。

ステーキのベストな、焼き加減を図るのは、経験と臨機応変の勘所、この両方が合わさって初めて、一人前にステーキが焼ける。


「ステーキは、誰にでも焼けるが、ステーキはまた、誰もが焼けるものではない。」


ホテルの厨房経験のある小生、今であればこのような料理に対しては、平気でクレームを付ける事もできようが、その頃はまだ素人学生、何も言えずに、泣く泣く食べ残して店を去ったのだった。

しかしお腹だけは無常にも空くので、南京町の「老祥記」の豚萬を10個購入し、殆どを一人でやけ食いのようにして食べたのだった。

「ハイウェイ」で出されたステーキは、今思い出すと、どうもテンダーロインはテンダーロインでも、尻尾の部位の「トルネード」か、「メダリヨン」あるいは「ミニヨン」だったようで、
真中の「シャトーブリヤン」ではなかったようだ。

こんなことからも、足元を見られたようで、後味の悪さが今も残っているが、この「ハイウェイ」今でもあるのだろうか。


「渡辺たをり」の「祖父・谷崎潤一郎の美味追求」によると、「谷崎が下鴨の家にいた頃、一時体の具合が良くなくて、食事が思うように食べられなかった事があったのだが、『ハイウエイ』のコンソメスープなら飲めるというので、この店にも良く使いをやってコンソメスープを取って来させたのだそうだ」

・・・という記述があるが、ハイウェイのコンソメの味は、いかにも老人好みの、あるいは一見京風の、薄味(塩気が薄いのでなく)コンソメ本来の「コク」(牛脛肉から取った出し汁という意味の)は余り感じられないものであったような記憶がある。

さすれば、神戸の上流階級か、中高年向きの味に整えてあったのかもしれない。
病気の谷崎が、唯一飲む事がとができるぐらい、(美味しいからではなく、実は京の吸い物のように、インパクトがないからだと、小生は思うのだが)これを美味しいからと、誤解させるようなところが、書物にはあるから、文筆リテラシーが必用なのだ。

「ハイウェイ」の苦い経験から、小生は「レア」でステーキの焼き加減を注文することは、金輪際しないことにしている。

by noanoa1970 | 2008-05-21 10:12 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)