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ロックする古楽

ロ短調ミサをリヒターとジュリーニ盤で聴いて、友人の追悼に換えた一昨日から昨日。
それ以外の音楽は、聴く気には慣れなかったのを、迷った挙句、何十年も聴いていなかった、ヴィヴァルディの「四季」が、ハルモニアムンディの全集にあることを発見。

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これならBGMとして聴いても、罰が当たらないとばかりに、聞き出した。

小生の愛聴盤は、仏シャルランレコードの
フランコ・グッリ/アルド・チェッカート指揮ミラノ・アンジェリクム室内管弦楽団演奏のLPで、誰もが絶賛していたイ・ムジチの新旧盤は、悪くは無いが優しすぎて刺激に乏しいから、小生は長い間、この録音を聞いてきた。

しかし古楽器による古楽奏法での演奏は、刺激的だが、小生にはまるで油蝉が鳴いているようで、再びモダン楽器による演奏・・・ただし余りビブラートを掛けないものに戻ることになる。

今日は例のLPでなく、この全集の中に収録される、古楽器による「四季」がどのように表現されるのかを、少しだけ期待して、聞いて見ることにした。

古楽器による古楽奏法(ピリオド奏法ともいう)は、特に弦のボウイング、アクセントの付け方が、モダン楽器と異なるから、また楽器自体の持つ特質から、ビブラートが掛けられないからか、その響きにはモダン楽器とは違う特色がある。

モダン楽器の音に親しんできた人には、ある意味刺激的で、逆に新鮮に感じさせることがあるから、賞賛する人も多いし、近年このような演奏方法がポピュラーに成ってきた。

さて、本日聴いた演奏だが、さして期待もしていなかった、その音楽の最初の音が出たとき、そして仰天するような通奏低音、ツッティのリズム感と、アクセント、そして巧みに施されるアドリブ。

今までの「四季」では到底、聴いたことの無いそのインパクトに、わが耳を疑ってしまったほどだった。

鳥達のさえすりの、表現と音色。
雲行きが怪しくなってくるときの、おどろおどろしさの表現。

今までの古楽、モダン楽器のあらゆるクラシック畑の演奏では、こんな「四季」は聴いたことが無い。

音楽のすべてが「ロック」しているのである。
このような抽象表現は、分かりづらいだろうが、他に適当な表現が見つからないのだから仕方が無い。

一体ここに集った演奏家達は何者なんだろう。
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・ヴィヴァルディ:協奏曲集『四季』、『海の嵐』、『喜び』
 ゴットフリート・フォン・デル・ゴルツ(指揮&Vn)、
 フライブルク・バロック・オーケストラ
 ザ・ハープ・コンソート

ヴィヴァルディをこのように・・・多分、遊び心満載で・・・やっている演奏は、JAZZやロックミュジシャンたちがパロディでやることはあるが、れっきとした古楽奏者達が演奏した例は無いのではないか。

通奏低音の楽器(ギター、リュート、ハープ、リローネ)の音色もさることながら、アクセントの付け方は、まるでロックのリズムだ。

ピリオド奏法と、ロックはひょっとしれ、多分な相関関係と、シナジーがあるのかもしれない。

かってプログレッシブロック、などといわれたグループなら、やりかねないような演奏スタイルに、唖然とした朝だった。

ただし何時までも、この演奏を聞き続けるか否かは、今のところなんともいえないが・・・

by noanoa1970 | 2008-05-03 12:03 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)