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52年前はじめて食べた・・・・

おととい電話で予約した「加川良」ライブのチケットを取りに、長浜まで向かうことにした。

商店街のパン屋によると、運良くそこには懐かしのコッペパンが残っていたので、入手してきた。
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「コッペパン」という名前さえ知らないまま、昭和30年ごろ、小生が小学校に入学した頃の学校給食では、アルミの皿に乗せられて、大きな(当時はそう思っていた)防水型をしたパンが、毎日のように出された。

脱脂粉乳のミルクとこのパンの取り合わせは、昭和30年代の当時の小学生には、ものめずらしく、おかずの「ひじきの煮つけ」や「筑前煮」は幼いながらに違和感はあったものの、「竹輪の磯辺揚げ」や後の「コロッケ」、「タラのスティック」、「ミルクやトマト味のシチュー」、「鯨の竜田揚げ」の時にはとてもよくマッチしたのを思い出す。

しかしこのパン:コッペパンは、小学校高学年になると、いつの間にか四角い「食パン」2枚に取って代わってしまうことになった。

京都時代に、小生は銀閣寺の馬場町に有る「大前開泉堂」という後輩の家のケーキ屋をクリスマスの期間手伝ったことが有った。

そのとき考案して名前を付けたのが「ストロベリークッペ」という菓子で、女性好みのシュー生地に生クリームをつめ、そこにイチゴを挟むという、今ではどこでもありそうなケーキだったが、ネーミングを任された小生、そのケーキのスタイルから思いついたのが当時流行していた車のデザインの「クーペ」、しかし「クーペ」そのものをつかうのでは、いかにもと思ったので一ひねりして・・・クーペからコッペパンのコッペを連想し、あわせ技でクッペとした。

このケーキ、今でもあるのかは知らないが、30年ほど前このときの話が出て、「評判がいい」「よく売れている」ということを聞いたので、してやったりと思ったことがあったのを良く覚えている。

コッペがクーペから来た言葉であるかは分からないが、お互いの形状からはそのように思えるところは十分にある。

戦後のアメリカの日本占領政策は、それは物凄く未来を見越したものと推測され、それは戦後われわれのような団塊の世代が象徴するように、人口増加時代の日本をアメリカナイズするためには、国語、歴史、そして食を考えればよく、特に目を付けたのが幼児からの食育。

幼い時からパン食に馴染ませれば、米→小麦への食への変換は、難しいことではなく、いったんその食生活に慣れさせれば、その人間が家族を持つ頃には、その家庭は主食文化の価値変換がスムーズに行われ、アメリカの輸出政策に貢献する。

GHQの頭の良い幹部は、10年以上先のことを見据えたオペレーションを下に違いないと、小生は思っている。

これに比べて、今そこにある危機すらも回避できない、わが国の国政のトップ連中のプアーな思考では、近い将来を見据えた「食」の大きな課題さえ見えていないようだ。

コッペパンを入手した長浜のパン屋でも、小麦原料のパンから米粉原料のパンを作り始めたようで、今後は米が見直されるようだが、減反政策を急に調整しても、水田はそんなに早く回復はしないだろうから、すばやい対応が求められるのであろう。

小麦どころか、米までが不足しては日本人の生き死にに影響する時代がすぐに来てしまうように思う。


コッペパンの味の思いでは、ほんのりわずかに甘い記憶であったが、昔食べたパン生地の、少し硬くてパサついた感触こそ違うものの、遠い記憶が甦って来るもものであった。

by noanoa1970 | 2008-02-22 10:36 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)