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安曇

1980年代から90年代にかけて、小生が頻繁にに通ったキャンプ場は、長野県南安曇郡奈川村・・・現在は松本市に編入され奈川特となっている・・・にある「ながわキャンプ場」だった。

境峠を経て木曽、野麦峠を経て飛騨、奈川渡ダム、梓川沿いに安曇野、松本平へと続く地域にあるから、関西圏、中部圏のみならず関東圏からの客も多かった。

旧地名である南安曇群の安曇とは、勿論長野県であるが、今では峠が完成し方々からの往来も出来るようになったが、昔は恐らく梓川沿いにやっと開けた険しい道しかなかったのかもしれない。
だから行政区として南安曇郡があてがわれた。

小生じゃ、かって奈川はナーガ族、つまりインドおよびインド北部の山間部の蛇信仰の民族の、ナーガあるいはナーガを川とする信仰の民族の影響があるとする仮説を立てた。

そのときに「安曇」もしくは「安曇族」について少し触れていたが、そこから発展させることが出来なかったので、安曇もしくは安曇族について少し考えてみることにした。

「安曇」とは今では一般的には「海人」の種族であるといわれ、その出自にはいろいろな説がある。

ナーガ族と関連するような、南アジアからの渡来人が、何かの都合で安曇地方に住み着いたとするもの。

あるいは、熱海、渥美などの呼称が、安曇から変化したとし、南からやってきた海洋民族が、日本列島のそれぞれの未開拓の先端の地に住み着いたとするもの。

最近では、安曇族は北九州(出雲という説も有る)から、新潟糸魚川河口に上陸し、姫川流域を遡って、現在の諏訪地方そして安曇野地上に移り住んだという説が有る。

面白いことは、安曇族の出自は綿津見神を奉じた海人で、金印の出た志賀島の最新と同じ神を奉じるから、北九州の出自で、その祖先は中国南部に起こった呉越の民族が渡来したものだという。

彼らが持ち込んだ技術の代表的なものは、水田による稲作と、蚕の繭から作る絹とする。(諏訪地方は養蚕の盛んな土地でもあるし、そして安曇野は有数の稲作地帯でも有ることは面白い)

さらに、安曇族は姫川の翡翠を探索しつつ、稲作と絹を普及する一方、鍛治をも持ち込みこの地方に普及させたとする説があることだ。

姫川の翡翠は、近畿でも、九州でも発掘されているというから、絹、翡翠、を商いとしたことは想像可能で、さらに水田耕作には「金属農耕器具」が必要だから、砂鉄からの「鉄の精製」技術にも長けたのだろう。

この地方に伝わる「魏石鬼八面大王」伝説は、2種類の言い伝えが合って、一つは、村人に農作物を略取する鬼で、その話を聞いた坂上田村麻呂が、蝦夷討伐の道中に、退治したとするもの。

もう一つが、大和朝廷が、東北に侵略するにあたり、信濃の国を足がかりに 沢山の貢物や無理難題を押し付け、住民を苦しめたのを見て、八面大王が立ち上がり、坂上田村麻呂と戦い敗れたとするもの。

このように郷土の「英雄」とされる反面「悪鬼」とされるが、いずれにしても八面大王は「稀人」であり、異人なのであろう。

小生はこの八面大王は、出自はともかく姫川を遡ってこの地に移り住んだ種族の族長であるように思える。

そして八面大王を「八女の大王」:やめのおおきみ、とする説があり、磐井の乱で敗れ、日本海を北上し安曇野に逃れたとする説もあるが、小生は八面大王は八幡大王すなわち、八幡神社の総本社大分県付近から日本海へと出て、糸魚川・姫川から安曇地方に渡った種族ではないかと考える。

八幡の神は海神であると同時に、農耕の神でもあり、鍛治の神の要素もあるという説もあるから、八面大王の種族は安曇族であり、安曇族の翡翠、稲作、絹、そして鉄の利権による繁栄を疎ましく考えた大和政権が、安曇族の力を封じ込めようとしたことの象徴として、八面大王伝説が伝わったのではないか。

大和朝廷および、それに従うものからは「鬼」とされ、心情的に大和朝廷にはまつろわぬ人たちから見れば、住民を救うために立ち上がった英雄ということになろう。

糸魚川姫川付近には奴奈川姫=沼河比売伝説があり、古事記にも登場するという。

大国主と奴奈川姫=沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったということが越後伝承そして先代旧事本紀にある。

もし、沼河比売の「比売」を比売神と仮定すると、比売神は八幡社の比売大神で、これは宗像三神のことであるから、北九州そして出雲経由で糸魚川という説も浮上する。

奈川と奴奈川姫が関係するのか否かは分からないが、もしいずれもがナーガ=長い=蛇=荒々しい曲がりくねる荒川と関係するのなら、姫川も奈川も荒川・・・そう呼んでおかしくない川である。

安曇氏が祖神を祀った安曇野の穂高神社と、諏訪神社の主神は、それぞれ大己貴=大国主尊、神健御名方命という親子関係でつながるから、奴奈川→諏訪→安曇野→奈川というつながりも期待できるのかもしれない。

そして遥か大昔、日本列島に渡ってきた渡来人達の種族のひとつに、蛇信仰の民ナーガ族がいたことも、妄想的には推測可能なようだ。

by noanoa1970 | 2008-02-10 11:52 | 歴史 | Comments(0)