Murderジェズアルドの音楽
昨日エントリーしようと思っていたのだが、さすがにクリスマスには相応しくないと思って、今日となった。
イタリア後期ルネッサンスの作曲家「ジェズアルド」の作品を聞いてみようと思い立った。
まずは、Ave, dulcissima Maria・・・イタリア語などは全くといってわからない小生Ave Mariaなら何とか分かろうが、dulcissimaとなるとどうしようもない。
時間をかけて、いろいろ調べると(幸いあれ、いと優しいマリアよ)という訳が当てられていることがやっと分かった。
しかし大発見は、「ジェズアルド」そのもので、なんと彼は自分の妻子を殺してしまった作曲家にしてイタリアの貴族であった人物だという。
原因は妻の浮気で、それを見抜いた彼はある日、妻の浮気現場に刺客を差し向けて、妻と相手の男そして以前から浮気相手との間に出来た不倫の子だと思い込んだ次男をも殺害したという。
彼はイタリアの貴族であり、趣味として・・・職業音楽家ではなかったらしい・・作曲活動をし、趣味の音楽サロンを創設しようとした向きがある人だったようだが、貴族の身分であることから妻子殺人の罪を免れた。
マドリガルやモテット、そしてレスポンソリウムが現在残されているが、この事件後の作風が一説によると、かなり変化して息、半音階や不協和音を多用するようになったといわれている。
彼の用いた半音階的手法や、12音階の巧みな用法、そして旋法的ポリフォニーが主流のルネッサンス期に、それとは異色の手法を多用するようになったのも、この殺人事件の影響であると指摘する人もいる。
確かに殺人は、人の人生を大きく左右することであるし、その前後の人間的、道徳的、宗教的苦悩は並大抵ではないだろう。
小生は常々思うのだが、人が会話するということはその話の内容をお互いが理解しあうdケではなく、恐らくその言葉のトーンというか波長というか・・・つまり、知らない間に双方が調整し合っている・・・お互いが音的音楽的ハーモニーを作っているのではないかと・・・・
だから調和が生まれ、会話が内実ともに成立する。
しかし何らかの都合・・・社会情勢や個の内面的心的不和や不安や強いストレス・・・例えば、信頼していた人に裏切られて愛を失ったなどでは、顕著に出るのではなかろうか。
喧嘩して怒ったり大声を張り上げるなど、相手を罵倒するときの声のトーンや音程音域は、いつもとは違うものになっていることが多いのではないか。
会話とは、声のトーンや調性までも、お互いが自然に認め合って、より沿って調和していくことでもあるとする仮説を立てるとすれば、愛を失い、信頼を失い会話を失った者がよりどころにした「音楽」・・・しかも当時は恐らく宗教音楽か世俗的なマドリガル形式の中で、声を発するならば、それは最早人間として、信頼も愛も、あるいはキリスト教の神でさえも信じることが出来ないような、苦悩の果ての叫びとなり、それが半音階的手法、そして不協和音の多用に結びついたと考えられなくはない。
ジェズアルドを最初に気を入れて聞いたときに思ったのは、「モダン」ということだったが、それは小生が彼の作品に、現代の合唱曲において使用されている音楽語法と同じものを見出したからだった。
彼をして「ジェズアルドの半音階的音楽手法や不協和音の多様は、その後300年時を隔てた後期ロマン派の音楽の出現まで待たねばならないだろう」と評すものもいるほど、彼の音楽は確かにモダンである。
しかし、先ほどの小生の仮説:ジェズアルドの殺人者としての苦悩から発せられるところの、魂の叫びがこの時代の音楽様式の上で、音になって描かれたとするなら、それは凄いことであるかもしれないが、後世の評論が言及するような、革命的なことであると言ってしまうのには、いささか抵抗がある。
小生はブリテン初頭の近代音楽家達によって作られたPsalm:讃美歌集を聞くことがあるが、ラッター、フィンジ、ブリテンなどの作品と遜色ない音の響きをジェズアルドの作品から聞き取ることがある。
by noanoa1970 | 2007-12-26 11:27 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)
ギメルというレーベルでタリス・スコラーズが録音してました。
このレーベル、非常に美しいコーラスが多く、中でもパレストリーナ、
ヴィクトリアに名盤が多いです。