映画ラウンド ミッドナイト・・・示唆に富んだ言葉など
続けて2回「ラウンド ミッドナイト」を見てしまった。
80年代後半に、映画館で見たときの印象は、さほどでもなかったのだが、見るたびにこの映画の面白さが増してくる。
それはストーリー展開の面白さでも、多くのJAZZミュジシャンたちが登場するからでもなく、50年代の「パリ」ブルーノートが、酒と公衆トイレと女のにおいが漂ってくるような、パリの路地裏のにおいを感じられるからである。
音楽監督「ハービー・ハンコック」のサジェスションであろうか、バド・パウエルが残した言葉だろうか、あるいはそのミクスチュアだろうか、ハッキリした子著は分からないが、この映画の中のセリフに、とても示唆に富んだものがあることに気づいた。
それは小生自身がかねてから思っていたこととリンクすることなのだが、仏近代音楽とJAZZの関係性についての言及である。
ドビュッシーやラヴェルそして仏6人組、ストラヴィンスキーなど、JAZZから影響を受けたとされる指摘を受けている作品が存在する。
JAZZ→クラシック近代音楽・・・と言う流れでの説明が、これまで数多く語られてきた。
確かにそう思える節も認めるものではあるが
小生が「目からウロコ」だったのは、映画の中で、(「ディル」・・・SAX奏者として登場するが、ピアニスト「バド・パウエル」を投影したもの)に、語らせるセリフであった。
これによると明らかに
ラヴェル、ドビュッシー→ビ・バップという影響があることを示唆するのである。
「ハービー・ハンコック」がいわせたのか、「バド・パウエル」自身が、かつてそのように言及したのかは分からないが、少なくとも「バップ」のJAZZメンの幾人かは、仏近代音楽を始めとするもろもろのの音楽から「モード」「和声」「メロディ分解」の要素を嗅ぎ取っていた考えてもよいのだと思う。
「JAZZ⇔クラシック音楽」は、時代を超え相互作用しあって、シナジーを作っていったと考えてもいいのだという、確信に近いものを覚えた次第であった。
「ドビュッシー、ラヴェルはビバップである」とディルに、言わしめた奥の深い背景を想うと、興味は尽きない。
映画の中での印象シーンをあげておく。
仏人のデザイナーで、ディルを尊敬し、かばいながら身の世話を焼く男フランシスが、初めてディルの演奏に接したときの感嘆の声
フランシスがディルと同時に尊敬するJAZZメン「JAZZの革命家」という。
ディルのビ・バップ観
ディルが尊敬するSAX奏者、音楽家
ディルの美学
JAZZにおける「ビ・バップ」の情念的意味を、再考しなくてはならないかもしれない。
by noanoa1970 | 2007-06-28 13:47 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)