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祖先の肖像・・・2

「木曾路(きそじ)はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。
 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠(じっきょくとうげ)まで、木曾十一宿(しゅく)はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷(けいこく)の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間(やまあい)に埋(うず)もれた。」


・・・・・に始まる、島崎藤村の大作「夜明け前」の「木曽」の風景は、長い年月を経てもその景色はあまり変わってないように思われる。
国道19号線が木曽川沿いに1本あるだけで、迂回路はほとんど無いに等しく、大雨が降れば通行止めになり、事故でもあればとたんに交通が麻痺してしまう。

小生も幾度か通行止めの経験があり、長いときには1時間近く足止めを食った経験がある。
それでも木曽に向かうには中央高速道ではあまりにも遠回りで、最近は伊那市~木曽郡日義村に通じる権兵衛峠が開通したが、それでも関西中京圏から木曽に向かうには中津川まで中央高速道で行き、それから19号線で向かうのが常道である。

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19号線からの風景は、高速道路から大きく外れたことが幸いして、小生の記憶のある40年前と、トラックの行き来は格段に激しくなったが、ほとんど変わることが無い。
相変わらずつつましく、自然があふれる木曽川沿いの谷筋である。

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「藤村」は木曽路の岐阜県に近い「馬籠宿」(現在は岐阜県に編入)に生まれた。
生家は代々、本陣や庄屋、問屋をつとめる地方名家で、父の正樹は17代当主で国学者だった。正樹は『夜明け前』の主人公青山半蔵のモデルで、藤村に与えた文学的影響は多大とされる。

「松岡正剛」によると、彼はこの小説を
『ひたすら木曽路の馬籠の周辺にひそむ人々の生きた場面だけを扱っているくせに、幕末維新の約30年の時代の流れとその問題点を、ほぼ全面的に、かつ細部にいたるまで執拗に扱った。』と述べている。

また
『日本人のすべてに「或るおおもと」を問うたのである。その「或るおおもと」がはたして日本が必要とした「歴史の本質」だったのかどうか、そこを描いたのだ。
それを一言でいえば、いったい「王政復古」とは何なのかということだ。』とも言っている。

つまり、単なる歴史小説ではなく、そこに表現されているものは、「日本の近代化」・・・・すなわち「勤皇さ幕」、「尊皇攘夷」、「大政奉還」、「新政府設立」になる「明治維新」とは民衆にとって、あるいは木曽谷の人々にとって、どういう意味を持ったのか?、ということのように思える。
実際読み始めてみると、この話にはかなり詳細な地方史実を取材し、それを藤村の文体で綿密かつ、ダイナミックに書き下ろしている。

木曾谷の田舎といっても、それは中仙道という江戸と京都を結ぶ交通の要所。その中の宿場にも、明治維新前後の激動の波動の波が押し寄せてきたのである。尾張藩の名古屋から馬籠は遠くない距離にあるから、往来を行き来する人たちからの情報も入ってきたことであろう。

かくして、小生の5代前・・・高祖父は島崎藤村の「夜明け前」に登場することになるのである。

by noanoa1970 | 2007-02-26 14:16 | 家族の肖像 | Comments(0)