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ヴォータンは何故片目なのか・・・1

初詣に行った「多度大社」には「天目一箇命」が祭られていることは先のブログにも書いた。
この「神」は、「鍛治の神」として扱われているが、さらに「台風」を象徴する神でもあるという。
一説に、台風が「一つ目」・・・すなわち[台風の目はひとつであるからである]とするものもあるが、小生はその説を少々怪しいものと・・・こじ付けなのでは?と思っている。

「天目一箇命」は片目の神であり、それはタタラ製鉄と関係があることはほぼ間違いないことであると思うのだが、さらに「台風神」の人格を持ち、その理由を「台風の目」に求めるのはいかにもこじ付けであろう。

そこで、小生は以下のように考える。

タタラ製鉄の際に使用する鞴(ふいご)、それによって溶鉱炉の火の温度を高くし、砂鉄や、鉄鉱石を溶かすのだが、溶鉱炉の火の温度=光の色の変化を、炉の穴の中を片目を瞑って見ることから、「片目」=鍛治神の象徴となったこと。
そして鍛治の神様といわれるような達人ともなると、溶鉱炉の火=光を見続けて来たところから、まばゆく光り、しかも高温の火が目に入ってくるから、熟練になればなるほど、片目を悪くし、ついには失明し、片目を失うこともあろう。
鍛冶屋を長年やれば、片目が見えなくなる・・裸眼で実行せざるを得なかった時代であるから、鍛冶職人の職業病ともいえる。
そしてこのことは何も日本に限らないことは、ギリシャ神話の鍛治の神「キュクロプス」の例を見ても明らかであろう。ヴォータンは何故片目なのか・・・1_d0063263_14193325.jpg








そして天目一箇命の別人格「台風」とは、「台風の目」にその根拠を求めるのではなく、小生は、風の音にあると思っている。

鞴(ふいご)によって起こした風によって、溶鉱炉の温度を最大に上げる必要があるから、タタラを足で踏んで起こす鞴の風は強力で、その音は「ヒューッ、ピューッ」そして溶鉱炉が燃える音は「ゴウゴウ」と表現できそうであるから、この音と、「台風」の暴風雨が立てる音が似ていることから、「台風」の別人格を持つことになったのだろうと。・・・・・・

ヒルデガルト・ベーレンスの「ブリュンヒルデ」
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正月早々「クレスパン」の声が聞きたくて取り出した「カラヤン」の「指環」、「ワルキューレ」を、映像で見ようと、一昨日から「ジェームス・レヴァイン」がメトロポリタン歌劇場管弦楽団と演奏した1989年の映像を見た。
演出=オットー・シェンク
ヴォータン=ジェームス・モリス
フリッカ=クリスタ・ルートヴィッヒ
ブリュンヒルデ=ヒルデガルト・ベーレンス
ジークリンデ=ジェシー・ノーマン
ジーク・ムント=ゲーリー・レイクス
フンディング=クルト・モル
このところ奇抜な演出が目立つが、このシェンクの演出は、かなり正統的なもののように思われる。
やや太目の「ジークムント、ジークリンデ」ではあるが、「ジェシーノーマン」の「ジークリンデ」も「ヒルデガルト・ベーレンス」の「ブリュンヒルデ」も熱演である。
「レヴァイン」の演奏は、やや早いテンポで、ぐいぐい引っ張るようで、スカッとして気持ちが良い。

「指環」を見ていて、いつも不思議に思うことそれは「ヴォータン」が片目=隻眼であることである。
どの演出を見てもそうだし、ある説によると、・・・・・
『オーディン=ヴォータンはミーミル(知恵の神)の泉によって潤っています。その泉にはオーディン=ヴォ^タンの片目が沈んでいます。かつてこの水を飲み知恵を得る代償に、彼は片目を差し出したのです「知恵」を得るために』

北方ゲルマン神話の「オーディン」=ノルン語、のドイツ語読みが「ヴォータン」であるといわれる。
小生はどうもこの「知恵の泉の話」を胡散臭いと思っているのだが、初詣の多度大社に祭られる「天目一箇命」=片目=一つ目の神、そしてギリシャ神話の、片目の鍛治の神「キュクロプス」、そして「指環」の北方ゲルマン神話の「オーディン=ヴォータン」に共通項があるのではないかと推理してみることにした。

by noanoa1970 | 2007-01-08 14:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)