更新休止中の出来事と雑感
ユニットの入れ替えや、珍しくネットがダウンしたり、出かけることが多かったりで、スッカリブログの更新を忘れていた。
それでもあれこれ思うところがあったのを忘れないうちに書きとめておくことにする。
「オールウエイズ三丁目の夕日」を最近TVでやっていたのを見た。
この映画は、某国の首相も大好きだというくらい、たいそう話題になって、その評価も非常に高いものだったと記憶するのだが、映画館に足を運ぶのがなんとなく億劫で、見過ごしてしまい、レンタルも返却がこれまた億劫になってき始めていて、「はやりもの」を見逃すことが多くなってきてしまっているのがこのごろである。
前宣伝でTVで放映すると知って待ち構えていたのだったが、背景はまさに小生自身の時代。
昭和33年といえば、小生は10歳。出演の「少年」とちょうど同じぐらいの年だから当然過度な感情移入がある。
総じてよく出来た作品である・・・・が
作品を見ながら「この作品のプロデューサーあるいは監督は、同時代の人間ではない」
ことを、あるワンシーンで直感したこと、時代考証もうまくやっていて、CGも巧みなことは認めた上で、1つだけ手抜きというか、「無知」の産物があることに残念な思いをしたのだった。
それはTVが初めてやってきたその夜に、いきなり「プロレス」ではなく、「テストパターン開始から、じっとTVの前で番組が始まるのを待っていた」のが事実であるのだ、というイチャモンではなく、ラジオから「新諸国物語」が聞こえてこないことでもなく(尋ね人の時間が流れていたのにはを大変なアリティ感じた)
設定が商店街風なのに、電気屋の「街頭TV]が写らなかったことでもない。
まして、コンセントプラグが抜けたTVを、元の姿が無いほどにまでに分解してしまったことでもない(これはやりすぎ・・・オーバー演出というものだ)
むしろ
スリガラスではなく、透明な電球のリアルさ、駄菓子屋の景品クジの「スカ」という文字を自作していたなど、同時代の人間でも知らなかったようなことが描かれたのは実に凄いと思う
・・・が、しかしである。
冒頭で誰かが「ゴム式の模型飛行機」を飛ばすにあたって、プロペラを人差し指で回すところのシーン。
実際にこういうタイプの模型飛行機を作って、飛ばしたことのある人なら誰でも経験してきたことなのだが、・・・・・・
映画では、飛行機の胴体の中ほどを左手で支え持って、右手の人差し指でプロペラを回し、動力の」「ゴム紐」を巻いているが、この持ち方だと、ゴムはキチンと巻けないのである。
「キチンと巻く」というのは、飛行機が空に舞い上がるための動力の確保をすることであって、映画の巻き方だと、巻き進むうちに、胴体中ほどを左手で支え持った指が、ゴムの反発力で、すぐに支えられなくなる。
したがって飛行機を飛ばすためには、フックとプロペラシャフトに引っ掛けたゴムの長さを十分・・・たるむようにに長く取り、左手の支えは飛行機の胴体中ほどではなく、主翼の下の部分にあてがって支えていないと、決してゴムは巻くことが出来ないのである。
さらに巻き進むうちに尾翼部分を下に向けて行かないと、よい巻き瘤が出来ないので、飛行機はよく飛ばないのである。
そのようなことを知っていて撮影のために、あのようなリアリティの無いものにしたのなら、わかってあげようという気持ちにもなるが、恐らく誰も実際にゴム動力模型軽飛行機を作ったことはないし、ゴムも巻いたことが無いことは一目でわかるから・・・すなわち、想像の産物だということがバレてしまったから、それ以外の出来が非常によいだけに、そこだけが小生には、たいそう目立つ弱点でに見えたのであった。
恐らくは
小津安次郎監督作品「おはよう」や「向田邦子」例えば「寺内貫太郎一家」などの諸作品からの影響を多く受けているものと拝察するが、「久世光彦 」というプロデューサーあるいは「森田 芳光」というあの時代を体験した監督だから、あの時代の「風や空気」を非ヴァーチャルに、まさにリアルに描くことが出来たので、どうしても同時代の小生から見ると、今作品の監督やプロデューサーに対して「惜しい」といわざるを得ない感触が付きまとう。
そういう意味では、「お早う」に見られる小津監督の「隠されたリアリズム」を大いに感じることとなった。
by noanoa1970 | 2006-12-18 15:45 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)
小生、ラジオ作りやアマチュア無線をしていましたので(事実、1台、正常なラジオをばらばらにしました)、懐かしくDVDを観ました。