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「ホテルNC」の頃・・・3

加川のコンサートがあったから、急遽書いた緊急レポートが一段楽したので、「ホテル」の続きを!
前回は入社したところまでであったので、ソロソロ内情暴露?(笑い)を書き始めようと思う。
出社当日は新入社員研修だ、指定されたところに集合すると、新入社員は約30名ほど。
希望職種、男女の区別などは関係なく、合同研修が始まる。
「ホテル」とは・・・の概論に続いて、OJTの一環か、グループに分かれて、客室に連れて行かれる。
そしていきなり「ベッドメーキング」の仕方を教わる。
やはりホテルは宿泊が基本だから仕方が無いし、だがこれは面白い。
シーツのシワが出にくい方法を伝授され、その後ホテルの各職場の案内と、主な仕事の内容説明を受けた。
昼食後配属先に移動するが、その前に配属先のユニフォーム試着を地下1Fにある「リネン室」で行う。

ほとんどの新入社員が宿泊に関係する仕事で、ベルボーイ、食堂の給仕、電話交換手、そしてパントリー(酒、各種飲み物、アイスクリームを提供)、ベーカー(パンとケーキ)と厨房に合計3名が配属され、そのうちの一人が厨房に配属の小生。
白いコック服(ホテルでの名称はコート)は、NOANOA時代に上着だけ着ていたが、上下と帽子、それにネッカチーフと前掛けを付けることになる。
ウロウロしていると、後は現場で教えてもらってくれというので、1Fにあるメインダイニング厨房へと向かう。

まず料理長に挨拶すると「君は将来ホテルで上に行きたいか、それともいずれ自分で店を持つ
つもりか」といきなり聞く。その選択肢では考えていなかった小生だが、迷うさまを見せるのはよくないと、とっさに「できれば店を持ちたいです」そういった。
これが1F厨房か2F厨房配属かを決める問いかけだったということは後で分かったが、
1Fは文字通りメンダイ(ホテルの主厨房)の厨房だから、主に宿泊客の食事、そしてVIPの食事、たまにイベント関係者用の「食券」と呼ばれる・・・例えば「カレー」「オムライス」などの「弁当」にあたるものを大きないべんと・・例えば新車発表会、様々なジャンルの大掛かりなの展示会・・・そのスタッフに提供する簡単な昼食100から300食・・・・を担当する。

コースからアラカルト、そしてランチもディナーもある。
2Fは結婚式披露宴、法人主催のパーティ・宴会用の食事を提供するところで、主に「盛り付け」が中心となる。
材料の切り出しやある程度の調理を1Fのメンダイで処理したものを、2Fに上げ、火を入れたり、盛り付けたりして、ビュッフェや婚礼、イベント用の食事として出す仕事だ。
2F独自で作るものは各種「冷製オードブル」と「スープ」、そして「ホット」と呼ぶ暖かい料理。この材料は1Fメンダイで提供したものを料理することになる。

もうひとつホテルの最上階には観光客やフリーの客が使うことのできるレストランがあって、そこにも厨房があるから、このホテルには西洋料理用の厨房が3つあることになる。
総料理長の下には黒ズボンとブルーのネッカチーフのセカンドチーフが、1Fに2人、2Fに2人
最上階にも2人合計6人いた。彼らはいわば現場責任者である。
コックの数は1F2Fで約60人、最上階には20人ほど。

最上階は一般顧客向けのレストランとしての存在意義があったから、所謂フレンチ中心のメニューを提供する「ホテルの高級西洋料理レストラン」としての顔を持っていて、セカンドチーフはいたが、「一国一城の主」的な存在、一種独特の「古いレストラン的な職場雰囲気」があった。
何度か手伝いにも行ったが、いつもピリピリしていて下とは違う緊張の連続、ここのセカンドはものすごく怖いことで有名な人であった。

ネッカチーフの折り方と身に着け方、きれいな結び目の作り方をOJT頂、最初は厨房の案内。
お昼を回った頃だったので、オーダーはあまり無く、少し暇になりかけたようで、1年先輩という人が案内してくれた。
聞けば厨房では「今度大学出の新人が来る」ということで、話題となったらしく「どうしてこの道を選んだのか?」などと聞いてくる。
案内を受けながら適当に答えていると、その人前職が「自衛隊」だというのには驚いたが、扉を開けて入ったとてつもなく大きい冷蔵庫に驚いて、その話は中断となった。
厨房の背面にステンレスの扉が一面に並んでいて、それは室内冷蔵庫だということがすぐに分かったが、その左右に両開きの大きな入り口が合って、右の扉の奥にあるのが、20畳はあろうかと思えるような冷蔵室。

ここで別室の冷凍室から、冷凍されている輸入物の肉を出してきて解凍したり、国産の肉・魚をしばらく保存したり、切り出した魚・肉類をワゴンに乗せて置いておき、2Fに上げるために一時保管する素材の保管庫であった。
この場所でも必要に応じて調理することもあるから、真ん中に調理台があり、周りを2階建ての棚が囲んでいて、様々な素材が置いてある。
これらは長期保存するためのものでなく、どちらかというと、数日の間に使うための準備のためのものである。
恐らく婚礼の会食用に使うのだろう。
チキンが丸ごと50羽、掃除してない状態でフィレ肉が20本、生きた伊勢海老がケ-スに入ったままゴソゴソ音を立てながら200匹置いて有ったのにまたビックリ。

野菜類の冷蔵用の部屋、ソースやスープ保存用の部屋(匂いが移るので専用)、そして生クリーム、バター、ミルク用の棚、があり奥に肉用の冷凍庫と魚用の冷凍庫が独立していた。

大きな冷蔵室場所は、毎晩ある秘密の場所に変身することになるのだが、そのことはそのときには夢にも思っていなかったんおであった。

職場の案内が終わると、小生は「ガロニ」と呼ばれる担当のグループにまず入ることになった。
「ガロニ」とは「ガルニ」・・・「ブーケガルニ」キャロット、パセリの軸、セロリ、ローリエなど所謂「香味野菜」類を束にしたものの呼び名として最近では一般的になってきたその「ガルニ」。
すなわち野菜であり、それはメインディッシュなどの「付け合せ」専門担当グループのことであった。

このころのホテルは、耳学問と実地見習いによる・・・「盗んで覚える」という職人の伝統が、まだ消えてはいなかったところがあって、フランス語を中心に、いろいろな外国語が入り乱れていて、その言葉の意味の根源を知るものはあまり存在していなかったようで、「ガロニ」とは「ガルニ」と発音すべきところを、このホテルでは「ガロニ」というから、面食らうことが多少あった。

例えば
「デシャップ」にある(あれ)、取って来てくれ!といわれて、レシャップだかデシャップだか・・ともかく分からないので、困ったことがあったて、すぐにそれが「DISH UP」・・「ディッシュアップ」のことだと分かったが、「デシャップ」というこちらが外国人の発音に近いから、耳で聞いて覚えた名残で、文字から入れば「ディッシュアップ」という覚え方になるだろうから、それはそれでよいのだが、その意味するところを知るものは少なく、「あそこの場所」をデシャップという・・と覚えている人がほとんどであったのには参った。

コンカッセに切る、シャトウに・・・、モンテする、フランベ・・・などなど発音と動作は対になるがその意味することろまでは、決して教えられることはない。これがまだこの時代のホテルの料理人の世界であったのは事実だ。
小生は第2外国語にフランス語を選択し4年生まで持ち越したのと、もうひとつの理由で、京大西部講堂の近くにあった、「日仏会館」の仏語会話スクールにしばらく通ったから、料理用語は持っていた辞書でおおよそ確認できたが、特殊専門用語はやはり「ラ・ルース」の辞典を頼った。
総料理長が書く各メニューは勿論フランス語であるが、ものすごく上手で・・・習字のお手本のような書体で書かれてあったから、かなり努力して練習したのだろうと推測させられた。

「ガロニ」の仕事は付け合せを仕込むことだ。
「付け合せ」といっても決してバカにはできない重要なもので、本当に一流の料理か否かは、「付け合せ」を見れば分かる・・とさえ言われるほど。
だが、当時の小生にはそのことが分かるはずも無く、しかしストーヴ・・・火を使って調理する担当を「ストーヴ前」といい、ソースとスープの仕込みと、煮たり焼いたりの調理をする。
ある程度の専門能力が要るから、3年ほどの経験を経てストーヴ前担当初心者となるが、それには他のいろいろなセクションを回らなければならない。

「ガロニ」は調理代の「ストーヴ前」とは向かい合うレンジで、タイミングを見ながら「付け合せ」=「ガロニ」を調理する。
「ガロニ」の基本は「赤味」「青味」「白味」という3色の野菜を組み合わせたもので、フランスの国旗を意味するとも言われるようだが、いろいろな説があるから真実は分からない。
「白味」の代表選手がフライドポテトなどポテトを使用したもの。
ジャガイモを洗って、大きさによって4~6にカットしたもの「皮を剥く」
よく「いもの皮むき」といわれるが単純な「皮むき」ではなく、形をきれいに整え、見た目が美しく、そして調理しやすく、触感がいいように、3分の1ほど削り込んで、面取りを施す必要があった。
一皿3~5冠つけるから1人前ほぼ1個のジャガイモを使うことになる。

このため大量のジャガイモをフライドポテト用に切り出し、皮むき面取りするから、大量の残骸が出ることになるが、それらは全て廃棄されることになる。
家庭でやるように、ジャガイモの薄皮を剥いてからやれば残ったものも再利用可能なはずであるが、ホテルでは決してそのようなことをしないのである。

大量に3枚卸にされるサーモンの頭もすべて廃棄する。非常にもったいないがフランス料理にはサーモンの頭を使うレシピは存在しないから、残しても無駄で、サーモンは魚のブイヨンにもならないから、仕方がないこととなってしまうのだ。
ここころのホテルの料理はまだ古典的フランス料理で、やがてヌーベルクイジーヌの「ポール・ボキューズ」が一斉風靡する前のことであった。彼の登場によってフランス料理が変化し、やがて現在のように、和食のテイストを取り入れたような物の流行となった。

彼なら鮭の頭を使った料理を開発したであろうが、古典的フランス料理では魚の頭は模造のものを使う。これは臭みが出やすいなどの害を防ぐためだったのだろう。

フライドポテト用にジャガイモを加工するには、ペティナイフという小さな包丁を使う、そして三日月形に整えながら皮を剥き、面取りするのだが、このナイフはナイフの柄の部分を持つのではなく、手のひらでナイフの刃の部分を直接握るのだという。
ナイフは押したり引いたりしない限り絶対に切れることはない・・・とは知ってはいたが、刃を指の腹に押し当てて握り、しかもその状態でジャガイモの面取りだから、これは恐怖であった。
何度もためらったが実際にやっている先輩を見て・・・そうしていない人もいたにはいたが・・・とにかく勇気を振る絞ってやってみると、指に腹はナイフの刃の後はついたが、どこも傷つきはしなかった。
柄の部分を持つとナイフの柄に近い部分の刃を遣うことになるから、よく研がれたナイフならいいのだが、そうでないものはきれいな面取りができない。
ナイフの刃を直接持つやり方であれば、ナイフの刃の先端部分の鋭いところが使えるから、きれいな面取りができる。
このことはフライドポテトにしたときにハッキリとした差が出ることになるのだ。

このとき小生は京都を去るにあたって、「菊一文字」という老舗の刃物屋からペティナイフを1本仕入れてあった。
何故「菊一文字」カというと、司馬遼太郎の「新撰組」あるいは「燃えと剣」をTVドラマにしたものが好きで、「栗塚旭」の「土方歳三」そして「島田順司」の「沖田総司」に思い入れがあって、沖田が京都で仕入れた刀が、「菊一文字」で、この和包丁を「白沙村荘」の「お菜ところ」でも使っていたから、小生も1本だけ入手したのであった。

最近では一流レストランでも冷凍の・・・ファーストフードと同じようなフライドポテチがついてくることが多いが、この頃のホテルでは、全てこのように準備されたもの、付けあわせといっても手間隙そしてコストがかかっていたものであった。

おなじようにして「赤味」のメインはキャロットのバター煮のために、面取りをするのだが、ジャガイモよりは数段剥きにくいのであった。
しかしキャロットの面取り後の残骸は、ブイヨンを作るときには無くてはならないから、保存されるのだった。

青味としては季節の・・・キヌサヤ、インゲン、ブロッコリ、たまにブリーンピース、それらをブイヨンで煮て温野菜として白味、赤味と同時に付け合せる。赤青白の順に付け合わされるが、メニューによって勿論付け合せも変化する。
ステーキ類でソース類を使用しないメニューであれば、フライドポテト、だがウインナーシュニッエルのように、パン粉を付けて調理されるものにはソースで食べるからポテトでなくスパゲッティを付ける。魚の場合は、少し大きめの、茹でたポテトという具合にメインディッシュによって変化させる。小生はプチオニオンをブイヨンで煮込み、肉のジュースをを究極まで煮詰めて作る、グラスというソースを加えたものが好きで高価なメニューによく使った。

ともかくストーヴ前に立てるということはラッキーで、
揚げ物は全て実践できたし、向かいから全てが見えるから、先輩達の調理手法を見ることもできた。

1F2Fのコックは普段の接触は少ないが、それでも週1回の当番のグループは混成だったから、すぐに顔見知りに慣れたし、仕事の連続性も有ったから、人の交代も盛んに行われた。
そうしているうちに、「ガロニ」の担当になってすぐに、始めての「泊まり」の日がやってきた。
「泊まりのグループ」の役割は、宿泊客のメンダイでのディナーと、ルームサービスそして翌朝の朝食の担当だ。

・・・・続く
次回は泊まりの時の話などを

by noanoa1970 | 2006-11-28 16:06 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)