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謎のレコード盤・・・ドラランド「我・深き淵より」

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レコード棚を漁っていたら見つかったのが何も書いてない白いジャケットに入ったレコード。白いジャケットに「「パイヤール仏古典音楽集成ー8」「ドゥラランドー深き淵より、、天の女王」とだれかの下手な字、細めのッマジックで書かれてある。
多分1968年付近DRACの「庶務」担当が大阪のレコード会社を回って、学内レコード・コンサート用の音盤を提供してもらいに行っていて、その中の物が小生の手元に残ったのだろうと思われる。

当時学生では下宿先でレコードが聞ける環境にあるものはごく一部、だから地元の学生であった「庶務」担当が、見本盤を預かり置くこととなったが、それが自然に自分の所有となっていったたという記憶がある。どれだけのレコードを見本として入手したのかは、報告も求めなかったし、毎週開かれる「水曜コンサート」に使う新譜や、それに該当するものが供給されれば、サークルとしては十分であったから、誰もモンクを言うものはなく、先代から「庶務」の役得みたいになっていたように思う。

小生は当時うるさ型の「副会長」・・・新撰組の副長「土方歳三」気取りであったから、文句が出るのを恐れてか、何枚かを(口封じに)小生に渡したのかもしれないが、とにかく小生の手元には「見本盤」が5枚ほどあり、その中の一枚がこの「ダウランド」である。

「宗教曲」は当時から好きなほうで、アンチェルとチェコフィルのドヴォルザークの「レクイエム」がドイツグラモフォンから出たときにはいち早く入手し、DRACの皆に聞かせたことがあったから、きっとダウランドの「深き淵より」は小生向きだとの配慮があったのだろう。

しかし当時小生はドゥラランドあるいはダウランドという音楽家は全く知らなくて、この見本盤はほとんど聴くことなく、久しく眠ったままになっていたのであった。

昨日「人間を帰せ」という衝撃的で、刺激的な音楽を聴いたので、本日は心休まるであろう「深き淵より」を聴くことにした。

ジャケットも開設も何もないから、このレコードに関しての情報は全くなく、ネットで調べても「ダウランド」の「深き淵より」の情報は全くなかった。

まず「ダウランド」をネット検索すると、なんと彼はイギリスの作曲家とあり、作品を調べると「深き淵より」などは、どこにも見当たらない。2時間余りを費やしアレコレ探してみるのだが、どれだけ探してもそれらしきものはない。
もしかするとパイヤールとコルボのこの録音は貴重なものか・・・などと考えて音盤をスキャナーで読み取り拡大してみると、Michel-Richard 「Delalande」 とあり、John 「Dowland,」ではないことに気づくこととなった。

つまり「ダウランド」とばかり思っていたのは実は「ドラランド」で、フランスの作曲家で、再び調べると、
『ミシェル=リシャール・ドラランド Michel-Richard Delalande [またはド・ラランド de Lalande](1657年パリ - 1726年6月18日ヴェルサイユ)はフランス・バロック音楽の作曲家で、フランス宮廷オルガニスト。ジャン=バティスト・リュリやフランソワ・クープランと同時代に、太陽王の宮廷音楽家として活躍。ルイ14世の王女の音楽教師を務め、1714年から没年まで王室礼拝堂の楽長を務めた』
オルガン奏者。ラランドとも。いわゆる〈ベルサイユ楽派〉を代表する大作曲家の一人で,モテットの発展に寄与した。パリに仕立て屋の子として生まれ,少年聖歌隊で音楽を習得。1683年ルイ14世の礼拝堂楽長の一人に選任され,のち王室楽長に就任。リュリ亡き後の宮廷音楽界に君臨した。国王の礼拝のために,独唱,重唱,合唱,管弦楽による約70曲のモテット(グラン・モテ)を残し,中でも壮麗な意匠を凝らした《深き淵(ふち)より》(1689年)は広く知られる。ほかに《テ・デウム》(1684年)などの宗教音楽,宮廷バレエや器楽曲がある。

一方「ダウランド」は

『ジョン・ダウランド(John Dowland, 1563年-1626年2月20日)は、イギリスの作曲家、リュート奏者である。1588年にオックスフォード大学で音楽楽士となり、海外で職を求めた。ニュルンベルク、ヴェネツィア、フィレンツェなどヨーロッパ諸国を遍歴し、1598~1603年にはデンマークでクリスチャン4世付きのリュート奏者を努めた。
1606年にイギリスに戻り、1612年に国王付属のリュート奏者となった。ダウランド自身は、その名のもじりである "semple dolens"(常に嘆いている)を標榜したが、陽気な人間であったと伝えられる』

下手な字で「ドゥラランド」と書かれていたのを、なまじっか仏語の知識をいいことに、小生が早とちりして「ダウランド」と勝手に思っていたことから、40年余り「誤解」をしていたと言うことになる。レコードのセンターラベルの記載など今まで気にしなかったものだから余計に思い違いはそのままであったが今回買う題して眺めたことによって漸く招待が判明したのであった。

フランスとイギリスそして100年の隔たり、背増音楽と宗教音楽の特徴の違いなど、両者について今まで知らなかったことが少しわかり、この時代の音楽への興味がより強まったことは少しデモの救いだった。


De Profundisは大体察しは付いていたが、念のため調べてみると
De Profundis」「深き淵より」
詩篇第130章「深き淵より,De Profundis」の最後にレクイエムの入祭唱の冒頭2行を続けて、それをモテットとすることは、よくあることのようだ。そうした例としては、ドラランドなどが有名だ。しかし、それをレクイエムの中に組み込んだ例は珍しい。シャルパンティエのH.7ぐらいであろう。

「grand motet」
とレーベルに記載があるので調べると
グラン・モテ(大モテット) grand motet
17世紀末から18世紀にかけてフランスで多く作曲された、独唱とコーラス(多くは2重合唱)と管弦楽つきの大規模なカンタータ風のモテトゥス。テキストには教会の典礼に関係していないものもあり、教会と劇場の両方に出来る音楽形式ということが出来る。

レコードには詩篇129となっているが通常「深き淵より」は詩篇130ミ♭ソレとの記述もあるので、この録音は特殊であるかあるいは120と130はほぼ同一のものであるか・・・その辺りは調べなくてはならないが、・・・・

曲は・・・「ミ♭・ソ・レ」と陰鬱なメロディで、アルトが「主よ われ深き ふちより御身に ・さけぶ
主よ わがこえを ・ききて・・・」と歌いだす・・有る意味レクイエムよりも暗く、嘆き悲しみがあふれるような音楽である。レクイエムが「死者が安らかに天国にいける」ようにと祈る、残された人の歌」であるのと異なり、「深き淵より」は、「死者の声そのもの」のように思えてきた。

レクイエムやミサ曲以外にもこのような「宗教的」な曲を聴くのもたまにはいいものである。久しぶりに宗教的な気分となってしまった。

余談だが「ドラランド」は「ド・ラランド」とも「ラランド」表記されるようである。

De Profundis 我深き淵より

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
主よ、この声を聞き取ってください。
耳を傾けてください。
嘆き祈る私の声に

主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
主よ、誰が耐ええましょう。
人はあなたを畏れ敬います。
なぜなら赦しはあなたのもとにあるからです

私の魂は望みをおき御言葉を待ち望みます。
私の魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして。

イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに
豊かなあがないも主のもとに。

主は、イスラエルを
すべての罪からあがなってくださる。

主よ永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光を彼らに照らしたまえ

by noanoa1970 | 2006-08-17 08:45 | 宗教曲を聴く | Comments(0)