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「新世界」同一指揮者の2つの演奏を聴く・・・「フェレンツ・フリッチャイ」その1

今日から3回にわたり、同一指揮者の2つの「新世界」の演奏を取り上げることにした。最初に取り上げるのは、「フェレンツ・フリッチャイ」・・・ドイツ、アメリカで活躍し、DGの誇るホープ的存在であったが、不幸にも若くして夭折してしまった。
その「フリッチャイ」が西ベルリンのアメリカ占領地区放送局(Radio in American Secter)のオーケストラすなわち「RIAS交響楽団」と1953年(54年?)に録音したもの。そして1959年(60年?)に「ベルリン・フィル」と録音した2つの「新世界」である。

この2つの全く異質な演奏を聞かせる背景・・・この6年間の間にそのような変化点があったのか。そして「フリッチャイ」が作り出した音楽の違いはなにか?その余りにも凄まじい音楽の変貌振りとそれぞれの音楽の特徴を見ることにしよう。
「新世界」同一指揮者の2つの演奏を聴く・・・「フェレンツ・フリッチャイ」その1_d0063263_17482969.jpg1953年RIAS交響楽団
フリッチャイは後年その演奏スタイルの大きな変化から、トスカニーニ型そしてフルトベングラー型の両面があることを指摘されている。このRIAS響との1953年の録音は、「トスカニーニ的演奏」の代表格とされており、


「新世界」同一指揮者の2つの演奏を聴く・・・「フェレンツ・フリッチャイ」その1_d0063263_190338.jpgBPOとの1959年録音は「フルベン型演奏」であるとされているようである。しかし実際には「フルベン」は「新世界」の録音を残していない。昔発売された「フルベン」の「新世界」として世間を騒がせたものは「カバスタ」の演奏だったという。
               小生もスッカリだまされた口で
               あった。

しかし考えてみると「フリッチャイ」のように優れた指揮者を表するのに、いくら偉大とはいえ同じ指揮者の楽才をもってすることに、小生は大きな違和感を持つ。
件の大指揮者のイメージをもって片付けてしまうには、「フリッチャイ」の音楽は余りにも「素晴らしく」余りにも「凄すぎる」からである。

「フリッチャイ」は「ハンガリー人だといわれているが、彼の一家はもともとは「モラヴィア」=「チェコ」に住んでいたという。「フリッチャイ」の祖父は「チェコ」人であっただろうから、彼にはもともと「チェコ」の血が流れていたのかもしれない。
けれど残された「ドヴォルザーク」の録音は、これも不思議なのだが、「ブラームス」同様余り多くない。最も彼が短命であったせいもあろうが、この2人の作曲家の音楽のライヴ及び録音は、他の作曲家のものに比べ、余りにも少なすぎる。「ハンガリー人」として育ったせいか、コダーイ、バルトーク少なからず残されている。

このことはさておいて、この「新世界」は「阿修羅」か「八面大王」か、緩急自在に操り、クレシェンド、アチェレランド、プレスト、マルカート、などの音楽用語では表現不可能なくらい、変幻自在な音楽を作る。前面に力が漲り、オケをグイグイ引っ張るが聞かせどころではルバートして、高雅に、そして表情豊かに歌わせる。

それら変化点が非常に多いので、ドキドキしながらも、興味と興奮を持って思わずのめりこんで聞いてしまう。・・・そんな演奏である。繰り返しの陰影の漬け方は「流石」というほか言葉が無い。各楽章のコーダ付近の「フリッチャイ・プレスト」は特に聞きものである。

この「新世界」がト「トスカニーニ」的とはとんでもない誤解であることは、すぐに分かりそうなことであると思うのだが、世間ではどういうわけか・・・その方がわかりやすいのだろうか?それともフリッチャイの知名度を上げようとする戦略なのか?
「新世界」に関して強いて比べて言えば、表情の変化点の範囲が狭い「トスカニーニ」よりは、表情豊かな音楽作りの面でかなりの差で優位に立つ演奏だと断言できる。
そして「トスカニーニ」的とは、「演奏のスピード感以外には全く似て非なるもの」だということをわかって欲しいものである。

全てのアインザッツに音の魂が乗っていて、アクセントを1泊目において進めていくかのような音楽作りに、「新世界」演奏の極致を見ることになる。
素晴らしい演奏だ!!BPOとの演奏は次回に

by noanoa1970 | 2006-01-08 08:40 | 新世界を聴く | Comments(0)