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武蔵野、新東京駅

連休の日曜日、息子が住む武蔵野市緑町のすぐ近くの文化会館で開催の、「トスカ」の公演に行った。
まるで旅芸人一座のような感じの、こじんまりした公演だったが、通算300回目という数をこなしているから、手慣れたものだ。
2つのアリアが有名だが、際立つようなオペラではないが、紙芝居的なまとまりがあり、バランスもとれているように思った。
オケは、総勢30人ほどだから、弦がどうしても弱く、吹奏楽団のような音響だが、ソレは仕方ないだろう。
このホールは、高田渡の追悼記念コンサートが開催された所で、過去に1回来たことがある所。
チケットは直ぐに完売になってしまうから、ほとんど空席がないのはいつもの事のようだ。

1200人収容の小さなホールにどうやってピットを作るのか不思議だったが、30数名のオケガその理由。
前列を何列か外してピットに仕立てたものだが、音の大きさには問題なく、歌手陣の声もよく聞こえた。
ここで開催される公演会はいつも格安だから、次回はオケか室内楽を聴いてみたい。

多目的ホールだから、残響は少ないが、その分それぞれの音はよく聞こえる。
大ホールはあまり好きではないから、気軽に聞くには調度良いし、なにしろ格安。
気に入ったものがあれば交通費を払って行っても良いだろう。
宿泊は息子のところに世話になればよい。

帰りは新幹線の「こだま」、ゆっくり寝ていけるのでグリーン車を選択。
大丸の地下で弁当を買って・・・その前に丸の内側に出て新東京駅を眺めることにした。

東京時代は、丸ノ内線に世話になったから、東京駅丸の内側はお手の物だったが、今回はすっかり様相が変わってかなり慌ててしまった。
だだっ広くて、未だ何もない地下街を彷徨いながら、地上へと近くのEVに乗ると、運良く丸ビルの前に出た。

地図があるだけで、行き先案内がないから、不慣れの人たちは何れも、地図を前にして、どうやってたどり着くのかわからない様子。

もう少し親切な案内ができないものだろうか。
いまのところ多分相当の外来者が新東京駅を見に来るというのに。

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お弁当はコレにした。
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by noanoa1970 | 2012-10-11 17:34 | 季節の栞 | Comments(19)

Commented by Abend5522 at 2012-10-11 23:32
sawyer様、こんばんは。
『トスカ』はスカルピアが最も重要な役どころだと思いますが、ああいう権力絡みの悪人の描き方は、やはりヴェルディの方が上手いというのが実感です。プッチーニは、『ラ・ボエーム』のように市井の人間を描かせたら素晴らしいのですが。
東京駅、いいですね。東京へはもう7年ぐらい行っていません。後方のビルが景観を損ねているのが残念ですが。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-13 09:35
Abendさま、おはようございます。
「トスカ」のテーマは、聖と俗を暴く出したとも言えるように思います。
人殺しそして自殺のトスカとマグダラのマリア、スカルビアの悪とと「テデウム」、それにマリオのナポレオン派ということを考え合わせると、ローマカトリックに対する反発のようなものが垣間見れますが、今回の公演ではそこまでの演出はなかったようで、悲劇としてだけの位置づけのようでした。当初ヴェルディーに話が来たようでしたが、結末・・・おそらくトスカの自殺という悲劇とカトリックでは禁止されている行為ということから、ヴェルディーが受けなかったとも言います。
Commented by Abend5522 at 2012-10-13 22:31
sawyer様、こんばんは。
ヴェルディが『トスカ』の台本に感動しつつも、ラストの書き直しを望んだのは、トスカが「おおスカルピア、神の御前で!」と叫んで身を投げることに因るものだと思います。スカルピアの策略によってかヴァラドッシが死んだことと、トスカがスカルピアを殺害したことを考え合わせますと、この幕切れはおかしいと感じます。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-14 18:06
Abendさまこんばんは。
トスカの自殺の時の言葉は、「地獄で会ってもう一度復讐してやる」というような思いではないでしょうか。スカルビアもトスカも、ともに、キリスト教の神からは見放された存在で有ったことを象徴するものではないかと小生は思います。
Commented by Abend5522 at 2012-10-14 22:03
sawyer様、こんばんは。
ヴェルディがどういうラストをイメージしていたか興味深いのですが、それが書かれた資料がわからないのが残念です。彼が『トスカ』の台本を知ったのは『オテロ』を作った後ですから、年齢的にも不可能と思っていたのかも知れません。ヴェルディはプッチーニに批判を加えつつ言及していますが、「交響楽的過ぎる」と言っているのは面白いところです。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-15 18:16
Abendさま、こんばんは。
「交響楽的すぎる」の意味は、推測でしか無いですが、ドラマ性がないので面白く無いということなのでしょうか。トスカ公演では、吹奏楽がバックのように、鳴り物が目立ちましたが。ヴェルディは厳格なカトリック教徒、それに対してプッチーニはあまり熱心なキリスト教徒ではなかったようです。肺病で死んでしまうという筋は両者にもありますが、自殺はカトリックでは禁止事項ですから、ヴェルディはそれが気に入らなかったのだろうと思いますが、確証はありません。マグダラのマリアにトスカを象徴させたようなところも見受けられ、マグダラのマリアが娼婦的な存在であったという説も、この頃には有ったと思われますので、ヴェルディの「椿姫」が脳裏にあったかもしれません。ベートーヴェンの「フィデリオ」とは反対の筋書きのような気もします。トスカはストーリー性に乏しいオペラであるということは、それだけ単純で庶民にわかりやすかったとも言えます。
Commented by Abend5522 at 2012-10-15 23:06
sawyer様、こんばんは。
件のプッチーニに対するヴェルディの言は、ハッセー著(永竹由幸訳)の『ヴェルディ』にある彼の書簡(1884年6月。アリヴァベーネ宛)によるものです。次のようになっています。

「作曲家プッチーニの評判が高いことは聞いております。・・・彼は現代の新しい方向に指向していますが、それは当然のことでしょう。しかし彼は流行というもののない旋律というものに強く愛着を感じているようです。しかしながらどうも私には、彼は交響楽的な要素に捕われすぎているように思えるのです。その点は何も悪いことではないのですが、しかしこの点は特に慎重に進めることが必要なのです。オペラはオペラなのですし、シンフォニーはシンフォニーなのです。また、オーケストラをただ興味本位に踊らせるためシンフォニーのかけらをオペラに入れるのはよくないことだと思います。」
Commented by noanoa1970 at 2012-10-16 13:07
Abendさま
小生が観た先の公演の感想として、吹奏楽のようなオケと言ったと記憶しますが、もう一つ、確かにアリアなどの旋律は、それまでの音楽とは関係なく突然現れます。ヴェルディはともかくワーグナーとは全く違いますね。プッチーニのオペラは、
コンサート形式でも十分ではないかと1瞬思いました。
Commented by Abend5522 at 2012-10-16 18:01
sawyer様、こんばんは。
プッチーニが『トスカ』をオペラ化したいと思った背景には、ヴェルディが大成した当時のイタリア・オペラ界に、どうやって自分の功績を加えて行くかということと、ワーグナーのイタリア的享受であり、当時澎湃として起こったヴェリズモ・オペラの潮流に乗り遅れまいとする両面がありました。結果として、プッチーニの作品はワーグナーは勿論のこと、ヴェルディとも全く異なる、しかし新しいとも言えないものになってしまったと思います。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-17 17:07
Abendさま、こんばんは。
リアルに当時の光景を描くには、どうも脚本も音楽も(バックの音楽は派手なところがありましたが)登場人物の心情・苦悩を描ききるまでには至ってないもので、かなり表面的にならざるを得ないように感じたのは、なにを言いたいかが隠されすぎてしまったからかもしれません。巷で起こる恋愛の悲劇としてしか、映りにくいのではないかと思います。このあたりがヴェリズモの限界かもしれません。それならば、神話や伝説を素に象徴的に描くほうがわかりやすいと思うのですが。騙し騙されるという人間の性と悲劇性は有ったかもしれませんが、小生的には評価できないオペラです。アリアだけが際立つという結果になったのは、残念なことです。トスカも、横目で見れば、嫉妬深いそして頭の良くないその場凌ぎの女として映ってしまいます。カヴァラドッシとアンジェロッティ、その妹の関係が希薄で、マグダラのマリアを妹に似せて書いたことの理由も不鮮明です。原作を読んでいませんから、文句はいえませんが、少なくともオペラから読み取れるれるものが少すぎでした。購入したDVDがありますので、一度見て見ることにします。演出でガラリと変わるかもしれませんので。
Commented by Abend5522 at 2012-10-17 23:27
sawyer様、こんばんは。
原作であるサルドゥーの戯曲は読んだことがないのですが、当時の名女優サラ・ヴェルナールのために書かれたこの作品は、1800年のマレンゴの戦いが背景にありますね。しかし、『トスカ』ではナポレオン派のアンジェロッティの存在感が希薄で、それを弾圧する側のスカルピアも、時代劇に出て来る好色な悪代官のような描かれ方ですね。「テ・デウム」は、おそらく『オテロ』のイァーゴの「クレド」に影響を受けたのだと思うのですが、イァーゴに比べると遥かに見劣りがします。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-18 11:57
Abendさま、風邪ぎみなので早く寝てしまいました。
今日は熱も下がって食欲も湧いて来ましたので、良い感じです。
小生もナポレオンが負けたという知らせと、それが誤報であったということに寄る、この物語りの成り行きが不整合で、何のためにその様なものを少しとは言えオペラに入れたのかがさっぱりわからないのでした。「テ・デウム」の挿入も不思議な事で、意図するものが何かよくわからないオペラでした。ヴァインベルクのオペラ「パサジェルカ」と比較するのもおかしいかもしれませんが、心理状態や政治状況がわかるのには、優れていますし、現代、過去、未来の交差が見事に描ききれています。ただこのことはナチスのコチオを知ってるからかもしれませんが。イタリアの歴史についてはあまり認識がなかったかもしれません。
Commented by Abend5522 at 2012-10-19 20:56
sawyer様、こんばんは。
季節の変わり目は体調を崩しがちですので、ご自愛下さいませ。
『パサジェルカ』は映画にもなっていますが、歌劇の方は昨年の放映を見逃してしまい、残念に思っています。
スカルピアの「テ・デウム」については、イァーゴの「クレド」と比較した意見をブログに書きたいと思っています。
Commented by noanoa1970 at 2012-10-20 11:44
Abendさま、こんにちは。
パサジェルカ、録画したのを2回見ましたが、謝って消してしまいました。コレは残しておくべきものと、今後悔しています。トスカのライブ録画は安価なブルーレイDVDになっているものを昨日見ました。アマゾンで1000円チョットで購入し、期待してなかったのですが、巨大な野外劇場のライブですが、さすすガはイタリアの歌唱人、ベルカントが素晴らしい、生で見るのにはやはり限界があると、つくづく思いました。細かいところの表現や話の筋や、伏線もDVDならば、ハッキリと読み取れます。演出もかなり大掛かりなもので、この間の公演と比較するのが可哀そうなぐらいです。
なぜ打ち合わせ通りに銃殺刑が執行されなかったことは、その前の誰々の刑と同じにしろを2回つぶやくところで、伏線になっているようです。1800年代のローマは、オーストリアが応援する保守党とフランスが応援する共和党の政治的イデオロギーの対立があればこそこのオペラは成立するということがわかりました。
Commented by HABABI at 2012-10-23 11:16 x
sawyer様、Abend様

戯曲の内容を知らないので、これは想像ですが、オペラ『トスカ』は、観客が戯曲の内容をある程度知っていることを前提に、いわば抜粋版をアリア等で発展させたものではないかと思います。だから、連続性に欠ける印象があるのだと思います。
それと、ヴェルディは最後の場面をどう変えたかったのか、これも想像すると面白い気がします。私なら、トスカは慌しく飛び降りるのではなく、トスカのアリアを入れて、自らも人(スカルピア)を殺した報いを受けたのだと歌い、その後に、追ってきた兵士に撃たれて、カヴァラドッシと重なるように倒れて絶命する、といったところでしょうか。飛び降り自殺は、その死体の様子を想像すると、どうもトスカには相応しくないように思います。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2012-10-23 15:21
HABABI さま。
今日気がついたのですが、トスカの最初、スカルビアのテーマ、「ミレドソ」は、ベートーヴェンの運命の動機「ミミドレレシ」と同じ音符で出来ています。ということは、この物語の行先を暗示サせていると考えられないでしょうか。
<観客が戯曲の内容を知っていたのではないか、
鋭い指摘だと小生も思います。
100年後に作られたとはいえ、恐らく現実にあったものを描いたと思われますから、当時の人達はこの歴史的政治的話を知っていたのでしょう。ハプスブルク家のナポリ王妃マリア・カロリーナがローマを支配していた頃の話です。ナポレオンの影響をを受けた共和主義者が反旗を翻さんとしていた時代。政治状況が個人の恋愛までに影を落とした時代という背景を知っていたからこそ理解できるものなのでしょう。政治と宗教に翻弄される個人の不条理な運命「死」が潜む暗示のような気がします。
Commented by HABABI at 2012-10-23 18:35 x
sawyerさん、こんばんは

念のため:
>観客が戯曲の内容を知っていたのではないか
という意味は、サルドゥの戯曲/芝居を観ていたか、あるいは人づて等にて、「トスカ」の筋を知っていた、と言う意味です。

それと、オペラの中で、カヴァラドッシが撃たれる前のトスカとカヴァラドッシの歌詞に
トスカ:「うまく倒れるのよ」
カヴァラドッシ:「芝居でのトスカのようにね」
が出て来ます。「トスカ」の芝居の役者に負けないようにの意味だろうと思いますので、芝居とオペラの二重構造をオペラの中で告白している様に思います。

「蝶々さん」や「トゥーランドット」の様な滅茶苦茶な筋のオペラも作曲したプッチーニの作品に、歴史的な面や宗教的な面の真実を見出すのは難しいと思いますが、娯楽性を超えた、作曲者自身も自覚していなかったかもしれない真理に触れた芸術性を残していたので、今でも多くの人がプッチーニのオペラを聴くのだろうと思います。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2012-10-24 09:40
HABABIさん
まず abendさんからのご指摘を受け、訂正しなければなリませんが、「スカルビア」のテーマといったのは間違いで、すぐにその後に出る音型「ミレドシ」です。また>観客が戯曲の内容を知っていたのではないかという意味はおっしゃるとおりです。しかし」だからこそ、この戯曲芝居を単なる非連撃としては捉えていなかったのではないでしょうか。
カヴァラドッシ:「芝居でのトスカのようにね」は、見逃していましたが、もう一つわからないのが、マレンゴの戦いでナポレオン軍の敗戦の知らせが、「テデウム」に繋がるが、後にそれが誤報であったことへのスカルビアの心理状態が希薄すぎることです。考えられるとすれば、自分の将来がないことを予感して、トスカを我が物に線という気が一層高まったのかもしれません。政治状況を入れながらも、そのことの意味がよくわからなくなったのは、オペラの限界でしょうか。宗教性に関して言えば、信仰が必ずしも窮地の人間を救うのではないということをいつも言っていたように思います。
Commented by Abend5522 at 2012-10-24 23:01
sawyer様、HABABI様、こんばんは。
サルドゥーの『ラ・トスカ』のパリ初演が1887年ですので、『トスカ』初演のわずか13年前です。『ラ・トスカ』がイタリアで、イタリア語によって上演されていたかどうかは知らないのですが、されていたとすれば、『トスカ』の観衆には『ラ・トスカ』を既に観ていた人々が多かったかも知れませんね。
因みに、初めて知って驚いたのですが、『ラ・トスカ』のパリ初演からわずか2年後に、三遊亭円朝がこれを『錦の舞衣』という落語にしたそうです。
ヴェルディなら『トスカ』の幕切れをこうしたについては、HABABI様のお考えを興味深く拝見しました。これに関する私の考えは、ブログに書かせていただきます。