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ブログ連動企画第13弾ストコフスキーのヴォカリーズ潜音記

ストコフスキーとラフマニノフはかなり縁があるようだ。

ラフマニノフがアメリカに渡った時1918年以来、ラフマニノフはピアニストとして活躍したから、自作の協奏曲2番と3番を録音したが、それぞれオーマンディとストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団を指揮を執ったもので、ストコフスキーとオーマンディ両方がフィラデルフィア管のシェフをやっていた時のことと思われる。
パガニーニの主題による狂詩曲もストコフスキーとの共演で、ストコフスキーとオーマンディが初演権を巡って争ったといわれる交響曲3番の初演は、ストコフスキーによるものだ。
協奏曲は分け合ったが、ラフマニノフに関しては、録音上でのことだがややストコフスキーに分があったようだ。

今回のテーマ「ヴォカリーズ」は、小生には縁のない音楽で、たぶん架蔵してないと思うし、あっても全く聴かずじまいである音楽だ。

今回聞いてみると不思議なことにメロディは途中までだが記憶にある。
しかし多分それはBGM]的に耳に入ってきたものだろうだが、もしそうであれば、かなりいろいろなTPOで使用されたのだろう。

最初に聞いたときに小生はこの甘い曲の中に、リムスキーコリサコフのシェエラザードの中のある旋律と同じ匂いを感じた。
それはシェエラザードの2楽章、ヴァイオリンソロの後、オーボエの民謡風のメロディとヴォカリーズ冒頭、そしてソプラノがコロラトゥーラ風に歌った後何度もでてくるチェロによるフレーズが類似しているよう思ったからだ。

それで」小生の趣味の1つでもある、(シェエラザードからの)「引用」」を探ろうと注意深く聴いていると、さらにシェエラザードの冒頭のサルタン国王のフレーズと、ヴォカリーズの冒頭がなんととなく似ているように思ったので、絶対音感など持ってない特権だが、耳で聞こえた音を、調性を同じにして聴くと、シェエラザードの冒頭は、「ファドミレドレ」と直すことができ、ヴォカリーズ冒頭は「ファミファレミド」音の長さは異なるがこのようになった。

耳から起こし変調したから、正しいという自信はないが、あっているとすれば、配列は異なるが使われた音符がほぼ一緒であることlが、似ているとと思った理由になるだろう。

そして不覚にも小生は気が付かなかったが、ヴォカリーズの冒頭は、ラフマニノフ得意のグレゴリオ聖歌のディエスイレが引用されたという情報があって、こんな歌曲にまでディエスイレを引用したのかと、改めてラフマニノフとディエスイレの因縁を感じた。

古今の作曲家ののディエスイレ引用を、耳で聴いて見つけるのに自信を持ってきた小生だが、ヴォカリーズのように変容されると、気が付かないものであることを思い知ったが、やはり耳で聴く限界だろう。
しかし楽譜を追っても、調性が違うと気が付かない人は多いと思うから、やはり小生は耳を頼りにすることに変わりはない。

今では常識となった、サン=サーンスの交響曲曲3番に、誰も言及しない前に、ディエスイレが潜むことを指摘したのはその1つだった。やはり引用した音楽を空で覚えるほど聴きこんでないとそれは難しいし、和声との絡みもあるので、得手不得手があるのだろう。

ところで、グレゴリオ聖歌のディエスイレは、「ファミファレミドレ」となる。
シェエラザード冒頭は「ファドミレドレ」、ヴォカリーズは「ファミファレミド」で、ほとんど同じ音符を使っていて、引用との説明があったヴォカリーズと、ディエスイレは全く同じフレーズだとわかる。
ラフマニノフは人知れず、ディエスイレをヴォカリーズに潜ませたのであった。

リムスキーコルサコフもディエスイレをシェエラザード冒頭に引用したのではないかということで、小生の頭の中で3つの音楽がつながったことになり、新しい発見ができたことになる。

ディエスイレは「死と怒り」の表現の代用としても引用されるから、シェエラザードがもしそうであるとすれば、性格的に乱暴で、夜伽の女性を殺したとされるサルタン王の表現には似合っている。
一方ヴォカリーズは、14の歌の最後に、しかもその名が示すように、言葉ではない声で歌われる。
歌詞がないということは、それまでの13曲は歌曲だから、歌詞を選択し曲を付けたことで音楽の内面もわかりやすい。
ラフマニノフが最簿の曲にヴォカリーズという形式を採用したのは、おそらく2つ理由があって、1つは純音楽的なもの、2つ目は歌詞で表現するとまずいような意味を込めてがあったのだろうと推測する。

曲調はただ美しいのだが、ラフマニノフは悲しみと怒り、そして現実から逃避するシューベルトの「死と乙女」のように、死を恐怖でもあるが憧れと捉えたのではないか。

youtubeで聴ける限りのヴォカリーズを聴いたが、ほとんどどれも美しく時には哀しい表現であった。
小生もそうであったが、この曲の持つメロディアスなところにまんまと引っかかった演奏ばかり。

ラフマニノフをよく知っていると思われるストコフスキーは、そのあたりをどのように解釈したのか、興味を持って聞いてみた。
歌い手は中学生時代に(たぶんオペラ中継だったと思う)知った怪しい美形アンナモッフォだ。
オケをバックに歌ったものは以下の5人、モッフォを加え6人聴くことができた。
Kiri Te Kanawa
Cynthia Haymon
Natalie Dessay
Terada hitoko
Galina Oleinichenko

ストコフスキー盤はさすがにここでは、音の長さの変化をあまりつけない敷き振りだが、管弦楽だけのパートでは微妙にアーティキュレーションを施している。

ところで、ラフマニノフのディエスイレの引用加工と今まで聞いてきたストコフスキーの指揮ぶりは、音の長短をダイナミックに活用するところが似てなくもない。

今回は長短よりも強弱が強調されているようだが、長短の変化ははラフマニノフがすでに施しているからだろうか。

モッフォの歌唱は悪くはないが、歌だけ取ればキリテが好きだ。
伴奏を採ればストコフスキーにかなうものは聴けなかったし、歌と伴奏総合でもかなりいい線を行くのは間違いないと思う。
モッフォには失礼だが、このまま歌を消しても十分聴きごたえがある、ストコフスキーのバックだ。
しかし、モッフォの弱点であり特徴でもある、イタリアオペラティックな歌唱が出過ぎないように、うまく管弦楽に薄め調和させて高水準な歌曲にしているのは、ストコフスキーの力であろう。

バックの音楽に何らかの意思を感じたのは、聴いた中ではやはりストコフスキーで、音魂がある音楽であった。

しかしラフマニノフという作曲家とディエスイレの関係は思った以上に奥が深い。

abend様
お次はエネスコの「ルーマニアラプソディ」でいかがでしょう。
小生初聴きです。
それでしばらく間を置きまして、チャイコの6番といきましょう。

by noanoa1970 | 2012-03-16 10:43 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

Commented by Abend5522 at 2012-03-16 21:42
sawyer様、こんばんは。
まず、お詫びせねばなりません。『ヴォカリーズ』は女声コーラスとモッフォの二種類が収録されているのを見落としていました。両者とも、ジャケに記されている演奏時間が全く同じですね。女声コーラスをプレゼンスした演奏は、ストコフスキー独自のものかどうかはわかりませんが、宗教曲的ですね。モッフォとのものは、確かに辛うじてオペラ的になるのを抑制している感があります。両者の録音時期は約3年の間隔があるだけなのに、随分と違って聴こえます。
冒頭部分がグレゴリアン・チャント『ディエス・イレ』のアレンジであることは、初めて知りました。テレマンの『マニフィカト』のアリアとも似た感じがしますし、今では旧ソ連の作曲家ヴァヴィロフの作とされているカッチー二の『アヴェ・マリア』は、『ヴォカリーズ』を参照して作られたのではないかと思える雰囲気があります。
ストコフスキーの演奏は、両者とも非常に丁寧ですね。ラフマニノフの諸作品の初演や初録音をしたのも彼ですし、両者はアメリカを足場としたロシア、ポーランド系の人間として、深く通じるものがあったように思います。
『ルーマニア狂詩曲第1番』、受けさせていただきます。
Commented by noanoa1970 at 2012-03-17 08:08
Abend様
おはようございます。
小生も見落としておりました。
迷わずモッフォ盤を選択したのですが、コーラス盤を訊くとどウもコーラス盤のほうがよりあっているように感じ、BGM」的に聞くならば断然そうでしょう。ソロ盤は歌い手による表情から、曲の解釈が見えやすいですから、ポイントをそこに置くのですたら、ソロが適当ですね。声を入れないもの、バイオリン、ギターなどのものがありますが、やはり声入りがいいですね。ストコフスキーの場合はオケで語ることに優れていますから、ソロより合唱があっているように思いました。
Commented by noanoa1970 at 2012-03-17 08:08
ストフスキーは両方で実験したのかもl知れませんね。
分散和音とメロディーの組み合わせですが、きちんと対位法的な処理されているグノーも(バッハはもちろん)バロック以前の音楽から影響をうけたと思います。アヴェマリアはラテン語ではAではじまりAで終わり、込み入った歌詞なく、しかも少ないから、Aが強調された歌として、後の作曲家が新しいと注目したのかもしれませんね。
ラフマニノフ&チャイコフスキー
「聖ヨハンネ・クリソストモスの典礼」
(金口ヨアンネスの聖体礼儀)Op.31独唱者たち
ヴラジーミル・ミーニン指揮という音盤を80年代に入手しましたがラフマニノフは」チャイコフスキーの影響も大きく受けたようです。ピアノトリオはチャイコを偲んだものですね。
モスクワ室内cho.
録音:1980年。MELODIYA盤
Commented by HABABI at 2012-03-18 08:41 x
sawyerさん、おはようございます

ドゥベンスキー編曲、ストコフスキーとモッフォによるこの演奏を、昔ラジオで聞いていたのだと思います。懐かしく思い出します。
アシュケージのピアノ、エリーザベト・ゼーダーシュトレームのソプラノ(この人もオペラ歌手で、声もモッフォ同様、少し太い響きです)でも聴きますが、モッフォの方が感情を抑えた歌いぶりになっています。
モッフォの方に視点を持っていけば、モッフォが歌ったことで、ストコフスキー独特の演出と歌いまわしに変化が加わって全体が生きたようにも思えます。
ストコフスキーは、LSOとのシェヘラザードの時のソロ・ヴァイオリンの使い方でも、録音の仕方を含めてソリストをとても効果的に使っていると思います。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2012-03-18 16:52
HABABIさん、少し振りです。
昔ラジオで流れていたのですか、それなら記憶の可能性がありますね。今ひょんなことからabendさんと実験的なことをやっていますが、次回はチャイコの6番です。音盤お持ちでしたら是非参加ください。つぎの音盤は未定ですが、3人が共通するものを見つけたいと考えています。交代ですから、急がないので、UPするタイミングゆっくりできると思います。
ストコフスキー、おっしゃる通りソロの使い方非常に上手だと小生も思いました。
Commented by HABABI at 2012-03-18 20:03 x
sawyerさん、こんばんは
私は、このストコフスキーのBoxを持っていないので、お二人の中に参加出来ませんが、ヴォカリーズの入ったCDは、割りと最近に入手して聴いたので、コメントさせて頂いた次第です。他に、我が家にあるものでは、ワーグナーのリングからの管弦楽曲集とバッハ等の編曲ものが、良い仕上がりになっていると思います。
お二人の書かれたものを楽しみに読まさせて頂きます。HABABI