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湯船の中で考えたこと

風呂の中でこんなことを考えた。
まとまりがついてないままであるがご勘弁願いたい。

朝、早朝と書いて「あした」と読むことは「早朝の雨」:ゴードン・ライトフットの名作「early morning rain」の訳「あしたのあめ」からも分かるように古語での活用法である。

夜明け後の早い時間が「あした」ということで、昔の人は夕方から夜明けまでの時間帯を
「夕べ(ゆうべ)」「宵(よい)」「夜中(よなか)」「暁(あかとき)」「朝(あした)」と5つに分けていたらしい。

太陽が登りかける直前を「暁」、徐々に明るくなってくる頃、すなわち早朝が「あした」ということになり、「早朝」を「あした」とした「early morning rain」の邦訳は適切だ。

古来「あした」が朝及び早朝の意味を持っていたということはわかるが、明日と書いて「あした」と読み、翌日のことを表すのは何故だろうか。

むかし「明日という字は明るい日と書くのね」「若いという字は苦しい字に似てるわ」とアン真理子が歌っていたが、明日すなわち翌日を「あした」となぜ呼ぶことになったかははっきりしてないようだ。

翌日のことをあれこれ思いやるのは、前日の夜であろうことから、明日、翌朝の日に想いを馳せるということで明日を翌日の意味で使うことになったのではないか、というのが小生の推理である。

さてもう1つの謎、どうして、夜明けを「あした」と言うようになったのかについては諸説あるようだが、これも小生の推理を働かせて・・・

略語を使うことは、斬新で時代の先端を行っているに等しいことと思ったのは、昔も今も変わらなかったようだという大前提のもとに。

太陽が顔をのぞかせる直前、ぼんやりと明るくなってくる頃を、「夜が明けました」云々言っていたのだが、少々長くて悠長だったことから、誰かが「よがあけました」という呼称から「○が○け○ま○た」を削除し、「あした」と言う呼称を編み出して、それが伝播して夜が明けること、夜明け=早朝を「あした」というようになったのではないかと推理してみた。

昔の人の中にも現代の若者のような略語が流行の先端を行くものとおもっていた人がいたのだろう。
「ありがとうございました」を「あしたー」というのと一見同じような形成パターンであるように見えるが、重要な違いは、意味合いが封じ込められているかいないかで、「あしたー」はそれだけでの意味合いはなく、お礼をいう時でないと効力がないから、単に短くしたというだけである。

とんでもない妄想的推理でしかないが、他の諸説も大なり小なり。

「夜が明けるとき」という意味で「あけじた」と言っていたが「あけじた」から「け」が抜けて転じて「あした」となったという、例えばこの説にしても略語でそうなったとの説明で、しかも「明け時」を「明けじた」と発音するのは東国地方というから、範囲はかなり狭いと考えて良いしそれが普遍的になrったという確証に乏しいから、、あまり説得力はないと思う。

しかしいずれにしても、「略語」説は、まちがいではないような気がしてならない。
そして略語の中に、意味を保持しつつ簡略化されたもの、単に短くしただけのものの大きく2つがあるように思える。

昔の人の中にも、略語を使うことは流行の最先端を走っているものと勘違いしていた人がいたのではないか。いやむしろそれを楽しむ風潮が有ったのではないかとも思う。

略語など有る一定の組織でしか使わない、そしてその他の人が聴いても意味が分からない言葉を使うことによって、ひとつの共同体を作る原動力になったということもあるのではないか。

卑近なでは「業界言葉」の一つ、言葉を逆さまに言う・・・ジャズをズージャということは、最初はジャズ屋の一部が使い出したと思われるが、それが徐々にに浸透し、今やマスコミ業界でも使われるようになったものであろう。

ゲーセン・・・最近はこのように意味のない縮めただけの略が多いようだが、ゲームセンターでなく、音楽をやっている一部で使われた言葉で、五千円貸してくれをゲーセン貸しててくれと言う具合に、CDEFGAHのGは5番目、このことを知って使うのは音楽関係でも演奏する側である。


またよくあるオーケストラの助っ人「エキストラ」を「トラ」というのは、オーケストラの関係者で、これは他の人にほんとうの意味を知られたくないというところと、オーケストラのトラをひっかけた言葉のように思う。
演劇や映画のエキストラを「トラ」というのは聴いたことがないから、オケ専門の言い方なのだろう。

これらは自分たちの領域を示すアイデンティティのようなものして考えることも出来、その言葉も意味も知っていいる人は他人でも大きな仲間意識の中に入ると言うことを示すものであろう。

隠語によるゲマインシャフト形成と言うと怪しげに聴こえるかもれないが、自然発生的要素と、意識して・・必要性からのもの両方があいまったところで成立してきたのだろう。

しかしながらこういう言葉も、今やマスコミがドラマや映画バラエティなどで平気で使うし、その言葉を使うタレントを主演させていることから、かなり多くの一般人の知る所となってしまい、一般的な使い方になると思われるようなものも散見されることから、かつて存在したゲマインシャフト的な効力はなくなりつつ有るようだ。

話としては隠語の成立過程探求のほうが面白いが、「略語」に戻ることにする。

略語として生き延びる条件としては、単に短くするだけでなく、素の言葉の意味を保持しつつ発音の具合が良く言いやすくなくてはならないのだと思う。

発音に無理がある略語は生き残らないようである。

日本語として定着しつつ有る外来語も日本語と比べて発音が楽なものが優先的に使われるようで、「〇〇を得ることをゲットする」というように、日本語のほうがわかりにくく長くて硬い言い回しのものは外来語に取って代わられる。


「甘味」という言葉は、発音の「かんみ」と聴くだけでは何を言っているのか分からない人が増えてきたのだろう、だからスイーツという外来語のほうが、発音から甘いものを連想させやすいからだろうか、今や日本語として定着しそうである。言い易いしおまけに少々気取った言葉に聴こえ、マスコミのバックアップもあって定着まちがいないようだ。

分からないのは、「車のキー」というのに、「家のキー」「玄関のキー」とは言わないこと。
最も「車の鍵」という人も居ないわけではないから、「KAGI」という発音はステ去られたわけではないようだ。

結局は耳に馴染み、言いやすいことが略語としての条件というyことではないだろうか。
それがどのような意味を持つかは、略語に関してはそれ自身が独立してしまうので、ドウでもいいことなのかも知れない。

「あけましておめでとうございます」を「あけおめ」と略すのはドウかと思うが、其れでもエキスはキチント入っている。

しかしこの言葉は日本人が持つであろう伝統文化と抵触するから、流行るかドウかは分からなく、小生は流行らないであろうと見ている。

「なんでも略せばいいってものじゃない」と白戸家のお父さんも言っていたが、略される前の言葉のエキスは忘れないで略していただきたいものだ。



by noanoa1970 | 2011-11-26 10:47 | 歴史 | Comments(12)

Commented by Abend at 2011-11-26 12:35 x
sawyer様、こんにちは。
私は、「明日」は「明(あ)+時(しだ)」とする説を取っております。
「明」の訓読みは「あ」が本来のもので、日本語は時代の変遷とともに送り仮名を漢字の読みに取り入れて行く特性がありますので、「明」も「あ」から「あか」、「あきら」、特殊な例では、清和天皇の生母である藤原明子は(あきらけいこ)と読みます。
「しだ(時)」は上代の東国方言で、「明時(あしだ)」は夜が明ける時間帯=夜の最後の時間帯で、夜の区分けに関する言葉なのですが、朝の始めとの繋ぎの役割も併せ持つことから、時代とともに朝の方へとシフトして行き、その範囲も朝の始めから朝全般へと拡大されていったと考えられます。
Commented by HABABI at 2011-11-26 19:20 x
sawyerさん、こんばんは

お話を伺って、すぐ思い出しましたが、R.シュトラウスの歌曲にMorgenという曲があり、日本語訳では、「あした」と訳すことが多いようです。Morgenが出てくるところの歌詞の意味は、"Und morgen・・・"「そしてあした、太陽がふたたび照りそそぐだろう」ですので、ここは「あさ」でも「あした」でも、意味はほとんど変わりません。しかし、タイトルのMorgenを「あした(明日)」と書かれると、見た最初??となります。

外来語(片仮名)のほか、日本語の文法にも英語の影響があり、さらには、コンピューター言語のような緻密な整合性を持つものに慣らされてくると、我々が普段使っている言葉は、相当融通性を持って接しないと疲れてしまいます。
一方、度を越した省略語は、さすがに嫌ですね。省略語ではないのかもしれませんが、未だに「なにげに」という意味が分からないでいます。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-27 09:36
Abend さまおはようございます。
言葉の意味と発音の話はカナリ面白いです。
>「しだ(時)」は上代の東国方言で、「明時(あしだ)」は夜が明ける時間帯=夜の最後の時間帯で、夜の区分けに関する言葉・・・
上代を平安期以前とするなら、東国は田舎であったはずですね。その田舎言葉が何故全国制覇していったのか実に不思議です。また「しだ」「じた」が「時」を表し、その他で使われ、現在も残っているものは有るのでしょうか。漢字文化以前の発音によって後に漢字を当てはめたという可能性は無いでしょうか。
漢字文化が貴族社会で使われるようになった頃、7世紀以前の奈良時代に「あけしだ」の発音が関東で使われたとしても、「明時」は当て字で後世のもの、さらに当時の関東はど田舎ですから、そこから全国伝播はあり得ないと小生は思うのですが・・・(唯一有るとすれば鎌倉時代でしょうか)
Commented by noanoa1970 at 2011-11-27 09:37
続きです
よくあることですが漢字から意味を推測するのは一見正しいようcで時代を考慮すると、あとから合理化したものであることが多いようです。」小生は「発音」アリき、後に当て漢字をつけたと思います。ただし当て字には発音だけでなく、もとの意味がわかりやすいように配慮した形跡が散見されるものもあります。
何れにしても色々な説を拝見し、それらをリテラシーを持って参考にすることは意味があることですね。唯一この説だけが定説となってしまうのは危険だと思います。正解はなく、あれもこれもの世界でしょうね。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-27 09:55
HABABIさんおはようございます。
>タイトルのMorgenを「あした(明日)」と書かれると、見た最初??となります。
そうですね。漢字で書かれると激しく面食らいます。
仮名で書かれて不思議に思ったのが「朝の雨」を「あしたの雨」と邦訳されたものを見た時、そして耳で聞いてあれと思ったのは「あした浜辺をさまよえば・・・」なぜ明日のことを歌うのか不思議に思ったことがありました。「明日浜辺をさまよったとしたら」という意味かなと思いましたが、これも「(早)朝浜辺をさまよったら」という意味と分かったのはカナリ後のことでした。明日を朝の意味で使うときは仮名表記が良いですね。「なにげに」は多分若者言葉のように思いますが、
「なにげなく」「なにげない」・・・「さりげない」ことを表現する言葉だったように思います。しかしもとの意味を超えて「考えた結果」「どうして」など幅広くて戸惑いますね。曖昧語は本質を表現しないから安全なので、そういう人間関係上必要なのかも知れませんね。
Commented by Abend at 2011-11-27 13:58 x
sawyer様、こんにちは。
"Morgen"には、「朝」と「明日」の区別がありませんね。Guten Morgenなら朝ですし、bis Morgenなら明日です(また明日)。
「しだ(時)」の現代での他の用例としては、「だ」が「な」に転じて「行きしな」、「帰りしな」、「寝しな」等の「しな」があります。「あしだ」は上代東国方言とはいえ、東国から徴用されて奈良の都に来ていた人々の言葉や、またそういった人々の歌が「東歌」として『万葉集』に多く載せられましたので、それを経由して伝播して行ったものと考えられます。
Commented by Abend at 2011-11-27 14:32 x
続きです。
今でも「一昼夜」、「昼夜を分かたず」というように、本来は「朝」という独立した時間帯は無かったわけです。「朝」を「あした」と読む時は、「曙」の次で夜の最後の時間帯を表し、「あさ」と読む時は昼の最初の時間帯を表します。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-27 15:39
Abendさまこんにちは
東国から徴用された人は主として防人で、多分人数は一番多いであろうと思います。派兵先は主として九州南部あるいは中国地方であったでしょう。韓半島に対抗する為ですが、彼らは共同生活を強いられ実際の兵役以外では集団農耕作業に従事したと聴きます。もし彼らからの伝搬であるとするならば、九州地方から都へという順路となりますが、彼らは自由な外出もかなわなかったであろうし、職務上外部との接触もなかったとすれば、言葉が伝播するのは仲間内は可能でしょう。四六時中勤務の防人言葉となって伝搬していったとも考えることは出来ますでしょう。自衛隊との比較は適当ではないとは思いますが、自衛隊の業界用語、我々にはほとんど伝わりません。一般市民とは日常的接触が少なく守秘義務があるからでしょう。もし防人からと言うのならば、彼らが帰還して故郷に帰って使用したことから伝搬したのかも知れません。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-27 15:40
続きです
東国の徴用者からというのも一理あり否定はしませんが、文化や言葉の伝搬は、やはりある程度の文化圏からではないでしょうか。海陸の交通網が整備された時代、それによる一般の人々にも旅などで東西の文化交流が可能になった時代に下がって鎌倉幕府時代ぐらいになるのではないかと思いますが。
「しだ」の活用法の「しな」は、京言葉ではないでしょうか。「しな」が「~する時」を表すことはよくわかりました。祖母・母親がよくつかっていました。「しな」から「しだ」へ変化したということは考えにくいのでしょうか。なんにしても、文化圏から非文化圏へ伝搬していくのは普通なことのように思いますが。
京の言葉文化の伝搬という方が、小生には説得力がありそうです。
Commented by HABABI at 2011-11-27 19:00 x
こんばんは

辞書を見ると、Morgenが冠詞等が付かないで使われる場合は、「明日」の意味になるようです。例の曲の場合もMorgen単独なので、もともと「あした」の訳でよかったのです。勉強になりました。
Commented by Abend at 2011-11-27 22:19 x
sawyer様、こんばんは。
今では、「な」を省略して「行きし」、「帰りし」をよく使います。
「しだ」は『万葉集』の東歌に見られますので、それに先立って奈良朝の上代語に「しな」があったかどうかはわかりません。
「あした」、「あす」も、どちらが先行していたのか謎ですね。
Commented by noanoa1970 at 2011-11-28 08:52
Abendさまおはようございます。
この種の話は正解が無いので、「言われている」という風に受け取ることにしたほうが良いかも知れませんね。種々の説のどれが自分に説得力があるかになるということでしょうか。
いろいろ推理が出来て楽しくはありますが。