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音が変わること、音が良くなること

「ワンダーエコ 」という、紙を圧縮加工した発泡剤を、低音吸収剤として使用したレゾネーターの効果が大きかったことで、音が変化ししかも良くなった。

ワンダーエコは以下のURLで
tだし、安価であるとはいえ、小生の場合は有るものを再利用したにすぎないし、膨らみの周波数が分かって対策としてこの素材の吸音周波数が分かった上で実施したわけでもなく、結果は偶然の産物だから、低音吸音の万能選手ではないことを承知いただきたい。
http://www.oizuru.co.jp/weco_about/
http://www.webshiro.com/syouhinsetumei/M1000-WBS10.html

オーディオの世界で、暗闇に陥ってしまうのは、細部にこだわり過ぎることであろう。
ピンケーブル、SPコード、その他俗に言う「オーディオアクセサリー」に凝ってしまい、僅かなおとの変化を、音が良くなったと勘違いし、しばらくするとどうもそうではないと思うせいか、次々と変えていく人間を見ることがある。

電源コードやピンケーブル、SPコードと言っても、決してバカにはならない、1本数万円するものもザラにある。

小生もかつてはそのような傾向にあった時期があって、ダンボール箱2配分のコード類が今も残存している。
しかし現在は枝葉末節(と言うと怒られるかも知れないが)を気にしなくなっていて、お金のかから無い範囲のンルームアコースティック調性に主眼を注いでいる。

壊れたと思っていたCDPが使えることを知って、現在はそれをメインシステムに組み込んで使っているが、低音部が膨らむので改善しようと思い立ったのが、ダンボールの下敷きとして使用されたワンダーエコを、溜め込んでいたものを利用したものだった。

これは非常に効果的で、低音部の膨らみが取れたせいで、音楽がよりリアルになり、細部の音まで良く聞こえるようになった。

演奏の表現力、楽器の配置と人数が前以上に分かるようになってきたし、音が締まってきて中高域を邪魔しなくなったから、干渉が防げるのか、リアリティがものすごく出てきた。

以前がボーンドーンという表現の低音だったが、ポンドンhンという軽い音に変わった。
前のほうが低音が出ているという人間もいるとは思うが、生で聞く打楽器以外の低音は、総じて軽く聞こえるから、多分本物に近づいたのではないだろうか。
駄洒落ではないが「干渉が防げる緩衝材」ということになったわけだ。

昨夜シュタルケルのドヴォコンを聴いたが、チェロと伴奏楽器がお互いに引きずられることなく、独立性が高まったように感じられ、その事で、ドヴォルザークが伴奏ソロ両方に細やかな味付けを施し、両者が有機的融合していくさまが聞き取れたし、チェロの最低音も余分なものを削ぎ落し、軽々としたピュアな音で聞こえたことを確認できた。

ドラティのアゴーギグがバックにしては激しいのも確認でき、それを物ともしないシュタルケルに、ソロとバックの意思疎通がハッキリ有ることを知ることとなった。

以前にSACDとCDのでの聴き比べの評価を否定的にかいたが、ハイブリッドSACDとCDを聴いたが、どちらも以前にまして音にコクがあり、洗練されたドヴォコンというイメージに洗練と土俗が程良く混ざったdフォヴォコンというイメージが強くなった。

バイオリンのようなチェロの音、と表現したことを訂正しなければならないほど、チェロの音色と響きの美しさと力強さがよく出ている。
倍音の響きもよく出ていて、かつてはフラジオかと思った音がソウでないこともわかるぐらいになった。

ちょっとしたルームアコースティックの調性で、このような音に変化し、それだェでなく良い音になったということは余りあることではない。
経験知では、変化することと、良くなることは両立しないことが多く、お金をかけてしまうと、その事で、良くなったことにしようという力が働いてしまうこともあった。

確固とした改善が可能か否か、不明なものではあるが、お金をかけないで実施すると、きちんとした評価ができるというもの。

今朝ヴィヴァルディの「2つのマンドリンのための協奏曲ト長調P.133」を聴いたところ、今までとの違いがより鮮明となった。

この楽曲で奏されるマンドリンは文字通り2つだが、以前出は2つのマンドリンノ存在はわかるものの、2つともほぼ同じような音色であったたため、今どちらが演奏しているのか、区別がつきにくい状態であったが、今度はそれとは全く違い、2つのマンドリン音色が大きく違っているのが分かるようになったから、今弾いているマンドリンが、最初に出たマンドリンと同一か、2番目に出たマンドリンなのかがキチントン把握できる。

楽器の種類も貼ってある弦も、奏者も違うのだから、同じ音にン聞こえるのはおかしいのだが、以前では区別がつかなかったのは本当のことで、2つの・・・という意味がわからぬままに聞くしか無かった。

今朝はそれとはちがって、CDソースが変わったのかと思うぐらい、音に変化があって、しかもその変化が良い方向の変化であることが確認できたというわけだ。

ERATOの1969年録音だが、シャルランを彷彿させるような実に素晴らしい録音で有ることを認識させてくれたし、似ていて区別がつきにくかったマンドリンの音色がかなり違っていて、マーチンとギブソンの音の違い以上に違うことが分かったのは、上で紹介した「ワンダーエコ」を使ったゼソネーターライクの調性の賜物であることはまちがいないこと。

只今其の調整過程ではあるが、モウほぼ満足度の高い状態になりつつある。
高域の音色を邪魔せず、逆に低音が締まったことで高域の再生音が柔らかくなってきた感もある。
ちょっとしたアイディアだったが、実行して実に良かったと思っている。

新しい音盤を聞いているような錯覚に浸れるから、過去のソースを聴くのが楽しみになっている。
なんでもないと思ってたものが素晴らしかったり、演奏評も変化することがおおいにに予想される。

変化することと良くなる事の両立はめったにない体験で、今回のことは実に幸運だった。

by noanoa1970 | 2011-11-04 12:10 | オーディオ | Comments(0)