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アケビと栗

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数年前から垣根の中でひっそりと実をつけてきたアケビ、今年も比較的大きめなのは3つだけだが実をつけた。

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多くの実をつけた栗は、道路に落ちたものを、通りすがりの親子が珍しそうに拾ってゆく光景がほほえましい。

栗の木自体がいまや珍しいし、ましてや実がなっている姿や、落ちてきて中に実がある、いが付きのものなどは、見たことなどはないのだろう。

山栗だと思うが、実はかなり小さく、天津甘栗の小粒代の大きさだ。
いつもは食べるのが面倒なので、観賞に終わっていたが、本日は食べてみることにした。
天津甘栗風にとは思うが、小石を集めるのが面倒だし、時間がかかり味付けもなかなか厄介そうなので、焼き栗にすることにしたが、食べる際にごく小さい実の皮を剥ぐ作業に手間がかかりそうなので、事前に少し切れ目を入れ、茹で上げたものを乾煎りしてみることにした。

懸念だった、渋皮が実に付いて来る事無く、グレープフルーツようのスプーンでこそげると、苦労なしで食べることが出来き、これならばたくさん食べられると、ちょっとしたことだがやってよかった。

冷えてから食べると甘味が増して、天津甘栗に近いが自然の甘さだから、栗の味を損なわない。
くりきんとんを作るには、一個当たり15個ほど必用な計算だから、さすがに断念したが、この味ならば何も入れなくても中津川の専門店に負けないと思う。

アケビは、冗談で食べた後の種を撒いておいたのが、いつの間にか垣根の中で人知れず大きくなっていて、数年前、花が咲いていることでようやく気がついたのだった。

花は割りとたくさん咲くのだが、実をつけるものは非常に少なく、しかも毎年、実をつける枝の位置が決まっているようで、いわば定位置がアケビにあるようだが理由は分からない。

10センチから15センチほどになったアケビ、実がわれ始め食べごろとなったが、気がつかないままだと、最近民家近くまでやってきて、おととしは留守中に、家の駐車場の屋根の上で、ひとしきり遊んで帰ったと、近所の人が知らせてくれたが、大好物のアケビはサルに取られたことだろう。

いや数年前に実が生っていることに気がついたのだったが、種撒きしてから20年以上経っていることを考えれば、もっと早くに実をつけるようになっていて、気がつかないまま、サルに持っていかれていた可能性もある。

アケビは実を主に食べる地方と、皮を重視して、身を捨ててしまう地方があるというが、小生の家では両方楽しむことにしていて、実は冷やしたものをすすって上手く種を出し、実は味噌炒めにして酒のともにすれば山間の秋の季節を感じさせとても美味である。

味醂と醤油と鷹の爪でキンピラ風に炒めてもいける。
アイディアとしては詰め物も良いとは思うが、何背数が少ないから、いまだ実現しないが、中の餡には豚マンと同じようなものを使い、蒸すかうす衣で揚げてから、輪切りにすればよいと今気がついた。
冷めてから、わさび醤油で食すのがピッタリだと思う。

皮は少し甘味があって、鄙びた山間の村の秋の香りがするから、しいたけやきのこ類を微塵にして餡に入れるといいだろう。
温燗の〆張鶴本醸造がよく合うのではないだろうか。
あるいは小生が愛飲する「春鹿」超辛口純米でもいいような気がする。

アケビの皮の詰め物包み上げ包み蒸しは、中身の餡に肉を使うし、田舎を感じさせるような皮の香りがたち、あっさりと少しこってりが同居するから、本醸造の少しこくがあるものと、すっきりとキレがある酒であわせるのが良いだろうが、好みが別れそうだ。
熱いままを本醸造でいく場合は、山葵でなく和辛子がよさそうだ。

白ワインでももちろん良いと思うが、ソムリエ風に言えば、山間に湧き出る清水や周辺の地衣・苔のような香りがするものがいいということになろうが、具体的なものは知らないし、そんなワインがあるのかも知らない。
詰め物にはソースアメリケーヌが合いそうだ。望み薄だが、川海老の殻が使えれば最高だろう。

酒は、生で飲んで上手いものでも、合わせる料理でそれが持続しないことがあり、その酒の特徴の大半を殺すことさえある(ように思う)。

何も食べないで飲むか、料理によって酒を変える事が、「通」と言われる人に多いのは、そのせいなのかもしれない。

本日h、あらかじめ茹でたりでずに、生のまま乾煎りしてみたところ、殻が上手に剥がれ、栗の実そのままの形で食せたものが多かった。天津甘栗の味付けなしの感じで、非常に美味しかった。

それに気をよくして、本日小石を購入してきた。
栗がまだあるので、本格的天津甘栗に挑戦だ。

今のやり方でも、薄皮は実についてこなかったから、天津甘栗は中国産の栗でしか出来ないと言う神話を、崩してやろうと思っている。

ダッチオーブンに小石を敷いて、オイルと砂糖を加えて暖め、そこに栗を入れて小石と一緒に炒って行く。
時間がかかるが、むずかしくは無いようだ。

ダッチオーブンはキャンプ用に購入したものだが、天麩羅鍋として使用すると、抜群によく揚がる。
小石を入手したから、次はダッチオーブンで「石焼芋」だ。

by noanoa1970 | 2011-10-18 00:01 | 日常のこと | Comments(3)

Commented by Abend at 2011-10-18 21:09 x
sawyer様、こんばんは。
みる秋や あけびの開き くりの色
拙句をご容赦下さいませ。
よく皮の開いた、「開け実」という語源に納得のアケビ。
カスタネットの語源である「栗の実」。
「目秋(もくしゅう)」という言葉を、勝手に作ってしまいました。
今、ヘッドホンではフリードリヒ大王のフルート協奏曲第1番の第3楽章が流れています。レーデルのソロ&指揮、手兵のミュンヘン・プロ・アルテの演奏です。


 
Commented by noanoa1970 at 2011-10-18 23:15
虚子の句かと思いました。
出典は分からないのですが、
「いが栗は心よわくぞ落ちにけるこの山姫のゑめる顔みて」の句は栗とアケビが歌われています。山姫と言うのがアケビで、アケビはほかにも欠伸が語源と言う説もあるますね。
山女と題して「ますらをがつま木にあけびさし添へて暮ればかへる大原の里」とあることから、山女は魚だけでなくアケビの代名詞だったようです。なにか意味深ですね。
子規の句に「老僧にあけびを貰ふ暇乞」という句があり、寺で実をたくさんつけたアケビが裁ききれないのか、滋養強壮のつもりで施したのか、お別れの品にアケビをくれたということなのだろうか。『居合の中での暇乞は奥伝の一番最後、師からは上意討の技だと聞いています。上意討とは主(あるじ)に命令されて敵を倒すことですね。』という凄いものに遭遇しましたが、まさか。
目秋いいことばですね。鼻秋は下品です。鼻は端で鼻緒は下駄の先端にある紐だからそういうのだそうです。端秋でしたらいいいかも知れません。言葉の民俗史は奥が深く意外な面が多いので面白いです。
Commented by noanoa1970 at 2011-10-18 23:16
続きです
レーデルは小生も好きな指揮者でありフルート奏者です。
洒落た即興性はグルダに通じるところがあるように思います。
今夜はオークションで驚くべき安価に落札できた、50年前のコロムビアクラシック名曲大全集50枚セットが届いたので、懐かしいものをちらほら聴いています。ジークフリート・ボリスvn
フリッツリーガー/ミュンヘンフィルのベトvnコンチェルト
素晴らしすぎです。