お詫びがてらに
今朝早い音楽番組を録画したのを先程見て驚いた。
まだ録画前のものをチラ見したとき、ベートーヴェンの第9の演奏のさなかで、このような時期にやるのは珍しいから、番組表では「ズービン・メータ」となっているのに、何かの都合で、年末
のヘルムート・リリングの再放送かと思ったが、テナーの福井さんが歌うのを観て、これは違うと、改めて録画が終わったものを見た。
すると4月10日、ズービン・メータが指揮をした第9で、東日品大震災のチャリティコンサート、チケット代は義援金に当てるということだった。
先のブログで、小生が批判したのは間違いで良かったと、そして少々後ろめたさも手伝いながら演奏を聴いた。
しかし、もし東京だけでの1回限りのコンサートで終わるなら、依然として厳しいことを言わなければならない。
どうか継続して、出来れば全国で公演していただきたいものだ。
NHKであれば、「復興の象徴となる音楽」を誰かに依頼することも可能なはず。
それを携えて、復興支援コンサートなるものを公演していただくとさらに良いだろう。
したがってメータとN響の第9、いかなる音楽を聴かせてくれるのかの期待が否応なしに膨らむ。
テナーの志田さんは、岩手の出身で、今回の災害で家屋が破壊されたというし、親類縁者に災害に遭われた方がいる団員も、少なからずいると思う。
今回のコンサートが、3.12北米ツアーのお詫び公演や、方便の為の公演に終わらないように、これからも注目していきたいが、とにかくも、このようなチャリティ公演をすることにしたのは、評価しておかねばならない。
ただ勘違いしないで欲しいのは、自分たちの演奏は、被災現地の人々には届かないということ。
被災地の人たちは、TVのクラシック番組など見ている暇も余裕もないということだ。
余程のクラシックファンでも、そうだと思う。
音楽関係者が、そしてN響の団員が、口々に言っている、音楽で、音楽の力で、被災した人たちを、元気づけ勇気づけ、明るくなってもらいたいと、本気で思うのなら、現地に入って、被災者と顔を付きあわせて、演奏するしかないのではないか。
このようなことを、言わざるを得ないほど、特にクラシック音楽分野の人達は、的が外れたことを平気で言うのが目について仕方が無い。
「津波のような第9」・・・こんな時にたとえは良くないのは承知だが、メータはじめ団員全体が、何らかの強迫観念に取り付かれでもしているかのようだ。
別の良い言葉にするなら、「被災者の気持ちと、なんとか同化しようとしている」と言っても良い。
そのことは、ものすごく速いテンポをインテンポで突き進むが、聴かせどころではリタルランド、クレッシェンドを生かし切った演奏にあらわれていて、まさに「疾風怒涛」の第9という演奏であった。
やはり、このコンサートに臨んでの気持ちに、いつもと違う何かがあったのだろう。
演奏直前にメータが入った言葉の中に、ショプ性はそのヒントがあるように思う。
黙祷に入る前、メータは、被災された人たち、その家族、そして・・・「ペットに哀悼の意を表する」といった。
今まで誰がいったい「ペット」に対する哀悼の意を唱えただろうか。
こんな時、「ペット」にまで心配りができる人、そうざらにはいない。
そして、メータが、きっと心の大変おおらかな優しい人であろうことを確信した。
小生はこの一言を聞いたとき、メータのなみなみならぬ想いを見たような気がする。
そういう気持ちの、ものすごく入った状態だから、あのような疾風怒濤の如くの演奏になったのか。
少し練習不足があったのか、N響はやや固くなっていたようで、メータの棒に十分な反応をしないところもあったが、ピッコロ、オーボエが音を少し外しただけで、前のめりにならずよく健闘した。
顔を真っ赤にしてまで歌いきった姿は感動もの。
合唱もペースを乱すことなく、メータの棒にしたがって、カチッとしたハーモニーを聴かせてくれた。
テンポが極速い割には、細かいところまできっちりと抑えていて、メータの新側面を垣間見ることができた演奏であった。
by NOANOA1970 | 2011-04-24 13:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)