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おとだま・おとかえ・・・フリッチャイ

小生はずいぶん前から、「音魂」「音霊」という自分の造語を使って、演奏の印象を述べることがあった。

もちろんその造語は、「言魂」「言霊」からの発想であるのは、いうまでもない。

そのような音楽を表出する指揮者として、小生はよくF・コンヴィチュニーを挙げてきたが、フェレンツ・フリッチャイもそういう一人と言ってよいだろう。

ご存知のとおり、そして以前のブログにて、新旧ある彼の「新世界」の演奏において、その演奏スタイルが、激変していることについて書いた記憶がある。

不治の病を宣告されて、入退院を繰り返し、一時的な復帰後の演奏スタイルは、それまでのザッハリッヒなスタイルから一変して、表現主義的とも言えるような演奏スタイルへと変化した。

スタジオ録音とライブでは演奏スタイルが変わる指揮者もいるにはいるが、それはあくまでその指揮者の演奏スタイルから推測可能なものでの些細な変化であって、フリッチャイ程の大きな変化ではない。

しからばなぜフリッチャイは、このような劇的な演奏スタイルの変化を見せたのだろうか。

このことについて、多くの人は「病気」が原因とし、不治の病を知って、厭世的になり、それが音楽に反映したなどというが、それ以上に迫るものを小生は知らない。

本人が語らないから、いや、たとえ本人が語ったとしても、本当のことは、わからないが、推測することは、残された人の特権だから、ここは小生の思いを推測を兼ねてしてみたい。

タイトルを「おとだま」・・・「音魂」「音霊」そして「おとかえ」・・・「音変え」「音替え」「音換え「音代え」としたのは、不治の病に冒されたフリッチャイだが、決して厭世的な気分ではなく、(そのことは彼の音楽を聴けば一目瞭然で、音楽のエネルギーは何も削がれてはおらず、逆に以前よりもエネルギッシュで、かつ、深みに達した感がある)アップテンポからスローテンポへの変化はあるが、そのような表面的な変化で、厭世的だというのは的外れで、強い意志の変化があってか、以前よりもアグレッシブさを感じさせると、小生は思っているからである。

そしてその要因は、音霊→音代えにあると推測したのである。

古代から日本人は、国中になにか不吉なことが起こると遷都をした。

日常的には、言葉に宿る霊的なものを大切に、つまり言葉=音声が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じてきた。

吉兆の言葉は吉事をもたらし、不吉な言葉を発すれば凶事が起こるとされたのである。

例えはあまり良くないが、ヒゲを剃(す)るをヒゲを剃(そ)るといったり、スルメをアタリメというのも、「する」という、忌み言葉を嫌ったからであろう。

結婚式のスピーチで、分かれる離れる切れるなどの言葉を使わないようにするのも、単に縁起を担ぐというだけでなく、「言霊」に対する信仰の名残といっても良いだろう。

フリッチャイは不治の病を宣告されるが、この苦境に勝ってこの先も音楽に専念したいという願望を持ち続けた。

今の苦境を断ち切るためには、どうしたらよいかを考えたに違いない。

そして病床で考えた末に思いついたのが、音楽における音魂の存在であり、現状を打破するための「音代え」、すなわち演奏スタイルの大幅な変革であった。

音楽に宿る「音霊」に気づき、災い転じて福と成す為に、「ことかえ 」ならぬ「音代え」によって凶事から脱しようとしたのではないだろうか。

言霊は、東洋思想あるいは日本独自のものでなく、幅広く世界的なものであるといい、キリスト教や他の宗教にも、呪文や詔や祈祷文というj形で存在するというから、異文化圏のフリッチャイがそのことを思いついたとしても、なんの不思議もない。

フリッチャイの晩年の音楽は、スローテンポになったことは事実だが、(騙されやすいのだが、)そのことを称して、厭世的になったというものは一切無く、音楽を聴けばよくわかることなのだが、1音1音に霊が乗り、その上で非常に冷静な音楽構成をし、音のパースペクティブを慮った深淵で巨大な音楽をつくっていることからも、決して彼岸を見ていたわけではないのだ。

彼の音楽から見えるものは、音楽への情熱と生きることへの執念である。

演奏スタイルの変貌は、生きて音楽をやりたいという願望の成果であり、執念であり情念の結果である。

スローテンポという表面的な事象だけに目を奪われないで、音楽をジックリ聞くと、現状を脱却するという意気込みを、演奏という表現行為によって、そして楽譜の向こうの作者への尊崇の念によく現れているような気がしてならない。

晩年のフリッチャイは、アグレッシブである。

そのことを体感させてくれる、代表的なな音楽は、やはりベートーヴェンだ。

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本日は5番と7番のカップリングの音盤で聴くことにした。

リピート無しで38分かけた運命も素晴らしいが、7番はそれにも増して素晴らしい。

まず特徴的なのは、出てくる音の響かせかたそのものが、通常とは趣きを異にするもの。

各パートの音が非常に鮮明で、かつ、ミクスチャーされた音が、鋭さと柔軟さが相まって、(全体的にスローテンポではあるが、そして注意してないと気がつきにくいが)、楽章を追うごとにテンションがリニアに上がっていき、終楽章では1つ1つの音が有機的なつながりを持ち、噛み締めるようなリズムとともに、ツッティにつき進んでいく。

音楽のテンションが急激に変化するカルロス・クライバー/バイエルンとは、自然でリニアな音楽のが持つ訴求力・・・「音霊」の存在感という意味で、対局にある演奏と言えるだろう。

聴き終えた後、何時までも心に響き残る音楽と、聴いているうちは躍動感に満ち心弾むのだが、聴き終えるとそれっきりで、後に残るものが少ない音楽。

後者を音霊のある音楽と、小生は言う事にしている。

by noanoa1970 | 2011-04-13 09:51 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

Commented by cyubaki3 at 2011-04-14 21:30 x
管理人さんお気に入りのフリッチャイもそうですが、ヴァン・ベイヌム、カンテルリ、ケルテスあたりが長生きしていれば、20世紀後半のクラシック音楽界もかなり変ったものになったかもしれませんね。
Commented by noanoa1970 at 2011-04-14 22:09
cyubaki3さん
短命の芸術家は、何かしら特別なものを感じることが多いものですね。「生き急いだ」という言葉がありますが、指揮者の多くが長命なのに、6割7割の命でしたが、それだけに持てる力を精一杯出し切ったようにも思えます。ベイヌム、カンテッリはステレオ最盛期まで生きていれば、評価がもっと高まったことでしょうし、ケルテスは、巨匠と呼ばれたに違いありません。その点短命でしたが、フリッチャイがステレオ録音をはじめ録音を割と多く残したことは、実にありがたい事です。
長く生きていたらDGは、カラヤンでなくフリッチャイをTOPにして幅広いレコーディングをしたであろうと思います。
Commented by cyubaki3 at 2011-04-16 00:14 x
DGと言えば、シノーポリも短命でしたね。私は一度だけですが、シノーポリのライヴを見たことがあります。場所はなんと両国国技館で、ユネスコだかユニセフだか忘れましたがチャリティコンサートでした。ワールド・フィルという寄せ集めのオケで、メインはマーラーの「巨人」。その時なんとオードリー・ヘップバーンが舞台で挨拶したのですよ。記憶が確かなら1988年のことです。
Commented by noanoa1970 at 2011-04-16 08:07
cyubaki3 さん、おはようございます。
シノーポリのライブにヘップバーンが出演とはすごいことですね。ユニセフの関係でしょうか。
とにかくめったに見られない事を体験したのですから、素晴らしいことです。確かシノーポリはドヴォルザークのスターバトマーテルをライブ録音したようですが、最後の録音になってしまいましたね。小生はまだ聴いていませんが、ぜひとも聞いてみたいものの1つです。
Commented by cyubaki3 at 2011-04-16 10:19 x
実は昨日「ローマの休日」のDVDを見まして、それでコンサートのことを思い出しました。シノーポリはフィルハーモニア管とのマーラー第5が愛聴盤です。この曲が好きで昔から色々聴いてきましたが、この演奏が最も印象に残っています。
Commented by noanoa1970 at 2011-04-16 18:07
cyubaki3 さん
ローマの休日、懐かしい映画です。学生時代、グレゴリーペックが乗っている、ヴェスパに憧れたものでした。

シノーポリは、残念ながらあまり聴いていませんが、先ほど最後の録音と言われるドヴォルザークのスターバトマーテルを、youtubeで聴きました。一部しか聞いていませんが、ゆったりと、しかし、とてもシンフォニックな演奏で、聞かせ所満載といった感じでした。これは購入しなければ。マラ5は未だにしっくり来る演奏がなくて困っていましたので、シノーポリを参考にしてみます。
Commented by HABABI at 2011-04-16 23:13 x
こんばんは

私は、フリッチャイは、若い頃からの勢いが病気入院したことで途切れ、代わりに復帰後は元々音響に敏感であった感覚がいっそう研ぎ澄まされ、音の出る一瞬一瞬を大事に演奏を続けたのではないかと想像しています。協奏曲の録音でも、決して”個性”という名目でオケが出しゃばることなく、ソリストを大事にしながら常に音楽に奉仕し続けたように思います。その結果、極めて正攻法で深い響きの音楽となったのではないでしょうか。また、オーケストラの各メンバーも、当然フリッチャイの体調のことを知っていて、それも演奏に影響したかもしれません。
フリッチャイにしろ、ケルテスにしろ、正攻法で素晴らしい音楽を作ることが出来る本当に才能溢れる指揮者でしたので、彼らの熟年期の演奏が残されなかったのは、とても残念なことです。
ただし、フリッチャイの場合には1961年7月26日にウィーンフィルを指揮したモーツァルトのオペラ「イドメネオ」の録音が残されていて、この指揮者の後年の演奏ぶりを垣間見ることが出来るように思います。確かにフルトヴェングラーを彷彿とさせる、エネルギーのある特別な響き聴こえ、劇的な音の動きがあります。
Commented by noanoa1970 at 2011-04-17 10:20
HABABIさん、おはようございます。
「イドメネオ」、小生は未だ聴いたことがないのですが、フリッチャイはモーツァルトのオペラを得意にしていたようですね。1961年12月7日ロンドンフェスティバルホールでのロンドンフィルを振ったベト7他が最後の公演となるようです。
これと、最近復刻されたブラ1をぜひ聞いてみたいと思っています。