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いまではスッカリ・・・・

その様な面影は、多分ないように、自分自身でも思うところが多いのだが、たいそう気を使う幼児であったと、記憶をしていることがある。

その頃の近所付き合いでは、たとえば、自分の子供が悪くなくても、悪いことにして誤る・・・そんな方便が一般的のようであった。
少なくとも、小生の生活していた地方の一集落においてであるが。

そして、そういう日常の毎日が、「そうすることが良いことなんだ」「そうすることで丸く収まる」という、事なかれ主義的考え方に、反抗する気持ちはあったが、逆の立場をも垣間見ることで、割り切れぬ納得をしていたようだった。

まだ温度が熱い銭湯の湯船の淵に腰をかけて、温度が低くなるのを待っていた時、遅れてやってきた近所の友達が、挨拶代わりに、小生のおでこをつついたあおりをくらい、まだ熱い湯船にまっさかさまに落ち、御湯を大量に飲みながらも、近所のおばさんに両足を持たれひっぱりあげられた時にも、えあ類のは湯船の淵に座っていた小生だと、母親から言われたことがあった。

そんな生活における、方便的思考が身についてしまったのか、かなり気を使う幼児へと、小生はなっていって、それは両親に対してでも、一時期はそうであった。


小学一年生か、もう少し小さい頃のこと。

朝食は、真中が火鉢が置けるようになっていて、普段は蓋が閉まる、丸いテーブルでとるのだが、母親は一段低い炊事場で、まだ家事の最中。

テーブルには父親と小生が向かい合って食事をし始めた。

その頃、生玉子は貴重品で、おまけに高価であったから今のように毎日食べることがかなわなく、一週間に1~2度くらいしか食卓に出ててこなかった。

卵が必用な時には、鶏をを飼っている辻本さんと云う、近所の家に五〇円持って3個買って来るのだった。

その朝もそうして食卓には卵がならんだ。

父親は、味の素と醤油を加えて、丁寧に丁寧に卵を溶き、熱いご飯の上に卵をかけて、そしてさらに念入りにご飯と卵を、これでもかというほど混ぜてから食した。

そんな、卵という非日常な食べ物の扱い方をしならい小生は、父親の一挙一動を注意ぶかく見守ったのであった。

すると、父親は残りの卵を全部掛けて2敗目を食し、さらに卵の器に少しご飯を入れて、残りの卵をすべて掬い取るようにして、食べたのであった。

小生はそれを見て、器に少し残っている卵は、その様にして食べるのかを知り、自分ではそうしないで、黙ってその器を父親に渡したのだ。

それは父親の満足げな顔が何だか嬉しくなったからであった。

しかし、器を受け取った父親は中を見て「なんだ、何もないじゃないか・・・」そうぶっきらぼうに云ったのだった。

喜んでもらえる・・・そう勝手に思っていた小生は、その時抑えられなくなってボロボロと涙を流したが、多分父親はなぜ泣いているかを知る由もなかったことだろう。

小生は絶対に卵とご飯を完全には混ぜないし、カレーライスを食べる時でさえ、ご飯とカレールーをまぜない。
そして「味の素」を絶対に使用しない。


もう一つの思い出話があって・・・・

それは小生の叔父が遊びに来た時のことである。
叔父は煙草を吸う人間で、小生はいやだったが、その叔父に抱っこされて、高い高いを遣ってもらった。

くわえ煙草のままだったから、何かの拍子に小生の腕に煙草の火が接着し、思わず悲鳴をあげてしまった。

驚いて小生を下におろした叔父と、周辺の人間に対して小生が云った言葉は・・・

「蜂に刺された・・・」であった。

もちろんこのことは、小生のためにと「たかいたかい」をして遊んでくれようとした叔父に対しての気遣いと、その叔父がくわえ煙草で子供を火傷させたという周囲の目から叔父をまもってあげるためであった。

多分水ぶくれができていたと思うから、火傷のあとだと気がつくであろうが、「蜂に刺された」ということになって、其の場が終わった。

もっとも、あしなが蜂あたりは、家の中まで新入することがあって、その光景を見て知っていたから、煙草の火とは分かってながら、とっさに蜂の性にしたのだが。

今思うに、実に子どもらしからぬ気使いをする子どもだったか。
今では其の真反対になった自分の存在に、遠い幼年時代がなつかしく思えるのであった。

by noanoa1970 | 2010-09-21 12:29 | 歴史 | Comments(2)

Commented by ま~さん at 2010-10-08 21:08 x
同感ですね。S先輩より確か2歳下の私ですが、最近良く幼いころを思い出します。そこにはまだ、みずみずしい感性がたっぷりとあったからだと思います。あの頃にもう一度帰ることが出来れば、なんて考えることもあります。
Commented by noanoa1970 at 2010-10-09 06:24
ま~さん
コメントありがとうございます。
よく「少年の様な大人」あるいは「大人になれなかった少年」と言いますが、そんな人に是非なってみたいものです。
でも幼年・少年期に染みついたものは、隠れながら存在しているのかもしれませんね。