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シューベルト「魔王」ピアノ版を聴く

「魔王」については,かなり以前から、ブログに書いてきた。
しかし、シューベルトの歌曲「魔王」は、ほんの数人の歌い手になるものしか聴いてないことに気がついた。

小生が「魔王」に興味を持ったのは、父親の介護もむなしく,子供が死んでしまうという、悲劇的な詩の内容はもちろん、歌い手が、[語り手、魔王、子供、父親]と4人一役を歌いきるという、音楽構成と、不気味な三連音符のピアノ伴奏による相乗効果が凄く発揮されていること。

さらに「魔王」とはキリスト教の概念では「悪」であるが、非キリスト教・・・つまりキリスト教文化以前の文化では、かなりの地位にいた存在・・・神といってもいいような存在であったことは確かな顔とだ。

旧宗教文化圏の支配者は、キリスト教では恣意的に「悪」とされたのであり、そして反社会的生物となってしまった。

しかしながら依然として、少ないながら非キリスト教社会の1部では、伝統の「神」であろう。

ゲーテがどこからこの話のネタを拾ってきたかを検証はしていないが、おそらく北方ゲルマンあるいは、アイリッシュ&スコティッシュあたりが大いに匂うところ。

さらにシューベルトの厭世感の原因の一つと、小生は考えているのだが、「父親と子供の葛藤」・・・これはそのまま文字どうりでもあるが、父親=キリストあるいは教会あるいはキリストそのものとすれば、シューベルトの宗教的本質は、非キリスト教的なものであったという大胆な仮説が提示されても面白い。

その証拠となるか否かは難しいのだが、未完成と魔王の接点が存在する。

それは以下の個所。
(魔王)
"Ich liebe dich, mich reizt deine schöne Gestalt,
Und bist du nicht willig, so brauch ich Gewalt."
"Mein Vater, mein Vater, jetzt faßt er mich an!
Erlkönig hat mir ein Leids getan!"
私はお前が好きだ。可愛いその姿が。
いやがるのなら、力ずくで連れて行くぞ

上記の部分のメロディは、あの「未完成交響曲1楽章の第2主題」と同一であるという事実であった。
未完成では3拍子、魔王では4拍子だから気がつきにくいが、明らかにそうなのだ。

甘い声でささやくような誘い声と、その裏にある恐怖の脅しの対比が見事に表現されている。
つまりこれは悪魔の「常套句」ともいえる。

甘味な美しいメロディーだが、その裏には世にも恐ろしい悪魔の誘いが潜んでいる。

これは「悪魔」を「悪」としたうえでの解釈だが、異なる解釈として、実は悪魔は父親そのもので、物語に登場する悪魔は、実は悪魔である父親から子供を救うための禅の神であるという説がある。

其れは多分、それまで長調で語られてきた父親の言葉が、急に短調に変貌することからのものであろう。

このメロディをシューベルトが、なぜ未完成交響曲に応用したのかは、奥が深いと思うが、其れはまたのちに譲るとして、(小生は、子供と父親の葛藤にそのヒントがあるように思う)

ネットに面白い音源を発見したので、以下の点を注意して聞いてみることにした。http://freeclassicmusicmp3.blog23.fc2.com/blog-category-14.html

リヒテルが弾くピアノ版「魔王」、ライブ音源だが録音年は不明だ。

「演奏から伝わるリヒテルの「魔王」の解釈はいかに」を知るため。

歌曲との表現の差異はどのあたりあるのか。
以上を知るために以下のことを念頭に聞いてみた。
また、4人のキャラクターをどのように弾分けているか。
そしてかなり困難を極めると思しき、ピアノテクニックはどうか。

リヒテルはずいぶん緊張していたのか、出だしで大きなミスタッチをしてしまうが、ごく早めのテンポで突き進む。
疾走する馬と吹きすさぶ嵐の表現は見事だ。
これだけ早いテンポであの3連符を打音し続けるのは、相当のテクを要すのだろう。

4人のキャラの表現は、音の強弱とテンポの揺れで、かなり表現される。
子供、そして父親の語りが、徐々に悲痛さを増していくのが手に取るように分かる。

「転調の妙」は、シューベルトの音楽的特徴の一つだが、リヒテルは情感あふれるように表現していて、物語の変化が凄くよく出ている。

気の入れすぎだろうか、ところどころミスタッチはあるが、あまり気にならないほど、音楽がつき進む。

「魔王」をわざわざピアノだけで演奏するということの意味は、4人のキャラをどのように表現できるか、難易度の高いであろう3連符の連続打鍵・・・しかもただ一定のリズムで弾くのではなくて、場面の変化を表すような弾き方が求められる。

リヒテルの解釈は従来の、善意の父親と病気の子供、そして子供を別の世界に連れ去ろうとする「悪魔」と言う解釈だ。(最もなことだが)

しかしピアノ版魔王は、歌曲「魔王」があって初めて成立するように思える。
どうしても物語の進行を頭においてピアノを聞いてしまうから、凄くよくわかるし、演奏者の力量も見透かせることになる。

その意味では多分ピアノ版を弾きこなせる演奏家は、そんなには多く存在しないだろう。
すぐにその力量(テクニックだけではない)が見えてしまうことになるからだ。

その意味で、リヒテルは、合格だと言っていいのだと小生は思う。
ライブで演奏してしまうのだから、相当自信もあったことだろう。

久しぶりによいものを聴かせてもらった。

by noanoa1970 | 2010-05-18 11:35 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)