人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ゾッとする、いやで怖い思い出話

どうしてなのか、ふと学生時代の忌まわしい事件のことを思い出した。

確か大学3年の頃、その春に車の免許を取ったのだが、我が家はほかに誰も車を運転することができなかったから、両親も便利だと思ったらしく、中古で2代目コロナT20を購入した。

この車、ギヤーチェンジをうまくやらないと、ギヤーが噛んでしまい、シフトレバーがまったく動かなくなってしまう癖を持っていた。

其れはこの車固有のものなのか、コロナ共通のものなのかは不明だったが、今では欠陥商品で当然リコールに相当するものが、当時は平然と走っていた時代だった。

交差点で信号停止をしていて、発信するためにギアーをローに入れたのだが、噛んでしまったことがある。

そうなると車はストップ、ボンネットを開けて主導で噛んでいるところをはずさねばならないが、交差点のど真ん中で、このようなことを数回やった経験があった。

それでこの車とは縁を切って、今度はスズキの軽自動車、フロンテSSSという車を購入。
これは高速道路を走ることもあるという理屈から、数ある軽自動車の中でも、当時は性能の一番良かった中からの選択であった。

「SSS」という付属ネームがつけられるとおり、スポーツタイプの軽自動車で、360CCで36馬力と、通常の軽自動車が28とか30馬力の時代であったから、リッターあたり100馬力などという架空の数字に惑わされてのことであった。

しかし実際この車、ピーキーな・・・バイクのエンジンを加工したものだったから、非常に高回転型で、トルクを得るためには相当高い回転数が必要とされた。

そのため常にエンジンをふかしながら運転するから、燃費は思ったより伸びずで、7㎞/リットル以下であった。

おまけにガソリン意外にエンジンオイルを消費するので、オイルの補充をしなくてはならなかったから、結構維持費が高くついた。

それでも回転を上げておいてのダッシュは相当早く、交差点ダッシュ競争では、いつもトップであった。

岩倉のアパート下宿の人間が、スポーツタイプのダイハツ・フェローSSに乗っていて、彼と競争で、宝が池の山を越えて松ケ崎経由北山通りまで競争したが、フロンテSSSはいつもリードした。

おかげで、同じようなスピードを出していたにもかかわらず、小生がネズミ捕りに引っかかることがあった。

フロンテは大事な小生の生活の道具となり、長野、新潟、仙台から東京そして名古屋と、クラーもないのに暑い夏にドライブ旅行したこともあった。

いつしか京都に車を持って行き、岩倉という不便なところにいたが、修学院山端の風呂屋にはアパート下宿の住人とよく這入りに行った。

いつだったか名古屋から京都に向かう道中のこと、いつもは国道21号から8号で行くことが多かったが、その日は21号が工事中で重体だったため、国道258を経由し国道1号線で迂回することにした。

大垣から桑名経由で亀山まで行き、鈴鹿超えをするのだが、亀山を過ぎてしばらく行くと、大型トレーラーが前をゆっくり走っていた。

追い越そうと思ったが、トレーラーがかなり長いから、少し逡巡していると、やがてそのトレーラーは、道路の一番左端によって、速度を落とし、右ウインカーを点滅させた。

それで、小生は「追い越せ」という合図であろうと思い、アクセルを踏み込みスピードを上げて、追い越そうとした。
その時だった、突然そのトレーラーは、右に大きくハンドルを切って右折しようとしたのだ。

しかし道路は交差点でも何でもないのに右折など・・・一瞬の間にそう思った。
どうやらそのトレーラーは、右端にある作業現場に入ろうとしていたらしいことが分かったが、もう遅い。

小生の車は、その時追い越しをかけるために・・・多分80㎞は出ていたと思うのだが、軽自動車はスピードを上げると極端にブレーキが効かなくなる。

気がついて急ブレーキをかけたが、車は止まらない。
トレーラーの車体が迫ってきて、このままトレーラーの車体の下に埋まってしまって死んでしまうに違いない。

そんなことが脳裏を駆け巡って、観念しようとした瞬間、運よく車はすんでの位置で停車することができた。
多分5mはなかったろう。

冷汗が流れてきて動けなく、車を道路の脇に止めてしばらく休んだことがあった。

トレーラーの運転手も運転手で、後方確認をしないで道路の左端からの右折。
小生のほうは、トレーラーの右ウインカーが右折のためのものとは思わずに、「追い越せ」という合図と勘違いした。

もし事故となって、ものが言えなくなってしまったら、その原因はどのように究明されたのであろうか。

こちらの前方不注意、居眠りかわき見運転とされてしまう可能性が高いのではないだろうか。

事故には、このような錯覚が原因のこともある。
躯体の長いトレーラーだから、道路の右側からは一発で右折ができない、だから左端ぎりぎりに寄ったということは、よく考えればわかることなのだが、免許を取って間もない経験の少ないものに、そこまでの推理はつらいものがあった。

気がつくのが数秒遅れたら、命の保障はなかったから、運が良かったのだろう。
これは相当怖い体験であった。


どうにもならないと思ってあきらめかけたが、運が良かった話をさらに1つ。

ある日、NOANOAのバイトの人間数人を乗せ、高野から東山通りに出るために車を走らせていた。
この道路は片道2車線の割と広い道路で、車の量が少なく直線コースだから、スピードが出る。

小生の車は2車線の右の車線を、おそらく70kmは出していたと思うが、アレコレしゃべりながら車は快適に走っていた。

前方にはほかの車の姿はなく、実に快適だった。

その時だった、「あぶない!」と、急に誰かが叫んだと思うや否や、小生の車の前に1台の車が目に入ったから、あわあわてて急ブレーキをかけたが、間に合わず小生の車は相手の車の右前の部分に衝突した。

降りて行って相手を確認すると、その相手は、京都では悪名高い比叡山タクシーの運転手だった。

タクシーの運転手は、なかなか車から降りてこない。
そして漸く降りてきたと思うと、いきなり「首と肩が痛い」といい、病院に行くからと、こちらの運転免許証を確認するのだった。

そしてすべての費用を払ってもらうから・・・そう言ってその場を去った。

警察を呼ぶ暇をも与えない、素早い行動にあっけにとられながらも、保険があるから何とかなるが、こちらの車の修理はどうしようなどと、その時は思っただけで、数日が過ぎて行った。

しばらくすると、裁判所から連絡があり、出頭を命じられたので、行ってみると、性質の悪そうな裁判官がいて、開口一番「お前が悪い」と一方的に言うのだった。

どうやら事前に被害者としての比○山タクシーの運転手から事情を聞いたらしい。

当方の言い分はほとんど聞きもしないで、一方的に「前方不注意による追突」として、罰金と60日の免許停止処分を言い渡されることになった。
そして相手は入院し、会社を休んでいるといい、示談にてその間の費用弁償をしなければならないともいうのであった。

「急に目の前に相手の車が出てきた」、小生はそう言うのだが、裁判官は全く小生の話を聞かない。
そして、相手は入院している、お前は相手に怪我をさせたのだから・・・そういうのだった。

確かにぶつかったが、ブレーキはかかっていたから、さして大きな衝突ではなく、其れはこちらの同乗者が誰一人何事もなかったことと、相手の車の右前方・・フェンダーに近いところに、衝突したのだから、肩や首の・・・鞭打ちの症状は出にくいはずだ。

まして衝突のはずみで、身体をどこかにぶつけたということもないぐらいのへこみなのに・・・・

しかし裁判官の、相手の言い分だけを聞いての、一方的な裁量には、不服ではあったが、相手が怪我したという負い目があるため、それ以上のことは言えず、ただ今後の行く末だけが案じられるのであった。

其れから5日余りたったころ、バイトに来ていた後輩・・・ケーキ屋の息子のO前君が、従姉から聞いたという話を持って、すぐに来てくれた。

話というのは、その従姉が、ある日タクシーに乗った途中で事故にあい、途中なのにタクシーを降ろされてしまい、仕方なくしばらく歩いて別のタクシーに乗ったというものだった。
なんでも運転手が、「すぐにタクシーを降りてくれ」、そう言ったらしい。

O前君はその事件の場所を聞いてを聞いて、さらに日時そしてタクシー会社を確認すると、偶然にも彼も同乗していたあの時の事故らしいと判明したというのだ。

そして、驚くべきことに、そのタクシーは、2車線道路の左でその従姉を乗せ、そのままUターンして逆方向に無かあったというのだ。

そしてその従姉に料金はいらないからすぐに車を降りてくれ・・・そういったともいうが、これは事故の原因の口封じのようで、事実ががバレルと、過失は自分にあるとされるのを避けるためだったようだ。

さらに悪質なのは、保険会社から休業補償を得るべく、多分何でもないのに即刻入院したこと。
さすがに当時は悪名高かった比○山タクシーにことはある。

比叡山タクシーの運転手は、小生の車の前を走っていたと、当時も、裁判所でも言っていたのだ。

しかしその証言は嘘であることが、O前君の従姉の話でわかったたから、急ぎその従姉に裁判所に行って証言してもらうことにした。

そして結果、それまでの判決は取り消しで、罰金も、免許停止もないことになった。
裁判官は「すまん」とも言わないで、半ば面倒くさそうに事務的に処理をするのであった。

相手の運転手は今も入院中だそうだが、それで白沙村荘に古くから出入りしている、今井さんという
警察関係にもいたらしい人と一緒に比叡山タクシーの本社に出向き、ことの顛末を話し、入院治療費と相手の車の修理代は支払う必要が無くなった。

今なら当方の車の修理費用も支払う交渉などするところだが、当時はそんなところまで知恵が回らなかったのと、自分の責任がないことが証明されたことの安堵感で、それ以上要求はしないまま、結局は自分で車の修理をすることになった。

同乗者の従姉が、事故相手のタクシーに乗っていたという、ものすごい偶然に、「神は見ている」という言葉が浮かんで消えなかった。

しかし悪徳タクシーの運転手。
些細なことでも大仰にふるまって相手から、また相手の保険会社から、何もしないでお金が入る術を身につける訓練を、常日頃からしていたようだ。

何がなんでも、第一に乗客を降ろしてしまう周到さは、乗客があったことを、小生たちは全員が気がつかなかったほどの素早さ。

あの時は偶然にも、後輩の従姉が乗客で、事実を証言してくれたからよかったものの、そうでなかったら前科者になっていたに違いない。

免許停止と罰金そして車の修理費…なにより今のように保険会社のサービス機能が充実してなかった時代だから、思いもしない出費が待っていたことと思われる。

怖いいやな思い出だが、この事件はかなり身にしみて勉強となった。

by noanoa1970 | 2010-03-08 11:36 | 歴史 | Comments(2)

Commented by drac-ob at 2010-03-08 22:18 x
いやー、大変な目に遭われたんですね。一歩間違えば命が無かったわけですから…。しかし、最初の高速の話はなるほど、ありえるなと思いましたが、次の神風タクシー(死語?)の話は読んでいて腹が立ちました。人を騙して金を取ろうというそのさもしい根性が不愉快です。僕たちの頃も、○○タクシーには気をつけろという先輩からの注意はありました。いろいろ物議はかもしたけれどMKタクシーが一番いいといってましたね。

しかし、学生時代の怖い話だから京都心霊話かと思いましたが、こちらの話のほうがずっと怖いですね。
Commented by noanoa1970 at 2010-03-09 10:08
一番腹が立ったのは、相手の運転手そのものもそうですが、裁判官で、こちらの言い分は全く無視。相手の言い分だけを鵜呑みにして、裁量しようとしたことです。ある時松ケ崎から北山に出る一旦停車標識がある信号のない交差点で、左折しようと、ブレーキを踏んで、左右確認したのですが、右手からの車の姿がなかったので、微妙だが一瞬止まったものの、そのまま発進したところ、警官が二人現れ、一旦停止してないと言われた。「ブレーキを踏んで一瞬止まリ、左右確認もした」というと、それでも車は少し動いていたから正確に停車してなかった・・・そう言われ、それでも止まったと主張すると、「お前が止まらなかったから後ろの車も止まらなかったじゃないか」と言われた。」さらに主張すると、「それなら署に同行してもらい、話を聞く」というので、あきらめて反側キップを切られたことがありました。年取った警官と新人らしい警官で、新人は「ブレーキを掛、左右確認するのは見えたが、正確に止まってなかった」と年寄りの警官の話を補強するのみ。いったい一旦停車の意味するところは何か・・・無茶苦茶な警察官がいたものです。