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ブログ中断後あれこれ

2003年開始から20年間お世話になったブログ
訳あってFBに移行したが、近年投稿もままらなくなった。
FBは連続性に乏しく、過去記事検索や
便利だった「ノート」も自由に扱い得ず。
よって残された長くはない日々の事象を
再びブログに残すことにした。
カテゴリを「残日録」とした。

# by noanoa1970 | 2023-11-21 09:13 | 残日録 | Comments(0)

聖金曜日

「聖金曜日」とはキリストが十字架にかかったその日を記念する日のこと。
4月14日がそれにあたるという。
掲示板「猫」ではその日には「受難曲」を・・・という呼びかけのスレッドがたったようだ。
ワーグナーの「パルジファル」にも「聖金曜日の音楽」という場面があり、独立して演奏される。
勿論バッハをはじめとする様々な「パッション」もその日の音楽としてはふさわしいが、実際はその日にはミサは行われないという。

しかし「スターバト・マーテル」、は、聖金曜日の「聖務日課の聖歌」と「聖母マリアの7つの悲しみ」の祭日のための続唱いう2つの場面で用いられるというから、その日を記念して「スターバト・マーテル」を聴くのもよいだろう。
事実掲示板「猫」では、その日にちなんで「スターバト・マーテル聞きまくり」をするという、「てつわんこ氏」の投稿もあるようだ。

小生も「スターバト・マーテル」は、大好きなほうで、スカルラッティ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ハイドン、シューベルト、ロッシーニ、ドヴォルザーク、そしてプーランクなどはよく聴くのだが、それなら少し変わりどころを・・・・と思って聞こうとしたのが「聖母マリアの7つの悲しみ」である。

小生はマリア信仰を非キリスト教世界の「女神信仰」の残像と思っているが、とにかく「マリアの7つの悲しみ」とはいかなるものであるかを探ってみた。

それによると

聖母マリアの7つの悲しみとは
7つの悲しみの道行
「7つの悲しみの道行」のはじめの祈り
第1留 聖母は老シメオンの預言によって悲しむ・・・イェルサレムでシメオンという人が幼児イエスを祝福したあと、イエスの受難を預言し、マリアの心も剣で貫かれると預言したとき

第2留 聖母はエジプトへ逃避する・・・ヘロデ王が出した「幼児皆殺し令」を逃れるために夫ヨセフともにエジプトへ避難したとき
第3留 聖母は御子を見失う・・・・12歳になったイエスをイェルサレムで3日間見失ったとき
第4留 聖母はカルワリオへの途上で御子と出会う・・・イエスが十字架を負ってゴルゴダの丘へ連れられていくのを見たとき

第5留 聖母は十字架のもとにたたずむ・・・十字架にかけられたイエスの足元に立ったとき
第6留 聖母は御子の亡骸を抱く・・・イエスが息絶え、十字架から降ろされたとき
第7留 御子が墓に葬られる・・・イエスが埋葬されたとき

その7つの悲しみの道行の結びの祈りであるという。

小生はこれを非キリスト教文化とキリスト教文化が穏やかに融合したといわれる、アイルランド=ケルトに古くから伝わる、伝統歌を現代感覚でアレンジした
「エクトル・ザズー」「HECTOR ZAZOU」の「ライツ・イン・ザ・ダーク」「LIGHTS IN THE DARK」 の「アルバム」に求めることにした。
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アルバム副題に 'un voyage aux origines des chants sacré d'Irlande' とあるように、「アイルランド聖歌の起源を探る旅」がテーマ


アイルランドに残る古い聖歌や伝承曲をフランスの実験音楽家“エクトル・ザズー”がアレンジした音楽。古くからこの地方で歌い継がれてきた祈りの歌と、と現代が織りなす神秘的な音楽は、今までのアイリッシュ音楽の感触のを保ちながら別の世界をも見せてくれるようで、かなり気に入っている。

1.星
2.聖母マリアの7つの喜び
3.死者の詩
4.3人のマリアの哀哭の叫び
5.聖母マリアの7つの喜び
6.3人のマリアの哀歌
7.受難の詩
8.我等が父の御名のもとに勝利せんことを
9.聖母マリアの7つの悲しみ
聖母マリアの感情の波について語っている。7つあるヴァースの一つで、特定の悲しみについて、表現しており、それぞれのヴァースは、同じオープニングのリフレインを、繰り返した後、それぞれの悲しみがそれに続いている。中世ヨーロッパの伝統に即したこの曲の、さまざまなヴァ-ジョンがアイルランドで見つかっているという。
この曲・・・女性とバックには「ブーズキー」だろうか「ウード」だろうか太く低い音の弦楽器と太鼓が鳴らされる、・・・は、「ケリー郡」で収集されたもので、「ロザリオの祈り」の後、伝統として、歌い継がれてきたものである。
10.主の御心に捧げる小さな歌
11.マリアの哀歌
12.愛の求め
13.すべての希望の墓

# by noanoa1970 | 2017-11-09 19:29 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

先輩小出さんの写真

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2008高山駅前の蕎麦屋で
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2008高山市内観光中
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1967年小豆島合宿
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1968年木曽駒旅情庵合宿
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同じく木曽駒合宿
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1968年オーディオフェア小出さん企画
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1968年北小松学舎春季合宿
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1967年小豆島?
以上全てて小出さん撮影、この時のカメラは「ライカ」
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2008年上高地
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上高地小出さん撮影
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奥飛騨温泉、深山荘の露天
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高山にて、小出さんは蔵元を回って少々酩酊
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深山荘露天、中道さんと
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ライカではなくこのときはNIKONデジカメ、
やっぱりLPだよ、CDにはない魅力があり音質も良い・・・と上高地手前のオーベルジュ「グリンデルワルト」で先輩小出さんの写真_d0063263_20023403.jpg

# by noanoa1970 | 2017-07-21 12:16 | トピックス | Comments(0)

松本勝男さんの作曲したタイサンボクの花について

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修学院の家内の実家のタイサンボクの花が咲いた。
ブログを初めて間もないころ、DRAC(同志社大学レコード音研)の大先輩にあたる松本勝男さんがCCD(混声合唱団)在籍中に作曲した「泰山木の花」という曲の楽譜をサークルBOXで発見したという、ある方のブログを見つけ、松本さん、どのような曲を書いたのだろうと気になっていたことがあったが、其のことをすっかり忘れていたのを、昨日花を見つけて思い出した。
それで早速発見した方にメールを差し上げると、ご返事を即刻頂いた。
まずは作詞者の息子さんにあたられる方のブログに記載されているものを引用させていただいた。どうやら花や植物がお好きらしい。
コメントができないようなので、無断借用になりました。

引用
タイサンボク(泰山木)とは、という説明は、このさい省略させていただき、狙いの誌の一部が紹介されてるので、そこから。

「露のはれまのひといこい/月の天使の白たえか/天津おとめの羽衣か/れいこうあたりにふくいくと/泰山木の花咲きぬ 散りてはかなき人の世の/人のさだめを思いつつ/あいのたつきはつれづれに/れいこうあたりにふくいくと/泰山木の花よせぬ」。
古めかしい歌詞ですが、これは「番傘」の川柳作家でもあった、私の亡父による「泰山木の歌」。
松本勝男氏の曲がつき、同志社大学グリー・クラブによって歌われました。
父が71歳で没して43年、私も同じ年になりました。

以上が、小生がメールした方からの作詞者の情報です。

松本勝男さんの「泰山木の花」の発見をブログに書かれ方からの情報は以下の様なものでした。
偶然にも法学部政治学科の大先輩に当たる方でした。

・譜面は「松本勝男作曲」とだけあるので、松本氏は「旋律だけ」ではなく、「男声四部合唱曲」として作曲されたものと思われます。

・指揮して当時の同志社グリークラブに歌わせた指揮者は、1954年に3年だった澁谷昭彦氏(後に経済学部教授、現在もお元気で教会等で活動中)、その時1回だけで、その後演奏記録がありません。

・澁谷さん以降の指揮者さえ、これを同志社グリークラブのレパートリーと認識していたかどうか疑問です。というより曲の存在を「知らない」と思います。

同志社グリークラブ部報S28年11月号にこの詩が掲載され、この詩がグリークラブにより歌われるのを死ぬまでに一度でよいから聴きたいと切望しておられる旨の記述があるそうです。

・八木氏は故人となられましたが、ご令息のブログがあり、この詩が掲載されています。
 http://yagi070.exblog.jp/3205363/ 
一番上の「詩」はこのブログ記事から借用したものです。

新情報がありました。
松本氏は同志社グリークラブに在籍はしておられたものの、才人の常で、「在籍した」にとどまった模様。GleeMenとしての活動は記録にありませんでした。
・このほか唯一、1949.9.25栄光館「同志社グリークラブ創立45周年演奏会」に「松本勝男作曲・狐のわざ」という曲を歌ったことが記録されていますが、譜面は未見です。
情報提供していただいた方は、楽譜を公開するのを逡巡されておられたようですが、意を決して小生の要望を叶えていただきました。

小生の記事の誤謬もご指摘くださいました。

・貴信中いくつか誤認(失礼)があるので・・
松本氏のころにCCDが出来たのは間違いありませんが、CCDには氏の伝承が全くありません。同志社グリークラブの常任指揮者だった森本芳雄先生が同志社創立記念日に同志社グリークラブと同志社女専クワイアで新島襄作詩大中寅二作曲「庭上の一寒梅」を歌うため集合させ、それがCCD発足の引き金になったと聞いています。
(前回のDRAC-OB会で配布された資料の中に、森本芳雄氏が指揮するCCDの演奏を録音したことが記されてますので、松本氏と森本氏は懇意だったと思われます。松本氏がグリー在籍中、女子と一緒い歌いたいと願い・・・諸先輩からの伝聞、相談した相手が森本さんだった可能性もあると思います)
私は3年だけでなく4年もCCDを振っていました。当時は学生が振るのが同志社では常識でした。(了解いたしました)
☆ところで私のブログを引用されておられますが、当該年度分はプロバイダーのトラブルで全部消えており、私の所では見ることが出来ません。どこかに残訣が見つかれば、と思っています。

# by noanoa1970 | 2017-07-11 09:33 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)