ブラザー軒

その昔のブログに菅原克己「ブラザー軒」と氷水の器

高田渡の一周忌・・菅原克己『ブラザー軒』

2つの「高田渡」の記事をUPした。

youtubeにはこの名曲「ブラザー軒」が無かったのでUPしてみた。
削除される可能性があるが、やはりこの曲は、広く皆さんに聞いていただきたい。


小生の過去のブログとともに、見聞きしていただければ幸いである。

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by noanoa1970 | 2007-11-22 12:07 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

たんぽぽ繋がりで、・・・

昨日作った「タンポポの酒」、少し足りなかった「ホワイトリカー」を継ぎ足して仕込み終了。
1970年代の半ば、小生はそれまでのホテル修行をやめて、OA機器の製造販売会社に転職した。
息子が生まれて半年の地に、およそ6ヶ月の研修をし、赤坂にある本社勤めが決定する地お富に、東京都保谷市に住まいを移すことになった。
西部池袋線で池袋まで行き、地下鉄丸の内線に乗り換えて、赤坂見附まで、およそ80分の通勤時間は、それまで過した地域では体験できない通勤地獄で、なれない間は会社につくとヘトヘトに疲れる毎日だった。

それでも会社の仲間のうちでは、通勤時間80分は、まだましな部類で、90分以上かけて通う連中がざらであったのには、「これが聞きしに及ぶ東京の通勤事情か」と、改めて認識を新たにした。
フレクスタイム制度が出来たのは、90年代のことであった。

大手写真フィルム会社と、米国に総元締めがあり、イギリスの企業と合併した「複写機」で有名な会社の合弁会社・・・外資が入っている会社であったが、経営はかなり日本的で、中途採用の人材を多く採用した時期だったから、「日興証券」、「高千穂バロース」、「オリベッティ」、等一流企業からの転職者や、地方の「郵便局」で配達をしていたもの、街頭で大声を張り上げる修行でひところ話題となった「ルーちゃん餃子」にいたもの、車のディラーにいたもの、そして小生のようにホテルにいたものなど、全色のジャンルを問わない採用姿勢が、置く戦力を期待していること、中途採用者に6ヶ月もの研修期間を設ける、社員研修教育の熱心なこと、すなわち人材を重視する企業姿勢はかなりうかがえる会社であった。

複写機がメイン商品であったその時代に、小生が同期2里とともに、配属になったのは「ビジネスシステム営業部」という直轄部隊。
通常なら全国の営業所に配属となり、会社相手に主力商品の「複写機」を販売する担当となるのだが、出来が悪かったのか、社内でもマイナーな存在の営業部門に配属となった。
おかげで赤坂の本社勤務となり、東京の中枢の地域で仕事をすることが出来たのだが、その話はまたいずれ・・・・

さて小生が東京に赴任して住んだ地が「保谷」。
この「保谷」というところは、関東ローム層の上にある武蔵野台地の土地で、駅前の道を挟んですぐが「練馬区」だった。
一度家に電話をしようと、道を渡ったところの公衆電話から電話をかけるが一向に通じない。
後にわかったことなのだが、練馬区の公衆電話から電話していたため、市外番号を回す必要のあることにまったく気づかなかったのだった。
大きくない道路の向かいが東京都練馬で、こちら側が保谷市であることをやがて知ることになるのである。

保谷と吉祥寺はそんなに遠くは無く、バスに乗れば30分ほどで、あの「吉祥寺」にいけることもわかり、その頃はまだ昔の面影を残している吉祥寺の商店街をよく散策したものだ。

風の強い日には、洗濯物がローム土埃で、真っ黒になることを除けば、保谷は静かな田舎、住居はまるで畑の中にあるかのようであった。
春には花々が咲き乱れ、野には「たんぽぽが咽ぶ」・・・ディランⅡの歌のような風景がそこにあった。
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「武蔵野たんぽぽ団」は、吉祥寺を根城としたが、保谷のほうがより似合いそうな雰囲気があった。
メンバーの「シバ」が、(我が家の愛犬柴犬の名前は、芝居犬・・・1歳まで楽屋で飼われていたことから、と柴犬、そして武蔵野たんぽぽ団のシバから取ったもの)
貧乏生活を送っていたときに、公園に生えていた「たんぽぽ」を食べて空腹を満たしたという伝説からのネーミングとされるが、1970年代半ばなら、武蔵野台地には、まだたくさんのタンポポを見ることが出来たことだろう。

「たんぽぽ」からの繋がりで、今日は「武蔵野たんぽぽ団」の「武蔵野たんぽぽ団の伝説」を聞いてみた。
「高田渡」、「若林純夫」、「いとうたかお」、「シバ」、「友部正人」、「なぎら健壱」、「佐藤GWAN博」、「林ヒロシ」、「林亭」(佐久間順平・大江田信)、「山本コータロー」、「中川イサト」等が入れ替わり自由参加。
中津川フォークジャンボリーで、「ジャグ・バンド」武蔵野たんぽぽ団を編成「吉祥寺フォーク」の第一人者的存在になったバンドで、彼ら自身の録音は、2つしかのこされていない。
しかし高田渡のバック演奏としても活躍した。

高田さん若林さんはすでにお亡くなりになってしまった。
英語の歌詞を日本語に訳したものを歌うのには非凡さが見える。

「若林」の「サンフランシスコベイブルース」「いとうたかお」の「明日はきっと」再び「若林」の「その朝」=「永遠の絆」は加川良の邦訳を歌ったもので、見事な歌いっぷりが光る。
「長屋の路地」は「木山 捷平」の詩に高田渡が米国の民謡をつけたもの。
「シバ」の「もしも」の、幻滅するこの世界に対する空想物語も、時代を反映するとともに、共感を得るところ多し。

途中、高田やメンバーが「岬めぐり」の「ソルティシュガー」を解散した山本コータローを、イジルのが面白い。
高田は、「あんなもの要らない」・・・と、よく公衆の面前で、山本コータローのことを言っていたが、本気か冗談かは、いまだにわからない。

つまりは、「ジャムセッション風」の、このアルバムの全てが「下手であるが素晴らしく良い」という結論になるのであった。

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by noanoa1970 | 2007-04-25 16:05 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

寝言を言う猫・・・高田渡の三回忌

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4月16日は高田の三回忌に当たる。
まだ2年しかたってないが、2年目を三回忌というらしい。

有名な作家には、その業績や生前を偲ぶための会に当たって、「~忌」=「文学忌」というものがほとんど有る。
調べてみただけでも、下記のようにこんなに多くの「文学忌」があって、毎年個人の命日には多くの人が集り、様々な行事を行うらしい。

高田が取り上げて、歌にした「菅原克己」の「げんげ忌」のような、詩人などのものを入れると、相当な数になる。
しかし小生が知る限り「音楽家」のものは文人のそれよりは知られていないようだ。
「音楽忌」で検索したが何も出てこなく、有名な邦人作曲家のものを探すも、思い当たるようなものは無かった。

高田の命日には何らかのものが催されたこととは思うが、彼は生前洗礼を受け、クリスチャンとなったから、所謂法要~忌は無かったのだと推される。

主な「文学忌」
1月2日:夾竹桃忌:檀一雄
1月11日:一一一忌:山本有三
1月21日:久女忌:杉田久女
1月24日:葦平忌:火野葦平
1月26日:寒梅忌:藤沢周平
1月27日:雨情忌:野口雨情
1月29日:草城忌:日野草城
2月1日:碧梧桐忌:河東碧梧桐
2月3日:雪池忌:福澤諭吉
2月8日:節忌:長塚節
2月12日:菜の花忌:司馬遼太郎
2月15日:利玄忌:木下利玄
2月15日:孟宗忌:徳永直
2月17日:安吾忌:坂口安吾
2月18日:かの子忌:岡本かの子
2月19日:瓢々忌:尾崎士郎
2月20日:鳴雪忌:内藤鳴雪
2月20日:多喜二忌:小林多喜二
2月24日:不器男忌:芝不器男
2月24日:南国忌:直木三十五
2月25日:茂吉忌:斎藤茂吉
2月28日:逍遙忌:坪内逍遙
2月29日:三汀忌:久米正雄
3月1日:幻花忌:今官一
3月2日:亡羊忌:村野四郎
3月6日:寛忌:菊池寛
3月12日:菜の花忌:伊東静雄
3月13日:花幻忌:原民喜
3月17日:薔薇忌:塩月赳
3月21日:九山忌:深田久弥
3月24日:檸檬忌:梶井基次郎
3月26日:犀星忌:室生犀星
3月26日:誓子忌:山口誓子
3月26日:冬柏忌:与謝野鉄幹
3月28日:邂逅忌:椎名麟三
4月1日:三鬼忌:西東三鬼
4月2日:連翹忌:高村光太郎
4月5日:達治忌:三好達治
4月7日:放哉忌:尾崎放哉
4月8日:虚子忌:高浜虚子
4月13日:啄木忌:石川啄木
4月16日:康成忌:川端康成
4月16日:雄老忌:藤枝静男
4月20日:木蓮忌:内田百閒
4月30日:荷風忌:永井荷風
5月6日:万太郎忌:久保田万太郎
5月6日:春夫忌:佐藤春夫
5月9日:泡鳴忌:岩野泡鳴
5月10日:四迷忌:二葉亭四迷
5月11日:朔太郎忌:萩原朔太郎
5月11日:梶葉忌:梶山季之
5月13日:花袋忌:田山花袋
5月16日:透谷忌:北村透谷
5月20日:井泉水忌:荻原井泉水
5月24日:らいてう忌:平塚雷鳥
5月28日:辰雄忌:堀辰雄
5月29日:白桜忌:与謝野晶子
6月3日:紅緑忌:佐藤紅緑
6月7日:寸心忌:西田幾多郎
6月9日:武郎忌:有島武郎
6月10日:薄桜忌:宇野千代
6月19日:桜桃忌:太宰治
6月23日:独歩忌:国木田独歩
6月28日:芙美子忌:林芙美子
6月30日:光晴忌:金子光晴
7月2日:零余子忌:長谷川零余子
7月3日:楸邨忌:加藤楸邨
7月9日:鴎外忌:森鴎外
7月10日:鱒二忌:井伏鱒二
7月13日:艸心忌:吉野秀雄
7月18日:秋桜子忌:水原秋桜子
7月19日:幻化忌:梅崎春生
7月24日:河童忌:芥川龍之介
7月25日:不死男忌:秋元不死男
7月28日:石榴忌:江戸川乱歩
7月30日:蝸牛忌:幸田露伴
7月30日:左千夫忌:伊藤左千夫
7月30日:谷崎忌:谷崎潤一郎
8月5日:草田男忌:中村草田男
8月8日:國男忌:柳田國男
8月17日:荒磯忌:高見順
8月19日:義秀忌:中山義秀
8月21日:林火忌:大野林火
8月22日:藤村忌:島崎藤村
8月24日:くちなし忌:中野重治
9月3日:迢空忌:折口信夫
9月7日:鏡花忌:泉鏡花
9月7日:英治忌:吉川英治
9月17日:牧水忌:若山牧水
9月18日:蘆花忌:徳冨蘆花
9月19日:糸瓜忌:正岡子規
9月20日:汀女忌:中村汀女
9月21日:賢治忌:宮澤賢治
9月21日:広津和郎忌:広津和郎
9月26日:八雲忌:小泉八雲
10月3日:蛇笏忌:飯田蛇笏
10月4日:素十忌:高野素十
10月11日:一草忌:種田山頭火
10月21日:直哉忌:志賀直哉
10月26日:茶の花忌:八木重吉
10月27日:源義忌:角川源義
10月30日:紅葉忌:尾崎紅葉
11月2日:白秋忌:北原白秋
11月6日:含羞忌:石川桂郎
11月9日:風祭忌:八木義徳
11月18日:秋声忌:徳田秋声
11月19日:勇忌:吉井勇
11月20日:長長忌:小熊秀雄
11月21日:八一忌:會津八一
11月21日:惜命忌:石田波郷
11月23日:一葉忌:樋口一葉
11月25日:憂国忌:三島由紀夫
12月8日:暮鳥忌:山村暮鳥
12月8日:文明忌:土屋文明
12月9日:漱石忌:夏目漱石
12月13日:瓠堂忌:安岡正篤
12月15日:青邨忌:山口青邨
12月22日:青畝忌:阿波野青畝
12月27日:夕焼忌:椋鳩十
12月30日:横光忌:横光利一
12月30日:ホシヅル忌:星新一
12月31日:寅彦忌:寺田寅彦
12月31日:一碧楼忌:中塚一碧楼

高田の命日は4月16日であるから、「康成忌:川端康成」と同じ日である。
それはさておき、高田の「音楽、あるいは文学忌」の名前を小生が考えてみようと思った。
上記のものを参考にすると、故人が生前隙であったものや、名前の一部から取られたもの、故人の主義心情、人柄を表すもの、中にはシャレのようなものまであるが・・・そんなところが多い。

さて「高田渡」の「音楽、あるいは文学忌」の名前は・・・・
「虱蚤忌」というのはいかがだろうか。「かいかいき」と呼ばせるのである。


高田の歌をご存知の方なら、なんとなくうなずけるのではなかろうか。
ご存知のとおり、彼の歌にはHOBOソングが数多い。
有名な「生活の柄」は典型的で、「歯車」という歌もある。
そしてカントリーの有名曲「オヴァッシュキャノンボール」のメロディを使った「しらみの旅」なんていうのもある。
そんなところから名前を発想したわけだが、本人にも、ファンの方々にも失礼に当たるかもしれないが、まぁごく勝手気ままなアイディアに過ぎないから、勘弁してもらうこととしよう。

高田の録音は数あるが、60年代70年代の若い時代から、酒びたりとなってしまった90年代以降は知るところが多いのだが、考えてみると80年代の高田は、ほとんど記憶が無いくらい知らないのである。

小生の80年代といえば「生き馬の目を・・・」といわれる東京で、OA機器の製造販売会社に勤務していたから、そしておりしも「デミング賞」などというものに全社上げてトライするさなかだったから、業務以外にも時間を取られることと、通勤が1時間半以上かかる地域に住んでいたことも手伝い、夜遅くそして朝早い出勤を課せられていた時期だったから、まともな人間生活を送れないときであった。

休日には「ゴルフ」・・・後に脱出した・・・練習場に行き、月1回以上のコンペには、いやでも参加を強いられる状態であったから、「音楽」などとは程遠くならざるを得無かった。
コンサートのチケットを何回もダメにする始末だったから、この80年代は小生にとっては暗黒の時代でもあった。

高田の80年代の録音を改めて探すと、「ねこのねごと」というアルバムがあることを知り、これを90年代の後半に入手したものを高田の三回忌として聞いた.

余り話題にならないアルバムではあるが、そこには「優しさ」が充満していて、米国の「ブルーグラス」バンドが密かに取り上げる「オールドファーザーズクロック」歌詞の内容はシモネタっぽいが、ファンには人気がある・・・これは「ウイル・ザ・サークル・ビィ・アンブローケン」と同様、わが国では人気が高く、近所にあるライブハウスで、一杯やりながら聞いている、少しブルーグラスをかじりかけらしい客が、この歌をリクエストし、大声を張り上げて一緒に歌うさまを見ると、一体この男、歌の歌詞を知っているのかと疑いたくなってしまうことがある。

恐らくカントリー系のコンサートの終曲に、出場者全員で歌うことがあるのを見ての、何かの、「めでたい曲」と勘違いしているのではないのだろうかと思ってしまう。この歌が「母親の死を悲しみ、僕が死んだら天国で母親と会えるかな」と少年の目に映る、母の死の悲しみと、空の上にはきっと天国があるとし、神に祈る歌であることを知っていたら、リクエストはしても、大声を張り上げて歌う曲ではないことを知るだろう。

同様に「ローリン・マイ・スイートベイビイ・イン・マイ・アーム」は、出稼ぎか山仕事に長い間行っていた男が家に帰って、彼女あるいは女房を思いっきり「かわいがる」という内容を、その場面が浮かぶような言葉少しワイルドに、あっけらかんと歌うもの。
当時の男達の「働く」目的の一つが「いい女」と一緒になるため、であるといわんばかりのワークソングの一つである。

そうかと思えばリッキースキャッグスの名唱になる「賛美歌」の一つをブルーグラスにアレンジした「酒が飲みたい夜に」は、小生が好きな曲。(ブルーグラスには賛美歌のアレンジが数多い)
ドグワトソンの歌でブルーグラスファンなら、いやいまや老若男女全て知っている「おじいさんの古時計」、これもオリジナルはブルーグラスの、そして恐らくルーツはブリテン諸島の民謡であろう。

わが国の詩人や外国の詩人の詩に、これらのブルーグラスやカントリーソング(今回は珍しくフランスの田舎の子供の曲)を、融合させる手法は相変わらずであるが、それらはオリジナリティを持っているように感じることが出来る「不思議」を持つものばかりである。
「雪だるま」を唄った「冬の夜の子どものための子守歌」、タイトル曲「ねこのねごと」・・・かつて、ツィターで演奏された「第3の男のテーマ」を、中にこっそり挟みこんだ曲調は、特に優しく懐かしい。

最後に収録された「私の青空」の、なんと希望に満ち溢れた歌声だろうか。
この頃の高田には、まだまだ夢も希望もあったに違いない。
小生や高田の少年時代・・・・1950年代の日本には、裕福ではなかったが、夢も希望もあったように思われてならない。

「ねこのねごと」は、「木島始」という詩人の詩に歌をつけたもので、木島はラングストン・ヒューズの訳詩、「4行蓮詩」の作者として知る人ぞ知る詩人。
子供向けの詩からそうでないものまで数多くの作品を残しているが、作品は知っているが彼の名前はそんなにも・・・その詩ほどポピュラーではない。
ネットに記載された木島の詩に作曲された作品と、その作者にはそうそうたる作曲家が顔をそろえている。
「4行蓮詩」であるがゆえに、詩の内容は勿論、歌曲や合唱曲として作りやすかったとも言えそうだ。


高田がどうして木島とめぐり合ったのか、小生はわからぬが、多分「ヒューズ」の訳詩からだという、推測は可能だ。

「ねこのねごと」木島始
のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの・・・・
あのね あのよは なかなか こんな
のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの・・・・
あのね あのよへ みち くねくねねえ
のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの・・・・
あのね あのよに ねずみ おらんねえ
のんき のらねこ ねごとをぬすむ
あの・・・・
あのね あのよは ねむすぎますなあ

こんな歌を歌った高田は、もう今はクリスチャンとなって、天国に行ってしまった。


<木島始の詩に曲をつけた作曲家の作品>


青島広志
「とむらいのあとは」J

石井眞木
混声合唱のためのア・カペラ「もりのうた」G
(「しずかに(序奏)」「鳥のこえ」「花のきもち」「くさのすず」「おしゃべりカササギ」「雨ぎらい?」「いきものみち」「あたらしいへんてこうた」「きのこのふしぎ」「声のすれちがい」「花ぼうし」「クリスマスのまえ」「しずかに」「鳥のこえ(終曲)」)

木下牧子
児童/女声合唱のための「あわていきもののうた」FJ
(「くもとかぜ」「ねこのねごと」「せみのぬけがら」「かに」「ひとねむり」)
混声合唱組曲「光る刻」G~「もぐら」

工藤吉郎

(「木はふるえる」「木の実」「種」「年輪」「白一色」「はだかの木」「ぬくもり」「ふしぎ」「風が光る」「鳥のこえ」「夢」「木に聞く」)「草の葉」
「こころいき」「心臓ならして」「トララララ」「発見のうた」「ぼくじしんのうた」

すぎやまこういち

「クムクムのうた」
アニメ『クムクム』のオープニングソング。
「サウルスくん」
アニメ『クムクム』のエンディングソング。

鈴木輝昭
無伴奏混声合唱のための「うたの遊星」G
(「流れるなか」「気のうた」「緑ふかい寝床のうた」「脈をみるうた」)

高嶋みどり
女声合唱のための無伴奏小品集「愛のとき」F
(「愛のとき」「いたいな」「ひとの風」「霧明け」)
「あらゆる草の葉には」G
同声(女声)合唱とピアノのための「イグアナのゆめ」FJ
(「みょうななかま」「しーそー」「へいきなうた」「きっとなにか」)
「怪物たちの雑踏のなか」
「恋のなりふり」?

無伴奏混声合唱のための交声詩「誰かが時を…」
(「 I 」「 II 」「 III 」)

高田 渡
「なまけもの」
「ねこのねごと」

高橋悠治
「回風歌」

外山雄三
交響連歌「この八月に」~「とむらいのあとは」
「この八月に」は林光と共同作曲。

新実徳英
児童合唱、打楽器、ピアノのための「生まれてから」J
(「生まれてから」「太鼓打ち」「ふしめ」「なによりもまず」)
男声合唱、打楽器、ピアノのための「生まれてから」M
(「生まれてから」「太鼓打ち」「ふしめ」「なによりもまず」)
「おふろのうた」
五つの女声/少年少女合唱曲「虹のうた」FJ
(「風のゆくえ」「くらべっこのうた」「虹のうた」「ハイド・アンド・シーク」「ラクダあるき」)「虹のうた」
同声(女声)合唱とピアノのための「はらっぱのうた」FJ
(「いこうや」「かごぬけごっこ」「さわいであそぼっ」「こわいゆめ」「ここでは」「そらをめがけて」「きみ なんてん らくだいてん?」)
少年少女(女声)合唱のための「ふしぎなせかい」FJ
(「なまけもの」「あさ」「ふしぎなこだま」「ふしぎなともだち」「かに」「ねこのねごと」「かとが」「かっぱ」)

信長貴富
混声合唱とピアノのための「新しい歌」G~「鎮魂歌へのリクエスト」*
男声合唱とピアノのための「新しい歌」M~「鎮魂歌へのリクエスト」*
L.ヒューズの詩。木島始 訳。
男声合唱のための「Voice」M
(「We blunderders ――しくじるわれら――」「Disctinctive ――くっきり――」「Blink ――まじろぎ――」「Rainbow ――虹――」「Since I was born.... ――生まれてから――」)
混声合唱とピアノのための「こいうた」~「恋よ ぼくらふたりの……」
「さらに高いみち」
混声合唱とピアノのための曲集「初心のうた」G
(「初心のうた」「自由さのため」「とむらいのあとは」「てなおすうた」「泉のうた」)
女声合唱とピアノのための「初心のうた」F
(「初心のうた」「自由さのため」「とむらいのあとは」「てなおすうた」「泉のうた」)
無伴奏混声合唱のための「Faraway」G
(「How long I love to listen」「Sky calls...」「Breathing」「Crossing」「If I hear a voice」)
無伴奏女声合唱のための「モニュメント」F

萩 京子
「ひびかせうた」
「夢の番人」

林 光

「秋川市立一の谷小学校校歌」
「かぜ」
女声合唱とピアノのための「木」F
混声合唱とピアノのための「木のうた」G
(「きこえるかしら だれかが 時を.....」「きこえるかしら だれかが 鳥を.....」「地のなかから 吸とられたものは.....」「木にぶらさがる実は.....」「ひとつぶの種から.....」「いちど根づいた木は.....」「夜 粉雪が.....」「雪がつもると.....」「ひとびとが 雪のなかを.....」「ひとびとは ふしぎを.....」「雪がきえると.....」「いねむりしている姿なのかな.....」「卵のなかに.....」「大きな すばらしい木に.....」「きこえたかしら.....」)
「巨木の歌」
ソプラノとピアノのための「雲の中のピッピ」
「出発」
カンタータ「脱出」2S(Sop,Ten)+G+V
(「まえおき」「減る一方の歌」「<うさぎ狩り>とその麦むきの呼び名の歌」「時間のきざみめが変わってしまう歌」「引き裂かれた愛の歌(1)」「引き裂かれた愛の歌(2)」「むりじいしごとと侵略思想のよりどころの歌」「つのる思いの歌」「脱出行の歌」「じぶんの影だけのときの歌」「雪と風と海との歌」「まだ見ぬ子をおもう歌」「はるかに愛するひとへの歌」「十四年目の日本語のひびきの歌」「日本は変わったかの歌」「デマかデマでないかの歌」「裁きがつづき時効は無効の歌」「果てしない波を渡るための歌」)
混声合唱、ピアノ、1対の笛のための「鳥のうた」
(「春うらら」「ゆきかう渡り鳥」「空の文字」「消える名前」「見守るつらさ」「啄まれたいひと」「すばらしい嘘」「おとずれ待ち」「たよれる星」「たねは旅する」)
「なんかいもなかなおり」
「日本共和国初代大統領への手紙」
「引き裂かれた愛の唄」
二重合唱のための「三つの四行詩」
「ゆきだるま」

間宮芳生

「青森県立青森東高等学校校歌」S
「青森県立青森南高等学校校歌」S
「合唱のためのコンポジション第16番」G~「草の葉には」
児童合唱とパーカッションによる「木々のうた」J
オッリ・コルテカンガスとの共作。テキストは、木島の他に、サムリ・パラハリウ。
オラトリオ「近未来潮」V+2S(Sop+Bar)+G
テキストは他に、真言宗智山派の声明、地球環境汚染についての記述資料。
オペラ「ニホンザル・スキトオリメ」(台本:木島始)

三宅榛名
「ひとみのうた」F、G、M

三善 晃
童声(女声)合唱のための「朝の羽ばたき」J
(「朝の羽ばたき1」「朝の羽ばたき2」「朝の羽ばたき3」)
「おつかいのうた」
「しゃしんのうた」
男声合唱のための組曲「だれもの探検」M
(「つぶやきかわすうた」「かたどりうた」「まっさかさまなまさかのうた」「発見のうた」「手近からのうた」)
「どこかい」
「ぬいぐるみ」
「ほんとのもり」
「めっちゃかもつれっしゃ」
男声合唱とピアノ(四手)のための「遊星ひとつ」
(「INITIAL CALL」「だれの?」「見えない緑のうた」「バトンタッチのうた」)
二群の男声合唱とピアノのための「路標のうた」



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by noanoa1970 | 2007-04-19 10:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

これは参加したかった!

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高田さんの生誕60周年記念か?
いやいや、そうではない。58年と、ポスターに書いてある。
キッチリとした節目でない時に開催するところが、高田を髣髴させて、これまた「良い」。

武蔵野に住む息子から本日連絡があった。
メンバーの「シバ」とはどういう?と聞くから「シバ」は我が家の愛犬だと答えておいて、すぐに。
「ブルースハープ」の上手な味のあるブルースシンガーと答えておいた。
「いせや」の解体がもう終わって、かの地は、すでに更地になっているという報告もあった。
こうしてだんだん「武蔵野」が姿を消していくのだろう。
そういえば、小生が以前いた保谷に、DRAC-OB氏が去年仕事でいたときに、頼んで偵察に行っていただいた、古い大きな民家を少し改造し、立派な庭園を見せながら、広東料理を食べさせる「武蔵野」という中国料理の店も、すでに無くなってまったく違うものがたっているとか。

武蔵野台地の古い名残が消えていくことを、国木田独歩も多分、墓場で嘆いていることだろう。

情報を早く仕入れていたら、ちょうど学生時代のサークル仲間の、関東地区新年会2次会も同じ時期に開催されたので、合わせてぜひとも参加するところだったのに!!残念。

「タカダワタル的」の「スズナリコンサート」とほぼ同じメンバーによるものだから、キットよいと思うのだが・・・・
「武蔵野タンポポ団」ならぬ「武蔵野マーガレット」という出演者も妙におかしい。
「柄本明」は一体、今度は何を歌うのだろうか・・・興味は尽きないのである。
2人の「中川」のギターと歌も聴きたいし・・・・「いとうたかお」も然りである。
松田のハーモニカは、ピカ一だし、高田の息子「蓮」のペダルスチールも、板についてきている。
「なぎら」はまさか、いつものように、高田を冒涜する替え歌・・吉祥寺の自転車置き場の歌・・・・を歌ったりはしないだろう。

そんなことをめぐらせるのだが、
開催が明日ではなんともならぬし、チケットは多分すでに売り切れだろう。
あまりにも悔しかったので、ポスターを探して、貼り付け残すことにした。

新潟の先輩からいただいた「八海山」を飲みながら、仕方なく今夜は、「タカダワタル的」のDVDで我慢することにしよう。
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by noanoa1970 | 2007-01-27 18:10 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

キツネとタヌキ

新蕎麦の季節である。
一説によると、1年よい状態で保存した「玄蕎麦」のほうが、すべてにおいて美味であるという話もあるが、保存は通常では電気的冷蔵となってしまうから、含水量の管理が難しいから、よい状態の長期保存は望めない。
自然の冷蔵庫・・例えば風穴などでの保存が適しているという。
しかしそのように恵まれた環境は残念ながら非常に少ないから、やはり「新蕎麦」の登場を待つことになる。

一般的に蕎麦切りを湯がいて、水にさらしたものを、そばつゆで食べる「笊あるいは盛」と呼ばれる蕎麦は、夏場に好まれるようだが、蕎麦にとっては一番不適格な季節でもある。
11月は「新蕎麦」が出てくるシーズンで、小生にとってはあの「ボージョレーヌーヴォー」の解禁の数倍の楽しみなことになる。

さて今日は、香りたつ新蕎麦の話ではなく、寒いとどうしても食べたくなる「暖かい・・・うどんとそば」の話題を!

「キツネ」といえば、たいていどの地方でも「油揚げ」・・・地方によってはその調理法や味の違いはあれ、「油揚げ」の入った物を言う。
寿司のように「稲荷」と呼ぶ地方もあるらしいが、どこでも「キツネ」・・・大阪では「ケツネ」を注文すれば、油揚げが乗っかったうどんあるいは蕎麦にありつくことができる。
寒いときなど手軽で、すぐ温まるしそこそこ栄養もあり、たいがい安価であることが多い。

小生がたまに行く「お千代坊稲荷」は商売繁盛の神様として有名、全国3大稲荷のひとつでもあるが、境内の途中に、油揚げを三角に切ったものを藁紐に通したものを、お供え用に販売していて、ほとんどの参拝客がそれを入手してお供えしてくる。
お供え場所は、いつも油揚げで一杯で、それが並みの量ではないから、小生は「あの油揚げどのように処理するのだろう」、通りにある飲食店が引き取って利用しているのではなどと思ってしまうのである。

「キツネ」は小生の経験では、今まで行った土地ではどこでも、ほぼ思ったとおりのものが出てくるので、オーゾライズされた食べ物となった感がある。
「カツドン」とは大違いで、「福井」で食べたカツドンには本当に参ってしまったが、ここでは話を「キツネ」から「タヌキ」に移動することにしよう。

小生は学生時代を京都で過ごした。
夜はバイト先でいつもご馳走になるが、昼はお金があるときには「のらくろ」という洋食屋を利用したが、軍資金が乏しくなると、学食や100円定食の「千成食堂」、「大銀食堂」などの学生向き大衆食堂に行くことが多かった。

しかし大衆食堂でも、あれこれ注文すると結構高額になってしまうので、夜のバイト先でご馳走にありつけるまでの繋ぎでよいときには、麺類で済ませることもあった。
そのときの苦い経験なのだが、あるとき「たぬきうどん」を注文すると、出てきたのは「あんかけうどん」・・・小生はあまり好き嫌いがないほうだが、どうもあのドロットした感触と、早く食べたいのに、熱くてうどんそのものがなかなか食べられないもどかしさからか、「あんかけ」をあまり好まない。
「あんかけ」でなく「たぬき」を注文したんだけれど・・・というと、京都では「あんかけ」を「たぬき」だというではないか。
小生はお金はないが、少しでも腹持ちし、栄養価が少しでも高そうな「天かす」入りのうどんが食べたかったのに、出されたものは、ネギと薄いかまぼこが申し訳なさそうに2枚入った、片栗でドロッとしたつゆの中に入ったもの、救い上げるうどんがやけに白く見え、つゆの味の深さがまったくない、いやな食べ物であった。
残さず食べたのはもちろんのことだが、ひどい仕打ちにあってしまったもので、食べ物の恨みは恐ろしいから、2度と再び京都で「たぬき」を注文することはなかった。
この失敗談を友達に話すと、「キツネはうどん」で「タヌキは蕎麦」だというから話は複雑になる。

整理してみると
キツネ=油揚げ
タヌキ=天かす
これだと、蕎麦でもうどんでも油揚げ入りは「キツネ」、天カス入りは「タヌキ」となり、小生がなじんできたもの。

キツネ=油揚げ入りうどん
タヌキ=油揚げ入り蕎麦
両方とも油揚げ入りだが、うどんはキツネで、タヌキは蕎麦をあらわす。これはかなり誤解を生むことになる。「キツネ蕎麦」という表現はないことになる。
「篠田」という古典的表現もあるので、そのメニューがあるのだろうか?

キツネ=「油揚げ」入りの普通の汁もののうどんあるいは蕎麦
京都の油揚げは大きくて三角に切ってあり、甘く煮てあった。
タヌキ=「あんかけ」のうどんまたは蕎麦
京都ではこれが多いように思うのだが・・・・

そして、神戸では油揚げが入っているうどんを「キツネ」蕎麦を「タヌキ」、天カス入りを「ハイカラ」というと物の本に書いてあった。

それでは同じ関西圏・・・食い倒れの大阪ではどうなのか、気になるところだから調べてみると

京都ではあんかけを「たぬき」と呼ぶが、大阪では「きつねそば」のことは「たぬき」と呼ぶ。
「きつね」とは油揚げの入った「うどん」だから「きつねうどん」と言う。
「たぬき」とは油揚げの入った「そば」だから「たぬきそば」と言いう。
したがって大阪では「きつねそば」「たぬきうどん」とは言いわないという。
天カス入りのものをどう呼ぶのだろうかと気になるところだ。

どうやら関東圏と関西圏の違いによるものではなく、「タヌキ」と「キツネ」は同じ関西圏の京阪神それぞれでニュアンスが異なるのだから、関西でうどん蕎麦屋に入るときには要注意。

こんなことを整理しつつ書いていたら「高田渡」の、ほとんど最終アルバム「獏」の中に、山之口獏」という沖縄の詩人の書いた詩に高田が曲をつけ、八重山出身の大工哲弘が鼓を打ちながら歌った「たぬきそば屋」の話・・・「たぬき」があるので、紹介しておこう。
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このアルバムは、山之口獏の詩に高田が曲をつけ、それを各分野のゲストたちが歌ったもの。
高田の残した大きな遺産のひとつだと、小生は思っている。
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「たぬき」
てんぷらの揚げ滓それが
たぬきそばのたぬきに化け
たぬきうどんのたぬきに化けたとしても
たぬきを馬鹿にはできないのだ
たぬきそばはたぬきのおかげで
天ぷらそばの味にかよい
たぬきうどんはたぬきのおかげで
てんぷらうどんの味にかよい
たぬきのその値がまたたぬきのおかげで
てんぷらよりも安上がりなのだ
ところがとぼけたそば屋じゃないか
たぬきはお生憎様
やってないんです  なのに
てんぷらでしたらございますなのだ
そこでぼくはいつも
すぐそこの青い暖簾を素通りして
もうひとつ先の
白い暖簾をくぐるのだ

d0063263_13525823.jpg山之口獏は大正時代の人、小生は「高田渡」を通じて知ることとなった。
生活の柄に代表される放浪詩人の要素があり、一生貧乏生活を送った人で、自分の女房や娘を質屋に入れる夢の話や、マグロの刺身を食べたいが原水爆実験の・・・ビキニの灰をかぶっていると、自身に言い聞かせイワシの頭を箸でつつく話、借金の果てに死んだ男があの世に行くと、そこには先に死んだ長男が待っていて、すねている。なぜだと聞くと、盆になっても家からは、何のお供えも届かないからだという・・・

彼は、このような悲惨な話を一見そうでもないように、ユーモアを交えて詩にすることが多いようで、それが逆に読むものにリアリティを呼び覚ます要因にもなるようだ。
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「たぬき」にはそんな思いが込められていて、「てんぷら」を出す店が何故たぬき=天カス入りを出さないのか?
小市民の生活の知恵と、楽しみがを脅かすような、ものを無駄にし続ける現代社会に対する風刺を笑いの中に表現した。

「天カス」を最近では「揚げ玉」というように、てんぷらの「おまけ」や「カス」としての存在でなく、わざわざ「天かす」をよい油で揚げて、「たぬき」として提供する店もあるようだから、「たぬき」はすでに、てんぷらから独立した存在としてもよいのではなかろうかという気がする。

中途半端=ほとんどのうどん・そば屋がそうであることが多いが、てんぷらを注文しても、まともなてんぷらうどん・そばにお目にかかれることはまれで、ましてあのてんぷらでは暖かいダシに浸して食すのが常であるから、本格的・・・カリッとあがった油のよい香りがするあの「天麩羅」本来の味はすでに望めないし、ほとんどの店では値段は高いが、てんぷらのタネ・・・えびのサイズときたら、まるで「甘エビ」かと思うくらいの店もある。
別盛の天麩羅あるいは天ざる・天うどんでは高すぎコストパフォーマンスが悪い。

こうなると「獏さん」も言うとおり、「たぬき」の存在意義は非常に大きいものがある。
最上の油で天カス=揚げ玉専門に揚げているうどん・そば屋があれば、絶対的に・・・ほぼ倍の値段がする似非てんぷら何がしをはるかに凌駕する、「てんぷら」という概念から離れた別の存在の食べ物として存続可能ではなかろうか・・・などと強く思うのである。

太白油で揚げた天カス・・・もうこうなると「カス」とは呼べなくなり、別の呼び方が必要になうほど、この油で揚げたものは美味である。
「揚げ玉」という呼称もあまり感心しないから、よい呼び名を考え中であるが、いまだに思いついていない。
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by noanoa1970 | 2006-11-19 14:43 | 「食」についてのエッセイ | Comments(3)

替え歌

高田渡の歌に「仕事探し」という歌がある。メロディは「ブルーグラス」であると思うのだが、高田が歌うと、それは・・・わけ合って仕事をなくした男の日常を歌った悲歌にも聞こえてくる歌だ。
若いころは、高田の追っかけで、フォークシンガーになり、今現在は下町江戸っ子で・・・バラエティで活躍する「なぎら健壱」が、コンサートで高田の「仕事探し」の替え歌を歌った。
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彼は・・・高田渡へのアンサーソングだと、歌の解説らしきもので言っているのだが、その内容は面白おかしい・・・というより、もちろんそれもあるのだが、・・・・今なら人権問題に発展しそうな内容で驚いた。

高田に関するエピソードは数多いが、中でもこの替え歌は・・・・多分ジョークなのであろうことはわかるのだが、・・・・高田がよくギターを載せた自転車を必死に漕いで、武蔵野から吉祥寺方面に行く姿が見られた(小生の息子が何度も見た)というから、高田と自転車は切り離せないものだったのだろう。

15アンペアの話は有名で、ヘアードライヤーを使うときは、すべてのほかの電気を使うものの電源を切らないと、ヒューズが飛ぶ・・・・そして最近のヒューズは細くてすぐ切れる、昔のヒューズは丈夫だった・・・
うそみたいであるがこの15アンペアの話は本当であるから、「なぎら」の替え歌「自転車を盗んだ話」も嘘のような本当、あるいは本当のような嘘・・・どちらでもいいことなのだが、そんな高田の行状のひとつを歌ったものである。

「なぎら」は非常にチャッカリしていて、この替え歌のエピソードで、「西岡たかし」・・・「五つの赤い風船」の、あの「西岡」が高田に貸した金を催促するのに、「なぎら」に仲介を頼んできた、ということが歌われる。
理由は、高田の家の電話がお金を払わないので、止められていて、連絡がつかないからだ、ということなのだが、「なぎら」は、このエピソードで、「高田と自分」の関係が非常に密であり・・・・高田をリスペクトしているということを暗示しているから、この替え歌のように、冗談とはいえ、高田の悲惨な行状を歌った替え歌でも、高田からクレームが来なかったのだろうと推測した。

歌の中身が面白かったので、オリジナルと替え歌両方を、ここに記しておくことにした。

高田渡「仕事探し」オリジナル
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乗るんだよ電車によ  乗るんだよ電車によ
雨の日も風の日も仕事にありつきたいから・・・、
飲むんだよ苦いコーヒーをよ、飲むんだよ苦いコーヒーを
履歴書を書くために、仕事にありつきたいから・・・、
新聞を見たよ、 新聞だって見たよ
電話だってかけたよ 仕事にありつきたいから・・・、

高田が歌う「仕事探し」の替え歌・・・なぎら健壱のアンサーソング
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盗んだよ自転車をよ、盗んだよ自転車をよ
吉祥寺駅前の駐輪場から、自転車を盗んだよ・・・
電話だって止められてるよ、水道だってこないよ
最近新聞も来ないな、お金を払わないからさ
上さんだって逃げたよ、奥さんだって逃げたよ
鹿児島の実家へ帰ったよ、働かないからさ
犬だって一緒にかえったよ
飼い犬も上さんがつれていったよ。
だって犬をおいとくと、食べちゃうかも知れないからってさ
<間奏>
西岡たかしさんから電話があったよ
西岡さんから電話があったよ
早く金返せって言ってくれって
おいらに電話があったよ
筋違いって、言うもんだよ
本人に言ってやれよ
だって渡の所へ電話したら、電話が止められていたんだよ
盗んだよ自転車をよ、盗んだよ自転車をよ
吉祥寺駅前の駐輪場から、自転車を泥棒したよ
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by noanoa1970 | 2006-10-01 08:59 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「東京物語」を見る・・・映画の中の音楽-1

周吉夫婦が最初に到着した長男の家で、孫が自分の机を廊下に出されたといって母親に食って掛かる。その時に中学生「實」がはやし立てる音楽。
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それが「のんき節」である。添田唖蝉坊が作った演歌だが、後にタレント議員第一号となった石田 一松が歌って一世を風靡したという。

石田は自作を加え替え歌にして庶民の側から社会を風刺した。「~凡て内密で取引きするのが闇取引きで御座います。帝国議会の闇取引きは秘密会議と申します~ハハのんきだね~」などと当時の軍部や政治権力、社会の矛盾を痛烈に批判。当局には睨まれたが庶民からは圧倒的人気を博した。

以下二人の「のんき節」を挙げておくことにする。何れもも「社会風刺」にあふれていて痛快で、面白い。
「高田渡」、「高石友也」もかなり影響を受けているようだ。
「實」が真似したの恐らく石田 一松の方ではないだろうか。

      のんき節 ・・・添田唖蝉坊

 學校の先生は えらいもんぢやさうな
 えらいから なんでも教へるさうな
 教へりや 生徒は無邪氣なもので
 それもさうかと 思ふげな
 ア ノンキだね

 成金といふ火事ドロの 幻燈など見せて
 貧民學校の 先生が
 正直に働きや みなこの通り
 成功するんだと 教へてる
 ア ノンキだね

 貧乏でこそあれ 日本人はえらい
 それに第一 辛抱強い
 天井知らずに 物価はあがつても
 湯なり粥なり すゝつて生きてゐる
 ア ノンキだね

 洋服着よが靴をはこうが 學問があろが
 金がなきや やっぱり貧乏だ
 貧乏だ貧乏だ その貧乏が
 貧乏でもないよな 顏をする
 ア ノンキだね

 貴婦人あつかましくも お花を召せと
 路傍でお花の おし賈(売)りなさる
 おメデタ連はニコニコ者で お求めなさる
 金持や 自動車で知らん顔
 ア ノンキだね

 お花賈る貴婦人は おナサケ深うて
 貧乏人を救ふのが お好きなら
 河原乞食も お好きぢやさうな
 ほんに結構な お道樂
 ア ノンキだね

 萬物の靈長が マッチ箱見たよな
 ケチな巣に住んでゐる 威張つてる
 暴風雨(あらし)にブッとばされても
   海嘯(つなみ)をくらつても
 「天災ぢや仕方がないさ」で すましてる
 ア ノンキだね

 南京米をくらつて 南京虫にくはれ
 豚小屋みたいな 家に住み
 選挙權さへ 持たないくせに
 日本の國民だと 威張つてる
 ア ノンキだね

 機械でドヤして 血肉をしぼり
 五厘の「こうやく」 はる温情主義
 そのまた「こうやく」を 漢字で書いて
 「澁澤論語」と 讀ますげな
 ア ノンキだね

 うんとしぼり取つて 泣かせておいて
 目藥ほど出すのを 慈善と申すげな
 なるほど慈善家は 慈善をするが
 あとは見ぬふり 知らぬふり
 ア ノンキだね

 我々は貧乏でも とにかく結構だよ
 日本にお金の 殖えたのは
 さうだ!まつたくだ!と 文なし共の
 話がロハ臺(台)で モテてゐる
 ア ノンキだね

 二本ある腕は 一本しかないが
 キンシクンショが 胸にある
 名譽だ名譽だ 日本一だ
 桃から生れた 桃太郎だ
 ア ノンキだね

 ギインへんなもの 二千圓(円)もらふて
 晝(昼)は日比谷で たゞガヤガヤと
 わけのわからぬ 寢言をならべ
 夜はコソコソ 烏森
 ア ノンキだね

 膨脹する膨脹する 國力が膨脹する
 資本家の横暴が 膨脹する
 おれの嬶(かゝ)ァのお腹が 膨脹する
 いよいよ貧乏が 膨脹する
 ア ノンキだね

 生存競争の 八街(やちまた)走る
 電車の隅ッコに 生酔い一人
 ゆらりゆらりと 酒のむ夢が
 さめりや終點で 逆戻り
 ア ノンキだね



一方石田 一松は、昭和時代の反骨のバイオリン演歌師して政治家/自作自演の「歌うジャーナリスト」/タレント議員第1号
1902(明治35)年11月18日広島県生まれ。
上京して演歌師となり、苦学して1927(昭和2)年法政大学を卒業。
1932(昭和7)年吉本興業に入り「インテリ時事小唄(こうた)」で売り出し、バイオリンをひきながらの庶民の側から世相を風刺した「のんき(ノンキ)節」(元祖「のんき節」は1918【大正7】年の添田唖蝉坊【そえだあぜんぼう】)をもって舞台に立つ。
石田の権力を揶揄(やゆ=からかうこと。なぶること)したブラックユーモア(black humor=笑ったあとで背筋が寒くなるような残酷さや不気味さを含んだユーモア)はしかし、官憲の圧迫をうけたが、庶民から圧倒的人気を博し、権力に屈しなかった。

<のんき節>

声を嗄(か)らして僅か三割 電力節約するのなら
ついで二ヶ月三ヶ月 防空演習をやればよい
 へ〃のんきだね

銃後を守るこの非常時に 次から次へと火事騒ぎ どうしたわけかと尋ねたら
消炭(けしずみ)が欲しい といいました
 へ〃のんきだね

凡(すべ)て内密で取引きするのが 闇取引きでご座います
帝国議会の闇取引きは 秘密会議と申します
 へ〃のんきだね
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by noanoa1970 | 2006-08-29 07:40 | 小津安二郎 | Comments(0)

西岡恭蔵1997年4月

10年前の3月小生は民営化されたNTTが「通信機器」専門の営業部隊を創設したのを期に、東海・信越・北陸のNTT支社の営業部隊の営業教育の講師として長期出張をしたことがあった。
その頃、ちょうど北陸「金沢」に常駐していたのだが、そこで「ジョー・ハウス」という店とめぐり合うこととなった。店の主人は小生と同じ大学の1年先輩で、奥さんは京都出身。店には懐かしいフォークが流れていて話が弾むと、近く「ジョー・ハウス」が主催でフォークのコンサートをするという。

3回ある公演のチケット全てを購入して楽しみに出かけたのが3月の「加川良」、そして「高田渡&五つの赤い風船でもおなじみの中川イサトのデュオ」そして最終の公演の4月には「西岡恭蔵」のコンサートが控えていた。

先の加川良のコンサートは一つは「旧ジョー・ハウス」の閉店記念をかねていたから、お客は総勢100人足らずの内輪のコンサートで、後の一つは金沢芸術村の小ホールで行われ、いずれも久々の感動のひと時であった。
最後に控えた「西岡恭蔵」といえば、学生時代に学生会館ホールで「ディラン・セカンド」、「やしき たかじん」たちとともに、小生たち文連で主催したコンサートで聞いてからたいそう気に入って、後に彼のレコードをあるいはCDをほとんど入手するくらい好きな人となった。
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中でも「街行き村行き」が一番のお気に入りで、このレコードは何回聞いたことだろう。
一度CD化されたのをショップで見かけたことがあるのだが、レコードで十分とCDを購入しなかったばかりに、この録音は長いこと廃盤となっていて、オークションでは1万円で取引されることもあった。しかし数年前にやっと初期アルバム「ディランにて」とあわせて2枚セットで発売され、すかさず入手したのはいいのだけれど、オリジナルテープの紛失だろうか?アナログレコードからひろった?ものなのだろうか、残念なことに初期レコードの音の良さには到底及ばないものであった。

さて話は戻るが、コンサートガ迫ってきたある日「ジョー・ハウス」の奥さんによって「もしかすると「恭蔵さん」のコンサートが中止になかも・・・」という話が耳に飛び込んだ。彼女がコッソリというには「西岡」の奥さん「くろ」ちゃんの体調がかなり悪く、彼女はその詳細を知っていたのだが小生には言わなかったが、小生にはすぐにそのことを察した。
西岡の奥さんの「KURO」チャンという人は、優れた詩人で、数々の名作を聞けばビックリするくらい有名な人に書いていて、その彼女が悪い病魔に冒されていることを何かの拍子に知ったことがあったからである。

そして彼女は4月4日に亡くなってしまい。当たり前のようにコンサートは中止。
そればかりか、こともあろうに2年後の1999年4月3日「KURO」チャンの命日の1日前の日に「西岡」自身が、まるで奥さんの後を追うように亡くなってしまうという事件があった。 

1999年10月には「西岡」の追悼コンサートが行われ、その1年前には「KURO」チャンの追悼コンサートが西岡のプロデュースで行われた。西岡の追悼コンサートにはいけなかったが、「KURO」チャンの追悼アルバムは入手した。d0063263_1918505.gif

参加メンバーは
西岡恭蔵、砂川正和、大塚まさじ&永井洋、綾田俊樹、千秋&チャールズ清水、友部正人、加川良、Mabo&Kyozo、いとうたかお、太田裕美、桑名晴子、Morgan's Bar、シバ、中川イサト、高田渡、金子マリ、北京一、大上留理子&ジェニファ・ヨネダ、上田正樹、もんたよしのり、石田長生、ジョニー吉長、大庭珍太、誰がカバやねんR&Rショー、西村入道、アーリー・タイムス・ストリング・バンド、亀淵友香、有山じゅんじ&ゴンチチ、憂歌団、山下久美子、松本照夫、金子マリが参加する。

そうそうたる人たちに詩を提供していたことが分かるし、西岡のアルバムの中にもキラリと光るものが多々見られる。
「アフリカの月」「月の祭り」を聞くとその歌詞の素晴らしさを体感できる。
詩のフィーリングから察すると、西岡の初期アルバムで、作詞が西岡と全て表記されているが、ひょっとしたら、半分以上は彼女の作品だったのかもしれない。特に「街行き村行き」の「パラソルさして」; 「ひまわり村の通り雨」;「海ほうずき吹き」の歌詞には「KURO」が感じられる。

「コカコーラの広告塔に守られた夏が・・・」という「パラソルさして」の出だしの「コカコーラ」、初めて聞いたときには歌詞の中に「モダン」を感じたが、今では「レトロ」な感覚さえ覚える。
この「パラソルさして」での感性は、やはり「KURO」のものだろう。
バラード調の「西岡」、フォークロック調の「ディランⅡ」どちらも凄くよい。

最愛の妻をなくしたフォークシンガーの最後には、愛と悲しみ、そしてロマンを感じるのである。
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by noanoa1970 | 2006-04-30 09:27 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

高田渡の一周忌・・・黒田三郎『夕暮れ』

「夕暮れ」   詩 黒田三郎

夕暮れの街で
僕は見る
自分の場所からはみ出てしまった
多くのひとびとを

夕暮れのビヤホールで
彼はひとり
一杯のジョッキをまえに
斜めに座る

彼の目が
この世の誰とも交わらない
彼は自分の場所をえらぶ
そうやってたかだか三十分か一時間

夕暮れのパチンコ屋で
彼はひとり
流行歌と騒音の中で
半身になって立つ

彼の目が
鉄のタマだけ見ておればよい
ひとつの場所を彼はえらぶ
そうやてったかだか三十分か一時間

人生の夕暮れが
その日の夕暮れと
かさなる
ほんのひととき

自分の場所からはみ出てしまった
ひとびとが
そこでようやく
彼の場所を見つけ出す


「夕暮れ」   曲 高田渡  黒田三郎の詩による
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<原詩との大まかな違いを太字で示した>

夕暮れの町で
僕は見る
自分の場所からはみ出してしまった
多くのひとびとを

夕暮れのビヤホールで
(彼は)ひとり
一杯のジョッキをまえに
斜めに座る

その目が
この世の誰とも交わらないところを
(彼は自分で)えらぶ
そうやってたかだか三十分か一時間

雪の降りしきる夕暮れ
ひとりパチンコ屋で
流行歌(と騒音)のなかで
遠い昔の中と

その目は
厚板ガラスの向こうの
銀の月を追いかける
そうやってたかだか三十分か一時間

黄昏が
その日の夕暮れと

折りかさなるほんのひととき
そうやってたかだか三十分か一時間

夕暮れの町で僕は見る
自分の場所からはみ出してしまった
多くのひとびとを

高田渡の音楽はその多くがメロディは「カントリー」「ブルーグラス」「ブルース」などアメリカの音楽を借りてきて、また歌詞は古今の詩人たちのものを借りてきた・・・いわば借り物で作られた音楽である。
人によってはそれを「盗作」めいた言葉で揶揄するが、しかし小生は、彼の音楽にいわゆる「オリジナル」以上の価値を見出している。

そもそも彼が借りてきたメロディの一つ「ブルーグラス」にしてもほとんどが「伝統歌」とされているし、たとえ作曲者が明示されていてもその多くが「伝統歌」を少々アレンジし、歌詞を付け替えたりして自分の曲としているものが多い。
そのことは「カントリー」にも「ブルース」にも当てはまる。

わが国で例えるなら、「木曾節」・・・「木曾のなぁー木曾の御嶽山は・・・」という民謡である。
この民謡のメロディは様々なスタイルがあり、中には「正調木曾節」というのさえある。
しかしどれが正式の=オリジナルのメロディかは定かではない。
考えればそれは当たり前で「伝統歌」などというものは、そもそも口頭で伝えられ記憶されたもの、いずれかの時に誰かが、あまたあるものの一部をとって楽譜に起こしたものだから、それもまた「one of them」なのである。

実際カントリーとブルーグラスで、演奏スタイルと歌唱法ならびに、歌詞を変えてはいるが、全く同じメロディを使っているものがあることを経験するし、中にはそのルーツを遠く「アイルランド」に求めなくてはならないものもある。

それらのことを考えると、高田渡の音楽には「盗作」などという側面はなくなり、そればかりか彼が借用してくる・・・いわば、彼がリスペクトした「詩人 たちの詩」に借り物のメロディをほんの少し編曲することによって遭遇させることによって、全く異次元の音楽へと変身させ、時には心の琴線を強く刺激するという事実に注目し、評価すべきだと思う。

彼は詩人たちのオリジナルを少し省略したり、一部を変更したりしているが、どれもこれも音楽の理にかなっているのと同時に、(ここが彼の隠れた才能なのだろうと思うところなのだが)「限りなく言葉を少なくすることで逆に言葉の重みを増す」・・・まるで自身が「詩人」であるかのようにオリジナルを変身させるのである。

この改編を「詩人」の許可を得てのことか否かは分からないが、少なくとも、小生が挙げた3つの「詩」に関して言えば、高田渡は成功したといえると思う。

上に「詩人」のオリジナルと高田渡の改変ヴァージョン両方を上げたが、その2つは微妙にニュアンスが違うところがある。
大きいのは詩人の時代背景と高田の時代背景の違いによる「感じ方」の違い。
例えば「はみ出した」と「はみ出てしまった」・・・・今流に言えば「’自己責任」比率の多い少ないの微妙な差が感じられる。

詩人の時代には「戦争」や「不況」で生活が暗いことはあっても、まだ人間不信はまだ余り感じない。
しかし高田の時代には高度成長期の人間不信という歪み、疎外感、孤独感、挫折感・・・そのような要素が強く感じられる。

パチンコで30分か1時間気を紛らしても、外は相変わらず激しい雪が降っている、パチンコを終わればまた再び、極寒の冬の夜の中に出て行かなくてはならない。
このまま暖かい場所に居たいのだが何もしないでここに居ることも出来ない。
・・・高田はどうしようもなく行き場を失った人間のどうしようもなさを、そのまま音楽にしている。
この辺りは高田のHOBOソング「生活の柄」「歯車」「ものもらい」「石」にも現れている。

一方詩人は・・・「誰でもあるつらいときは、ほんの一時でも気分を紛らわせることが救いである。そうして気分が少し晴れたら、もうおうちに帰りなさい、そうすれば暖かくお前を迎えてくれる人たちが待っているから・・・」「決してあきらめたり、悲観することはない、つらいのはお前だけではないのだから」・・・何とかがんばろう・・・がんばれば、未来は決して暗くはない・・・

高田の音楽と詩人のオリジナルからの受け止め方の違いをそのように感じている。
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by noanoa1970 | 2006-04-27 18:53 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

高田渡の一周忌・・・吉野弘『夕焼け』

【吉野弘 1926年-。詩人。山形県酒田市出身。高校卒業後、就職。徴兵検査を受けるが、入隊前に敗戦を迎える。1949年労働組合運動に専念し、過労で倒れ、肺結核のため3年間療養。1953年同人雑誌「櫂」に参加。1957年、詩集「消息」、1959年詩集「幻・方法」。1962年に勤務を辞めて詩人として自立。詩画集「10ワットの太陽」、詩集「吉野弘詩集」「叙景」、随筆集「遊動視点」「詩の楽しみ」など著書多数。】

この「夕焼け」という詩は不思議で厄介な詩である。
「夕焼け」 吉野弘
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりがすわった。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘はすわった。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
また立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘はすわった。
二度あることは と言うとおり
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
かわいそうに
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッとかんで
からだをこわばらせて――。
ぼくは電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
なぜって
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇をかんで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

高田渡の唄で聞いたときには、娘の「親切心」が不条理にも裏切られ、最後には自らその気持ちを捨ててしまった・・・人を信じることができなかったことへの後悔の念を抱くがゆえに、・・・途中で気がつくのたが、人間不信から「素直な親切心という美学」を持ち得なかった自分に対して情けなく、満員電車の中で立ち続ける老人へのつらさを思い、「タイミングを逸してしまってごめんなさい」という気持ちが交差する感情・・・・あの時は、どうしようもなかった・・・・が、しかし当然するべき行為をしなかったのだから、自他両方から責められてもしょうがない・・・現代の若者の多くが、すでには失なってしまったであろう、あるいは多くの若者が持っているであろう「合理化された感性」の持ち主ではないというところが、この「若い娘の救い」であり、電車の中の光景を目にした人を通しての作者の視点という風に受け取っていた。

しかし原作を読むと小生の考え方に変化があった。

下にあるのが高田渡が歌にした・・・つまり吉野弘の原詩の一部を割愛したものである。
そしてさらに下に、「太字」で付け足したところが割愛され部分である。
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 歌詞=高田渡 曲=高田渡

いつものこと
電車は満員
そして いつものこと
若者が坐り
年寄りが 立っていた

うつむいていた娘
年寄りに席をゆずる
礼もいわずに 年寄りは
次の駅で降りた
娘は坐った が
また 別の年寄りが
娘の前に 娘の前に
娘はうつむいた が また
年寄りに席をゆずる
年寄りは礼をいって
次の駅で降りた
娘は坐った
二度あることは三度という通り別の年寄りが
娘の前に
娘の前に

かわいそうに娘
うつむいて うつむいたまま
席をゆずらず
次の駅も
次の駅も
口唇をかみしめ
つらい気持ちで
娘はどこまで
どこまで行くのだろう
口唇をかみしめ
つらい気持ちで

やさしい心に責められながら
美しい夕焼けもみないで

口唇をかみしめ
つらい気持ちで
美しい夕焼けもみないで


<原詩より割愛されたところ>
高田渡は下の部分を削除したのだが、その理由は普通に考えれば、「唄になりにくい」からであると考えてよさそうだ。しかしこの部分は作者の考え方の表出した大切で重要な部分だということは誰でもわかるだろう。

固くなってうつむいて
娘はどこまで行っただろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。

優しい心の持主は→受難者となる→その理由は→他人の痛みを感じられるから
つまり作者は満員電車の光景を見た人の目を通して「娘の中にある優しさ」を見出し、その優しさがゆえに自ら受難者となる・・・といっている・・・つまりそのようにこの電車内の光景を解釈して、読む人に聞かせているのである。あるいは、この光景を見た電車内の「ある人」の感じ方の一つを代弁した・・・作者の考え方とは異なるもの、という風にも取れないことはないのだが、
それにしては説明が哲学的過ぎるから、やはりここは作者の考えの表現と取ってよいと思う。

詩の中の光景を自分で解釈する・・・このような詩が今まであっただろうか。
小生には初めての経験である。
そうまでして作者が訴えたかったものは何であろうか?

学生時代に読んだ美学書の中に「美」とは・・・『例えば全く自然な姿で、何も意識しないで、目の前に年寄りが立ったら当たり前のように席を譲ること。』というものが有った。
そこには「年寄りには席を譲ろう」などのマナーや倫理、教育等の「教え」を遥かに超越したところから出てくる、人間としての自然な姿、その行為が「美」に通ずる。恣意的なものが全くない自然な行動、それがすなわち「美」しい行為。ということ。
・・・そんな内容だったと記憶する。

娘が席を譲ったのは、そのような「美」的な行為に当てはまるものであったのかは分からないが、仮にそうだとしたら最後まで娘は席を譲り続けたはずだ。
しかし娘は3回目の老人には「心の葛藤はあったが」席を譲らなかった。

その理由は、席を譲った老人が2人ともすぐに電車を降りてしまった。一人は娘の親切に礼の言葉もなかった。
そこで娘はこのように考えたのではあるまいか。
「3人目の老人もすぐに降りてしまうのだろう」・・・・・「今まで私が席を譲ろうとしてきたが、何も私だけがその行為をしなくても、隣の人だって同じように席を譲ってもいいじゃない・・・」「席を譲ってすぐに降りてしまうのでは席を譲った意味がないじゃない」「どうせこの老人もすぐに降りるに違いないからもう少し様子をみよう」・・・・・そのような思い、すなわち2人の老人の姿から、娘は最初に持ちえた自分の「感性」を「理屈」でそれを超えようと・・・つまり「合理化」してしまったのだ。

当初持ちえた素直な親切心が、老人2人のの偶然にも重なった行為によって、娘にとっては、ある種裏切りとして映り、3人目の老人との遭遇時には、「感性」が「合理化」されてしまうまでになってしまったということなのだろう。
しかしそのような娘を誰一人責めることは出来ない。責める権利があるとすれば、それは自分が自分に対してのみである。

しかし作者は
「やさしい心の持ち主は、いつでもどこでもわれにもあらず受難者となる。何故ってやさしい心の持ち主は、他人のつらさを自分のつらさのように感じるから」
といって娘を「優しい心の持ち主」であるとし、だから「つらい思いをする受難者となった」といっている。

これはどういうことなのだろう?

確かに娘は親切な心=優しい心を持っていたが、しかし限界があった。
途中でその優しさを理屈をもって「合理化」し、結果席を譲らなかったのだ。
娘は確かに親切であった、しかし、3人目の老人に対しては、そうでなかったのも事実である。
それなのになぜ、この娘を作者は「優しい」というのだろう。

後悔するから優しいのだろうか?歯を食いしばって夕焼けも見ないで耐えるから、優しいのだろうか?他人のつらさを自分のつらさのように感じることが「優しさ」なら、なぜ娘はそれからでも席を譲らなかったのか?

詩人のこの説明的な「優しさ」論はいくら考えても不可思議である。

一つ気づいたことがある。それは電車の中でこの光景を見ていた「男」が途中で電車を降り、後はこの「男の思い」で、話が進行していくこと、そしてもう一人詩人の「哲学的な言及」が、そこに割ってはいる・・・ということは、つまり二人の目がそこにあり、さらにこの詩を読む読者の目・・・3人の目がそこに存在するということである。

「男」と「詩人」は決して同じ解釈をしてなく、また読者の解釈も、おのおの違う。
ひょっとしたら、作者はそこを狙ったのではあるまいか。?
そのように考えると詩人がわざとらしく「哲学的な説明」を入れ込んだ理由の謎が解けるように思う。・・・高田渡が削除したように不必要で、詩としては重苦しく、想像あるいは感受性の幅を著しく欠くように思えるのだが、考え方の「対比」としての存在として考えると、詩人の意図が見えてくるような気がする。

電車の中の「男」の目線は、ごく一般的なもの、そしてこの「詩人」の解釈は、一般的解釈とは全く異なる。
想像するに以下のようなものではないのだろうか?

「詩人」は娘に存在する、・・・(今の若者に欠けている)「マナー」や「親切心」を認めてはいるが、
真の意味での「優しいここの持ち主」「受難者」として認めててはいない。

「詩人」は、娘を「優しさ」「受難者」の象徴として描いているのではなく、むしろ「中途半端な優しさ」は、周りの人たちも、自分をも傷つけることになる」というようなことを言いたかった。
相手のことなど、なにも分かってないのに、身勝手に行動してしまう・・・小生にもよくあること
相手の苦しみを自分の苦しみとして感じることが出来る人などは、どこにもも居ないのであり、相手の要望を組み入れない親切心での行為=行為の押し売りは欺瞞であり、偽善である。

そのような中途半端な親切心から出た行為だからこそ、普遍性がなく、良かれと思ってやったことにしっぺ返しをされてしまう。
そんなものは「受難」でもなんでもない。

人類史上数少ない本当の受難者といえるのは、「キリスト」あるいは「マリア」及び「マタイ」、「ヨハネ」・・・すなわちキリスト教的「愛」を悟っていた人だけなのだ・・・・・・
「愛」のない「やさしさや親切心」などは、ある種の「悪」である。・・そんなメッセージが聞こえてきそうな気がする。

高田渡がこの部分をカットした理由の、本意は分からないのだが、直感的に何かを感じ取っていたのかもしれない。そして」小生も、この部分がないほうが好きである。
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by noanoa1970 | 2006-04-26 18:45 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(2)