「ほっ」と。キャンペーン

スコットランドの美少女

1962年にステレオ装置がやってきて、すぐに購入した「エリーゼのために」というタイトルのオムニバス「ピアノ曲」集、「パウル・バドウラ・スコダ」の演奏。
この中にドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が収録されていた。
中学生だった小生は「スコダ」のピアノと、少女の写真にほのかな幻想を抱いたものだった。
その後幾種類の演奏を聴くことになったが、「スコダ」の演奏は、依然として小生のリファーレンスとなっている。「亜麻色の髪」とは写真の少女のような髪の色をいうのであろうか

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60年代後半のこと、ソウルフルな混血歌手として一世を風靡した「青山ミチ」(メロディ)、フォーク系GS「ヴィレッジシンガーズ」が歌い大ヒットとなり、近年では「島谷ひとみ」がリメイクした曲、橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲の「亜麻色の髪の乙女」。
そしてこのタイトルは、クラシックファンなら、ドビュッシーが作った歌曲、そしてピアノ前奏曲集に同盟の曲があるのをご存知だろう。

3年ほど前に掲示板「猫」に「亜麻色の髪の乙女」の「亜麻色」とはどのような色?との問い合わせがあった。
その数年前、退職する女子職員へのプレゼントにと思い、小生は京都の老舗の袋物屋「一澤帆布」で麻製のトートバッグを購入したのだった。
いかにも丈夫そうな綿布のバッグのほうがポピュラーで、さりげなくこだわったおしゃれをしようとする若い女性に、このトートバッグが大人気で、町では、時々あの古典的な商標タグがついたバッグを肩に掛けている女性の姿を見かけることがあった。

しかし小生が選んだのは、麻のもので、それは麻布の素材が「アイリッシュリネン」であることを知ったのと、それで作られたバッグが綿布のものとは違い、滑らかで光沢があり、紫の入った鈍い朱色がとても気に入ったからであった。

それで「亜麻」あるいは「アイリッシュリネン」を知るところとなり、良質な亜麻の産地が「アイルランド」であることを知ったから、「猫」への質問にすぐに反応したのだった。
何を投稿したのかはハッキリと覚えてはいないが、
収穫した「麻」が束ねられて、乾燥されると、きれいに輝く黄色に変色する。
一般には金髪であるとされるようだが、黄金とは少しニュアンスが違うように思う。
生成とベージュと金色がミックスしたような感じではないだろうか・・・
恐らく、このような投稿をしたのだと思う。

「亜麻色」については・・・これが亜麻色である、という記述や色見本の提示には、実際のところお目にかかったことがないし、人それぞれ、微妙にその色彩感覚に違いがあるから「亜麻色」の歴史はそんなに古いものではなく、誰かが比ゆ的に用いたものであろうと考えるのが妥当かもしれない。

畢竟、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は、フランスの詩人「ルコント・ド=リール」が1852年に発表した「古代詩集」から「スコットランドの歌」という詩集の中に収めた「亜麻色の髪の乙女」という詩に基づいたとされ、有名なピアノ曲のほかに歌曲も作曲している。

「ルコント・ド=リール」という詩人の名は余り知られてはいないようだが、実は「ショーソン」「フォーレ」「デュパルク」「フランク」ほか、そうそうたる仏作曲家の歌曲作品に取り上げられているの象徴主義高踏派の詩人である。

また彼はフランス近代化の象徴とも言える「パリ万博」での「エッフェル塔」建設に反対した人であり、この詩人の名を冠した9877tonのフランス客船 「Leconte de Lisle 」は、サイゴン航路に就航し,世界大戦開戦後は日本に拿捕されて「帝立丸」となったとも言うから驚きの事実である。.

ドビュッシーに、象徴主義の詩人の歌曲が多いのは事実であるが、少ないながら中でも高踏派の詩人「ルコント・ド=リール」の詩に基づいた以下の作品を作っている。
・カンタータ「エレーヌ」(1881~82頃)[S,cho,Orch]〔未完〕
・ジャヌ(Jane)(1881or82/1966出版)[歌曲]
・亜麻色の髪の乙女(La fille aux cheveux de lin)(1882~84)[歌曲]
・エクローグ(Eclogue)(1881~83頃)[歌曲]

多くの歌曲作品を残した「フォーレ」の以下の作品の数と遜色ないほどであることがわかる。
・イスパーンの薔薇、・薔薇、・ネル、・リディア、・消え去らぬ香

フォーレも5作品、ドビュッシーも同じ作品の数であるから、フォーレ同様、象徴派の詩人の中でも高踏派といわれる詩人にも目を向けていたことは注目されることだろう。

『柵に近く詩人ル「コント、ド、リール」の石像の周囲には、五色に色分けしたチユリツプの花が、明い日光を受けて錦の織模様のやう。』

『五日前コロンボに寄港した時には仏陀の生れた島と云い,歌劇ラクメの舞台を思い,さては又詩人キップリングや「ルコント、ド、リール」の事を思い…』
上の文章は、クラシック音楽にも造詣が深く、仏詩人を多く紹介したことで知られる「永井荷風」の「巴里に於ける最後の一日」および「新嘉坡の数時間」に書かれた「ルコント・ド=リール」についての思いである。

そのような詩人「ルコント・ド=リール」の作品が「亜麻色の髪の乙女」。
そしてこの詩は「リール」の作品「古代詩集」に収められた「スコットランドの歌」の中の一つである。

作品は1852年に発表され、それをドビュッシーが1882~84年に掛けて歌曲として作り、同タイトルを後の1909~10年に前奏曲一集の、8番目のピアノ作品とした。
タイトルも曲調も素晴らしいから、第一集の前奏曲集中でも、最も有名な曲となって、ドビュッシーのピアノオムニバスでも、仏ピアノ曲集においても必ず取り上げられる有名曲となって今に至るのである。

18世紀末から19世紀初頭に顕著となった・・・ケルト系の民話・民謡の収集活動に刺激され、影響され、興味を示したのであろうか、またブリテン諸島からヨーロッパ大陸に渡ってきた「ブロードサイド」が伝える奇妙な昔話に興味を持ったのだろうか、「ヘルダー」や「ロバート・バーンズ」「セシル・シャープ」の詩集や曲集を読んだのだろうか。

ともかく「ルコント、ド、リール」がケルトの地、「スコットランド」あるいは「アイルランド」の「オールドバラッド」を何らかの方法で読み解いたことは想像するにたやすいことだろう。

彼は見知らぬケルトの国の民話の妖精やバラッドに登場する人物像などを「あどけない少女」のイメージとシンクロさせることによって、この詩を完成したと推理することは可能である。
ヨーロッパ大陸の人たちにとって、ブリテン諸島はある種幻想の土地であり、日キリスト教の社会が長かった土地で、妖精の国、自然神の国・・いわば異宗教異民族の異国であろう。
それは古代ギリシャローマへの憧れとリンクするように、しかももう少し身近な存在であったに違いない。

かのベートーヴェンでさえ、アイルランド、スコットランド民謡をモチーフとした曲を50曲以上書いているし、有名な7番の交響曲の終楽章にもアイルランド民謡を用いている。

さてドビュッシーはといえば
・民謡を主題とするスコットランド風行進曲(1894~1908)
・ヒースの茂る荒地(ヒースとはイギリス北部、アイルランドなどにおける荒れ地、そして植物のこと。ホルストは、「エグドン・ヒース(Egdon Heath)トマス・ハーディをたたえて」を作曲しており、それは、エグドンにあるヒースの茂った荒野である。ヒースは英国の荒地に生える小低木。なお、one's native heath という表現が英語にあり、生まれ故郷という意味である。)
・ピックウィック卿をたたえて(ディケンズの小説より、イギリス人の揶揄→UK国歌)
・亜麻色の髪の乙女
・沈める寺

探せばもっとあるかもしれないが、上記のように「ブリテン諸島あるいはケルトに関連する曲」を作っている。

着目すべきは「民謡を主題とするスコットランド風行進曲」で、そのものズバリ、ケルトの民謡を行進曲風にアレンジして作ったもの。
ここにフランス人ドビュッシーの、異国・・・ギリシャローマ以外、「ケルト」に思いを寄せるかのようなところを垣間見ることが出来るのではないか。

小生は以前から「亜麻色の髪の乙女」が「ホルスト」の組曲「惑星」の「ジュピター」のブリテン諸島の民謡風の旋律と類似していることに着目していた。
このことは今までどなたも指摘してこなかったことであるし、客観的な楽曲分析の能力も無いから、小生の「耳」がそういっているだけではあるが、両者で使われている「モード」・・「旋法」は、遠く古代ギリシャローマに通じ、ケルト民謡の基本ともなる、いくつかの旋法をとうして重なり合い、ミックスされているように思うのは、小生だけであろうか。

また連なって上昇下降するそして互いに呼応するような、そして美しい旋律は、なんとも類似しているように思われて仕方が無いのである。
ここに小生は
ドビュッシーとホルストが共通して使用した音楽的素材に、ブリテン諸島に口述されて伝わってきた古謡・・・「ケルト民謡」の存在が見えるのである。

そして、亜麻色とは麻布を織るために収穫した麻を束ねて干すうちに、色合いが変化しえもいわれぬほどの光沢を帯びた輝く黄色に・・・ちょうどわが国でもかつて見られたような収穫直前の稲穂が黄金色に輝く様のように、美しく・・・・少女が少し大人に変身していくような様子に例えて歌われたものではないのだろうか。

「亜麻色の髪の乙女」はスコットランドの美少女・・恐らく12歳から・15歳くらいまでの年齢層の少女で、あどけなさと、女としての色気が少し出てきた頃。
そんな少女に対する憧れと思慕の念を、「ルコント・ド=リール」は叙情詩的作品に仕上げ、それをドビュッシーが、自ら憧れと幻想を抱いたであろう「ケルト」・・・「スコットランドの乙女」への想像を膨らませて音楽にしたためた。

それにしても「リール」の詩はなんとプラトニックなのだろう。

ちなみに
原詩の邦訳は以下のとおり。


ムラサキウマゴヤシの花畑で
歌うのは誰? この冷たい朝に。
それは亜麻色の髪の乙女
サクランボ色の唇をした美しき乙女
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った

神の気配をたたえた君の口もと。
ああ可愛い君、キスしたくなるほど!
長いまつげ、きれいなお下げの乙女よ
花咲く草原で、おしゃべりしないかい?
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った

ノーと言わないで、つれない君よ!
イエスと言わないで! 
ああ君の大きな瞳、薔薇色の唇を
ずっと見つめていたいから。
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った

さようなら鹿よ、さようなら兎、
そして赤い山ウズラにもさようなら!
君の髪の亜麻色に口づけして
この身に捺したい、その唇の緋色を!
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った


この詩からは、詩人の乙女に対するプラトニックな恋心の表出としか読めないが、この詩の情念的源を「スコティッシュ・オールドバラッド」として読み解くと、また違ったものが見えてくる。

四行詩という形式を保持していることからも、伝統的な「バラッド」といえそうだ。
「ムラサキウマゴヤシの花畑で
歌うのは誰? この冷たい朝に。
それは亜麻色の髪の乙女」
上のこの部分・・・問いかけと、それに対する答えの存在は典型的なケエルトのオールドバラッド形式の名残を思わせる。

大胆な推理であるが・・・・
恐らくこの乙女は、誰かの手によって殺された・・・・それを慕って、哀れんで、偲ぶ歌が原型にあったのではなかろうか。

それは
「冷たい朝に」「夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った」・・このフレーズで察することが出来そうだ。

冷たい朝に歌うのは、いまやこの世の人ではない少女の亡霊なのであり、すぐに去り行く、あるいはすぐに隠れてしまう、北ブリテンの夏の太陽の日差し、姿は見えないが歌声だけがいつまでも、かすかに続き、やがて天に召されるかのように、高く舞い上がっていく「ひばり」。

少女は「ひばり」となって天に召されたのだ。
「ひばりの鳴声」は、少女が生前歌っていた歌の象徴でもある。
少女は死んで、ヒバリに姿を変えて、天に昇って、天使となったのである。

母親、父親、果ては兄弟姉妹によって身内が殺されてしまう話は、オールドバラッドにあっては、かなりの数に上る。

そう思うとドビュッシーのピアノからは、ヒバリが揚ったり下がったりしながら天高く上っていき、最後は声も姿も、見えなくなってしまうようなところを感じることが出来そうだ。

ブルッフの作品に「スコットランド幻想曲」があり、小生も好んで聞くことが多いが、この曲想も「ロバート・バーンズ」の民謡集から素材を取り込んだもの、バーンズは多方面に影響を及ぼしたから、「バーンズ」、「ジェームズ・ジョンソン」の、19世紀末から20世紀初頭の当時の音楽界への影響は、少なからず存在したであろう。

ドビュッシーが、彼らの遺産に着目したとしてもなんら違和感はないし、そればかりか、積極的に取り込んだとしても、決しておかしくは無いであろう。
恐らく、ドビュッシーにとって絵画、詩など音楽以外の作品の数々は、単にそれらを鑑賞する中での、音楽的ひらめきというだけでなく、それらが生まれる情念的背景を客観的に探る中から生まれ出でる、主観的情緒の表出と思えるから、「影響を受けて」「インスパイヤされて」などでくくってしまうのは残念なことである。

ほとんどの記述が「何から」そうなった・・・などという指摘をするのであるが、「どこに」というと、とたんに言葉が詰まることが多いから、楽曲そのものとの結びつきを分析することが迫られるのであるが、残念なことに小生にはその能力が無いことが悔しいと思うこのごろである。

by noanoa1970 | 2007-04-12 10:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリテン諸島の近代音楽

名前さえ知らない作曲家が多いのもブリテン諸島の音楽家の特徴なのか、たまたま聞いたエルガーの余白に、「フランク・ブリッジ」・・・フランク・ブリッジ(Frank Bridge, 1879年2月26日 - 1941年1月10日)の「ラメント」という曲があったので聞いてみた。
「ラメント」とは「悲歌」「哀歌」「嘆きの歌」などと言われる・・・「エレジー」とよく似た曲調を言う。
気分的には、秋もだんだん深まってきた、この時期に聞くのにふさわしい。
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哀愁が込められた伝統歌のメロディに乗った音楽が聞こえるとばかり思っていたが、その期待は違う方向に裏切られ、そこに有る音楽は、今まで聴いたイギリス近代音楽にはあまり無いが、ドイツ、フランス、その他のヨーロッパ諸国ではよく耳にするように、あと少しでその和声がj協調しあわない音楽の半歩手前・・・・イギリスでは「ブリテン」の音楽に近いものを感じたので、少々愕いた。
といっても通常ならこの年代の作品としては新しいものでなく、今まで聞いてきたイギリスの近代音楽の中では、・・・という意味においてのことだ。

期待した・・・「ラメント」だから、伝統歌がモチーフとなっているに違いいないと思ったのは、大いなる間違いだったことを思い知らされることになった。
しかしながら合奏の合間、チェロのソロで奏される哀愁有るメロディは、伝統歌の様相は呈してないながらも、ほんの少しの間だが気持ちが引き込まれる。

この作曲家、ほかの作品では、かなりヨーロッパ大陸の「近代」を感じさえるのがあるかもしれないと、ふと思ったりした。

気になったのでウイキで・・・多分資料は無いだろうと思いつつ、検索すると・・・立派なものがそこにあった。
それによると、
「スタンフォード」が先生、弟子に「ブリテン」、指揮法を学び、あの「ヘンリー・ウッド」の代役をも務めたと記されている。
「ブリテン」は、ブリッジのオマージュ的な曲を2つ書いているほどだから、よほどブリッジを尊敬していたのであろう。

第1次大戦をはさんで、作風がかなり変化したとも書かれているから、とても興味深い。
後期ロマンから新ウイーン派への流れを一人で体験、作風もそのように変化したというイギリスの音楽家としてはまれな存在だから、今後もっと多くの作品を聞いてみたい人である。

ピアノトリオのいくつかに、「無調」と題されるものがあるのも興味深い。
このところNAXOS盤にお世話になることが多い。
新規発掘には今一番の音盤を持つレーベルで、感謝に耐えない。

by noanoa1970 | 2006-10-18 12:26 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリテン諸島の近代音楽

サミュエル・コールリッジ・テイラーという作曲家は、イギリスでは始めての黒人の血が入った音楽家である。小生はそのことをまったく知らなかったが、彼の「アフリカ民謡による交響的変奏曲op63」を聞いていて、なぜアフリカ?と疑問に思ったので調べると、彼の出自が明らかになった。
なるほどそうだったか、しかし小生の好みの、「バラードイ短調op33」を聞く限りにおいては、まったくそのような生い立ちが有ることなど感じさせなかった。

フランスにも黒人の血を引く作曲家「ジョゼフ・ブローニュ・サン=ジョルジュ」がモーツァルトと同時代に存在して、その音楽を古いレコードで聞いたことは、以前のブログでも書いたが、、イギリスにおいても、時代は新しくなるが、そのような音楽家がいたことは非常に喜ばしく、そしてその音楽に興味がわいてくる。
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本日は
「バラードイ短調op33」を聞くことにする。
ブリテン諸島の、いずれかの地に生まれた、音楽家の作品とばかり思って聞いていたが、この曲はそれほどまでに「黒人の血」を感じさせない。
小生はこの曲の主題らしき旋律に、アイルランドの伝統歌「素早き戦士」をみることができた。
この「素早き戦士」は、アイルランドの伝統歌の伝道者として、世界的に有名な「チーフ・タンズ」のアルバム「ロング・ブラック・ベール」で、「ポリス」の「スティング」が古代アイルランド語で歌う。勇ましいアイルランドの兵士を歌ったもので、恐らくくは、戦士が戦場に向かうときの、「行進曲」であろう。

余談であるが、「ロング・ブラック・ベール」とは、おそらく「婦人の喪服」を指しているものと思われ、ローリング・ストーンズの「ミック・ジャガー」によってアルバムの中で歌われる「バラッド」は、夫以外の男を愛した女が、夫を殺害する。そして愛した男が死んだ後にも、「ロング・ブラック・ベール」を身に付け、墓の中の男に会うために、夜な夜な男の墓を訪れる・・という「ほかの男を愛した女の夫殺人」の実話を歌ったもの。
小生は、このアルバム以前に「ザ・バンド」の「レヴォン・ヘルム」が歌っているのを覚えていたが、これも素晴らしい演奏。
ドラムをたたきながらの彼の声は、おどろおどろした詩の内容ピッタリである。

この伝統歌を「テイラー」は編曲して使ったものと小生は推測している。
その性であろうか、この曲の中間部までは、勇ましい曲調で突き進む。去年の暮れ、TVがスペシャル番組ばかりとなった時期に、有るTV曲のクイズ番組の合図に、この曲の冒頭が突然鳴り響いたのには少々ビックリした。
しかしまだまだ作者も曲も無名に近い。
中間部は勇ましさが消えて「牧歌的」な局長となる、このオーケストレーションは、アルバート・ウィリアム・ケテルビー(Albert William Ketèlbey, 1875年 - 1959年にそっくりのところが有る。テイラーは、1875ー1912、若くしてなくなっているしケテルビーの有名作品は彼の死後のものだから、参考にしたのはケテルビーなのかもしれない。

簿家的な中間部を過ぎると再びあの「素早き戦士」の編曲らしき、勇ましい音楽となって終わる。12分ほどの曲だが中身は濃いものがあり、小生は好きである。

by noanoa1970 | 2006-10-12 09:00 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリテン諸島の近代音楽・・・「アイルランド牧歌」

「ピーター・ドッド」という作曲家の名前は今まで一度も聞いたことがない。勿論作品にいたっては耳にしたこともなかった。
彼の詳細については全くといっていいほど分かるものがなく、1930年生まれとだけ表記がある。現在76歳で存命ということだ。

d0063263_13382683.jpg「アイルランド牧歌」という名前の・・・いかにもアイリッシュ好きの心をくすぐるような曲名に惹かれて、聴いてみることにした。

美しいメロディラインが、垢抜けしたブラームスのような和声の上で、哀愁を誘うハーモニーをかもし出す・・・RVWの「グリーンスリーヴス幻想曲」にも似た曲調の耳になじむ音楽であった。

d0063263_13354356.jpg引用されたメロディは、聴き覚えがあったのでアレコレ探したが、同じような曲調が多いアイルランドの古謡だから、なかなか特定できず、手持ちのものを片っ端から聞くうちに、漸くチーフタンズの「BELLS OF DUBLIN」というクリスマス音楽のアルバムで、ゲストの「ナンシー・グリフィス」が歌う、「THE WEXFORD CAROL」・・・「ウエックスフォードのキャロル」と同じと判明した。
アイルランドやブルターニュに伝わる古謡やキャロルは、良く似たものや、耳に慣れ親しんだものが多い。
「牧歌」は・・・夕暮れに神と自然両方に感謝と祈りをささげるような・・・聖と世俗両方の要素があると思われるから、キリスト教が異教徒懐柔策として活用したであろうキャロルは、意図的に聖と世俗両義の要素を兼ね備えたものだったのだろう。

「キャロル」は、だから例えば教会にいけないような人々にも、古謡・民謡の要素を取り入れたことで、広く歌われたのかもしれない。
聖と世俗をつなげる存在としてのキャロルは、異教徒の地においては重要な存在であったと思われるのである。

「ドッド」の音楽は近代音楽的手法など、一切使用しないで、親しみやすく、誰からも好かれるような作風がある。「音楽は誰のためにあるのか」・・・そんな根源的な問いかけに対する答えがここにあるように感じられた。
何度でも・・・リピート指示して繰り返し聞きたい音楽である。

ブリテン諸島の音楽にはそのような心持にさせるものが多い。

by noanoa1970 | 2006-09-19 13:31 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ジョン・ラターを聴く

「ラター」というと、思い浮かぶのはフォーレのレクイエムの「ラター版」、そして自身のレクイエム、wそして数々の合唱曲である。
彼の音楽は親しみやすく、まるで「スクリーン・ミュージック」のような、聴きやすさを持っている。
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現代の作曲家にしては、かなり珍しい存在である。彼は1945年生まれというからまだ60歳になったばかり、その彼がなぜロマン派以前の語法によるところの多い音楽を作るのか、不思議であるが、彼は聖歌隊に長くいて、合唱指揮を経験。その後「ケンブルッジ・シンガーズ」を結成。わが国でもアマチュア合唱団が良く取り上げたことも有って、名前が知れることとなった。

小生は第2稿「ラター版」のフォーレのレクイエムはたいそう気に入っていて、最近ではよく聴く音盤となっているのだが、其れまでは「ラター」という音楽家を「パーセル」などと同時代の音楽家であると、誤解をしていたものだ。

レクイエムを聴くと随所に、グレゴリオ聖歌の引用らしき旋法の音階が見られ、合唱曲では、ブリテン諸島の民謡らしきメロディが聞こえてくる。
この辺りは、「ラター」が、ブリテン諸島に伝わるキャロルの編曲ワークによって、培われたところが大きいと思われる。

イングランド、スコットランド、アイルランド、そしてブルターニュには古いキャロルや民謡がまだ残っていて、19世紀末から20世紀初頭には、それらの収集活動が盛んに行われた。「セシル・シャープ」はその代表格である。

今日は「ラター」の弦楽合奏のための「組曲」を聴くことにした。
ここ最近イギリス近代音楽を好んで聞くようになってきたのだが、其れはまだ小生の未知の分野の作曲家が多いのと、彼らはほとんどいずれもが「伝統」を強く背負っていると思われるようなところが、音楽に表出していると感じられ、その多くが民謡やバラッド、オールド・フォークソングを取り込んでいるように思うからである。

「ラター」の「組曲」は以下の4曲からなり、弦楽器のみで演奏される29分余りの、耳辺りの非常によい曲。
対峙して聞く曲ではなく、紅茶でも飲みながら、焼きたてのバタークッキーでも食べながら聴く・・・そんな感じの曲想である。
それが気に入って、数日前に入手したその音盤を、すでに5回以上聞いた。
耳へのなじみ具合は、並み居る作曲家の中でもダントツで、イギリスの作曲家で比較すると、小生の好きな「ディーリアス」より、もっともっと大時代的。

「ライト・クラシック」あるいは「軽音楽」といえそうなところもある。しかしところどころに「仕掛け」ら敷物が見えるが、其れは「聴いてのお楽しみ」・・・ということにしておこう。

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クラシックファンからは余り評価されないかもしれないが、その代わり、恐らく聞く人を選ばない「ポピュラーミュージック」であるといえるだろう。
「ポピュラーであるが、流行歌ではない」ところに、「ラター」の「ラターらしい」ところがあるのかもしれない。それはやはり伝統と、現代を「美しく響くハーモニー」という一転で、融合した、其れが現代においては、逆説的に、稀有で、独特の音楽となっているように思えるからである。
1..さすらい
2.私の青の縁取りのオンネット
3.オォ、ウォリーヲォリー
4.アイロンを掛け捲る

3曲の「オォ、ウォリーウォリー」は有名な民謡、「The water is wide」として、アメリカでもカントリー、ポップス、フォークの歌い手が好んで取り上げる曲である。
「ピート・シーガー」「ボブ・ディラン」「ニルソン」「トム・パクストン」「ロジャー・マッギン」「キングストン・トリオ」「カーラ・ボノフ」「ジェームス・テイラー」「中川イサト」「白鳥英美子」などなどいろいろな人が歌い演奏している。

このような有名な民謡が「ラター」の編曲の手になると、哀愁とともに気品が生まれてきて、幾度聴いても飽きることのない、「したたかな作風」になっているのが憎いところである。

音盤はNAXOSの「ロイヤル・バレー・シンフォニア」というマイナー演奏団体ではあるが、表情豊かで、色彩感アリ、アンサンブルもうまく、良く鍛錬されたものだ。ヒョットすると、有名オケからの「トラ」なのかもしれない。

by noanoa1970 | 2006-09-05 08:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

東京物語の色・・・そして「鶏頭と毛糸」

しばらくは東京物語については書くまい・・と、思っていたが、気づいたことを忘れないうちに・・・・

東京物語にハ、モノクロの作品だが、その中には「小津の色」を感じるところが多い。
気が付くものを挙げてみた。

老夫婦が東京の長男宅に到着する前に映される映像。青空に白い洗濯物。対比がきれいで、誰にでも「青としろ」野色彩を連想させる、しかし・・・・この映画の大きな特徴である、と小生は思っているのだが・・・「風」を感じることは一切ない。

「東京物語」の「風」については改めて・・・・・・
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突然映し出されるウロコ雲の有る青空。
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「とみ」が亡くなった後の尾道の家、玄関を通して「紀子」が映る。玄関脇には、「鶏頭」の「赤」がモノクロフィルムにも拘らず、鮮やかでとても効いている。
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この「鶏頭」・・・小生の幼児期には、どこの家の庭にも植わっていたのを覚えている。とても変わった「花」なので、近所の年上の女の子に名前を聞くと「毛糸」というので、赤い色の「毛糸」で出来ているように見えるから「毛糸」というんだと、勝手に思い込んでいた。
「毛糸」≠「鶏頭」・・・鶏の「とさか」に似ているからという呼び名であることを知ったのはずいぶん後のことであった。

良く似た話では
「台風一過」の青空・・・とラジオでよく言っていたのを「台風一家」の青空と思って、台風は怖いからその筋の人たちに例えて言っているとばかり思っていた。

童謡の
「ウサギ追いし、かの山」は、「ウサギ美味しい」と思っていた。これは続いて「小鮒釣りし・・・」とあるから、この唄の人は昔野山や河川で食糧を取って食べていた人なんだ・・・と思っていた。

さらに
国家「君が代」は小学生になると歌う機会が多くなったが、ほとんど「国旗」掲揚とともに歌われたので、その唄の意味は99%分からなかったが、「細石の巌となりて・・・・」のところを「さざれいしの(意味は全く分からない)祝おうとなりて(祝祭日やおめでたい行事に良く歌ったから、祝おうということになって・・・・)とばかり・・・そこのところだけ意味がわかったような気持ちになっていたことを思い出す。

[日本国国歌」「君が世」の意味が理解できるようになったのは、高校生になったときであった。

小学校でも、中学校でも「日本語教育」の方法がまずかったbのか、「戦後民主主義教育」の弊害なのか、例えば「唄」においても、その歌詞の意味を理解しないまま覚えさせられていたのであった。もっとひどいのは「日本の国歌」の意味を全く教えずに、見よう見まねで歌わせてきたことである。
これについては、いまだに祝祭日にはきちんと、玄関先に国旗を掲揚する父親からも教えられなかった。
「国歌」の意味を教えることは、ある種のタブー性を、当時持っていたのだろうか。

世の中は自民党総裁選で持ちきり、もうすでに決着がついているようであるが、「憲法改正」「教育基本法」の見直しもマニフェストに上げているようだが、「国歌」については誰も黙して語らない。

日本国「国歌」は、果たして今のままでよいと思う人が多いのだろうか、それとも少ないのだろうか。
小生はこのまま残すのは反対ではないが、さらにもう一つ新たに作り、例えば、オリンピックやサッカーなど対外的なスポーツなどの際に使用する「第2国歌」を制定してもよいと思っている。

今の「国歌」は、確かに慣れ親しんできたし、趣き、落ち着きがあって、一昔前の日本人・・・という感じはあるのだが、今一つ「覇気」に掛けるように思う、それに中身が分かりにくい。

靖国問題ばかりに言及しないで「国歌」についても考える場を提供したらいいと思うのだが・・・・
国民からの「公募」で「第2国歌」を制定する・・・・こんなアイディアでないものだろうか。

by noanoa1970 | 2006-09-02 09:24 | 小津安二郎 | Comments(0)

鐘よ鳴り響け・・・古関裕而と「鐘」

古関 裕而(こせき ゆうじ)、 1909年(明治42)8月11日~1989年(平成元)8月18日)を知らない人も(多分居ないと思うが)、彼の曲を一度や二度は聴いているはずである。関西人なら阪神タイガースの歌・・・六甲おろし、関東人なら早稲田大学の応援歌「紺碧の空」、読売巨人軍の応援歌「闘魂こめて」でおなじみのはずだ。

さらに若鷲の歌(予科練の歌)」「露営の歌」「ラバウル海軍航空隊」といった、戦時の歌も多く作っている。
晩年にはTVの音楽番組の審査員としても良く登場していたのを見た人も多いはず。

明治から平成と4つの時代を生きた作曲家であリ、残る作品は数多い。彼は音大を出てない在野の作曲家であったことはその作品からは想像することが難しいほど、こなれていて、20歳の時、舞踊曲『竹取物語』ほか4曲がイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し入賞した・・・というからその才能は海外からも認められたほどのものがあったのだろう。

そんな彼が戦後の復興期に「鐘」にちなむ曲を残している。

『フランチェスカの鐘』d0063263_10125357.jpg






『長崎の鐘』d0063263_10194580.jpg


『ニコライの鐘』
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そしてラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌
『とんがり帽子』d0063263_10221045.jpg
である。

後に出版した
『古関裕而―鐘よ鳴り響け』 ISBN 4820542575
『鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝』(主婦の友社、1980年) の再刊。
(古関正裕との共著) 『風景の調べ―古関裕而スケッチ集』 古関裕而、1988年。
のタイトルにも「鐘」という文字が見られるから、彼は「鐘」に特別の思い入れがあったのだろうと思われる。

さてこの「鐘の鳴る丘」そしてその主題歌『とんがり帽子』を、小生はなぜか良く覚えていて、(昭和22年7月から3年半にわたってNHKラジオから放送された)から、小生が生まれたとほぼ同時期に放送開始されたので、勿論リアルタイムではないが、それでも「川田正子」が歌う「とんがり帽子」は歌詞もメロディも暗記している。

ドラマの内容は知る由もないのだが、
GHQによる浮浪児救済キャンペーンとして始まったこの番組はなかなか好評でその後、4年間、790回にもおよぶ番組となったという。

『連続放送劇『鐘の鳴る丘』は、昭和22年7月から3年半にわたってNHKラジオから放送され、古関裕而作曲の主題歌「とんがり帽子」とともに大流行した。昭和23年には、松竹によって映画化され、全部で3本作られている。主人公である浮浪児たちの喜びや悲しみに、敗戦間もない日本中が涙し、国民の心に明日への大きな希望を育てた。
 『鐘の鳴る丘』の舞台となった孤児院は、戦中、岩谷堂に家族を疎開させていた菊田一夫が、疎開先の旅館から見た岩手県江刺市南町(奥州市江刺区南町)の岩谷堂町役場(現明治記念館)の建物をモチーフにしたと言われている。現在、明治記念館からは、午前7時と午後5時に「とんがり帽子」のメロディーが流れている。』との解説があった。

放送中は銭湯がカラになったという 、あの「君の名は」の「菊田一夫」の作、そして「古関 裕而」が主題歌を作り、この正月に亡くなられた「川田正子」さんが歌った「鐘の鳴る丘」である。

『ドラマは、戦争が終り、復員してきた若者・加賀美修平がガード下で浮浪児にカバンを奪われそうになるところから始まります。その浮浪児は隆太といいました。ここから、修平は、隆太やその仲間、修吉、ガンちゃん、クロ、みどりなどと交流するようになります。彼らの惨めな境遇を知った修平は、何とかしなければと考え、浮浪児たちも彼を慕いました。そして、修平の故郷が信州だったところから、孤児たちと力を合わせて信州の山あいに「少年の家」を作り、共同生活を始めるのです……。
 当時は、日本中の子どもたちが、このドラマを欠かさず聞いていました。子どもたちだけでありません。敗戦とそれに続く苦しい生活にうちひしがれていた大人たちも、このドラマによって、明日への希望を育てたといわれます。』と記述される。

鐘の鳴る丘(とんがり帽子)
作詞 菊田一夫・作曲 古関裕而 
唄 川田正子

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緑の丘の 赤い屋根
とんがり帽子の 時計台
鐘が鳴ります キンコンカン
メイメイ仔山羊(こやぎ)も 鳴いてます
風がそよそよ 丘の家
黄色いお窓は おいらの家よ

緑の丘の 麦畑
おいらが一人で いる時に
鐘が鳴ります キンコンカン
鳴る鳴る鐘は 父母(ちちはは)の
元気でいろよと いう声よ
口笛吹いて おいらは元気

とんがり帽子の 時計台
夜になったら 星が出る
鐘が鳴ります キンコンカン
おいらはかえる 屋根の下
父さん母さん いないけど
丘のあの窓 おいらの家よ

おやすみなさい 空の星
おやすみなさい 仲間たち
鐘が鳴ります キンコンカン
昨日にまさる 今日よりも
あしたはもっと しあわせに
みんな仲よく おやすみなさい


一人の青年と、孤児たちの共同生活・・・敗戦の苦しみや苦悩から明るい未来へと・・・日とりぽっちの身の上になりながらも、同じ境遇の全員が力をあわせて、逆境に耐えながら、何とか皆で頑張っていこうとひたむきに努力する姿が、多くの国民の共感を生んだことだろう。
この放送の辺りから10年間の間は「尋ね人の時間」といって、戦争で行方不明になった人の消息を連絡しあう番組があり、小生はリアルタイムでこれを聞いていたのを覚えている。

川田正子そして妹の「孝子」サンの歌う「さくらんぼ大将」も懐かしく、後の「新諸国物語」の笛吹き童子、ウテナの塔、紅孔雀、風雲黒潮丸、少年探偵団そしてNHK「1丁目1番地」、3つの歌などにつながっていく。
小生は、いつもラジオの前にしがみついている少年であった。あの頃がとても懐かしい。

by noanoa1970 | 2006-08-24 21:26 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

夏に似合う音楽・・・Richard Georg Strauß「AUS ITALIEN]

思い出だしたのは、先日NHKのクラシック音楽関連番組で「小豆島」の風景と、それにまつわる音楽という内容の放送があった。しばらく見ていると画面は坪井栄の「二十四の瞳」ロケ地の小学校の分教場を映し、そして日本三大渓谷美の一つに数えられている「寒霞渓」を映した。
ロープウエイに乗っている場面では、イタリア民謡の「フニクリ・フミクラ」がBGMで使われていたので、次は多分R・シュトラウスの「あの曲」が演奏されるのでは・・・と思っていると、ずばり的中で、「AUS ITALIEN」が、しかもサヴァリッシュの指揮でN響が演奏した4楽章が流された。

作曲家でもある司会者は、フニクリ・フニクラは民謡でなく、登山列車会社のコマソンだといい、R・シュトラウスは民謡と勘違いして素材とした、そしてこの火山は「ヴェスヴィオ火山」で「ポンペイ」がこれによって滅んだと解説した。

小生はこのとき・・・もう2・3年前になるだろうか。民放の番組でポンペイ遺跡から見えるものやその時のローマ皇帝の対応、ポンペイ市民の様子などをヴァーチャル・リアルに再現していた番組を思い出していた。

印象的だったのは火山灰によってほぼ一瞬の間に埋もれた人物や動物などの市民生活の痕跡が、とてもリアルに再現されていたことであった。
これはCGの効果ともう一つが灰に埋もれた人物、動物などは、やがてその肉や骨は消滅するのだが、そのフォルムはそのまま空洞のようにして残っていて、発掘後そこに石膏を流して型を取った、かたどりしたものは、表情でさえ分かる凄くリアルなものであったから、とても印象に残っている。

ついいまし方までお酒を飲んで談笑していた痕跡、貴婦人らしき女性が旦那の留守中に奴隷を部屋に呼び寄せているところ、得有る人の屋敷では、使用人たちを真っ先に逃がし、自分たちは家の中に閉じこもって一緒に死んでいったと見られる痕跡、集団で逃げて海沿いの洞窟に逃げ込んだのはいいのだが風向きが変わって洞窟の中に高音の火砕流が押し寄せ、全員が死んだという痕跡・・・・そのようなものを語る、火山噴火の怖さを知るところとなった番組だった。

ローマ皇帝ティトゥスの救済援助への思案の様子やポンペイの市民を救助するために船で急行したが、煙に巻かれて死んだ博物学者の大プリニウスのこと、小プリニウスによる当時の記述のことなど歴史的な説明も興味がもてた。
BC1世紀のことである。

フニクリフニクラはポンペイを、滅亡させたヴェスヴィオ火山のことであり、民謡とされるものは実は「登山電車」に人が集まらないので人集めのためにと依頼して作らせたCMソングである。
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調べてみると
『1880年にベスビオ火山山頂まで観光客を運ぶ登山電車として、トーマス・クック旅行会社により敷設された「フニコラーレ(ケーブルカー)」は非常に急勾配であったため、オープン当初はほとんど利用客がいなかったそうです。そこで客集めのためにトーマスクック(左図)がイタリアの作曲家ルイジ・デンツァに作曲を依頼したのが、この「フニクリ・フニクラ」です。毎年9月初旬に行われるピエティグロッタの祭り」で始めて発表され人気になりました。このフニコラーレは1944年3月22日の大噴火が原因で廃止され、現在は2人用の腰掛けリフトが観光客を火口付近まで運んでいます』・・・・・・という記述が有った。

d0063263_10231825.jpgさて
「民謡」「幻想曲」などのつながりと「火山」と「灼熱の夏」の連想でイギリス音楽から一気に「ドイツ人」「イヒャルト・シュトラウス」の手を借りてでイタリアまで飛んできたわけです。

交響的幻想曲「イタリアから」は、
①カンパーニャにて
②ローマの廃墟にて
③ソレントの海岸にて
④ナポリ人の生活
以上の4楽章からなっていてその4楽章「ナポリ人の生活」にフニクリ・フニクラの旋律がそのまま使われています。
小さい頃から親しんだそのメロディがそのまま使われこの曲を聴いた時には、そのあっけらかんとした使い方にビックリ仰天したものでした。ここでのR・シュトラウスは余り彼流の「ひねり」を入れないで曲を作っていて、夏の明るいイタリアの日差しのように・・・能天気なところさえ感じられます。
全体を通して聴いても「交響詩」とは趣の違うシュトラウスを感じることが出来そうです。
晩年の宗教的な作品「4つの最後の歌」「メタモルフォーゼン」についで好きな曲となっている。

「民謡」とされるフニクリ・フニクラは作者もスポンサーも会ったわけだから今なら多分盗作などで「訴訟」へ発展する可能性もあるのだろうが、時代が良かったのか、お互いにメリットがあったのか、密約があったのか・・・・「版権」が確立してなかったのか。
とにかく文化・芸術的には「よき時代」であったことは間違いないことだろう。

by noanoa1970 | 2006-08-11 10:37 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

夏に似合う音楽・・・Albert William Ketèlbey「In a Persian Market 」

「ヴォーンウイリアムス」へとやってきたからには「グリーンスリーヴス幻想曲」を聴かなくてはとまたまたレコード棚を漁って、d0063263_918832.jpg「エードリアン・ボールド」とウイーン国立歌劇場管のLPを取り出した。ついでに東芝EMIが昔「ディーリアスの音楽」と題し、シリーズで「トマス・ビーチャム」とロイヤルフィルでかなりの枚数のアルバムを出した中のものが見つかったので、次に聞くべくそれも出しておいた。

さて「グリーンスリーヴス幻想曲」は、誰もが知るところの「イギリス民謡」をヴォーンウイリアムスが思い入れタップリの管弦楽に編曲したものだ。
そして最近の傾向として「グリーンスリーヴス」とは女性が身につける「緑の袖」のことで、それを「不倫」の象徴とする、何の民俗学的解釈も、ロマンも、そしていかにも「トリヴィア」的な説得力なき通説がまかり通っているのがとても気になるところである。

小生に言わせれば「グリーンスリーヴス」はそもそも「イギリス民謡]ではない。
ある文献によると、このバラッドが採取されたのは、イギリスとスコットランドの国境近くであったというし、オールドバラッドの系譜を紐解けば、「緑」そして「小袖」は着物の上からは織る大き目のスカーフであるから、これは「ケルト」の風習である。ケルト文化では「緑」は森の「妖精」を表すのだ。

したがってこのバラッドは戦場へと旅立つ兵士あるいはもう少し身分の高い軍人が、貴族や自分の領主の夫人に寄せた愛の歌であり、女権制の伝統から「奥方様を敬う風習」があったわけで、それが淡い恋心となったこと、そして奥方は自分の着ている緑のスカーフを戦場に赴く、自分を慕う若き兵士にそっと与えた・・・そんな歌なのである。

このバラッドを「イギリス]のものであるとすると、とたんに「チャタレー夫人・・・」のように解されてしまうことになり、多くの誤解を生むことになるから困りものである。
「真実」は分からないが、少なくとも小生は「グリーンスリーヴス」を、そのようにかなり昔から解釈するようにしている。

「幻想曲」も夏向きであるには違いないが、今日メインに取り上げるのは
「ケテルビー」である。
d0063263_950656.jpgケテルビーというと、小学生か中学生の頃音楽の時間に聞かされた「ペルシャの市場にて」が有名で・・・というかこれしか有名でないというか、よほどのクラシック好きでも彼の音楽を「市場」、「僧院」以外に聞く人は稀であろう。というより、ヘヴィーなクラシックファンはケtレルビーなど聞こうともしないのだろう。
小生も40年以上彼の音楽は「市場」以外に耳にすることはなく、積極的に聞こうとはしなかった。

聞いてみようと思い立ったのは、今から15年以上前のこと隔週発行の「サライ」という雑誌が気に入って、初号からずいぶん長く読んでいたのだが、その中の音楽コーナーでどなたかは忘れたが、久々の「ケテルビー」はとても新鮮、懐かしくも新しくも有る・・・などと評した記事を読んでそういえば「ケテルビー」全く聞いてないと、早速CDを入手することにしたのが今日取り上げたものである。
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夏に何が似合うかといえば、やはり「ペルシャの市場にて」の真夏の太陽がギンギン照り付ける市場通りに並ぶ露天、その通りを行きかう様々な人の姿、そして時々木陰を思わせるような静けさがあり、そこを抜けると再び人々の声高になにやら叫ぶ声。
長い道路沿いにある露天の商店街を歩いて、いろいろなものを見聞きしているような風景がそこにある。
真夏の太陽と、豊富な野菜や果物、冷たく冷やした飲み物、灼熱の太陽と木陰のありがたさ。
そんな風情が沢山味わえる音楽で、改めて聴いてみてそのよさを認識した。
このCDには知られざるケテルビーの曲が10曲収録されているが、彼は「劇伴」あるいは「パロディ」作曲家のような・・・この世界では一段低く見られるような音楽を随所に聞かせるが、けれんみのない楽しい音楽が満載で、イギリス近代音楽の中では「異端児」といえそうだ。

彼の経歴など詳しくはわからないのだが、楽曲からはケテルビーは職業音楽家ではないような感じがする。そんな素人風の音楽風情が素晴らしく非イギリス的でよい。

by noanoa1970 | 2006-08-09 09:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

夏に似合う音楽・・・the banks of green willow

今日は朝から「BAX」の交響曲6番を聞いていたが、ちょっとだけだが重苦しい・・・といっても通常聞く分にはかなり爽快な音楽ではあるのだが、この湿った暑さにはもうすこしスッキリと行きたいよこだ。

そこで取り出したのはイギリス音楽系統の・・・なぜかイギリス音楽ばかりに手が伸びる・・・「ジョージ・バターワース」の作品。
「バターワース」「George Butterworth」(1885-1916)は、非常に短命だった作曲家で、残された作品は両手の指に余るほどである。
ギリス音楽の再評価において知られることとなり、いくつかの作品は演奏会でも取り上げられるようになり、録音もかなりの量が出ているが、一昔前までは知る人はごく少数であった洋に思う。

独仏音楽に飽きてきたのだろうか。アイルランド、スコットランド、イングランドの民謡の持つ郷愁が「癒し」などと結びつき、クラシックにおいてもそれらの素材を使ったイギリス音楽の作品が見直されてきたのだろうか。

小生などは、ことクラシックのイギリス音楽においては、
和製フォーク→ブルーグラス、カントリー→アイリッシュ、ケルト音楽→オールドバラッド・・・ロックでさえブリチッシュが好きになり、そして少しかじった古くはパーセル、そしてエルガー、ブリテン、ホルスト、ウォルトン、ディーリアスなど近代イギリス音楽を経て少しディープな・・・ハーティ、スタンフォード、バックス、テイラー、マッキャン、グレインジャー、ウォーロックといった知られざる?イギリス音楽の世界にくることになった、変わり者である。

今日はその中で
the banks of green willowという小品を聴くことにした。この原題は「青柳の堤」と訳されることが多いが「青柳(ういろう)の包み」
と・・・3時のおやつ・・・これは「大須ういろう」だが・・・を思い起こしてしょうがない。
他の訳がないかと探すと、小管弦楽のための牧歌「柳青める堤」というのが見つかったので、これからそのようによぶことにした。

音楽は非常にメロディアス、特に中間部のイギリス民謡「green bushes・・・緑の茂み」のアレンジは素晴らしい。だれかれとの影響を受けている・・・なんていうことは、この曲を取り上げることとは、余り関係ない話でここでは言いたくもない。
この曲を聴くと、「イングランド」の田舎・・スコットランドやウエールズに近いところの「夏」とはこんな雰囲気なのだ「ヴァーチャル・ブリティッシュカントリー・サマー」・・・を味わうだけで満足である。

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2つのイギリス田園詩曲
シュロップシャーの若者
青柳の堤他

グラント・レウェリン指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
録音 1991年9月

by noanoa1970 | 2006-08-07 09:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)