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東京からの荷物

東京の息子から宅急便が届いた。
そんなに大きな箱でもなかったので、家内が片手で受け取ろうとすると、配達の人に「重いですよ」といわれ、受け取ってみると、本当にずしりと重かったという。

一体何が入っているのか、箱を開けると、
前から小生が欲しかったゴアテックスのトレッキングシューズだ。
少し前、電話があって、三鷹だったか、吉祥寺だったか、「LLビーン」の店を物色していたら、格安のものがあったそうで、自分の足を入れてみると、ちょうどのサイズだったから、多分入ると思うから・・・

もしサイズが合わなければ、そのときは自分が履く、そのつもりで購入したと聞いた。
小生は通常25.5のサイズだが、LLビーンのそれは計算すると、25.0に相当するが、ユッタリ目に作ってあるらしいという。
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靴の裏は「ビブラムソール」。最近のものは昔のものとはデザインがかなり違うが、材質も、昨日もUPしていて、何よりも軽くなっているようだ。


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しかし、
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それだけでそんなに重くなるはずは無く、さらに、息子が愛用していて、なんでもここの羊羹は、早朝5時ごろから並んで買わないとすぐ売り切れるという、吉祥寺の「小ざさ」の・・・羊羹ではなくて、最中の箱が入っていた。

小さめの最中で、白と黒の餡両方ともに、なかなのもの。この最中のデザインは唐草模様らしいのだが、なぜなのか、とても気になるところだ。


恐らくトレッキングシューズは、来る父の日、「小ざさ」の最中は、先日の家内の誕生日祝いのつもりであろう。

今回は出張が重ならなくて、宅急便を使ったと思われる。

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しかし、この2つだけでは全く重くはないが、なんとさらに、重量超過の新犯人が居て、それは袋入りのスパゲティの乾麺が4袋と、おまけに「オリーブオイル」までが入っているのだった。これだけで3K有るから、さすがに重くなったのだ。
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スパゲティは、昔から小生が作って、息子に食べさせたことが何回もあるし、茹で方も、茹で加減も、ソースも、合わせ方も習得しているはずだから、きっと自分で作って食べようと思って、珍しげなメーカーの乾麺を買い求めたのだが、手に負えなくなったのか、あるいは今度帰って来たときに、美味しいスパゲッティが食べたいから、これで作ってくれということなのか。

メーカーも、種類も、太さもアレコレ違うものを取り揃えているようだから、恐らく、自分で試食し、美味しい麺を探すつもりだったのか。

それはともかく、新しい味を追求、発見するのは小生の楽しみでもあるから、ここは黙って、今度帰って来たときに作ってやろう。

どこで購入したか、分からないが、さすがに東京のマーケットは、バリエーションが豊富である。

いろいろ試した結果、1970年NOANOAで使った「ブイトーニ」が、やはり世界で一番美味しい乾麺だと、長く信じてきたが、どうやらその神話も崩れるときが来るのかもしれない。

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太麺は「カルボナーラ」、中太は「ペペロンチーノ」、細麺を「トマトソース」で、中にオーガニックパスタがあるから、歯ごたえや食感は勿論、麺の味そのものも、味わいたいものだ。

もろもろの感謝の一日であった。

by noanoa1970 | 2008-05-26 19:06 | トピックス | Comments(2)

東京物語の色・・・そして「鶏頭と毛糸」

しばらくは東京物語については書くまい・・と、思っていたが、気づいたことを忘れないうちに・・・・

東京物語にハ、モノクロの作品だが、その中には「小津の色」を感じるところが多い。
気が付くものを挙げてみた。

老夫婦が東京の長男宅に到着する前に映される映像。青空に白い洗濯物。対比がきれいで、誰にでも「青としろ」野色彩を連想させる、しかし・・・・この映画の大きな特徴である、と小生は思っているのだが・・・「風」を感じることは一切ない。

「東京物語」の「風」については改めて・・・・・・
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突然映し出されるウロコ雲の有る青空。
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「とみ」が亡くなった後の尾道の家、玄関を通して「紀子」が映る。玄関脇には、「鶏頭」の「赤」がモノクロフィルムにも拘らず、鮮やかでとても効いている。
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この「鶏頭」・・・小生の幼児期には、どこの家の庭にも植わっていたのを覚えている。とても変わった「花」なので、近所の年上の女の子に名前を聞くと「毛糸」というので、赤い色の「毛糸」で出来ているように見えるから「毛糸」というんだと、勝手に思い込んでいた。
「毛糸」≠「鶏頭」・・・鶏の「とさか」に似ているからという呼び名であることを知ったのはずいぶん後のことであった。

良く似た話では
「台風一過」の青空・・・とラジオでよく言っていたのを「台風一家」の青空と思って、台風は怖いからその筋の人たちに例えて言っているとばかり思っていた。

童謡の
「ウサギ追いし、かの山」は、「ウサギ美味しい」と思っていた。これは続いて「小鮒釣りし・・・」とあるから、この唄の人は昔野山や河川で食糧を取って食べていた人なんだ・・・と思っていた。

さらに
国家「君が代」は小学生になると歌う機会が多くなったが、ほとんど「国旗」掲揚とともに歌われたので、その唄の意味は99%分からなかったが、「細石の巌となりて・・・・」のところを「さざれいしの(意味は全く分からない)祝おうとなりて(祝祭日やおめでたい行事に良く歌ったから、祝おうということになって・・・・)とばかり・・・そこのところだけ意味がわかったような気持ちになっていたことを思い出す。

[日本国国歌」「君が世」の意味が理解できるようになったのは、高校生になったときであった。

小学校でも、中学校でも「日本語教育」の方法がまずかったbのか、「戦後民主主義教育」の弊害なのか、例えば「唄」においても、その歌詞の意味を理解しないまま覚えさせられていたのであった。もっとひどいのは「日本の国歌」の意味を全く教えずに、見よう見まねで歌わせてきたことである。
これについては、いまだに祝祭日にはきちんと、玄関先に国旗を掲揚する父親からも教えられなかった。
「国歌」の意味を教えることは、ある種のタブー性を、当時持っていたのだろうか。

世の中は自民党総裁選で持ちきり、もうすでに決着がついているようであるが、「憲法改正」「教育基本法」の見直しもマニフェストに上げているようだが、「国歌」については誰も黙して語らない。

日本国「国歌」は、果たして今のままでよいと思う人が多いのだろうか、それとも少ないのだろうか。
小生はこのまま残すのは反対ではないが、さらにもう一つ新たに作り、例えば、オリンピックやサッカーなど対外的なスポーツなどの際に使用する「第2国歌」を制定してもよいと思っている。

今の「国歌」は、確かに慣れ親しんできたし、趣き、落ち着きがあって、一昔前の日本人・・・という感じはあるのだが、今一つ「覇気」に掛けるように思う、それに中身が分かりにくい。

靖国問題ばかりに言及しないで「国歌」についても考える場を提供したらいいと思うのだが・・・・
国民からの「公募」で「第2国歌」を制定する・・・・こんなアイディアでないものだろうか。

by noanoa1970 | 2006-09-02 09:24 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・「しげ」・・・その性悪ぶりと合理的精神

今日から9月。8月中に「東京物語」について書こうと思っていたのだが、まだまだ書き足りないところが沢山ある。大きな課題として残されたのは「紀子」の言動。「とみ」が2度目に「紀子」のアパートを訪ねたときの夜のこと、そして葬式が終わった後の「紀子」と「京子」の会話。
「とみ」の形見をもらう時に「周吉」に「私ずるい」と言った、の「紀子」の心理・・・・
これらの難問が残されたが、これについては、いまだ考えるところが多いから、いずれまたアップすると言うことにして、一先ずこれで最後にした。

ここではかなり強烈なキャラを方々で撒き散らしている「しげ」について書いておこう。

「小津」は作中で、東京で美容院を営む長女「しげ」(杉村春子)を、徹底的に、「性悪女」として描く。しかし良く観察すると彼女の言動には「根性が悪い」だけではなく、ある種の「合理性」を強く感じることも多いのである。

それは恐らく・・・当時、田舎から東京に出てきた人間の、「生きていくための処世術」のようなもので、まして女性の身であるから、そのように生きていかなければ、野垂れ死にするか水商売をするかというほど、厳しい世の中であったのだろうと想像される。

このkyラクターがあるおかげで、作品はニ、ある種の面白さが与えられる。そして多分「私たちはあんなにひどくない・・・・」と観客が思う、そのことを計算していたのでは、あるまいか。
世知辛い世の中ではあるが、「しげ」のような生き方はいやだ・・・そんなことを思わせるのに、とても役立っているように思われる。

1953年は、朝鮮戦争が終わる年、日本は朝鮮特需で景気はよかったとされるが、庶民の暮らしは、決して楽ではなかった。安い原料は中国から入ってこないし、アメリカからの輸入物は「舶来品」で、高嶺の花。「舶来神話」は1950年代の産物であるのかもしれない。
インフレの兆で物価が徐々に高騰していく時代でもあり、まだまだ戦後真っ只中、周辺で起きた戦争の影におびえながらも、必死に生活をしていた時代であった。

「レッド・パージ」、「共産主義」の恐怖、世の中では「あの人は左」だとか右だとか・・・イデオロギーで氷魚を評価するような風潮も見られた。(小生の家でも両親が良くこのような会話をしていた。左・右とは何を言っているのだろうと不思議に思ったことがあったのを、覚えている)
(戦争への獏とした恐怖は、いつも上空を自衛隊のジェット戦闘機が爆音をとどろかせて飛んでいたので、ソ連が攻めてくるのではないかと、本気で思ったことがあった。太平洋戦争、そして朝鮮戦争の話をだれかれとなく・・・多分小学校の年上の生徒から・・・ 彼が親から聞いた話を聞き及んでいたからだと思う。)

「こんな女に誰がした・・・」ではないが、もって生まれた自分の感性や情緒、人間性などをも、放棄して、生きていくことしか出来ないご時世があったことを強く思わせる。
田舎者と、生粋の東京人の・・・具体的には見えないないけれど・・・対比のように思われて仕方がない。

周囲の目を気にしながら生きる、見栄っ張りの東京の「田舎者」と、シッカリ土着した東京人。
人情がありそうで実は人情の乏しい「田舎者」。

とても大胆な発想なのだが、「小津」は、そんな「田舎者」が大嫌いではなかったろうか。
志を持って東京に出てきた人間が失敗するが、身は落ちぶれても精神は落ちぶれない。
そのような美学、価値観を「小津」は持っていたような気がする。




東京に着いた晩、おもてなしのご馳走を用意する時に、「お肉とお刺身か何か・・・」と聞かれ、「お肉だけで沢山」と「しげ」
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義理の両親のために饅頭を買ってきた亭主に、
高いんでしょ!(両親の)「おやつはオセンベイで十分」
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「夫が・・おとうさんかあさん、どこかに連れて行かないといけないな」というと「いいことよ、そんなこと心配しなくって」
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銭湯に行こうとする母親に「お母さん、そこの私の汚い下駄、はいてってよ」
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夫の申し出を断っておいて、そそくさと義理の妹「紀子」の会社に電話する「しげ」。このときの「しげ」のよそ行きの声と、薄笑いの顔の表情は、計算づくで動く女のいやな姿を良く表現する。
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両親を熱海旅行に行かせる策略をする。それに渡りに船のごとく、と長男が乗せられる。
「相談が有るんだけど・・勿論私だって(お金)出すのよ」「そのほうが安上がりよ」
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熱海から予定より早く引き上げて帰ってきた両親に、「あらもう帰ってきたの・・・」と、お帰りなさいの一言もなしに、迷惑そうな顔で、応対する。
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美容院の客が、周吉夫婦を見て「誰」と尋ねると、「ちょっとと知り合いのもの」「田舎から出てきたの」
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周吉が酔っ払って深夜に、追い出された「しげ」のところに、友人と帰ってきた時、酔ってイスに座り、眠りこけた父親の帽子をひったくってからまた載せて
「いやんなっちゃうなもう、いやんなっちゃう、いやんなっちゃう」
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母危篤の電報を受けての兄との話
「喪服どうする、持ってったほうがいいわね。使わなけりゃ、それに越したことないから」
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尾道に到着後、母親が死んだ時に、「紀子さん、あんた喪服もって来た」「もってクりゃ、良かったわね」「京子は喪服あるの」「じゃあ借りてきなさい二人分」
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初七日の席で、全員の前でそして京子に向かって
「お母さんの・・・〇〇の柄の帯、形見にほしいの、それから〇〇の着物も・・・・京子、あれ出しといて」
「京子、私にご飯よそって頂戴」
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「でもこんなこといっては何だけど、お父さん先(に死んだ方が)のほうが良かったわね。」
「お母さんなら東京へ来てもらっても、何とかなる」けどもお父さんでは・・・・」
といって「しげ」は、全員の前で父親の面倒は見ないという宣言をする。
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by noanoa1970 | 2006-09-01 08:30 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「繰り返される日常」

しかし小津は、前にあげた「生と死」の単なる対比だけには終わらなかった。
「とよ」がなくなり、周吉は尾道での新しい生活が始まることになるのだが、小津はやはりそこまでケアーしたのである。
それは、「紀子」が尾道を去るときに乗ったであろう列車を、それまで殺風景な尾道の国鉄のレールに走らせることによって、「過去と決別」することが、漸く適うようになって、再び新しい尾道の生活をする、という意欲が湧いてきて、新しい日常が始まり、恐らくそれが繰り返されるであろうことを、小津は見るものに訴求する。

尾道の、「生と死」の象徴でもある河口付近の「船」の行き来の風景は、力強く描かれ汽笛の音とともに写されることでも分かる。

今まで聞こえなかった蒸気船の音、そして汽笛の音、機関車の力強い音が、最後になってここで聞こえてくる。
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by noanoa1970 | 2006-08-31 07:35 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「静と動」

この映像はいずれも「とよ」の生前そして死後の尾道の定点風景。
「とよ」が亡くなった直後の映像では人もいない、列車も走らない、とてもうつろ、空虚な、何もない風景画描写される。周吉、そして京子の心の中を代弁するものとして挿入されたのであろうか。前に挙げた河口付近の常夜灯の風景と重ねると、しかしどう見ても「早朝」にかこつけた小津の意識的な演出ではないだろうか。
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by noanoa1970 | 2006-08-31 07:33 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「生と死」

「とよ」が倒れ生死を彷徨っている時に描写される河口あるいは港近くの風景。船が2隻港方面から、そして川上から近づき、やがて交差する。一瞬重なるがすぐにまた離れていく。
2隻の船は「生と死」の象徴であろうか。周吉の、・・・妻「とよ」に対する思いの実感描写の象徴なのか。漸く近づいてきたのに、また去っていかなくてはならない「運命」をあらわすのだろうか。肉親の死を目の前にして、人は始めて、自分の心の中を自分で見ることが出来るのだろうか。
そんなことを思わせる印象的な映像である。
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by noanoa1970 | 2006-08-31 07:31 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情と対比

物語最初の映像。船は左から右に進行する。海に向かうのか川上に向かうのか、港に帰るのかはハッキリしないが、それはどちらでもいいのだろうが、この映像は川上、あるいは港に戻る船と見てよいかもしれない。

2枚目のの映像が恐らく「母なる海」へと出向する船なのだろう。
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「とよ」が亡くなった後の、物語冒頭と同じ風景の映像。しかし船の進行方向は画y管。
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単純に考えれば、最初の映像はお昼近くそして2枚目の映像は明け方あるいは早朝であるから、当然船の進行方向は逆でよい。
しかしただそれだけではないような隠された表現がありそうなのを強く感じる。

1枚目が希望に満ちた思いの東京行き・・・すなわち、生き生きとした「生活力」の象徴すなわち、尾道の日常。。
2枚目は肉親の「死」を体験して、漸く湧きあがってきた「静謐」すなわち尾道の非日常。

ほとんど同じような2枚の「静かで美しい「映像」から受ける印象が、物語の展開によって、かくも異なることに驚いてしまう。船の進行方向は、そんのほんの小さなことに過ぎないのだろう。

by noanoa1970 | 2006-08-31 07:30 | 小津安二郎 | Comments(0)

「東京物語」を見る・・・「うちわ」の謎-3

長旅を終えた安堵感と、やはり尾道がいい・・・そんな思いが交差する至極ユッタリとした「うちわ」。
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「とよ」が倒れ生死を彷徨う時、祈るようなな気持ちで・・・単にユックリではなく「目を覚ませ」と呼びかけるような「うちわ」の使い方・・・素晴らしい。
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家族が集まる中一人皆のため、そして母のために「うちわ」で扇ぎ続けることが、仏神に願いが届け、とばかりに、助けを請うように扇がれる末娘「京子」の「うちわ」。
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by noanoa1970 | 2006-08-30 15:45 | 小津安二郎 | Comments(0)

「東京物語」を見る・・・「うちわ」の謎-2

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熱海の旅館でのこと。老夫婦はいつもの習慣どおり、早くとこにつく。しかし慰安旅行などの行楽客の夜は長い。察するところ恐らくまだ22時前であろう、が床に就いた老夫婦は外がうるさくてなかなか寝付かれない。

始めは、そのうち静かになるだろうと、我慢しながらユックリと仰いでいた「うちわ」だが、やがて動きが少し早くなり、ついには虫が寄ってきたかのように、「パシッ」音を立てて体や顔の辺りをたたく。それでも外は相変わらずうるさい、それに文句も言えない周吉。
こんなところに来ることになってしまった自分たちの惨めさを味わうことになった、怒りと悲しみの表現でもある。

外は夕凪が終わっても相変わらず風がないのか、ほとんどの観光客は「うちわ」を手に持って、扇ぎながら談笑したり行き交ったりする。お忍びできている怪しそうなカップルでさえ「うちわ」を持っているのが面白い。

やがて周吉夫婦は我慢の限界を超えてしまい、突然布団の上に起き上がる。
この旅館で唯一静かな・・・静かであってほしいという願望の表現が、部屋の入り口に、丁寧にそろえて脱ぎ置かれた「スリッパ」。
静と動の対比」が素晴らしい映像である。

by noanoa1970 | 2006-08-30 15:40 | 小津安二郎 | Comments(0)

「東京物語」を見る・・・「うちわ」の謎-1

この物語の季節は「盛夏」である。それは作中いろいろな場面で、「うちわ」が使われていることからも分かるが、小生は、「うちわ」を小津が何かを表現するための小道具として、一貫して使用してきたような気がしてならない。
さて、それでは「うちわ」が、どのような場面で、何を表現しているのかを例を挙げてみていくことにしよう。

久しぶりに家族が一堂に会したときに、「しげ」の使う「うちわ」はごくユックリと両親のために扇がれる。久しぶりに会えた喜びと、しばらく長男の家に厄介になる両親を見て、「しげ」はこの時点では安心しているのか、心の内が、比較的平穏である。「うちわ」の扇ぎ方と「しげ」しかうちわを使ってないことが面白い映像表現である。
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長旅をして無事東京に着いた安堵感と、少しくたびれた感じが「うちわ」に出ている。しかしここでは東京の暑さは、さほど感じない。
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長居されると困ると思った「しげ」が、夫も巻き込んで長男に、熱海行きの相談を持ちかける場面。「しげ」の「うちわ」がせわしなく、足元やすその中をも扇ぐ姿が描写される。口先では両親のためになどといいながら、その実「寄り付いてくる虫を追い払う」かのような「しげ」の心理を表現するように思う。
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by noanoa1970 | 2006-08-30 15:20 | 小津安二郎 | Comments(0)