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映画「晩春」の巧妙かつマニアックな仕掛けを発見!

昨日のブログ「知られざる作曲家」で「ヨアヒム・ラフ」という作曲家のことを書いた時にと思ったのだが、あまりにも長くなるし、別の日のブログネタにと、取って置いたことを今日は書いてみることにする。

もともとこの「ラフ」に言及したのは、小津安二郎監督作品の中でも、特に有名な「晩春」のあるシーンのバック・・・劇伴音楽として使われたことから来ている。

そしてその前のシーンでは、鎌倉から東京の大学に通う教授と娘の家に、研究の手伝いに来た若い助手が、経済学者の「リスト」のスペルを確認するために、調べた結果フリードリッヒ・リスト(Friedrich List)が正しく、Lisztは作曲家のフランツ・リスト(Franz Liszt)であることを教授に報告するシーンがある。

ここはいつもの小津らしく、まるでボケと突っ込みの会話のようで面白いのだが、おそらく若い助手は少しばかり音楽好きであったことは、後の音楽界のシーンでもわかることである。

たぶん「リスト」のスペルを確認してくれ、と言われた時、彼は音楽家の「Liszt」のスペルを告げたが、教授から「そんな綴りじゃなかったはずだから、もう一度調べろ」などと言われたその時の会話であったことは容易に推測可能だ。

なんのことはない学者とその弟子の会話で、すんなり聞き流しても良いのだが、音楽家「リスト」が出てきたことで、小生は非常な興味を覚えたのだった。

発音が同じだが、分野とスペルが違う「二人のリスト」を持ち出した背景には、きっと何かが仕掛けられているのでは?と推理したのだった。

小津映画には見える見えないにかかわらず、さまざまな仕掛けが施されていることが多い。
小生は、このような仕掛けを発見するのも、小津映画を観るときの楽しみの一つだから、したがって同じ映画を何度となく観ることになる。

はたして巧妙に仕組まれた仕掛けとは一体何であったのだろうか。

教授とその助手・・いわば恩師と弟子の会話から音楽家「リスト」が浮かび出たことは上記のことで明らかである。
小生は「リスト」の名前を出したのは、単に経済学者と同じ発音だったからと言う以上の、巧妙かつマニアックな仕掛けを感じるのだ。

そしてその答えは後の音楽会のシーンで明らかになる。

教授の娘と良い関係だった助手の男は、見合いでほかの女性と婚約をしてしまうが、そのあとで何を思ったか娘をコンサートに誘う。

そのコンサートが「巌本真里のバイオリン独奏会」である。
娘はチケットを受け取りながら、演奏会にはいかない。

推測すれば、たぶん娘は、男が婚約といういわば安全パイを手に入れた上で、婚約者ではなく、娘を誘ったことに「汚らしい・・・不潔さ」を感じたこと、そして婚約者に対して失礼にあたるというその両方から演奏会をキャンセルしたのだと考えられる。

これには伏線があって、かつて娘と助手は仲良く二人で湘南の海へサイクリングをするほどであった。

海辺で腰をおろしながらの会話で以下のようなシーンがある。

娘「じゃあ あたしはどっちだとお思いになる?」

助手「そうだな・・・あなたはヤキモチなんか焼く人じゃないな」

娘「ところが あたしヤキモチヤキよ」

助手「そうかな」

娘「だって あたしがお沢庵切ると いつもつながっているんですもの」

男「そりゃしかし 庖丁と俎板(まないた)の相対的な関係で 沢庵とヤキモチの間には 何ら有機的な関連はないんじゃないですか?」

娘「それじゃあ お好き? つながった沢庵」

このシーンの娘の会話は、助手に対する愛情表現であることは、論をまたない。
にもかかわらず助手は、有機的関連は無い・・などと言いながら「お好き?」という問いには答えなかった。

娘にほのかな恋心を持っていたと思われる男の態度は、まるで与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」のようである。

そんな助手を、娘はそれでもいくばくかの期待を持って接していたし、父親の教授も、娘の相手としてふさわしいと思っていた、そんな人物が、見合いで婚約するのは仕方ないとしても、そのことを知っている娘を、当時デートの花形である音楽界に誘うという行為に対し、「不潔さ」を感じたのは、後の教授の疑似結婚話のシーンでの、娘の態度でも推察できる。

助手は隣が空席のままの演奏会で一人身を置くのだが、おそらくは音楽は何一つ耳に残らないことだったろう。

その時に流れるのが「ラフのカヴァチーナ」であったことは、先のブログに書いた通り。

そして面白いのは前段の、ボケと突っ込みから導き出された音楽家「リスト」は、カヴァチーニの作者「ヨアヒム・ラフ」の恩師に当たる人、
逆にいえば「ラフ」の先生が「リスト」だったのである。

小生はここに、巧みかつマニアックな仕掛けが挿入されていると思うのだ。

前段で恩師と弟子が会話をし、リストを導入キーワードとし、音楽界で流れる音楽にリストの弟子のラフの作品を持ってくる。

こんな仕掛けができるのは一体だれかが気になるが、それは後にして、小生は当日の演奏会品目がとても気になるのだ。

これは大胆な推測でしかないが、「巌本真里(女性)のバイオリン独奏会」の演目は「愛」というコンセプトでプログラムされていて、したがって「リストの愛の夢」「フォーレのペレアスとメリザンドからシシリエンヌ」「エルガーの愛のあいさつ」「クライスラーの愛の喜び、愛の悲しみ」そしてラフのカヴァチーナ」などなどが入っていたのではないかと・・・

いずれも小品だが美しくそして悲しくもあり、さまざまな愛の形の曲であるし、何よりもバイオリン独奏曲としても、十分に通用する曲ばかりである。

ここに娘と助手の「愛の終焉」を感じ取ることができるのである。

このような仕掛けができる人物は
小津自身か、それとも脚本の野田高梧か、原作の広津和郎であろうか。
いやそうではあるまい

リストとラフについて当時情報を知りえる人物とは、やはりプロの音楽家だろう。
しかも台本を読める立場にある音楽家でなければならないから、劇伴音楽作曲家だ。

そうなるとその人物はただ一人「伊藤宣二」ということになる。

伊藤宣二は1935年「東京の宿」から1960年「大虐殺」まで小津をはじめ数々の映画の劇伴音楽を担当した作曲家であり、小津作品では7作品も担当する、いわば小津組の一員といっても過言ではない存在の人。

彼が脚本を読んだ時、恩師と弟子→リストからリストを恩師とする弟子のラフの作品を使うことを思いつき、小津に提言をして採用されたのではないかと推理しているのである。

おそらく小津は手放しでそのリンクを喜び、採用したものと大いに推測されるのである。
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by noanoa1970 | 2009-02-25 14:53 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

彼岸花

彼岸花の季節だ。
2005年 07月 28日のブログ「彼岸花」の「赤」で、小生は小津の「彼岸花」の赤について書いたことがあった。

同じく『自己主張する「赤」』で、「赤」は女性の自己主張の象徴であるという仮説を立ててみたこともある。

小津の「赤」の使い方は、とても巧妙である。

「彼岸花」の映画タイトルは、その時は「赤」つながりだとばかり思っていたのだが、それに加えて、先ほど面白いことに気づいた。

ご存知のように彼岸花は、秋分の日・お彼岸近くなると一斉に咲きだす。
これはたぶん体内時計を持っているためだと思うのだが、映画では娘の婚期が題材の一つとなっている。

それで、娘は「時期が来れば自分で結婚の意思を示すようになる」
だから「親は慌てるなかれ、そして娘が一人で咲こうとするのを、邪魔しないでじっと見守ってやるべきだ」

そのような教訓が「彼岸花」の女性の自己主張の象徴としての「赤」とともに塗り込められている・・・ふとそう思った。

youtubeに、映画「彼岸花」の予告編があったので貼り付けておいた。

知多半島の半田市にある矢勝川の堤防に、平成2年から彼岸花の球根を植える「ヒガンバナ百万本計画」が進められ、現在200万本の花が咲いているという。

「ゴンギツネ」で有名な童話作家、新美南吉の故郷でもあることから、最近は人手も多いと聞いている。

半田市観光課のHPはココ

来年はぜひ訪れてみたいところである。

「彼岸花」予告編、これを見ただけでも、随所に「赤」が効果的に使われていることがおわかりになるだろう。


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by noanoa1970 | 2008-09-29 13:18 | 小津安二郎 | Comments(0)

お茶漬けと逆さ箒

小津安二郎の映画に「お茶漬けの味」というのが有る。
「お茶漬け」とは庶民の日常そのものを象徴していて、出自が庶民の夫と、上流階級の妻の間の文化的価値観の相違が原因のいざこざが、ふとした切っ掛けで、元の鞘に納まる。
そのときに深夜に2人で食べるのが「お茶漬け」。

お茶漬けは庶民の象徴であり、原点の日本人を象徴するものでもある。

有名な「京都のお茶漬け」(ぶぶ漬け)は、長居しそうな客や、招かれざる客に対し、慇懃に「早く帰れ」と言うための、ある種の方便である。

これを京都人のいやらしさ(いけず)と取るか、それとも、表面だって「帰ってくれ」ということを言わないで、相手を諭す上手い方法であるか、「ソロソロ御開の時間ですよ」との合図を送るものなのか、その時々で自然にうまくつかいわけられるのだろうが、これは恐らく、歴史的な京都ならでの庶民の知恵なのだろう。

小津安次郎の「お茶漬けの味」は、「京都のお茶漬け」とは関係ない話だが、小津の映画「彼岸花」の中に、「京都のお茶漬け」と似たような面白い場面がある。

京都の旅館の女将浪花千恵子が、東京に出てきて田中絹代の家を訪問する。
しかし、あまりにもの浪花千恵子のおしゃべりに閉口して、箒を逆さまにして立てる。
トイレの帰りに、それに気づいた浪花千恵子が、逆さにした箒を元に戻す。
しかもそれを2回繰り返し、印象付けているところ。

これはいろいろな観点で面白いシーンである。

「逆さ箒の風習」は、どちらかといえば、小生は多分に「お茶漬け」と同様、京都あるいは関西の風習のように思うのだが、このシーンでは、東京人の田中絹代の家で、「逆さ箒」の風習・おまじないを踏襲するのに対し、当然それ=「京都のお茶漬け」をやっているであろうはずの、そして「逆さ箒」の意味合いを知らないはずが無いであろう京都人、しかも旅館の女将の浪花千恵子に、小津がまるでその意味を知らないか、あるいは、知っていてワザト知らぬ振りをさせたのか、そのことを無視したように「逆さの箒」を、2度にわたって元に戻すシーンがある。(箒をまた元に戻すことから、その風習を知っていて、無視するような、厚かましさを表現したと取れるし、逆さになったものを親切に元に戻したとも取れる)

「逆さ箒」の風習・おまじないは、「サザエさん」にも登場するのを見たことがあるから、かなり一般的な風習のようにも思えるが、その発祥は良く分からない。

しかし物を「逆」にするということは、非日常を象徴するのだろうことは、想像に値する。

万葉集の大伴家持の歌に、初春の祝いとして、“玉箒”がめでたい物として出てくるらしい。箒は魂を集める呪術的な力を持つ物とも考えられていたようだ。

また、古事記にも、日本書紀にも、「箒」が参列に加わるという信仰が有ったことが分かるようです。

日常的な行事=毎日の清めの仕事=掃除として、悪いもの=邪気を吐き出し、よい魂を集める・・・それが「箒」であったともいえることになるから、逆さにすることは、非日常のそのような忌を、すばやく回避したいという表れなのかもしれない。

ネットで以下の記述を見つけたので紹介しておくと、

「箒を逆さにした形に似たものに、氏神の祭礼を迎えるにあたって、神主や頭屋(とうや)の家の前に、青竹の先に藁(わら)ぼてを付け、御幣や神符を供えた、神霊の依り代とした「おはけ」と呼ばれているものがあります。この「おはけ」に似ている事から、「逆さ箒」には本来の箒神に、新たな氏神がが宿ると考えて嫌ったとも考えられます。」

文中の「おはけ」とは、お八解(おはけ)=御刷毛とも書き、祭日が近づくと頭家(とうや=祭祀当番)に立てる大きな御幣(ごへい)=笹竹や榊の先につける、物忌みの標識のこと、よく見かけるのはコイノボリを立てる竹ざおの頂上に、笹の葉をつけたようなものがある。

これはすなわち、祭事に際して悪霊を追い払うための、「おまじない」のようなものとも思われるから、「逆さ箒」は悪霊=長く居座る客とし、それを追い払う「おまじない」に転化したものかも知れない。

そうなるとこの風習は、神社と共に庶民の間で行われてきたかなり古くからのものであり、全国的な風習・おまじないであるのかもしれない。

小生の体験では少年期に、5歳上の叔母が、鳴海の実家で近所の叔母さんが来て長々しゃべるのを嫌って、実際にやったのを目撃したことがある。

小津の彼岸花が1958年、小生が10歳、叔母が15歳だから、まさか小津の映画を見てまねをしたとは考えにくいので、多分叔母の家人から、そういうおまじないや風習を見聞きしていたのだろうと思われる。

京都のお茶漬け、小生は体験したことは無かったが、アルバイト先の「お菜ところ」ではメニューに「お茶漬け」があって、サークルで一緒だった女性と、その母親が来たときに、「ゆずきり」を出してあげて、その後しばらくして「お茶漬けでもどうですか」と・・・そのときは「京都のお茶漬け」のことなど知らなかったので、本当に親切心で、ソロソロおなかが空いた頃だと思って、そのように言ったのだったが、後に「京都のお茶漬け」の意味合いを知ることになり、純粋京都人の母子に、はたしてどのように受け取られたのだろうかと、今でもそのときのことを思い出してしまうことがある。
(多分その後すぐに、その母子が帰った記憶がある)

そのこと依頼京都では、「お茶漬け」は小生の禁句となった。

そして、「逆さ箒」は勿論、「箒」事態も、今ではもう見ることは出来なくなった。
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by noanoa1970 | 2008-05-11 11:00 | 小津安二郎 | Comments(0)

小津の晩春・・・隠された伏線の発見

小津安二郎作品映画「晩春」についてのエントリー、「二人のリスト」の中で、「巌本真理提琴独奏会」の場面があり、小生はその中の音楽の一つをフォーレではないかとした。

しばらくしてある方から、その曲はヨアヒム・ラフの「カヴァティーニ」である旨のコメントをいただいた。

MIDIの音源が紹介されていたが、映画の中で流れる音は、相当古めかしくて、MIDI音源の音質も、ヴァイオリン封ではなかったから、比較してもなかなか送断定することが出来なかった。

曲想からは・・・といっても当該曲は一部使われているし、その曲調はフランクのソナタや、あるいはサラサーテ、そしてクライスラー風にも聞こえたし、フランス近代音楽・・そう・・・フォーレのノクターンのようにも聞こえた。

音が悪い昔の映画での音楽は、そのような幻想を抱かせるに十分であった。

小生は、J・ラフのカヴァティーニの確かな音源を求めてはいたが、それはほんの短い期間のことであって、すぐにそのことを忘れていた。

d0063263_10295462.gifしかし本日偶然のように「ラフ」という作曲家の存在を思い出し、例のnaxosライブラリーで検索してみると、VIRTUOSO VIOLIN PIECESというコンピレーションアルバムに、他の作品に混ざってJ. ラフ JOACHIM RAFF (1822-1882)
Cavatina in D major, Op. 8510. Cavatina in D major, Op. 85 があった。

「ラフ」という殆ど知られていないと思われる作曲家のプロフィールは 、ウイキペディアに少し掲載されているが、中で興味を持ったのは、『1849年、ラフはヴァイマルのリストの助手として雇われドイツに移った。リストの少なからぬ作品のオーケストレーションを手がけるなどしてその力量を証明したラフは、『1851年に歌劇「アルフレッド王」を完成させてワイマールで発表する』と書かれた記述であった。

「リスト」の弟子のような存在であるとは・・・・
これで巌本真理が演奏する時の演奏品目(演奏の姿は映像としては無く、音楽だけが流れる)に「J・ラフ」のカヴァティーニを持ってきた理由が判明した。

それというのも、その前場面でのやり取りに、「リスト」の綴りの・・・経済学者の「リスト」と作曲家の「リスト」の確認作業の話が挿入されているからで、この話と演奏会で流れる「J・ラフ」がリストの弟子だったということは、偶然の一致ではないだろう。

それはリストの綴りを確認する二人は大学の教授らしき人物と、その弟子らしき人物だからである。

またまた隠された小津安二郎の「拘り」を発見してしまった。
この事実、古今東西の小津研究者の誰も気づいていないことだと思うと、なぜかとてもうれしくなってくる。

自分独自の「気づきと発見」であるから、少々誇らしく、そして非常に満足度の高いひと時となった。
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by noanoa1970 | 2007-10-31 10:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

麦秋

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少し郊外に出ると、いままで青かった田畑がスッカリ黄金色に色づいていた。
小麦の収穫の時期だ。
「麦秋」は、1951年・・・昭和26年の小津安二郎の映画作品のタイトルであるが、「麦秋」という言葉の意味を取り違えていた時期があった。

「漢字」の「秋」にだまされて、てっきり背景は「秋」であると思っていたのである。
しかし映画の中で「こいのぼり」が映されること、中央線で機関車に乗って通よった
駅から、高等学校までの途中の、金色の麦畑の風景が、麦の穂を揺らす春のそよ風とダブって思い出されるので、あるとき「麦秋」を調べると、「秋」ではなく、「遅めの春」・・・英語では[eary summer]・・早い夏といわれることがわかり、映画のタイトルとその背景の季節と、高校通学時の麦畑の思い出が、初めて一致することとなった。
麦が黄金色に色づいていたのは晩春あるいは早夏のことだったのである。

「麦の秋」とは、すなわち麦が黄金色になって収穫を迎えるとき・・・「収穫のとき」を表現する言葉なのだということがわかり、だから「めでたい」「ウキウキする」「お祭り気分」などの感性が裏にあるらしきことも推測できた。

なるほど「小津」の「麦秋」は、世間では今期を逃しそうな年齢・・・28才の女性が結婚相手にいろいろ迷った末に最後には、身近なところにに位置する近所の30代後半か40歳近い子持ちの男性・・(実は戦争に行ったまままだ帰らない、紀子のすぐ上の兄の同僚で、長兄の仕事の後輩でもあるのだが)と結婚するという話だ。

28歳の年齢、今ならその年になっても結婚しない女性は大勢いるが、当時は「女性は25歳までには結婚しなければならない」という社会通念のようなものが有ったのか、小津はこの物語の最初で、原節子演じる紀子の年齢を・・・大和(奈良をこのように表現するのもこの時代の特徴なのか)から鎌倉に出てきた、年で耳が不自由な紀子の父の兄に「紀子さん、あんたいくつになりなさった」と異なる場面で二度も尋かせていて、強調させている。

「28」という女性の年齢が、この物語で、本人よりもその家族や周辺に気を揉ませる「近親女性の結婚」への考え方の総体なのであろう。

「結婚できないのじゃなく、結婚しない、その気になればいつだっていける」。
「医者とだけは結婚しない」といいながら医者と結婚。

同窓生との会合で、結婚組みと独身組みが分かれて、言い争うが始めは独身組みの盟主足らんとしていた紀子も、だんだん結婚願望が強くなり、独身組の「アヤ」に相槌を打つだけとなっていく様子は紀子の変化が見えるようで面白い演出。

「40まで独りでいる人間は信用できない・・・子供の1人でもいる方が信用できる」といい、子持ちの男と結婚するのは、やはり「感性」が「合理化」されたのだと小生は見る。

会社の上司・・専務からの紹介のほうが金持ちで、ハンサムだし、仕事は出来るし、出自はいいし、全てがいい条件、家族もこぞって賛成(母親は余り乗り気ではない様子を見せるが・・・)するのだが、ストーリー展開では、紀子が特別の感情を抱いていなかったと思わせる子持ちの男を選択し、しかも家族から遠く離れるところ・・・秋田に転勤することになる。


物語で唯一、男との交流らしきものを思わせるのは、通勤駅北鎌倉での会話、挨拶の後男が「チボー家の人々面白いですね、4巻と半分読みました」というところ。
ロジェ・マルタン・デュ・ガールの長編小説「チノー家の人々」は白水社では全5巻の出版だからそれで行くと、ほぼ全てを読みつつあるといえるが、他社では全11巻であるから、もしそれだと半分読んだところということになる。(通勤電車の中で読んでいたとすれば、11巻のものであろう)


「チボー家の人々」、小生は読んだことは無いが、二十世紀初頭の家庭、カトリック教徒のチボー家と、プロテスタントのド=フォンタナン家の生活の物語。プロテスタントとカトリックという宗教的違いを背景にした物語で、独裁的、封建的な規律を子供達に押し付けるチボー家の父親の長男は医者になり、次男は革命家になっていく・・・戦争傘下の宗教的違いのある家庭の若者とその生き様を描いた小説と見ることが出来る。

小津がこの会話で「チボー家の人々」を持ってきた理由は、この映画が戦後6年・・まだ戦争の痕跡がリアルに残っている時代であったこと、そして医者となるチボー家の長男の存在があったからではなかろうか。

紀子はそのような小説を読む40男と、小説の中の若者に思いをダブらせ、どことと無く心惹かれるものを感じていたのだろうか。それとも映画を見る観客に「チボー家の人々」で、それとなく気づかせる伏線を張ったのだろうか。

この映画でわからないことが一つあって、それは大和から(だろう)関東に出てきて、北鎌倉の家に住むことになった・・両親とその長男夫婦と息子二人、そして娘紀子という家族が、娘紀子の結婚を機に、今まで一緒に暮らした両親が大和に帰るという設定。

紀子の両親は、何故紀子が結婚して家を出た後、兄夫婦と子供と一緒に住まずに、大和に帰ってしまうのだろうか。(恐らくは、大和で一人で暮らす兄の心配をしてのことだと思われるが)紀子の結婚をそのきっかけのようにするのは不自然なこと。
どう考えても納得できるような理由が見つからない。

この映画で印象に残るのは、紀子の両親が、出兵したまままだ帰らない次男のことについて語るシーンである。
男親は、もうすでに諦めかけているのに対して、東山千栄子演ずる女親は、まだまだ希望を持っていて、毎日のようにNHKラジオで放送していた「尋ね人」を聞いているというシーン。(拉致された「めぐみさん」の両親も、比べることは不謹慎だが、母親のほうが、より気力と継続力、忍耐力があるように見受けられるのは小生だけか)

「尋ね人」の放送は、小生も覚えがあって、多分昭和30年代の中ごろまで放送したと思う。「紅孔雀、笛吹童子、おらぁ三太だ」「風雲黒潮丸」などの番組の前後に流されていて、シベリア抑留とか満州、ハルピン、コクリュウショウなどの言葉が頻繁に当時したという記憶がある。

興味深いのは、戦後まだ6年しかたってないこの時期の子供の言動。
おじいちゃん好きか、好きといったらもっと(お菓子を)やるぞといわれて、「うん好き、さらに・・・好きだといい・・それを繰り返して、お菓子をたくさんもらった後、離れ際に・・嫌いだよ!大嫌いだよ!と祖父に対して言うシーン。

そして耳の不自由な祖父の兄に対し、耳が遠いのをいいことに「バカ」「バカ」というシーン。

小生の体験から言えば、このシーンの祖父と孫の会話はどう見ても不自然。
この時代まだまだ父親や祖父・・・目上の男性の存在は家の中では強大で、祖父には決してあのような口は利けなかったものだ。

「戦後」強調なのか、戦後民主主義(学校)教育の弊害なのか、ワザト挿入した小津の根底にあったものは何であったのだろうか。後の作品1959年の「お早う」でなら納得するところはあるのだが・・・・

「不自然さを強調し自然に見せる」小津マジックがまた見えてしまう作品であった。

郊外の麦畑は今収穫の時期を迎える。
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by noanoa1970 | 2007-05-23 10:56 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(0)

映画「珈琲時光」を観る。

小津のオマージュ作品として本作品を見ることを、やめるために、3回ほど見ることとなった。
「ドキュメンタリー」タッチのような本作品の、「テーマ」は・・・と考えるに当たって、どうしてもある人物のことについて、触れないわけにはいけない。
その人物とは、劇中で一青窈演じるライターを職とする「陽子」が・・・・(井上陽子という役名は、一青窈歌う劇中歌の作者井上陽水であることかららしいが、このあたり、小津生誕100年記念にあわせたように、プロデューサー宮島秀司による仕掛けが大いに感じられる)
・・・取り掛かっている最中の「江文也」その人である。
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劇中で、何故陽子が「江文也」に興味を抱いているかが語られることはないが、それは恐らく、
陽子の出生と関係すると思われる。
陽子は台湾人の母と、日本人の父との(非嫡出子なのか嫡出子なのかハッキリしないが・・・)子供という想定。国籍は多分日本人だとは思うが、それもハッキリとはしない。
台湾人の母親は陽子が4歳あたりのときに・・・離婚したのだろうか?、陽子の元から去ってしまい、今は日本人の義母がいるという環境である。

陽子の生い立ちや生まれてからの環境などの詳細は、劇中で明らかにはされないが、台湾の日本語学校で講師をしたという件があるから、台湾語(この表記も複雑であるが一応台湾語としておくことにする)台湾での生活があったのであろうことを推測させる、しかし・・・・何故、そしていつ日本に来て生活をし始めたかについては、これもハッキリわからない。
台湾人の母と日本人の父の間に出来た子供であることだけは明らかなようだが、陽子の国籍も明らかにされない。

小生は学生時代、このブログの名前の由来でもある「DRAC」・・同志社大学レコード音楽研究会というサークルにて、「日本音楽」・・・邦人によるクラシック音楽について研究活動をした経験があり、その当時出ていた文献で、「日本における西洋音楽の歴史」という長大な本を読み漁ったことがあり、明治期における近代化、西欧化の音楽教育に活躍した「伊沢修二」などの記述から、1970年初真出に活躍した作曲家およびその作品について触れる機会を得た。
しかしながら、「江文也」という作曲家で声楽家の存在は、その当時一切語られるものはなく、よって小生はその存在すら知らないまま長い時を過した。

別件だが、日本の音楽教育の第一人者、「伊沢修二」は台湾で、教鞭をとったことがあるらしい。

わが国有数の作曲家と目される人物が、何故隠された存在のままになっていたかという答えに、実はこの映画「珈琲時光」の主人公と目される陽子の、「江文也」に関する取材テーマの理由がある。
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江文也(1910~1983)は台北で生まれ、幼児期に「アモイ」に移る「台湾人」であり、来日して電気工学を学びながら、東京音楽学校で「山田」、「橋本」から音楽を学び、1936年のベルリン・オリンピックの芸術競技作曲部門で日本人として「台湾の舞曲」で入賞した。(オリンピックは文化芸術領域まで拡大された時代があった)

このとき、絵画部門では、東山魁夷、小磯良平、棟方志功が出品したが、いずれも落選。
日本画専攻の藤田隆治と鈴木朱雀が入賞した。
音楽部門では、日本から5人が応募。
山田耕筰、諸井三郎、箕作秋吉、伊藤昇、そして「江文也」であった。
この当時台湾は、「日清戦争」の結果、日本の統治下にあり、江文也は、日本国籍を有していた。(江文也が銅メダルとの誤報もあったようだが、4位入選が正しいらしい)

何故オリンピックにまで参加した「(台湾生まれの)日本人」、「日本国籍」をもつ「江文也」が、日本の文化史、音楽史から消し去られたのか。
長谷川和夫、李香蘭が主演した「蘇州の夜」の映画音楽を担当し、松島詩子の「知るや君」の作曲、「シュロの葉陰に」の作詞は、「江文也」の作である。恐らく当時の庶民の中には、「江文也」の名前を知っていた人も少なくなかったと思われるのである。
先日TVで上戸彩が、中国と日本の大きな歴史の流れに翻弄され、数奇な運命を辿ったアジアの歌姫・映画女優・・・・悲劇の李香蘭「山口淑子」を演じたドラマが放映されたのをご覧になった方も多いだろう。

これだけ能力もあり活躍もしていた「江文也」であったが、日本音楽コンクールの声楽で2年連続、作曲で3年連続、常に二位に甘んじていたという事実は、彼の実力の成果の表れだけとはいえないものがありそうだ。
「台湾人」であるからという、見えない「差別」のようなものが存在したのかどうか、その後「江文也」は、「中国大陸」に渡航する。
1938年に北京師範学校教授として迎えられ、1944年に国立音楽院院長となり、順風満帆と思われた。
しかし、1945年日本が無条件降伏し、北京が国民党政府の治下に移ったため、「江文也」は中華民国籍となった。国民党政府は「江」が日本軍部に協力したとの理由で、「文化漢奸」として投獄する。
また文化大革命のインテリ弾圧によって「分離主義者」として批判され、追放された。文化大革命終了とともに、「平反」で解放されたが、その頃には健康を害し、肺気腫、胃潰瘍、脳卒中で倒れ73歳でこの世を去った。

入賞作「台湾の舞曲」はオリンピック入賞後、「レオポルド・ストコフスキー」の眼にとまり「フィラデルフィア管弦楽団」を指揮してビクター・レコードに吹きこまれたという。

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・・・作曲者が曲に付し
た文章を次に掲げる。
 『私はそこに華麗を尽くした殿堂を見た。
荘厳を極めた楼閣を見た。深い森に囲まれた演芸場や祖廟を見た。
しかし、これらのものはもう終りを告げた。
これらはみな霊となって微妙なる空間に融け込んで
幻想が消え失せるように、神と子の寵愛をほしいままに一身に集めた
これらは、脱穀のように闇に浮かんでいた。
ああ、私はそこに引き潮に残るニッ三ツの泡末のある風景を見た』
・・・・・オリンピック入選作「台湾の舞曲」に間して「江文也」自らが語ったとされる言葉である。

このように、小生が見る映画「珈琲時光」のテーマは、『アイデンティティーを探し続ける日常の旅』であり、「家族愛」でも「男女の恋愛」の話だけではない。

「陽子」は、役を演じる「一青窈」、そして「江文也」と同じ境遇の・・・・心情的な国籍が定まらない、日本と台湾、日本統治下の台湾、中華民国、そして中華人民共和国という複雑な政治経済社会、そしてこれまた複雑な「言語」・・・・云わば、「国語を奪われた民の国」の元にあって、それぞれの仔細な立場は違うかもしれないが、「アイデンティティ」を喪失していった、あるいはその渦中にある自己の「アイデンティティ」探しと確認のための終わりのない旅をテーマとした作品といっても間違ってはいないだろう。
それらは、監督:ホウ・シャオシェンによって、「オブラート」で巧みに包まれているが・・・・
美しく自然に流れる光の映像の隙間には、そのことが陰となって現れているように感じられる。

それは、さながらこの写真のように、複雑に交差する電車が象徴するような、思いの表象であろう。
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とくに現状の・・・台湾と、大陸の情勢は、作品の監督ホウ・シャオシェンも巻き込んでしまうほど重要な問題と意味を抱えている。2.28事件を扱った「悲情都市」の視点は、やんわりとはして入るが、この映画の中にその暗い影を落としているようだ。

架橋と思しき台湾人を父にする妊娠、そして婚外子となることを承知で・・・自らの出生と照らして・・・・シングルマザーになる決意をする陽子。

かつて自分がなしたと同じようなことが脳裏にあるのか、生まれてくる子供にとって、何が一番幸せなのかの判断がつかない父親、そしてどうすることも出来ない存在の母。
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(とても心配で調べると、幸いにもこのケースの場合「日本国籍」を取得可能ということがわかった。)生まれてくる子供は、日本人というアイデンティティを持つことは出来るが、父親探しの旅は永遠に続くこととなる。

日本国籍への憧憬があるのか、母国をなくした喪失感なのか、そうでないのかはまったくわからないが、少なくとも拠って立つところを失くしたり、出生の複雑な秘密を持つことは、決して幸せなことではないだろう。・・・再三「肉じゃが」を求める陽子の心象は、妊娠による偏食を表すとともに、「日本的なるもの」への憧憬および日本人でありたいと無意識に願う、心の表象であったのかもしれない。

ある日道端で突然、他の男の子供の妊娠を告げられる、陽子に思慕の念を抱いている男。
男が書いた「山手線で囲まれた・・・首に懐中時計を下げた胎児の絵。
これらの場面が・・・・
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「リヒャルト・デーメル」の詩に「シェ-ンベルク」が作曲した「浄夜」の風景の、あるいは「アダージョ」・・・(マーラーの5番交響曲の)と呼んでも差し支えないような曲調を想起させる。

また、劇中に登場する「センダック」の絵本は、陽子の幼児期と、生まれ出るであろう子供の将来に対しての不安のの疑似体験を語るもののようだ。
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『まどのそとのそのまたむこう』("Outside over There, 1981") は恐怖を元にした絵本の好例である。この絵本はセンダック自身の子ども時代の恐怖体験が元になっている。それは幼い頃どこかへ出かけたときに姉ナタリーに置き去りにされたというもので、そのときの不安な感情がこの絵本に色濃く投影されている。内容はゴブリンに連れ去られた妹を助けるために姉が空を飛んで洞窟へ向かうというもので、この絵本も子どもが持つ世界の両面をしっかりと描いている。姉は妹を憎み、そして愛してもいる。だからこそ妹は姉が目を放した隙にゴブリンに連れて行かれてしまい、そして妹を助けるために冒険に出かけることになる。この絵本で主人公は姉であるが、センダックはゴブリンに連れ去られた妹のほうにより感情移入をしていたという。それは妹が味わった孤独と同じ恐怖を、彼自身子供時代に体験していたからであった。

本作品は、柔らかにそしてユックリと流れる日常に、とても深い「光と影」を孕んでいることを感じさせる映画である。

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時に背景で流れる「江文也」のピアノ作品は、当時の邦人作品の中では飛びぬけて異才を放っていて、誤解を承知でわかりやすくたとえるなら、ジャポニズムあるいは「東洋」を積極的に反映した印象派の音楽、さらに言うなら、少しシニカルな「サティ」の音楽、あるいは少々の前衛的手法やモードを多用した「モンポウ」にも似ていて、大変興味深い。

この映画での俳優の演技については、意味深いものがあるが、それについてはここでは言及を避けておくことにする。ただ、河瀬直美の「萌の朱雀」のトーンのような幹事を大いに持ったので、いずれそのあたりについては書いてみたい。

「説明的な映画が多い中で、あなたは私たちを子ども扱いしていない」・・・・カンヌ映画祭の審査員の誰かが・・・ヴェンダースではないだろうが・・・・河瀬直美の作品を評していった言葉であるとされるが、これと同様なことが、「珈琲時光」にもいえるのだと思う。

監督:ホウ・シャオシェン
製作:宮島秀司  リャオ・チンソン  小坂史子
脚本:ホウ・シャオシェン  チュー・ティエンウェン
撮影:リー・ピンビン
音楽:(主題歌)一青窈
出演:陽子:一青窈
    肇:浅野忠信
    誠治:萩原聖人
    陽子の継母:余貴美子
    陽子の父親:小林稔侍



 

 
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by noanoa1970 | 2007-02-19 09:15 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(0)

ブリコラージュ&クロームメッキの映画「珈琲時光」・・・2

侯孝賢が小津へのオマージュを強く持っていたと思われる根拠としては、小津映画のテクニックの模倣とも思える以下のようなところがあるのは事実であろう。
小生なりにここで一度整理しておくことにする。

・畳に座った人物たちを安定した構図のなかで捉える最適のポジションがこの低い位置からのカメラ・アングル「ロー・ポジション」 ・・・陽子が帰省した実家の場面
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・構図を重要視するため、「カメラを固定しあくまで標準レンズ」を使用。
・・・これはあらゆるシーンで見られる大きな特徴である。
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・ショット間の繋ぎはほとんどカットによるものあり、オーバーラップ、フェード・イン、アウトといったテクニックを使わない「カット繋ぎ」。

・シーン間やシーケンス間に必ず風景のショット、場所を説明するようなショットがはさみこまれている「カーテン・ショット」の多様・・・・場所や駅名がわかるものを必ず表示している。
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・人物同士の視線が一致しない構図優先の画面を作り上げる「正面向き・逆向き・横向きのショット」 ・・・登場人物の会話は、すべてが視線を合わせることがない
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・ワンシーンがワンカットの長回しで撮られているような時間の流れ・・・「連続した時間の流れ」・・・電車を乗り継いでの移動のシーン、歩くシーン
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・同じ画面に同じ様な形をした物や人物が並ぶ構図が登場する「シンメトリー構図」・・・高崎の実家の場面など。・・・・しかし小津ほど細部にまでこだわりはなjく雑然としたところが多い。
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・何事もなく静かに過ぎていく「連綿と続く日常生活の時間」がまるでアダージョのように流れる。 ・・・小津映画と同じようにこのことが主題なのかもしれないのだが。

侯孝賢の「珈琲時光」には、ほぼ間違いなく上記の小津敵特徴が窺える。
しかしくどいようであるが、侯がそのテクニックを、自然さに紛れ込ませた不自然さを断片的に、コラージュのように紛れ込ませたところで、結果は意図した真逆 になってしまった。

ただあくまでも、この作品を小津のオマージュ作品という目で見るから、あえてそのようなことを言わざるを得ないのだが、 もし本作品を「小津安二郎」のオマージュという呪縛から開放して観ることが出来たら、違う何かが見えはしないだろうかと、・・・・・・

そこで、改めて本作品を観ることにした。
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by noanoa1970 | 2007-02-18 10:00 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(0)

ブリコラージュ&クロームメッキの映画「珈琲時光」

小津をオマージュしたとして、小津安二郎の生誕100周年記念に作られたという「珈琲時光」を見た。製作は2003年のことであったが、当時小生はこの映画の存在すら知らなかった。
最近、ひょんなことから、「江文也」という音楽家を調べていたら、「侯孝賢 ホウ・シャオシエン」という名前と、「小津安二郎」が並列に目に飛び込んできたので驚くとともに、「珈琲時光」の存在を知ったのだ。
恥ずかしながら小生・・このタイトルを知ったとき「時光」を「ときみつ」と読んでしまい、コーヒーショップを舞台に繰り広げられる、人間関係を描いた映画だと瞬間的に思ってしまった。
小津映画には当時のカフェが時々出てきて、現在では薄らいでしまった、かつてのお店が持っていた雰囲気にあこがれていたから、小津のオマージュと、されるこの作品を、とっさにそう思ってしまったのであった。

監督は台湾の人、前々から彼の作品は小津調をかもし出すと各方面で言われているとのことである。
そんなこと・・・「小津安二郎と江文也」のこともあって・・・・それに、この映画の中の若い女性陽子が、「江文也」について取材しているということも手伝い、レンタルショップに走ることになったのが数日前のことであった。

この作品、小津監督の「オマージュ」、「小津安二郎生誕100周年記念」・・・とアチコチで宣伝されていたらしく、作品を見る前にその情報がインプットされたので、どうしても小津映画と比較して観ることになるのだが、その最初の印象はというと。以下のようなものであった。

『およそ当時の現実と、近いとはいえない「家族の姿かたち」を、演出と演技によって非常にリアルに、そしてその結果その当時大衆化したともいえる小津映画に比べ、
この映画「珈琲・・・」は・・・・
昨今では、どこにでもありそうなごく日常的な話題を、およそ演出や演技と呼べないような・・・「素」で、(たとえ意識的なものであったとしても)終始一辺倒で通し切ってしまった結果、逆にリアリティのない絵に仕上がってしまった。』・・・・小津映画を「不自然の仲の自然さ」と喩えるなら、「侯孝賢 ホウ・シャオシエン」のこの作品は、「自然の中の不自然さ」である。・・・・、端的に言えば、小生の感想はそのようなものである。

それでは、世間で言われている「小津監督のオマージュ」とは、一体何を持ってするのだろうか。

確かにところどころのカットには、小津映画のワンシーンからの模倣が見られるが、小津がそのカットにすべからく意味を与えていたのに対し、侯孝賢のそれは「コラージュ」のように、その部分に関しては、ほとんど意味を成さないものばかりであるように思えたばかりか、それが、時として非常に唐突に出現するから、せっかくのこの映画のトーンを台無しにしてしまうところが多々あることに気がつくこととなった。

・画面の中にもうひとつ画面を作るところが随所にあるが、小津の美学とは縁遠い。
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・例えば小津の「東京物語」・・・・尾道の港付近で、船が行き交うシーンは、侯孝賢では,京浜東北線と山手線あるいは御茶ノ水付近でJRと丸の内線が交差するシーンに応用される。
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・秋日和で、男3人がバーのカウンターに並んで腰掛けるシーンは、墓参りの帰りに親子3人で立ち寄るラーメン屋のカウンターに後ろ向きで映るシーンとなる。
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・若いフリーライターの陽子が、住んでいるアパートの大家さんに、酒とグラスを借りに行くシーンは、やはり東京物語での原節子が向かいの住人から、お酒を借りるシーンと重なる。
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・「珈琲・・・」で陽子が親しみを寄せる古本屋の男に、台湾から懐中時計を入手してきてプレゼントするシーン・・・その前に乗る電車の最前席でそれを取り出して、運転席のガラス窓にかざすシーンは、東京物語で、嫁原節子が、亡くなった義母の形見に、といって義父が与えた懐中時計を、帰りの汽車の中で眺めるシーンと重なる。
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・陽子が急に出かけるといって、意味も無く自転車を漕いで・・・意味も無く電車の駅に、行き帰りするシーンは、どう見ても単なる小津映画の「晩春」の自転車のシーンを借り取ってきたとしか思えない。
句意味、あるいは無駄・・・何故このシーンが必要なのかと考えてしまうところがいくつも出現するのが「珈琲・・・」
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・小津の「晩春」で旧友が鎌倉の家を訪ねたときの「方角問答」は、「江文也」ゆかりの喫茶店を探すために、立ち寄った喫茶店で、今昔の地図を広げて探すが、それでも行きかたがわからなくて、喫茶店の店主に尋ねるシーンと重なる。
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・東京物語で、老夫婦が背を少し丸くして並んで座っているシーンは、「珈琲・・・」での実家の父母が娘の妊娠を告げられ、なんともしがたい雰囲気で、物も言わずに座っているシーンと重なる。
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まだまだ小津映画のシーンの「切り取り→貼り付け」はあるが、このあたりにしておこう。

小津にはこれらのシーンは全て前後の脈絡があり、中には伏線めいたものも潜んでいることが多いのであるが、侯孝賢にはそれらしきものがまったく見えないのである。
もちろん見えるから〇、見えないから×であるというそんな単純なことを言うつもりはないが、これらのことで本作品を手放しで小津のオマージュとする、メディアや論評家、批評家諸氏の目を小生は信用しない。

侯孝賢本人が、小津をどのように思い語ったかは別として、このタイミングで製作し、そのような論評に反論すらしないのであれば、やはり本人もつまるところ小津のオマージュ作品としての位置づけを名実ともに認めたのだろうことを思うと、・・・そしてもしそれが事実だとするのなら、侯孝賢は本当に小津をオマージュもしくはリスペクトしていたのだろうかと、疑いたくなるのである。

「珈琲・・・」に現れる小津のオマージュの影は、あまりにも表面的な・・いわばカットシーンだけをキリトリ、コラージュしたような稚拙なものであるという風に言わざるを得ない。
恐らく侯孝賢は小津の作品を、何か異なる次元で見ていたのか、あるいはあまり熱心に見てなかったのではなかろうかという疑念さえ持ってしまうのだ。

台湾の人間だから・・・「言葉の障害」はあるにしろ、異邦人だから小津の描いた戦後の日本、そして東京がわかるはずはない・・・などと言っているのでは決してなく、映画に携わる・・・まして映画監督であるのなら、映像だけでなく、表現される「語り」の意味も、テンポも、そしてリズムまでにも注目し、理解しなければならぬと小生は思うのだが、もしそうでないとして「オマージュ作品」というものが果たして存立しえるのであろうか?

この映画を小津のオマージュ作品という肩書きの元で見たときに、小生にはそのように・・・・かなり否定的に見えてしまったのが正直なところであった。

さすればこの映画を観るために必要な視点とは、何なのであろうか?
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by noanoa1970 | 2007-02-17 10:25 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(3)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「繰り返される日常」

しかし小津は、前にあげた「生と死」の単なる対比だけには終わらなかった。
「とよ」がなくなり、周吉は尾道での新しい生活が始まることになるのだが、小津はやはりそこまでケアーしたのである。
それは、「紀子」が尾道を去るときに乗ったであろう列車を、それまで殺風景な尾道の国鉄のレールに走らせることによって、「過去と決別」することが、漸く適うようになって、再び新しい尾道の生活をする、という意欲が湧いてきて、新しい日常が始まり、恐らくそれが繰り返されるであろうことを、小津は見るものに訴求する。

尾道の、「生と死」の象徴でもある河口付近の「船」の行き来の風景は、力強く描かれ汽笛の音とともに写されることでも分かる。

今まで聞こえなかった蒸気船の音、そして汽笛の音、機関車の力強い音が、最後になってここで聞こえてくる。
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by noanoa1970 | 2006-08-31 07:35 | 小津安二郎 | Comments(0)

東京物語を見る・・・・映像の表情・・・「静と動」

この映像はいずれも「とよ」の生前そして死後の尾道の定点風景。
「とよ」が亡くなった直後の映像では人もいない、列車も走らない、とてもうつろ、空虚な、何もない風景画描写される。周吉、そして京子の心の中を代弁するものとして挿入されたのであろうか。前に挙げた河口付近の常夜灯の風景と重ねると、しかしどう見ても「早朝」にかこつけた小津の意識的な演出ではないだろうか。
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by noanoa1970 | 2006-08-31 07:33 | 小津安二郎 | Comments(0)