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マイミクさんの御父上の訃報に

小生がMixiを初めてすぐに、数少ないマイミクになっていただいたのが「エレさん」。
2007年9月末のことであった。

未だにお会いする機会に恵まれないのだが、日記の内容から推測される人柄の良さ、文化芸術に造詣が深く、自らエレキギターを訓練中、さらにはワイン好き・お酒好きというから、近頃の女性にはあまり拝見することのない、実に多趣味で懐の深い女性である。

魅力的な個性ある女性だからだろう、今では数多くの彼女のファン:マイミクをお持ちになっておられるようだ。

彼女が日記をアップするとすぐに、コメント返信」が30も40も付けられる。

フル勤務と家事をこなすのに、少しでも時間がもったいないにも拘らず、いつもとても丁寧な返信を、全員にされている。

小生は、返信するのがかなり重荷であろうと、勝手に思っていて、最近コメントの代わりに、なるべく「イイネ」ボタンを押すようにしている。

しかし御父上の死という悲しいお知らせを目にしては、返信せざるを得なかった。

こういう時には、常套文句を書き述べておくのが、失礼のないことであろうが、記念すべきそして思いである、最初のマイミクさんのエレさんには、何とか自分の言葉で・・・と想い、出来る限りそうしたつもりだ。

文面の中で、「今日はフォーレのレクイエムを聴いて、御父上が天国に行くのを少しでもお手伝いします」などと、不遜なことを書いてしまったが、「レクイエム」は「鎮魂ミサ曲」すなわち、死者の魂を鎮めるものではなく、死者が何事もなく天国に無事旅立つようにと、残されたものが祈るための曲だ。

御父上のことは、勿論お会いしたことはないが、彼女の以前の日記から、ある程度存じ上げていたから、小生のシチューションで、可能な限りなことをと考えて、フォーレのレクイエムを聴いた。

フォーレのレクイエムは「怒りの日」がないから、エレさんの優しいお父上を天国に運ぶために祈る曲としては、適しているのではないだろうか。

逆に、CMで使われっぱなしの、ヴェルディのような「怒りの日」であったら、死者も生存者も両方で、恨み辛みを声高に叫ぶようで、全く適していない。

エレさんのお父上のお人なりを考慮し、選択肢の多いこの曲の中から選んだのは、実に静謐な祈りのあるレクイエムを聞かせてくれる、小生保有では一番新しいCDで聞くことにした。

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Requiem, Op. 48
リサ・ベックリー - Lisa Beckley (ソプラノ)
ニコラス・ゲッジ - Nicholas Gedge (バス・バリトン)
スコラ・カントルム・オブ・オックスフォード - Oxford Schola Cantorum
カーム・キャリー - Colm Carey (オルガン)
オックスフォード・カメラータ - Oxford Camerata
ジェレミー・サマリー - Jeremy Summerly (指揮者)

CD レーベル : Naxos *classic 8550765

名も知らぬ演奏者たちが、ややもすると、聴く前の不安を嬉しい方に裏切って、素晴らしい演奏をすることが最近よく経験することだが、本CDもその類である。

何事もなく順調に、天国に旅するひとの応援になっただろうか。

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by noanoa1970 | 2011-02-19 11:11 | トピックス | Comments(2)

アンゲルブレシュトのレクイエム

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シャルランが録音した珍しい逸品。
どうもシャルランは、オルガン録音を得意にしていたようで、残されたもののなかにはオルガン曲が相当ある。

そして、声楽曲はシャルランの録音の性質を、とてもよく表現するものだと、小生は思っている。
それで最初に今シリーズで入手したのが、フォーレのレクイエムであったが、これは前復刻盤に比べかなりましではあったが、全体的にスッキリしない印象で、少々期待はずれであった。
ただし、シャルランらしいアナログの良さは、前復刻の数倍は出てはいたように思うが・・・
小生の好きな、初期エラートの録音と、余り差がないようであった。

小生実は、フランクのオラトリオ「至福」を入手したかったのだが、残念なことに、この音源復刻はなされなかったようだ。
サブマスターに瑕疵があったのかもしれないが、返す返す残念なことである。

それで、同時に入手したアンゲルブレシュトが作曲したレクイエム(アンゲルブレシュトのフォーレのレクイエムは定評がある)そして「ヴェゼレイ」という、交響的招魂と呼ばれる、いわば宗教的交響曲の、いすれもが世界発録音のカップリングで、宗教曲を得意にしたジャン・フルネ指揮で録音されたもの。

アンゲルブレシュトは、1911年の「聖セバスチャンの殉教」初演の合唱指揮者で、翌年全曲の指揮も行ったいわゆる初演指揮者である。
ドビュッシーとの親交が厚く、ドビュッシーのスペシャリストとして知られている。

このレクイエム、基本的には、フォーレのレクイエムの7曲編成を、踏襲していると思われ、本来のレクイエムのスタイルからはかなり遠い位置にある。
フォーレとの相違点は、以下「赤」オッフェルトリウムは含まれず「黄色」のディエスイレを加えている点。

イントロイトゥスとキリエ(Introitus et Kyrie)
ディエスイレ(Dies iræ)
オッフェルトリウム(Offertorium)
サンクトゥス(Sanctus)
ピエ・イェズ(Pie Jesu)
アニュス・デイ(Agnus Dei)
リベラ・メ(Libera me)
イン・パラディスム(In paradisum)

曲は重苦しいオルガンの序奏で始まり、合唱があとを追う。
キリエでは、フォーレのレクイエムの冒頭とよく似たフレーズが印象的。
やがてファンファーレとともに強烈な合唱が始まる。

作曲年代・・1940年あたりからすれば、現代音楽なのだが、それに反し、印象主義的・神秘主義的、そして浪漫主義的な雰囲気が垣間見れる音楽となっているのは、ドビュッシーや仏6人組あたりの影響だろうか。

フォーレにはないディエスイレを入れているところは、レクイエムの必然のように感じるが、続くサンクトゥスがディエスイレのように激しい音楽となっているから、緩急のメリハリからは、これはあえて入れなくても良かったようにも聞こえるが、フォーレをそっくり踏襲するのを避けたのだろうか。
ここにおいて、少しの不協和音が見られるが、現代音楽然とはしてないため、非常に聴きやすい。

シャルランの録音は、オケと合唱のffにて其の手腕が分かる。
声楽もオケもオルガンも・・・すべての合奏のアタックにおいて、少しも音質がにごらないのは見事だ。

いちばんの聴きどころは「サンクトゥス」ではなかろうか。
ディエスイレよりも相当強烈であるが、凄く耳になじむ。

フォーレで最も印象的なPie JesuとIn paradisumを、アンゲルブレシュトは、どのように表現しているか期待して聴いた。
一言でいうのは困難なことだが、幻想的な雰囲気に仕上がっている。
リベラメの詠唱を聴くと、神秘主義に通じるようにも感じられる。

全体的には、オルガンの使用頻度がフォーレより高く、前面におしだされる場面が多い。
20世紀の作品の割には、とても聴き易い作品だ。

フォーレのレクイエムの影で、ひそやかな存在となっているのだと思われるが、デュリフレのレクイエム同様の評価を得ても良いのだと思う。
今後演奏や録音の機会が増えることを臨む。

「ヴェズレイ」についてはいずれ書くつもりでいる。

アンゲルブレシュト:レクイエム
         :ヴェゼレイ
クリスティアーヌ・エダ・ピエール(Sop)
レミ・コラッツァ(Ten)
ベルナール・クリュイセン(Br)
ベルナルド・ジャン・フルネ( 指揮)、
フランス国立管弦楽団、フランス国立放送合唱団
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by noanoa1970 | 2010-08-31 10:11 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

クリップスのモツレク

少年合唱団そしてボーイソプラノを起用したことで知られる、クリップスの…名演とされるモツレク。

以前から気になっており、入手対象にしておいたのだが、タイミング悪く、市場から消えてしまっていた。

どうしても聴きたかったが、ずっーと我慢してきたのに、こんなにもあっけなく、しかも無料でDLできるとは・・・
まるで夢のようである。

このモーツァルトのレクイエムは、未完ではあるが彼の最期の曲として、昔から人気があり、そして数々の演奏家たちによって、名演といわれるものも少なくない。

ケネディ大統領葬儀の音楽も、ラインスドルフによるこの曲で、再発不可能ということで、あきらめていたのだが、数年前復刻してくれた。

この音源などは、リマスターリングで復刻が希望される筆頭であろう。

ヴェルナー・ペック(B-S)
ハンス・ブライトショップ(B-A)
ヴァルター・ルートヴィッヒ(T)
ハラルト・プレーグルヘフ(Bs)
ウィーン宮廷合唱団
ウィーン宮廷管弦楽団
ヨーゼフ・クリップス(指揮)
【録音】
1950年6月、ウィーン、ムジークフェライン

ディスコグラフィーには以上が記されていたが、ウィーン宮廷管弦楽団とはおそらくウイーン交響楽団かウイーンフィルであろうが、弦の艶から推測すればウイーンフィルの可能性が高い。
そしてウィーン宮廷合唱団は、あのウイーン少年合唱団であろう。

同時にDLしたベーム盤、フィリッチャイ盤とともに聴いてみた。

クリップスの演奏は、女性陣の代わりに、少年合唱団やボーイソプラノ・アルトを起用したとぴうところにとどまらず、今まで聞いてきた数々の演奏と比べても、その違いは一目了然だ。

ほとんどの演奏家たちの多くが、この曲を厳しい宗教曲としてとらえている演奏にもかかわらず、クリップスの演奏は、「死者が天国に行けるようにと優しく温かく見守り祈る」・・・死を悲劇的なものではなく、後年の・・・死による救いや死への憧れのような雰囲気を持つ。

これはけっして、少年合唱団やソロの起用にその要因があるわけではなく、クリップスという指揮者の持つ基本スタンス・・・モーツァルトでもベートーヴェンでも見せたあの温和な、柔和な表現、それがここでも生かされている。

よくクリップスを称してウイーン風とかウイーン的だというが、多分そのようなくくりでは彼の音楽はとらえられないであろうと、小生は思っている。

このあたりさらに検証する必要があるだろう。

クリップスと言えば、小生が初めて自分で購入した「運命」は、17センチ盤2枚組というものであった。

最近ベートーヴェン交響曲全集が、悲しいほどの廉価で復刻発売されたが、いすれもオーソドックスな演奏でありながら、1味も2味も違うその音楽には非常に好感が持てるものであった。

一体こういう音楽表現の原点がいかなるものなのか、深く探れるとよいのだが・・・

少年合唱団の、そしてボーイソプラノおよびアルトの少々不安定な歌唱力にもかかわらず、それをあえて起用した彼の意図は、ほんのり推測できるが、ここはあえて記さないことにする。

ただ、女性合唱やソロの・・・どうしても隠せないビブラート・・・これは小生もこういう歌手陣の演奏は苦手であるのだが、彼の音楽性から推すると、それを避けたのかもしれない。

モーツァルトを聴いているというより、このクリップスの演奏は、フォーレのそれを聴いているかのような錯覚さえ覚えることがあり、このような錯覚は、他の演奏家では一切なかったことをつy家加えておく。

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by noanoa1970 | 2009-11-09 10:32 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

アンゲルブレシュトのフォーレ・レクイエム

「無料クラシックmp3ダウンロード著作権切れ、パブリックドメインの歴史的音源」というサイトのフォーレのコーナーに「アンゲルブレシュト」の名高い録音があることを知った。

最近では「アンゲルブレシュト」という指揮者は、ドビュッシーと親交があり、ドビュッシーの音楽研究家としてもその筋では知られており、評価も高かったが、なにしろ音源がCD化されることが少なく、ごく最近までは、LPで古くから聴いている人たちだけが知っている、いわば幻的存在であった。

かくいう小生も、アンゲルブレシュト・・・あの「聖セバスチャンの殉教」の初演者ということで、その名前は知っていたが、一時セットで出たCDを購入するタイミングを逃したたばかりに、廃盤となって久しかったのであった。

つい最近になってテスタメントから、CD復刻されたので、いずれ入手しようと思い、ショッピングカートに入れておいたのだったが、それが今回このような形で、DLできるのだから、これは大変なことだ。

この前紹介したもう一つのサイトと合わせ、これでいつでも利用可能な音源のDLが2つになり、相当数の音源があるから、古の録音を楽しむのにはうって付だ。

版権切れの復刻CDが多く出回っているが、こうなるともうその生命も終わりではないだろうか。
古い音源の焼き直しで商売をしてきたメーカーは、本当に「クラシックの音源」の提供の仕方を考えないといけないだろう。

ともかくユーザーにとっては、今回の古い音源のDLサイトの出現は、大いに評価すべきことである。

フルルトベングラーをはじめとする、ほとんどの往年の指揮者の録音は今後すべてDL可能となるであろう。

ますます「古き良きもの」の相対的価値が低下していくが、それはいたしかたないことなのか。
少し寂しい気持ちもしないではない。

こんなことを思いながら、アンゲルブレシュトのフォーレのレクイエムを聴いた。


第3稿、すなわち大オーケストラ編であるが、聞こえてくるのは室内楽的響きである点が、他の同じ稿の使用録音とは趣が違う。

テンポを少し速めに取りながら・・・有名なクリュイタンス盤との比較においてだが・・・録音が古い割にはオルガンとハープの音がかなり鮮明に出ている、かなり即物的な演奏のようだが、そのことがこの曲にマッチングしているように思われる。

また…これは録音のせいかもしれないが、低弦を際立たせた演奏と合唱陣の真摯な歌い方からも、多くが「甘い・・死への賛美」のような解釈が多いのに比べ、本格的宗教的な雰囲気の濃い気高い品のある演奏である。

彼は自作の「レクイエム」作品もあるというから、宗教曲には相当の思い入れがあったのだろう。

独唱陣も・・・特にソプラノのフランソワーズ・オジュアは、多くの歌い手の中でも際立ったもので、清楚なそしてビブラートを極力抑えた歌い方は非常に好感が持て、この曲にふさわしい。

評判の高いクリュイタンス盤のディスカウは、小生にはこの曲には似つかわしくないと思うことしばしあるのだが、ベルナール・ドゥミニは、ディスカウのような非宗教的な独音の声質ではなく、これも曲想に見合っていて秀逸である。

録音は古いが、多分あのシャルランで活躍したエンジニアのものとされるようだから、自然であり、mp3データでも十分聴けるものだ。

かつては幻の音源と言われ、デュクレテ・トムソンのLPが市場では数万円の価格で取引されたことを思うと、ありがたくそして感謝のの一言に尽きる。



フランソワーズ・オジュア(S)
ベルナール・ドゥミニ(Br)
ジャンヌ・ブドリー・ゴダール(org)
フランス国立放送合唱団

フランス国立放送管弦楽団
デジレ・エミール・アンゲルブレシュト(指揮)

録音:1955年1月~2月
原盤:仏デュクレテ・トムソン

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by noanoa1970 | 2009-11-04 10:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

JFKのレクイエム

12月8日は「ビートルズ」のメンバーの一人、「ジョン・レノン」の命日だそうだ。
「ジョン」のピアノがなぜか「ケネディ」大統領が暗殺された「ダラス」のその地に置かれたという。
11月22日のことだ。

そのニュースを書きとめておくことにした。

『ジョン・F・ケネディ元米大統領の暗殺から43周年を迎えた22日、故ジョン・レノンが反戦歌「イマジン」を作曲するのに使用したピアノが、平和のメッセージとして暗殺の現場に置かれた。

 このピアノは英ポップスターのジョージ・マイケルさんと、彼のパートナーであるケニー・ゴスさんが米国に持ち込んだもの。マイケルさんは2000年に競売でこのピアノを145万ポンド(約3億2000万円)で落札した。現在は278万ドルの価値があるという。

 来月からこのピアノを展示するダラス市内の「ゴス・ギャラリー」のスポークスマンは「マイケルさんとゴスさんは世界平和を重視していて、平和のメッセージとしてピアノをこの場所に持ってきてくれた」と述べた。』

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忘れもしない1963年、衛星中継による米国とのTV生放送をTVの前で待っていた、その第一報が「ケネディ」の暗殺だった。

ピアノを持ち込んだ「ジョージ・マイケル」といえば「ワム」の片割れで、一時人気があった人だ。
「世界平和」のシンボルとして、JFKとジョン・レノンを関係付ける気持ちはなんとなくわかる気がするし、両者ともに「暗殺」という非業の死を迎える点でも共通する。
しかし、なんとは無く「利益目的」の感じが付きまとってしまうのは小生だけであろうか。

40年以上の長きにわたって廃盤となっていた、ケネディ葬儀のモーツァルトのレクイエム
ようやく発売となった。
このLPが発売されたとき小生は中学生。RCAヴィクターから確か5000円という価格で発売されたが、購入することが出来なくて、お金が自由に使えるようになったら購入する候補にしていたのだが、それからすぐに廃盤となった。
事情が事情、事が事だけに、廃盤にしなければならない事態になってしまったと予測されるが、単に音楽としての「レクイエム」ではなく、そこに表現される「ドキュメンタリー」としての価値もあって40年捜し求めてきて、3年前にある方からモノラルではあったが、LPを譲っていただいた。

絶盤であるとあきらめていたにもかかわらず、今回ステレオ盤で復刻されるというので、躊躇無く入手した。
大手ショップの宣伝と紹介文では、LP発売当時の「解説」がそのまま掲載されているので、興味ある方は参考にされたい。
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オリジナル: 1964.02.01(USA)
[演奏]
説教:リチャード・クッシング枢機卿
サラメ・エンディッチ(ソプラノ)
エウニーチェ・アルバーツ(コントラルト)
ニコラス・ディヴァージリオ(テノール)
マック・モーガン(バリトン)
プロ・ムジカ合唱団[合唱指揮:アルフレッド・ナッシュ・パターソン]
ハーヴァード・グリー・クラブおよびラドクリフ合唱協会[合唱指揮:エリオット・フォーブス]
ニュー・イングランド音楽院合唱団[合唱指揮:ローナ・クック・デ・ヴァロン]
聖ヨハネ教会合唱団[合唱指揮:ラッセル・H・デイヴィス]
ボストン交響楽団
指揮:エーリヒ・ラインスドルフ
[録音]1964年1月19日、ボストン、聖十字架教会でのライヴ・レコーディング

ケネディが暗殺された日「ラインスドルフ」は公演中であったが、そのニュースが飛び込んでくると、彼は指揮の手を止めて、聴衆にメッセージを伝えたという。
次の年の1964年1月に行われた追悼ミサでカトリックの式典にのっとり、このレクイエムが演奏されたのだった。

「ラインスドルフ」といえば「ノイエ・ザッハリッヒカイト」の指揮者の典型のように見受けられがちで、確かにそういう演奏も少なくは無いが、モーツァルトでは世界初の交響曲全集でも、ベートーヴェンの第9の解釈においても、個性の中に普遍性を忍ばせるようなところが好きな指揮者の一人である。新ウイーン派の音楽にも素晴らしいものが多い。

レクイエムは中庸よりやや遅めのテンポを取ってはいるが、ビブラートをかなり抑え目にした独唱と合唱、そしてアーティキュレーションによる弦楽器の悲痛なボウイングを演出する。
また通常使用するバセットホルンの出だしをクラリネットのうらぶれたようだがクッキリとした音に変更しているのは意味があってのことだと思う。
まさしく「畏敬」「尊崇」「哀悼」「悲痛」「悲愴」という文字が、ふさわしくは無いが浮かんでくる。
「鎮魂」というものではなく、「安らかに神の御許へ」との祈りが聞こえるレクイエムである。
世に「モツレク」の名演といわれるものは多かれど、所謂「宗教的心」がフツフツと沸いてくるものは、この演奏をおいて、そうざらにあるものでは無いであろう。
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by noanoa1970 | 2006-12-08 17:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

ブリテン諸島の近代音楽・・・スタンフォードのレクイエム

この秋は近代イギリス音楽を中心に聴こうと決めた。
理由は色色だが、一番は民間伝承、民謡、・・・オールド・バラッド、フォークと、クラシック音楽の融合の軌跡をそこに見たかったからである。
わが国においてもクラシック音楽分野の作曲家たちは、戦後の復興期から1960年代にわたって、日本の伝統音楽、あるいはそのエキスを自らの作品に取り込もうとする動きが顕著であった。
勿論このことは戦後に特有のことではなく、西洋音楽が国策として取り込まれたあたりから続くものなのだが、戦時中の国家高揚の反省も込めて、戦後盛んな時期があった。

小生は学生時代DRACという音楽サークルで日本人の作曲家たちについて、少々勉強したせいもあって、・・・また後年フォーク→日本のフォーク→カントリー&ブルーグラス→ブリテン諸島のトラッド音楽へという流れも体験したから、以上2つが重なるルーツとして、漸くブリテン初頭の音楽にたどり着いたというわけだ。

イギリス近代音楽とよばれる分野は、有名どころを、表面的になぞっただけだったから、この辺りでもう少し深く入ってみようという気が起こってきた。
なるほど奥が深いとはこのことで、調べると、小生の知らない名前の作曲家の方が多かったのにも驚いた。
そしてまた、名も知らない人の作品は、驚くほどとても愛らしいものばかりで、そのほとんどが時刻周辺の古謡や、コラールなどを素材にしているように感じられ、刺激しあうことはあるが、フランス近代音楽とは趣をことにすることにも気づかされることが多かった。

d0063263_10283830.jpg今日は
アイルランド出身の「スタンフォード」のレクイエムを聴くことにした。
彼の作品はすでに交響曲3番「アイリッシュ」を聞いていて、素材として使用された古謡はオールドバラッドとして、すでに耳にしていたから・・・そしてブラームスやドヴォルザークに似たところの有る管弦楽法の上に散りばめられた、古謡はとても郷愁を与えてくれたので、いっぺんに好きになった。

資料によると彼は「プロテスタント」系のアイリッシュと、あるが、最初に不思議に思ったのは、プロテシタントがレクイエムなど・・ミサ曲を作曲したことであった。それもラテン語テキストで。
もう一つ分かったことは、レクイエムの音楽的構造ハ、必ずしも一定でないことは知っていたのだが、彼が「GRADUALE」を3曲目に入れていること。

グラドゥアーレ・・・graduale=昇階唱」はgradus(階段)から派生した言葉で、祭壇に登る階段のところで歌われたのに由来するので「昇階唱」とされています。典礼の式次第と強く結びついているためか、レクイエムが教会の外に出て、コンサートで演奏されることが多くなり、いわばレクイエムの”世俗化”が進行するのに伴って、作曲されなくなって言ったといい、小生の知る限りでは、古くは「ゴーロワ」、「オケゲム」・・・時代が新しくなってからは、小生の大好きなあの「ドヴォルザーク」が採用していますが、有名どこの数々のレクイエムには全くといっていいほど、省略されているようです。

「ゴーロワ」は、今ではほとんど、その名を知る人もいないと思うのだが、18世紀まではフランス国王の葬儀には必ずゴーロワのレクイエムが使用されたほど、教会と結びつきがあった大物なのです。

オケゲムそしてドヴォルザークも敬虔なカトリック教徒でしたから、ドヴォルザークにいたってはそのレクイエムの規模からも、この「昇階唱」を入れたのは納得がいきます。
しかしプロテスタントといわれる「スタンフォード」が近代において、「昇階唱」を入れた「レクイエム』を作ることには納得がいかないものがあります。

曲想は、曲のつながりの表情はドヴォルザークを髣髴させますし、次々と施される「ゼネラル・パウゼ」はまるで、ブルックナーを思わせるもの。
しかしところどころに古謡の懐かしげなメロディラインが聞こえてきたり、明らかに教会先方だと思しき者が聞こえてきたり、・・・「アイリッシュ」野意識がかなり表出されるもの。
ジャケットの帯には「ベルリオーズ」のよう・・・などとかかれてあったが、全く其れとは異なる音楽。加工する音型で始まるレクイエムが多いのだが、これは緩やかに上昇する音型を伴うメロディアスなレクイエムである。

小生は思うのだが
彼はプロテスタントではなく本当はカトリック教徒であったのではなかろうか・・・
あるいは
ドヴォルザークを尊敬し、彼のレクイエムの限りないオマージュとしてこれを書いたのではないか・・・・
以上のいずれかあるいは両方である。・・・・そんな思いを抱かせる音楽である。

<昇階唱>
主よ、亡くなったすべての信者の魂を、
罪の縄目から解き放ってください。
主の恩寵の救いによって、
彼らを報復の裁きを免れるにふさわしい者とさせてください。
彼らに永遠の光明の幸福を味合わせてください。

時としてレクイエムに使われる詩篇130番「深い淵より」と同様、魂を揺さぶる詩である。
レクイエムが鎮魂歌=死者の魂を慰める・・・でないことはこれからも分かると思う。
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by noanoa1970 | 2006-09-18 10:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「鐘の音」のある音楽

てつわんこ氏の最近のブログテーマ、なくなった掲示板「猫」の再現を髣髴させるもの、
掲示板なら一気に「鐘」に因む音楽が出てくるのだろうが、
ここはジックリと行きたいですね。!!

神戸と、多分・・・京浜東北根岸線沿線の住人と・・・お二方がお挙げにならないものを。
(熊蔵さん失礼があるかもしれません・・・が、小生20年前には「磯子」に住んでいました)

「鐘」に因む音楽として先ず思い浮かぶ優れものは、いささか季節外れで恐縮なのだが、小生の敬愛するアイリッシュトラッドバンド「チーフ・タンズ」の「ベルズオブダブリン」
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全篇が「クリスマス・キャロル」で構成されるが、最初に響き渡るのは、ダブリンにある「クライスト・チャーチ」大聖堂の12個の鐘の音。
この鐘は、250年の伝統を持つ歴史あるもので、最大のものは直径158cm、重さが2トン半あるという。d0063263_19174740.gif
「人民の鐘」と呼ばれアイルランドの様々な歴史のシーンで慣らされてきたと思われる。
タイトルを「BELLS OF DABURLN」としたのにも、彼らが、あるいはアイルランド市民が、この鐘を、教会を大切にしてきたこと、そして日常の一部としてきたことを思わせる。

ジャンルを問わず、音楽が好きな人ならぜひとも聴いていただきたい音盤である。ことしのクリスマスに用意したらいかがだろうか。

ゲストがまた豪華で、
エルヴィス・コステロ、リッキー・リー・ジョーンズ、マリアンヌ・フェイスフル、ナンシー・グリフィス、ジャクソン・ブラウン、他という顔ぶれ。

リッキーの「オーホーリーナイト」、小生の好きなグリフィスの「ウエスフォードのキャロルが素晴らしい。

もう一つ浮かぶのが
ドヴォルザークの「レクイエム」この中で鐘が打ち鳴らされるのを聴いた人はおられるだろうか。
小生はこの曲を大変気に入っていて、「アンチェル」、「ジョルダン」そしてd0063263_206437.jpg「ケルテス」の3種を聞くのであるが、「鐘」が鳴らされるのは「ケルテス」盤だけで、第4曲「妙なるラッパ」で 、大掛かりな「本物とも思えるような鐘の音」が高らかに鳴らされる。
この演奏を聴いてしまうと、とても気に入っているアンチェル盤ではあるが、少しばかり物足りなく思うことがある。

オリジナル楽譜に「鐘の音」の指定があるか否かは分からないが、いずれにしろここでの「鐘の音」は非常に効果的。
このDECCA録音では・・・これは想像に過ぎないが、本物の教会の鐘の音を録音しておき、アフレコで挿入したのではあるまいか。
鐘の音が教会で鳴っているように聞こえ、しかもかなりシンコペしたように聞こえるから、オケと一緒に、オケの打楽器奏者が鳴らしたものではないように聞こえ、かえってリアルである。

DECCAのプロデューサーであれば、そのぐらいのことはやってのけたに違いないと、推測する。音は、かの「カルーショウ」の録音ように聞こえる。

ドヴォルザークの「レクイエム]二は「鐘の音」はやはり必要である。
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by noanoa1970 | 2006-08-23 07:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

フランク・マルタンのレクイエム

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スイスの作曲家フランク・マルタン(1890~1974)は余り知られていない作曲家である。
確かにこのLPは好んで入手したものではなく、レクイエムを集中して集めていた1970年代後半に、ディスカウントで手に入れたものであった。マルタンは1974年に亡くなるのだが、このレクイエムは、その1年前に作られており、完成とほぼ同時の1973年5月4日にスイスのローザンヌ教会で、作曲者自身の手で初演されたライヴである。

1974年11月21日死去と伝えられるから、この演奏はそのわずか半年前のことであった。
10歳の時にバッハの「マタイ」を聴いて感銘を受けたという彼の音楽はバッハの他、シェーンベルク、バルトークからの影響が見受けられるという。このレクイエムも初期のシェ-ンベルクのようにロマン主義的「無調」が頻繁に現れ、対位法の要素も強くもつように聞こえる。

しかし無調≠12音にも似た音楽語法を駆使したレクイエムは、当然の事ながら、われわれが知る其れとは大きく違う。ここで聞こえるのは、「死者の魂が安らかに天国に導かれるように」と神にお願いするために祈るレクイエムではないようだ。
言い方を変えれば、この世にまだ「未練」が沢山あり、「まだ死にたくない」・・・「死がが怖い」、残念でしょうがない・・・などなど、死に対する「うらみ、つらみ」が聞こえてくるような音楽である。彼は「ユグノー教徒」であったということ、彼の父は「カルヴァン派の聖職者」であったというから、彼は「プロテスタント」である。にも拘らず通常のラテン語の典礼文をテキストにしたレクイエムを書いたことに、「自身の死の予感」があったのではないかと思っている。

このライヴもそのことを思わせるようで、すさまじいばかりの演奏ぶりであるし、全員が同じ方向を共有しているかのように・・・まるで何者かに取り付かれているかのように激しく切ない演奏を聞かせてくれる。第3曲のすさまじい不協和音の「ディエス・イレ」に比べて第4曲の「オッフェルトリウム」ではロマン主義的な美しいコーラスを聞かせる。不思議といえば不思議だが、7曲にフォーレも採用した「天国にて」が無限旋律のような管弦楽に、魂が上昇していくような合唱とソプラノのソロで歌われ、上昇のまま(途中)で曲が終わる。曲はレクイエムのフル版で全8曲。最後の「ルクス・エテルナ」で終わる。

聞き物?は演奏終了後の「拍手」である、延々と・・・・5分以上続く。途中で手拍子に変わるが、すぐに元に戻る。この演奏に対する聴衆の「宗教的興奮」が伝わるようだ。マルタンのスイス人にとっての人気の高さが思われる。
今ではこのようなことは望むべくもないが、拍手が終わるまで全てを収録したこの音盤にも敬意を表したいものである。

FrankMartin (dir) André Luy (org) Elisabeth Speiser (sop) Ria Bollen (alto) Eric Tappy (tnr) Peter Lagger (bss) Groupe Vocal 'Ars Laeta' : Orchestre de la Suisse Romande
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by noanoa1970 | 2005-10-01 13:12 | 宗教曲を聴く | Comments(4)

フォーレのレクイエム

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by noanoa1970 | 2005-09-29 19:00 | 宗教曲を聴く | Comments(0)

ディーリアスのレクイエム

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愛好者の多いディーリアス、そういえば音楽評論家の「出谷啓」氏は若いときからこの音楽家の作品の愛好者であった。彼はどうやらドイツ音楽以外に自分の活路を見出そうとしていたらしい節があり、「皆が聞かないような音楽」・・・・アメリカ音楽などを自分は得意にする・・・なんていうことを昔小生に語ったことがある。1960年代、ディーリアスを聴く人はそう多くなかったはずだ。ビーチャムのレコードが細々と発売されていただけの記憶がある。

最近ではディーリアスの熱烈な愛好家を「ディーリアン」というらしい。熱心な愛好家がこぞってHPやBLlOGを立ち上げている。流行の「癒し系」なのか?いやなことが多い今の世の中であるからか、「自然主義」的な志向を持つ音楽が愛好されるのも良く分かる気がする。

ディーリアスの音楽は、中身はもちろんだが、その「タイトル」がいい。タイトルメイクはドュビッシーのようである。仏印象派や象徴主義的なものにイギリスの田園風景の要素を加えると、ディーリアスとなるように思えるが、いわゆるディーリアス・・・らしくない音楽がこの「レクイエム」である。ディーリスのあの牧歌的で、花の香りが遠くから漂ってくるような音楽は、ここでは余り聞こえてこない。

「異教徒のレクイエム」とも称されるこの曲。
シューベルトの暗く重たい「未完成」交響曲の冒頭にも似た序章からして、少し不気味な感じ方が漂うう。
「戦争のために、若くしてこの世を去ってしまった芸術家の思い出のために・・・・」と副題のついた、通常の典礼文を使用しない、・・・・マーラーの「大地の歌」のような声楽と、それに合唱をつけた交響叙情詩といってよいのだろう。全て英語による歌詞がついている。

作曲年代は(1913~16)、第1次世界大戦の最中であるから、この戦争で亡くなった若い芸術家たちをの追悼に作られたのかもしれない。彼はドイツ生まれであり、イギリス、フランス、アメリカを始めさまざまな国で生活をしている。この世界大戦を彼はどのような目で見たのだろうか。彼もまた国籍を持たない心中複雑な、放浪芸術家であったのかもしれない。
なおこの作品はフェンビーによる口述筆記以前に作られたものである。

4曲目の要約によれば、マーラーの「大地の歌」第6曲、告別 Der Abschiedに似た「輪廻転生」「永劫回帰」といったものを感じる。

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とこしえの
あらたな芽生え
この世のものは
全て帰り来る
帰ってくる
春・・夏・・秋・・
そして冬が過ぎ・・
やがて、また春が訪れる
新しい春が訪れる

歌詞はニーチェ。ほかシェイクスピア、旧訳聖書からも引用してあるらしいが確認出来てない。
LP:メルディス・デイビス指揮ロイヤルフィル、ロイヤル合唱団、
CD:LPと同メンバー、LPに収録されてない「告別の歌」「夜明け前の歌」が収録される。「告別の歌」では指揮が、マルコム・サージェントに代わる。
フェンビ-の手により口述筆記の曲となる素晴らしい「IDYLL」が聴けるのもよい。
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by noanoa1970 | 2005-09-29 09:30 | 宗教曲を聴く | Comments(0)