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Tom Dooley、何故バンジョーの弾き語りで

1958年、それはキングストン・トリオが歌ったTom Dooleyが全米で大ヒットした年であった。

それまで「フォーク部門」が存在しなかったので、第1回グラミー賞で、ベスト・カントリー&ウェスタン・パフォーマンス賞を獲得した。
しかしその後、1962年に「ベスト・パフォーマンス・フォーク」部門が設立され、アルバム「The Kingston Trio At Large」で2回目のグラミー賞を受賞しというからものすごい人気があったわけである。

当然日本にも彼らの歌は輸入され、PP&Mやジョーンバエズを聞く少し前には小生も少なからず彼らキングストン・トリオを聞いていたのである。

Tom Dooleyもその中の1つであったが、当時小学生の高学年ではあったが、その歌の意味するところなどは、少しも理解しようはずもなかった。

「ポ・ボーイ」「バンツゥーダイ」の個所の、どこか侘しげな雰囲気を感じてはいたが、バンジョーの軽快なピッキングのせいで、明るい歌と思っていたのだった。
Hang down your head, Tom Dooley・・・でだしのところ、当時は「ヘダン・ヨーネック・トムドゥーリー」と聞こえていた。

当時TVで最も人気の高かった、三菱電機提供のプロレスの解説などで、「ヘッドダウン」という言葉が耳にあったので、小生はてっきり「頭を下げる」ということ、挨拶でもしているのかと、勝手に解釈したものだった。

あれから50年の現在・・・そして今から15年ほど前、小生の音楽的興味は、クラシック音楽とJAZZに加えて、ブリテン諸島・・おもにアイルランド、スコットランドのトラディショナルフォークとオールドバラッドへと向かうこととなった。

そんな中、アイルランド、スコットランドの恐慌・・・農作物飢饉時代に、海を渡って新大陸に移住してきた移民たちが、アパラチア山脈の麓に住みつき、故国の伝統歌やワークソングを歌い、語ることで、貧しい生活の活力としていったことを知り、それらがルーツで、アメリカンフォーク、そしてブルースが生まれたことを知ることになった。

「アパラチアンバラッド」と呼ばれるものの多くは、ブリテン諸島の伝統歌を、色濃く受け継いでおり、本国オリジナルが既に失われてしまったが、アメリカで残されているものも少なくない。

Tom Dooleyは、そのようなブリテン諸島のオールドバラッドの4行詩スタイルを受け継いで、そしてオールドバラッドでよく語られる「マーダー」:殺人事件を話題にしたものだ。

キリスト教徒の彼らにおいて殺人とは、神にそむく罪悪行為であるから、まして移民たちの集団では、出身地によるアイデンティティや差別などもあったろうから、そんな事件は、瞬く間に広がったことであろう。

本国においては、そういう話は「ブロードサイド」という瓦版屋たちによって、すぐさま全土に広まったという。

アパラチア山脈という、いわば録の孤島に封じ込められた移民たちにとって、殺人事件はあっと驚く非日常の出来事、彼ら移民たちの興味を、ものすごく引いたことであろうことは容易に推測可能だ。

Tom Dooleyは、そんな中、伝説化されたほど有名な話である。

南北戦争時代の南軍の兵士、トム・デューラという男が犯したとされる、人妻殺人は、ノースカロライナ州のウイルクス群、ヤドキン河が流れるハッピーバレイという町で1868年に実際に起こった事件である。

伝説になってしまい、数々の説話があるから、真実はなかなか見えてこないが、おおよそは以下の通りだと、小生は考えている。

トムには恋人が2人いて、彼女たちは「従妹」とも「姉妹」とも両方の説があるが、それはこの際どうでもよいが、アイルランドのオールドマーダーバラッド「クルエル・シスターズ」の例は、姉妹で、妹が恋敵の姉を川に投げ込んで殺した事件である。

片方の女は、トムが戦争に行っている間に、(トムを慕いながら)、他の男と結婚した。

トムは残った片方と恋仲になったが、結婚した片方はトムをあきらめきれなかった。

トムは、両方から愛されてしまい、困ったが、どうも人妻のほうに魅力を感じるようになっていた。

自分と結婚すると思っていた片方の女性、そして妻の浮気を知ったもう片方の彼女の夫。

真相は彼らのいずれかが、人妻の彼女を・・・浮気、あるいは恋敵で、殺したと思うのだが、成り行きはそうではなく、結局トムが殺したということになった。

たぶん「デューラ」を「ドゥーリー」と、愛着をこめて呼んでいるところからは、そのような、真相は冤罪事件だったという推測が可能だし、冤罪はいつの世も多かったし、あの時代のことであるから、捜査も正確さを欠き、冤罪に一層拍車がかかったことだろう。

人妻の夫は、保安官だとも言われているし、教師だとも言われている。
どちらかはともかく、両方共に、当時は権威の象徴であったろうから、ひょっとしたら、権威と権力によって自分の犯行を隠せたのかもしれない。


Hang down your head, Tom Dooley,
Hang down your head and cry.
Hang down your head, Tom Dooley,
Poor boy you're bound to die.
I met her on the mountain,
There I took her life;
Met her on the mountain,
Stabbed her with my knife.

Hang down your head, Tom Dooley,
Hang down your head and cry.
Hang down your head, Tom Dooley,
Poor boy you're bound to die.
This time tomorrow,
Reckon where I'll be?
Hadn't a been for Grayson,
I'd a been in Tenessee.

Hang down your head, Tom Dooley,
Hang down your head and cry.
Hang down your head, Tom Dooley,
Poor boy you're bound to die.
This time tomorrow,
Reckon where I'll be?
Down in some loneome valley,
A hangin' from a white oak tree.


当時の処刑は、白樫の木に下げられた縛り首のロープによる絞首刑であった。

マウンテンはブルーリッジマウンテンという言葉もあるように、キリスト教徒の間では
おそらく聖地の山。

その聖地である山の中腹で、女性刺殺したというのだから、話題にならないはずはなかった。

Graysonというのが、人妻の夫の名前。

彼の手から逃れることができたなら、テネシー州で暮らすことができるのに・・・
とあることから、この歌の背景には、トムに対する憐れみと同情があるようだ。

周囲の人たちは、真犯人が存在するということを、感じていたのかもしれない。

バンジョーの弾き語りで演奏されることが多いのは、トムが兵役の際に、バンジョーを持って行って、よく歌っていたという逸話から来ているものと思われる。

キングストン・トリオのオリジナルは下記にある。
The Kingston Trio - Tom Dooley (1958 Capitol records) Lyrics

by noanoa1970 | 2008-08-19 17:21 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

Green Back Dollar

昨日のブログ、「Do Re Mi」でDo=グリーンバックドラー、すなわちドル紙幣のことと注釈をした関係で、本日はその「Green Back Dollar」について少し書いてみることにした。

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たった今、「キングストン・トリオ」のこの曲を聴いたばかりで、初めてこの曲を聴いた1960年代初期の、少年時代のワクワク感が甦り、チョットいい気分になった。

Green Back Dollarは、米国のドル紙幣の裏がすべて緑色の塗料で印刷されているところからと、もともとBackではなくbuck=鹿の革・・・インディアンが取引に、鹿の皮を用いて物資と交換したために、ドルのことを「バック」と言っていたこと、発音がいずれも「バック」というところから、ドル札の総称として使われるようになったといういきさつがあったと言う。

キングストン・トリオは、第2次フォークリヴァイバル期の象徴的存在で、我が国のいわゆるカレッジフォークの面々のほとんどは、彼らの影響下にあった。

それまで、ロックンロール全盛だった、ラジオやTVの音楽番組では、このころ…1960年初期あたりから、米国での第2次フォークリヴァイバルブームの波の影響で、数々の和製フォークも生まれてきた。

ちなみに、第1次フォークリヴァイバルは、ウッディ・ガスリー、ウイーバーズ、ジャック・エリオット、ピート・シーガーなどの人たちである。

キングストン・トリオは、そんな第1次フォークリヴァイバルの騎士たちのあとを引き次いで登場した、カレッジフォークの元祖的存在。

よくブラザーズ・フォアと比較されることがあるが、キングストン・トリオは、彼らよりも幾分オリジナルのフォーク寄りのところが見受けられる。
しかしかなりの部分で歌った曲がオーバーラップする。

ピート・シーガーの名曲「花はどこに行った」は、両方でかなりヒットし、シンコペの使用法に若干の相違はあるが、どちらも耳になじんだものである。

4人と3人の違いが、聞いていてさほど感じられないのが、昔から不思議なことでもあった。

ハーモニーのブラフオー、リズムのキングストン・・・そういってしまうと、少々語弊があるかもしれないが、しいて言えばそれが大きな違いと特徴だろうか。


さてこのGreen Back Dollarは、なにもドル紙幣のことを歌った歌ではなく、母親から「将来大人になったら、どこでも好きな国を旅してご覧」と言われた少年が、大人になって1文無しの放浪の身となって方々を旅してまわることになってしまった・・・1瓶のブランデイと歌だけが、心の支えだ・・・・・
そんな内容の悲しいHOBOソングなのである。

Green Back Dollar

Well, I don't give a damn about a green back dollar
Spend it fast as I can
For a wailing song and a good guitar
Are the only things that I understand
Oh Lord, the only things that I understand

Some people say I'm a no count
Others say I'm no good
But I'm just a natural born traveling man
Doing what I think I should
Oh Lord, doing what I think I should

When I was a little baby, my mother said, hey son
Travel where you will
And grow to be a man
And do what must be done
Oh Lord, do what must be done
Now that I'm a grown man
I've traveled here and there
I've learned that a bottle of brandy and a song
Are the only ones who ever care
Oh Lord, are the only ones who ever care

by noanoa1970 | 2008-08-18 12:09 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

Do Re Mi

「ルート66」という米国の国道がある。

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ナットキングコールが歌いスタンダードの名曲ともなったし、1960年代の米国のTV番組を輸入して、日本で吹き替え版で放映された、若者が車・・・恰好のいいコルベットに乗り、ハイウエイを旅してまわる青春冒険ドラマ「R-66」というものもあった。

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この国道66号線は、アメリカ合衆国中西部・南西部の8州を通り、イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結んで、全長3,755km(2,347マイル)におよび、連邦最初の国道の1つとして1926年11月11日に創設された。

「Do Re Mi」とは、おもにこの国道・・・ルート66を利用してカリフォルニア州へと向う人たち・・・HOBOと呼ばれるような、あのスタインベックの「怒りの葡萄」に登場するような人々が、通った国道でもあった。

ウィキに下記のような記述がある。
「1930年代には、土壌流出によりカンザス・オクラホマ・テキサス各州からカリフォルニア州へ移住する農家が西へと向かうための道としての役割を担った。大恐慌時代には、この国道の存在は沿道の住民に安心感を与えた。小さな町村を縫うように走り、交通量も増加の一途をたどっていたため、沿道には各種商店やレストランなどビジネスを起こす機会にあふれていた。」

Do Re Miは、カルフォルニアへと入植する難民たちを、入管管理官が取り締まり、中には「賄賂」を要求したりする入植管理官がいたことを歌っているもの。

Do Re Miの語源は、
Do=グリーンバックドラーのドルの頭文字。
Re=Let
Mi=Me
「俺に金を恵んでくれ」というHOBOの隠語だといわれている。

ママス&パパスの「夢のカリフオルニア」、スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」でも歌われるように、カルフォルニアは、HOBOたちにとっては過ごしやすい天国に思えたことだろう。

Well, thousands of folks back east they say
Are leavin' most everyday
They're beatin' the hot ole dusty way
To the California line
Across the desert sands they roll
A-gettin' outta that old dust bowl
They think they're goin' to a sugar bowl
But, here is what they find
The police at the port of entry say
You're number 14,000 for the day

Chorus
If you ain't got that Do Re Mi boys
If you ain't got that Do Re Mi
Oh, you better go back to beautiful Texas
Oklahoma, Georgia, Kansas, Tennessee
California is a garden of Eden
It's a paradise to live in or see
Believe it or not you won't find it so hot
If you ain't got the Do Re Mi

Well, if wanna buy you a home or a farm
That can't deal nobody harm
Or take your vacations by the mountains or the sea
Don't swap your old cow for a car
You'd better stay right where you are
You better take this little tip from me
I look through the want ads every day
And the headlines in the papers always say

高田渡は以下の個所を次のように訳して歌詞にした。

If you ain't got the Do Re Mi
Oh, you better go back to beautiful Texas
Oklahoma, Georgia, Kansas, Tennessee
California is a garden of Eden
It's a paradise to live in or see
Believe it or not you won't find it so hot
If you ain't got the Do Re Mi

・・・お役人が立ちふさがって言うには、来年が勝負なんだよ
銭がなけりゃ君、銭がなけりゃ
帰ったほうが身のためだ
あんたの故郷(クニ)へ
東京はいいところさ、眺めるなら申し分なし
住むなら青山に決まってるさ
銭があればね・・・

元の歌詞では、Texas、Oklahoma, Georgia, Kansas, Tennessee
とあり、彼ら入植民たちは主に、これらの州からやってきたことが分かる。

オクラホマシティに向けてR-66をしばらく走ると、その橋が右側に見えて来るという。カナディアン・リバーにかかる古い鉄の橋は、1930年代の大恐慌の貧困から逃れるために、別天地カリフォルニアを目指した「オーキーズ」≒HOBOと呼ばれる人々が、生まれ育った土地に別れを告げた橋と言われている。

まさにウッディガスリーがDo Re Miに歌った風景は、R-66のこの古い橋を渡るところから始まるのである。

ものすごい数の人々が、故郷の東に見切りをつけてやって来るという
灼熱地獄の埃っぽい道を、カリフォルニアを目指し旅して来た
険しい砂漠を横断して歩き続けて
甘い果実がたくさん生っているというエデンの園のような
パラダイスの土地に行くという
しかし、思いがけず、彼らがそこで聞くことになるのは
入管管理官のいう、
「あんたでもう、今日14000人目だ」という冷たい言葉だった

カルフォルニアは天国さ、でもそれは金持ちだけに言えること
金がないのなら、すぐに故郷に帰ったほうがおまえの身のためだ
(俺に賄賂をくれるなら見逃してやってもいいんだが・・・・)
そうでないなら、とっとと帰れ・・・・

R-66はそんな悲しい入植民者たちの物語を知っている。

少年時代に見た青春冒険ドラマのスケールの大きさや、何回となく聞いてきて耳になじんだ曲のメロディからは想像だにできなかった悲惨な物語があった。

by noanoa1970 | 2008-08-17 15:56 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

Hobo’s Lullaby

ウッディ・ガスリーの作品の中でも、取り分けて素晴らしい曲の一つ、Hobo’s Lullaby:「さすらい人の子守歌」。

その昔、はしだのりひことシューベルツが、同名の曲を歌っていたが、これはおそらくフランツ・シューベルトの、リュベックの詩による歌曲と、ウッディ・ガスリーのHobo’s Lullabyからヒントを得たものと推測される。

はしだのりひこは、さすらい人の姿を、旅に疲れた若い2人の男女に置き換えてしまったが、根はHOBOにあったことは、ほぼ間違いないだろう。

当時フォークを志した人で、ウッディ・ガスリーの強い影響を受けなかった人はいなかった。

そんなことが想像に難くないほど、さまざまなフォークミュジシャンたちは、ウッディをコピーして、それに日本語の歌詞をつけて歌うことが多かったのだ。

高石ともや、高田渡、古川豪といった人たちはその典型である。

ウッディオリジナルはもちろん素晴らしいのだが、歌が優れているだけに、多くのミュジシャンたちによって歌われるこの歌。

ウッディの息子アーロ・ガスリーのフィンガーピッキングによる、よりスローに仕上げられたものもいい。
そして小生が最も好きなのが、エミルーハリスのかすれた美声のもの。

FOLKWAYS~アメリカの心~というオムニバスアルバムの9曲目に収録されている。

この録音は、1988年フォークウェイズレコードを守るため、ボブディラン、ピート・シーガーなどが、レッドベリーーとウディ・ガスリーの歌をトリビュートしたアルバム。
アルバムの収益は、フォークウェイズレコードコレクションを維持運営するため、スミソニアン協会の資金にあてられたという。

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曲目 アーティスト アルバム
Folkways: A Vision Shared-A Tribute To Woody Guthrie And Leadbelly
25DP-5219
1988.09.28
CBS/SONY RECORDS
1 Sylvie: SWEET HONEY IN THE ROCK
2 Pretty Boy Floyd :BOB DYLAN
3 Do Re Mi :JOHN MELLENCAMP
4 I Ain't Got No Home :BRUCE SPRINGSTEEN
5 Jesus Christ: U2
6 Rock Island Line: LITTLE RICHARD WITH FISHBONE
7 East Texas Red :ARLO GUTHRIE
8 Philadelphia Lawyer :WILLIE NELSON
9 Hobo's Lullaby :EMMYLOU HARRIS
10 The Bourgeois Blues TAJ MAHAL
11 Gray Goose :SWEET HONEY IN THE ROCK
12 Goodnight Irene: BRIAN WILSON
13 Vigilante Man :BRUCE SPRINGSTEEN
14 This Land Is Your Land: PETE SEEGER WITH SWEET HONEY IN THE ROCK, DOC WATSON & THE LITTLE RED SCHOOL HOUSE CHORUS


hobo's lullaby By Goebel Reeves
拙い小生の訳で恐縮だが、書き留めておくことにした。

Go to sleep you weary hobo
Let the towns drift slowly by
Can't you hear the steel rail humming
That's a hobo's lullaby
お休み、HOBO、疲れ切った体を横たえて
町はゆっくり暮れなずんでいく
汽車が鉄道を走る音が聞こえないか
それがお前の子守歌さ

Do not think about tomorrow
Let tomorrow come and go
Tonight you're in a nice warm boxcar
Safe from all the wind and snow
明日のことなんか考えたってしょうがないことさ
明日は明日の風任せ
今夜は暖かい屋根つきの貨物列車で眠れる
どんな天気でも心配ないさ

I know the police cause you trouble
They cause trouble everywhere
But when you die and go to heaven
You won't find no policemen there
厄介なのは、取締の奴らだとわかっている
どこに行っても、奴らは邪魔をする
でも、もし天国に行けたら
そこには奴らはもういないだろう

I know your clothes are torn and ragged
And your hair is turning grey
Lift your head and smile at trouble
You'll find happiness some day
着るものは汚れ、あちこち破れかけ
いつの間にか髪の毛も灰色になってしまった
でも、くじけずに、どんな時でもほほえみを忘れないで
そうすれば、いつか幸せが来るだろう

So go to sleep you weary hobo
Let the towns drift slowly by
Don't you feel the steel rail humming
That's a hobo's lullaby
だから、ゆっくりとお休みHOBOよ
町はゆっくり暮れなずんでいく
汽車が鉄道を走る音が聞こえないか
それがお前の子守歌さ

HOBOの仲間で有名だった、ブルースハープで汽車の汽笛のまねをする達人でもあった、ある黒人の男が長い放浪生活が原因で、肺炎で死んだとき、アメリカ全土からHOBOたちが彼の葬式に集まったという。

そんな逸話が残されるほど、HOBOたちの人間的暖かさは、同じ境遇の人たち同士で分かり合えたことの結果であろう。

NGDBの「アンクルチャーリーと愛犬テディ」に出てくるチャーリーおじいさんもこうしたHOBOの仲間であったのだろうか。
ブルースハープとギターで、「ジェッシージェームス」:を歌っている昔のテープが収録され、続いて、これもまたHOBOの生活のための稼ぎ技、酒場でのタップダンスの名手J・Jウォーカーのオリジナル「ミスターボージャングル」へと曲が変わるのも、何かを意味するものと思う。

NGDBもJJウォーカーも、おそらくHOBOへの郷愁を強く持っていたのではなかろうか

by noanoa1970 | 2008-08-13 10:57 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

ONLY A HOBO

HOBOとは方々行き来するからとの語源もまかり通るほど、その発音を日本語に置き換えることで、その意味するところをあらわすのにぴったりである。

スタインベックの「怒りの葡萄」の時代のアメリカ。
それまで住んでいた土地を奪われた民衆は、新しい土地を夢見て、また新しい生活のための職業を求めて、鉄道に無賃乗車をしたりして、各地を放浪した。

HOBOとは、そのような労務者、あるいは夢破れた浮浪者を意味する言葉だ。
HOBO生活をしながら、歌を作り歌ってきた人の中に、ボブ・ディランに多大な影響を与えたあのウッディガスリーもいたのである。

労務者のワークソングともいうべき、フォークソングの数々を書いたガスリーと、彼を慕うジャック・ エリオットは、ともに4年の放浪生活をしたという。

1967年9月、小生が大学生になってから半年後、ウッディガスリーは、55歳の若さでこの世を去った。

フォークリバイバルブームの時代は、ここに終焉を遂げ、R&Bのオーティスレディングの「ドッグオブザベイ」がラジオからいつも流れていた時、衝撃的な飛行機事故死のニュースが飛び込んできたのもこの年のこと。

そして、プロテストの主役はフォークカラロックへと移行するのだが、その口火の年が1967年でもある。

下記のように多くのロック系バンドが登場した。

The Bee Gees "The Bee Gees "
Buffalo Springfield "Buffalo Springfield"
Captain Beefheart & His Magic Band "Safe As Milk"
Country Joe & The Fish "Electric Music"
David Bowie"David Bowie" , The Doors "The Doors"
Grateful Dead "Grateful Dead"
Harpers Bizarre "Feelin' Groovy"
Janis Joplin"Big Brother & The Holding Company"
Joni Mitchel "Joni Mitchel"
Linda Rondstodt "Stone Pony"
Leonard Cohen "The Songs Of Leonard Cohen"
Mama's & Papa's Mason Williams "Phonograph Record"
Mobby Grape "Mobby Grape"
Nice"The Thoughts Of Emerlist Davjack"
Nilson "Pandemonium Shadow Show"
The Nitty Gritty Dirt Band "The Nitty Gritty Dirt Band
Pink Floyd "The Piper At The Gates Of Dawn" ,
Red Crayola "Parable Of Arable Land"
The Soul Survivors "Expressway To Your Heart"
Status Quo "Picture Of Matchstick Men"
Strawberry Alarm Clock "Incense And Peppermints"
Traffic "Mr. Fantasy"
Ten Years After "Ten Years After"
T Rex "My People Were Fair And Sky In Their …" ,
Vanilla Fudge "Vanilla Fudge" The Velvet Underground & Nico "The Velvet Underground"
The Youngbloods "The Youngbloods"

そんな中、地味な存在ではあったが、ウッディやエリオットの影響を多大に受けたある男が1967年にリリースした自身8枚目のスタジオ・アルバム『ジョン・ウェズリー・ハーディング』(John Wesley Harding)のなかに、I Am a Lonesome Hobo という曲がある。

そして【THE BOOTLEG SERIES VOLUMES 1-3〔rare&unreleased〕1961-1991にOnly A Hoboが収録されている。

かつてディランは、フォークウェイズ・レーベルからは"Blind Boy Grunt"なる変名で「Only A Hobo - Talkin' Devil」、「John Brown」を発表しているとあるから、「海賊版シリーズ」というアルバムに編入されたものであろう。

60年代の初期のころであると思われる。

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このHOBOを話題としたディランの歌を、イギリスの民謡を題材とした数々の名曲をリリースしたロッドステュアートがカバーしたものが、「ガソリンアレイ」というアルバムの中にあり、小生が一番気に入っているものである。

ロン・ウッドのドブロ、そしてロニー・レーンのアコースチックギターのバックによるスコットランドあるいはアイルランド風のアレンジが織りなす、伝統歌のような音楽とロッドのしわがれ声により、しみじみしたバラードに仕上げられた作品は、この歌詞の内容の持つ、哀れなHOBOの末路をリアルに想像させるのに十分なものだ。

この歌を聴くとディランの師匠ウッディやエリオットたちトラッドフォークの先達たちが、いかにブリテン諸島の古謡からの伝統メロディやモチーフを引き継いで来たかということがよく分かる。

初めてロッドのこの歌を聞いた時、小生はてっきりイギリスの伝統歌だと思い込んだほどだったのである。

「Only A Hobo」
As I was out walking on a corner one day,
I spied an old hobo, in a doorway he lay.
His face was all grounded in the cold sidewalk floor
And I guess he'd been there for the whole night or more.

Only a hobo, but one more is gone
Leavin' nobody to sing his sad song
Leavin' nobody to carry him home
Only a hobo, but one more is gone

ある日街を歩いていると、年寄りのホーボーが倒れてた
冷たい歩道に仰向けになり、かなりの日数そのままらしい
ホーボーとはいえ、たったひとり死んでいく
誰も哀しみの歌を歌ってはくれない
そのままで、誰も引きとらずにそこにある死体
ホーボーとはいえ、たったひとりで死んでいく

中間部ではいるバグパイプ風のメロディが涙を誘う、そんなアレンジが素晴らしい。
フェイセスのメンバーとロッドステュアートの傑作だ。

by noanoa1970 | 2008-08-11 11:18 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

OK牧場の歌合戦

昨夜再びOK牧場へ。
毎月第1週の土曜日は、古くから顔見知りで近所に住む、Kさんが登場するアコースティックバンドの出番である。
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先日のエレキが入るカントリーバンドもいいにはいいのだが、小生はアンプラグドのブルーグラスやトラッドフォークのほうをより好んでいるから、彼の出番の昨夜を楽しみにしていた。

大昔はOK軍団といってカントリー、ブルーグラス、フォーク、ウエスウタン・・・なんでもありの混声バンドであったが、統廃合されて4つのグループになってそれぞれが週を分けて演奏するようになったらしい。

どのような顔ぶれとなるか楽しみであった、Kさんは小生の思うところナターシャセブンの曲にみられるように、トラッドフォークを日本語で歌うことが好きなようだ。

バンドはギター、フラットマンドリン、バンジョー、ベースで、フィドルのないブルーグラスバンドのようだが、驚いたことに女性ボーカルが入っている。
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かなり長い間ご無沙汰であったから、小生はギターのKさん以外のメンバーは初対面であったが、この女性ボーカリストが「テネシーワルツ」を歌ったのを聞いて、すぐにこの人は相当声楽の鍛錬をしてきた人であることを見つけていた。

腹式呼吸はその筋の教育をつんだ人でなければ、なかなか出来ないこと。
しかし彼女の発声も、声量も、発音も、その全てが素人であるとは思えなかったからだ。

休憩時間に挨拶に客席までやってきてくれたので、その旨を話すと、やはりかなりの力量の持ち主であることが分かった。

ただしカントリーやブルーグラスの曲となると、少々似合わないことも無いから、やはりお得意分野のレパートリーを披露したほうがよさそうだ。
この日のために用意してくれた数々のクリスマスソングはプロ顔負けの歌唱力で、アメージンググレースを歌わせたら、保存しておきたいぐらいの腕前を披露してくれた。

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飛び入りで歌ったもう一人の若い女性ボーカルは、声のトーンや歌唱法がカントリー向きで、このジャンルではこの方がしっくり来たのは小生だけではなかったようだ。

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昨夜はゲスト出演が多く、中でも驚いたのが左利きのギタリスト。
彼のフラットピッキングギターは相当な腕だ。
エレキギターだと、弦の張具合が比較的ゆるくある程度ごまかしはききそうだが、アコースティックギターの・・・俗にフォークギターと呼ばれるスチール弦ギターでは、常に正確に弾かなくてはならない。

おまけに左構えで弾くから通常のダウンストロークはアップストロークとなる。
教則本にはそのような・・左手で弾くものなどはそうは無いであろうから、かなり苦労したと思われるが、ポールマッカートニーのようにサイドやベース専門でリズムを刻むのではなく、フラットピッキングをバリバリやってのけるのには驚愕してしまった。

ジャンゴラインハルトを尊敬しているらしく生まれた子供にラインハルトのハルトをトって「春人」と名づけたと聞く。

最後にMJQでもおなじみの「ジャンゴ」を、これもまた珍しいことだが・・バンジョーとのデュオで聴かせてくれた。

分野は違ってもその道の優れものはアty買うジャンルを選ぶようなことはしないものであることを改めて認識した。

ブルーグラスで活躍する名手達・・・ベラ・フレック、マーク・オコナーなどはブルーグラスにとどまらないジャンルを開拓している名手である。

一部のJAZZファンと称する人の中には、かなり頭が固い人が居て、JAZZを特別視する傾向があることを見受けることがあるが、この先「井の中の蛙」であり続けることの器具を言い抱くことがある。

そのような人には「ジャンゴ」をブルーグラスミュジシャンが、しかもアコースティックギターとバンジョーで演奏することなど思いもつかないことだろう。
畢竟小生も音楽分野でのジャンルレスの人種であるという風に自分では思い込んでいたが、これをこのように演るとは思いがけないことで、たいそう感激した。
しかもそれが素人の演奏であることは、わが国の音楽人口の裾野が質量ともに凄いことを象徴しているようだ。

by noanoa1970 | 2007-12-02 13:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

マキとマキ

小生の学生時代の後輩drac-ob氏がカルメンマキのライブへ行った事をブログに書いていた。

その中で、カルメンマキの演目で「アフリカの月」を演ったとあったので、いささか驚くとともに、ほぼ同時代を過ごし、どこかで音楽的にもつながっていたであろう、今は亡きKUROチャンとその夫である西岡恭藏の歌がジャンルなどを超えて歌い継がれることに感動したのであった。

そのブログの中に「カモメ」そして「にぎわい」という曲をも演ったとあったので、小生はあの淺川マキの同曲を想起し、「マキがマキを歌う?」とコメントしたのだった。

それからというもの、浅川マキとカルメンマキ・・・「マキ」つながりではあるが、一体どこで接点があったのだろうと気になっていたのであった。

もし二人を結びつけるものがあったとすれば、恐らく1960年から70年代の初めの「アンダーグラウンド」時代、カルメンマキが浅川のレコードやライブをその時代に聞いたのではないかとも推理していた。

小生には彼女達二人ともに共通するイメージは「黒っぽい」「社会から少しはみ出た」「時代の波にあわせない」・・・所謂われらが団塊世代のあだ花の全共闘運動にも通じるようなラディカルで、非商業主義的志向のシンボル的存在としてのそれであった。

あの時代の学園祭には彼女達は良く登場していた記憶があり、小生も学生会館で浅川マキを初めて聞いた。

浅川マキ「かもめ」1970

カルメン・マキ 『 時には母のない子のように 』 1969年

「マキがマキを歌う」・・・アルバムタイトルにもなりかねない、そんなシャレた・・・というよりどこかで共通した価値観なり、レスペクトなりを感じさせるような選曲に、西岡恭藏の「アフリカの月」同様、とにかく気になって仕方がなかったのである。

「アフリカの月」は、海で片足をなくした老いぼれが安酒に酔って酒場で船乗りの若者に昔の思い出を語る・・・そんな歌で、7つの海を航海してきたが、黒い大陸=アフリカで見た月が一番印象的だった・・・若者よ良く聞け、船乗りになったら陸で死ぬことは出来ない・・・などと歌う。

「カモメ」は海の近くに住む、やはり若い船乗りが、港町のあばずれ女に恋をする悲しい結末の歌。

「にぎわい」は、「かまやつひろし」の曲に浅川自身がが詩を付けた曲。
今はもう寂れてしまった港町を再び訪れた男が、かって栄えた港町の風景や昔愛した女を思い出して、しみじみと歌う歌である。

カルメンマキは、「港」「波止場」「海」「船乗り」の、昔の心象的風景の歌を取り上げたのだ。

このことにも、何か彼女の心の中を探ろうという欲求を駆り立てるものがあるのだが、それは実際に聞いてからの言及としたい。

昨日カルメンマキ自身のブログにこんなことが書かれていたので、紹介しておく。
浅川マキとの邂逅について少し触れられている。

7/31(火)
新澤健一郎君のリーダーバンド「Nervio」を初めて聴いた。
今回はレギュラーメンバーのヤヒロトモヒロさんの代わりに仙波清彦さんがパーカッションだった。そのせいかCDとは大分違った印象。まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなサウンドで大いに楽しませてもらった!

3曲目の演奏途中、後ろからポンと肩をたたかれたので振り向くと、なんと浅川マキ姉さんだった。隣接するリハーサルスタジオに居るというので休憩時間に行って話をした。
大マキさんのお宅にお邪魔して、随分長いこといろいろお話ししたのは何年前だったかしら?・・・本当に久ぶりの再会だ。

私が初めて「浅川マキ」を観たのは、私が「時には母のない子のように」で歌手デビューする直前の1969年の冬、今は失きあの伝説の「新宿アートシアターギルド(ATG)」の地下「蠍座」だった。あの時の衝撃を私は多分一生忘れないだろう。その少し前に出会った天井桟敷の芝居「青髭」や、その少し後に聴いたジァニスの「チープ・スリル」、ジミ・ヘンドリックスの「Are You Experience?」と同様に、それはその後の私の人生を変えるきっかけとなるものだったと言ってもいい。
だから怖れ多くも「かもめ」を歌うことには当然、随分と勇気が要った。浅川マキファンに申し訳ない、比べられるのではないか、などと悩み、自信もなかった。けれど、そんな私を後押ししてくれたのは意外にもマキさん本人だった。「あの歌を歌えるのはマキしかいないでしょ」大マキ姉さんにそう言われて、私は安堵したと同時に、ただ好きで歌いたかっただけのあの歌が私にとって、もっと大きな意味をもつようになった。
他人の歌を歌う場合、比べられてもしょうがない、下手でもいい、それよりもその歌を大切に育て自分のものとして消化していくこと、そして良い歌を歌い継いで行くこと、残して行くことこそが大事なのだと。

ライブ終了後、帰り際に挨拶をしに又スタジオに寄った。
11月の新宿PIT INN、ドラムのセシル・モンローとのDUO公演の、出来上がったばかりのチラシをいただいた。
7月には向井滋春さんとのDUOがあった。とても元気で積極的に活動していることを知って嬉しくなった。
大マキ姉さんとは喋り出すと話が尽きなくなる。1度、電話で話しながらワインを1本空けた事もある!!!
今日も久ぶりに会って、時間が許せばもっとお話したかったのだけれど・・・。
今度はいつ会えることやら・・・又どこかで元気な大マキ姉さんに再会したい。


>浅川を「大マキ姉さん」と呼び慕うカルメンマキの姿がここにあった。
「かもめ」は曲想からして、浅川にもカルメンにも良く似合っていると小生は強く思う。

「にぎわい」そして「アフリカの月」はどのようにアレンジされているのだろうかと、気になり始めているこのごろである。

板橋文夫と太田恵資をバックにライブツアーをやっているカルメンマキ。
近いうちに聞かねばなるまい。

「山羊にひかれて」「時には母のない子のように」のカルメンマキとそれから約40年を隔てたカルメンマキ両方の音楽を、ぜひとも見てみたいものだ。

多分ロックもJAZZもフォークもそのほかの・・・「まことにつまらないジャンル」などを超越したところの「歌」そのものが聞けるに違いない。
これからは「リトルマキ」あるいは「KOMAKI」とでも、カルメンマキを呼ぶことにするか。

by noanoa1970 | 2007-11-21 11:39 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

紙芝居by岩井宏

紙芝居屋の親父は、もう居ない・・・

1960代の中期、岩井宏は、京都北山の「ホンキートンク」というウエスタン風のライブハウスで、よくバンジョーを弾いていました。
当時ではバンジョー奏者は珍しかったのですが、彼はその中でも腕前は凄く確かでした。

後に加川良が「下宿屋」で、山科に住んでいた高田渡の下宿屋に行った時に、岩井宏と会ったようなことを歌っています。

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by noanoa1970 | 2007-11-18 09:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

林亭の「ダイナ」=「だんな」

youtubeに動画を・・というより、音楽をUPしてみた。
先の記事にUPしたディック・ミネのヒット曲「ダイナ」を、エノケンが「ダンナ」というパロディにして歌ったものを、1974年、高田渡がバックバンドとしてよく使った佐久間順平の「林亭」が演奏したもの。

ブルーグラス風にアレンジしてある面白い曲だ。

MIXIのお仲間の諸氏は、JAZZピアノの山本剛の歌で聞いているらしいが、恐らくこちらのほうが先輩であろう。

林亭の「ダイナ」

少々硬い音になったが辛抱して欲しい。

by noanoa1970 | 2007-11-17 14:32 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)