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ドビュッシーとブリテン諸島

ドビュッシーの「管弦楽のための映像」。
その中に「ジーグ」という曲がある。10分足らずの小品であるが、この「ジーグ」とは「Gigue」で、もともとはブリテン諸島の舞踊のリズムで、それがヨーロッパ大陸に渡って、オリジナルのリズムを変貌させながら、舞曲→純音楽形式の一つとなったものである。

バッハがフランス組曲第1番やパルティータ 第5番など様々な作品で「ジーグ」をつかって作曲していることも有名である。

先日よりnaxos音楽ライブラリーを利用するようになり、かねてから確認したいと思っていたことがようやく実現することとなった。

以前から小生は「ドビュッシー」が引用したと思われる「ブリテン諸島の伝統歌」について興味があり、「スコットランド行進曲」とその引用元を調べていたが、心当たりは見つかるも、いまだ確証がない。

また、同じように「管弦楽のための映像」中の「ジーグ」のメロディには、どこと無くブリテン諸島の伝統歌を感じることがあったので、ドビュッシーは、バッハのような「ジーグ」の音楽的リズム、しかも変形されたものだけを取り上げたのではないであろうという仮説を持っていた。

そこで行き着いたのが、イングランドの北東部「ニューカッスル地方」の民謡の「The keel Row」:(舟を漕げ)であった。

イングランド北東のニューカッスル地方のタイン川、石炭を運ぶ舟を漕ぐジョニーに憧れるイングランド南東部出身の女のジョニーを恋する歌である。
炭鉱はニューカッスルに有って、そこから堀出された石炭を船でタイン川を下って、ロンドン周辺の産業都市に運搬したのだろう。

Keel Rowという歌詞を繰り返して歌い、筋骨隆盛の船乗りが威勢良く漕ぐ様子を表している。

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FERRIER, Kathleen: Songs of the British Isles :英国諸島の歌(1949-1952)
というアルバムがnaxosヒストリカルライブラリーに有るのを発見。


歌詞は下記のとおり、独特の言い回しを使っているので、よく分からないところもあるがおおよそ内容の見当はつく。

歌詞中の「blue bonnet」とは、ルピナスのような花の名前として知られているが、ここでは青い帽子の意味で、ルピナスの形状から、三角形の少し背の高いものであろうと想像される。(この言葉は伝統歌でよく出てくるから、何か「愛」の表現の特別の意味があるのかもしれない)
まさか奴隷のように扱われた囚人の象徴の「帽子」ではないだろう。


「The keel Row」

Weel may the keel row, the keel row, the keel row
Weel may the keel row that my wee laddie's in

As I came through Sandgate, through Sandgate, through Sandgate
As I came through Sandgate I heard a lassie sing
Sandgate:イギリスの南東部、ロンドンから電車で1時間ちょっとの場所にある

Wha' s like my Johnnie, sae leish, sae blythe, sae bonnie
He's foremost 'mang the mony keel lads o' the Tyne

He wears a blue bonnet, blue bonnet, blue bonnet
He wears a blue bonnet, a dimple on his chin

キャサリン・フェリアといえば、マーラーの「大地の歌」をブルーノワルターとウイーンイルが演奏した歴史的録音でご存知の方も多い。
小生も、彼女をこの録音で知り「エーヴィッヒ・・・・エーヴィッヒ」と歌う終曲にその昔から心惹かれたものだ。

≪キャサリン・フェリアのthe keel row≫

この古い録音、しかもブリテン諸島の伝統歌ばかりを集めた音盤は、「ベリオ」の「フォークソング」と並び聞いて置くべきものであると確信している。

ドビュッシーはこの伝統歌「The keel Row」をアレンジして引用した。
ドビュッシーの旋法的全音階の使い方と、この伝統歌は恐らく底辺で共通するものがあるのだろう。

しかしそこはドビュッシー、多くのブリテン諸島の近代音楽の作曲家が総じてやったような単純な手法では取り上げないから、引用されていることを嗅ぎ分けるのには、かなりの嗅覚を必要とする。

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アンドレクリュイタンスが指揮したパリ音楽院管弦楽団のドビュッシーのステレオ録音は、以外にもこのアルバムとあと数種類があるだけだ。
パリ音楽院管弦楽団:コンセールヴァトワールは、各楽器パートに名人が多く、非常に秀逸で上手なオケだ。
透明かつ明瞭度の高いスカッとした演奏で、気に入っている録音の一つ。

小生も数限りなく両方を聞き込んで、やっとそれであることを発見した。
オーボエの主メロディーのバックで奏されるオリジナルを変形したメロディとリズム処理が、まさにオリジナル:Weel may the keel row, the keel row, the keel rowに重なる。

追伸
10月8日朝
マニュエル・ロザンタールが指揮する同曲を聞いていて、「ジーグ」後半に金管がハッキリト2回にわたり、Weel may the keel row, the keel row, the keel rowの部分を奏でることに、改めて気がつきました。
クリュイタンス盤よりもずいぶんハッキリと聞こえてきて、すぐにそれと分かるように強調されているようでした。




メロディはオリジナルをアナグラム風に読み取ったものであると聞こえるから、少々厄介だが、リズムはオリジナルの「掛け声」部分「舟を漕げ」のリズムと同一である。

ドビュッシーが「ジーグ」と付けたタイトルと「the keel row」との音楽的関連性は殆どないと思われ、何故引用したのかは定かではない。

しかしドビュッシーは、「ジーグ」の由来がブリテン諸島の民族舞踊であることを熟知していたことは、ブリテン諸島の伝統歌を引用したことからも、明らかだろう。

バッハ自身、多用した「ジーグ」のオリジナルが、ブリテン諸島の民族舞踊であることを、果たして知っていたかは非常に怪しいと思うのである。

引用元「The keel Row」の譜面を有りつけておく。
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by noanoa1970 | 2007-10-04 11:41 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ドビュッシーとホルストあるいはグリーグは・・・

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今朝早く起き、一番に聞いたのが
ベルガマスク組曲(Suite bergamasque)。
ドビュッシーの代表作の一つ、4曲からなり「舞曲」のリズムをドビュッシーの音楽語法で料理したもの。

3曲目はドビュッシーのピアノ音楽の中で、最もポピュラーな「月の光」である。
今日の音盤は「サンソン・フランソワ」の・・・天邪鬼気味な演奏。
もろもろの演奏と比べるまでもなく、多分「フランソワ」は楽譜の解釈が相当違っているように聞こえる。

和音の音も、フレージングも、ほとんどにわたって他のどの演奏にも無い、・・ユニークな音がする。「フランソワ」のショパンにも同じような傾向があり、このドビュッシーでも方法は多少異なる感もあるが、とにかく自分の、時分だけのドビュッシーを聞かせてくれ、またそれが変に媚を売らない・・・孤高のピアニストのようなところと、遊び心と鋭さが両方あり、同時に高貴さと俗なところやウイットを感じさせるピアニズムが破綻無く融合しているから、はじめは奇異に感じるが、聞くにつれて彼のピアノに引き込まれるようになってしまう。

要注意人物ピアニストである。

「月の光」なんか・・・・他の人の・・・聴感上だが、倍の速度で弾いているように聞こえる。

さて「ベルガマスク」の「ベルガモ」は、装飾品ブランドの名前で有名だが、「ウキペディア」によれば、『ベルガモ(Bergamo)は、人口116,510人のイタリア共和国ロンバルディア州ベルガモ県のコムーネの一つで、ベルガモ県の県都である。
ベルガモは旧市街のチッタ・アルタと呼ばれるベルガモ・アルタと、FSの駅がある新市街のチッタ・バッサと呼ばれるベルガモ・バッサとに分けることができる。
ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」はここが舞台。』とある。

それは多分、若きドビュッシーが滞在したと伝えられるイタリア北部ベルガモ地方の歌や踊りなどの印象からだという話からであると思われるが一方で、ベルレーヌの「優雅な宴」にある「マスクとベルガマスク」・・・「マスクは仮面舞踏会そしてベルガマスクは優雅な18Cの宮廷音楽』であるとする2つの説からのようだ。

2つの説のいずれが正解か・・・それは多分今も謎のままであるように思うが、そのこととは少し距離を置いて、ジックリと音楽、そして音に耳を傾けてみよう。

これからお話しすることは、絶対音感がある肩や、楽譜を音楽辞書にするような人には向かないことを、先ずご承知いただきたい。

ベルガマスク組曲を聴いて思ったことをランダムに書き出すと・・・
前奏曲(Prelude) と月の光(Clair de lune)
メヌエット(Menuet) とパスピエ(Passepied)
全4曲中この2つづつがどうも「対の関係」にあるようだ。
それはくくられる楽曲に共通の音型が使われており、リズムと調整を変えてはいるが、よく聴けばわかる。(このあたり、絶対音感の人や楽譜がバイブルのような人だと、帰ってわかりにくいかも・・・)

前奏曲(Prelude) と月の光(Clair de lune) は踊りのリズム百木田音楽語法とは関係が無い名前がついてはいるが、どうもそれは違っていて、古代あるいは相当古い時代の踊りのリズムパターンとアクセントを持っていて、もう一つのくくりであるメヌエット(Menuet) とパスピエ(Passepied)を含め、4つ全てが「踊りのリズムパターン」と思しきことに行き着くのである。

さらに
前奏曲(Prelude) と月の光(Clair de lune) が、17あるいは18Cあたりの貴族的な香りが摩るのに比べ、メヌエット(Menuet) とパスピエ(Passepied)は、もっと古い時代の、しかも・・これは推測だが、貴族や宮殿の舞踏会ではなく、もっと庶民の・・民謡や外国の(この場合非フランス的な)踊りのリズムあるいはメロディパターンを内在したもののように聞こえるのである。

つまり
このベルガマスク組曲には「聖と賎」あるいは「神聖と世俗」とでくくられるペア・・・の楽曲が対比されるかのようにして順番に出てくるのである。

この推理に行き着いたのは、パスピエ(Passepied)で、このパスピエはブルターニュ地方に古くから伝わる舞楽・・・恐らくは庶民の冠婚葬祭時の歌やその踊りのリズムパターンで、8/6あるいは8/3拍子だといわれる。(ドビュッシーは4/4に変更)
このブルターニュ、8/6で想起するものといえば、アイルランドやスコットランドの伝統かや踊りのリズムパターン。

アイルランドの「ジグ」は「ジーグ」となって大バッハも管弦楽組曲の中で使用することとなる。ドビュッシー自身も「ジーク」を作っていることから、「パスピエ」は元来ブルターニュあるいは海を越えたケルト文化権の固有の舞踊リズムパターンではなかったのかと推測したのである。

4/3拍子のメヌエットも・・・フランスが発祥とされるが、それはいかがなものだろうかと、従来の定説に、思わず刃向かいたくなってくるのである。またメヌエットというと貴族や宮廷を想起するところであるが、これとて出自は民俗舞踊である可能性が無いわけではない。

「月の光」を「アリア」とし、あたかも大バッハの組曲の様相を思わせるような記述もあるが、それだけではドビュッシーの「深層」に踏み込んだことにはならない。(と思う)

ドビュッシーは(立派な)プロレタリアート階級の出自。
どのようにあがいても階級意識の強いフランス社交界では卑屈にならざるを得ない存在であったろう。
いかに貴族趣味を持つに至っても、それは貴族趣味であり、生粋の貴族とは隔世の感がることは、ドビュッシー自身が一番よく知っていたはずである。
ドビュッシー底辺には常に「聖と世俗」あるいは「聖と賎」という2つの大きな階級意識があったように思うのである。

そこに「古代ギリシャ・ローマ」に、そして一般には知られてはいないが、「ケルト」へと目を見開き、従来の「クラシック音楽」の枠からはみ出した革命的とさえ思われるほどの曲が書ける原動力でもあった。・・・ように思うことしばし。

さて、・・・前奏曲(Prelude) と月の光(Clair de lune)のフレーズには同一の音型があり、そしてそれはグリーグの、そしてホルストの「ある曲」と非常に類似しているのにお気づきの方・・・いらっしゃるだろうか?




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by noanoa1970 | 2007-06-01 10:52 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

荒れ野から山径へ・・・


冬のサナトリウム
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ほんの少しだけれど
陽が射し始めた
雪明り 誘蛾灯
誰が来るもんか
独人(ひとり)

荒野から山径へ
邂逅はまぼろし
弄びし夏もや
何が視えたんだろうか
抱擁て

十九歳十月
窓からたびたち
壁でザビエルも
ベッドで千代紙も
涙泣いた


突然、「あがた森魚」という変人シンガーが昔歌っていた「冬のサナトリウム」が浮かんだ。
「荒れ野」という語句からの連想からだと思う。

都会から離れた空気の良い、そんなには寒くない高原にある「療養所」で、結核の療養している、命短く失意のそこにあるような青年の心の中を歌った歌だ。
キリスト教系の療養所なのか、あるいは青年がクリスチャンなのか、「宗教的」雰囲気も漂う。
病気に絶望したのか、19歳で窓から旅立つ・・という悲劇を歌っていて、無にかしら心が打たれて沈んでしまう歌であった。

歌詞に使われる語句が文学的表現なので、歌詞なしで聴いたときには「荒れ野から山径へ」を「晴れの唐山みちへ」というように勘違いしたから、「荒れ野」という語句には思い出があった。

「あがた森魚」は70年代に「赤色エレジー」で有名となり、その後・・恐らく自身の思い入れであるかのように「大正ロマン」的雰囲気の曲をよく書いた人。
80年代には、「吉永小百合」主演のNHKドラマ「夢千代日記」で、ストリップ小屋の兄ちゃんを演じたこともある、異質なキャラの持ち主である。

話は変わるが、「荒れ野」といえばブリテン諸島スコットランドのハイランド、アイルランドには、「ヒースの茂る荒野」=「雑草の生い茂る荒野」が特徴的で、ドビュッシーは「前奏曲2集」でその名前をつけた曲を作っている。
予断であるが、有名なイギリス車レンジ・ローバー:Range Rover の「ROVER」とは、このあたりの荒れ野を「自由に走り回るもの」という意味である。

Bruyeres (Heather)は、きわめて難解な2集の前奏曲の中にあって、ケルトの匂いのする曲で、小生も好きな曲の一つである。

さて「ヒース」とは「HEATH」、元来はブリテン諸島の「荒地」を意味する言葉であるが、「荒地」に生息する丈夫な植物・・・エリカの花をさす言葉に転用されることもあるが、やはり「雑草」とするのが正しいであろう。

そして、原題には、Bruyeres (Heather)とあるから、これを「ヒースの茂る荒れ野」と訳すのは、少しおかしなことだと思われる。
むしろ、「ヒースの草むら」とでも訳したほうがよさそうだ。

また、「Bruyeres 」ブリュイエールとは、町の名前であり、恐らくその昔は、雑草の荒野であったのだろう。

またヒース=「エリカ」の花とするものも有るようだが、Bruyeres (Heather)とカッコつきだから、やはり「ヒースの茂る荒野」では重箱読みのようになってしまうし
まして、「エリカ」の花が咲いてしまっては、曲想と相反するから、「ヒースの草むら」というのが妥当かもしれない。

そしてこの場合の「ヒース」とは雑草であり、その雑草とは、恐らくは「SAGE」:セージではないだろうか。
かの地での発祥と見られる「フライフィッシング」の名ロッドには「SAGE」という名前の有名なメーカーがあって、小生もかつては「ハーディー」、「オービス」とともにこの「セージ」のロッドを使っていた。

そしてその名前の由来はブリテン諸島の荒地に生息する野生の薬草の名によるところのものである。「ソーセージ」に必須の香辛料・ハーブとしても、セージが使われることはご存知だろう。
しかし「セージ」には背丈が1mになり、その幹が硬い木のようになる種類もあるから、かなり手ごわいワイルドな植物であるし、標高1000mの寒い土地で、栽培しても十分育った経験を持つ植物でもある。

この音楽は、優しい雰囲気に包まれているという風に錯覚するが、実は「彷徨」・・・ブリテン諸島の荒れ野を彷徨いながら歩んでいく、ある人間の姿を想起することが出来るように思う。
1歩1歩思い足取りで、嵐の荒野を歩んでいくように、聞こえないだろうか。


さて、その人物とは誰だろうか。
小生は、その人物を「リア王」=「レア王」と、仮定したい。

シェークスピアの「リア王」第4幕に以下の場面がある。


絶望から正気を失ったリア王は、
ヒースの草むら=荒野をさまよい歩き、
グロスター伯の長男エドガーに向って問いかける。

リア   「合言葉は?」
エドガー 「スウィート・マジョラム」
リア   「よし通れ」

着目すべきは、「リア王」が「セージ」と同じ薬草・ハーブの「スイート・マジョラム」を合言葉としたこと。2つとも、悪魔よけにも、病の治療にも使われたという古代ローマからの「薬草」で、ブリテンハイランドの寒い荒野には「マジョラム」ではなく「セージ」の生息が妥当だからである。



ドビュッシーは未完の劇音楽「リア王(King Lear)」を1904~06に書き、1926出版する。(Orch版は、ロジェ=デュカス編)・・・であるから、ドビュッシーは、「シェークスピア」の「リア王」を、読んでいて、あるいは劇を見ていて知っていたのでは有るまいか。

そして「リア王」にとって、「荒れ野」とは、娘に裏切られ、半狂乱になって彷徨いながらも、「許しの境地へと覚醒」していく場所。
すなわち「ケルト」の「森」と同様「狂気」と「正気」、「現世」と「来世」、「人間界」と「魔界」、「人間」と「妖精」のマージナルする場所でもあり、「キリスト」は「荒れ野」で洗礼を受けたとも言われるから、それらメタファーが、ドビュッシーの中で、複雑に交じり合ったのではないか。
知識と感性の鋭いドビュッシーだからこそ、そこまでを見通していた可能性は有るのだと思う。

博学のドビュッシーが「オカルト」に傾倒していたという説があるが、それらしきものが見えてくる様相も、確かに感じることがある。

ドビュッシーは、一筋縄ではいかない音楽家で、~影響された、~インスパイヤーされた、~のオマージュ等などの記述が氾濫しているが、けっしてそんなに単純なものではないように思うことが多い。

葛飾北斎の富嶽三十六景 「神奈川沖浪裏」から大きな影響を受け、交響詩「海」がつくられた・・・などというまことしやかな流説が一時はやった例などは、その典型であろう。

ドビュッシーの音楽には緻密な計算と目論見があり、いろいろな仕掛けでそれを複雑にするから、正体を見破ることはきわめて困難である。
ドビュッシー自身、そのような仕掛けをすることで、ひそやかなる、「諧謔的楽しみ」を覚えていたのではあるまいかとさえ思われる。


舌を出しながら、ドビュッシーは天国で、こう言うかも知れない。


『私の音楽をわかってくれる人など、ほとんど存在しないんだよ。
だけど、わからなくても楽しめるようには作ったつもりだが・・・・
でも楽しむだけでは、私の本意に反しているのも事実。

世の中の人たちは私の音楽を「印象派」と規定するが、作品を作るきっかけや、中に盛り込んである音楽的仕掛けは、世の人が言うよりも、ずっと複雑なんだ。
何故って、考えてごらん
人間の思考や、感受性は唯一つのものからの影響だけで成り立つわけではないからだ。
音楽も同じこと。

私の作品を通じて世の中の様々なる事象を就いた意見していただければ、大変ありがたいことさ。』

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by noanoa1970 | 2007-05-09 07:45 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

(良い天気だから)「雨の庭」でも聞いてみよう・・・

ドビュッシーのいくつかの作品に「もう森には行かない」というフランスの童歌が使われていて、その童歌のルーツが、恐らく「グレゴリオ聖歌」に有るというエントリーをした。
童謡が使われた作品中、「雨の庭」を聞いてみる。
しかし、聞き込むにつれ、何か不思議な感覚を得ることとなった。
通常この曲は、フランスの庭園の雨を想起させるものという解釈が圧倒的であり、中には「雨」からヴェルレーヌを持ち出すものもいるほどだ。

「巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる」
「しとしとと街にふる雨は、涙となって僕の心をつたう」

ヴェルレーヌの「雨」が心象風景の象徴のように扱われ、「秋の日の ヴィオロンの ためいきの身にしみて ひたぶるに うら悲し」に通じるような感触があるのに対し、ドビュッシーの「雨の庭」は、けっしてそのようなイメージを想起させない。
何度聞き直してみても、それらとは違う次元の音楽的印象が、そこにあるように思われた。

何しろ「明るい曲想」なのだ。

そして突然のように思ったのは、この音楽は「雨」ではなく、「庭」により比重があるのではないかと言うことであった。

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小生の聞いたのは「サンソン・フランソワ」なので、彼独特の演奏解釈があってのことかもしれないと思い、他の演奏も参考にしたが、細かい違いこそあれ、大枠の印象は「フランソワ」と同様のものだったので、楽譜サービスサイトからこの曲の楽譜をDLして、見てみると最初の演奏指示に「Net et Vif」とあるのを発見した。

それが意味するものを探っていくと、思わぬことがわかったのである。
あるサイトに明快な答えが存在するのを知って、喜び勇んだ。
つまり、"net et vif" は、取り敢えずは、ドビュッシーがピアノ曲 [雨の庭] に付けた、曲想指定と云うことになる。定訳があるかもしれないが、あえてここで翻訳するとなると、「鮮明かつ素ばやく」とか「鮮明かつ快活に」ぐらいだろうか。
「net et vif」≒「鮮明かつ素ばやく」とか「鮮明かつ快活に」であるとブログ「nouse」の筆者は言っているのである。
もし、上のとおり、それが正しいことでであるならば、「サンソン・フランソワ」の演奏はまさにドビュッシーの指示通りということになる。
道理で、「雨の庭」からの音楽的印象は、「ヴェルレーヌ」の詩の印象とは全く異なるはずであり、小生が「雨」≧「庭」ではなく、「雨」≦「庭」のように感じたわけであった。

「雨」を喜ぶ「庭」・・庭の緑の樹木や草花、しおれかけていた植物が「雨」によって生き生きとしだし、葉っぱの緑も一段と艶を帯びて色鮮やかに変身する。
「もう森には行かない」の理由の刈られて萎れかけたローリエ(月桂樹)でさえ、雨の力で甦るような・・・
子供達の歌「もう森には行かない」を挿入した「諸相」を改作して、「雨の庭」としたのにはそのような理由があったのか、と思わせるようである。

またこの「雨の庭」には、もう一つ童歌が使われていて、それは下記のようなものである。ごく単純なメロディで、一度口ずさんだら忘れることが無いほど、優しい、愛らしいもの。
なるほど、「子守唄」として使われるのも至極納得である。

「移動ド」だが、わかりやすく紹介しよう。
この音型が「雨の庭」冒頭で出現し、「もう森には行かない」は、後半に登場する。
簡単な内容の歌だから、下の単語の訳で、意味がわかる。


≪berceuse≫・・子守唄
Do-do
ミド
L'enfant do
ミミド
L'enfant dormira bien vite
レミファレミソミド
Do-do
ミド
L'enfant do
ミミド
L'enfant dormira bientôt
レミファドソド
「berceuse 子守歌  
dodo ねね  
l'enfant 子供
dormir 寝る」

終曲に向かう「アルペジオ」には、「雨」の、そしてそのせいで生命を取り戻した「庭」の樹木や草花のヴィヴィッドな感性が現れているように思われてくる。


≪『雨の庭」幻想≫

雨が降ってきて、だんだん勢いを増してくる。
こんな雨では、傘も持たない私は、外出さえ出来ないでいる。
さっきまで聞こえていた、あの「Children's Corner」で遊ぶ子供達の童歌も、もう聞こえなくなってしまった。

私は黙って窓辺に立ち、下の坪庭を眺める。
どこからとも無く、お母さんが歌う「子守唄」が聞こえてくる。
晴れていれば、どこかの屋敷の大きな庭園を眺めることも出来るのだろうが、今の私には、この小さな坪庭しか見ることができない。

そういえば少し前に私は、先ほどまで聞こえていた、子供達の歌・・・「もう森には行かない」をモチーフとした曲を書いた。

こうしていても仕方が無いから、聞こえていた「子守唄」:「berceuse」を加えて、雨が降る庭から想起する音楽を・・・以前作った「諸相」を改変して作り直してみよう。

どこにもいけない、いやな雨だが、それは人間が勝手に思うだけのもので、ことに
「春の雨」は、大地にとっても、樹木や草花にとっても恵みの雨だ。
萎れかけた植物も生き生きとしだし、ほら大地の香りも漂ってくるではないか。
この土の香りは、かつて私が少年時代に体験したものと同じもの。

刈られて、萎れてしまったローリエも、雨の力で生命を取り戻し、新芽を吹くことだろう。そうすれば子供達は、また森にいけるのだ。

大地を潤す春の雨は、まるでお母さんが優しく赤ちゃんを眠りにつかせるような・・・「berceuse」:Do-doの子守唄のようだ。

そう、大地や樹木草花にとって雨は、いやなものではなく、天からの恵みそのものなのだ。

そう考えると、この音楽的表現は、思うより「快活で、明るく、ヴィヴィッド:」で無ければならないから、「net et vif」という注釈をあえて付けておこう。
この意味をわかってくれる人は、そうはいないであろうが・・・・

上記、あくまでも「雨の庭」を聞いて想起した小生の音楽的「幻想である。
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by noanoa1970 | 2007-05-08 09:05 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

“Nous n'iron plus au bois”もう森なんかには行かない

いきなり仏語が登場したが、タイトルは、「もう森には行かない」という意味の言葉である。
「ボブ・ディラン」の「どこにも行けない」は、怪我の性だったが、「森に行かない」のは「いやな天気だから」・・・今日のように「雨降りだから」・・・とされることがあるこの正体は、「フランスの童謡」にあり、ドビュッシーは、死後発見された作品、「忘れられた映像」第3曲で、『もう森へは行かない”による諸相』
「Quelques aspects de “Nous n'iron plus au bois” parce qu'il fait un temps insupportable」を作り、後にそれを『版画』第3曲『雨の庭』に改作したといわれる。

「aspects」を「諸相」と訳し、邦題がついているが、「aspects」とは「時間の流れの中で、ある事柄が起き、続き、終わる、そのことの表わし方」であるから、これを「印象」「残像」「~想起されるもの」などといってもいいのかもしれない。
「諸相」では、余りにもディスコミュニケーションだろう。

それはさておき、問題の「フランス童謡」「もう森には行かない」とは一体どのようなことを歌っているのかが気になったので、調べてみると、それはどうやら日本で言うところの「通りゃんせ」や「縄跳び」のようなものに近くて、少女達が集ってこの歌を歌いながら、一人一人が1つのサークルの中に参加していき、好きな人にキスする・・・というようなもので、ある種の仲間を増やしていく遊びのための歌のようだ。

話のパターンはいくつもあるようだが、最後のフレーズは必ず以下のように締めくくられる。
そして話のパターンは主なものを揚げると以下のようになる。

・森のローリエ(月桂樹)を刈ってしまった
・森のローリエが枯れてしまうから順番に行って集めよう
・森に行って、「セミ」が寝ていたら、サヨナキドリの歌声が、聞こえて、「お目覚」 になるまで起こしてはいけません
・ナイチンゲールの歌声が聞こえて「お目覚」になり優しい声のウグイスも、一緒にや ってくるでしょう
・ジャンヌは羊飼い、白いカゴ持って、イチゴと野バラを摘みに行くところ
・セミよ、セミよ、歌ってください
 森のローリエがまた芽をだした

以上の主なパターンの最終部に必ず
「お入りなさい、見てごらん。
跳んだり跳ねたり、踊って、好きな人にキスなさい。」
という語句が歌われる。

恐らく長い間に歌詞の種類や内容は変形されていると思われるが、どうやら1駒ごとの最後には「お入りなさい・・・・キスなさい」という定型句がつくことは確かであろう。

他愛ない童謡であり、ドビュッシーが引用した理由はわからないが、この同様は相当古くからあり、そして恐らくドビュッシーの生きた年代においても、少女達が歌うのを耳にすることが出来たのであろう。

シャンソン歌手の「フランソワーズアルディ」も編曲はしているが「もう森には行かない」というアルバムの中で、歌っているから、現代においても懐かしい少女時代の遊び歌だったのかもしれない。

小生がこの童謡で着目したのは、
「ローリエ」を刈ってしまった。・・・だから「もう森には行かない」
ローリエが枯れて萎れてしまうから(その前に)ローリエを集めに「森に行こう」
と歌われることである。

「ローリエ」(月桂樹)によって象徴されるものを想像するに、それは非常に「大切なもの」と読むことが出来、「ローリエが刈られてしまった森には行かない」というローリエのある森とは、すなわち子供達にとって安心安全な・・・つまり「魔物」達の住む森から子供達を守ってくれる、強い力のある薬草・・ハーブだから、このハーブがあるうちは子供たちも、森に行き遊ぶことが出来るが、刈られて無くなりつつあるときには、魔物が怖く、守ってくれるものがいないから、「森には行かない」ということなのだろう。

このあたりに、古代ギリシャなどから受け継がれてきた「月桂冠」や「ハーブ」の「自然神」的な効用の歴史が見えてきそうで面白い。
キリスト教によって「悪魔」とされた古代ケルトやゲルマンの神々は、森の奥深く幽閉され、不用意に森を侵略したり、汚そうとするものに災いを及ぼす。
薬草は厄除けの働きをもするから、古代人達は腰にハーブをつけて、未開の土地に赴いた。

非キリスト教によって養生されてきた「薬草」の科学、信仰はキリスト教に引き継がれ、キリスト教以前の「魔除け」は、キリスト教によって、それを司ってきた、民族国家を「悪魔」とし、彼らが培ってきた魔除けの文化を、逆に彼らに利用したのである。

ドビュッシーの「雨の庭」、「春のロンド」を聞き、MIDIで童謡「もう森には行かない」を聞くと、やはりおいしく料理されていて、ドビュッシーの天分がうかがい知れるが、オリジナルらしき童謡を何度か聞くうちに、あるものを思いついた。

一つはこの童謡がブリテン諸島の伝統童謡歌「London bridge is falling down」、仏童歌「ARE YOU SLEEPING BROTHER JOHN?」との類似性についてであるが、この話はまたいずれすることにして、次に
この音型が何かに似ていると思って、いろいろ当たってみると、グレゴリオ聖歌のミサ曲第8番「天使ミサ」の「キリエ」ソックリの音型であることがわかり、思わず興奮を覚えたのである。

童謡「もう森には行かない」の譜例を示しておくことにする。
ドビュッシーの「雨の庭」「春のロンド」、「天使ミサ」の「キリエ」を聞き比べてみるとよくわかる。

管弦楽のための「映像」から「春のロンド」

対位法的感覚が鋭く、管楽器の表情をよく表出していて、色彩感のが強い「ロザンタール」盤・・ストラビンスキーを思わせるようなところを感じることがある。
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管弦楽のまとまりやバランス感覚に優れ、全体を見据えた中で、個々の音楽の特徴を際立たせた演奏の「クリュイタンス」盤
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童謡「もう森には行かない」の譜例
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この類似性はやはり、仏童謡「もう森には行かない」の源がグレゴリオ聖歌であったことを物語るのではないだろうか。
そして果たしてドビュッシーはそのことを知っていて、このモチーフを引用したのだろうか。

ウキペディア情報によると、ドビュッシーはこのモチーフを4つの楽曲に使用したという。
忘れられた映像より:「もう森へは行かないによる諸相」
版画より:「雨の庭」
管弦楽のための映像より:「春のロンド」
歌曲:「眠りの森の美女」

以上とされるが、「歌曲」と「諸相」は未確認である。
なにがそうさせたのか、なぜこのように「森には行かない」に拘泥したのか、このあたりは詳細な文献を紐解かなくてはならないだろうが、すくなくとも「グレゴリオ聖歌」・・・すなわち「教会旋法」が、古代ギリシャからローマを経てキリスト教文化に馴染むその変遷の一つの象徴として、「童謡」「もう森には行かない」を見ていただろうことを、そして単旋律であるがゆえに、「対位法」のドビュッシー的発展のよき素材となるであろうことを、想起したことが「音楽家ドビュッシー」から見えてくるような気がするのである。

ひょっとしたら、仏童歌「ARE YOU SLEEPING BROTHER JOHN?」も、ブリテン諸島の古い童謡、所謂「マザーグースの歌」の「ロンドン橋落ちた」という歴史的童歌の音型出自は、「森には行かない」のように、「グレゴリオ聖歌」の中のいずれかによるものかもしれない。

そして、「もう森には行かない」・・・その理由を「いやな天気だから」とする通説があるが、童謡から見えてくるのは、怖い森から子供達を守ってくれる「ローリエが刈り取られてしまったから」であることから、「いやな天気だから・・・」という語句は、ドビュッシー自身がつけた言葉で、・・・「いやな天気」だから、(ボブディランのように、どこにも行けないから・・・前のエントリーで少し触れた)童謡「もう森には行かない」から「aspects」された音楽を作った・・・という解釈があるのを発見したのだが、小生もこの解釈に賛成するものである。

森に行かない理由は「魔物」が住んでいるからであり、行くときに身に着けるお守りのローリエ(月桂樹)が、刈り取られ、今はもう無くなってしまったからなのであろう事のほうが、「天気が悪いから森には行かない」と解釈するものより、随分とと説得力がある。

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by noanoa1970 | 2007-05-06 18:26 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

その後の「ドビュッシーのスコットランド行進曲」

ケルティク・フォークソングの「チューン」には、以下のような主な区分があることがわかった。
・Reels
・Jigs
・Strathspeys
・Slip Jigs
・Hornpipes
・Barndance
・Miscelleneous
・Air
・March

参考したものの一つ
ガーディナー、モンテベルディ合唱団のパーシー・グレインジャーを歌ったアルバム
ほかにチーフタンズのアルバムを7枚ほど聞いてみたが、そこからは該当らしきものは得られなかった。
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懸案の、ドビュッシーの「昔のロス伯爵家の人々の行進曲』および、同一曲の管弦楽編曲「民謡によるスコットランド行進曲」に使用されたものを探っていくについては、以上の「チューン」を知っておかねばと思い、かなりの時間を費やして、それぞれの音楽的(主にリズム処理パターン)について、調べてみた。

思い当たる主なものとしては「Reels」「Strathspeys」「Jigs 」そして「March」を上げることが出来るが・・・微妙なリズムパターンの違いであるから、編曲されたドビュッシーの音楽から、特定することはきわめて困難であることがわかった。
それでも何とか絞り込んだ結果、以下の4つのチューンからの4つの曲が、それらしいものではないかとの結論を得ることとなった。

これら4つはメロディラインも、リズムも、それぞれ微妙に違うが、どれもがドビュッシーが引用したオリジナルに似ているところも有るが、そうでないところも有る。
本当に微妙な差で、かなり聞き込んでも楽譜を追わない限り、辿ることは不可能だろうと思うほど、その差はわずかな部分だけである。

しかしそのわずかな差が、ケルトの伝統音楽の特徴でもあるから、長年にわたって口述で伝えられる時間の微妙な変化が、そしてそれに付けられた歌詞の変遷もあるわけだから、ケルトの壮大な歴史を感じざるを得ない実感が沸いて来る。

以下の4曲の中で、小生が「多分これではないか」と大いに推測するのは、「マーチ」だからというわけでなく(いずれもマーチになりえるから)March:「Return from Fingal」である。

この曲はブルターニュ地方でよく歌われたもので、「フィンガル」・・・そう、あのメンデルスゾーンが作曲した「洞窟」のあるスコットランドのハイランドにある「フィンガル」から帰還した「兵士」だろうか、「漁民」だろうか・・・そんな人たちの歌であろう。

海外のサイトなどのMIDIで聞いての事であるから、勿論確証などは無いが、少なくともリズムパターンは以下の4つのチューンのいずれかであることは、ほぼ間違いないと思う。

Strathspeys :Captain Campbellも第2の候補。
余談だが、「スペイ川」とは小生には懐かしく、フライフィッシングで有名な川。
「スペイキャスト」・・・(川でバックが取れないところでキャスティングをする為に考えられた方法)という独特のフライキャスティング方法の、名の由来の川である。
後ろが切り立っているか、木々に覆われているか、かなり険しい川であることを想像させる。

≪候補の4つのケルティック・フォークソング≫は、以下のとおりであるが、確証は無い。

・Reels :Spootiskerry
・Jigs :Kerfunten
・Strathspeys :Captain Campbell
March:Return from Fingal

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by noanoa1970 | 2007-05-02 11:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

昔のロス伯爵家の人々の行進曲 「Marche des anciens comtes de Ross 」

最前のエントリー「スコットランドとフィンランドの」邂逅にての、ドビュッシーの「民謡によるスコットランド行進曲」引用のスコティッシュ・トラディショナルとは・・という疑問が消えなかったので、今をときめく超大手コミュサイトに、質問をしてみた。「ドビュッシー」を愛好する諸氏が5000人以上集っている凄いものなので、どなたかが回答をくれると、期待して、3日が立つが、いまだ何の音沙汰も無い。
昔の「猫」のほうがましなのかと、改めて「猫」の偉大さを思い知ったしだいであった。

小生なりに調べた結果、わかったことがあるので、忘れないうちに整理して書いておくことにする。

≪ロザンタールの肖像≫今回はカラーで、
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・スコットランド風行進曲は、ドビュッシーの受けた最初の委嘱作品で、若き日の20代最後の1891年に作られたもの。

・ブリテン島のメルディス・リート将軍の依頼によって作曲、当時のドビュッシーの環境は、パリのロンドン街で、ピアノとベッドだけの貧しい屋根裏部屋に住んでいた。

・1891年のある日、一人の英国人がドビュッシーを訪れ、このイギリス人がリート将軍であった。

・将軍は無名の作曲家に、自分の家系を記念する曲を依頼し、 1891年、ドビュッシーは4手のためのピアノ音楽として、《いにしえのロス家の人々の行進曲」を作曲。

・「スコットランド貴族、ロス家の子孫、メルディス・リート将軍に献呈」添え書きがつけられていた。

・また「4手のためのピアノ曲」のスコアには、以下の長い文がエピグラフとして書きこまれていた。・・・・〈スコットランドのロッシャー地方のロス氏族の長、ロス伯爵家のロス氏の出自は、大昔の時代に遡り、この長はバグパイプを鳴らす戦闘集団のなかにあった。彼らはこの行進曲を、戦さの時、勝利の祝宴の時や結婚式などに、王の面前で演奏した。そして、この行進曲は、実際の行進の合唱隊によっても歌われたもの。

・「4手のためのピアノ曲」は、1891年にエピグラフをつけてシュダン社から出版、1903年フロモン社から再出版する時に「民謡を主題としたスコットランド風行進曲」に改題された。

・さらに1908年頃、ピアノ曲からオーケストラ曲への編曲をドビュッシー自らおこない、オーケストラ版は、ドビュッシーの晩年、1913年4月19日、シャンゼリゼ劇場の「ヌーボー・コンセール」で「D.E.アンゲルブレシュト」によって初演された。

・この初演に同席したドビュッシーは、「アンゲルブレシュト」の演奏と自身の管弦楽編曲に大変納得したといわれる。

大まかに以上の事柄が判明したので、さらに「民謡」のルーツを探ろうと、試みてみたが、今のところ該当音源の発見には至らない。

「ロス伯爵」については、少ないながら以下の記述を発見。

『1487年に、キャサリンは、スコットランド王ジェイムズ三世の次男ジェイムズ・ステュアート(ロス伯、後にロス公)と婚約した。ヘンリー七世即位の2年後のことだ。
このときキャサリン8歳、ロス伯ジェイムズ11歳。
この婚約は、キャサリンの義兄ヘンリー七世とジェイムズ三世との協定によるもので、同時に、ジェイムズ三世の長男ジェイムズ(後のジェイムズ四世)と、キャサリンの姉妹の一人を結婚させるという約束もなされた。』

・・・つまりスコットランド王族のジェイムス3世の次男が「ロス伯爵」・・・ロス家の発祥で、「キャサリン」と結婚した人物であるが、スコットランドおよび、イングランドの歴史上の人物には、同じ名前がたくさん登場するから、頭が混乱してよくわからない。

ただいえるのは、ドビュッシーに作曲を依頼したイギリス人、「スコットランド貴族でロス家の子孫、メルディス・リート将軍」の先祖は15世紀のスコットランドの貴族であるという事実であった。

しかし依然として、ドビュッシーが引用したスコットランド民謡のオリジナルが判明しない。
引用メロディは、かなり小生の耳に馴染んだものなので、そのうちひょんなところで発見できるかもしれないので、それまで楽しみにしておくことにした。


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by noanoa1970 | 2007-04-30 19:15 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)

フィンランドとスコットランドの邂逅

中学生~高校生時代・・1960年代の半ばに、「フォークダンス」というものが流行ったことがあった。
体育祭などのイベントの終了時などに、全校生徒が運動場に繰り出して、輪になって踊るアレである。

「藁の中の七面鳥」という音楽がよく流れていて、男子学生は少し恥ずかしがりながら、それでも女の子の手を取り、輪になって踊りながら、順番に相手を変えていく。
普段は女の子なんかに目もくれないような、所謂「硬派」の男子学生でさえもが一緒になって踊るさまは、ほほえましいものだった。

1967年というと、小生が大学に入学した年なので、それが行われたという実感は無いのだが、坂本九が歌ってヒットさせた歌に「ジェンカ」という曲があった。
「Let's Kiss 頬寄せて Let's Kiss 目を閉じて
 Let's Kiss 小鳥のように 唇重ねよう・・・・」

踊りながらキスまでしてしまおうという、なんとも凄い内容の歌で、この歌で実際にフォークダンスを踊った経験が無いが、TVでは「ザヒットパレード」などで、よくこの歌が流れたのを覚えている。

「ジェンカ」を踊る・・・坂本九出演のTV番組で、出演者がみんなで踊るのを、お目にかかったことがあるから、小生はまったく経験は無いが、恐らく中学や高校でも取り入れられたことと思う。

今になって、「ジェンカ」という言葉が気になって調べると、思いもよらぬ事実が判明した。

「ジェンカ」とは、フィン語で 「Letka Jenka」 もしくは「 Letkiss 」で「列になって踊ろう」という意味であり、永六輔が作詞し、1966年9月に坂本九が、「レット・キス」の題名でカバーしたといわれる。

なるほど、「 Letkiss 」だから「Let's Kiss」・・・さすが永六輔、なかなかやるものだと、感心することし切り。

さて、この曲は「フィンランド民謡」であると、記述されているが、小生の耳にはどうもブリテン諸島の古謡のように聞こえるところがあるので、さらに調べてみると、面白いことがわかった。

『作曲者は、ラウノ・レティネン(Rauno Väinämö Lehtinen 1932年4月7日 - 2006年5月1日)で、フィンランドの作曲家であり、指揮者でもあった人。
フォークダンスに基づいた曲「Letkis」は1960年代に大ヒット。92以上の国で記録された。日本では坂本九が「ジェンカ」としてカバーし大ヒットした。』

・・・・「民謡」ではなく、近代の音楽家による作品であったということと、「民謡」という表現は「ジェンカ」・・・「フォークダンスに基づいた曲」というようなあいまいな表現・・・「フォークダンス」とは民衆の踊りであるから、そこから「民謡」という言葉が独り歩きした。

「ジェンカ=フィン語では Letka Jenka 」という民謡形式に、「ラウノ・レティネン」が新しく曲をつけた「Letkis」が世界中で流行し、それを永六輔が作詞、坂本九が歌って、日本でヒット、その後「ジェンカ」というフォークダンスとして、従来の「藁の中の七面鳥」同様に踊り告がれることになった。
・・・これが恐らく真相であろう。

「民謡」というのは「Letka Jenka」のことであり、「Letkis」とも言われるようであるがこのネーミングは、作曲者がつけたものであったのだ。
「古賀正男」のオリジナル曲を、「〇〇演歌」というようなことなのであろう。

前置きがだいぶ長くなったが、「ラウノ・レティネン」が作った(1963年というから新しい)「ジェンカ≒Letkis≒Letka Jenka」は、小生の耳には限りなく「ブリテン諸島」の民謡風に聞こえるのである。

そこで参考として引き合いに出すのは
ドビュッシーが1891年に作った「民謡の主題によるスコットランド行進曲」Marche ecossaise sur un theme populaireのテーマに至極類似していることに気がついたからである。

この曲は、ドビュッシー初の委託作品、依頼主は「リート将軍」という人物で,スコットランドの伯爵家の血を引く人物とされる。
「牧神」の3年前に作曲されたこの曲は、「牧神の午後への前奏曲」の「前奏曲」的音楽語法が垣間見れるような曲調があり、重要な位置づけ作品とする人もいるらしい。

曲調のコメントは苦手だが、思いつくものを上げてみる。

3部形式風のところは「牧神」を想起するが、主題が変化しながら繰り返されるのが循環形式風でもある。
なんといってもこの曲の主たるところは、スコットランドの古謡をモチーフにし、スコットランドスケールのトリルで始まる民謡主題が、リズムや和声により表情を変えて行くところ。

中間部ではシンコペーションの巧みなこと、テンポを非常にゆるく取るため、別の主題のように感じるが、よく聞くと同一主題の巧みな変身であることがわかる。

そして力強く活気あふれるような主題にまた戻り、最初のスコットランドの古謡のテーマが、途中3拍子と変わりながら、終曲へと向かう。

こうなると気になるのが、ドビュッシーが引用したスコットランドの古謡。
手持ちのものなどを当たっては見たが、今のところ該当するものが発見できないでいる。
ただ、このメロディー、かなり耳に馴染んだものだったので、思いを巡らしていた時に出てきたのが「ジェンカ」であったというわけなのであった。

フィンランドとスコットランドの民謡は、本来であれば結びつくはずは無いのだが、「ジェンカ」は、民謡ではなく、1963年フィンランドの作曲家「ラウノ・レティネン」が作った「Letkis」が「民謡」という意味であったのを、フィンランド民謡として間違えて認知したため、この作品がフィンランドの「古謡」であるがごとく扱われてしまったことによる誤解であること。

恐らく作曲者の「ラウノ・レティネン」は、作品のモチーフをブリテン諸島の民謡に求めた、その結果、ドビュッシーが「行進曲」に引用した「スコットランド民謡」と、フィンランドの・・・フォークダンスの曲として有名になった「ジェンカ」の類似性を見ることになったのだ、という結論を得ることとなった。

しかしながら、いまだにこの2つの曲のテーマのオリジナルと推測されるスコットランドの古謡を発見するに至っていないから、今日も引き続きそれを探す旅が続くのである。(このような作業は、小生にとってはとても面白いことである)

「ディミトリーティオムキン」が作り、「マーティ・ロビンズ」が歌った映画「アラモ」の主題曲「アラモの歌」にも類似を見ることが出来るから、元歌の発見は近いかもしれない。

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小生が聞くドビュッシーの「スコットランド行進曲」の音盤はただ一種しかないが、この録音、同時に収録されたものを聞くにおよび、その演奏の秀逸なことは、認めないわけにはいかない。

とりわけ、オケの色彩感の表出はこの指揮者の得意とするところで、ドビュッシー、ラヴェル、そして忘れてはいけないのが、名手「グリュミオー」と競演の「ラロ」の「スペイン交響曲」。

オーケストラから「色」が見える演奏として、小生が気に入っているもの。
「牧神」も「海」も「夜想曲」も「やあ春」も全てが二重丸。

◎マニュエル・ロザンタールの肖像
マニュエル・ロザンタール/パリ国立オペラ座管弦楽団
<収録曲>
ドビュッシー:春の挨拶、アンヴォカシオン
舞曲(スティリー風タランテラ/ラヴェル編曲)、スコットランド風行進曲
牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩「海」、サラバンド(ラヴェル編曲)、管弦楽のための映像

ラヴェル:道化師の朝の歌、スペイン狂詩曲、バレエ音楽「マ・メール・ロワ」、ラ・ヴァルスボレロ、バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、高雅にして感傷的なワルツ、古風なメヌエット、亡き王女のためのパヴァーヌ、クープランの墓

ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編曲):はげ山の一夜
ボロディン:中央アジアの高原にて、リムスキー=コルサコフ:熊蜂の飛行
序曲「ロシアの復活祭」作品36、チャイコフスキー:イタリア奇想曲作品45
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」より3つの舞曲、バレエ音楽「恋は魔術師」
アルベニス(アルボス編曲):イベリアより5曲、デュカス:魔法使いの弟子
ACCORD 476 107-6

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by noanoa1970 | 2007-04-27 10:18 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「パックの踊り」の大胆な仮説

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写真は「ジェリージェフウォーカー」

先のエントリーで、ドビュッシーの「ミンストレル」そのルーツとしての音楽的背景が「タップダンス」音楽、やボードビル音楽である、ということを書いてみた。
つまり、「アフリカ」、「イギリス」、「アイルランド」、そして「アメリカ」、そればかりか「イベリア半島」や「ブルターニュ」、「ギリシャ」とそして勿論母国「フランス」とドビュッシーの「音の探求」は続くこととなる。
しかもそれらが連関することは着目すべきことではなかろうか。
それについての考察はいずれとしたいので、11曲「パックの踊り」について触れることにしよう。

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写真はアイルランドの「リヴァーダンス」

「パック」とは、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に「オベロン」とともに登場する間抜けな妖怪であるという指摘は「てつわんこ」氏のエントリーでも明らかなようだ。
「コブリン」や「ロビン」との同一性を解く説もあるから、子供っぽくて、いたずら好きな妖怪であるともいえよう。

しかし「パックの踊り」の「踊り」という表題に、そしてその音楽に、小生はかなりの引っかかるものを感じるのだ。
もしも、「パックの愉快な悪戯」という表題であれば、手放しで納得するのだが・・・

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写真上向かって右、写真下真ん中が「PUCK]である

そして、これからが大胆な仮説になるのだが・・・・
前提として、11曲「パックの踊り」と12曲の「ミンストレル」を続けて聞いてみよう。
この音楽の共通点を探れば、それは「踊りのリズム」、しかもかなり「ずっこけたところ」、すなわちボードビルやおどけたタップダンスのように、聞こえないだろうか。
小生の仮説は
11曲と12曲は同じ土壌から生成された音楽では無かろうかということだ。

「パック」という言葉から、それは遠くギリシャ神話か、ケルト神話の、あるいはそれらの後の世代の叙述、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」あるいは、キプリング「プークが丘の妖精パック」、ナルニア国のフォーンのタムナス・・・ヤギ人間であるとする「てつわんこ」氏の指摘も有る。

しかし言葉を返すようであるが、小生には「パックの踊り」の音楽的背景が「妖精たちの踊り」であるとは、到底思えないのである。
「パック・・・」ではJAZZやラグの音楽語法が見え隠れし、どのように聞いてもそこにはドビュッシーがある意味得意とした古代の神々や「妖精」を髣髴させるような音楽は鳴っていないと思うのである。

「ミンストレル」で見られる「ズンタ調」や「ブルーノート」「ダンスのリズム」
「スウイング」なども聞こえてくるのだが、デルボイや亜麻色で見せた「古代旋法」や「ケルトスケール」は、ここでは存在しない。

そのことは、小生に11曲と12曲が連なっていて、それも本来は「逆順に」なっていたのではないかということを大胆な仮説とさせる。

さて先回の「ミンストレル」を振り返ると、ショーの中で「ボージャングルス」に代表されるボードビリアンやダンサーが踊り歌いする中の「タップダンス」に、いくつかのステップの種類があり、それぞれ「ブラッシュ」「フラップ」「シャフル」「ボールチェンジ」「クランプロール」と呼ばれルものがありこれらはアメリカ南部の奴隷たちの間で親しまれているうちに次第に交じり合い、19世紀初めには「バック・アンド・ウイング」(buck-and-wing)「クロッギング」などといった、皮底の靴でおどるダンスが生まれたのである。

これらのタップダンス音楽の中には、バックミュージックの「ラグタイム」音楽として、WILLIAM H KRELL.(1873-1933) が1897年にNEW YORKの出版社S・BRAINARD'S SONS COにより出版し、KRELL'S ORCHESTRA が 初めてシカゴで演奏したといわれるものが有り、曲はCAKEWALK、PLANTATION SONG、TRIO、BUCK AND WING という4つの主題からなり、KRELLが ミシシッピー河領域を見学した際に発見した音楽のルーツを充分に反映させているという。

ラグタイムは黒人音楽、ヨーロッパ派クラシックに ジャズの要素が混じり有ったもの。
ユビー・ブレークは、「どんな曲でもシンコペーションを含む音楽は基本的に「ラグタイム」であるといっている。

ドビュッシーもそしてラヴェルもこの「ラグタイム」から、大いなる音楽的感化を受けたことと思われる。ひよっとそたら、ドビュッシーがWILLIAM H KRELLの楽譜を見ていた可能性も有ると推測可能なのは、WILLIAM H KRELLが「CAKEWALK」の楽譜を出版したという記述からである。

「パックの踊り」は「バックの踊り」で、バック=BUCK AND WING の「バック」
すなわち、ミンストレルショーでのボードビリアンもしくはダンサーによって歌い踊られた、「タップダンス」のステップの代表的なものの一つの
バック=BUCK AND WINGによる踊りではないか。
ドビュッシーは「バック=BUCKの踊り」とするところを、「パック=PUCKの踊り」としてしまった。
これをドビュッシーが入手した楽譜の表記ミスからなのか、プレリュード出版に当たっての出版社のミスなのか、ドビュッシーがワザトそのように記したのか( VOILESに定冠詞をワザトつけなかったドビュッシーであるから、そのくらいは平気でやれる男)

今までこのような「妄想的仮説」をだれも考えてはいないであろうから、「PUCK≠BUCK」 であるとは考えられないと、真っ向から反論を食いそうであるが、少なくとも、聞こえてくる音楽からは「PUCK」=妖精や半獣半人・・ヤギ人間、それを髣髴とさせるような「音型」は聞こえない。
それどころか、そこから聞こえるのは、移民たちによって米国で黒人音楽と結びつきを見た、JAZZの語法、タップダンス音楽・・・ラグタイム、時にブルーノートであることは、一体何を物語るのか、新たなる興味がわいてくるのである。

メンデルスゾーンに「真夏の夜の夢」の音楽があり、その中の一こまから着想されたものかもしれないが、小生の勘では、どうも「シェークスピア」「メンデルスゾーン」とは、無縁のような気がしている。

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by noanoa1970 | 2007-04-21 16:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

サティ、ドビュッシーと古代ギリシャ音楽

エリック・サティが1888年に作曲した「3つのジムンオペティ」を聞いた。

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次にそれをドビュッシーが1895年ごろに1曲目と3曲目を管弦楽に編曲したものを、久しぶりに「ルイ・オーリアコンブ」指揮、パリ音楽院管弦楽団の演奏でも聞いてみた。
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オリジナルのピアノも、管弦楽編曲のものも、なかなかのもの。
特に管弦楽編曲の3番、ドビュッシーが、ハープと鳴り物を入れての編曲は、この曲の素性を示すものと思われるようなできばえである。

さて「ジムノペティ」とは、古代ギリシャの・・・正確には、古代スパルタの祭りの名称で、ギリシャ語ではγυμνοπαιδιαι(gymnopaidiai)。
ギュムノパイディアイ=gymnosは「裸の」、paisは「少年」という意味で、裸体の少年が踊ったり運動をしたりする祭りである。・・・という説があり。
サティは、この光景が描かれた「壷」を美術館で見て、「本来激しい踊りであるのを、ユックリした、厳かな音楽へと変身させた」という記述もある。

また、左手の反復するリズムは、古代ギリシャの詩の韻律の一種イアンボス・トリメトロスを模倣したもので、音節の長短を組み合わせてリズムが構成された、ギリシャ悲劇での対話の部分はすべてこのイアンボス・トリメトロスの韻律だとも言う。

確かに古代ギリシャにおいて「詩」の位置づけは重要で、小生は「シューベルト」の作品における「詩と音楽」を、そしてシューベルトの音楽的特長を、古代ギリシャの「詩」の韻律と関連があるのではないかというエントリーをかつてしたことがある。
「長・短・短」というシューベルトの音楽的特長は、いたるところ・・・「グレート交響曲」のホルンの出だし、「死と乙女」冒頭、「未完成交響曲」第1.2主題等など、シューベルト以前では余り使われなかった「長・短・短」は、シューベルトに至って満開となるのである。

サティの場合は、シューベルトの「長・短・短」では無く、ギリシャ悲劇詩の韻律「短・長・短・長」を採用したことはこの「ジムノペティ」のピアノの左手の伴奏を聴けば一目瞭然であろう。

面白い記述があるのを発見した。
それは以下のようである。

>『1892年、WeilとReinachが、アポロンの聖地デルポイにあるアテナイ人の宝庫跡で大理石に刻まれていた音楽の断片を発見した。
デルポイでは、オリュンピア祭に次いで重要なピュティア祭が開かれ、アポロンを讃える歌が競演されたが、これらの曲はそこで賞を得たものらしい。
前138年ころの作。


『アテナイ人リメニオスが前128年ころ作曲し、ピュティア祭で歌われたもの。現存する40行は、定型にしたがい、まず、アポロンのことを歌うようムーサ神に呼びかけ、大蛇射殺などのアポロンの事績を叙述し、最後に、アポロン、その妹アルテミス、その母ラトナにローマの支配権の永続を祈って終わる。』

・・・・これら2つは「デルポイで発見された二つのアポロンの讃歌」として世に知れることとなったのだが、それを知っている一般人はいないであろう。

発見の年に着目すると1892年、そして発見場所が「デルポイ」=「デルフォイ」・・・すなわち「アポロンを祭る祭殿」の有る地で、かのドビュッシーはピアノ前奏曲集の最初に、「デルフォイの舞姫」という曲を書いた。

>『古代ギリシアの音楽は、詩とともに、総合芸術ともいうべき悲劇や喜劇の構成要素であって、これらはみな市民的な祭事・祭典の行事として、ポリスの管理のもとに行われたのである。特に多数の都市国家が参加するオリュンピア、ピュティア(デルポイ)、ネメア、イストミア(コリントス)などの競技には、体技とともに、必ず音楽の競演(agon)が行われ、その賞を得るのは高い名誉であった。』

・・・上記の、卓越した古代ギリシャの音楽・芸術の需要状況を指摘する記述は、大いに参考になるところが多いので、紹介しておく。

再びサティ・ドビュッシーの「ジムノペティ」そしてドビュッシーの「デルフォイの舞姫」について触れる必要がある。
サティの「ジムノペティ」作曲の経緯については、

・古代ギリシャの美術品の中に描かれたものからの想起。
・裸体の男児が踊る姿を「本来は激しい踊りであるのに、サティがそれを、静かなるものと取り違えて、あのジムノペティのように、静的、聖的、宗教的風に仕上げてしまった。

このような解説文を見かけることが多いが、これは小生には納得できかねるところである。サティはジムノペティを美術館で見たことは間違いの無いところではあるけれど、よく言われるように、絵画や美術品を見て「インスパイヤされて作曲」などという、短絡的な記述を見かける(小生も使ってしまうことがあるが)が、これらの表現は「とんでもないこと」で、しかも「何も語ってはいないこと」であると、小生は思っている。

それらは曲作りのきっかけとはなったであろうが、曲想とは必ずしも一致しないことが多いから、「絵画などによって、インスピレーションを呼び起こされた」という表現には要注意で、この言葉にひっかかってはけない。

WeilとReinachが1892年に発見した「デルポイで発見された二つのアポロンの讃歌」を、ジムノペティを作った1988年サティは知らなかったが、1883年、Ramseyが小アジアのレストランの石柱に刻まれているのを発見した最も魅力のある「Seikilosの歌」の存在を知っていた可能性が有る。

ギリシャで韻律とともに発達してきた、幾多のモード=旋法について学習したサティが、Ramsey発見の「Seikilosの歌」の存在と、その音楽的内容を知らなかったはずが無い。
「Greek Music」というサイトに30篇のMIDIがあるので、興味ある方は聞いてみて下さい。
中にある下の2つに注目すると面白いと思われる。
・Athenaios, Paian128 BCInscription from Delphi. Missing notes supplied by the author of this page.
・Limenios, Paian and processional128 BCInscription from Delphi, fragmentary

さらにジムノペティとの類似性を指摘できるものが、存在していることにも注目したいところである。
下降する音型がギリシャ音楽・・・旋法の「賛歌」における特徴という指摘も有るのにも注目したい。
ドビュッシーの「デルフォイの舞姫」との類似性も、見えそうである。

そして
ジムノペティの語源「裸で踊る少年」とドビュッシーのデルフォイの「舞姫」の関連性にも、そしてドビュッシーが「デルフォイの舞姫」を作り、サティの「ジムノペティ」を管弦楽に編曲した意図も、何かしら透けて見えてくるような気がするのである。

ギリシャの都市国家=ポリスにおいては、神々への畏敬の念を、神殿に祭る神々の前で、市民が集う中、詩の朗読、音楽、そしてスポーツ競技が行われたという。
神々への供養とともに、市民の娯楽でもあり、参加するものの帆頃でもあるこのような催しは、きっとポリスの市民達の生活の一部となっていたと思われるのである。

アポロンを祭るデルフォイの神殿の広場には、こうした文化芸術、スポーツの祭典が行われ、音楽はそれらと密接なかかわりを持つことになる。
それは神への供養であり、集うものたちへのサービスであり、参加する者たちへの鼓舞でもあった。
神への供養と祈りには、歌と踊りを伴い、それらの時期からそれはソフティスケイトされた、ある種の「儀式」となっていったのでは無かろうか。

「リラ」が奏でる音楽に合わせて歌い踊るもの・・・その中には「美少年の集団」・・・(一説に、ギリシャでは「衆道」が盛んであったという)・・・もいれば、美少女達の踊りも有ったに違いない。
それらは「儀式」の一環として祭典の前後に施されたと考えられないことは無い。

「ジムノペティ」も「デルフォイの舞姫」も静かで、少し荘厳な趣のある楽想。
自らの音楽語法を探るべく、サティもドビュッシーも「新しき音」を追求するに当たり、ギリシャの旋法に目を向けたことは想像にたやすい。

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WeilとReinachそしてRamsey達が発見した「アポロン賛歌」そして「Seikilosの歌」のインパクトたるや、サティやドビュッシーにとっては恐らく歴史的な音楽的大遺産であったことだろう。

サティ、そしてドビュッシーがそれらの大いなる遺産を参考にし、自曲に取り込んだことは想像に難くは無い。
「デルフォイの舞姫」を「巫女」であるなどして、神がかりでトランス状態になり、神々の神託を受ける役目等の記述を見かけることがあるが、恐山の巫女や卑弥呼ではあるまいし、政治文化両方にわたって近代国家といっても決して過言ではない古代ギリシャの都市国家では、そのような呪術的な信仰の痕跡は無いから、思わず失笑してしまう。

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by noanoa1970 | 2007-04-15 10:18 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)