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「ドビュッシー」も「ホルスト」も出会ったブリテン諸島の伝統歌

先のエントリーで、小生は「ドビュッシー」の「亜麻色の髪の乙女」あるいは「ホルスト」の組曲「惑星」の中の「木星」におけるブリテン諸島の伝統音楽の類似性を指摘するに及んだ。
これは小生の「耳」がそのように言っているだけで、なんらの学術的根拠があるわけではないが、昨日から手持ちのブリテン諸島・・・特にアイルランド、スコットランドに伝わる古謡を、現代の歌い手が復刻したものをいくつか聞いて、思い当たるものを確信したので、紹介しておこうと思う。

純粋な、「クラシックファン」にとっては、聞きなれないかも知れないが「アイルランド」出身の・・・フォーク、カントリー、ロック、JAZZなど、あらゆるジャンル・・・ジャンルを超えて、活躍している2人。(いや1つはグループであるが)

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それらの音楽家が出会って録音されたアルバム「IRISH HEART BEAT」
演奏は、歌い手が「ヴァン・モリスン」バックミュジシャンに「ザ・チーフ・タンズ」という、生粋のケルトの血が流れていそうな音楽家達。

その中の
the chieftains & van morrison - the star of county down
「ダウン州の星」

歌詞の中の
Near Banbridge town, in the County Down
One morning in July
Down a boreen green came a sweet colleen
And she smiled as she passed me by.
She looked so sweet from her two white feet
To the sheen of her nut-brown hairというところに「ケルトの乙女の、亜麻色の髪」を見るのは、いきすぎだろうか。

Van Morrison and The Chieftains 「Raglan Road」
「ラグランロード」
という伝統歌。
こちらは、「dark hair」・・・霊となった黒髪の美少女が登場する。

「YOU TUBE」に録画されたものを発見したのでリンクを張っておくことにする。
ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」
ホルストの「「木星=ジュピター」
以上の曲を思い出していただき、上記と比較しながら聞いていただくと、面白いものが見えてくる。
他にも似通ったものはあるが、小生が聞く限り、この2曲が最もわかりやすいと思う。

むくつけき男の歌ばかりでは・・と美しい女性の
RAGLAN ROAD」はこちらLoreena McKennitt「Raglan Road

これらの共通点は、間違っているかもしれないが「ドレミソラ」のペンタトニック音階=俗に言うスコットランド音階を主体に、「ペンタトニックスケールとイオニアンスケールがミクスされているようにもグレゴリアン・モードを下地として、そのうちのイオニアン、ドリアン、ミクソリディアン、エオリアンを少し織り交ぜて使うというところがあるようにも聞こえてくる。

恐らく、ケルト・・・ブリテン諸島の古謡が西欧音楽に及ぼした影響は、計り知れないところがあるように思うのだが、包括的に探っていくすべを持たない小生だから、このような、極小化された個別の事象に対して「耳」が訴えるものを、手探りで当たっていくしかない。

しかし、ブリテン諸島からの移民とブルーグラス、カントリー、ブルース等、非クラシック系の世界においては、少しばかりの言及があり、音楽からも、それを知ることが出来るから、クラシック分野における、これら「ケルト音楽」の影響を推理するのはある種の楽しみであり、興味がわくところでもある。

by noanoa1970 | 2007-04-14 09:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

動画の実験

ブルターニュ地方の、古いクリスマスの曲のレコード演奏風景を、実験的にUPしました。
ビデオをご覧いただくには、アドビ システムズ社のプラグインソフト「Flash Player」が必要です。お持ちでない方は、ネット検索してダウンロード(無料) してご利用ください。
動画と音声大丈夫でしょうか?

by noanoa1970 | 2006-12-25 18:18 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(0)

ブリテン諸島の近代音楽

コーンウォールと聞くと、思い浮かぶのが、ワーグナーの傑作「トリスタンとイゾルデ」。
アイルランド王妃「イゾルデ」が、政略結婚の理由で、コーンウォールの城主「マルケ王」に嫁ぐため、アイルランドを出航し、コーンウォールへと向かう船の中で、次女から飲まされた「媚薬」の力で、同行した「トリスタン」と恋に陥る・・・・そんな愛憎劇である。

この物語に、小生はかつての「ケルト」の勢力が「ブリテン島」=イギリス本土にまで強く及んでいたことを見るのだが、今でもコーンウォール地方は、国王直轄地とされており、「ケルト」文化の痕跡を色濃く残すという。
コーンウォールは、ブリテン島の南西部に位置する。
かつての「ケルトの地」として、今もその文化を残すところの多い、「ブルターニュ」文化圏であったのかもしれない。

そのコーンウォールに「ティンタジェル城」は存在し、その血はかつて「ケルト」の伝説の王、円卓の騎士で有名な「アーサー王」の出生地という。
ティンタジェル城がアーサー王とゆかりがあるといわれたこともあっら用だが、しかしこの城は13世紀に作られたから、残念ながら、「アーサー王」とは時代が異なる。
しかし写真で見ると、この城跡は城壁に開けられた数々の「穴」が当時の戦闘状態を思わせるようで、しかも相当古く見えるものだから、古代ケルトを髣髴させるものがある。
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「BAX」はコーンウォールを訪れて、実際にこの「ティンタジェル城」を見たのだろう。
彼の「アイルランド、ケルト」への強い思いと、憧れが、交響詩「ティンタジェル」を書かせた。

狩猟のときの合図のホーンを思わせる金管楽器が、朝もやの中に聞こえる、続いて鳥たちが目覚めたのか、森の奥ででさえずるような音が聞こえ、霧がだんだん晴れつつある中から、やがて見えてくる「ティンジェル城」。

周囲の「緑」がだんだん色を濃くしていき、鈍い太陽が顔を指すと、すべての動植物、そして人々が動き出し、一日の生活が始まる。
人々が集いいろいろな・・・昔話などを楽しく、そして思い出深く語り合う姿が目に入る。
こうしてコーンウォールの一日が、夕日とともに終焉のときを迎えるそのとき、今まで見た「幻」は夕闇とともに消えていき、目の前にはティンタジェル城の廃墟があるばかりであった。

「ケルト」「アイルランド」のオールドバラッドのパターンを、少しまねて創作してみた。
」チーフタンズ」のバックで「シニード・オーコンナー」が、しみじみと歌う、「フォギー・デュー」のふんいきが、「ティンタジェル」と連なって、このように連想させた。

演奏は
NAXOSで多くのイギリス音楽を録音している
「デイビッド・ロイド=ジョーンズ」と「ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団」
この人の「BAX」は、、よく鍛錬されたオケとあいまって、音楽がとてもヴィヴィッド。
あまり聞かない名前ではあるが、オケともに秀逸である。
経歴などは不肖だが、かなりの腕・・・・職人のような感じの指揮者であるようだ。

・・・・最近はこのような・・・・かつては拒否してきた音楽の聞き方をしてしまうことが、よくある。

by noanoa1970 | 2006-10-19 13:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリテン諸島の近代音楽

サミュエル・コールリッジ・テイラーという作曲家は、イギリスでは始めての黒人の血が入った音楽家である。小生はそのことをまったく知らなかったが、彼の「アフリカ民謡による交響的変奏曲op63」を聞いていて、なぜアフリカ?と疑問に思ったので調べると、彼の出自が明らかになった。
なるほどそうだったか、しかし小生の好みの、「バラードイ短調op33」を聞く限りにおいては、まったくそのような生い立ちが有ることなど感じさせなかった。

フランスにも黒人の血を引く作曲家「ジョゼフ・ブローニュ・サン=ジョルジュ」がモーツァルトと同時代に存在して、その音楽を古いレコードで聞いたことは、以前のブログでも書いたが、、イギリスにおいても、時代は新しくなるが、そのような音楽家がいたことは非常に喜ばしく、そしてその音楽に興味がわいてくる。
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本日は
「バラードイ短調op33」を聞くことにする。
ブリテン諸島の、いずれかの地に生まれた、音楽家の作品とばかり思って聞いていたが、この曲はそれほどまでに「黒人の血」を感じさせない。
小生はこの曲の主題らしき旋律に、アイルランドの伝統歌「素早き戦士」をみることができた。
この「素早き戦士」は、アイルランドの伝統歌の伝道者として、世界的に有名な「チーフ・タンズ」のアルバム「ロング・ブラック・ベール」で、「ポリス」の「スティング」が古代アイルランド語で歌う。勇ましいアイルランドの兵士を歌ったもので、恐らくくは、戦士が戦場に向かうときの、「行進曲」であろう。

余談であるが、「ロング・ブラック・ベール」とは、おそらく「婦人の喪服」を指しているものと思われ、ローリング・ストーンズの「ミック・ジャガー」によってアルバムの中で歌われる「バラッド」は、夫以外の男を愛した女が、夫を殺害する。そして愛した男が死んだ後にも、「ロング・ブラック・ベール」を身に付け、墓の中の男に会うために、夜な夜な男の墓を訪れる・・という「ほかの男を愛した女の夫殺人」の実話を歌ったもの。
小生は、このアルバム以前に「ザ・バンド」の「レヴォン・ヘルム」が歌っているのを覚えていたが、これも素晴らしい演奏。
ドラムをたたきながらの彼の声は、おどろおどろした詩の内容ピッタリである。

この伝統歌を「テイラー」は編曲して使ったものと小生は推測している。
その性であろうか、この曲の中間部までは、勇ましい曲調で突き進む。去年の暮れ、TVがスペシャル番組ばかりとなった時期に、有るTV曲のクイズ番組の合図に、この曲の冒頭が突然鳴り響いたのには少々ビックリした。
しかしまだまだ作者も曲も無名に近い。
中間部は勇ましさが消えて「牧歌的」な局長となる、このオーケストレーションは、アルバート・ウィリアム・ケテルビー(Albert William Ketèlbey, 1875年 - 1959年にそっくりのところが有る。テイラーは、1875ー1912、若くしてなくなっているしケテルビーの有名作品は彼の死後のものだから、参考にしたのはケテルビーなのかもしれない。

簿家的な中間部を過ぎると再びあの「素早き戦士」の編曲らしき、勇ましい音楽となって終わる。12分ほどの曲だが中身は濃いものがあり、小生は好きである。

by noanoa1970 | 2006-10-12 09:00 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリテン諸島の近代音楽

秋になったら、イギリス近代音楽を聴こうと決めていたのだが、いつの間にか「浅川マキ」シリーズになってしまった。
しかしそれとて浅川がインスパイアされたと思える「ロッド・ステュアート」を通じて、実はイギリスの・・・というよりブリテン諸島の古い民謡につながるから、浅川とイギリス近代音楽は決して無縁ではない。
小生は「ケルト」の音楽が各方面のジャンルの音楽に与えた影響・・・・は、決して少なくないと思っているから、イギリスの近代音楽の中にひょっとしたら、その手がかりを発見できることになるかもしれない興味を抱いている。

ケルト音楽に代表されるアイリッシュ音楽は、海を渡ってアメリカのアパラチア山脈のふもとの移民たちに引き継がれ、それがトラッドフォーク、ブルーグラス、そしてホワイトブルーズやロックンロール、フォークロック、所謂ロックですらその恩恵を受けたようなところをいくつかの曲の中に発見することができた。

今のところはそれらを科学的に結びつける根拠をしっかりとは持たないが、それらサンプルをより多く収集するうちに、何かしららの手がかりが、確かなものになってくるのではあるまいかと思うことがある。
その瞬間を期待しつつ聞いていくことにしよう。

今日取り上げたのは
「BAX」の「黄昏に」
タイトルも今頃の季節に似合っていて、昨今の夕焼けを見るとき、そしてそれが夕暮れに近づくくとき、海沿いの北陸の町で暮らしたことのある「浅川」は、それを「夕凪の時」で歌った。
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「BAX」はいったいどのような音楽に仕上げたのであろうか。

クラリネットの哀愁あるメロディが、非常に小さい打楽器の上に載って奏される・・・バスーンが重なるようにして重苦しいが美しいメロディを奏で、それが黄昏の始まり。
今さっきまで周囲はまだ明るく、ハイランドの山々も、ローランドの湖も見えていたが、それもすでにボンヤリするほどあたりは薄暗くなりつつある。

冷たい空気が一面を包み込み、それにつれられたかのように、古いこの地方(スコットランドあるいはアイルランド)の伝統歌のメロディが漣のように沸いてくる。
この演奏ではこのときの弦楽器の響きが特筆ものである。

ここで使われる「伝統歌」のメロディは、どこkで聞いたことがあると、思い出そうとしたところ、それは「武満徹」が作ったPOPS調の音楽・・・「石川セリ」の「翼」の中にある「小さな空」・・・
「移動ド」で申し訳ないが

ミーミーソーミ・ドーソードー・ ミーミーソーミ・レードーレ
ミーミーソーミ・ドーソードー・ レ・ミードー・ラーソーラー
「青空見たら、綿のような雲が悲しみを乗せて飛んでいった
いたずらが過ぎて、叱られて泣いた、子供のころを、思い出した」

この部分とまったくといっていいほど同じである。

「武満」もまた、BAXが引用したアイルランドの伝統歌と同じものをを引用している・・・・
偶然の産物であるにしては、あまりにも似すぎている。
武満の「子供のためのアルバム」のようなところがある曲集だから、いずれかのときに聞き覚えがある、懐かしいメロディがつい出てきた可能性も、なくはないが、やはりここは武満が、アイルランドの伝統歌からインスパイアされたもの、と考えたほうがよさそうだ。

武満とBAXの関係がわかれば、BAXからの引用とも考えられるが、やはり「伝統歌」からなのであろう。
ともあれ、武満でさえ引用するほど、すばらしい伝統歌が、BAXの「黄昏にて」でも引用されている事実を、お伝えしておこう。

「BAX」は、斬新な手法を何一つ用いるること無しに曲を仕上げたが、しかしそれは単なるロマン派の延長にはとどまらず、バイオリンのソロパートなどをよく聞くと、バルトークのような「組みなおし」のように聞こえるところ、変拍子の工夫した使い方、巧妙な転調、不協和音が和音のように響き聞こえる技など、素人の小生が聞いても「凝り方が自然」な・・・一瞬で好きになる作品であり、作曲家であることは間違いないであろう。

「ラター」、「ハーティ」、「スタンフォード」、「ドッド」、「テイラー」、「バターワース」を聞いたときにも感じたことだが、彼らに「気負い」はまったくない。
ブリテン諸島の伝統、気候風土の中で培われたものを、素直に表現した音楽であるところが気に入る原点なのかもしれない。
このあたりは、有名どころの・・・・あえて名前を挙げないが・・・作曲家と少々異なる点なのかもしれない。

ドイツのあるいはフランスのだれだれに・・・誰かと誰かをMIXしたような音楽・・・とされることもあるが、それでは表面的すぎてはいまいか。

BAXの「黄昏に」を聞くと
アイルランドの自然賛歌でもなく、単にアイルランドへの憧れでもなく、
そこにあるのは、アイtルランドという島および島人への敬意と尊崇、そして土着の神々への「夕べの祈り」があるように感じられるのである。

BAXはアイリッシュではないようだが、「外から見えるアイルランド」をおそらくは一番よく表現しているのではあるまいか。
アイルランドに憧れを持つものとして、小生は、BAXの作品をすべて聞いてみたい欲求に強く駆られるのである。

by noanoa1970 | 2006-10-02 15:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブリテン諸島の近代音楽・・・「アイルランド牧歌」

「ピーター・ドッド」という作曲家の名前は今まで一度も聞いたことがない。勿論作品にいたっては耳にしたこともなかった。
彼の詳細については全くといっていいほど分かるものがなく、1930年生まれとだけ表記がある。現在76歳で存命ということだ。

d0063263_13382683.jpg「アイルランド牧歌」という名前の・・・いかにもアイリッシュ好きの心をくすぐるような曲名に惹かれて、聴いてみることにした。

美しいメロディラインが、垢抜けしたブラームスのような和声の上で、哀愁を誘うハーモニーをかもし出す・・・RVWの「グリーンスリーヴス幻想曲」にも似た曲調の耳になじむ音楽であった。

d0063263_13354356.jpg引用されたメロディは、聴き覚えがあったのでアレコレ探したが、同じような曲調が多いアイルランドの古謡だから、なかなか特定できず、手持ちのものを片っ端から聞くうちに、漸くチーフタンズの「BELLS OF DUBLIN」というクリスマス音楽のアルバムで、ゲストの「ナンシー・グリフィス」が歌う、「THE WEXFORD CAROL」・・・「ウエックスフォードのキャロル」と同じと判明した。
アイルランドやブルターニュに伝わる古謡やキャロルは、良く似たものや、耳に慣れ親しんだものが多い。
「牧歌」は・・・夕暮れに神と自然両方に感謝と祈りをささげるような・・・聖と世俗両方の要素があると思われるから、キリスト教が異教徒懐柔策として活用したであろうキャロルは、意図的に聖と世俗両義の要素を兼ね備えたものだったのだろう。

「キャロル」は、だから例えば教会にいけないような人々にも、古謡・民謡の要素を取り入れたことで、広く歌われたのかもしれない。
聖と世俗をつなげる存在としてのキャロルは、異教徒の地においては重要な存在であったと思われるのである。

「ドッド」の音楽は近代音楽的手法など、一切使用しないで、親しみやすく、誰からも好かれるような作風がある。「音楽は誰のためにあるのか」・・・そんな根源的な問いかけに対する答えがここにあるように感じられた。
何度でも・・・リピート指示して繰り返し聞きたい音楽である。

ブリテン諸島の音楽にはそのような心持にさせるものが多い。

by noanoa1970 | 2006-09-19 13:31 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ブラームス4つのバラードより、エドヴァルトを巡って、父親殺しの犯人は誰か

ブラームスの2重唱、そしてピアノ曲「4つのバラード」に「エドヴァルド」という曲がある。
これはスコットランドの古い民話=オールドバラッドを「ヘルダー」が採取し、ドイツ語に訳したものである。
ブラームスは何を思ってか、この寓話に2種類の曲をつけた。

母親に、そそのかされて父親殺しをしてしまう子供「エドヴァルト=エドワード」と、計算づくで父親殺しをさせた母親との世にも恐ろしい物語であるが、母親は子供エドヴァルトを操っていたにも拘らず、物語では、子供を一方的に問い詰めていく。その時の凄さをブラームスはピアノ曲では、「運命の動機」を多用することによって、この物語に潜む、どす黒い深層を暴いて見せた。(と小生は解釈している)

以前このことはこのブログにも書いたが、今日は父親殺しの犯人像「エドヴァルト」とは何者かを探ってみようと思い立った。

参考になるものは、「ヘルダー」の採取したオールドバラッドの中の、不可思議な母親と子供の対話であり、「エドワード」という固有名詞である。

邦訳があるので参考にあげておくことにした。

エドヴァルト (ヘルダー訳のスコットランド民謡)

「お前の剣が、血にまみれてそれほどに赤いのはなぜ?
エドヴァルト、エドヴァルト!
お前の剣が、血にまみれてそれほどに赤いのはなぜ?
そんなに憂いに沈んで歩き回るのはなぜ─おお!」

「私の鷹を打ち殺したのです。
母上、母上!
鷹を打ち殺したのです。
それで心が塞ぐのです─おお!」

「お前の鷹の地は、それほど赤くはない、
エドヴァルト、エドヴァルト!
お前の血はそれほど赤くはない、
息子よ、つつみ匿さず言うのです!─おお!」

「私の葦毛を打ち殺したのです。
母上、母上!
葦毛を打ち殺したのです、
あれは気丈で忠実なやつでした─おお!」

「あの馬は年老いて、お前には用済みのはず、
エドヴァルト、エドヴァルト!
あの馬は年老いて、お前には用済みのはず、
ほかに苦しみの種があるのでしょう─おお!」

「私は父上を打ち殺したのです。
母上、母上!
父上を打ち殺したのです、
それでこんなに心が苛まれるのです!─おお!」

「ならばお前はこれからどうするつもりです?
エドヴァルト、エドヴァルト!
ならばお前はこれからどうするつもりです?
息子よ、言っておくれ!─おお!」

「私の足は安んじて大地にとどまってはおりません!
母上、母上!
私の足が安んじて大地にとどまろうはずがありません!
海のかなたへとさすらいの旅に出るつもりです─おお!」

「ならばお前の館や広間はどうなるのです?
エドヴァルト、エドヴァルト!
ならばお前の館や広間はどうなるのです?
今まではこんなにみごとで美しかったこの館は─おお!」

「ああ、館など、いつか崩れ、朽ち果ててしまうでしょう!
母上、母上!
館などは、いつか崩れ、朽ち果ててしまうでしょう!
私は二度と目にすることもないでしょう!─おお!」

「ならばお前の妻や子供はどうなるの?
エドヴァルト、エドヴァルト!
ならばお前の妻や子供はどうなるの、
お前が海のかなたに行ってしまったら?─おお!」

「世間は広いのです、物乞いをすればいいでしょう、
母上、母上!
世間は広いのです、物乞いをすればいいでしょう、
私は二度と会うこともないでしょう!─おお!」

「それではお前の母はどうなるのです?
エドヴァルト、エドヴァルト!
それではお前の母はどうなるのです?
息子よ、お言いなさい!─おお!」

「地獄ののろいがふりかかればいいのです、
母上、母上!
地獄ののろいがふりかかればいいのです。
だって、このように仕向けたのはあなたですから!」


いかがでしょう、母親がそそのかしたせいで、エドヴァルトが父親殺しをしたことが、最後に分かります。
それまでは、母親は「母親らしく」エドヴァルトの様子を気遣うようなところが見られるのだが、確信犯的な様相も窺え、「実に恐ろしいのは息子に父親殺しを仕向けた母親」だった、という当時の世間を騒がせたニュースであったろう。
恐らく瓦版の作者であり伝達者ブロードサイドたちによって、この話はブリテン諸島全土に、あるいは時代を経て、ヨーロッパにも流されたのではあるまいか。

小生はこの物語を「跡目相続、あるいは王権争い」で、スコットランド及びイングランドにまたがる歴史的な一こまを、イングランドとスコットランドの国境近くの人たちが、この事件を揶揄したものであるとの仮説を立ててみた。

最初に「エドヴァルト」=「エドワード」をブリテン諸島の王族から探すことにした。

イギリス及びその周辺の歴史上の王で有名なエドワードといえば、エドワード1世~8世まで候補は存在する。
そしてスコットランド国王にはジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートという長い名前の人もいる。

時間はかかるが、それぞれについて調べるほかはないが、ネットにある「ウイキペディア」に幸運にも該当が有った。

一番怪しいのはジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート1688年6月10日 - 1766年1月1日で、支持者であるジャコバイトによって、イングランド王ジェームズ3世およびスコットランド王ジェームズ8世と呼ばれる。・・・とあり、カトリックVSプロテスタント、イギリスVSスコットランドそしてフランス間の三つ巴の中に、身を置いた人物である。

プロテスタントへの「改宗拒否」によって皇位継承謙をなくしてしまった人物でもあるから、そしてオールドバラッドが良く取り上げる「王位継承」、「反プロテスタント」、「ステュアート朝支持」の「ジャコバイト」が強く支持した人であったから、この辺りの王位継承の歴史は一口では到底語れないものがあるが、候補の一人である。。

ジェームスの息子はチャールズ・エドワード・ステュアート(Charles Edward Louis John Casimir Silvester Maria Stuart、1720年12月31日-1788年1月31日)
しかし父親殺しに関係するものは全く見当たらない、良好な親子関係が見られるようであるから裏話などがなければ該当しないことが分かった。・・・でもやはり怪しい感じはする。

当てはまりそうなエドワードは、エドワード2世と3世の話で・・・・エドワード2世(Edward II, 1284年4月25日 - 1327年9月21日 在位1307年 - 1327年)中世イングランド随一の賢王と謳われた父とは似ても似つかぬ、稀代の愚王という刻印を押されている。
その混乱した不名誉なエドワード2世のキーワードは、男色相手の悪友ギャヴスタン、スコットランド、そして王妃イザベルである・・・と記される。

エドワード2世の暗愚ぶりと、友人ギャヴスタンをめぐる混乱は、スコットランドにとってはこの上ない僥倖であった。1314年、スコットランド中部のバノックバーンでロバート・ブルース率いるスコットランド軍に、将兵の8割以上が死傷または捕虜になるという大敗北を喫したのである。こうして、1323年、ついにエドワード2世は事実上の降伏である屈辱的な休戦条約を締結し、イングランドはスコットランドを失った。・・・要するに「ダメ国王」だったのである。

一方
エドワード2世の王妃イザベルは、フランス王フィリップ4世の娘であったが、友人の男ギャヴスタンを寵愛する愚昧な夫に当初から憎悪を抱いていた。
イザベルが表立って夫エドワードに反旗を翻したのは1322年、イザベルは、皇太子(後のエドワード3世)をイングランドからフランスに呼び寄せ、手元に確保すると、エドワード2世を廃位して息子を新国王に立てるという念願の策謀の実現に踏み出した。
イザベルは、愛人であるマーチ伯ロジャー・ドゥ・モーティマーと国王廃位の作戦を練り上げ、1年半後の1326年、ついにイングランド進撃を開始した。
・・・・これは怪しい!!
・・・・つまり夫の男色、無能振りと、自分の愛人のために、自分の夫=国王を追い出し、息子のエドァード3世に王位を継承させたということが書かれている。(エドワード3世が傀儡政権で、ゆくゆく愛人に実権を握らせるつもりだったとすれば話の辻褄は符合してくる)

そして
息子エドワード3世, 1312-1377
イングランド最低の国王といわれるエドワード2世の息子として15歳で即位したエドワード3世は、隔世遺伝であるのか、祖父エドワード1世に似た賢明さを備えていたといわれる。

イザベルとエドワード2世の間に出来たの本当の子供でなく、イザベルの愛人マーチ伯ロジャー・ドゥ・モーティマーとの間の子供だとも勘ぐれる。
しかし、15歳で即位したエドワード3世だが、彼の前に最初から立ちふさがっていた敵は、なにより実母イザベルとその愛人モーティマーであったという。・・・何かと口出しされたのであろうことは容易に推測可能だ。

折からある事件があって、エドワード3世は母親イザベルと、その愛人モーティマーを処刑するにいたり、失地回復・・・・スコットランドを再びイングランドの支配下に置くことに成功する。
スコットランドはフランスに助けを求め、もはやイングランド王家と血縁がなくなっていたフランス王フィリップ6世は、軍を進めるにいたり、イングランドの国王エドワード3世は、フランスに宣戦布告する。これが有名な百年戦争の始まりである。

この歴史的事実を読み解いていくと、「ヘルダー」が採取したスコティッシュバラッド「エドヴァルト」の父親殺しは、エドワード3世が母親イザベルにそそのかされて、愚か者の父親エドワード2世を暗殺。
母親の、夫殺しの手伝いをしてしまったエドワードが、母親とその愛人の陰謀に気づき、やがて二人を処刑するにいたる・・・・その辺りの悲劇を当時のスコットランドとイングランド、アイルランドを行ったりきたりしたブロードサイドたちが広めたお話であろう。・・・そんな推理をしてみた。

しかしやはり気になるのは、スコットランドのイングランドによる傀儡国王ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートだが、何せ彼の情報は凄く少ない。
またの機会にしておこう。

by noanoa1970 | 2006-08-24 07:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

「鐘の音」のある音楽

てつわんこ氏の最近のブログテーマ、なくなった掲示板「猫」の再現を髣髴させるもの、
掲示板なら一気に「鐘」に因む音楽が出てくるのだろうが、
ここはジックリと行きたいですね。!!

神戸と、多分・・・京浜東北根岸線沿線の住人と・・・お二方がお挙げにならないものを。
(熊蔵さん失礼があるかもしれません・・・が、小生20年前には「磯子」に住んでいました)

「鐘」に因む音楽として先ず思い浮かぶ優れものは、いささか季節外れで恐縮なのだが、小生の敬愛するアイリッシュトラッドバンド「チーフ・タンズ」の「ベルズオブダブリン」
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全篇が「クリスマス・キャロル」で構成されるが、最初に響き渡るのは、ダブリンにある「クライスト・チャーチ」大聖堂の12個の鐘の音。
この鐘は、250年の伝統を持つ歴史あるもので、最大のものは直径158cm、重さが2トン半あるという。d0063263_19174740.gif
「人民の鐘」と呼ばれアイルランドの様々な歴史のシーンで慣らされてきたと思われる。
タイトルを「BELLS OF DABURLN」としたのにも、彼らが、あるいはアイルランド市民が、この鐘を、教会を大切にしてきたこと、そして日常の一部としてきたことを思わせる。

ジャンルを問わず、音楽が好きな人ならぜひとも聴いていただきたい音盤である。ことしのクリスマスに用意したらいかがだろうか。

ゲストがまた豪華で、
エルヴィス・コステロ、リッキー・リー・ジョーンズ、マリアンヌ・フェイスフル、ナンシー・グリフィス、ジャクソン・ブラウン、他という顔ぶれ。

リッキーの「オーホーリーナイト」、小生の好きなグリフィスの「ウエスフォードのキャロルが素晴らしい。

もう一つ浮かぶのが
ドヴォルザークの「レクイエム」この中で鐘が打ち鳴らされるのを聴いた人はおられるだろうか。
小生はこの曲を大変気に入っていて、「アンチェル」、「ジョルダン」そしてd0063263_206437.jpg「ケルテス」の3種を聞くのであるが、「鐘」が鳴らされるのは「ケルテス」盤だけで、第4曲「妙なるラッパ」で 、大掛かりな「本物とも思えるような鐘の音」が高らかに鳴らされる。
この演奏を聴いてしまうと、とても気に入っているアンチェル盤ではあるが、少しばかり物足りなく思うことがある。

オリジナル楽譜に「鐘の音」の指定があるか否かは分からないが、いずれにしろここでの「鐘の音」は非常に効果的。
このDECCA録音では・・・これは想像に過ぎないが、本物の教会の鐘の音を録音しておき、アフレコで挿入したのではあるまいか。
鐘の音が教会で鳴っているように聞こえ、しかもかなりシンコペしたように聞こえるから、オケと一緒に、オケの打楽器奏者が鳴らしたものではないように聞こえ、かえってリアルである。

DECCAのプロデューサーであれば、そのぐらいのことはやってのけたに違いないと、推測する。音は、かの「カルーショウ」の録音ように聞こえる。

ドヴォルザークの「レクイエム]二は「鐘の音」はやはり必要である。

by noanoa1970 | 2006-08-23 07:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

聖金曜日

「聖金曜日」とはキリストが十字架にかかったその日を記念する日のこと。
4月14日がそれにあたるという。
掲示板「猫」ではその日には「受難曲」を・・・という呼びかけのスレッドがたったようだ。
ワーグナーの「パルジファル」にも「聖金曜日の音楽」という場面があり、独立して演奏される。
勿論バッハをはじめとする様々な「パッション」もその日の音楽としてはふさわしいが、実際はその日にはミサは行われないという。

しかし「スターバト・マーテル」、は、聖金曜日の「聖務日課の聖歌」と「聖母マリアの7つの悲しみ」の祭日のための続唱いう2つの場面で用いられるというから、その日を記念して「スターバト・マーテル」を聴くのもよいだろう。
事実掲示板「猫」では、その日にちなんで「スターバト・マーテル聞きまくり」をするという、「てつわんこ氏」の投稿もあるようだ。

小生も「スターバト・マーテル」は、大好きなほうで、スカルラッティ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ハイドン、シューベルト、ロッシーニ、ドヴォルザーク、そしてプーランクなどはよく聴くのだが、それなら少し変わりどころを・・・・と思って聞こうとしたのが「聖母マリアの7つの悲しみ」である。

小生はマリア信仰を非キリスト教世界の「女神信仰」の残像と思っているが、とにかく「マリアの7つの悲しみ」とはいかなるものであるかを探ってみた。

それによると

聖母マリアの7つの悲しみとは
7つの悲しみの道行
「7つの悲しみの道行」のはじめの祈り
第1留 聖母は老シメオンの預言によって悲しむ・・・イェルサレムでシメオンという人が幼児イエスを祝福したあと、イエスの受難を預言し、マリアの心も剣で貫かれると預言したとき

第2留 聖母はエジプトへ逃避する・・・ヘロデ王が出した「幼児皆殺し令」を逃れるために夫ヨセフともにエジプトへ避難したとき
第3留 聖母は御子を見失う・・・・12歳になったイエスをイェルサレムで3日間見失ったとき
第4留 聖母はカルワリオへの途上で御子と出会う・・・イエスが十字架を負ってゴルゴダの丘へ連れられていくのを見たとき

第5留 聖母は十字架のもとにたたずむ・・・十字架にかけられたイエスの足元に立ったとき
第6留 聖母は御子の亡骸を抱く・・・イエスが息絶え、十字架から降ろされたとき
第7留 御子が墓に葬られる・・・イエスが埋葬されたとき

その7つの悲しみの道行の結びの祈りであるという。

小生はこれを非キリスト教文化とキリスト教文化が穏やかに融合したといわれる、アイルランド=ケルトに古くから伝わる、伝統歌を現代感覚でアレンジした
「エクトル・ザズー」「HECTOR ZAZOU」の「ライツ・イン・ザ・ダーク」「LIGHTS IN THE DARK」 の「アルバム」に求めることにした。
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アルバム副題に 'un voyage aux origines des chants sacré d'Irlande' とあるように、「アイルランド聖歌の起源を探る旅」がテーマ


アイルランドに残る古い聖歌や伝承曲をフランスの実験音楽家“エクトル・ザズー”がアレンジした音楽。古くからこの地方で歌い継がれてきた祈りの歌と、と現代が織りなす神秘的な音楽は、今までのアイリッシュ音楽の感触のを保ちながら別の世界をも見せてくれるようで、かなり気に入っている。

1.星
2.聖母マリアの7つの喜び
3.死者の詩
4.3人のマリアの哀哭の叫び
5.聖母マリアの7つの喜び
6.3人のマリアの哀歌
7.受難の詩
8.我等が父の御名のもとに勝利せんことを
9.聖母マリアの7つの悲しみ
聖母マリアの感情の波について語っている。7つあるヴァースの一つで、特定の悲しみについて、表現しており、それぞれのヴァースは、同じオープニングのリフレインを、繰り返した後、それぞれの悲しみがそれに続いている。中世ヨーロッパの伝統に即したこの曲の、さまざまなヴァ-ジョンがアイルランドで見つかっているという。
この曲・・・女性とバックには「ブーズキー」だろうか「ウード」だろうか太く低い音の弦楽器と太鼓が鳴らされる、・・・は、「ケリー郡」で収集されたもので、「ロザリオの祈り」の後、伝統として、歌い継がれてきたものである。
10.主の御心に捧げる小さな歌
11.マリアの哀歌
12.愛の求め
13.すべての希望の墓

by noanoa1970 | 2006-04-12 17:32 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

映画に使われた音楽・・・バリー・リンドン

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以前から気になっていたことが、「キューブリック」と「アイルランド」の関係だ。「時計仕掛けのオレンジ」でもこの話でも「アイリッシュ」が登場し、この作品では主人公が「アイリッシュ」である。キット何かがるに違いないのだが、その関係性についてはいまだ謎のままである。
この映画の舞台はヨーロッパの宮廷華やかな頃18世紀半ば。
原作は『虚栄の市』で有名なサッカレー(1811~63)の同名小説である。
ロウソクの灯りにだけで照らし出される光こそ、電灯が発明される19世紀末以前の世界で、それを再現しようとしたキューブリックの美意識は相当なものがある。
それは「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」の絵画の雰囲気にも似て神秘的ですらある。
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アイルランドの農家に生まれたバリーはベルギーの宮廷でバリーは、名門リンドン家の夫人と出会い、持ち前の勇気と行動力でたった「6時間で」彼女の心を虜にしてしまう。
しかし貴族の称号を手に入れるためにバリーが莫大な金を持ち出したため、リンドン家の財政は急速に苦しくなっていくこうしてバリーはついに破滅する。

リンドン家を追い出され、アイルランドに戻るため、松葉杖をついて馬車に乗り込むバリー。その後ろ姿には、人生のはかなさが漂っていた。

農民の子として生まれた人間が偶然幸運を手にした手に入れたのだが、身分偽装のために、妻子を裏切り自分の全てをなくしてしまう、・・・・人間の欲望の成れの果てを描いた作品で、ごく最近のニュースにも登場する「あの話題」と精神構造が似ている。。、1975年/米/185分スタンリー ・キューブリック
ライアン ・オニール/バリー・リンドン
 マリサ・ベレンソン/リンドン夫人

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この映画の中で流れるのが、「シューベルト」の「ピアノトリオ2番」の2楽章。「美しく切ない」、そして「けだるく、やるせない」メロディが何回も出てくる。
シューベルトの甘味な音楽にある不気味さをキューブリックは知っていて使ったのだろうか?
演奏は「ウイーン・ベートーヴェン・トリオ」
とても鮮烈なシューベルトが聞ける。

by noanoa1970 | 2006-01-26 15:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(5)