知られざる演奏家のチャイコフスキー5番

最近でこそこの人の名前を知ってる方も少しは増えたようだが、1960年代初期に熱心な音楽愛好家であった人意外はその名前は知らないといってよいだろう。
小生も偶然クラシック全集にソの名前があったので知ったのだが、どうせ三流の指揮者だと勝手に思っていた。トスカニーニ、ワルター、フルヴェン、カラヤン、追ってライナー、セル、ベームの時代だったからそれ以外はみな三流なのだ。
その中には最も気に入っている指揮者コンヴィチュニーのベートーヴェンもあった。

さてチャイコフスキーの作品は、熱愛者とそうでない人に二分されるようだ。
学生時代の音楽サークルでは、毛嫌いする人間とそうでない人間がいた。
その理由は恐らく、どの曲を聴いても、聞く人に媚びを売るかのような甘い旋律と、見せかけの威勢良さなんだろうと思うことがある。

ベートーヴェンの5番と比べるのは無理があるが、同じ「動機」を使っているから、それは比較される運命にあるのだろう。

今日は、ふだんあまり聴かないが、超有名なチャイコフスキーの5番の交響曲を選択した。
誰の演奏でも良かったのだが、生まれて初めて全曲を聞くことになった演奏をチョイスしてみた。

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大昔LPで聴いていたものが、近年CD復刻されたものだが、この指揮者の名は殆ど知られてない。
録音データがその昔は全くなかったが、復刻されたものは、かなり多くの情報が記載された。
レオポルド・ルートヴィヒ指揮、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年ハンブルク・クルトゥアラウム
原盤はオイロディスクで、60年にしては多くないステレオ録音である。

5番の交響曲(チャイ5)には、名演と言われるものが多数存在し、歴代の指揮者でこの曲を振ってない人はいないぐらいで、かのフルトヴェングラーでさえ降っているし、ストコフスキー、ムラヴィンスキー、カラヤンにいたってはかなりの数の録音を残している。
従って全ての録音を収集するのは困難なぐらいである。
多分視聴者受けするのだろうことは、推測可能だし指揮者による、あるいは同じ指揮者でも違う表情を見せることができる曲だからなのか、マニアックな好事家の中に、チャイ5ばかり収集している人もWEBで見かける。

小生のようなひねくれ者は、いつでも入手できそうな、いわゆる名演と呼ばれるものは避けたくなるのがいつものこと。

チャイ5は、フランツ・コンヴィチュニーを主に、レオポルド・ルートビッヒで聴いてきた。
「運命の動機」で始まり、その動機はいたるところで姿形を換えて登場するから、ベートーヴェンの5番の演奏のように色付けなどは不必要、甘ったるい感傷などもってのほか・・・いや、そう言う演奏はゴメンだといったほうが正しいかもしれないから、二人の演奏は満足度が高い。

幸いチャイ5は、早い時期に数少なくして自分好みの演奏にあたったから、何十種類も在庫を持つ必要がなかった、そういう意味でラッキーであったし、そもそもそんなに好きな曲でもないから、これで満足していると言ったほうが良いのだろう。

偶然だろうが、小生好みのチャイ5の演奏、コンヴィチュニーとルートビッヒには類稀な共通点があることが解って驚いてしまった。
それは、生まれがほぼ同じであり、両者ともモラヴィア出身、歌劇場で叩き上げた指揮者であり、職人気質な芸風であること、活躍の割に残された音源が少ないことなどだ。
さらに何れも目立つような指揮ぶりではないが、曲全体の構成から隅々を見ていくといった手法が類似していること、演奏することに対する意志の強さが伝わってくること。
逆に言えば、派手さがなく大向こうを唸らせるような大見得などは無い。
アゴーギグはここぞに絞り込み、ゆっくりめのインテンポで指揮をすることが多い。

コンヴィチュニーは、出来不出来が有る指揮者だが、特にライブでの、出来が良い時の演奏は、他者を寄せ付けない気迫と集中力・・・音魂がある。
一方ルートビッヒは、ブラ1、チャイ6、ベト9でも、実に堅固で乱れのない着実な演奏を残した。

彼らへのオケの信頼度が伝わってくるようだが、コンヴィチュニーが私生活においても、団員と交流が多かったという以外の情報はない。

寝聴きしていたのだが、これでは失礼とばかり、起き上がって再度聞くことにした。
チャイコフスキーの音楽上の弱点、泣き節といつまでも続く未練、浅ましさと弱さ、それをおい隠すような強がりの咆哮に辟易している人は、コンヴィチュニーとルートビッヒ盤は良い回復剤になるに違いない。
特にルートビッヒ盤は、ステレオ録音リマスター処理でかなり良い音質だ。

この音盤には、トーマス・シャーマンと言うアメリカの若手指揮者の「イタリア奇想曲」がカップリングされている。
面白い試みは感じられるが、これといった評価のつけにくい演奏で、オケに多くを救われたような演奏である。
ただでさえそう見えることが多いチャイコフスキーを、特価の見切り商品のように安っぽくしてしまった。
同じオケでも、指揮者によって出る極端な違いが面白い。
ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団の腕前は素晴らしく、ルートビッヒとの集中度は最初から最後まで途切れない。

大げさな表現になるが、50年代中後半から60年代初期の演奏家は、いずれも全身全霊をかけているというような録音が多いのはなぜだろうか。
多分そういう録音しか世に出さなかったという一種の良質なフィルター機能が働いていたのだろう。

近年の大物指揮者のどれもが、名ばかりの評価の割に、音楽の中に意思が見られないのはなぜだろう。
贅沢に甘んじているからなのか、演奏家もサラリーマン化してしまった・・・そんなことはないと思うが。
何でもかんでもCD化して発売するわけだから良作も駄作もあって当然といえば当然なのだろう。

演奏することの意味合いが変化してきたのだろうか。
実の力とは関係なく、マスコミなどの持ち上げ方で、マエストロやヴィルトゥオーソが誕生してしまい、評論する側の権威や力も弱体化したせいなのか。
聴取側に目利きが少なくなったからなのか。
クラシック音楽に求めるものが大きく変化したせいなのか。

「売れること」前提だから、しかたがないとは思うが、それならばそれで大衆芸能と同じになると良いが、決してそうはならないのがクラシック音楽。

3分程度の曲を聞くのに慣れてしまった耳には長すぎるし、器楽演奏が多く、歌曲があっても外国語だからなにを言ってるかわからないのも、それを助長するのだろう。

fbをやっているが、昔は聴取側は、ジャンル分けの中に存在していた、・・・俺はJAZZしか聴かない、とかロック命という具合だったのが、最近はジャンルを問わない聴取者が多くなったのか、音楽の垣根が壊れ、耳もそれに馴染んだのか、広く浅く音楽を摂取する人や、時代の先端を走っているように見える人物の影響で、彼らが日常聞いたというものや、文章にしたものを自分も聞こうとする追従体験者が増えたように思うことがある。

ほとんどがWEBで、その音楽のエキスを瞬間的に見聞きできるから、それで満足しているのかもしれない。
しかし同じ曲を聞けば、情報を与えてくれた人と同じ音楽体験が出来たと錯覚している人間が多いように思う。

音楽には聴き方というものがあるのは確かだが、それは誰かから教わって身につくものでなく、自分自身で身につけるものだから。毎日の自然の訓練を続けると耳が開けたような瞬間が数多く発見できる。

イケメンピアニストや美形女流ヴァイオリニストがやたら目立つこのごろであるが、目立ち方が質素な中にも素晴らしい演奏を聞かせる人もある。

コンサートでも音盤でも、こうなると当りくじのような様相を帯びる。
当り・・・の演奏録音はそうすやすと手には入らなくなった。

生であれば其れが無いかといえば同様に存在するのではないだろうか。
CDの評価などを見ることがあるが、どうしても大手CDショップの影響下にあることが多いようだ。
影響下といったのは選択肢のことで、直ぐに廃盤そして復刻をくり返し中には廃盤のままのものも多い。

そういう中でヴィンテージ復刻とされるシリーズは小生には非常にありがたいもの。
「塔」というニックネームの大手ショップは自社で復刻発売しているが、そういう中に優れた演奏録音は多い。

レオポルド・ルートビッヒもその中の1人で、チャイコは5.6番、そしてベト9も世界初出である。
売れるか売れないかは大きな課題であるのは承知であるが、これらの企画を今後も続けていただきたい。

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# by noanoa1970 | 2013-06-12 19:02 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

遊的歌劇特徴表現之事

FBフレンドのSさんが面白いことを思いついたので、小生も乗って遊んでみた。
以外に長く続いていて、内容の噛み砕き手腕に溢れるものだが、お遊び感覚でこういうことをやるのも面白い。

SWはFBフレンド、SOは小生。
完全にSWさんのほうがすごい!

始まりはSWさんの以下のもの。

ふと思いついた。『カルメン』⇒『若侍名残之徒花』

お返しとばかりうに考えたのがこれ、そこから長々と続くこととなった。
SO 『椿姫』⇒『董姫悲恋之道行』

SW 『アイーダ』⇒『心中埃及之闇牢』

SO 『ノルマ』⇒『異教徒恋愛破局物語』・・・こちらか「宗教是没有爱」

SW 『セヴィリアの理髪師』⇒『髪結狂言恋之駆引』

SO どうしても負けるぞ。なんとかがんばらにゃ。時間が必要。

SW こなすべきノルマがありますね。

SO 『魔笛』⇒『悪之正、正之悪観客騙之笛吹小僧』

SO Divaでもノルマと夜の女王では
大違い。

SW 『パルシファル』⇒『耶蘇奇譚杯之呪返』

SO 『サロメ』⇒『異教徒預言者猟奇的崇拝之王女』

SO 『ローエングリン』⇒『姉弟跡目相続闘争耶蘇介入之事』

SW 『奥様女中』⇒『小女出世玉輿之段』

SO こいつは参った、降参です。!
昔の事この脚本を頼まれて書いたことが有りました。
落語のしゃベリをベスポーネ役にし顛末を分かりやすく伝えようとしました。
前口上に上の文章がそのままつかえます。

SW 『小女出世玉輿之段』は、幕間狂言ですね。

SO 『ペレアスとメリザンド』⇒『横恋慕弟殺之成行』

SO 落ちがあるとみてよい、オペラブッファという事と、無言のベスポーナが影の主人公であるという設定にしたかったのでした。狂言とは言いえて妙。仕組んだのはベスポーネ。

SW 『ニーベルングの指環』⇒『天上天下四夜之呪詛』
序夜 「金盗人呪詛之段」
二夜 「姫神落魄之段」
三夜 「阿呆男得恋之段」
四夜 「天神城焼討之段」

SO 参りました。指輪何とかしてやろうと思いましたが、あきらめたところだった。

SW 『オテロ』⇒『妻殺嫉妬之地獄』

SW 『オルフェオとエウリディーチェ』⇒『黄泉国奇譚 冥途之夫婦』

SO 『ピーターグライムズ』⇒『漁師村八分少年愛之悲劇』

SO 『彷徨えるオランダ人』⇒『幽霊船長好変態女貞節明地獄絵図』

SO 『タンホイザー』⇒『優柔不断風俗愛好者覚醒之成行』

SW 『リゴレット』⇒『道化師無残乱行之公爵』

SW 『イル・トロヴァトーレ』⇒『怪談妖婆呪之火刑』

SW 『カヴァレリア・ルスティカーナ』⇒『田舎男不義之代償』

SO 『カルメル葉修道女の対話』⇒『借革命修道女斬首大衆観取悲劇』

SW『フィデリオ』⇒『貞女鑑懲悪之牢獄』

SW 『ドン・ジョヴァンニ』⇒『一聴驚嘆 因果之魔像』

SO 『魔弾の射手』⇒『友人誤射殺人男掴幸』

SO 『ヴォツェック』⇒『意味不明下級陸軍兵情婦殺人事件』

SW 『フィガロの結婚』⇒『好色伯恋之乱痴気』

SO 『イーゴリ公』⇒『色仕掛偽無謀英雄戻故郷』

SW 『ランメルモールのルチア』⇒『美姫狂乱御家之仇敵』

SW 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』⇒『独逸徒弟愛之歌合戦』

SW 『ファルスタッフ』⇒『呵呵大笑老恋之腹鼓』

SO 『トロイ人』⇒『潜木馬兵士惨殺トロイ人復讐之巻』・・・・長大倭愚名超

SO 幕間休憩

征矢野 治憲 『子供と呪文」⇒『反抗少年悪夢的逆苛回心』
7時間前 · いいね! · 1

SO 『スペインの時計』⇒『時計屋浮気女房堕落絵図』

SO 『アッシャー家の崩壊』⇒『兄妹相姦名門家系崩壊奇譚』

SW 『ナブッコ』⇒『暴虐王帰依猶太教之事』

SW 『蝶々夫人』⇒『異人無情貞女自害之事』

SW 『トスカ』⇒『歌姫絶叫邪恋之姦計』

SW『こうもり』⇒『不埒三昧笑之顛末』

まだまだ続くかも・・・・

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# by noanoa1970 | 2013-06-11 18:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

DRAC興亡史番外編1967機関誌より

6月15日はDRAC-OB会が開催される。
その前に小生と同期で現在同志社大学文学部教授の石坂君が、キャンパス案内ツアーをやってくれるとのことだ。
忙しいだろう身にもかかわらず時間を割いていただけることに感謝しなければならない。
彼とは非常に親しい間ではなかったにしろ、下宿の行き来はたまにあったりした。
下宿では、ブラームスの室内楽を聞かされた記憶がある。
サークル内でも1回生当時から音楽そのものをかなり聴いていた人間であった。
今話すと一番面白い人間であると小生は思っているのだが、以前「君とはジックリ話したい」といっていたので、彼もまんざらではないようだ。

彼は2回生の時にロマン派音楽Gリーダーをやったが、1回生の時にすでにその素地があって、機関誌には論文とみてもよいぐらいの文章を投稿していた。

思慮深い男…それが小生の印象だ。
先日発見した機関誌DRAC16号…1967年発行、に特別寄稿文を投稿した文章があって読み返してみた。

小生も寄稿したのだが、社会学「ジルバーマン」の「音楽はいずこへ」を読んでエキスを抽出したに過ぎなかったのに対し、彼は、多くの文献を当たって長大な論文を書き上げ、其の頁数はB5班25頁にも及ぶものとなった。

当時その中身についての会話は知る限りほとんどなかったのは、内容が難しすぎたのか、不得意ジャンルであったからだろうか。
おそらく、グループの分け方は音楽史に基づいていたから、ほかのジャンルには興味をもてない、自分のハエを追い払うのに精いっぱいだったのだろう。

「二次派の新音楽・後期ロマン派への疑問と考察」と題し、主眼は彼がその当時最も好きだったと思われるブラームスとマーラーをキーファクターとし、いわゆる後期ロマン派とはなんであるのかという視点からの文章である。極端に言えばブラームスは復古主義とか形式主義者とか言われるようなものではない…そういうことをいいたかったのだとも読み取れる。

マーラーについての考察もなかなかのものだと思うが今回は割愛する。

いま読み返せば、ロマン主義あるいはロマン派、と二次派の音楽の規定がやや甘いところがあるにしても、大学1回生でこれだけの文章が書けるというのは、文才ともいえるが、やはり音楽そのものを聴き込んでいたことだろう。

聴きこまなければそれを言葉にはできないが、ながら聴きのように、聴いていてなくても言葉にはできる。
その違いは文章に表れるものだ。
テーマをもちながら音楽を聴くのと、聴いて楽しめばよいという者とは帰結が違ってくるものだ。

その中の一部をここに掲載し、こういう努力の積み重ねの結果、彼が今教授という立場にあるという事も認識していただけければと思う次第。

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# by noanoa1970 | 2013-06-10 20:26 | DRAC興亡史 | Comments(2)

邦人作曲家、音大生、音楽愛好家に対するアンケート実施結果1967年

いま読み返すと何ともまあといっても仕方ないアンケートの問いであったが、当時としてはこれが最善と判断した。
集計のことやそれから必要な分析のことをあまり考慮せず、しかも問いが抽象的なので、回答された音楽家や音大生、そしてクラシック喫茶に集まる人たちはさぞ困ったであろう。
しかし合計300ほどが回収でき、主対象の音楽家の中には熱心にお答えいただいた人もいた。

このアンケート収集結果と若干の分析、というか読み取れることは、小生とK君が深夜まで3日間かかって纏めたものだ。

1967年は小生がDRACに入部した年で、その時のリーダーはF先輩であった。
この人がいなかったら、このような…今考えると大胆不敵ではあるが、いまだかつて何処の誰もなし得なかったこと、そして生の声という貴重な情報を収集できたと自負するものである。
よってここに、その活動報告の一部としてDRAC機関誌16号に掲載したものを抜粋した。
機関誌DRACは16.17・19号がすなわち1967.1968.1970と発行されたが、1969年度は大学闘争の影響で発行されなかった。1972年以降は恐らく研究活動すら実施してないと思われる。


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# by noanoa1970 | 2013-05-18 18:26 | DRAC | Comments(4)

DRAC興亡史番外編2

HABABIさん、少し修正してみましたが、元原稿がよくないのでこれが限度かもしれません。
今思うと恥ずかしい文章です。
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# by noanoa1970 | 2013-05-14 22:10 | DRAC | Comments(1)

DRAC興亡史番外編1969年春サークルオリエンテーションパンフ

古いオーディオカタログに交じって懐かしいものが出てきた。
1969年度の春、新入部員勧誘のためのサークル活動紹介のガリ版で作られたパンフレット。
色あせてしまったが、懐かしいのでDRAC興亡史に加えることにした。

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元原稿の文字がかすんでいたり、読みずらい個所があるが勘弁願いたい。

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# by noanoa1970 | 2013-05-04 11:46 | DRAC興亡史 | Comments(8)

MMフォノカートリッジ復活

40年ほど前に購入したMMカートリッジ。
現在2種類残っていて、1つはシュアーV-15typeⅡ、これはたしか1972年に購入したもの。
もう1つがテクニクス205CMKⅢで、1975年か6年ごろに購入したものだが、10時間も聞いてないまま、MCカートリッジを愛用してきた。
骨董品的な機器だから音がまともに出るかどうかも確認したかったのと、MCカートリッジ増幅用のFRのトランスのほかに、そのころと同時期に購入したSUPEX-SD-909というMCカートリッジ用のトランスを見つけたことによる。
FRではトランスONとPASSの切り替えスイッチがないが、このSDT-77というトランスにはそれがついているので、MC、MMと交換する意場合でも、いちいちケーブルを差し替えする必要がない。
当時FRが68000、SUPEXが14000とカナt利の価格の開きが音質にどのくらい影響するかも確認したかった。
当初音が出なかったテクニクスだったが、スタイラスをクリーニングしてやると、まともな音に復活。
シュアーは15年使ってなかったが、さすがに昔と変わらない音質だった。

これでMM,MCを取り換えても、アーム調整だけで十分いけることがわかったが、音質の差は良し悪しではないが、MMは爽やかで切れがある、MCは分厚くて重心の低い音がする。

水彩画と油絵の違いのような感じと言ったらよいだろうか。
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テクニクスはほとんど使用してないから、ほぼ新品状態だからエージングしてやらないと本領を発揮しないと思うが、素性の良さはかなりわかる良質のカートリッジだ。
ただし、予想通りSDT-77のトランスの性能はFRと比較するレベルではないから、やはりMMの場合出力コードをアンプと直結うすべきだろうし、MCもオルトフォンでは粗さが目立ってしまった。

とにかく、MMカートリッジが時を超えて健在だったのはうれしいことだ。

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# by noanoa1970 | 2013-05-03 20:56 | オーディオ | Comments(2)

悪夢の時間が過ぎ、ようやく修理へ


12年着用したN-F社のゴアテックスマウンテンジャケットの防水をしておこうと取り出すと、裏側の縫い目の防水対策として貼られている、シームテープが剥がれかけているのを発見。

きっと接着剤が劣化したのだろうと、少し引っ張ってみると、どうやらシームテープ全部が接着剤の劣化で剥がれかけているらしい。

引っ張ると、セロテープを引き出すよりも簡単に剥がれてしまい、テープがジャヶットから垂れ下がってしまった。
これではいくら何でも防水したところで、着ること自体できない。
自分で接着剤をつけて貼ろうかと思ったが、もしテープも劣化してたら元もこうもない。

NETで防水シームテープを捜すと、幅と長さに応じて幾種類かがあり、思った以上に価格も安い。

しかし貼った後にアイロンを掛けなくてはならないが、アイロンの音度設定がかなり微妙で、しかも素材がゴアテックスだから、温度が高すぎて素材をどうにかするといけない。

購入した店に連絡相談すれば良いのだが、あいにく其の店は廃業してしまったから、メーカーしか無いと窓口を探すが見つかりにくく、会社のコンセプトを表明したHPの中に少しだけ情報があった。

「修理は可能な限り何でもやります。当社の製品の品質の問題であれば、無料で修理します。」とあり、修理依頼受付窓口としてカストマーセンターの電話番号が有った。

電話をすると、女性が電話に出て、それから30分も悶着があったが、内容を箇条書すると以下のようになる。
ちなみにマウンテンジャケットは、この会社の定番商品で発売開始から25年、今も現行品である。

小生はサラリーマンが誰でも着ている、裏地が格子のイギリス製のコートが好きでなかったから、通勤でも愛用した。
防水と耐寒にすぐれており蒸れることがないから、キャンプでも重宝したし、雨の日でも雪でも傘いらず、必要なければ、小さく折りたためば良いから、ジャマにはならない便利で実用的なグッズだ。

電話で
小生:マウンテンジャケットを12年着ているが、裏生地の縫い目止めのテープが・・・(剥がれててしまったので修理したいのだが)
すると肝心の( )の中味を聞く前に、いきなり
女性:品番を教えてください
という。
教えられた左ポケットをだけでなく、ポケット全部探すが品番表示はない。
小生:なんど探しても表示がない
というと
女性:「其れじゃあ洗濯の時どうしているんですか」
と、その場所に無いのは、探し方が下手なこちらの責任であるかのような言い振り。洗濯の注意書きと品番が一緒になっているので、必ず見ているはずだとの勝手な思い込みからだ。
その上、品番表示がなぜポケットの中かにあるのか、その理由を語り始めたので途中で打ち切らせたが、これも、有るべき場所のポケットにないのは、こちらがどうにかしたせいで、自分の教えたことに間違いはないという誤った自信と、小生に対する疑いから来たものであろうか。

結局品番はポケットとは全く別の裏側の左下にあった。(これですでに20分経過)
小生:品番は教えてもらったところにはなく裏側にあった
そう告げたが、この女性すみませんでしたの一言もない。
12年前の製品と現行製品で、品番の所在場所が違っていたのだろうが、古い製品の場合は品番の場所が違うことがわからなかったのだろうか。
10分以上も捜させたのは、古い製品と現行製品の品番表示場所の違いを把握してなかった、自分の責任であるという認識はなし。
何よりも、ひょっとして場所がちがうかもしれないという推測がまったく働かないから、1つ勉強になったはずなのに、お詫びの一言もなく、自分の落ち度を棚に上げた。

品番を伝えると、
女性:4桁ですから8年以上前の製造ですね
という。(小生は開口一番12年使用していますといったはず。)
品番からは8年以上前の製造と分かったが、分かった製造年からの話の展開は全くない。
12年使用しているといった小生のほうが経年情報としては密で、品番を調べる意味はこの場合はなかった。

時間をとらせた割には意味が無いような氣がしたので、
小生:シームテープの剥がれ修理なのに、どうして品番が必要なのか
というと、
女性:部品調達の問題がある
という。
しかし製造中止の製品ならば部品の保存期間が決まっているが、現行製品に部品がないことがおかしい。
それに定番商品ゴアテックスのマウンテンジャケットといってあったから、定番の自社製品を知らなければ別だが、定番ということは認知したはずだ。
小生:定番商品なんだから、部品は在庫してあるはず、シームテープの剥がれぐらい修理出来るはずではないか
というと
女性:そんなに簡単な問題ではない、同じ部品が調達が可能かどうか、もし縫い目に劣化が有った場合は修理不能の場合がある
という。

同じ部品でなくても、代用品でもまったく問題ない、目立たないジャケット裏の話なのに、修理に対しかなり否定的だ。修理可能かどうか分からないなら、その旨言えばよいのに、否定的と取れる対応は何だろう。
話の流れから、カストマーセンターで、修理可否の切り分けをするのかと思いながら、
小生:縫い目はしっかりしています
(登山などでテンションがかかったわけではないから)と告げた。
すると今度は
女性:「12年使っているとなると、やはりテープの接着剤の劣化が原因ですね」
と修理の可否とは関係がない原因について言う
唖然とした小生、こうなってくると、まるですったもんだの末、元に戻ってくるネタの漫才のようである。

小生:その事は最初に言ってあるはず、修理できるかできないのかを知りたい、そこで判断するようだが品物はそこに送ればいいのか。
女性:工場の専門担当者が判断する、こちらではない
というから、「こちらではない」はいいから、送り先を早く言えばよいのに、と思いつつ
小生:工場に送ればいいのだね
と、一問一答、、おおよそ人間同士の会話とは思えない、まるでロボット相手のやり取りである。
女性:送るのは工場直接でなく、購入した店に持参して、そこから送ってくるように
と、30分以上かけてやっとのことで、修理へのルートが判明した。

ようするに、修理依頼は、購入した販売代理店、アウトドアショップが窓口だ。
そこに品物を持参して、相談の上、手続きすると、工場に送られ、工場で修理可否判断、必要な場合見積もりを出し販売店経由で客へという。
推測通りであったが、期待した工場直ではなかった。

品番を調べろ、部品がどうのこうの、縫い目云々・・で、簡単には直せないとか、修理不可能の場合があるとか実物も見ずに経年だけの情報しかないのに、言うこと全てがかなり否定的。
販売店サイドのHPに修理御事例が記載されていたのを見たが、避けて破れてしまったものでもキチント覆っているように修理不能と思われるようなものでも修理した実績がある。それにも関わらずである。
応対言動から、修理の可否を切り分けるので、万が一最悪を考えてのことかとかと思いきや、修理可否の切り分けは、そこではなく工場だという。

一体今までの会話と過ぎた時間、なんだったのか、あまりにも無駄でもったいない。
その上修理ができない可能性ばかりを言うから、良い気が全くしない。
しかもこの女性の応対は、ちょっとした推理力と知識それに客への思いやり、配慮というものがまったくないため、客のニーズが分からないばかりか、客の心象を害し、引いては自分の会社に対して悪感情を与えるだけであった。

定番商品であることも知らない勉強不足であることと、品番のアリ場所を固定されたものとの思い込んだこと、客のニーズを把握しようとしなかったこと、なぜ品番を客から聞くのかその結果何がどうなり、今回の修理にどのように絡むのか、そういう配慮思慮が全くない、ただ品番を最初に聴くのが、決まりでそれに従って実施したに過ぎなかった。

自社製品に対する誇りと愛情が全く感じられなかったこと。
其れが少しでもあったなら、自社製品を長く使っているユーザーに対し、真っ先にご愛顧感謝の意ぐらいは表するするはずだし、そういう訓練は受けているはずだろう。
客とメーカーの第一接点の重要な窓口、カストマーセンターであるがゆえ、このような応対しかできない女性を、おいておくことは甚だ疑問である。

特殊な個人なのだと思うが、それにしても、窓口対応職務の担当として、そのような人物を置いておくことは、会社の損失となることに気が付かない、管理者の責任でもある。

その顛末をメールか電話で連絡しようと思ったが、どこにも品質保証セクションやクレーム処理の連絡先が記載されてない。

そのくせ、電話が通じるやいなや自動応答で、「カストマーセンターヘの電話の内容は全て録音する」という。
しかし真っ先に、録音しますと言われれば、それだけで電話を切ってしまう客もいるだろうし、不承知でも仕方なく担当者が出るまで待つ人もいるだろう。

本音を言わずに済ませてしまう人もいるだろう。
この会社のカスマーセンターは、電話してきた客を録音という武器で事前に切り分けてしまおうというのだろうか。
録音させていただいてよろしいですかと聞き、了解の上でならまだしも、絶対的に録音させて頂きますというのだから、恐いってしまう。

人権、個人情報分野の法律違反に相当するような行為だと思うが、問題ないのだろうか。
客の電話を事前に切り分けてしまうことに繋がると思うのだが。
クレームの電話など、自社に都合の良くない電話を、録音という行為で、それ以上ストップさサせる役割であるとすれば、見当違いも甚だしい。
クレームも大事な情報であるという基本がわかってない。

それにこの会社の製品、そんなにクレームが入るのだろうか。
そういえばあの女性も最初はクレームと勘違いした形跡がある。
修理依頼内容であることを、最後まで聞かずじまいであったから、「シームテープガ剥がれて着れなくなった、どうしてくれるんだ」と言っているものと思い込み、、クレームと錯覚したのかもしれない。
無償修理要求以上の何かと、と勘違いしたならば、否定的な対応そして、先に小生がそういったにもかかわらず、経年に寄る劣化で、自社製品の責任ではないと、品番を確認させてまで言い張ろうとしたのか。

以上のような邪推さえできてしまうほど、ひどい対応だった。

修理品は、近くの大手販売店に持参したが、そこで購入したわけでもないのに、
対応はすこぶる良く、親切丁寧で、こちらが何も言わないのに、見積もりを造らせるとまで言うのだった。

販売サイドとメーカーサイドの客への対応が違うことはままあるが、まったく客の立場を考えないものと、多分自分でも使った経験のある販売店員の差があまりも大きかったのが印象的であった。

もうすぐ雪の季節、マウンテンジャケットはスキーや冬山でも活躍するから、販売店員、何とか早く修理してあげたい、そう思ったのだろう。

自社製品など一切使わすに、流行りばかり追いかけるような、普通の女性では、販売店員のようなちょっとした推量による気遣いなどはできないのだろう。

12年も使用したから劣化したと原因を言うだけに終わってはどうしようもないことぐらい分からないのだろうか。
例えば、「劣化したのがシームテープだけで、縫い目も生地も劣化してないといいですね、多分修理可能とは思いますが、念のため一度工場のほうで診てみましょう、修理可能であれば早速修理に入ると思います。修理受付は最寄りの販売店になりますから、それでは購入した販売店に持って行ってください・・・」

以上のように進めれば、文句は絶対にでないと思う。

自社製品の定番製品も知らないようだし、恐らく自社製品など使ったこともない、アウトドアとは縁遠い女性だったのだろう。

いくら教育訓練しても、少し特殊な趣味の領域だから、おざなりのことができても限界がある。
興味と経験があれば、そういう客の気持ちが理解しやすいから、アウトドアに興味ある人を雇用することが必要であるように思がいかがだろう。

キャンプや軽登山などでのOJTも必要かもしれない。
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# by noanoa1970 | 2013-03-04 12:45 | 日常のこと | Comments(2)

樋口某「音楽で人は・・・」愛と対立のクラシック

BOOKOFFであさっていたら、この本が見つかった。
愛と対立のクラシックというサブタイトイルから、どの様な展開があるのか興味があり読みかけた。
少し前、ある方と善悪の対立がクラシック音楽の通奏低音という意見にかなり議論しあったことがあったのも影響した。

対立のクラシックとは、彼が言うには「ワーグナー派とブラームス派」のこと、ロマン派の作曲家のおもな人物を取り上げてどちらに属するのかのという私論を述べたもの。

ところが、この内容が華々しく根拠の薄いもので、なにを根拠にそういう分類をするのかが、それぞれによって拠り所とするものが異なるから、全く説得力に欠ける。

尊敬していたから、だとか遠縁だからとか、誰かの記述の一部を根拠にした、いわば、バッタものだ。

大前提がベートーヴェンの5番と9番で、その音楽的な違いから派生したのが両者ブラームスとワーグナーの対立概念であるとし、登場する人物は、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ベルリオーズ、リスト、シュトラウスファミリー、ドヴォルザーク、ブルックナー、Rシュトラウス、マーラー、ヴォルフ、新ウイーン派。
それぞれがどちらに組するかをああでもないこうでもないと述べているが、わかりやすいと思ってやったのかもしれないが、こんな二元論に終始するのは、彼の音楽に対する接し方の限界だろう。

要するに根拠レスであり、したがって全く説得力がなく、おおよそ音楽を聴いていて直観でわかりそうな部分のほうが多いと思われる人物だけを取り上げてるから、大きくはまちがいはないが、わざわざ出版する価値があろうか。

仏印象派は全く出てこないし、ロシアの音楽家も全く出てこない。

そもそもなぜ「対立」をキーワードにして分類する必要があるのか、音楽の中身や傾向によるものよりも、尊敬したということや、誰かの妹を嫁にしたとか、ユダヤ人だったとか、読みかけたがいったいこの人物は、何の目的でこの本を書いたのかがさっぱり見えてこない。

すでに言及されつくした感のあるエピソードや、ハンスリックの著述からいいとこどり、・・・この二元論に似合うものばかり引っ張り出して書いているのが気に食わないし、分類しやすい作曲家ばかりをあげつらっていることから見ると、この人はまともな音楽の聴き方をしてないと思わざるを得なくなってくる。

このような本を読んでそれが本当のことだと思い、それぞれの作曲家をもしそういう目で見たら、見られたほうが困惑してしまうに違いない。

3分の1読んで胸糞が悪くなってしまった。
こんな内容の本は読まないほうがよい。

ウイキペディアで過去の著作を見ると、この人物がよく見えてくる。
著作の一部を上げると以下のようになる。
『受かる小論文の書き方 YesかNoか、まず結論から決めろ』
『Yesと言わせる文章術 自分の意見が面白いほど伝わる』
『人の心を動かす文章術』
『頭がよくなるクラシック入門』
『大人のための名曲案内64選 人生を深く味わう』
『頭がよくなるオペラ 品位を高める、知性を磨く』
『笑えるクラシック 不真面目な名曲案内』
『ヤバいクラシック』
『ヴァーグナー 西洋近代の黄昏』

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# by noanoa1970 | 2013-02-28 14:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(21)

使い道のないセレクター

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プリアンプにアキュフェーズのC-220を使用していたころには、これが必要であったが、YAMAHAオンリーにしてからは、必要がなくなった、FRのオーディオセレクターCS-2。
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なぜこれが必要だったかというと、C-220には外部入力端子が、フォノ以外には全くないからだ。
フォノ専用にだけ作られた、いかにもアキュフェーズらしいアンプで、プリアンプだがパワーアンプ並みの設計で、純A級だから熱をすごく持つアンプである。

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したがってCDPなどの外部入力をし、しかも複数を切り替えて使用するために必要になるというわけだ。
一時ボリューム付のCDPをパワーアンプに直結し使用することが流行ったが、それだと複数の機器に対応できないから、このような切替え装置が必要になったと思われる。

内部配線や使用したパーツにはハイレベルのものが使われシールドもしっかりしているといううたい文句で、15×12×6㎝の箱で1Kgの重量がある。

今遊んでいるがさて、どういう使い道があるのか思案中だが、今すぐに使えるものでもない。
しかしプリをアキュフェーズに戻した時には必要になる。

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# by noanoa1970 | 2013-02-28 10:28 | オーディオ | Comments(3)

リモコンが壊れたと思ったら

現在使用中の、フィリップスCD-950だが、去年棚から降ろしているとき、開かなかったトレイがするっと滑り降りてきて開いたので、試しに使ってみると、トレイ以外に悪いところはなかった。
だから手動操作で使っているのだが、リモコンを試すと、全く反応しない。
それでデジカメの動画モードでリモコンからの赤外線の出力をチェックすると、リモコンは壊れてなかった。
本体の受光部の故障だと思いあきらめて使って早1年。
ところが、三日前にオーディオ関係の使用説明書とかカタログ、保証書、広告などを入れておいたホルダーを整理していると、CD-950のマニュアルが出てきた。

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なにかヒントはないかと熟読すると、意外な項目があった。
写真No24、リモコン機能をON・OFFするスイッチが機械の後部にあったのだ。
以前は全く問題なく使えていたのだが、その時このリモコンを操作すると、上に設置したメリジャン207Ⅱが反応してしまう。
それとは関係はないのだろうが、ともかくリモコンのON・OFFのスチッチが何かの拍子にOFFになっていたらしい。
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さっそくONにしてトライしてみると、今度は問題なく反応する。
この機械は10年以上使用してなかったが、メリジャンがおかしくなり、パイオニアは音質が気に入らなくて何とかならないものかと思っていたCDPだったので、手動開閉トレイさえ辛抱すれば、あとはまったく問題のない、しかもスバラシイ音が・・・・メリジャンと同等かそれ以上の音質のCDPなのだ。

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価格はメリジャンの5分の1というから驚いてしまう。
ネットで検索すると、人気が再復活しているらしく、アマゾンの中古出品では198000円という高額な値段がついていた。

定価65000を小生は35000円で新品を入手したから、こんなにいい音がするのなら、2台購入しておけばよかったと思ってしまった。

いまだに人気があるmarantz CD-34と双璧のハイコストパフォーマンスの機械であろう。

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# by noanoa1970 | 2013-02-27 20:32 | オーディオ | Comments(4)

完成された「未完成」

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先日お亡くなりになったウォルフガング・サバリッシュさんが、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を指揮したもの。
1970年代初期の録音のようだ。
これといって特徴はないのだが、ほんの少しコーダ部分でためを作るところがあって、このころはまだ20世紀初期のロマンチックな演奏法を引き継いでいたように感じられる。

年齢とともにザッハリヒになってきたように思うのは小生だけの感じ方かもしれないが・・・。
サバアリッシュの本領は、やはりオペラかもしれないと思うのは、モーツァルトの「魔笛」それに、「ニーベルンクの指輪」を見た時からだった。

特別好きなそして大指揮者というレッテルを貼られることはないが、おそらくこれから追悼盤が沢山発売されるであろうから、改めて聞いてみたいと考えている。


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# by noanoa1970 | 2013-02-27 10:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ボーイソプラノのピエ・イズ

アレッド・ジョーンズ君のボーイソプラノ。
ウイルコックス指揮/ロイヤルフィル。
これも第2稿版である。
オケ伴奏は特に美しいが、ジョーンズ君の息継ぎ加減が限界点まで来てしまい、アインザッツも緩慢なところがある。しかしボーイソプラノとしては超一流だろう。


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# by noanoa1970 | 2013-02-26 23:13 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

引き続きフォーレのピエイズ

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今のところ最も気に入っているピエ・イズはこの音盤。
1893年版第3稿、ラター校訂版の演奏。
ジョン・ラターが指揮をしたもの。

ソプラノはキャリリーヌ・アシュトン、ボーイソプラノのようだが女性である。
ビブラートを極力抑えて天使のような静謐さを、醸し出している。

ピエ・イズではわかりにくいが、第2稿と3稿を融合させたような感じで、バイオリンソロが蚊の泣くような音で奏される。
基本は第2稿のようだ。

全体を支配するような声は女性陣のもの、男声合唱がいないわけではないがごく小さく歌わせている。
このことは、この曲を教会で演奏することを目的としたような静謐さ、そして、天使のように上から降ってくる声を響かせようとする工夫なのだろうか。

1稿の演奏は今までなかったがそのうち出てくる可能性があるだろう。

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# by noanoa1970 | 2013-02-26 09:44 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

ボーイソプラノのような清楚で清らかなソプラノ

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フォーレのレクイエムより「pie jesus」
ローズ・マリー・メザックのボーイソプラノのようなソプラノで。
小編成、室内楽的で清楚なレクイエムです。
お気に入りのLPからUPしました。
カバーデザインは「ピエール・ラボラッセ」とありました。
ルドンの「沈黙のキリスト」なかなかのキリスト像です。

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# by noanoa1970 | 2013-02-25 18:42 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)