オークション落札LP

ここ一週間で落札したLP。
約200枚ほどになるがすでに収納場所がない。
要らないものを部屋から廃棄となるだろう。
力仕事が待ってるがいつになるか。
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# by noanoa1970 | 2014-11-29 19:12 | クラシック | Comments(2)

まだまだ現役

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30年から40年前の機器
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ばかりだがいまだに現役で活躍している。
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# by noanoa1970 | 2014-11-26 21:57 | オーディオ | Comments(0)

テクニクスのカートリッジEPC-205MKⅢ復活

40年前に購入したカートリッジがまだ生きていた。購入してすぐにMCカートリッジにしたためほとんど使用時間がなかったものだから針は全く摩耗なしだ。
当初右CHから音が出なかったが端子を磨いてやると素晴らしい音で鳴ってくれた。
繊細な音がするカートリッジで1.5gと軽針圧
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# by noanoa1970 | 2014-11-26 21:49 | オーディオ | Comments(0)

テクニクスSL-10

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オート機構のLPプレーヤーがほしくなってオークションを物色したらLPジャケット大のテクニクスSL-10の出物があった。少々高かったがオリジナルのMCカートリッジが装着されていたこともあって落札。
少しの修理が必要だったが使用感が全くないきれいなもので大満足。
非常に使い勝手が良く音質も良い。
デザイン性にも優れた名器といってよいだろう。
T4Pタイプのカートリッジは種類がごく少ないがGRADOから発売されていたので予備に購入しておいた。
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# by noanoa1970 | 2014-11-26 21:39 | オーディオ | Comments(0)

フランス音楽のエスプリシリーズ

オークションで欲しいと思ってたレコードを入手した。
このシリーズの手持ちは5枚だが全部で30枚ほど発売になったもの。
ミュシャのジャケットがすばらしいLP。
これで都合17枚となりあと約半分そろえればいいのだが、果たして出品されるかが問題。
「フランス音楽のエスプリシリーズ」として発売されたものだ。
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# by noanoa1970 | 2014-11-26 21:30 | レコードジャケット | Comments(0)

入院

長いこと肺炎のため入院し、ブログから遠ざかっていましたが、この度退院できましたので報告です。
入院から現在までの情況
2014年1月13日高熱で病院ERへ
検査結果、肺炎との診断にてそのまま入院
一週間程度の入院と思っていましたが、血中酸素:サチレーションが80台と低く、気管支挿管、人工呼吸器などで口から3本チュウブを入れられ、動きが取れないまま口からの飲食は不可能で点滴による栄養剤を強いられました。
喉を切開し人工呼吸器を入れての呼吸は耐えがたいものでした。
勿論口からの水分摂取は禁止。だ水が欲しいばかりの毎日の日日はとてもつらい物でした
ICUに入れられて2か月半漸く原菌ガ特定でき、
一般病棟へ移り1か月半、肺炎は完治しましたが120日のベッド生活で筋肉が衰えたのと、ICUにて治療中に右足が麻痺したおかげで長期リハビリが必用とのこと。
漸く筋肉も徐々に回復し、杖で行可能となり5月末に退院
完治までは6か月ほど掛かる見込み。
入院時75Kあった体重も、退院時は60K以下となりました。
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# by noanoa1970 | 2014-05-29 19:30 | トピックス | Comments(1)

父親の死と三羽の石碑について分かったこと

11月30日21時に父親「好治」が永眠した。
94歳の往生だった。
戒名は禅心軒碩学顕徳居士、臨済宗妙心寺派の林昌寺の前和尚によって生前つけられたものだ。
49日と納骨は2014年1月18日の寒い中行うことにした。
木曾駒高原にある墓は雪が積もってるかもしれない。
父親の遺品を整理しつつあるが、その蔵書の中に、あるものを発見した。
それは木曽教育委員会発行の「木曽」という書籍で、中に征矢野三羽の石碑に刻まれたものが明らかにされていた。

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昭和34年に造られたその石碑は、刻まれた文字の風化で判別がしにくくなっていたので、この書籍をスキャンしたもの意を掲載することにした。
それによると、征矢野の家は代々木曽原野村の庄屋で、第一次開発を手掛けた五代目征矢野孫左衛門は慶長四年と推定され、八代目征矢野勘左衛門が宝永三年ごろと推定される。
そして征矢野三羽は文政一〇年生まれで慶応三年には征矢野新田開拓をほぼ完成したとされ推定征矢野家の一〇代か十一代。
よって小生は約十五代相当になると思われる。

元号では年代がわかりづらいので簡単に西暦で記しておく。
慶長:1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。
宝永:1704年から1710年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。
文政:1818年から1830年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。

句碑と創建の理由は以下の木曽教育委員会資料に記載されてるのでここにあげておくことにする。


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# by noanoa1970 | 2013-12-21 11:09 | 先祖のこと | Comments(0)

彫型・・画を観る

昨日休館だった桑名市博物館に今日行った。
お目当ては「藍を観る」と題した展覧会、桑名出土の古伊万里である。
会場は2Fだが1Fで伊勢型紙などに使用される、柿渋紙を使った彫型画展覧会が開催されていたので、せっかくなので観ることにした。
家内は学生時代の専攻がテキスタイルで、柿渋紙も良く使用して染色印刷していたから、小生も少しは知っていた。

元来、伊勢型紙は手書きから手工業への過程で生まれたもので、型紙彫り師が造ったものを刷師が白生地にすり込んで反物などにすることによって、多くの着物の元になったもの。
伊勢型紙は伝統でありその技術は世界に誇れるものだ。
また柿渋で塗られた和紙は非常に上だから長年の使用に耐久性を持つから、今でも初期に造られたものが野小手手居るという。
江戸時代庶民が少し裕福になり、数多くの柄反物から好きなものをチョイス出来るという時代、すなわち盛んだったのは江戸中期だと想像できる。

現代ではその技術を生かした彫型画というものに発展し、そのサークル葉全国に存在するといい、博物館では桑名のサークルの会員の作品がたくさん展示してあった。
新聞はこのように取り揚げている。
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間違いだと叱られるかも知れないが、版木の代わりに型紙を使った印刷物だと思っていただければ良いのではないかと思う。

型紙を造っての印刷だから何点も印刷することが出来るが、今回驚いたのは皆さんの作品の芸の細かさと、あらゆる物を題材にした絵があると言うことだ。
本当は絵ではないのだが中には印象派を思わせるような点描我のような作品もあって、なかなか奥深いと思った次第。

非常に細かい網目が入ってるので、てっきり後から網を上からかぶせたのかと思ったが、どうやら1つ1つ穴を開けていったらしいが、その規則正しさは並では出来ない、技術のに培われた根気のたまものだ。

作品群を観て思ったのは、グラデーションを表現するのは非常に難しいので葉だったが、聴いてみるとやはりそうで、細かい穴と大きな穴を組み合わせ方がむずかしく、印刷するとまたイメージが違うので、思ったようにはいかないらしい。

水墨画のようなものが出来るとさらに良いだろうというのは個人的な感想。さらに昔の型紙と昔の絵の具・・・顔料を使った布の再現と其れを使った着物の再現も是非やってほしいと思う。
これは手縫いなどあるいは誇負を利用して新しいデザインとスタイルの着物を考えてるグープとコラボすれば出来るのではないだろうか。


撮影は出来ないと言うことだったが、ちょうどいらっしゃった出品者の許可を得て2点撮影できたので紹介することにした。
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写真のような便利な栞とはがき造っている。

協力:桑名彫型画サークル、彫型画愛好会
加藤由貴子さん他。

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# by noanoa1970 | 2013-07-24 17:48 | 季節の栞 | Comments(0)

山本覚馬について知ったこと

山本覚馬
やまもとかくま
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出身
会津藩
生年月日
1828年2月25日
没年月日
1892年12月28日
年齢
満64歳没
新島八重の実兄であり幕末を代表する砲術家。 佐久間象山の塾で洋式砲術を学び、会津藩校・日新館で教授として軍事教育を行う。禁門の変では、長州藩への砲撃でその実力をみせた。維新後は、初代京都府会議長となり、京都府政の整備に努めた。 京都の同志社大学を創立した新島襄(新島八重の夫)の良き協力者としても知られる。

八重の兄、「山本覚馬」という人物が同志社大学に深くかかわっていたことを知った。
今出川の土地を提供して同志社を創立に協力したこと。
同志社は「覚馬」が名付け親であったこと。
新島襄の協力者で、深い関係だったこと。
目を患いながらも、新政府に重用されたこと。
後に京都府議員となって、京都の近代化を促進したこと。
牢獄で書いたという『管見』のなせる業であろう。
戦略家、山本勘助の末裔だとする説があること
そして同志社の新島襄を継いだ第2代総長が山本であったこと。
詳細はここにも
http://www.jpreki.com/jp/kaku.html
ここにも
https://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.

彼が牢獄で書いたという建白書については
http://office34.exblog.jp/15490918/

写本についてはここ
http://elib.doshisha.ac.jp/denshika/yamamoto/128/imgidx128.html

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# by noanoa1970 | 2013-06-17 21:23 | 歴史 | Comments(0)

DRACのルーツ

小生も初めて知ったことで驚いたが、大大先輩がDRACのルーツを簡潔にお纏めいただいた文章を掲載する。DRACの誕生が昭和25年とは・・・・・・
昭和25年6月1日、今出川幼稚園にて30数名の参加で発足したと書かれてある。
戦後間もない混乱期、よくぞこれだけのことをやっていただいたものだと恐れ入った次第。
音楽に飢えていた学生もさぞ多かったことだろう。
音盤も高価で買うことはかなわない状態にもかかわらず、レコードコンサートのみならず、交響楽団の演奏の録音まで実施している。
すごい資料である。
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# by noanoa1970 | 2013-06-17 21:14 | DRAC | Comments(0)

ラヴェルのボレロの凄さとは。

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ボレロについてはいろいろ書いたことが有るが、つい先日ポール・パレーのマーキュリー復刻録音を聴いて、ここにあるのではないかという結論めいたものに達することとなった。

そのことは録音されたものを再生することで分かったのか、それとも生演奏だともっとわかるのかは知らない。
小生の場合、ポールパレーの録音を再生した時に新たに確認できたことであった。

第9曲目出特徴的なのはホルンのほかに、「ピッコロ」「チェレスタ」が登場し両者が調整の違う音を奏でるににもかかわらず、なぜか妙に調和していることだ。

もちろん演奏によって、たとえばブーレーズ盤ではお互いが分離独立したままの音楽になっているが、パレー盤ではそうではなく、ホルンも併せ三位一体となった和声を作ってる。
このことが録音技術因果関係があるのか、演奏がなせる技なのか、そのほかの要素なのかはわからない。
しかし小生が過去に何度も聞いた音盤の中で、この音盤によって思いを新たにしたことはまちがいのないことである。

ここでチェレスタが使われてることを知ったのは、2000年の、まだ掲示板華やかなりしころ、妙な音の響きが聴こえてきたので質問すると、すぐにHN「熊蔵」さんから「セレスタ」と回答があった。

セレスタって何だろうと考えて、ようやくチェレスタの仏語読みだとわかったという経験があり、そのころからこの箇所の音の混じり方が尋常ではないことに気がついてはいたのだった。

恐らく今ならこの箇所について書いた著述が有ることは容易に推測可能だし、音楽研究者にとっては結構なネタであると思う。
がしかし、そのような類の書物を呼んでから聞いたわけではなく、自分の耳が不自然の自然、混じり合えるはずのない調性の見事な・・・モアレにも似た響きの交わりを聴くと、ラヴェルは意識的にこのような手法をとったと、確信できてしまう。

しかも音楽理論や作曲技法優先ではなく、感性そのものからの発想に違いない・・・・そういうことを思わせてくれるほど、そしてそのことはその後の前衛音楽、表現主義的音楽、と比較しても勝るとも、劣ることはない。

音楽理論や音楽思想とはあまり関係のない世界であることもシンパシーを、感じられる所以だ。
ピッコロとチェレスタは平行調、すなわち反対側の道路を歩く、小津安二郎「晩春」の父と娘のように、どこまで行っても交わることがなく、当然その接点もない。
がしかし、耳にはそう聞こえなくて、織物同士が重なるときにおこる「モアレ」のように美しく響くのだから恐れ入ってしまうのは、小津安二郎「晩春」の最後の場面での父と娘のようにである。

ただし経験的には、どの指揮者演奏でもそれがわかるのではなく、小生の場合はポール・パレーによって強く気が付かされたという事になる。

録音されたもの、すなわち音盤の良さはそういうことを何度も聞いて確認できることだろう。
そういった音楽的な気づき体験は、小生の場合音盤を繰り返し聞いたことによるもの、あるいは同じ曲の違う演奏を聴いてみて体感したことばかりだ。

確かに演奏技術や生演奏の実況的なレポートなども、役には立つが、その楽曲に深く切り込んだり、いつもと違って聞こえるのはなぜかなどという点に立てば、上記のようなことが発見できるチャンスは、広がるのだろう。

演奏会で感動したというのも悪くはないし、それはなぜかという事には少々乏しくてもよいような気はするがしかし、感動の要因をみうから探る必要があるのだと小生は思っている。

「行列してようやく食べることができたラーメン」のような批評や感想は頂けない。
しかしそのほうが、やろうと思えば追体験可能だからまだましである。

今ではそのことについての音楽研究所も出ていると聞くが、最初の疑問が今から約45年前の事、ベト9・・・4楽章のバリトンの歌い方の違いが何故かという事であったことを付け加えておきたいと思います。
その昔ならば第9は、2枚組ばかりだったのでそうやすやすと買えるものではなかったが、カラヤン盤が1枚で出た時に、其れまで聞いていたコンヴィチュニー盤と違うので、なぜかと思ったことにある。
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# by noanoa1970 | 2013-06-17 20:35 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

MERIDIAN 207mkII復活

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117V昇圧トランス兼アイソレーターが壊れて修理ができないので使えなくなっていた1980年代のCDPを復活させた。
方法は117V用の昇圧トランスをかませるだけのこと。
このCDPは音質がアナログに近いといって、今でも愛好者が多い。
オークションや中古で出品されても直ぐに買い手がつく数少ないCDPだ。
解説では音質も音の良さも何もわからないが、フィリップスのDACとスイングアーム式読み取りがよいらしい。プリアンプとしても使用可能だが、フォノイコライザーは別売りだったので、CDPとしてだけの活用となる。
現在このCDPを中心に視聴中。
ライントランスは必用ないが、あれば正相逆相を一瞬で入れ替えできるが、接続しなおすか否か迷い中。
動作は国産のCDPとは全く違う。
http://www.youtube.com/watch?v=r-s95YgURNg

MERIDIAN 207mkII\345,000(1988年頃)
解説
CDトランスポート部とエレクトロニクス部を分離独立させ、電気的・音響的アイソレートを行うことでより高純度な再生を図ったCDプレイヤー

CDトランスポート部では、高精度ピックアップを中心としたメカニズム部と新開発のサーボ部を、3ポイント・サスペンションシステムによって堅牢なダイキャストシャーシ内にフローティングさせています。
これにより外部振動やアコースティック・フィードバックによる影響を徹底的に排除しています。

エレクトロニクス部では、デジタル部やアナログ部など各回路段の合理的なレイアウトと、それらの相互干渉による音質劣化を防ぐシールド対策、強力な電源部を搭載することにより、より忠実な信号伝送を追及しています。
さらに、フォノ入力(別売フォノモジュール使用)、ライン入力、テープ入出力端子、加えて64ステップ電子ボリュームを持つコントロールアンプ機能と可変出力端子も搭載しています。

ほとんどのスイッチが基本/補完のオルタネート機能を持ち、ディスプレイ部では一般的なディスク情報だけではなく、エラーコレクションやアブソリュートフェイズも表示します。

別売りフォノモジュールはMM/MC切替え可能です。

別売りでネットワークケーブルPリードがあり、207mkIIとプリアンプ201やFMチューナー204とを相互に接続し、メモリー機能やタイマー機能などを操作できます。

型式CDプレイヤー
D/Aコンバーター16ビット・4倍オーバーサンプリング
出力レベル/インピーダンス固定:300mV/12Ω
可変:最大600mV/60Ω
テープ:300mV/470Ω
ヘッドホン:最大60mV/60Ω
歪率0.004%以下
SN比90dB以上
外形寸法(両ユニット)幅160×高さ100×奥行320mm
重量(両ユニット)8.5kg
別売フォノモジュール PM207(\35,000)
ネットワークケーブル Pリード(\2,000) 

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# by noanoa1970 | 2013-06-16 22:22 | オーディオ | Comments(0)

DRAC興亡史番外編

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OB会の席で、ある1年後輩のs村君が小生に手渡した本があった。
この本の編集の仕事をしたという。
本業は表具師で、著名な神社仏閣のお宝を補修しているという。
彼は1968年から1971年ごろまで、DRACの上部団体、文化団体連盟本部で活躍していた男だ。
彼とは音楽以外の事でも共通するようなところがあり、それでこの本を小生に手渡したのだろう。

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前書きを読み、本文の最初を見た時、我ながら驚いた。
何をかいわんや、同志社大学学生新聞を復刊したのは小生と2年先輩(留年)、そしていずれもがDRAC出身で、新聞発行不慣れのため、京都大学の新聞にかかわっていた人間にアシストしてもらい、つぶれた新聞局立て直し、第1号を発刊したからだ。

大阪の福島区の印刷会社だった。
新聞を印刷してもらうために原稿をもって通い、ゲラ刷り待ちして校正手直し、長時間かかってようやく完成した新聞を車に積んで帰ってきた覚えがある。

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バリケードストライキの中でサークル活動を実施していたものの、1971年は事実上DRACが解散をした年でもあった。
そんな時に現在行方知れずの先輩のO田氏から新聞局再興の手伝いをしないかと誘われてやったのが、この本の冒頭に書かれてある復刊第1号だった。前自治会委員長の、矢谷氏の置き土産の文章を主として掲載、小生は中でカンジンスキーの「青騎士」と一緒にあった「DAS WORT」=「言葉」を引用してのコラムを担当し、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画「ザブリンスキー」の映画評を書いた記憶がある。
ピンクフロイドはその時に知ったロックバンドであった。

復刻第1号の学生新聞は小生も所有してないが、「同支社の栞」という書物中にあるはずだと思うので、何とか探してみるつもりだ。途中で去って行った人間も学生運動の渦中にあった人間も、サークル解体後自己の活路を違う方向に求めた人間も、OB会で一堂に会して音楽談義をするのもよいが、あの激動の大学時代のことは誰も黙して語らない。

そんな中で、懐かしさを思い出す出来事がこの1冊の本を手渡された時から始まった。
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# by noanoa1970 | 2013-06-16 19:20 | DRAC | Comments(0)

DRAC興亡史番外編1950年3月1日

小生も初めて知ったことで驚いたが、大先輩がDRACのルーツを簡潔にお纏めいただいた文章を掲載する。
DRACの誕生が昭和25年とは・・・・・・
昭和25年6月1日、今出川幼稚園にて30数名の参加で発足したと書かれてある。
以下のことからもわかるように、すでにこのころから「レコードコンサート」はもちろん、「交響楽団の演奏自主録音もおやりになられていたことに驚く。
伊福部 昭はやはり「ゴジラ」映画の影響なのかと思ったが。
いや交響譚詩は1947年、ゴジラは1954年だから、ゴジラとは関係無く、其れよりも早い時期に取り上げていただいたことになる。

追記
伊福部の「交響譚詩」はコープランドが演奏したいと言ってきた作品でもあったので、両者を並べてのコンサートは特別な意味を持つものでsる。
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# by noanoa1970 | 2013-06-16 19:13 | DRAC | Comments(0)

OB会開催前のキャンパスツアー待ち合わせ風景。

DRAC: Doshisha University Recorded Mujic Appreciation Clubの第19回OB会が開催された。
fbを通じて知り合った後輩のお二人もその前に行われたキャンパスツアーに参加していただいた。
今TVでおなじみの「八重の桜」の影響で、館内の一部は会津から持ってきたという八重ゆかりの品々や写真屏風、書などが展覧してあり、一般の人でにぎわっていました。
八重が使ったとされる本物のゲベール銃が意外に長いので驚きました。
最後の写真は、記念の同志社Goods、同志社カラー紫紺色のトートバッグを手にした初参加されたDRAC80年代の後輩、TさんとSさんそれに小生、同期のH氏。
待ち合わせ場所、A明徳館1Fチャオプレッソにて。
集まった人たちの写真とともに。
懇親会の写真は誰かがUPしてくれることを願う。
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# by noanoa1970 | 2013-06-16 19:06 | DRAC | Comments(0)