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高田渡さんのこと-Ⅱ


1996年小生は単身赴任で金沢に赴くことになりました。
金沢でのある日、昼食を取るために偶然入ったお店が「ジョー・ハウス」、閑静な住宅地の中にある瀟洒なカフェレストランでした。
ドアーをあけて中に入ると、「いらっしゃいませ」とハッキリした声の美しい女性、フト耳をそばだてると、店内の自作と思しきスピーカーから「大塚まさじ」が「西岡恭蔵」が聴こえるでは有りませんか。

店の雰囲気と不釣合い、そして出迎えてくれた女性とも不似合いな、70年代のフォークソング
しかもほとんどコマーシャリズムと無縁な人たちの歌声。

美味しいカレーを食しながら話を伺うと、ご主人は同志社大出身、その奥さんである品のよい美しい女性は京都の出身、京都で知り合い結婚、金沢に来て暮らしており、お嬢さんが今出川の「ほんやら堂」でバイトをしているとか。

いっぺんに懐かしくなり、やがてご主人もお帰りになって、いろんなお話をして過ごすことになりました。

恭蔵さんの「アフリカの月」が好きなんです・・・と小生
アルバムでは何がいいんですか・・・と店主
やはり「ディランにて」と、一番はなんといっても「街行き村行き」でしょう、でもCDで復刻されないんで相変わらずLPで聞いています・・・と小生

きけばこのご主人、以前から音楽プロモートも手がけており、以前の店が閉店するのを記念して「加川良」のコンサートを、そして金沢芸術村を会場として、なんと「高田渡」、「西岡恭蔵」の単独ライヴコンサートをやるとのこと。

・・・ラジオで今度のコンサートの紹介をしてくれるんだが、そのとき流す音楽どれがいいと思いますか・・と店主
恭蔵さんならやはり「プカプカ」ですか、良さんなら「下宿屋」ですがちと長すぎますか
でもやはり1曲に絞るのなら、渡さんの「生活の柄」でしょう・・・と小生、あっスキなのは「ブラザー軒」ですけど・・・と小生

d0063263_8414571.jpg左のLPジャケット裏側は、渡さんのコンサートで購入した「FISHING ON SUNDAY]のLP
渡サンのサインをもらっておいてよかったと思っています。
このジャケット(裏面)は何か見覚えがあると思ったら、NGDBのブルーグラス&カントリーの超名盤「永遠の絆」ソックリさんでした。d0063263_8424519.jpg

彼はブルーグラス、ブルースに興味を持っており影響も受けていましたから、何らかの思い入れがあったのでしょう。
余談ですが、NGDBは3種類の「永遠の絆」を録音しており「永遠の絆Ⅲ」には、、「日曜日には釣を」の原曲「FISHIG BLUES]がタジ・マハールとバックのヴァッサー・クレメンツによって録音されています。
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この曲も有名なブルース(このアルバムではブルーグラス風にアレンジ)だったのです。

渡さんのコンサートは8年ほど昔、1997年3月のことでした。
コンサート前、金沢芸術村のレストランで一人食事をしていたら、ジョー・ハウスM夫妻と、高田渡さん、そして中川イサトさんが小生の隣の席に座りました、挨拶を交わしたことが思い出されます。

# by noanoa1970 | 2005-06-06 11:37 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

高田渡さんのこと-Ⅰ

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高田渡さんが北海道のコンサートに行っている最中倒れ、釧路の病院にて亡くなったことを聞いた。4月の北海道はまだ冬、きっとお付き合いでお酒をのんで、少し酔い加減で急に極寒の街に出たため心臓が悲鳴を上げてしまったのであろう。

亡くなられたのはこの4月16日で、そのことを小生は、5月の連休直後、有るWEBで知って驚きを隠せなかった。
お酒が原因で体調を悪くして、琵琶湖の近くの温泉病院で治療したことや、その後体調がすこしよくなってコンサート活動やTVで「なつかしのフォーク大全集」などの企画にはゲストで顔を見せており、万全とはいえない姿で、簡単な曲しか歌うことが出来なかったことを知っていたので、この人あまり長生き出来そうにないなと、内心思っていたのは事実、でもまさか・・・・・・56歳・・・小生と全く同世代、同じ空気を吸って生きてきた人だけに、しばらく茫然としたのでした。

やっと気を取り直して、彼の録音を全て引っ張り出し、彼の歌を聴きながら、小生の追悼をヒッソリと行ったのであリました。
写真上はLP復刻のCD「ごあいさつ」・・・どうもどうもいやどうも・・・・で始まる彼の初期アルバムで、もうひとつは、沖縄の放浪詩人「山之口獏」の詩に彼が曲をつけ、ゲスト参加でオムニバス録音したアルバム「獏」、この詩人のことも語れば尽きないのだが今はやめておくことにしよう。

そのほかにも7つほどアルバムがあるのだが、ここにあげた初期と後期の2つのアルバムは、高田渡を知らない人でも是非聴いてみるべきだと思う。

彼は小生が京都にいたその時代に、京都で一時生活しており、そのときの歌に「コーヒーブルース」・・・・「三条へ行かなくちゃ・・・三条堺町のイノダって言うコーヒー屋へね・」・・・
という、まるでCMみたいな曲があり、当時京都で学生だった小生も、何度か口ずさみそして、実際に「イノダ」コーヒーに足を運んだものでした。

また彼の京都時代の下宿が山科にあって、その下宿にいろいろな友人知人が訪れていた様です。

「京都の秋の夕暮れは、コート無しでは寒いくらいで、丘の上の下宿屋は、いつも震えていました・・・」で始まる加川良さんの「下宿屋」・・・・はまさにそのときの情景をうたったもの。

「国歌が認定しない人間国宝」といったのは誰だったか・・・・そんな形容詞など遥かに超越したところに彼の自然体が存在しているのは、「歌わないことが一番いいんだ・・・」という彼の歌と彼のこれまでの「言動」、そして「生きざま」・・・・もうすぐ「タカダワタル的」というドキュメンタリーがDVD発売されると聞いています・・・・

近年まれに見る「気骨人」といって良いと断言してしまおう。

# by noanoa1970 | 2005-06-06 09:13 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

小生のお気に入り

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最近焼酎の愛好家が増えていて、日本酒やとりわけウイスキーとなると余り人気がないそうだ。小生の学生時代には、今では見向きもされないような銘柄の「高級ウイスキー」例えば
「オールド・パー」や「ジョニ黒」「シーバス・リーガル」等はとても学生の身分で飲めるものではありませんでした。

バイトをしてお金が少しあるときには、あの髭の「ブラック・ニッカ」、そして「サントリー・ホワイト」・・・ほんのたまに「角瓶」「ダルマ」それもそうやすやすと飲めませんでした。

為替レートが1ドル360円では、輸入ウイスキーは当時の価格で軽く1万円を超えるのではなかろうか?

市電が13円、少しぜいたくした洋食屋でのチキンライスやカレー、オムライスが120円、学生食堂の「’すうどん」が30円の時代だったから、輸入ウイスキーは本当に「高級」だったわけです。

裕福な家庭の学生サークルの仲間が、海外旅行の土産にと買ってきてくれた「ジョニ黒」が輸入高級ウイスキーの初体験で、国産の安いウイスキーと比べてその芳醇なふくよかさとまろやかさに、全員で感動したものでした。

そんなわけで小生どうしてもウイスキーには思い入れがあり、今でも日本酒とともに愛好しております。

そこでここ10年くらい飲み続けているお気に入りのウイスキーを紹介することにしました。
それはアイリッシュ・ウイスキーの有名ブランドのひとつ「JAMESON」=ジェムソン

多くの方々がスコッチを好むのになぜアイリッシュなのか?これにはわけが少しありまして・・・・・

実は小生「燻製」作りを特技にしていまして、この「燻製」でウイスキーを飲るときに、スコッチではスコッチ特有のピートによる燻香があるため、これがつまみの燻製と競合してしまうのです。
せっかく「ヒッコリー」「サクラ」「ナラ」など食材に応じて燻材を代えて燻しても、スコッチのピートフレーバーが邪魔してしまうのです。

そこで発見したのがアイリッシュ・ウイスキー
ピートを全く使用しないで、蒸留を3回行いピュアなお酒に仕立てています。
その上で、太古からケルトの森の奥でヒッソリと生息する「苔」・・・・そのように奥深いものを髣髴とさせるような、歴史的民族的重みをかもし出すようなのど越しと香りを持っています。

アイリッシュ・ウイスキーはWHISKYとは表示しません。
必ずWHISKEY・・・・「E」があるのが
お分かりでしょうか?彼らのこだわりが垣間見れてついつい味わいが深まります。

# by noanoa1970 | 2005-06-05 19:00 | 「食」についてのエッセイ | Comments(2)

DRACだったころ

DRACとは何だ?
DRACというのは、
同志社大学レコード音楽研究会のこと、すなわち
DOSHISHA university  recorded music Appreciation clubの頭文字を取ったもので、別名「ドラック」→「ドーラク」→「道楽」とも呼ばれていました。
小生が入部したころはクラシック音楽オンリーで、音楽史別にチームを分けていました。
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大学入学以前から良く通った「スギウラ」という名古屋のクラシック喫茶では、必ずといっていいほどドヴォルザークの8番、そしてチェロ協奏曲をリクエストしたので、店のオーナーからドヴォ8の兄さんと言われていたことを後に聞きました。

そんなわけで、「国民学派」グループに入ろうと思っていましたら、今期から無くなり、「日本音楽グループ」となるというではありませんか・・・・
グループリーダーの先輩曰く、日本の西洋音楽を知らないのは日本人として問題だ、だからこのグループに入りなさいと・・・・
熱意に説得されて、何がなんだか分からないままグループも決めさせられました。

他の新入生はサークル活動紹介の後、希望のグループに入るというのに・・・・d0063263_8463675.jpg

バロック、古典、ロマン、そして日本音楽、今思えばなんとも不思議なグループ分けです。
総勢30人はいた新入生のうち、日本音楽グループには、たった4人の、しかも男ばかり
他のグループには少ないながらも女性がいるのに・・・・・
これからの行く末が案じられる日々がしばらく続いたのであった。

・・・・・続く

追伸
大先輩に関西の音楽評論家の雄、故松本勝男サンがいらっしゃいます。

# by noanoa1970 | 2005-06-05 09:19 | DRAC | Comments(4)