ケネディ葬儀のレクイエム

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上のLPジャケットは、忘れもしない・・・・1963年ケネディ大統領が暗殺され・・・その葬儀の中で演奏された「モ-ツァルトのレクイエム」の録音である。古い方なら記憶にあると思うが、
わが国で初めて「米国からの衛星中継」が始まり、、そのための実験放送を流すという触込みがあったので、その日TVの前で待っていると・・・・突然「ケネディの暗殺」のニュースが、中継の第一報として、アナウンサーの興奮した口調とともに、飛び込んできたのであった。そのときの驚きと、衝撃は、小生にとっては、不謹慎に思われるのを覚悟で正直に言と、国際貿易センタービルの爆破テロにも匹敵する・・・いやそれ以上かもしれない・・・ことだったのである。。

そのときだったか後になってだか、定かではないが、葬儀の音楽としてモーツァルトのレクイエムが演奏される光景を、音と映像で見ることになった。

それからしばらくしてから、そのときの演奏がライヴレコードとなって発売されたのである。
演奏は・・・ボストン交響楽団をエーリッヒ・ラインスドルフが指揮したものであった。

高校生だった小生は、そのレコードが欲しくてたまらなかったが、2枚組み・・・・音楽としてだけでなく本来のミサの形式にのっとって実行されたものを収録したため・・・・となっていたため、非常に高価、とても購入できる金額ではなかった。

そのとき以来この録音は再発されないまま、現在に至っているのである。
聴きたい欲求は日増しに強くなり、機会あるたびに探してはみたのだが、全く見つからないので、ある掲示板の「復刻希望の録音」というランに投稿すると、同じように思っている人が数人、賛同の意を表明した。

それから数年たったある日のこと、一通のメールが届いた。その内容は、「お探しのLPあります。ステレオとモノがあり、両方所有しているので、ご希望ならモノラルのほうなら、お分けしてもよい」というではないか。聴けば米国に住む日本人だそうである。早速交渉して譲っていただき、米国から届いたたのが、40年以上待っていた憧れの、思い入れのあるこのレコードなのである。

11月25日、葬儀は、正午からワシントン市内の聖マシューズ教会で行なわれた。「ケネディよ、永遠に神のみそばに」の祈りの式の後、遺体はアーリントンの国立墓地に埋葬された。
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# by noanoa1970 | 2005-06-18 09:23 | 宗教曲を聴く | Comments(0)

文化芸術源体験(白沙村荘)のこと-Ⅰ

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1969年小生は友人の紹介で、京都銀閣寺畔の「白沙村荘」にてアルバイトをすることになった。

その少し前まで、「白沙村荘」は橋本関雪の住居として、ひっそりと、そこにあったのだが、彼の長男節哉氏の死去に伴い、その息子である故帰一氏によって一般公開された。
およそ3000坪の敷地には「池泉回遊式」の見事な庭園と、巨大な画廊の建物、持仏堂、中国大陸から運び入れた石造物の数々、鎌倉時代の石塔、五百羅漢などなどが、これも巧みに配置されている素晴らしい庭があった。

茶室は[憩寂庵]、[問魚亭]、[倚翠亭]と3つあり、関雪自らの設計の茶室で、庭を眺めての「茶」は、訪れた文人たちに至福のときを与えたに違いない。
小生が好きなのは「問魚亭」・・・中ほどの写真・・・である。
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小生は、帰一氏の母君・・・・橋本関雪の長男、節哉氏の奥さん・・・・が開くことになった「お菜ところ」という京都の「お晩材料理」の店を手伝うことになった。

驚いたことに、アトリエとしての目的で建てられたその建物は、総ヒノキ作りで、天井には太い栗の梁、床はヒノキの一枚板が張り合わせてあった。建てられてかなりの時を経たにも拘らず、いま建ったばかりのような輝きとツヤを保っていた。

d0063263_10175743.gifテーブルは庭園内に育った檜の大木を、厚い1枚板にして、出入りの大工「熊さん」が造作したもの。

小生はそこで夜のバイトを引き受けることになったのである。また庭園ではお茶の接待にと、何人かの女学生が交代でバイトに来ていた。

夜になるとお酒の席が多くなり、白沙村荘で昔から気に入って使っていたという濁り酒に「月の桂」、清酒には「藤千歳」、それを塗りのお酒を注ぐ器である「片口」d0063263_1335149.jpg・・・今風に言えばデカンタ・・・で提供することになっていて、お客さんは先ず竹篭の中から好みの酒器を選ぶようになっていた。

ある夜のこと「田鶴子」さん・・・小生たちは「おばさん」といっていた・・・が、「今夜は暇やし、いっぱい飲もうか・・・」といって「あんたも飲みよし」と、沢山あるぐい飲みを指して「好きなので飲んだらええ」といってくれた。

すでにおばさんは、手にぐい飲みを持っている、そのぐい飲みがいたく気になったので・・・いいですねそれ・・・というと、おばさんは、「小山先生が創らはったものや」と「この前くれはったった」といとも簡単に、さりげなく言った。

そして、小生が選んだぐい飲みを指して、「あ、それ魯山人や」というではないか。小山さんを知らなくても魯山人は知っていた小生、これはいけないと内心思い、他のぐい飲みに代えて飲んだことがあった。
とんでもなくすごいところにバイトに来たことを、身に凍みて感じた1コマである。
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程なく、古い洋館を改装したピザとスパゲッティの店、
NOANOAをオープンすることになった。
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# by noanoa1970 | 2005-06-17 08:48 | 白沙村荘随想 | Comments(0)

贋作-Ⅱ

贋作--Ⅰより続く
これは陶芸作品の歴史的価値と芸術的作品的価値、加えて投機的価値などなど、さまざまな価値観に対して根元的揺さぶりを掛けた事件と言えそうだが、捏造問題が波紋を広げている昨今、思い起こすべき事件であると思う。』

この中のある「文部省文化財調査官」とは、陶芸作家としても名高い故小山富士夫」氏・・・下の写真は小山さん作の「ぐい飲み」d0063263_2122774.jpgのことであり、。ここで小生が名前を明らかにしたのは、2つの意味があって、ひとつは小生の京都時代に世話になった、日本画家「橋本関雪記念館]初代館長帰一氏の母親の友達として、晩年良く京都を訪れており、小生が「白沙村荘」という庭園の中の、イタリアンレストランを任されていたときに、小山さんのために特別に作った「カブラと牛のスネ肉のシチュー」を食べていただき、お褒めの言葉をいただいたこと、そして当時は高嶺の花の最高級のウイスキー「オールド・パー」をいただいたことがあり、その縁もあって京都にこられるたびに何度かお会いして直接お話をした人であルこと。(小生のH・N=noanoaとはこのイタリアンレストランの名前である)

d0063263_213633.jpgもうひとつは、かって陶芸については右に出るものはいないほどの研究者であり、彼のような心眼の持ち主は他にはおらず、、自ら作陶を行うことで、土や釉薬、当然鎌倉時代の焼き物の特徴など熟知していたであろう人が、が贋作者の作品を見破れなかったという、運命のいたづらについて、忘れないうちに書き留めておこうと思ったからである。
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小生が大事にしている、上の「龍の皿」は、片方が「オリジナル」で、もう片方がその「写し」である。時代はどちらも古いものだ。またこの世界では、「写し」は「贋作」といわないのが、面白く、「写し」でも中にはものすごく価値のあるものも多い。
どちらがオリジナル(本家)かお分かりだろうか?・・・・・

「作品そのものを見つめれば、このような誤りは無かった」とは、後に館長の母親=おばさん
と飲んだ席でおばさんがコッソリと「小山先生がいってはった」と小生に言った言葉である。
小山氏が亡くなられて久しいし、この話はもう秘密ではないと思うので、あえて書いている。
言い換えれば、作品を見る自己の感性を思い込み・理論・論理・合理性など、(その中に名誉、欲望や願望もあったかも知れない、)が打ち壊し、結局自分の真贋を見定める心眼に勝ってしまったということなのだろう。
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# by noanoa1970 | 2005-06-15 15:54 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)

DRAC日本音楽Gでの体験-Ⅱ

1967年の大晦日、小生は仲間と八坂神社に行った。「おけら参り」といい、「神社でいただいた火縄を消さずに家に持ち帰り、その火で台所の火を起こすと無病息災が約束される」と言う。
わらを円形に巻いたものに火をつけ、火が消えないように、クルクルとまわしながら、境内にある「おみくじ」のところに行き、おみくじを引くと・・・なんと「凶」が出てしまった。新年を迎えるのに縁起でもないことである。小生はこれ以上仲間たちと一緒にいるのが苦痛となり、ひとりひそかに隊列を離れて、人ごみの中を彷徨った。どこをどう歩いたかは定かではないが、しばらく彷徨うと、目の前に突然「松明」の火が映った。
松明の火に目が慣れてくると、そのむこうに巨大なお寺が出現した。
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「知恩院」であることに気づいたのはしばらくしてからであったが、大きな本堂に近づいてみると、時計はすでに12時を回っており、新年となっていた。

そこで小生が見たものは大勢のお坊さんたちが、・・・100人はいただろう・・・・新年を迎えて声明を唱えている光景だった。しばらく聴いていたが、何か得体の知れない大きな力を感じて、しばらくその場を動けなかった。まさしくこれは、お経等ではでなく「音楽」であった。

DRAC日本音楽Gで、誰を研究するかを決めなければならない時期、どうしても「音盤」で作品が多く聴ける作曲家から選択しなければならず、数人の候補の中から、小生はこの「声明」に刺激され、「間宮芳生」を選んだのであった。d0063263_15311961.jpg

このレコードは大枚を費やして購入した「合唱のためのコンポジション」3枚組みである。
下宿代と同じ金額だったことを覚えている。
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# by noanoa1970 | 2005-06-14 11:27 | DRAC興亡史 | Comments(0)

贋作-Ⅰ

小生は大嫌いだが、毎回見てしまうTV番組に、「何でも鑑定団」という番組がある。
かなりの高視聴率を保っていると聞く。
骨董を中心に、コレクティヴアイテム、レアアイテム、などなどの金銭的価値を評価するというもの。
ここでよく扱われるのが、書画骨董の真贋で、「若冲」や「応挙」の軸などは、本物はごくごくまれにしかないのにもかかわらず、頻繁に鑑定に出品される。
贋作は何時の世も、何時の時代も、多分世界中で存在していたのではなかろうか。
贋作専門のプロの存在、・・・絵画の世界でも陶芸の世界でも時々耳にする。

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贋作といって、強く心に残るのは、ご存知の、「永仁の壷」事件、長くなりますが、経緯が良くわかるものを紹介します。
 
『昭和12年、陶芸家・加藤唐九郎は、一対の壷を焼く。その品は突如昭和18年に、守山志段味村の村長により、無名の松留古窯出土品として考古学雑誌に発表されることとなった。『瀬戸飴釉永仁銘瓶子』、俗に言う“永仁の壷”である。鎌倉期の永仁年間の銘が刻まれた名も知れぬ完品の出現に、当時の陶芸界は騒然とした状況であったという。
 
時を経て昭和34年、ある文部省文化財調査官の尽力によって国宝に指定となった。ところが翌年から「本物か偽物か?」の疑惑が専門家の間で彷彿とわき上がった。これにマスコミも呼応し、全国的報道が展開されることとなる。

結局、贋作者の加藤唐九郎はヨーロッパに逃亡するが、ある新聞記者の執拗な追跡に根負けし、ついに自作であると発表。昭和36年に国宝指定を解除される顛末となった。これが有名な偽作「永仁の壺」事件である。・・・・・・・・・・・・続く
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# by noanoa1970 | 2005-06-14 08:19 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)

DRAC日本音楽Gでの体験-Ⅰ

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DRACでの研究活動が始まって最初に聴いたのがこの録音。外山雄三さんの「ラプソディ」「子守歌」小山清茂さんの「管弦楽の為の木挽き歌」、そして尾高尚忠さんの「フルート協奏曲」が録音されているものである。・・・・「伝統」とは何であるか・・・との議論の末に、グループ全員でこのレコードを聞いた。N響の演奏、指揮者は岩城宏之さん、フルートは「吉田雅夫」さんである。
解説を読んでも確かなことは分からないが、聞いたのは1967年のことであるから、このLPの録音はそれ以前のことである。
1枚のアルバムなのに、化粧箱入りという珍しいレコードで、「キング」レコードの力の入り方が思われる。またキング=ロンドン=DECCAは、ケルテスの「青髭侯の城」でも豪華化粧箱入りで1枚のLPを発売したから、こだわっていた担当が当時いたのだろう。今なら考えられない付加価値のつけ方だ。
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d0063263_11432634.jpg写真は「青髭公の城」に出演した、若きクリスタ・ルートヴィッヒと指揮者兼監督のケルテスである。

今ではもうなんともないことなのであるが、当時「ラプソディ」を聴いたときに思ったことは、「チョット恥ずかしげで、なんとなくむずがゆい、妙に落ちつかなくそわそわする・・・・そんな感想を持ったので、聞いてみると、ほとんどの部員・・・といっても全部で6人しかいなかったのだが・・・同じような感想を持ったとのこと。この曲が本当に好きになったのはそれから30年時を隔ててからのことであった。

しかしそんな中、尾高さんの「フルート協奏曲」・・・・ちょっとドップラーのハンガリア田園幻想曲に似てはいるが、2楽章の展開部の美しいメロディには激しく魂を揺さぶられてしまった。

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上のジャケットは「ランパル」の録音が出るのを待ち望んで入手したLP、これも良かったが今ではやはり「吉田」サンの方をより好んでいる。
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# by noanoa1970 | 2005-06-12 18:59 | DRAC興亡史 | Comments(0)

新郎の父の挨拶

「結婚式の音楽」「生まれて初めての体験」では、小津監督が「彼岸花」の中で言わせた言葉を引用することを思いついた・・・ということを書いた。そして父親の挨拶でそれを使うことになったのだが、欲張りの小生、無論それだけでは物足りない。そこで、挨拶の内容と関連する物を何か加えたいと考えた。「結婚行進曲と運命」の話では座がしらけてしまうし、かといって並みのことはやりたくない。
そうだ最後に父親からのプレゼントとして何か音楽を贈ろう・・・・そう心に決めた。
やはり「生」がいいかと思い,ひそかにギターの練習をしてみたが、他人に聞かせるほど上達しない。
そこで仕方なく音盤に登場願うことにした。
挨拶の時間は、何回も推敲し縮めて約5分・・・・これでも長いと司会者に言われたので、もっと短くしてくれと息子が意ってきたが小生はそれをガンとしてはねつけ、さらに「取って置きの音楽を流す」から、合計10分くれと、強行に言った。

すると、そんな「長い父親の挨拶は、いまだかって経験したことがなく、来客に迷惑になるからおやめなさい」・・・・というようなことを息子を通じて言ってきた。

小生は再度これを突っぱね、結局7分いただけることで歩み寄った。
さて何を流しても長くなるのは目に見えていたが、少し拘りをもって選曲にかかった。

2・3分の曲・・やはりクラシックは無理、アレコレ考えてその曲の中の「歌詞」が昔から気に入っていたものを引っ張り出した。

それは「加川 良」という男が1970年のはじめごろ歌っていた曲で題名を「流行歌」という。
当時の流行歌の音楽シーンは「愛だ」「恋だ」「好きだ嫌いだ」「失恋だ」「悲しいだ」そんなものが反乱している時代だった。・・・もちろんそれは今でも連綿と続いているのだが・・・・
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加川良の歌は、アンチ「流行歌」とでもいうような内容で、その歌詞に実存的なものを当時感じていてとても好きであった。
「流行歌」はアルバム「ヤァー」と「HOBOS」コンサートの中に収めれれている。使用したのはコンサートライヴのほうである。

最後のフレーズ・・・「君は君のことが好きでありますように・・・僕は僕のことが好きでありますように・・・・」そうなのです自分が好きになれない人間は他人を絶対好きになれないのです。
間奏から流し、2分でギリギリ収録することが出来やっとこの曲、結婚する若者に送る曲となったわけである。

加川自身もこの曲をコンサート会場などのお客さんにおめでたいこと・・・誕生日、結婚などがあると良く歌っていた、ということを何かで読んだことがあるから、まんざら、お門違いでもなかろう。

出席していただいたお客様の中に、d0063263_1804042.jpg加川良、ましてこの曲を知っている人はいないと確信していたが、お客様見送りのとき、見知らぬご夫妻=新婦の親戚だろう・・・から「感激でした、良さん大好きです、それにおかけになった曲の歌詞・・・その通りだと思います」・・・と、思いがけない反応があった。世の中そう捨てたものじゃないと改めて感じ入った次第であった。右上は「下宿屋」が収録されている「親愛なるQに捧ぐ」
録音のときのマグテープをジャケットデザインに使用している。

当の新郎新婦にはあまり受けなかったようなので、目論見は「失敗」ということでしたが・・・・
その時のことを思い出してくれる日がいずれ来ることを信じてやまないのである。
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# by noanoa1970 | 2005-06-12 09:34 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ボレロ

ボレロの小太鼓のリズムパターンを「モールス信号」で読み解くと、「この曲はつまらなく演奏してくれ」というメッセージになる。・・・・・というのは、もちろん「真っ赤な嘘」
小生このような実験をひそかに行ったことがあるのだが、苦労した挙句何にも引っかかってこなくて、思わず、「いったい俺は何をやっているんだ」と自身に苦笑したことがある。

ボレロの機械的リズムの上に支えられ、、だんだんクレッシェンドしていくという、単純であるが、いまだかって誰もやったことのない手法の斬新さと、音楽性に激しく心を動かされ、中学生時代に音楽の時間に聞かされた時のものとは、全く違う思いを持つにいたったのである。この曲を演奏者をとっかえ引返してどれほど聴いたことだろう。

モントゥ、アンセルメ、ミュンシュ、クリュイタンス、デルヴォー、に始まり、ロザンタール、プレートル、カラヤン、ブーレーズなど並み居る指揮者たちの解釈を沢山聴いてきた。写真はお気に入りのロザンタールのもの6枚組みの全集となって発売された。d0063263_18215345.jpg

そして最近になって・・・・この曲は何かを製造するときの、その工程を表現しているのでは?・・・と、ふと思ったのであった。それはなんだか、手工業から少し規模の大きめの生産ラインのようなものによって製品が出来上がっていくような気分を味わうことが多かったからである。

TV CMでこの曲が多く使用されるのもなんとなく分かる気がしている。
活力増進の薬品、人口髪の毛、、化粧品、車、デジカメなどなどのCMに使われているのを聴いたことがある人は多いはずだ。

調べてみると、ラヴェルはストラヴインスキーによって「スイスの時計職人」と揶揄されたこと、父親がエンジニアでその影響を少なからず受けたであろうこと。
友人とオランダ・ドイツをめぐる船旅に出たラヴェルは、自然の眺めなんかよりも、ライン川沿いの工業地帯の圧倒的な光景に感動して「ああ、この僕たちを取りまく、城のような形をして流れてくる鉄や火の大伽藍、そしてベルトコンベアや汽笛や凄まじいハンマーの音がつくりだす驚くべき交響曲をどうやって君に語ることができるだろうか!」・・・・・
という内容の手紙を書いたという話があるそうで、こうしたラヴェルの人工美礼賛は、彼の生活した住居にも現れているとのことらしいのである。

パリの万博、そしてアール・ヌーヴォーd0063263_11445926.jpg博覧会から影響を受けたと思われるラヴェル、工芸の時代は、ヌーヴォーからデコへと移っていく、ルネ・ラリックはヌーヴォーからデコへの移り変わりを自らの作品の変遷によって示すことのできる数少ないガラス工芸作家である。

琵琶湖の東に、長浜といという町がありそこにラリック専門の私設美術館d0063263_11334860.jpg「成田美術館」がある。そこに行って作品の変遷を見るとその辺りが良く分かる。d0063263_11341383.jpg
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写真左はアール・ヌーヴォー時代の作品、右はアール・デコ、ヌーヴォーがいかにも手工芸の
良さである手作りの雰囲気を残し、手作業でしか表現不可能な複雑な曲線を使っているのに対してデコは大量生産可能なように、単純なデザインに変化している。
d0063263_18104376.jpgボレロの楽譜を見るとまさしくアール・デコ工芸のお手本といったような感じを受けてしまう。直線と曲線が絶え間ないサイクルをかもし出しているようだ。
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# by noanoa1970 | 2005-06-11 11:36 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

家族の肖像

ある日急に犬を飼ってみたいと思った。飼うなら絶対日本犬と決めていたので、あれこれ三嘆した挙句、ひょっとしてと思いネットで「里親」募集を検索してみると、あるある多くの犬たちが、里親を待っているではないか。
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室内でも飼うことが可能な日本犬となるとやはり「柴犬」しかなく、その性質を調べると・・・これしかないと決まり、柴犬の里親募集を探しまくった。

柴犬ともなると人気が高いのか、まして「豆シバ」となると里親募集はほとんど見当たらない。
あきらめかけていたところに、関西方面のボランティア団体のHPに、募集があった。
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条件が幾つか書かれていてそのうち関西「近郊」の方に限る・・・という点がネックにはなったが、ダメモトで応募した。

手を上げた人が大勢いるし、小生は近郊の住人ではない、犬を飼った経験もない・・・そんなことで、半ばあきらめていたところに1通ののメールが入った。

d0063263_9131779.jpgその内容は、こういうものであったので最初は少々戸惑った。
転売する業者がいますので、本人確認をしたい。ひいては家族の写真を送って欲しい。
必ず室内で飼っていただけること。もし相性が悪い場合は、必ず連絡の上当方に引き渡すこと。予防注射などの義務を果たすこと。飼ってから一定期間様子を写真添付でメールすること・・・などなど。
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小生はこれを読んで、なるほど、これだけ気遣いをしているところだから、逆に安心、信用の置ける団体であると・・・・早速その旨連絡すると。東大阪の花園ラグビー場で面接の上引渡し・・・・OKならば里親になれると返事が返ってきた。

こうして2002年5月12日、1歳半で我が家の一員となったわけであった。
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この犬の過去には少し悲しい話があって、何でも大阪のS新喜劇・・・そう、あの有名な喜劇役者の、これまた最近有名になった娘の主催する劇団の、そこで楽屋犬として飼われていたそうであるが、劇団が倒産したことで、飼うことが出来なくなり、保健所に連れて行かれた。しかし保健所の職員が、この犬の素性と経緯、見た目良い犬そうなので、ボランティア団体に連絡し、引き取られたということなのでした。

d0063263_9164099.jpgしたがってこの犬の名前は、前の生活では、当初から「芝居犬」=「しばいいぬ」=「しばいぬ」=「しば」と呼ばれていたとのこと。
この名前が刷り込まれているに違いないと、引き続き「シバ」と呼ぶことにした。
散歩中に知らない人から「アっ柴犬だ」といわれると、自分の名前を呼ばれたものと勘違いして、うれしそうに振舞う。
名前は?と聞かれ「シバ」ですというと、ほとんどの人がエッという表情を見せるのが、とても面白く、またこの「シバ」は自分を犬と思ってないらしく、人間には懐くが、他の犬・・・特に自分より大きい犬に対しては、闘争心をむき出しにする。

驚いたことのひとつは、「何でも食べる」ことで、およそ人間の食べるもの・・・・「幕の内弁当」に入っているようなものには終始目がない、カボチャの煮物、コロッケ、ありとあらゆるものが大好きである。セロファンやラップのスレル音=食べ物と思っており、すぐに反応する。

何よりも驚いたのは、缶コーヒーを缶の口から直接飲むことで、ブラックでもミルク入りでも何でも来い、ウーロン茶でも緑茶でも紅茶でも何でもいける。楽屋で食事をしている役者さんたちから、いつも食べ物をもらっていたに違いない。

でも吠えて要求することは絶対にしない、欲しそうな顔をして、ひたすらくれるのをじっと待っているのだから。これも楽屋犬として必要に迫られ躾られたのであろう。
並みの人間なら、情にほだされて、食べ物を与えてしまうに違いないと思うのだが、長生きしてもらうために、人間の食べ物は絶対やらない・・・・と人間の家族内で決めた。

コーヒーだけは、嫌がって拒む犬の洗濯をする際の、御褒美として薄めて少量与えることにしている。

ふと時々見せる悲しそうな表情に、この犬の悲しい過去がしのばれるのである。
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# by noanoa1970 | 2005-06-11 09:18 | 愛犬シバ | Comments(3)

「時計仕掛けのオレンジ」の中の音楽・・・新発見

学生時代に京都で見たキューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」のDVDが安価に発売されていたので入手してみた。当時はなんだかわけが分からなかった内容であったが、繰り返し見るうちに、「なるほど」・・・・と思えるようになった。
 内容は少しおいておくことにして、今回新たに発見したことがあった。d0063263_8271342.jpg
最初の暴力シーン・・・「悪る」のグループが、人気のない薄暗い路地裏で、酒に酔いつぶれている・・・恐らく「哀れな放浪者」風の設定の老人・・・に、殴る蹴るの乱暴を働くシーンがある。
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暴力を受ける直前にその老人が口ずさんでいたのが、「モリー・マローン」・・・アイルランドのオールドバラッドである。老人がアイルランドからの移民であることは、ほぼ間違いないと思う。
落ちぶれてHOBOとなってしまったのだろう。そして故郷をしのんでこの歌を口ずさんでいたのだろう。

小生は知らなかったのだが、今ではサッカーやラグビーの応援歌としても使われているようだ。小生がこの曲を知ったのは、今から40年以上前のこと・・・・そのころ「アラモ」というすごい映画が上陸、ジョン・ウエイン、リチャード。ウイドマークの出演するこの映画は、仲間の間で評判となり、学校ではその話題で持ちきりのときがあった。
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小生は学校が終わってから友達と二人で始めての夜間外出、70mm映画体験をし、その迫力にしばし圧倒されたのでした。映画の中で流れた音楽が耳から離れずにいたので、早速近所のレコード屋に走ったのですが、しかしオリジナルサウンドトラック盤は売り切れで、仕方なく「フェアマウント・シンガーズ」というグループが歌っているドーナッツ盤を買うことにした。

「モリー・マローン」はこのB面に入っていた曲で、日本語のタイトルは「悲しきむらさき貝」と書かれてあった。
In Dublin city where the girls they are so prety,
'Twas there I first met with sweet Molly Malone!・・・・と始まる曲は、不思議なことに英語の歌詞とともにいまだに記憶にある。意味は分からなかったが、「sweet Molly Malone」にいたるメロディは異国の郷愁を誘い何か悲しげなように聞こえていた記憶があう。そしてまた、最後の部分のAlive alive o!は単純に何かの陰鬱な叫びだとばかり思っていたのであった。

むらさき貝とは「ムール貝」のことであることを知るのに、何十年ついやしたことだろう。

ダブリンの街をで貝を売り歩く美少女・・・彼女はある日熱病で死んでしまう、しかし人々は今でも貝を売り歩く彼女の亡霊を見るのだ・・・・
亡霊や幽霊、精霊などが登場する話は。、アイルランド、スコットランドのオールドバラッドに良く歌われている。ミック・ジャガーやザ・バンドなどによって歌われた。「LONG BLACK VAIL]・・・・墓の中の恋人に夜な夜な会いに行く、黒いヴェールをした女性の話などは、その典型である。
さて話を「時計仕掛けのオレンジ」に戻すとしよう。

キューブリックは無類の音楽好きである。この作品でも「第9」、「ロッシーニ」、「パーセル」、「神の怒りの日」、「雨に唄えば」の音楽が、効果的にある種の意味合いを持って使われている。
また2001年・・・・では、R及びY・シュトラウスが、・・・シューベルトの2番のピアノトリオ、チーフ・タンズのオリジナル曲が「バリー・リンドン」で・・・・枚挙に暇がないほどである。

小生はこの「老人」に対しての暴力シーンを見たとき・・・・キューブリックはアイリッシュである、あるいはその血が流れているに違いないと思った。
そしてそれは「バリー・リンドン」d0063263_108945.jpgを見て確信に近いものとなったのである。(しかしどのような文献においてもそのことは書かれていない、むしろバリー・リンドンの撮影中に、なぜかIRAの影に怯えたことがある・・という話があるそうなので、やはりイギリス人なのかもしれない、キューブリック=クーベリックならユダヤ系である可能性も高いが事実は闇の中である)

キューブリックは「アラモ」に大変な思い入れがあったのだろうことは容易に推測可能だ、。アラモとアイルランドはとても関係が深く、監督=主演のジョン・ウエインがアイリッシュであり、作中の、ジム・ボウイ、デビー・クロケットもアイリッシュ・・・そう、アラモ砦で戦った義勇兵の中には、アイルランドからの移民が少なからずいたからである。
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# by noanoa1970 | 2005-06-10 16:21 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

クラシック音楽への目覚め

小生はDRACの「日本音楽G」に入部したのだが、当時好きな音楽はやはりベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザークであった。
中学生になって我が家に初めて「ステレオ」なるものがやってきた。その当時家庭用「ステレオ」装置はコロムビアとビクターが2大勢力を占めていて、マニアックな山水、パイオニオア、トリオというハイグレードな装置を持っている家庭はほんとに少なかった。
真空管のアンプが組み込まれた一体型ステレオで最新の「エコー」という残響を施す技術が搭載された、ビクターのものを購入してもらった。
ステレオ盤が2800円モノラルでも2300円、おいそれと買えなかったので、ステレオ付属のテストレコードを飽きるほど聴いていた。

d0063263_15384270.jpg程なくコロムビアから「世界名曲大全集」という50枚組みのセットが出た。1枚1000円という廉価であったことと、知り合いに頼んで割引してもらったこともあってか急に父親が購入した。

今では50枚あったものが10枚前後しか手元にない。長い年月の間に方々に飛散してしまい。実家においてあったものは処分されてしまった。

その中には今となっては貴重であるモニーク・ド・ラ・ブルッショルリ/パウルムガルトナー/モーツァルティウム管のモーツァルトPコン20番、23番、F・コンヴィチュニーの4番、5番、6番のベートーヴェンの交響曲のモノ盤(当時はLGOと表示されていたが、小生は、ライプチッヒ放送管の録音であると思うようになった)

オイゲン・ヨッフムの兄G・ルートヴィッヒ・ヨッフムの貴重な録音、珍しいデルヴォー/ハンブルグ響の仏近代物、アルテュール・ローターの第9、レオポルド・ルートヴィッヒのチャイコフスキーなどなど・・・・・レア物と呼んでも良いような録音が数多くあった。

これはコロムビアがオイロディスクやスプラフォン音源と契約していたことがなせる業であったのだろう。

小生はこの全集でバロックから近代までの有名曲を知り、口ずさむことができるまでそれを聴きまくった。
F・コンヴィチュニーの来日はそんな1961年春のことで、名古屋市公会堂で4番、5番の公演を聴くことが出来た。しかしそのときは全くよさもわからず退屈な印象であった。
ただ生の音響の圧倒的な音だけが心に残っているばかりである。
コンヴィチュニーを聞くのには余りにも若すぎたのであう。

1962年コンヴィチュニーはチェコの公演中に倒れ、帰らぬ人となったのだから、日本人にとっては、最初で最後の演奏会だったわけである。
かくしてコンヴィチュニーの名前とその演奏は、全集の中に入っていたベートーヴェンの4,5,6番とバンベルク響との「新世界」それにVSOとの「ジークフリート牧歌」によって色濃く刷り込まれたのである。
下のLPジャケットはコンヴィチュニーの「新世界」でエテルナ原盤とコロムビアからの国内版である。

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すごいと思った録音は、ローターの第9の余白に入っていた、イシュトヴァーン・ケルテッシュ(ケルテスでなく当時はそう呼ばれていた)とバンベルク響の「エグモント、レオノーレの序曲、この演奏はすごい・・・と当時から思っていた。まだケルテス30台後半のときで、一連のドヴォルザークの全集がDECCAから出るはるか前のこと。
下のLPジャケットは、全集のコンヴィチュニー/バンベルク響の「新世界」そしてVSOとの「ジークフリート牧歌」である。
このLPの溝が怪しくなってきたので上の2枚を購入した。
d0063263_21173525.jpg残念なことに「新世界」は一度CD化されたきり、その後の再発はいまだかってない。
間違ったコンヴィチュニーの音楽イメージを払拭できるのは、この「新世界」とシューベルトの「グレイト」、そしてブラームスの「1番の交響曲」と、ブルックナーの7,8,9番だ。

ベートーヴェン全集だけで彼を判断すると彼の一面しか見ていないことになるはずである。
例えば「エロイカ」でもLGOとの物とドレスデン、シュターツ・カペレのものではまったく音魂に異質なものを感じる。
どうやら彼はもちろん出来、不出来はあるが、「ライヴ」で底力を発揮するタイプであるとたぶんに思うのである。。
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# by noanoa1970 | 2005-06-10 12:45 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

生まれて初めての体験

この1月に息子が結婚した。それらしい雰囲気が強くなってきたある日、最後に新郎の父の挨拶という厄介ものがあることを知った。
さー困ったことになったと思う半面、いや小生は現役時代にはプレゼンテーションをいくつもやってきたんだから、ぜんぜん平気さ・・・という気持ちが同居した。

とはいっても話す内容を考えねばなるまいと思い、やおらPCの前に座るも、考えれば考えるほどアイディアが出てこない。ごく一般的な挨拶だけはどうしても避けたい要求に駆られていた。

書いては消し書いては消ししているうちに疲れたので、生誕100年を記念して大々的にその作品が取り上げられ、リモコンと格闘し、必死に録画した「小津安二郎」作品から、先日半分見たままの続きをと思い「彼岸花」を見ることにした。

彼の作品の根幹に流れるものは、昭和初期から中期にかけての「家族」の姿を、息子や娘の「結婚」という視座で捉えつつ、「東京物語」では高度成長期に差し掛かろうとしている日本の家族がだんだん核家族化して行き、そのせいで親子の間に不条理な亀裂が生じてくること、やさしさや愛情は肉親からという幻想を打ち壊しながらも、戦死した息子の嫁の、義理の父母に対する愛情によって救済される。・・・という内容である。

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さて「彼岸花」は、娘の結婚を心配してあれこれ手を尽くそうとしている親に内緒で、交際していたことが発覚、父親は激怒、知り合いの娘には「結婚は真鍮のようなもの」「はじめから金を目指さなくても良い」なんて、さも分かった風に説教するのだが、こと自分の娘となると話が違う。
本音と建前が違う典型的な親の姿を演出している。

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ストーリーの展開は少しおいておくが、小生はこの父親役の佐分利信が、結婚の相談をしに来た知り合いの娘役である山本富士子に言った言葉
「真鍮の結婚でよい」「あとは夫婦力をあわせ真鍮から金を目指せ」・・・・
この言葉がなんだかとても心に残ったので、そうだこの言葉をスピーチに引用しようとすぐに心に決めた。

真鍮というのは「銅」と「亜鉛」の「合金」で6対4がその絶対比率、どちらが弱くても強くても良い真鍮とならないことなどを知り、これを使おう、しかも小生の好きな小津監督が言わせた言葉なのだから、これに勝るものはない.

かくして挨拶スピーチの内容はほとんど決まったのだが、それだけでは能がない。
ある工夫をするのだがその話はまたいずれ・・・・・
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# by noanoa1970 | 2005-06-09 12:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

高田渡さんのこと-Ⅲ

息子が東京の会社に入社して4年になる。武蔵野にあるY電機という会社で、なんでも医療システムのSEをやっているそうだ。
社会人になるまでは地元の大学を経て、奈良にある大学院専門の国立大学に行った。
その息子もこの1月に結婚した。

小生はクラシック以外の音楽をよく車中で聞くのだが、小生の運転のときだけで、息子が運転してどこかに遠出したりすると、どうしても息子好みの最近の音楽となる。

小生運転のとき、70年代フォークをダビングしたものを聞いていると、眠くなる・・・と息子
それでも耳には残っているようで、高田渡という名前と、代表的な歌をいつのまにか覚えたようだ。

息子が東京に赴任するときに、荷物運びにと車を運転して寮についたその夜、小生にとって有名な吉祥寺の焼き鳥屋「いせや」に行った。何が有名かというと高田渡さんがしょっちゅう来るという話を聞いたからで、行ってみると、それらしい雰囲気が漂っていた。飲みながら息子にそのことや、武蔵野に住んでいるらしい話をした・・・それから数週間ほどたったある日、小生の電話が鳴った。

珍しく息子からで、・・・いきなり・・・・高田渡ってどんな顔をしているの?
特徴を教える小生に・・・・間違いない・・・・たった今目の前を三輪自転車を必死に漕いで吉祥寺方面に向かう男がいて、話を聞いていた高田渡っぽかったので・・・といった。d0063263_8362619.jpg

そこでメールで写真を送ると矢張り間違いないらしい。そしてそれから数回に渡って自転車にギターケースを乗せて吉祥寺方面に走る彼を見た、との報告があった。

今考えればこの頃の彼は、誰にも知られないように、こっそりと井の頭公園に行って、ギターの練習をしていた・・・・という話を後に聞いたので、きっとその時の姿なのだと思っている。
体調を悪くした彼は、ギターの腕も衰えてしまったのを自覚し、公園でヒッソリと人知れず練習をしていたのであろう。
もうすでに死んでしまった彼の、この時の姿を想像すると、涙腺が熱くなってくる。

写真の彼の顔はスマートに写っているが、いつもはもっともじゃもじゃ顔である。
息子が勤めている会社のすぐ前の道路を、数え切れないほど自転車を漕いで往復したことだろう。

そういえば「自転車に乗って」という歌を彼は歌っております。
小生が小学生時分、子供用自転車はほんとに珍しく、自転車に乗れる子供はみんなから羨望の目で見られていた時代、そういう時が確かにありました。

「自転車に乗ってベルを鳴らし、あそこのハラッパまで野球の続きを・・・そして帰りにゃ川で足を洗って・・・・自転車に乗っておうちに帰る・・・・
「自転車に乗って、自転車に乗って・・ちょいとそこまで歩きたいから・・・・」

ちょいとそこまで歩きたいから・・・・という言葉に得意な反面、少しはにかんだ様子が
とてもよく表現されていると思います。
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# by noanoa1970 | 2005-06-08 20:22 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)

結婚式の音楽

d0063263_8272424.jpg結婚式披露宴のBGMにと、息子が帰宅し小生の音楽部屋でCDを漁りダビングし始めた。
何でもクラシック音楽をメインとして、ところどころにポイントとなるような今風な曲を挿入するらしい。
口を出そうかと思っていたが、しばらく様子を見ることにした。

小生はかなり前から面白いことに気づいていたので、こんな質問をしてみた。
「メンデルスゾーンかワーグナーの結婚行進曲は流れるのかね・・・・」と
・・・どこでも流れる音楽だからあえて流さないよ・・・・と息子

イーグルスの「デスペラード」はある・・・と息子
あるけど「無法者」というその意味を知っているのかい?と小生

それもまたいいだろうと内心思いながら、あることを思っていた。

ベートーーヴェンの5番の交響曲は「運命」と呼ばれている。またこの最初のフレーズは、クラシックが嫌いであろうと、老若男女、古今東西を問わず知らない人はいないほど有名だ。
「ミミミドー・レレレシー」の「ミミミドー」の部分・・・この音の塊=音型を「運命の動機」というらしい。ベートーヴェンが巧みに用いて質実ともに有名になったその音型は、恐らく遠い昔から・・・例えばグレゴリアンチャント、いやそれ以前から存在しており、何らかの意味合いがあったものであろうと小生は思っている。d0063263_8275649.jpg

この音型は思いつくだけでも、ブラームス、ショパン、チャイコフスキー、マーラー、そして、メン「デルスゾーン、ワーグナーが好んで用いている。
ベートーヴェン自身も、ピアノソナタ「熱情」において全篇この「運命の動機」で構成している。

メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の中の「結婚行進曲」の冒頭・・・金管のファンファーレは何を隠そう、まさしくこの「運命の動機」そのものなのだ。

そしてなんとワーグナーの「ローエングリン」の中の結婚行進曲の冒頭もまた然りなのである。
ベートーヴェンもメンデルスゾーンもそしてワーグナーもこのフレーズを2回繰り返し印象付けているのだ。

このことにある日気づいた小生、大発見とばかりにしばし音楽学者気分に浸ったものである。
果たして「結婚」は「運命」なのか?
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# by noanoa1970 | 2005-06-08 10:29 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

心に残る著作

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小生はこの本の元の原稿を20年以上前に読んだことがある。
そのときは征矢野三羽の「顕彰」の書物と思っていたのだが、今回杉山直・・・彼女の他の著作をあわせ読むと、決してそのようなものでないことに気が付いた。

小生は、征矢野三羽を尾張徳川・・・の密使か江戸徳川の動きを探る探索=スパイをしたのではないかと思っている。急に木曾を出奔した理由が、そういった仮説を立てないと説明がつかないほど突飛だったからである。
なぜ妻子を捨ててまで江戸に赴いたのか・・・これは大きな謎であるが、著者もそれについて言及をしていない。
三羽は何年か後になって、再び木曾に戻り、今度は全財産をなげうって木曾の土地改良に勤め、木曽駒からの冷たい水に苦心した挙句、稲の苗が育成できずに計画は失敗に帰した。
しかしこの開墾の成果で、今まで収穫できなかった数々の農作物などが享受できるようになったのである。
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写真の石碑は、三羽の功績を記念して日義村村民が建立したものである。

ほんの内容は以下のとおりである。「ますの生涯」では三羽の正妻である「ます」の愛情ある子育ての逸話も有って、とてもほほえましい。

全編を通じて流れる筆者の歴史観は、マックス・ウエーバーに通じるものがある。

○木曽宮越村の検地以前の年貢をめぐって
 征矢野三羽の生涯
 木曽谷幕末一庄屋の心の軌跡―征矢野三羽の思想・心情をめぐって
 島崎広助の姿勢
 島崎家と東濃地方
 征矢野ますの生涯
 木曽プロテスタント松島縫治郎の召命
 八木家の娘達


杉山直[スギヤマナオ]
1924年長野県木曽福島町に生れる。45年長野師範学校女子部専攻科卒業。45‐75年長野県内の小中学校に勤務。57年同県教育公務員として東京大学経済学部(経済史)に聴講。この間徳川林政史研究所の特別委嘱員となる。76‐99年在ソウル梧柳文庫(無教会小図書館)支援会事務局長を務める。2000年10月31日死去。元日本歴史学協会員。元島崎藤村学会員。アララギ系の歌人でもあり、歌集『山に向ひて』、遺歌集『あづまいちげ』がある
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# by noanoa1970 | 2005-06-07 15:55 | Comments(0)