人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2010ニューイヤーコンサート

昨年は見逃してしまったが、今回は昨年と同じジョルジュ・プレートルが指揮をするということで、楽しみにしていた。

小生とジョルジュ・プレートルの出会いは、確か1963年か4年だったか、パリ音楽院管弦楽団と録音したサン=サーンスの交響曲3番、俗にオルガン交響曲といわれるものであった。

この時のオルガン奏者は、レクイエムの作曲家としても有名な、モーリス・デュリュフレであったが、その当時はそのようなことも知らずに聴いていた。

しかし小生は、この曲に潜む「神の怒りの日」の引用を発見し、他の演奏ではそれが特徴的ではなかったため、後年になってデュリフレとプレートルの演奏表現の究極ではなかったかと思うようになった。

プーランクや、当時では本当に珍しかったディティーユのバレー音楽のアルバム、それに小生1押しのグノー の聖チェチーリア荘厳ミサ曲:ジョルジュ・プレートル/バーバラ・ヘンドリックス(S)/ローレンス・デール(T)/ジャン=フィリップ・ラフォン(Br)/フランス放送合唱団/フランス放送POなどを聴くたび、プレートルというおしゃれな指揮者が好みとなっていった。

特にフランスもののオペラを得意とするのだが、どうもわが国での評価はさほどでもなかった感がある。

そんなプレートルも、もうすでに80歳代となり、巨匠と呼ばれる存在になった。

今彼の残した録音で一番聴きたいのが、ドビュッシーの「アッシャー家の崩壊」なのだが、廃盤となって久しいため、入手困難で、いまだに聴くことがかなわない。

それに「ラロ」の歌劇「イスの王様」も入手したい筆頭であるし、ビゼーのオペラ「真珠採り」も然りである。

2010ニューイヤーコンサート_d0063263_12132053.jpg
2010ニューイヤーコンサート_d0063263_1255975.jpg
さてコンサートは、実に楽しいもので、それはプレートルの指揮ぶりも一役買っているのだと思われ、それは実にこ洒落たものであった。

まるでパリの粋な若者の振る舞いのようで、とても80歳という高齢の人のなせる業ではない。
楽曲によって手とタクトを使い分け、いかにも楽しそうな身振り手振り・・・指揮ぶりは、オケのメンバーも知らず知らず緊張が解け、演奏を楽しんでいる様子だ。

シャンペンポルカで、後ろの団員が2人、実際にシャンペンを開けて飲むシーンに、プレートルの「私にも飲ませろ」というようなしぐさの御愛嬌も見られ、和気あいあいのコンサートだった。

お決まりの「ラデツキー」では、聴衆の拍手のクレッシェエンドまで引き出し、最期までだといつも拍手がバラバラになるが、その直前で、ストップさせそこからは音楽自体を楽しんで欲しいというような仕草で聴衆と一体となった。

ヨハン・シュトラウスのライバル、オッフェンバックのポルカとワルツも組み入れたことは、大変ユニークなメニューで、こちらも普段なかなか聞けないだけに、いつものコンサート以上に楽しむことができた。

2010ニューイヤーコンサート_d0063263_1284960.jpg
2010ニューイヤーコンサート_d0063263_12103631.jpg
2010ニューイヤーコンサート_d0063263_12114528.jpg
最期はスタンディングオヴェーション・・・観客は総立ちで、プレートルを讃える拍手を惜しみなく送った。

来年のことはわからないが、プレートルにはもう少し長く生きて頂いて、・・・最近はブルックナーをも手掛けているが、是非ベートーヴェンの交響曲かモーツァルトの全集を残していただきたい。

# by noanoa1970 | 2010-01-05 12:09 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

今年最期の記事だから・・・・

ここ最近ネガティブな記事ばかり書いてしまったが、今年ももう最後なので、このままではいけないと思い、何か明るい話題をと探すが、生憎思いつかない。

やはり最期の記事は音楽ネタで・・・

新春を迎えるにあたって、シューマン 春の夜 Fruhlingsnacht Op.39-12 S.568-12 (リスト編曲) を、ヨゼフ・レヴィーンのピアノで聴くことにした。

最も多分・・・この曲はまさに「春の夜」にこそマッチングするのだとは思うが、2010年の春を待ち望むということで。

ピアノのレヴィーンは、ロシアの歴史的ピアニストで、卓越したテクニックの持ち主として有名。

ウイキには、「1892年にモスクワ音楽院ピアノ科を、同級生にアレクサンドル・スクリャービンとセルゲイ・ラフマニノフがいる中、大金メダルを得て卒業。」とあるから、相当のテクニックを持つ人だったのだろう。

また彼の妻、ロジーナ・レヴィーンもピアニストで、中村紘子はロジーナ門下の一人であるらしい。
夫妻による連弾が残されているらしいが、小生は未聴である。

曲はほんの1分にも満たないほどの小曲だが、小生は大変気に入ってしまった。
リストの編曲が成功したのか、原曲そのものがよいのか・・・おそらくは両方の力がうまく機能した結果だろう・・・

雨だれのようにも聞こえる、右手の分散和音にロマンあふれるメロディが奏でられる。
メロディラインは、あの「愛の賛歌」のメロディに類似しているから、ひょっとすると、あの曲はシューマンの引用なのかもしれない。

春浅き雨の夜、物想いに耽る・・・遠くにいる恋人を想い慕うような感じを抱かせる曲である。
しかし、そこには得体のしれない「悪魔的なもの」が潜んでいるようにも・・・

悪魔に魅入られた男、あるいは女性の心境のようにも聴こえてくるが、これも「水」を表現するかののような音型からくるものなのだろうか。

シューマンとラヴェルのピアノ曲には、まだ確固としたものがないのだけれど、何か共通点があるように、小生は最近思っている。

来年の課題としておこう。

本記事を持って今年最後の記事といたします。

皆さん来年もよろしくお願いいたします。

# by noanoa1970 | 2009-12-30 12:53 | トピックス | Comments(2)

一言あってもよかったのに「削除」するとは

おとといの事件・・・「小生の写真の無断転用」があって、そのことをブログに書いた。
今朝その無断転用したブログ記事が、ブログ主によって削除されていた。

そのブログには、コメント者もあったはずだから、記事削除すればコメントも削除されてしまい、一方的な削除をすることは、あまり感心出来ない。

小生は一言・・・「勝手に使って申し訳ないが、是非使わせてください」という連絡があれば、拒否するつもりはなく、ただ他人の写真を平然と盗用し、そしてあたかも自分のものであるが如くのように、写真に解説まで付けて使用したことに、少々嫌な気持がしたまで。

こちらに連絡もなく、記事の削除で、「なかったことにしましょう」というやり方は、どうにも理解と納得ができない。

かつて掲示板「猫」でよく議論した人のブログ記事が、これも小生がよくお邪魔している人の記事の盗用ということで、ブログ上で叱責された。

その後多分当人同士いくばくかのやりとりがあったのだろう、記事盗用の人は、それから一切音楽ネタを記事にしなくなったばかりでなく、ブログタイトルを変えて再出発した。

これならば、少しは反省の色がうかがえるが、小生にとってはその人のクラシック音楽ネタがもう読めないので、少し寂しかったが、これも仕方あるまい。

そのようなことを経験しただけに、今回の事件はまたもや後味が悪いものになってしまった。

記事削除と同時に、一言あってしかるべきではなかったのだろうか。
逆に言えば、一言あれば記事削除はしなくてすんだものを。

今キャッシュを見てみたら、写真が全て削除されていた。
自分に都合が悪いものを「削除」で済まそう・・・「リセット」出来るとお思いのようだが、ブログを続ける限り、そのことはついて回るのです。

だから連絡をし、一言いえば、それで全てが解決したのに・・・
残念なことだ。

反省の色があまりうかがえない。
よって小生の記事を削除しないでおく。

# by noanoa1970 | 2009-12-30 08:38 | トピックス | Comments(0)

右クリックの功罪・・・写真が無断使用された

とても後味が悪いものを発見してしまった。

このブログ「牛久沼の詩」で使用されているマズア/N響の写真が、小生が26日にマズア/N響の第9としてUPしたときに使用した写真とまったく同一のものだということである。

そもそもこの写真は・・・とっさに思いついたことと、録画の機械はVTRしか持ってないため、ハイヴィジョンで放映された、TV画面をデジカメで撮ったものだ。

都合30枚ほど撮影しブログには、その中から3枚を厳選して使用したもの。

だから写真の上下左右には、所有TVのフレームまでもが写っているが、あまり目立たない。
そのため、通常ならトリミングをして余分をカットするのだが、今回はサイズ変更だけで使用した。

放映されたものを撮影して、自分のブログにUPすることも、厳密にいえば良くないのかもしれないが、公共放送だし、動画ではないし、記事に写真があるほうがよりリアルかと、あえて使用したものだ。
(ひょっとして、小生のその判断そのものが誤りだったかもしれないが・・・)

しかし・・・ネットの世界ではよくあることとはいえ、少なくとも他人が30枚に及ぶ撮影写真の中から厳選し、記事に添付しUPした3枚を、そのまま自分のブログにコピペし、あたかも自分が撮影したような雰囲気で、解説まで添付し、ブログ記事をUPしているのだから、少々気持ちが悪くなる。

この写真が、小生が撮影した写真に間違いないことは、写真そのものからも、そして何よりTVのフレームまでが小生所有のTVとまったく同一なことからもわかる。(多少はモディファイすれば、まだ救いがあるが、そのままの使用とは、いかにも手抜きすぎる)

写真そのもは、3枚ともに被写体も撮影角度もドンピシャである。
確率から言っても同一になることはあり得ないことだ。

放映中の撮影、だから被写体として映っているのは、ほんの一瞬のことだから、同一のタイミングdで写真撮影ができる確率はほとんどない。
小生が撮影した写真を使用したことは、絶対に間違いないと確信し、断言できる。

これを盗用というか否かは少々難しいが、無断使用したことは間違いのない事実。
多分、公共放送の映像からの写真だから、フリーパスだと思ったのかもしれないが、30枚撮影した写真の中からこの3枚を厳選したのは小生自身だ。

それにデジカメ撮影の手間だって、厳密にいえばあるわけだ。

あまり騒ぐことでもないことは分かっているが、他人の写真を使用する際には、一言連絡するのが筋だし、マナーというものだ。

このままでは、小生自身が、他人の撮影した写真を盗用した(もっともNHK放送からは借用したのだが)のかと疑われることにもなりかねない。
読者はUPされた日時などは見てないと思われるから、変な誤解も生まれやすくなる。
ちなみに小生の記事は放送直後の26日にUPし、無断使用のブログは27日にUPされている。

そして「マズア N響 第9」でググレば、両方のブログ記事が引っかかるから、読者は両方読む機会があるわけで、とても始末が悪い。

そして小生は、こういうマナーの悪い人物が、他人の写真を無断でコピペしてまで、クラシック音楽ブログ記事をUPするのかと思うと、なんだかやりきれなく、そして気持ちが悪いのである。

そのブログにコメントしようとしたら、会員登録が必要で、ログインPWも必要とのことで、面倒なのでやめておいた。

黙って写真を使用した「牛久沼の詩」のブログ主さん、もしこのブログを見たなら、今からでも遅くないから、一言連絡を!

# by noanoa1970 | 2009-12-28 17:07 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

母校の歌と新ロゴマーク

小生の母校同志社大学が来年創立135年を迎え、その記念に新しいロマークを制作したとの情報があった。

公募で当選したのは国際中学校 2年生 飯岡利奈さん。
ロゴ作成の背景を「」の下記のように語っていて、小生はこの「ワンパーパス・・・同志社大学カレッジソングの一文を中に入れたことに懐かしさと、ある種の感慨を受けた。

それはこの歌が、小生たちが最も多くの機会に歌ったものであり、何がしかのイベント・・・それがコンパでもなんでも最期にはこの歌と同志社チェアーでしめたものだった。

今でもOB会の最期なこの歌で締めくくられる。

「中学1年の新島襄墓参の時、カレッジソング「ワンパーパス」をみんなで歌い、最後“For God, for Doshisha and Brotherhood.”とあったのがとても印象に残っていました。第166回新島襄生誕記念懸賞論文で優秀賞を頂いた時、それは、新島襄のアメリカ・日本でのたくさんの人々との出会いや経験、接してこられた人脈などが私たちの学校のベースになっていて、このW・M・ヴォーリズ氏作詞の校歌にも表わされ、最後にこの歌詞で力強く締められているのだと学びました。新島襄が1875年に設立なさったこの伝統ある学校で学べることに感謝することを忘れないでおきたいと思いロゴマークにこの歌詞をいれました。」

しかしなぜか・・・それが当たり前だったのか、小生はこの歌詞を1番しか知らずにいたので、今探してみると歌詞は全部で4番まであり、しかも作者は、なんと今も多く残るあの洒落た西欧建築で有名な「ウォーリーズ」であることが分かった。

許可認定の返信が届いたので、いち早く新ロゴマークをUPすることにした。

4番の歌詞「For God, for Doshisha, and Brotherhood! 」が入っていて良い出来である。

母校の歌と新ロゴマーク_d0063263_11321782.jpg


Words by W.M. Vories
Music by Carl Wilhelm

1. One purpose, Doshisha, thy name
Doth signify one lofty aim;
To train thy sons in heart and hand
To live for God and Native Land.
Dear Alma Mater, sons of thine
Shall be as branches to the vine;
Tho' through the world we wander far and wide,
Still in our hearts thy precepts shall abide!

2. We came to Doshisha to find
The broader culture of the mind;
We tarried here to learn anew
The value of a purpose true;
Dear Alma Mater, ours the part
To face the future staunch of heart,
Since thou hast taught us with high aim to stand
For God, for Doshisha, and Native Land!

3. When war clouds bring their dark alarms.
Ten thousand patriots rush to arms,
But we would through long years of peace
Our Country's name and fame increase.
Dear Alma Mater, sons of thine
Will hold their lives a trust divine
Steadfast in purpose we will ever stand
For God, for Doshisha, and Native Land!

4. Still broader than our land of birth,
We've learned the oneness of our Earth;
Still higher than self-love we find
The love and service of mankind.
Dear Alma Mater, sons of thine
Would strive to live the life divine;
That we may with increasing years have stood
For God, for Doshisha, and Brotherhood!

# by noanoa1970 | 2009-12-28 11:33 | トピックス | Comments(0)