昨年は見逃してしまったが、今回は昨年と同じジョルジュ・プレートルが指揮をするということで、楽しみにしていた。
小生とジョルジュ・プレートルの出会いは、確か1963年か4年だったか、パリ音楽院管弦楽団と録音したサン=サーンスの交響曲3番、俗にオルガン交響曲といわれるものであった。
この時のオルガン奏者は、レクイエムの作曲家としても有名な、モーリス・デュリュフレであったが、その当時はそのようなことも知らずに聴いていた。
しかし小生は、この曲に潜む「神の怒りの日」の引用を発見し、他の演奏ではそれが特徴的ではなかったため、後年になってデュリフレとプレートルの演奏表現の究極ではなかったかと思うようになった。
プーランクや、当時では本当に珍しかったディティーユのバレー音楽のアルバム、それに小生1押しのグノー の聖チェチーリア荘厳ミサ曲:ジョルジュ・プレートル/バーバラ・ヘンドリックス(S)/ローレンス・デール(T)/ジャン=フィリップ・ラフォン(Br)/フランス放送合唱団/フランス放送POなどを聴くたび、プレートルというおしゃれな指揮者が好みとなっていった。
特にフランスもののオペラを得意とするのだが、どうもわが国での評価はさほどでもなかった感がある。
そんなプレートルも、もうすでに80歳代となり、巨匠と呼ばれる存在になった。
今彼の残した録音で一番聴きたいのが、ドビュッシーの「アッシャー家の崩壊」なのだが、廃盤となって久しいため、入手困難で、いまだに聴くことがかなわない。
それに「ラロ」の歌劇「イスの王様」も入手したい筆頭であるし、ビゼーのオペラ「真珠採り」も然りである。
まるでパリの粋な若者の振る舞いのようで、とても80歳という高齢の人のなせる業ではない。
楽曲によって手とタクトを使い分け、いかにも楽しそうな身振り手振り・・・指揮ぶりは、オケのメンバーも知らず知らず緊張が解け、演奏を楽しんでいる様子だ。
シャンペンポルカで、後ろの団員が2人、実際にシャンペンを開けて飲むシーンに、プレートルの「私にも飲ませろ」というようなしぐさの御愛嬌も見られ、和気あいあいのコンサートだった。
お決まりの「ラデツキー」では、聴衆の拍手のクレッシェエンドまで引き出し、最期までだといつも拍手がバラバラになるが、その直前で、ストップさせそこからは音楽自体を楽しんで欲しいというような仕草で聴衆と一体となった。
ヨハン・シュトラウスのライバル、オッフェンバックのポルカとワルツも組み入れたことは、大変ユニークなメニューで、こちらも普段なかなか聞けないだけに、いつものコンサート以上に楽しむことができた。
来年のことはわからないが、プレートルにはもう少し長く生きて頂いて、・・・最近はブルックナーをも手掛けているが、是非ベートーヴェンの交響曲かモーツァルトの全集を残していただきたい。
# by noanoa1970 | 2010-01-05 12:09 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)