山本覚馬について知ったこと

山本覚馬
やまもとかくま
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出身
会津藩
生年月日
1828年2月25日
没年月日
1892年12月28日
年齢
満64歳没
新島八重の実兄であり幕末を代表する砲術家。 佐久間象山の塾で洋式砲術を学び、会津藩校・日新館で教授として軍事教育を行う。禁門の変では、長州藩への砲撃でその実力をみせた。維新後は、初代京都府会議長となり、京都府政の整備に努めた。 京都の同志社大学を創立した新島襄(新島八重の夫)の良き協力者としても知られる。

八重の兄、「山本覚馬」という人物が同志社大学に深くかかわっていたことを知った。
今出川の土地を提供して同志社を創立に協力したこと。
同志社は「覚馬」が名付け親であったこと。
新島襄の協力者で、深い関係だったこと。
目を患いながらも、新政府に重用されたこと。
後に京都府議員となって、京都の近代化を促進したこと。
牢獄で書いたという『管見』のなせる業であろう。
戦略家、山本勘助の末裔だとする説があること
そして同志社の新島襄を継いだ第2代総長が山本であったこと。
詳細はここにも
http://www.jpreki.com/jp/kaku.html
ここにも
https://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.

彼が牢獄で書いたという建白書については
http://office34.exblog.jp/15490918/

写本についてはここ
http://elib.doshisha.ac.jp/denshika/yamamoto/128/imgidx128.html

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by noanoa1970 | 2013-06-17 21:23 | 歴史 | Comments(0)

DRACのルーツ

小生も初めて知ったことで驚いたが、大大先輩がDRACのルーツを簡潔にお纏めいただいた文章を掲載する。DRACの誕生が昭和25年とは・・・・・・
昭和25年6月1日、今出川幼稚園にて30数名の参加で発足したと書かれてある。
戦後間もない混乱期、よくぞこれだけのことをやっていただいたものだと恐れ入った次第。
音楽に飢えていた学生もさぞ多かったことだろう。
音盤も高価で買うことはかなわない状態にもかかわらず、レコードコンサートのみならず、交響楽団の演奏の録音まで実施している。
すごい資料である。
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by noanoa1970 | 2013-06-17 21:14 | DRAC | Comments(0)

ラヴェルのボレロの凄さとは。

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ボレロについてはいろいろ書いたことが有るが、つい先日ポール・パレーのマーキュリー復刻録音を聴いて、ここにあるのではないかという結論めいたものに達することとなった。

そのことは録音されたものを再生することで分かったのか、それとも生演奏だともっとわかるのかは知らない。
小生の場合、ポールパレーの録音を再生した時に新たに確認できたことであった。

第9曲目出特徴的なのはホルンのほかに、「ピッコロ」「チェレスタ」が登場し両者が調整の違う音を奏でるににもかかわらず、なぜか妙に調和していることだ。

もちろん演奏によって、たとえばブーレーズ盤ではお互いが分離独立したままの音楽になっているが、パレー盤ではそうではなく、ホルンも併せ三位一体となった和声を作ってる。
このことが録音技術因果関係があるのか、演奏がなせる技なのか、そのほかの要素なのかはわからない。
しかし小生が過去に何度も聞いた音盤の中で、この音盤によって思いを新たにしたことはまちがいのないことである。

ここでチェレスタが使われてることを知ったのは、2000年の、まだ掲示板華やかなりしころ、妙な音の響きが聴こえてきたので質問すると、すぐにHN「熊蔵」さんから「セレスタ」と回答があった。

セレスタって何だろうと考えて、ようやくチェレスタの仏語読みだとわかったという経験があり、そのころからこの箇所の音の混じり方が尋常ではないことに気がついてはいたのだった。

恐らく今ならこの箇所について書いた著述が有ることは容易に推測可能だし、音楽研究者にとっては結構なネタであると思う。
がしかし、そのような類の書物を呼んでから聞いたわけではなく、自分の耳が不自然の自然、混じり合えるはずのない調性の見事な・・・モアレにも似た響きの交わりを聴くと、ラヴェルは意識的にこのような手法をとったと、確信できてしまう。

しかも音楽理論や作曲技法優先ではなく、感性そのものからの発想に違いない・・・・そういうことを思わせてくれるほど、そしてそのことはその後の前衛音楽、表現主義的音楽、と比較しても勝るとも、劣ることはない。

音楽理論や音楽思想とはあまり関係のない世界であることもシンパシーを、感じられる所以だ。
ピッコロとチェレスタは平行調、すなわち反対側の道路を歩く、小津安二郎「晩春」の父と娘のように、どこまで行っても交わることがなく、当然その接点もない。
がしかし、耳にはそう聞こえなくて、織物同士が重なるときにおこる「モアレ」のように美しく響くのだから恐れ入ってしまうのは、小津安二郎「晩春」の最後の場面での父と娘のようにである。

ただし経験的には、どの指揮者演奏でもそれがわかるのではなく、小生の場合はポール・パレーによって強く気が付かされたという事になる。

録音されたもの、すなわち音盤の良さはそういうことを何度も聞いて確認できることだろう。
そういった音楽的な気づき体験は、小生の場合音盤を繰り返し聞いたことによるもの、あるいは同じ曲の違う演奏を聴いてみて体感したことばかりだ。

確かに演奏技術や生演奏の実況的なレポートなども、役には立つが、その楽曲に深く切り込んだり、いつもと違って聞こえるのはなぜかなどという点に立てば、上記のようなことが発見できるチャンスは、広がるのだろう。

演奏会で感動したというのも悪くはないし、それはなぜかという事には少々乏しくてもよいような気はするがしかし、感動の要因をみうから探る必要があるのだと小生は思っている。

「行列してようやく食べることができたラーメン」のような批評や感想は頂けない。
しかしそのほうが、やろうと思えば追体験可能だからまだましである。

今ではそのことについての音楽研究所も出ていると聞くが、最初の疑問が今から約45年前の事、ベト9・・・4楽章のバリトンの歌い方の違いが何故かという事であったことを付け加えておきたいと思います。
その昔ならば第9は、2枚組ばかりだったのでそうやすやすと買えるものではなかったが、カラヤン盤が1枚で出た時に、其れまで聞いていたコンヴィチュニー盤と違うので、なぜかと思ったことにある。
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by noanoa1970 | 2013-06-17 20:35 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

MERIDIAN 207mkII復活

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117V昇圧トランス兼アイソレーターが壊れて修理ができないので使えなくなっていた1980年代のCDPを復活させた。
方法は117V用の昇圧トランスをかませるだけのこと。
このCDPは音質がアナログに近いといって、今でも愛好者が多い。
オークションや中古で出品されても直ぐに買い手がつく数少ないCDPだ。
解説では音質も音の良さも何もわからないが、フィリップスのDACとスイングアーム式読み取りがよいらしい。プリアンプとしても使用可能だが、フォノイコライザーは別売りだったので、CDPとしてだけの活用となる。
現在このCDPを中心に視聴中。
ライントランスは必用ないが、あれば正相逆相を一瞬で入れ替えできるが、接続しなおすか否か迷い中。
動作は国産のCDPとは全く違う。
http://www.youtube.com/watch?v=r-s95YgURNg

MERIDIAN 207mkII\345,000(1988年頃)
解説
CDトランスポート部とエレクトロニクス部を分離独立させ、電気的・音響的アイソレートを行うことでより高純度な再生を図ったCDプレイヤー

CDトランスポート部では、高精度ピックアップを中心としたメカニズム部と新開発のサーボ部を、3ポイント・サスペンションシステムによって堅牢なダイキャストシャーシ内にフローティングさせています。
これにより外部振動やアコースティック・フィードバックによる影響を徹底的に排除しています。

エレクトロニクス部では、デジタル部やアナログ部など各回路段の合理的なレイアウトと、それらの相互干渉による音質劣化を防ぐシールド対策、強力な電源部を搭載することにより、より忠実な信号伝送を追及しています。
さらに、フォノ入力(別売フォノモジュール使用)、ライン入力、テープ入出力端子、加えて64ステップ電子ボリュームを持つコントロールアンプ機能と可変出力端子も搭載しています。

ほとんどのスイッチが基本/補完のオルタネート機能を持ち、ディスプレイ部では一般的なディスク情報だけではなく、エラーコレクションやアブソリュートフェイズも表示します。

別売りフォノモジュールはMM/MC切替え可能です。

別売りでネットワークケーブルPリードがあり、207mkIIとプリアンプ201やFMチューナー204とを相互に接続し、メモリー機能やタイマー機能などを操作できます。

型式CDプレイヤー
D/Aコンバーター16ビット・4倍オーバーサンプリング
出力レベル/インピーダンス固定:300mV/12Ω
可変:最大600mV/60Ω
テープ:300mV/470Ω
ヘッドホン:最大60mV/60Ω
歪率0.004%以下
SN比90dB以上
外形寸法(両ユニット)幅160×高さ100×奥行320mm
重量(両ユニット)8.5kg
別売フォノモジュール PM207(\35,000)
ネットワークケーブル Pリード(\2,000) 

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by noanoa1970 | 2013-06-16 22:22 | オーディオ | Comments(0)

DRAC興亡史番外編

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OB会の席で、ある1年後輩のs村君が小生に手渡した本があった。
この本の編集の仕事をしたという。
本業は表具師で、著名な神社仏閣のお宝を補修しているという。
彼は1968年から1971年ごろまで、DRACの上部団体、文化団体連盟本部で活躍していた男だ。
彼とは音楽以外の事でも共通するようなところがあり、それでこの本を小生に手渡したのだろう。

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前書きを読み、本文の最初を見た時、我ながら驚いた。
何をかいわんや、同志社大学学生新聞を復刊したのは小生と2年先輩(留年)、そしていずれもがDRAC出身で、新聞発行不慣れのため、京都大学の新聞にかかわっていた人間にアシストしてもらい、つぶれた新聞局立て直し、第1号を発刊したからだ。

大阪の福島区の印刷会社だった。
新聞を印刷してもらうために原稿をもって通い、ゲラ刷り待ちして校正手直し、長時間かかってようやく完成した新聞を車に積んで帰ってきた覚えがある。

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バリケードストライキの中でサークル活動を実施していたものの、1971年は事実上DRACが解散をした年でもあった。
そんな時に現在行方知れずの先輩のO田氏から新聞局再興の手伝いをしないかと誘われてやったのが、この本の冒頭に書かれてある復刊第1号だった。前自治会委員長の、矢谷氏の置き土産の文章を主として掲載、小生は中でカンジンスキーの「青騎士」と一緒にあった「DAS WORT」=「言葉」を引用してのコラムを担当し、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画「ザブリンスキー」の映画評を書いた記憶がある。
ピンクフロイドはその時に知ったロックバンドであった。

復刻第1号の学生新聞は小生も所有してないが、「同支社の栞」という書物中にあるはずだと思うので、何とか探してみるつもりだ。途中で去って行った人間も学生運動の渦中にあった人間も、サークル解体後自己の活路を違う方向に求めた人間も、OB会で一堂に会して音楽談義をするのもよいが、あの激動の大学時代のことは誰も黙して語らない。

そんな中で、懐かしさを思い出す出来事がこの1冊の本を手渡された時から始まった。
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by noanoa1970 | 2013-06-16 19:20 | DRAC | Comments(0)

DRAC興亡史番外編1950年3月1日

小生も初めて知ったことで驚いたが、大先輩がDRACのルーツを簡潔にお纏めいただいた文章を掲載する。
DRACの誕生が昭和25年とは・・・・・・
昭和25年6月1日、今出川幼稚園にて30数名の参加で発足したと書かれてある。
以下のことからもわかるように、すでにこのころから「レコードコンサート」はもちろん、「交響楽団の演奏自主録音もおやりになられていたことに驚く。
伊福部 昭はやはり「ゴジラ」映画の影響なのかと思ったが。
いや交響譚詩は1947年、ゴジラは1954年だから、ゴジラとは関係無く、其れよりも早い時期に取り上げていただいたことになる。

追記
伊福部の「交響譚詩」はコープランドが演奏したいと言ってきた作品でもあったので、両者を並べてのコンサートは特別な意味を持つものでsる。
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by noanoa1970 | 2013-06-16 19:13 | DRAC | Comments(0)

OB会開催前のキャンパスツアー待ち合わせ風景。

DRAC: Doshisha University Recorded Mujic Appreciation Clubの第19回OB会が開催された。
fbを通じて知り合った後輩のお二人もその前に行われたキャンパスツアーに参加していただいた。
今TVでおなじみの「八重の桜」の影響で、館内の一部は会津から持ってきたという八重ゆかりの品々や写真屏風、書などが展覧してあり、一般の人でにぎわっていました。
八重が使ったとされる本物のゲベール銃が意外に長いので驚きました。
最後の写真は、記念の同志社Goods、同志社カラー紫紺色のトートバッグを手にした初参加されたDRAC80年代の後輩、TさんとSさんそれに小生、同期のH氏。
待ち合わせ場所、A明徳館1Fチャオプレッソにて。
集まった人たちの写真とともに。
懇親会の写真は誰かがUPしてくれることを願う。
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by noanoa1970 | 2013-06-16 19:06 | DRAC | Comments(0)

知られざる演奏家のチャイコフスキー5番

最近でこそこの人の名前を知ってる方も少しは増えたようだが、1960年代初期に熱心な音楽愛好家であった人意外はその名前は知らないといってよいだろう。
小生も偶然クラシック全集にソの名前があったので知ったのだが、どうせ三流の指揮者だと勝手に思っていた。トスカニーニ、ワルター、フルヴェン、カラヤン、追ってライナー、セル、ベームの時代だったからそれ以外はみな三流なのだ。
その中には最も気に入っている指揮者コンヴィチュニーのベートーヴェンもあった。

さてチャイコフスキーの作品は、熱愛者とそうでない人に二分されるようだ。
学生時代の音楽サークルでは、毛嫌いする人間とそうでない人間がいた。
その理由は恐らく、どの曲を聴いても、聞く人に媚びを売るかのような甘い旋律と、見せかけの威勢良さなんだろうと思うことがある。

ベートーヴェンの5番と比べるのは無理があるが、同じ「動機」を使っているから、それは比較される運命にあるのだろう。

今日は、ふだんあまり聴かないが、超有名なチャイコフスキーの5番の交響曲を選択した。
誰の演奏でも良かったのだが、生まれて初めて全曲を聞くことになった演奏をチョイスしてみた。

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大昔LPで聴いていたものが、近年CD復刻されたものだが、この指揮者の名は殆ど知られてない。
録音データがその昔は全くなかったが、復刻されたものは、かなり多くの情報が記載された。
レオポルド・ルートヴィヒ指揮、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年ハンブルク・クルトゥアラウム
原盤はオイロディスクで、60年にしては多くないステレオ録音である。

5番の交響曲(チャイ5)には、名演と言われるものが多数存在し、歴代の指揮者でこの曲を振ってない人はいないぐらいで、かのフルトヴェングラーでさえ降っているし、ストコフスキー、ムラヴィンスキー、カラヤンにいたってはかなりの数の録音を残している。
従って全ての録音を収集するのは困難なぐらいである。
多分視聴者受けするのだろうことは、推測可能だし指揮者による、あるいは同じ指揮者でも違う表情を見せることができる曲だからなのか、マニアックな好事家の中に、チャイ5ばかり収集している人もWEBで見かける。

小生のようなひねくれ者は、いつでも入手できそうな、いわゆる名演と呼ばれるものは避けたくなるのがいつものこと。

チャイ5は、フランツ・コンヴィチュニーを主に、レオポルド・ルートビッヒで聴いてきた。
「運命の動機」で始まり、その動機はいたるところで姿形を換えて登場するから、ベートーヴェンの5番の演奏のように色付けなどは不必要、甘ったるい感傷などもってのほか・・・いや、そう言う演奏はゴメンだといったほうが正しいかもしれないから、二人の演奏は満足度が高い。

幸いチャイ5は、早い時期に数少なくして自分好みの演奏にあたったから、何十種類も在庫を持つ必要がなかった、そういう意味でラッキーであったし、そもそもそんなに好きな曲でもないから、これで満足していると言ったほうが良いのだろう。

偶然だろうが、小生好みのチャイ5の演奏、コンヴィチュニーとルートビッヒには類稀な共通点があることが解って驚いてしまった。
それは、生まれがほぼ同じであり、両者ともモラヴィア出身、歌劇場で叩き上げた指揮者であり、職人気質な芸風であること、活躍の割に残された音源が少ないことなどだ。
さらに何れも目立つような指揮ぶりではないが、曲全体の構成から隅々を見ていくといった手法が類似していること、演奏することに対する意志の強さが伝わってくること。
逆に言えば、派手さがなく大向こうを唸らせるような大見得などは無い。
アゴーギグはここぞに絞り込み、ゆっくりめのインテンポで指揮をすることが多い。

コンヴィチュニーは、出来不出来が有る指揮者だが、特にライブでの、出来が良い時の演奏は、他者を寄せ付けない気迫と集中力・・・音魂がある。
一方ルートビッヒは、ブラ1、チャイ6、ベト9でも、実に堅固で乱れのない着実な演奏を残した。

彼らへのオケの信頼度が伝わってくるようだが、コンヴィチュニーが私生活においても、団員と交流が多かったという以外の情報はない。

寝聴きしていたのだが、これでは失礼とばかり、起き上がって再度聞くことにした。
チャイコフスキーの音楽上の弱点、泣き節といつまでも続く未練、浅ましさと弱さ、それをおい隠すような強がりの咆哮に辟易している人は、コンヴィチュニーとルートビッヒ盤は良い回復剤になるに違いない。
特にルートビッヒ盤は、ステレオ録音リマスター処理でかなり良い音質だ。

この音盤には、トーマス・シャーマンと言うアメリカの若手指揮者の「イタリア奇想曲」がカップリングされている。
面白い試みは感じられるが、これといった評価のつけにくい演奏で、オケに多くを救われたような演奏である。
ただでさえそう見えることが多いチャイコフスキーを、特価の見切り商品のように安っぽくしてしまった。
同じオケでも、指揮者によって出る極端な違いが面白い。
ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団の腕前は素晴らしく、ルートビッヒとの集中度は最初から最後まで途切れない。

大げさな表現になるが、50年代中後半から60年代初期の演奏家は、いずれも全身全霊をかけているというような録音が多いのはなぜだろうか。
多分そういう録音しか世に出さなかったという一種の良質なフィルター機能が働いていたのだろう。

近年の大物指揮者のどれもが、名ばかりの評価の割に、音楽の中に意思が見られないのはなぜだろう。
贅沢に甘んじているからなのか、演奏家もサラリーマン化してしまった・・・そんなことはないと思うが。
何でもかんでもCD化して発売するわけだから良作も駄作もあって当然といえば当然なのだろう。

演奏することの意味合いが変化してきたのだろうか。
実の力とは関係なく、マスコミなどの持ち上げ方で、マエストロやヴィルトゥオーソが誕生してしまい、評論する側の権威や力も弱体化したせいなのか。
聴取側に目利きが少なくなったからなのか。
クラシック音楽に求めるものが大きく変化したせいなのか。

「売れること」前提だから、しかたがないとは思うが、それならばそれで大衆芸能と同じになると良いが、決してそうはならないのがクラシック音楽。

3分程度の曲を聞くのに慣れてしまった耳には長すぎるし、器楽演奏が多く、歌曲があっても外国語だからなにを言ってるかわからないのも、それを助長するのだろう。

fbをやっているが、昔は聴取側は、ジャンル分けの中に存在していた、・・・俺はJAZZしか聴かない、とかロック命という具合だったのが、最近はジャンルを問わない聴取者が多くなったのか、音楽の垣根が壊れ、耳もそれに馴染んだのか、広く浅く音楽を摂取する人や、時代の先端を走っているように見える人物の影響で、彼らが日常聞いたというものや、文章にしたものを自分も聞こうとする追従体験者が増えたように思うことがある。

ほとんどがWEBで、その音楽のエキスを瞬間的に見聞きできるから、それで満足しているのかもしれない。
しかし同じ曲を聞けば、情報を与えてくれた人と同じ音楽体験が出来たと錯覚している人間が多いように思う。

音楽には聴き方というものがあるのは確かだが、それは誰かから教わって身につくものでなく、自分自身で身につけるものだから。毎日の自然の訓練を続けると耳が開けたような瞬間が数多く発見できる。

イケメンピアニストや美形女流ヴァイオリニストがやたら目立つこのごろであるが、目立ち方が質素な中にも素晴らしい演奏を聞かせる人もある。

コンサートでも音盤でも、こうなると当りくじのような様相を帯びる。
当り・・・の演奏録音はそうすやすと手には入らなくなった。

生であれば其れが無いかといえば同様に存在するのではないだろうか。
CDの評価などを見ることがあるが、どうしても大手CDショップの影響下にあることが多いようだ。
影響下といったのは選択肢のことで、直ぐに廃盤そして復刻をくり返し中には廃盤のままのものも多い。

そういう中でヴィンテージ復刻とされるシリーズは小生には非常にありがたいもの。
「塔」というニックネームの大手ショップは自社で復刻発売しているが、そういう中に優れた演奏録音は多い。

レオポルド・ルートビッヒもその中の1人で、チャイコは5.6番、そしてベト9も世界初出である。
売れるか売れないかは大きな課題であるのは承知であるが、これらの企画を今後も続けていただきたい。

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by noanoa1970 | 2013-06-12 19:02 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

遊的歌劇特徴表現之事

FBフレンドのSさんが面白いことを思いついたので、小生も乗って遊んでみた。
以外に長く続いていて、内容の噛み砕き手腕に溢れるものだが、お遊び感覚でこういうことをやるのも面白い。

SWはFBフレンド、SOは小生。
完全にSWさんのほうがすごい!

始まりはSWさんの以下のもの。

ふと思いついた。『カルメン』⇒『若侍名残之徒花』

お返しとばかりうに考えたのがこれ、そこから長々と続くこととなった。
SO 『椿姫』⇒『董姫悲恋之道行』

SW 『アイーダ』⇒『心中埃及之闇牢』

SO 『ノルマ』⇒『異教徒恋愛破局物語』・・・こちらか「宗教是没有爱」

SW 『セヴィリアの理髪師』⇒『髪結狂言恋之駆引』

SO どうしても負けるぞ。なんとかがんばらにゃ。時間が必要。

SW こなすべきノルマがありますね。

SO 『魔笛』⇒『悪之正、正之悪観客騙之笛吹小僧』

SO Divaでもノルマと夜の女王では
大違い。

SW 『パルシファル』⇒『耶蘇奇譚杯之呪返』

SO 『サロメ』⇒『異教徒預言者猟奇的崇拝之王女』

SO 『ローエングリン』⇒『姉弟跡目相続闘争耶蘇介入之事』

SW 『奥様女中』⇒『小女出世玉輿之段』

SO こいつは参った、降参です。!
昔の事この脚本を頼まれて書いたことが有りました。
落語のしゃベリをベスポーネ役にし顛末を分かりやすく伝えようとしました。
前口上に上の文章がそのままつかえます。

SW 『小女出世玉輿之段』は、幕間狂言ですね。

SO 『ペレアスとメリザンド』⇒『横恋慕弟殺之成行』

SO 落ちがあるとみてよい、オペラブッファという事と、無言のベスポーナが影の主人公であるという設定にしたかったのでした。狂言とは言いえて妙。仕組んだのはベスポーネ。

SW 『ニーベルングの指環』⇒『天上天下四夜之呪詛』
序夜 「金盗人呪詛之段」
二夜 「姫神落魄之段」
三夜 「阿呆男得恋之段」
四夜 「天神城焼討之段」

SO 参りました。指輪何とかしてやろうと思いましたが、あきらめたところだった。

SW 『オテロ』⇒『妻殺嫉妬之地獄』

SW 『オルフェオとエウリディーチェ』⇒『黄泉国奇譚 冥途之夫婦』

SO 『ピーターグライムズ』⇒『漁師村八分少年愛之悲劇』

SO 『彷徨えるオランダ人』⇒『幽霊船長好変態女貞節明地獄絵図』

SO 『タンホイザー』⇒『優柔不断風俗愛好者覚醒之成行』

SW 『リゴレット』⇒『道化師無残乱行之公爵』

SW 『イル・トロヴァトーレ』⇒『怪談妖婆呪之火刑』

SW 『カヴァレリア・ルスティカーナ』⇒『田舎男不義之代償』

SO 『カルメル葉修道女の対話』⇒『借革命修道女斬首大衆観取悲劇』

SW『フィデリオ』⇒『貞女鑑懲悪之牢獄』

SW 『ドン・ジョヴァンニ』⇒『一聴驚嘆 因果之魔像』

SO 『魔弾の射手』⇒『友人誤射殺人男掴幸』

SO 『ヴォツェック』⇒『意味不明下級陸軍兵情婦殺人事件』

SW 『フィガロの結婚』⇒『好色伯恋之乱痴気』

SO 『イーゴリ公』⇒『色仕掛偽無謀英雄戻故郷』

SW 『ランメルモールのルチア』⇒『美姫狂乱御家之仇敵』

SW 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』⇒『独逸徒弟愛之歌合戦』

SW 『ファルスタッフ』⇒『呵呵大笑老恋之腹鼓』

SO 『トロイ人』⇒『潜木馬兵士惨殺トロイ人復讐之巻』・・・・長大倭愚名超

SO 幕間休憩

征矢野 治憲 『子供と呪文」⇒『反抗少年悪夢的逆苛回心』
7時間前 · いいね! · 1

SO 『スペインの時計』⇒『時計屋浮気女房堕落絵図』

SO 『アッシャー家の崩壊』⇒『兄妹相姦名門家系崩壊奇譚』

SW 『ナブッコ』⇒『暴虐王帰依猶太教之事』

SW 『蝶々夫人』⇒『異人無情貞女自害之事』

SW 『トスカ』⇒『歌姫絶叫邪恋之姦計』

SW『こうもり』⇒『不埒三昧笑之顛末』

まだまだ続くかも・・・・

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by noanoa1970 | 2013-06-11 18:25 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

DRAC興亡史番外編1967機関誌より

6月15日はDRAC-OB会が開催される。
その前に小生と同期で現在同志社大学文学部教授の石坂君が、キャンパス案内ツアーをやってくれるとのことだ。
忙しいだろう身にもかかわらず時間を割いていただけることに感謝しなければならない。
彼とは非常に親しい間ではなかったにしろ、下宿の行き来はたまにあったりした。
下宿では、ブラームスの室内楽を聞かされた記憶がある。
サークル内でも1回生当時から音楽そのものをかなり聴いていた人間であった。
今話すと一番面白い人間であると小生は思っているのだが、以前「君とはジックリ話したい」といっていたので、彼もまんざらではないようだ。

彼は2回生の時にロマン派音楽Gリーダーをやったが、1回生の時にすでにその素地があって、機関誌には論文とみてもよいぐらいの文章を投稿していた。

思慮深い男…それが小生の印象だ。
先日発見した機関誌DRAC16号…1967年発行、に特別寄稿文を投稿した文章があって読み返してみた。

小生も寄稿したのだが、社会学「ジルバーマン」の「音楽はいずこへ」を読んでエキスを抽出したに過ぎなかったのに対し、彼は、多くの文献を当たって長大な論文を書き上げ、其の頁数はB5班25頁にも及ぶものとなった。

当時その中身についての会話は知る限りほとんどなかったのは、内容が難しすぎたのか、不得意ジャンルであったからだろうか。
おそらく、グループの分け方は音楽史に基づいていたから、ほかのジャンルには興味をもてない、自分のハエを追い払うのに精いっぱいだったのだろう。

「二次派の新音楽・後期ロマン派への疑問と考察」と題し、主眼は彼がその当時最も好きだったと思われるブラームスとマーラーをキーファクターとし、いわゆる後期ロマン派とはなんであるのかという視点からの文章である。極端に言えばブラームスは復古主義とか形式主義者とか言われるようなものではない…そういうことをいいたかったのだとも読み取れる。

マーラーについての考察もなかなかのものだと思うが今回は割愛する。

いま読み返せば、ロマン主義あるいはロマン派、と二次派の音楽の規定がやや甘いところがあるにしても、大学1回生でこれだけの文章が書けるというのは、文才ともいえるが、やはり音楽そのものを聴き込んでいたことだろう。

聴きこまなければそれを言葉にはできないが、ながら聴きのように、聴いていてなくても言葉にはできる。
その違いは文章に表れるものだ。
テーマをもちながら音楽を聴くのと、聴いて楽しめばよいという者とは帰結が違ってくるものだ。

その中の一部をここに掲載し、こういう努力の積み重ねの結果、彼が今教授という立場にあるという事も認識していただけければと思う次第。

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by noanoa1970 | 2013-06-10 20:26 | DRAC興亡史 | Comments(2)