<   2013年 01月 ( 33 )   > この月の画像一覧

アームの調整でここまで分かるように

1971年大晦日、浅川マキの紀伊国屋ホールライブ録音。
終盤近くなり、浅川が客に時間を訊いているシーンで、「今何時(客が時間を言う)、20分過ぎたの、72年はいい年じゃないなー」という声が以前は、「来年はいい年じゃないなー」に聞こえた。
ナナジュウニネンのジュウニが詰まっているからがライネンに聞こえたというわけだ。
しかし調整後ははっきりと「72年は」と聞こえるから、このライブが71年だと分かる。

オイルダンプ用のオイルを交換しただけで、車と同じでエンジンの調子がよくなったのだろう。
おまけに厳冬期だから、粘度が上がるのと古くなったことで相当ダンプ量が増して、ぎしぎしという声が聞こえそうになるぐらいになっていたものと思われる。
カートリッジの左右の追従性、バランス対応が敏速になったせいで、いぜんよりも感度が上がったことによるのだと考えられる。
同じ針圧をかけても心なしか、軽くなったように感じる。

曲は、ロッド・スチュワートが歌ってヒットした「ガソリンアレイ」を浅川が日本語の詩にして歌ったもの。


[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-30 18:51 | オーディオ | Comments(4)

矢代秋雄「交響曲」

UPだけします。
なかなかよいと思います。

[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-29 15:54 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

古いレコードレーベル

d0063263_11183672.jpg

コンサートホールソサエティのレーベル。
ハンス・スワロフスキーがウイーン國立歌劇場管を振ったシュトラウスのワルツ、ポルカ集。
天体の音楽、朝の新聞、憂いなし、など最初に聞くようなものは収録されてないところに、こだわり感が有る。
ジャケットにはfullSTEREOのシールガ貼り付けてある。レーベルにはSTEREOと書いてあるが、どう聴いてもモノーラルにしか聞こえない。
恐らくジャケットはモノーラル用を使い、STEREOのシールを貼ったのだろう。
こういういい加減さとおおらかさが今では懐かしい。
d0063263_1182920.jpg


変わってこれはDGの初期のレーベル、チューリップレーベルと言われているもの。
ケンペンとケンプという、よく似た名前の指揮者とピアニストのベートーヴェン3番の協奏曲。
1953年録音で、このレコードは、50年代後期頃に発売されたものだろう。
当然モノーラルだ。
雑音は多くなってしまったが、しかし音質がよくケンプも絶頂期だ。
CD復刻されているから、入手したいものだ。
d0063263_118487.jpg


DG1968年発売のヨッフムのカルミーナブラーナ。
名盤と言われているもの。
しかし小生はディスカウの声が気に入ってないので、デ・ブルゴス盤ガ好み。
この時代まではチューリップレーベルだったということがわかる。
またこのレコードは見本盤だ。
1967年にオルフを聴いていたのは小生だけ、他のサークル員は多分名前さえ聴いたことがなかったと思われ、レコード会社から提供された音盤が、小生のもとに来ることとなった。
見本盤だけにレーベルが白い。
d0063263_118287.jpg


80年代のDGレーベルは、先代に比べ品がないし、レコードもペラペラで、重量も3分の2ぐらいになっただろう、先代のフラット盤ではなくなってしまった。
d0063263_11315099.jpg



[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-28 11:22 | クラシック | Comments(2)

AC-3000MCのメンテナンス

小生が長年使用してきたレコードプレーヤーはMICRO、SX-111FV、アームは、オーディオクラフトオ社のAC-3000MCである。
ターンテーブルはレコード自動吸着システム付きなので、レコードが反っていてもテーブル面にきちんと張り付くから、アームが上下することは殆ど無い。

しかしこのアームは1点支持のオイルダンプ型だから、内部にオイルが入っていてオイルでダンプすることが必要。
しかしいかにシリコンオイルとはいえ、徐々に劣化していくので、その悪さ加減は耳になかなか伝わってこない。
だから定期交換が必要なのだが、先回交換してから既に15年位上立つ。
これではなにがあってもおかしくはないし、寒い時期はオイルの粘度が高くなるから音への影響は有るはず。

それで探しまくった挙句ようやくオイルと注入用のポンプを発見したので、作業に取り掛かった。
普段やってないものは忘れるもので、半分しか覚えてなく、操作とメンテナンスのマニュアルを探しす羽目となった。

ねじ類が非情に細かく、オイルの量も決まってるし、オイルの抜き取りはどうするのだろうと説明書を見ると、ガーゼ類で拭えとあった。
しかし、今はそれに代わるいいものが有る、綿棒だ、これならオイルに繊維が付着することもない。

それを使い丁寧にオイルを除去し、新しいオイルを注入。
よく見るとポンプに規定量を示す赤い線がついていた。

中蓋の細かいネジを3つ再装着し、ダンプ量を可変するための蓋を取り付けて、30分ほど待ってから昨日聴いた音盤を聴いてみた。

音盤はカールリヒター&ミュンヘンバッハ管のモツレク。
先日聞いた時には、再発盤らしく音に精彩を欠いたものに聞こえたが、なんとなんと・・・・

オイル交換しただけで、ガラット変わり、より声の響きがリアルなのに驚きたまげてしまった。
まだインサイドフォースキャンセラー、ラテラルバランスは完全調整になってないが、カートリッジとレコード面の水平は調整済み。

後は微調整だが、ピッタリになれば、どんなに素晴らしくなるかが楽しみ。
今のままでひょっとしたら調整が取れてるのかもしれない。

カートリッジを変えてみようという気には慣れないような音が蘇ることになった。
これだけの音質なら、当分DL-103で良いだろう。
d0063263_14315693.jpg

d0063263_14302725.jpg

d0063263_14302423.jpg

d0063263_14302176.jpg

[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-27 14:33 | オーディオ | Comments(6)

矢代秋雄「ピアノ協奏曲」岩城、N響、中村紘子

いずれUPするつもりだった曲だが、ブログ盟友HABABIiさんが最近聞いている曲としてブログに書いていたので、急きょupすることにした。
というのはこの曲は中村紘子が数回録音しているし、NAXOSからも出ている人気の割と高い曲で、演奏の違いもわかるであろうということからである。

まずは仮定から初めて恐縮だが、この曲の冒頭から出るピアノの主題らしきフレーズは、ドヴォルザークのレクイエムの冒頭あるいはドヴォルザークが引用した、バッハのロ短調ミサ「Kyrie eleison」第3曲の引用ではないだろうか。
間宮芳生のvn協奏曲と同様今までかなり聞いてきて、上記の音型とピッタリ一致していることに気がつく事になった。
しかしこのことについて今だかって誰も記述したことがない。

一見非日本的な音楽に聞こえるかもしれないのは、冒頭の主題がバッハの引用だからであろう。
執拗なまでにこのフレーズは、逆になったりしながら姿を変化させるが、楽章を通じ最後までついてくるのである。

小生の仮説は、この曲を矢代の「レクイエム」であり、それは、非日本的な音楽の中に、隠せ切れない日本があリ「声」がある、しかし矢代は弦楽四重奏曲(1955年)交響曲(1958年)チェロ協奏曲(1960年)ピアノ・ソナタ(1961年)を経て、いわば中休み的な期間をおいて、ピアノ協奏曲(1967年)に彼の音楽を凝縮した。
その間には特別これといった作品は書いてない。
この6年間の空白はなにを物語るのかはわかるべくもないが、ピアノ協奏曲の狙い目的の1つは、それまでの自身の音楽への決別であり、「声」だとか「日本風」からの決別、言い換えれば過去の音楽、言葉を変えれば、日本的なる物の追求という考え方に対する「レクイエム」であろう。

ただ誤解があってはいけないので、あえて言うならば、このピアノ協奏曲にも民謡か童謡のおたまじゃくしを取り出して組み合わせたようなところが度々見られるのは、どんなにしたって、日本人の血脈は切ることが出来ないという証なのであろうことを思うものだ。
ピアノソナタは次回UP予定だが、変化の軌跡を聞くと面白いと思う。

ある音楽評論家は「アールヌーヴォー」とこの曲を関連付けた著述をしているが、小生は概念的誘導に寄る「こじつけ」で、音楽そのものがきちんと聴かれてない証拠と観てしまう。

音は直線的かつ切れ味があって鋭い、これは中村の演奏スタイルにもよると思うが、それにしても曲想と「アールヌーヴォー」は隔たりがありすぎだ。

あえて言うのなら「アールデコ」の方が親しいが、それでもそう言う例えができるような類似性は見ることは困難であり、あえてあえて言えば、昭和初期あたりの和風の家の中の応接室と言う感じで、其の空間だけが唯一西洋を感じるが、同時にそれになりきれない、和洋折衷の空間のようだとあえて言うのならそうなる。
東郷 青児の書いた女生のレプリカがかかっていた祖父の家の応接室が思い出される。

もし遠山が、アールヌーヴォーとジャポニズムの関連を念頭に置いていた発言であれば、彼はこの曲の中に「日本的なもの」を感じていたと観て良いとは思う。
しかし其のことに対する言及はなく、いきなりのアールヌーヴォーだったことは物足りなさを覚えてしまった。。

何れにしても曲の印象度は相当高く、これも冒頭のピアノのフレーズによるところがおおきい。


[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-25 13:47 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

ラリーコリエルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」他

この曲は様々なジャンル、様々な編曲で、色んな所で聴こえてくるが、非クラシック系では一番好きな演奏。
エレアコだと思うが、独特のギターの音色が風情を醸しだす。
ハーモニクス奏法がいたるところで使われて、幻想的な雰囲気をお織りなす。

「オレゴン」という自然派バンドにコリエルが参加して、作られたアルバムに収録されている。

大手CDショップのコメントによれば、
『1960年代後半にポール・ウインターを中心に結成されたウインター・コンソートの4人のメンバーによって、1970年に結成されたバンド。メンバーはラルフ・タウナー、グレン・ムーア、ポール・マッキャンドレス、コリン・ウォルコットの4名。電化サウンドの台頭した時代ではあったが、アコースティック・サウンドにこだわり、クラシックの手法にジャズだけでなく、インド音楽などさまざまな要素を取り入れた。』

小生はウインターコンソート時代の「イカロス」という曲も好きである。
ただし時間がなかったので、これは自分のUPではない。

これがラヴェルをコリエルが単独演奏したもの。
ボリュームをあげて聴いてみてください。音の揺れは楽器なのか、レコード盤によるものかはよくわかりませんが。

[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-23 19:51 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

変化球でも

d0063263_16303652.jpg

モーツァルトとほぼ同時代のチェコの作曲家 、ヴァーツラフ・ヴィンツェンツ・マシェク(1755-1831)

チェコのこの時代は、ハプスブルグ王朝の文化が流入した時代だったのだろう。

マシェクはモーツァルトをかなり意識した音楽を作っているが、グラスハーモニカをメインにした曲を数曲書いている。
今日はその1つ、グラス・ハーモニカのためのモデラートとカンタービレを。
聴いていて気持ちが悪くなる人、天国的幻想的な気分になる人さまざまであろう。

弦のフジオレットのような倍音成分だらけのだ。


[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-22 16:52 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

間宮芳生vn協奏曲1959

この曲は小生が最も多く聞いてきた邦人作曲家の作品だ。
間宮さんといえば、先の「合唱のためのコンポジション」が代表するように、どちらかと言えば、「声」にこだわりを持った人である。

このことを間宮自身がこう語っている。

「私は、このところ特に、言葉を持った音楽を書くことに、強い意志を感じるようになってきた。
それは、単純に言えば、器楽のみではじつに頼りなく、じれったいということであり、音ではなく、言葉でいいたきことが、私にはたくさんあるから・・・・」

「それは、日本語を、その言語生活に密着した所で、音楽化することによって、現代の音楽が持つ、専門的なわくから、音楽を解き放ちたいという希望であり、作曲家が、もっと具体的な問題について、社会に向かって発言する力を持ちたいとことである。
いわばバイオリン協奏曲は、其の事の反動であり、前のような姿勢に対して、他の要求が私の中にあるということを見出した結果の産物である。

現在の私は、それを捨てたい姿勢なのである。

そしてバイオリン協奏曲は、その捨て去りたい姿勢の精算として、わたしに受け止められ、有る特有の意味を持つことになったのである。」

1953年に林光・外山雄三とともに「山羊の会」を結成した意味は上記、「社会的発言」と関係がないわけではないと考えられる。

少々わかりにくい文章であるが、民謡やわらべうたなどを引用した日本語の歌曲を作ることが良いと思っていたし、其の理由もあってそうしてきたのだが、その経緯があって、今はそれに対する新たな欲求が生まれてきた。
バイオリン協奏曲はそう言う過去のやり方を一度清算し、新たな方法で音楽を作るための、つまり器楽によって表現できるということの試行であり、これによってそれまでの民謡の扱い方を、変えてみるということであろう。

しかし間宮は広い意味での民謡というものを「音」として扱ったよなところもあるので、清算とか、決別のように言わなくてもとは思うが、ここは彼の決意の表れと観てておこう。

民謡はやはり土着のママが良い。、それを、引用して、西洋音楽の土俵に持ってきても、端から勝負にならないばかりか、時には陳腐に写ってしまう、ということが身にしみてわかった結果が招いたとも考えられる。

間宮は悩み始めた、それは先の安倍幸明とは大きな違いで、彼の場合は古典的形式の上に、民謡ではなく自作の民謡風のものを併せ書いているから、その姿勢は生涯あまり変化がない。

間宮が着目したのは、ハンガリーのバルトーク・ベラの手法で、民謡の持つエネルギーはそれで尊重しつつ、それに依存するのではなく、素材としたところから別次元のエネルギー、民衆の生活の、あるいは生きる力なんというものとは関係のない、音楽的エネルギーを、生み出すという手法に着目し、模倣することになる。(俗に言うところの分解再構築手法)
しかしそれとて続くわけもなく、晩年には再び「声」の持つ音とエネルギーを再評価した音楽を書くことになる。

バイオリン協奏曲はバルトーク流の手法らしきものが聞き取れる。
しかし3楽章には明らかに童謡(わらべうた)らしきものがそのままの形で引用されるが、子供が歌いながら去っていくように終止していってしまう。
これを先の間宮の言葉、清算とか決別の象徴とする評論もあったと記憶するが、清算し決別しようとしても仕切れない間宮の葛藤の象徴と小生は思うことが有る。

清算とか決別といっても短絡的、短兵急的、革命的に出来ないというところに、日本人のそして間宮の人間性が有るような気がしてならない。


[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-21 11:42 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

安倍幸明、弦楽四重奏

池内友次郎が弦楽四重奏を作曲したのが1921年、戦争開始直後日本軍の活躍が目立つとき時であったが、安倍幸明の作品は1950年の曲である。
戦後5年、高度成長期直前のことだ。

この頃の文化状況は、1956年だったか「もはや戦後ではない」と言う言葉が象徴するように、日本が高度成長期に突入していこうとする始め、戦後失われてしまったかのような「日本的なるもの」を追求する国民主義的姿勢、それに対する言わば非民族主義的な考え方、グローバルな考え方が相対するかのようになってきた時代でもあった。

左翼的な考え方の持ち主は、民族主義国民楽派など戦争のに魚井が、しそうなものに対し、中味は全く吟味もしないで批判したのもこの時代。

主義思想で必ずしも結ばれたわけではないが、作曲家たちが「会」を結成し始めたのは、何か理由があるはずだが、ここではあえて触れないでおく。

しかし西欧の文化や技術を積極的に取り入れていく中、日本人のアイデンティティを何らかの形で探っていこうとする姿勢が多く見られたのは、50年以降60年代後半まで続くことになる。

どちらが先に脳裏にあったかは大した意味を持たないから省くが、
双方はそんなには違いはないようで、作品群にはそのことが密やかに隠れていることが、今あらためて聴いいてみるとわかるような気がする。

西欧音楽の基礎的知識を先達に学んだ戦後派の音楽の道は、模倣を完璧にこなすことが優先だった1昔前よりは、そうとう険しくなっていったと思われ、西欧の音楽の変化にともなって、先達では学べなかったことを補足するために留学するものが多かった。

ドイツ、フランス一辺倒で学んできたものの、其の枠組を出ないものだったのに対し、新しい留学組みは周辺の国家の音楽的特徴をも視野に入れたようで、今回の安倍幸明は其の最たるものであろうと考えれることが出来そうだ。

最も安倍幸明の場合は、クラウス・プリングスハイムという有能な人に教えてもらったことで、留学こそしなかったが、ワーグナー、R・シュトラウスあたりまでの和声法は身につけたと思われる。

そういった基礎を磨いて彼の場合は、西洋の古典的、新古典的和声に日本の伝統歌をポリフォニックに融合させることを考え実践し得意としたようだ。

曲想から考えると、ヨーロッパ中央というより周辺のスラブ諸国の音楽のような・・・チャイコ、ボロディン、ドヴォルザーク、スメタナなどの国民楽派の音楽を彷彿するような音楽が出来上がっていて、非情に馴染みやすく日本らしさも十分存在する音楽になっている。

同じようなアプローチの小山清茂さんは、
「珍奇を装い、先鋭を競う今の風潮にあって、ドッシリと腰の座ったハッタリのない音楽を書いた」
そして、彼のそう言う音楽性に変化はなく、生涯続いていったというようなことを書いている。

小山さんも同じような手法の作曲家だったから、自画自賛に置き換えられることもできようが、この作品7番の弦楽四重奏では、小山さんの言及、それはあたりだと思っている。

全20曲有る四重奏の中で安倍本人が最も気に入っているという7番。
こういうやさしく聞こえる曲、書けそうでなかなか書けないのではないだろうか。

先に指摘した様々な国民楽派的な音楽エキスは、多く導入されているが、とにかく聴いていてワクワクするような音楽である。
そして「あっ、やってるな」と微笑んでしまうところも多いが、それが鼻につかないように仕上がってるのは、日本的土壌が再育成されつつある証拠であろう。


[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-20 17:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

池内友次郎、弦楽四重奏「プレリュードとフーガ」

本日は多忙のため、これをUPするにとどまってしまいます。
追って何か書く予定です。

池辺友次郎は山田より20年後に生まれている。
山田がドイツ留学をしたのに対し、最初のフランス留学組みの重鎮である。
しかも、山田が三年しか留学してないにもかかわらず、10年間の長きに渡りパリ音楽院で学んだ。

俳人・高浜虚子の次男であるという情報は、1960年代中頃にはどこにも記されてなく、最初に出たこの「日本の弦楽四重奏曲」のプロフィールにも書いてなかった。

音楽とは関係のない話なので必要がないというえばそうなのだが、彼は俳句もこなしたそうであるらしいから、何らかの形で作品には関係性があるものと思われる。

俳句のことはよく知らないのだが、季語の持つ奥深さ、五七五と言う形式にこだわったところ、
の言葉の奥にあるものの表現無くしては成り立たないであろうことは、この時代の作曲に通じるところ多いとみて良いかもしれない。
俳句は感性が形式の中に横溢されるものと言ウノは、あながち間違ってはいまい。

池内がフランスで接したのは、恐らくこの曲からすると、印象派やラヴェルのみならず、彼らよりも少し古い、例えばサン=サーンス、フランク、フォーレあたりもそうではなかったかということを想像させる。
新古典主義といわれるもの、印象派象徴主義を学ぶ機会は多かったに違いない。

1927から1937というとフランス近代音楽の花が素晴らしく咲き出す時期で「六人組」の時代と大いにかぶる。
他の作品を聞かないでは一概に言えはしないが、この曲の持つものは、フランス前近代の音楽との類似点が多い。
半音階的和声、循環形式、対位法を上手く取り込んだ曲であるが、そこはかとないロマン的情緒が漂う曲で、やはり印象派以後ではなくそれ以前の名残が強いようだ。
フォーレの「夢の後に」を彷彿させるようなところも確かにある。

全貌を網羅して聞かずに言うのはいけないことと承知であえて言えば、彼の門下生には、小倉朗、別宮貞雄、松村禎三、黛敏郎、間宮芳生、林光、矢代秋雄、三善晃などがいるが、彼らの音楽にはフランス音楽以外の影響が強いと思うものが有る。

推測で申し訳ないが、池内がフランスで学んだ主なものは、ドイツでも学べたのではないかと思うぐらい古典的手法の曲なのに対し、当たリ前のことだが、門下生は先生を乗り越え、近代和声から近代フランス音楽が影響したあるいは影響された音楽にまで発展して学んでいるようだ。

それでも彼らの音楽より池内が好みなのは、耳慣れた古くからの音楽語法に有るのだろう。
日本的なものは何ひとつないように聞こえるが、そうではなく、自己創造の日本というものが存在するように聞き取れることが有る。

民謡の引用が盛んになる前のこと、山田も彼も西欧の音楽語法は真似ていても、聴こえてくるのはオリジナルの音楽である。

池内には100句集がありネット上に有ることをAbendさんから教わったので今全て読んでみました。

「はいまわる五色の火蛾や楽譜書く」
「短夜のパリーが好きで何時発つや」


上の2句を上げておくことにします。
父親というより、正岡子規に近く、自由律の俳句に通じるような素振りが有るように思います。

[PR]

by noanoa1970 | 2013-01-19 17:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)