BWV1043コンヴィチュニー盤をUPしました。



フランツ・コンウ゛ィチュニーLGO、ダヴィッド&イーゴリオイストラッフをyoutubeにUPしました。

1楽章はマイクから、2.3はCD取り込み変換ソフトを使ってファイルにしたものを、ムーヴィーメーカーで写真合成したのですが、サムネイルが上手く働きませんでした。
従って1楽章は音質があまり良くないです。

http://youtu.be/73Qx-lu8bWE
BWV1043 Concerto for Two Violins Bach1楽章。



BWV1043 Concerto for Two Violins Bach2.3楽章のつもりでしたが、3.2.1の順になってしまいました。

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by noanoa1970 | 2012-11-30 16:00 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

.バッハ2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043その2

オイストラッフ親子の問題について、調べるも、客観的な根拠が見当たらない。
それで、思い当たるもので補完しようと試みることにした。


グーセンス盤は→

この動画の作者は、どうも意図的に左の1番がダヴィッド、2番をイーゴリとしているような気がする。

コンヴィチュニー盤の動画音声は見当たらなかった。


パルシャイ盤ではこの動画のクレジットとレコード盤面から、1番がイーゴリ、2番がダヴィッドということがわかる。


ちなみに、コリン・デイヴィス指揮の映像があったので、見てみると、1番がイーゴリ2番がダヴィッドと、先日の映像と同じであった。


ジャケットの写真が演奏録音時のものからと仮定すると。
DG盤すなわち、グーセンス盤は、立ち位置が微妙だが、左がダヴィッド、右がイーゴリだ。
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ベルリンクラシックスのコンヴィチュニー盤でも、左がダヴィッド。
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もしも写真が演奏時のもので、立ち位置、すなわち1番が向かって左、2番が向かって右に立つものが常ならば、2つの音盤は1番を父親ダヴィッド、2番をイーゴリが弾いたということになる。
この曲、最初は第2バイオリンと一緒に2番バイオリンが出て、第1バイオリンがその後を追うから、立ち位置はバックのヴァイオリン群の前が妥当、よって余程のことがない限り、これでよいのだろう。
しかしジャケット写真=演奏時とは限らないから、この条件をクリヤーしないといけないので、これも確証はない。

ちなみに、メニューヒンとの共演でもオイストラフは2番を受け持っているから、2番を演奏するほうが多いのだろうか。

ジャケット写真のことはさておいて、小生の耳は、コンヴィチュニー盤は1番をダヴィッド2番を息子イーゴリが受け持ったものだと今も思っているが、心は千千に乱れるばかり。

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by noanoa1970 | 2012-11-28 14:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(13)

.バッハ2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043

サブウーファーの効果を確認するために、いろいろな音楽で試してきたが、モノーラル録音では聴いてなかったので、コンヴィチュニーがオイストラフ親子と録音したものを聴いてみた。

以前は、バイオリンの音がギスギスしていたが、サブウーファーのおかげで、低音が締まったので、中高音もその効果で音が丸くなり、バイオリンの艶の音を聞き取れるようになった。
1950年代後期の録音としては、ステレオ録音だったなら、今のデジタル録音より優れているのではないかと思うぐらい非常に優秀で音楽的だ。

オイストラフ親子のこの曲はグーセンス/ロイヤルフィルとのDGステレオ盤があるが、コンヴィチュニー盤での演奏、軟弱さは皆無だがのびのびとして、聴いていて気持ちが良い。
対位法を意識してなのか、二人が競いあうような演奏も見かけるが、この演奏は二人の良さが倍増されたような感じを受ける。

今回聞き直しているうちに、新たな疑問が湧いてきた。
それというのは二人のバイオリン、どちらが1番で2番はだれかということだ。

恐らく通常は、先輩もしくは腕の立つと思われる方が1番を弾くことが多い。
昔この音盤が発売される以前には、グーセンス盤でそのことが話題になり、1番が父親、2番を息子が弾いているという結論となった。
オイストラフ父の太めの音、子供イーゴリの高域の音の繊細さから、断定度は100%ではないが、恐らくそうであろうという衆意の結論だった。

今聴いているコンヴィチュニー盤でもクレジットには表記されてないが、音が以前よりも良くなったことから、聞きわけようと試みた。
一般的にはグーセンス盤と同じように1番が父親、2番を子供とするのだが、コンヴィチュニー盤での両者のバイオリン、技術的にも音色も、グーセンス盤で2番を弾くイーゴリの高域の悪い意味での繊細さもここでは聞こえてこない。

楽器の音色の違いはあれど、バイオリンの技術も表現力もほとんど互角だ。

再生装置の変化のせいかもしれないと、もう一度グーセンス盤で聞き直したが、バイオリンに関しては、以前と同じ印象だったので、装置のせいでは無さそうだ。

もちろん録音マスターの状態というものも考慮に入れないといけないが、生演奏で聞くことが出来ない以上、残された音盤での判断になることは仕方ないこと。

他の演奏で父親の音盤も、息子の音盤も聴いてきたが、音盤によってバイオリンの聞こえ方が違うので、技術的なもの、あるいは癖などを考慮したいところだが、両者はとても良く似ている。
ブラインドテストをやったら結果は物過ごくバラツクのではないだろうか。
イーゴリの腕前は父親に肉薄し、場合によっては凌駕することさえ有るし、楽器もいつも同じとは限らない。

1楽章だけを何度かリピートして聴いているのだが、未だに判断がつかないでいる。
両者のバイオリンは、どちらが腕前が良いとか悪いとかのレベルではない。
グーセンス盤でそれとわかる息子の線の細さが、コンヴィチュニー盤では感じられなく、両者ともに悠々とした音楽を作っているから、どちらが1番か簡単に判断がつくものではない。

昔の掲示板で小生は、グーセンス盤は1番を父、2番を息子と聴感を根拠に言ったことがあり、コンヴィチュニー盤ではその逆に聞こえると言う投稿をしたことがあった。

今聞き直してみると、1番は少し濃い音色でテンポが少し揺れる、2番は比較的ストレートで鋭さが加わっているように聞こえる、しかしこのことは、演奏表現かの知れないが、使用楽器の差ということもあり得る。

グーセンス盤は多くの人も聴いていたから、同じ反応があったが、コンヴィチュニー盤に関しては反応が全くなかったことを覚えているので、そのまま結論らしきものはなく現在に至っている。

2002年だったか、コンヴィチュニーの芸術というBOX盤かなり売れたそうだから、中に収録された同曲をお聞きになられた諸氏も多いと思われる。

オイストラフ親子は、コンヴィチュニーとの共演は少なくないし、非常に仲が良かったという。
それに技術力音楽性も親に肉薄し、場合によっては凌駕することから、1番2番を交代した可能性もある。
はたして真相はいかに。


演奏が違うから、直接の参考にはならないが、1961年ロシア録画があった。オケはあまり良いとはいえないが、オイストラフ親子のバイオリンがよく分かる映像だ。
最初に出るのがセカンドバイオリン、それと同調して弾いているのが父親、次に出るのがファーストバイオリン。
ソロでは最初が1番次が2番という順。
ここでは父が2番子が1番を受け持っていると思うが。

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by noanoa1970 | 2012-11-25 15:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)

白鳥を食べる人とは何者か

ヒンデミットの「白鳥を焼く男」は、直訳では「白鳥を回す」ということであるらしい。
おっしゃるように「回す」ということは炙り焼のとき、串刺しにしたものを回転させるという意味と思ってよい。
英国ではすべての白鳥は女王陛下の管理下に置かれているといい、それは古来から貴族の食料用にされていた名残、すなわち白鳥を食べることが出来たのは、貴族階級に限られたという事だ。
英国では古には白鳥を食べていたということになる。

英国では貴族が白鳥を食べていたのだが、他の国や地域では狩りができる庶民やそれを入手して食することはあるのだろうと推測でき、食料が潤沢ではなかった時代、タンパク質源として鳥はなんでも食べられてしまうということで、中に白鳥が混じっても不思議ではない。

白鳥の肉が美味しいかどうかはわからないが、英国で貴族専用であったということは、食料確保のための保護政策と結びつく。また身分と食との相関関係を表すという事にもなる。

日本でも白鳥を献上品としたという事が文献に残るようだし、美しいがあの大きさだだから、1羽で複数のお腹を満たしたことだろう。
だから古代から中世、いや近世まで白鳥は食べられていたということになる可能性が高い。
禁止された理由とその年代を調べなくてはならないが、いつの世にも密漁というものがあり、更に時代は近年に近づくのかもしれない。

日本では白鳥伝説(ヤマトタケル)が庶民に広まった頃だと思うし、ドイツでは白鳥の騎士伝説が流布しだした頃だと考えられる。イングランドではアーサー王の伝説があっても人種が違うので、アイルランド、ウエールズ、スコットランドとは違って白鳥は相当長いこと食べられていたのかもしれない。

イギリス人をビーフィーター、beefeater牛を食べる人種と呼ぶこともあり、ジンの名前にもなっているが、ヴァイキングのノルマン人が支配したこともあるから、白鳥が食べられたのではないか。
キリスト教と白鳥には関係するものが認められないが、各国に白鳥を神格化する傾向があるのは、面白いことだ。そういった民族の神話が表立って復活するのと白鳥を食べる習慣がなくなっていったのは関係するのかもしれない。
ロマン主義時代の18世紀が怪しいと小生は思ってる。

ヒンデミットが引用した民謡の出自が果たして本当にドイツなのか、いつ頃成立したのかという疑問があるが、一応ドイツ民謡と言われている「白鳥の肉を焼く男」の男をどのように解釈したらよいかの答えは簡単ではないが、「職業漁師」「貴族の調理番」「異民族の・・・例えばロマ」「野蛮人」「怖そうな人」「勇敢な人」「狩猟民族」など、それらの人のことが歌われたように思うが、本歌が入手できないので、これが子供の歌なのか、そうでないのか、そして誰もが知っていて現代に伝わるものなのか、今のところは不明である。

アイルランド古謡が元だとすると、白鳥殺しから、「婚約者殺し」「女生殺し」という意味を持つことになる。

ヒンデミットの音楽語法のせいなのか、通常民謡の引用は、出自は曖昧でも近代現代まで残るものが多いのだが、「白鳥・・・・」の場合これだというものにはたどり着かない。
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by noanoa1970 | 2012-11-18 06:52 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(10)

白鳥の肉を焼く男

ヒンデミットの「白鳥の肉を焼く男」は
タイトルからはかなり際どいものを想像させ、狩猟民が白鳥を捕獲しその肉を食べている場面を想像してしまう。

しかしこれはヒンデミットのヴィオラ協奏曲の3曲目、「あなたは、白鳥を食べる人ではないですよね」という、ドイツ民謡が使われているからだそうだ。
誰がタイトルをそう付けたのか、ドイツ民謡だそうだから北方ゲルマン民族に白鳥を食べる風習があったのだろうかなどと考えてしまった。

調べた範囲では、イヌイットにはそういう食習慣があったようだし、中国でもあったらしい。
しかし現在は禁止されているという。

音楽自体は美しいもので、民謡が土台のせいか、ヒンデミットにしては非常に聴きやすい。


追記
民謡というのが気になったのでその出自のヒントがないか、調べていたら、アイルランドの古民話に白鳥の話が出てきた。
継母が前妻の娘の美しさを妬んで、彼女たち3人に呪いを掛ける。
それは近くの湖に300年、そのあと北の湖で300年さらに南の湖に300年過ごさねば人間に戻れないというもの、本物の白鳥たちのおかげを持って紆余曲折で呪いが解ける。
ローエングリン、さまよえるオランダ人の話と少し似たところがある。

さらには、有る嵐の時に風雨を防ごうと白いエプロンを頭からかぶった婚約者の婦人を白鳥と間違えて射殺してしまい、裁判にかけられたが、死んだ婦人が霊となって出てきて、「悪いのは私です、白鳥のように白い服を着ていたことが・・・」といって、証言したので男が罪を逃れたという話。

このことが歌になっていて、「銃をもった若い鳥撃ち諸君、日暮れ時には猟に出るなよ、ぼくもむかしは鳥撃ちだったんだが、恋人を白鳥とまちがえて撃ってしまったんだ。」 という内容になっている。
以上から白鳥を狩猟の対象にしていたことがわかる。
そして、自分で食べたか誰かに売ったか、いずれにしろ食料にしたと考えられる。

英国、オーストラリア、米国でも歌われているのは、おそらくアイルランドからの移民が持ち込んだものだが、ドイツに伝わった可能セリは十分あり得る。
ベートーヴェンもアイルランドの古謡をを編曲したり曲の名称にしたところからも、ゲーテがヘルダーが採取した古謡をもとに作品を作ったりしたことから、ブロードサイド(瓦版)がイギリリスからドーバー海峡を超えてヨーロッパにもたらされたことは、事実であるから、そしてそんな話の内容は、今で言う特ダネ的なもので、異国のあり得ないような話に夢中になっていたというから、民謡のもとになった実話がもたらされたのかもしれない。

ブリテン諸島には、「殺し」・・・母親父親、子供、兄弟同士の殺人事件が多く、しかも国王が子どもや妻に暗殺されたという話が伝わるることがあった。
ブラームスに「エドヴァルト」」というピアノバラード曲があるが、これは恐らくエドワード2世のことではないかと思すいさつするのだが、これもブロードサイドによって伝えられたものではないだろうか。
音楽は運命の動機がクレッシェンドで使われる曲で、この話と同じものがブリテン諸島の古謡にもなっている。

「ヘルダー」が採取したスコティッシュバラッド「エドヴァルト」の父親殺しは、エドワード3世が母親イザベルにそそのかされて、愚か者の父親エドワード2世を暗殺。
母親の、夫殺しの手伝いをしてしまったエドワードが、母親とその愛人の陰謀に気づき、やがて二人を処刑するにいたる・・・・その辺りの悲劇を当時のスコットランドとイングランド、アイルランドを行ったりきたりしたブロードサイドたちが広めたお話であろう。
そしてヨーロッパ大陸に伝わるのは、母親のエドワード2世の王妃イザベルは、フランス王フィリップ4世の娘だから当然と言えそうだ。

音楽は母親と息子の対話の様子が、運命の動機がクレッシェンドしていおく様子で尋常ならざるものを感じる。

ブラームスは2重唱にしてもいるが、母親と息子の会話で成り立っていて、こちらのほうが劇的な感じだ。
ドイツ語の下に英語訳が出ているのでなんとかわかる。


白鳥と間違えられて婚約者に殺された「モリーボウン」
歌詞の内容は色いろあるようだが、アリソン・クラウスとトチーフタンズの歌があった。

白鳥の肉を焼く男の謎は深まるが、こういう記事も書いたので興味あればどうぞ。



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by noanoa1970 | 2012-11-17 17:43 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

ブログ記事アクセスランキングのTOPが変わった

小生が利用しているこのEXCITE BLOGでは、閲覧記事のランキングが日別にでる。
今までのトップは「YAMAHA、NS-1000を最良に鳴らす方」で、かなり長く続いていたのだが、最近は「ブリコラージュ&クロームメッキの映画珈琲時光」という記事にアクセスが多くなり、数週間アクセスがトップになっている。
ブリコラージュは既にある物を寄せ集めて物を作ることなのだが、「珈琲時光」は小津安二郎の映画から部分的に「場」だけ抜き取ったもののように見えたのがタイトルの由来だ。

CMでもいくつか小津の映画の場面を真似したものがあるが、それと似たような感覚が頭を離れなかったので、少々批判的に書いたものだった。
クロームメッキとは、上等品には使わないメッキ・・・剥げるに通じるから、この言葉2つは両方とも批判的な意味で使用した。

「珈琲時光」の検索で引っかかった思われるが、なぜ今なのだろうと、かなり不思議に思ったが、その答えになるような情報は知らない。
珈琲時光は、コーヒータイムのように心を落ち着けて、なんていう意味があり、映画監督は台湾人だが、小津のファンと言う。
小津のファンであるというが、日本の習俗からくる小津の意味合いを兼ね添えた場面は恐らくわかってなかったのだろうと思われ、映像美や映像手法をそれが持つ意味と霧hなして模倣したような感じを受けた。

こういうことは恐らく万人に言えることで、我々が外国の映画を見てわかったと思い込むだけで、本当はわかってないということは、言葉はもちろんその場面場面の映像が織りなす意味がわからないからであることが多い。
言い換えれば作品の背景にある歴史や文化を知らないとでも言おうか。
もちろん、そんなものを知らなくても楽しめるものが多いのを承知で言っている。

例えば小津映画に出てくる「逆さ箒」は、早く帰れというおまじないだが、外国人、いや日本人でもその意味を知らない人は、浪花千栄子がそれをもとに戻すシーンを見て、箒を正しい向きにしたと思ってることだろうし、関東と関西の習慣が違うということも理解できないだろう。
岩下志麻がアイロンがけで、首にタオルを巻いている理由も、昭和中期のアイロンがけを知らない人は、意味がわからないだろう。

「珈琲時光」を見ると、表面的に小津の上澄みを借りてきたとしか思えなかった、よって「ブリコラージュの」としたのが理由だし、辛辣だがメッキが剥げるなんていうことを言おうとしたものだった。

昔の記事に、明らかに小津映画で出てくるシーンの模倣があることを示したものがある。

その1

その2

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by noanoa1970 | 2012-11-16 16:47 | 日常のこと | Comments(0)

後発性白内障

1年半前に白内障の手術をして視力が回復し、喜んでいたが、半年ほど前から、右目の視力が1.0→0.4になってしまった。
薄いベールを通してみているようで、なんだかおかしいので調べると「後発性白内障」に症状が似ている。
白内障手術者の30%がそうなるらしい。

手術した医師は、3ヶ月前の検査の結果、軽い眼底出血だろうと診断した。
先週次の3ヶ月が来たので、病院に行くと、その先生は既に大学病院に戻って不在、柚木の新しい先生に変わることとなった。

小生のカルテなど、診察時に初めて見るのだろうから、現在の症状を説明すると、検査の上後発性白内障の可能性があるという。

それで昨日硝子体と水晶体の間にある膜を取り去るため、レーザー光線を当てる手術をした。

手術は5分ほどで痛みもなにもなくすぐに終わった、最初は瞳を開いているので、わからなかったが、それが引いてきたとき、眼が白内障手術をした当初に戻っている。

やはり後発性白内障だった。
この症状は白内障手術紗の約30%に出ると言われているそうだ。

何かの拍子に、膜にウイルスのようなものが入って増殖し、膜を濁らせるのでレンズが濁るのと同じ事になるからというのが原因だが、その膜を取ったことで素通しで眼に情報が入ることになる。

効果はてきめん、その日の夕方には目からうろこといっても良いぐらい、物がハッキリ見えるようになった。

50歳過ぎると、誰でも経年変化で水晶体が濁ってくるが、その進度はまちまち、しかもリニアーに進行してゆくから気が付かない人も多いらしい。

しかし先生の話では、年をとって見えづらくなってから手術すると、レンズが硬くなっている場合、超音波では破れなくなり、大きな切開をしなくてはならず、術後管理が大変になり、日帰りとか1泊ではすまなくなるそうだ。

従って眼科には、半年に1度は検査を受けに行って、白内障の進行兆候があれば、早めに手術してもらったほうが良いという。

検査には、散瞳と言って瞳を大きく開く眼f不すりを差し、30分以上しないと診察ができないので、長く時間が必要なのが欠点だ。

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by noanoa1970 | 2012-11-13 18:03 | 日常のこと | Comments(4)

樹木トーテム、菩提樹の不思議

小生は以前「シューベルトの鱒は本当に鱒なのか」と言うブログ記事を書いたが、奇しくも今回またシューベルトが絡んだ記事となった。

地母神信仰やマリア信仰の話題、そしてabendさんからの仏教における「母神信仰」の見解でやり取りしているのだが、小生がよく言葉として使用している「トーテム」に触れてみたいと思う。
トーテムというと、我々は「ト―テムポール」として認識してきたように思うが、アメリカ大陸の土着民のシンボルでもある、木で作られた彫刻のトーテムポールとは違うものということを確認しておかねばならない。
あれは大雑把に言えば、種族の紋章とも言うべきもので、信仰の対象ではないからだ。

ここで言う「トーテム」とは、信仰の対象のトーテムで、主に動植物がそれを担っていると思われる。
動物では「蛇」「牛」「鹿」など、古代それらをトーテムにした種族がいたことは、ほぼ明らかである。

植物ではどうかといえば、古代ケルトのドルイド教は「樫」「榛木」、北方ゲルマン民族は「トネリコ」などであり、創造植物の「ユグオドシル」からも、樹木信仰があったということが、いろいろな方面の言及や著述でもわかる。

トーテムとは自然神の肩代わり、例えば「豊穣」「復活」「毒」「強者」などに関係する事物の代わりとして「蛇」がトーテムとされたように、いわば姿の見えない自然物の代用品である。
従ってトーテムはいろいろな自然物の要素を中に持つことが多く、1つだけの要素を持つにとどまらない場合が多い。

トーテムは、地母神信仰・自然神信仰がもたらしたものであるが、それとは少し違うものに、仏教やヒンズー教には、ブッダが悟りを開いた時に座っていた樹木「菩提樹」信仰がある。
小生は、ブッダは「蛇信仰」の部族が出自だと推測するが、信者たちはブッダの代用としてあるいは「悟り」の代用として菩提樹信仰を手に入れることになったように思う。(違う見解があればご教示願いたい)
インド周辺地域には、仏像崇拝とともに未だに菩提樹信仰が残る。

西欧の場合は、一神教のキリスト教が発達する中、古代の自然神信仰は、破棄されたり吸収されたりし、イエス、マリア信仰に取り込まれ、原型を直接は留めがたくなった物が多いが、キリスト教の風習や祭りにその影が見えることがあり、ハロウイーンはその例だろう。
さて菩提樹といえば、小生などはシューベルトが「冬の旅」でヴィルヘルム・ミュラーの詩に曲を付けた歌曲が浮かび、ブッダが悟りを開いた時の樹木としての菩提樹はすぐには浮かばない。

ところが菩提樹を調べていくうちに、「菩提樹」というのは、ブッダが悟りを開いた樹木の「菩提樹」とは別種のシューベルトの「菩提樹」があって、「菩提樹」という名を付けられているが、全く別ものであるということが判明した。
さらに、我が国にも菩提樹があるが、それは中国の菩提樹と同じ「シナの木」だというが、これもシューベルトの菩提樹も、「西洋菩提樹」=シナの木で、日本に中国経由で入ってきた樹木と考えてよさそうだ。
インド菩提樹が、ブッダの菩提樹だということで、他のものは西洋菩提樹=シナの木のことであるというのが正解というわけだ。

一説には、インドの菩提樹信仰が中国に入った時に、インド菩提樹が中国には存在せず、気温の関係で育たないことから、外観が似ている「シナの木」を菩提樹と肩代わりさせたという。

シナの木など普段あまり気にしたことがないが、思い当たるのは表面にシナの薄板を貼った合板「シナベニア」ぐらいだろう。
シナの木を調べると、我が国では中部地方の中信地区に多い樹木だとされ、そのせいでか、埴科・倉科・仁科・明科・蓼科など「科」がつく地名が多いが、シナの木から由来しているかどうかは確証がない。
民俗的資料で、シナノ木を神木的にしていた集落があると面白いが、信州諏訪地区には神木信仰があるのは、諏訪大社の御柱祭りでわかる。諏訪大社に祀られるのは、具体的な神ではなく、自然新信仰の樹木信仰が先にあって、後で神社が作られたと思われる。

話をシューベルトに戻すと、今まで我々が菩提樹を聴いて、菩提樹はブッダの悟りの木と同じ菩提樹であると思っていたのが、見事に覆されてしまった。
菩提樹ではなくシナの木であったことは、ブッダの悟りの木から受けるイメージを、「泉に沿いて茂る菩提樹」で始まる「安らぎの木」として投影していたことが無残にも崩れてしまうことになった。

菩提樹ではなくLinden-baum、 baumが樹木であるからリンデンは他になにか意味があるのだろう。
こんなものが見つかった、『Lindenとは、シナノキ科で花と苞から抽出され、緑をおもわせるさっぱりとした、ソフトな甘い香りを放つ精油です。西洋菩提樹ともいわれていて、リラックスを促してくれます。』

歌曲でLindenbaumが旅人の青年に、「ここに来なさい、青年よ、ここで休んでいきなさい」と呼びかけるのは、安息を意味し、安息は死に繋がることであるという説がある。
小生は「冬の旅」は「死への旅」であると思っていたから、この話はうなずける所があると思った。

冬の旅は死への旅とおなじこと、つまりLindenbaumの呼びかけは、もうこれ以上死への旅・・・・死へと自分を導く冬の旅だが、死のうにも死ねない苦しさが現れているものと思っているが、もうそういう苦しい旅はやめてここで休みなさい=終わりにしなさい=安息を求め死になさいと言っていると解釈するものだが、納得はできる。
真冬の夜に樹の下に横たわることが、死に直結するから、そういう解釈も成り立たないわけではない。

そうするとシューベルトの西洋菩提樹は、強引だが「安息」のトーテムで、背景は優しさと愛情を注ぐ神、地母神信仰の母性愛の樹木信仰とすることができそうだ。
オンブラマイフの木陰とは、シナの木の木陰である可能性だってある。

そういえば「ニーベルンクの指輪」で、ジークフリートが大蛇退治をするときに大蛇の毒である血を浴びそうになるが、背中のLindenbaumがそれを守ったという件があるが、Lindenbaumがやはり青年をまもる地母神で母親的存在のトーテムとすることが出来るかもしれない。古代北方ゲルマン民族の中に、西洋菩提樹トーテムがあったと推測できる。

同じニーベルンクの指輪の中のフレイアのトーテムが菩提樹であったという話があり、フレイアを祀った祭壇が破壊され、その跡に聖母マリア信仰の寺院が建てられたという話もある。
フレイアは、美、愛、豊饒、戦い、そして魔法や死を守護する北欧神話の太母。美しい女性の姿をしており女性の美徳と悪徳を全て内包した女神で、非常に美しく、自由奔放な性格で、欲望のまま行動し、性的には奔放で月の神でもあったという。。

何れにしても、樹木信仰はその樹木の種類は変われど、太古の自然神信仰・地母神信仰のトーテムであったことはまちがいない。

ただ自然神信仰は、現世利益のための信仰であるから、何かの役に立つもので無くてはならない。
ウイキペディアでは、
「ヨーロッパでは古くから植えられ、木材は楽器や木彫材などに利用された。また、樹皮は繊維を採るために利用され、ハーブとしても利用されティユールで知られる。」
としてあった。上のリンデンの効用も同じようなことだ。
更にLindenbaumに関係する地名が、ロシアにまで及んでいたことは、この樹木信仰の民が多かったことを示すものだろう。
ライプティッヒもLindenbaum由来、ベルリンの大通りウンター・デン・リンデンもそうだという。
他にも地名や氏名にもLindenbaumの影響は多くあるようだ。
ゲルマン民族の分派は、主にLinden-baumとoakをトーテムにしたのではないかという予想を立てることができそうだ。

「菩提樹」は、インドと(ヨーロッパ、中国、日本)とは別種の樹木であるが、いずれもが樹木トーテムとなっていることは、実に面白いことである。

なおブッダの菩提樹は、熱帯植物なので、亜熱帯や寒冷地域では育たないと言われ、インドでは30Mの巨木もたくさんあるということです。
従って普通の人はインド菩提樹は見てないことが多く、逆にシューベルトの菩提樹のほうが眼に入ることになります。

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by noanoa1970 | 2012-11-11 11:05 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)

プーランクのオペラ「カルメル派修道女の対話」から

プッチーニのオペラ「トスカ」は、イタリアの王党派とフランス革命を背景にした共和派の政治的争いの最中に起きた悲劇である。
トスカの恋人は、共和派をかばったという罪で監禁され、官僚の親玉がトスカの貞操と引換を迫るという成り行きで、トスカがその男を殺してしまい、めでたしめでたしとなる所、事前の約束が果たされず、トスカの恋人は銃殺刑に、共和派のアンジェロッティは拷問の末自殺、トスカも身投げして死んでしまうという悲惨な結果に終わる。
劇中では、仏革命後ナポレオンがヨーロッパを席巻し、イタリアがナポレオンの支配下に置かれることを拒否したマレンゴの戦いで、ナポレオン軍が敗退したという知らせのもとに、カロリーナ王女によって盛大な「テ・デウム」が模様される。しかしそれはご誤報であったという史実がほんの少し盛り込まれている。この頃イタリアでは共和派が台頭し、王制の崩壊を恐れたため、秘密警察が政治犯とも言うべき共和派の人間を捕まえていたことは史実のようであるが、当のフランスではどうだったのか。
昨日から聞いているプーランクに、「カルメル派修道女の対話」というオペラがある。
フランス革命によって、反革命分子とされた旧体制派の王侯貴族はもちろん、カトリック教会もそう見做されて、革命派から残虐非道な行為を受けたそうだ。

「カルメル」とは、聖書に出てくる預言者エリヤとバールの神官が牛殺しの競争をした場所でもある。
詳しいことは不明だが、カトリック教会では異端的な扱いだったとも言われる。
このオペラは、カルメル派カトリック修道院に入信した3人の修道女を中心に、まさか革命の余波が修道院にまで及ぶという予想も付かないことだが、何れ修道院も破壊されるという運命下の修道女の身の処し方をめぐる話で、「殉教」と「断頭台」いう言葉が象徴する内容になっている。

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プーランクは、この物語オペラにダイアローグ風の曲を付けた。
小生が聞いたのは、このオペラの初演者ピエール・デルヴォーの録音である。
歌劇『カルメル会修道女の対話』全曲(3幕12場)
ブランシュ・ド・ラ・フォルス:ドゥニーズ・デュヴァル(ソプラノ)
リドワーヌ夫人:レジーヌ・クレスパン(ソプラノ)
ド・クロワッシー夫人:ドゥニーズ・シャーレイ(アルト)
コンスタンス修道女:リリアーヌ・ベルトン(ソプラノ)
マザー・マリー:リタ・ゴール(メゾ・ソプラノ)
ド・ラ・フォルス侯爵:クサヴィエ・ドプラ(バス)
騎士:ポール・フィネル(テノール)
マザー・ジャンヌ:ジャニーヌ・フーリエ(アルト)
マチルド修道女:ジゼル・テスムーティエ(メゾ・ソプラノ)
司祭:ルイ・リアラン(テノール)、他
パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団
ピエール・デルヴォー(指揮)録音:1958年1月15-31日、Paris, Salle Wagram 
革命派の、旧体制派に対する仕打ちは凄まじいもので、「自由、平等、博愛」の精神とはかけ離れた行為もかなり存在したようだ。
ブルターニュ地方やヴァンデでは、王制を支持するカトリック教徒が革命軍に激しく抵抗し、想像を絶する大量虐殺の犠牲の血が流された歴史があり、女子供も虐殺した記録が残されていて、ヴァンデの反乱として歴史に残る。
最近の話と聞くが、フランスのある公園の作業現場で発見された30もの遺体が、1793年、革命軍による反革命カトリック教徒の虐殺だという。フランス革命によって市警となった人の数は30万とも40万ともいわれる。
「ヴァンデの悲劇」そして「カルメル修道僧の対話」からも、革命には狂気が付き物であることを窺い知ることができる。
プッチーニは、「トスカ」に王制側の秘密警察のTOPを登場させたが、政治的宗教的なものとはあまり関係のない人間の欲情と悪事による悲劇として「トスカ」を作ったが、プーランクの場合は革命勢力の欺瞞を表す中で、反革命とは無関係である修道女が理不尽に断首されていく中、「殉教」の意味を見出すに至るまでの葛藤を描く。
注目して置かなければならないのは、最初に「殉教」を言い出した修道女長マリーは、それに従ったはずの修道女ブランシュが、怖くなり家に帰っているのを連れ戻しに来た、修道院から二人の修道女がいなくなった隙に、革命軍が乱入し、そこにいた全員を牢獄に閉じ込めた。
そして処刑の断頭台に全員が立つことになり、「サルヴェ・レジナ」を歌いながら1人づつ処刑されていく。
処刑を影で見ているのは修道女長のマリーと殉教を拒んだブランシェ。
しかしブランシェは、そのとき「殉教」に意味を見出したのか、自らすすんで、最後の断頭台に立つ。
「殉教」と声高に言って先導した修道女長マリーは、ついに断頭台に上がることはなかった。
断頭台で処刑された修道女は15人であった。
後にマリーはこの事件について証言しているというから実話である。

最後は、一人づつ断頭台で首を切られるシーンだが、太鼓と鞭などを使ってギロチンの音を出しているが、それがサルヴェ・レジナを背景に15回だんだんと歌う人数が減ってゆくので声が小さくなる。ギロチンの音は音楽の進行とは無関係に鳴らされるのが怖さを増長させる。
これほど陰惨な処刑の仕方、そして死をも恐れない敬虔な修道女の姿に、背筋が凍りそうで胸が痛くなる。
プーランクは決してドラマティックな音楽を付けずに、修道女たちの心のなかを表現するかのような、神に命を捧げることを美徳とし、殉教こそが神に仕える者の使命だと言わんばかりの音楽を、優しく美しい不協和音によって表現している。

音楽も歌唱もおしなべて表情の劇的表現を抑えたところに、このオペラの深さを感じることになる。
ギロチンの処刑は15人と時間もかかるシーンだが、ここの演出は重要で、リアルでも何かに肩代わりさせてもいけないが、演出家にとっては難問中の難問であるに違いない。

オペラと映画の違いは、オペラがリアリティ不足を音楽と歌唱によって補うのに対し、映画ではそのまんま断頭台を登場させ、処刑は機械的に行われる。
このオペラの宗教的見地には、あえて言及を避ける事にするが、それはなにを言っても「殉教者」の真理を解説するに値しないからだ。
オペラ「カルメル派修道女の対話」の余韻はなかなか消えるものではない。

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by noanoa1970 | 2012-11-08 12:37 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(35)

Nigra sumをめぐって、古代宗教を観察する

黒いマリアの出自には、いろいろな説があり、エジプトの地母神イシスと、キリスト教が伝搬していく中で、イシスの肌と黒色が母なる大地の色であるという仮定から、聖母マリア像との集合体であるという説がある。
小生は、黒いマリアと言われるものを、ケルトの地母神信仰、ドルイド教の偶像・・・トーテムで合ったと推測する。
さらに、ソロモンの「雅歌」の一部、「Nigra sum, sed formosa・・」、「私は黒い、そして美しい」、あるいは、「私は黒いが美しい」というところから黒いマリアが発祥したという説もある。
実際黒いマリアが設置される教会などでは、マリアが黒いことの説明を、ソロモンの雅歌に求めることがある。
しかし、小生は「雅歌」がソロモンの作とは到底思えないし、雅歌という庶民の赤裸々な愛を歌った戯れ歌的性質から、これは後世カトリック教会によって、理由づけされたものではないかと考えている。

youtubeのものは、最初がオクターブ下げで歌われるが、このほうが神秘的に聞こえる。

ケルト発祥説と同じぐらい、いやもっと高大な説があり、それはインド北部からイランに分布したとされるアーリア人が信奉したのが「ミスラ」で、「ミトラス教」に変化する宗教である。
ミトラスは、「牡牛を屠るミトラスの図」が示すように、牛をトーテムとする集団が信奉するものでもあった。
ミトラスが後のバール信仰とつながることは、牡牛をトーテムとすることで推測が付き、「ミスラ教」の分派がアフラマズダを神とするゾロアスター教で、光と暗闇といった2元論の光、つまり太陽信仰になる。

またミトスラが「マイトレア」と同源だとすれば、マイトレアは「弥勒」となり、救世主という性格を持つが、これはキリスト教にも、ミストラあるいはミスラ教が影響したことに繋がる。

釈迦はキリスト教で言う預言者エリヤで、イエスが弥勒と考えると、マイトレアの発祥のミスラあるいはミトラス教が、アーリア人の移動と、先々の郷土信仰が習合して、現在の主な宗教の元になったと仮定できるという事に広がっていく。

アーリア人説は、大まかにはそういうことも考えられるが、仮説にしては少々大ザッパだし、そもそもアーリア人そのものが何者であったかが特定できないから、にわかに信用に足るものではないような気がする。

地母神とその後隆盛する宗教の習合が黒い偶像で、黒が地母神の象徴の色、そして地母神が女性だったとしたら、黒いマリアのような黒い女性偶像がもっと各国に見られてもいいはずである。

abendさんによれば、日本には大黒様があり、この出自はヒンズー教「マハーカーラ」と言い、マハーは大、カーラは黒いとされることから、暗黒の神とされ別名が「シヴァ」である。仏教では、大自在天の化身で戦いの神の役割を担い、密教では毘廬遮那仏の化身とされているから、日本では黒と地母神的(土着の神)要素のオオクニヌシが結びついたことになる。
破壊の神とオオクニヌシは小生の頭の中では、結びつかないが、

オオクニヌシとマーハカーラが習合したのが、大黒様といってよいだろう。
しかし、黒いマリアは女神であるが、大黒様は男神である。

地母神には男女の区別がないのだろうか、しかし各国の地母神は、そのほとんどが女神であるから、大黒は自然発生の神ではなく、後付されたものと考えられる。。

ミトラス(ミスラ)信仰は、「牛」がトーテムとされるのと同様「蛇」もそうであったことは、多くの人が指摘することである。

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ミトラス信仰が分派したことは、後の牛トーテムのバールと蛇信仰に痕跡が見られるが、何れも、再生、復活、輪廻転生といった、豊穣に繋がる太陽と水、それに労働力と牛乳、チーズ、バターの供給力としてのめぐみのトーテムであったと考えられる。自然神信仰が現世利益主義となるのは当然であろう。

インド北部では蛇信仰、「ナーガ」信仰があるという。

蛇信仰は龍信仰と合体して、神体へとなってて行く。
スサノオのオロチ征伐の話は、いろいろな解釈があるが、同系同士の闘いのように小生は思う。
製鉄か製銅技術を持つ「蛇信仰」集団のが、周囲を征服していくのを、牛信仰トーテムのスサノオが阻止することによって、スサノオが製鉄もしくは製銅の技術を入手する。

ここに蛇信仰と牛信仰の習合の姿があり、これはミトラス信仰(祭儀のため牛を葬るミトラスには蛇が巻き付いている図がある)と一致することになっていく。

インド北部では、蛇信仰の部族が現在も存在し、「ナーガ」=コブラをトーテムとしており、この原始信仰はヒンズー教・仏教にも影響しているという。
蛇信仰の奇跡は全国にあり、我が国においても、三輪山、大神神社がそうであるとともに、ナーガ、ナーギはイザナギ、イザナミと、日本書紀の神の名前にも存在する。

雨神・豊穣神・穀物神・脱皮・変身・新生・永生といったものと結びつくのであろうが、主たるものは「水」。
農業には水は欠かせないもので、同じように太陽の光もそうであることから、蛇と太陽が同一神になったという説もある。

地母神信仰の中には蛇信仰の種族もいたと思って間違いないし、むしろこのほうが主力であった可能性が高いことは、世界各国に蛇信仰が存在したということからもわかる。

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シュメール人がアーリア人の分派だとすれば、古代メソポタミアに流れてきた時に、ミトラスの牛信仰も伴ってきたが、メソポタミアの土着の信仰は、自然神地母信仰でも、牛ではなく、蛇信仰であった。
ミトラ教の信者たちの分派であるゾロアスター教における太陽神の信者は、図にあるアイオーンを信奉したと言われる。(獅子と蛇が習合しているとされるが、獅子のように見えるがこれは牛ではないか、手に持ってるのは折れた牛の角であるように見える)

アーリア人の分派には放牧民がいて、遊牧民がその地に定着することによって、土着の蛇信仰と牛信仰を習合することになったのではないだろうか。(もちろん、習合はせずに各々が残ったことも十分考えられる)

エデンの追放が、蛇の悪知恵に騙されたイヴによって、アダムにまで及んだことは、蛇を豊穣の神の座から悪神に引きずり下ろすこととなり、女性の蔑視という男系のユダヤ教・キリスト教の思想に反映され、カインとアベルの殺人事件の真相は、農耕民族と狩猟民族の争いであり、ここでは狩猟派が勝利した(ように見せかけたのかも知れない)。

狩猟から農耕へと時代は変わるが、狩猟民族の血と、かつて信奉したトーテムの記憶が、聖書の中にあるものと思われる。(ストレートな変化ではなく、地域によってその繰り返しがあったに違いない)

近親憎悪というものは、宗教にも存在し、牛をトーテムとするバール神の一派と、バール信仰からエキスを取り込んだ原始キリスト教が対立に至ったことは、聖書の中に、エリヤとバール神官の対立勝負で記されているが、この勝負は出来レースで、牛をトーテムとするバール信者に牛が殺せるはずがないので、預言者エリヤの勝ちと最初から決まっていたことである。

牛と蛇に見られる自然神信仰と、一神教キリスト教は、発祥の源は同一だったものを、「救済」という概念を用いることと個人崇拝によって、民衆を宗教的別次元に導いたことに勝利の要因があったのではないか。

マリアを神の如くにまで登らせたことは、地母信仰の民懐柔策として読み取ることができそうだ。
後の「改宗」にも、マリアは役に立ったことだろう。
もともとは、異教徒の偶像であった黒いマリアも、宗教的分派が盛んになった頃・・・・宗教改革でカトリック勢力が落ち込んだ時期に、純粋宗教的目的というより、無宗教層の取り込みや改宗目的に使われ、その存在出自理由も、後から都合よく付けられていったものと考えてよさそうだ。
マリアが持つ女性・母親の優しさが、地母信仰の精神的支えを補った。

1つ気になるのが、考古学的遺物の、黒い偶像の有無と分布であるが、データーは入手できなかった。
黒いマリアも10世紀までは遡れるそうだが、それ以前のものは未発見だ。

大勢の学者が言うように、地母神を象徴する大きな要素の1つが「黒色」であるとするならば、BCの古代遺跡から黒い偶像やそれに代わるものが、多く出土してもいいはずである。

そうした中、雅歌である「Nigra sum・・・」は、宗教的な意味付をすることで、黒いマリアとの関連を意味づけしたものではないかと考える。
雅歌は聖書の傍流に取り上げられているが、本来庶民の遊興の歌、男女の恋の戯れ歌だと考えて良いのではなかろうか。
こういったものを聖書に挿入した意図は、どう考えても腑に落ちない。

モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」の第3曲にNigra sumが存在する。
曲になっているこの部分だけならば、男女の恋愛の戯れ歌とは思えず、王をイエスと解釈すれば、この女性からマグダラのマリアを想像できないこともない。

しかし全文を読むと、赤裸々な恋の歌でいっぱいであることがわかる。
まるでエロ小説の体をなしているからだ。

モンテヴェルディ(所有の音盤【演奏】コンラート・ユングヘーネル(指揮&リュート)、カントゥス・ケルン、コンチェルト・パラティーノ)は、ハイテナーのアカペラソロで歌わせているから、宗教的な響きが強まっているし、メロディは平坦で、まさに「祈り」というものに近いような気がする。(ひょっとするとグレゴリオ聖歌が元になっているかもしれない)

Nigra sum sed formosa filia Jerusalem
肌は黒くとも美しい娘、私はエルサレムの女

Ideo dilexit me rex,
et introduxit in cubiculum suum,et dixit nihi
Surge,amica mea,et veni
王は私をみ心にとめ
御前に召してこういわれた

Jam hiems transiit,imber abiit et recessit,
flores apparuerunt in terra nostra,
tempus putationis advenit立て、わが愛する者よ、来たれ
はや冬は去り、嵐も遠のき
地上には花が咲き乱れ
そして、かり入れの時がくる

蛇足だが、モンテヴェルディは「アヴェマリア」にかなりの力を注いだようで、8分あまりもかけて、サンタマリアを、ソロ中心に歌わせて10回以上繰り返している。「グロリア」が7分あまりで、他の楽曲は1から2分で終わる。
聖母マリアの晩祷であるから当然といえば当然だが、しかし曲のバランスと各曲の構成の意味合いがわからない。

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by noanoa1970 | 2012-11-06 21:21 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(11)