忘れかけていた、悲しみの出来事

いつも訪問しているHABABIさんのブログに、少年期の辛い思い出話と、ユーミンの歌を関連付けた記事があるのを読ませていただいた。

心が動いて、そして、思い出したのは、高校に入学したその日のことであった。

簡単なオリエンテーションのあと、校庭の一角で教科書を貰ってからそれぞれの教室に入る段取りとなっていたのだが、教室のある棟と階を間違えてしまい、指定された教室に入るのが遅れてしまった。

教室の最後部の扉から入ったのだが、すでにその時は全員が着席していて、先生らしき人が教壇にたって話すところだった。

しまった・・・入学そうそう・・と頭の中がパニック状態になって、自分の座る場所を探すのだが、目にはすべての席が埋まっているように写ったから、冷や汗が出てくる始末。

どのくらいの時間がたったか、その時少年のような顔つきをした1人の男が、後ろを振り向いて、ここ、ここが空いていると、声に出さないが、手招きで合図してくれたのだった。

小さく有難うとおじぎしたまま着席でき、そして次の日、その親切心にきっとイイヤツに違いないと、県外入学の小生には、誰も知人がいなかったこともあって、友達になってもらおうと探したのだが、いくら探してもどうもあの少年のような顔が見当たらない。

どうしたのだろう、と其の次の朝も捜すが、やはりあの特徴的な少年顔の男はいない。

そして先生が出席をとるとき、ようやく気づいたのが、生徒の1人が3日間連続で欠席していて、その人があの親切な童顔の人物だということ。

一体どうしてしまったんだろうと思いながら、近くに座っている同じ中学出身者らしいのに聞くと、少しいいにくそうに、彼は重い病気にかかっていて、高校には入学したが、すべての日数の通学は無理と最初から分かっていたようだとのことだった。

そうだったのか、あの時の手招きが彼の顔を見た一瞬だったのか、そう思いながら半月が過ぎたある朝のこと。

教室のそこだけ空いていた席に、あの童顔が座っているではないか。

前から知っているものは、大丈夫云?々と話しかけていて、そのたびに童顔は丁寧に返事をしている光景があった。

少し頬が赤らんでいて、傍目には健康そうにみえたから、ひょっとしたら健康を取り戻したのではないかと思うほど、しかも割とよく通る声で時には大きな声を出して笑うから、よかった・・・そう思っていると、其の次の日童顔はまた休んでしまった。

そして夏休みに入る少し前ぐらい、以前より少し良くなったのか、登校した童顔は授業後まだ帰らないで、持ってきたガットギターを取り出し、おもむろに弾きはじめた。

タルレガのラグリマがゆっくりと流れ、続くトレモロはかなり上手に弾いた。
そしてそのころ音楽にかなり興味を持っていた小生、それをきっかけに話すことができた。

入学式直後、空いている席の合図をくれたことを、覚えていて、病気療養で時々、半月に1度ぐらいしか学校には来られないこと、ギター部を作りたいこと、住んでいるところや、お姉さんがいて、同じ高校の3年生であることなどを話してくれ、小生も県外から来たこと、バスと汽車を乗り継いで通うこと、県内で1番大きな市営住宅の一角に住んでいること、趣味は音楽などと、短い時間だったが、話すことができた。

半月に1度しか会うことができずに、夏がさり、秋の風が学校の周りの畑を通るようになった頃。
学園祭の準備に忙しかったときのことだった。

Mが名古屋の国立病院に入院したらしいという情報があって、見舞いに行っても問題ないとの姉さんからの
情報を得、そのころ仲良くなった同県人の友人と一書にお見舞いに行くことにした。

勝手知ったる名古屋だったが、何しろ巨大な国立病院には幸い縁がなかったから、右往左往しながら病室にたどり着き、面会したが、急に入院するほどの変化はないようだったから、訳を聞くと、「実は手術が決まり、それまでの検査などのための入院で、手術は1ヶ月後の予定」という。

やがて思いつめたような口調で彼が言うには、「自分の病気は思い心臓病で、このままだとあと数年しか持たないと、医者からいいわれている。
手術の成功率は高くないが、それでも手術にかけてみようという気になった。」

もし成功したら、毎日学校にいけるし、港一緒になんでもできる。
だからもし成功したら、来年度は学年が違ってしまうかもしれないが、その時も友だちでいてほしい。
ギタークラブをつくって皆に感謝の意を表するために、演奏会を開催したいなど、手術の結論にいたるまでの、なみなみならぬ思いなど少しもおくせずに、わざと明るい声でいうのだった。

それではギタークラブ、音楽クラブを創設するのに、力をかそうと小生もいい、頭脳明晰な君だからきっとおなじ学年になれるとおもうなど、出席日数のことをさておいて言うしかなかった。

重い心臓病、放置すれば数年の寿命と聞いた上に、手術はかなり難しく、このころ名古屋で1番の心臓外科の権威である国立病院でも、かなり困難な手術のようだから、彼の賭け・・というよりも、なにもしないで、座して死を待つことを拒否した、彼の意志の強さに、感動したものであった。

冬がもうすぐそこまでやってきているある日の夜遅く、1本の電話がなった。
友人のIからで、今日の手術の結果帰らぬ人になった、そう電話の声は告げた。

予想をしていなかったというと嘘になるが、しかしあんなにイイヤツがそう簡単にあの世に逝ってたまるかと、それを打つ消す力のほうが強い今日までだった。

言葉もほとんど発することができず、ただ頷くだけだったように思うが、Iがこれからすぐにお通夜に行こうというのを遮り、情報もないのに行ってはかえって迷惑になろうし、今夜は身内だけのほうが良いのではと、まるで大人のような言葉で中止させた。
時計はすでに夜の11時近かった。

おまえ、薄情なやつだなーと言われたが、黙ってそれを受け入れたのは、すでにそれまでに2度の身内の葬儀を経験していたからで、その日のうちの通夜は、来訪者の世話に追われ、身内が悲しみに浸りお別れをいう暇もなくなってしまうことを知っていたからである。

次の日の朝、担任から今回のことを知らされたが、ほとんどの生徒はすでに知っていて、午後からの告別式には全員で出席することにした。

3つしか年が違わない彼のお姉さんが、学校関係者に挨拶し、以前から顔見知りだった我々に、よくあなたがたの話をしていたと告げるのだった。

そこで涙腺が一気に緩んだのは言うまでもないこと。
お姉さんの美しい顔が、有難うと言っているようで、悲しくそして何か淡い空気が流れたようだった。

小生の入学直後の席の話、彼女は彼から聞いていたらしく、最初のお友達でしたねと、少し微笑んだようにいった。

そのころ読んでいた小説の見開きに、「本日親友死す」と書いた覚えがあるが、それがなんだったか記憶はもうない。

それから何年かは、命日を覚えていたが、実に悲しいことに今は正確な記憶がない。

しかしあの時のあの笑顔と手招きした顔はハッキリお覚えているから、許してくれるだろう。
そしてこの45年以上前のことを思い出させてくれたHABABIさんに感謝しなくてはならない。

そして思い出の音楽は、彼が弾いていたタルレガかソルの練習曲になる。

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by noanoa1970 | 2011-04-30 17:47 | 歴史 | Comments(2)

知られざるブラ1の名盤中の名盤

「名盤」という表現、小生は好きではないので今まで避けてきたがが、ここではあえて使わせていただくことにする。

ブラームスの交響曲1番は、いつも日本人の好きな曲トップにランクされるようだ。

小生もこの曲は好きで、ブラームスの交響曲の中で、好きなものからあえて順位をつけるとすると、2・4・1・3という順序になる。

むかし掲示板で好きな順位は?というスレッドがあって、やはりブラームスの交響曲自体に人気があるせいか、その順位は千差万別。

しかしトップは、1番か4番が多かったように記憶するので、かなりのクラシックつうが集まる掲示板内でも、やはり1番は人気があったようだ。

なんども書いてきたことで、繰り返しになってしまうが、1967年の暮れの深夜、いや1968年正月だったかも知れない、FM放送から聞こえてきたのは、コンセールバトワールからパリ管と心機一転なったオケを、ミュンシュが指揮をした新録音であった。

すでに寝床に入っていた小生は、これを聴いて興奮と感動のあまり、それから寝付くことが出来ず、明日になったら早速このレコードを買いに走ろう・・・そんな事ばかり考えていたことがあった。

心底感動した数少ない1つが、このミュンシュ/パリ管のブラ1であった。

そしてこの音盤はかなり人気があって、好きなブラ1,ベストブラ1、おすすめのブラ1などの問に対する答えの上位に必ず入っていた。

この音盤の魅力は多分、ティンパニーの強打音に表出される、ミュンシュのあのド迫力と、終楽章荘厳かつ神秘性を帯びたコラールから、ベートーヴェンをオマージュした有名な旋律が出現するときのストーリー展開の巧みに、度肝を抜かれたのだと小生は思っている。

いったい、それまでのどの指揮者があのように荘厳で神がかりしたような、しかもものすごいスローテンポで奏でられるコラールを演奏したことがあったか。

ブラームスを語るときに、よく口に出るお国柄、ドイツ的だのフランス風だの、そんなことは超越した音楽があったから、この演奏については一切誰もフランス風ブラームスなどとは、言わなかった。

数多くのブラ1を聴いてきたが、小生も長い間ミュンシュ盤をベストとしてきた。
演奏はもちろん、(記憶では1967年末だったが、どうやら記憶違いのようだから訂正しておく)1968年の新春の感動の思い出も手伝ってのことだ。

1つだけ気になること、それはこの音盤の録音があまりよくないことだ。
国内盤、仏パテ盤LP、そして初期のCDともに1968年録音とは思えないような音質だから、せっかくの演奏がマイナスとなってしまう。しかし現在の技術なら、程度のよいリマスターが可能なはずだから、現在出ているCDが昔と代わりがないとしたら、リマスターリングをした上で再度発売していただきたいものである。

ミュンシュのブラ1について書くのが目的ではないので、遅ればせながら本題に移ることにする。

小生は本格的なクラシック音楽聴き初めの、中学生時代から現在まで、フランツ・コンヴィチュニーの愛好者である。

聴きはじめの頃買ってもらった、クラシック大全集のベートーヴェン5番6番は、その頃名前も知知らなかったコンヴィチュニーとゲヴァントハウス管の演奏が入っていて、それを聴いて育ったも同然であった。

フルヴェン、トスカニーニ、ワルターが幅を効かせていた時代のことだが、ある日、世界最古のオーケストラ、フランツ・コンヴィチュニー来日と、新聞にかなり大きく出ていたのをみて、今まで聴いてきたベートーヴェンが一段と素晴らしい演奏に聞こえたものだった。

レコード芸術という雑誌を購読し始めたたのは、もう少し後1965年頃だったが、レコード批評というコーナーがあったにもかかわらず、そこには掲載されず、レコード会社の新譜案内に小さく書かれていたのが、コンヴィチュニーとゲヴァントハウス管のブラⅠであった。

確証はないが、記憶ではヴァンガードという会社からで、ジャケットに、馬の塑造があったようなボンヤリとした覚えもある。

少し興味を引いたが、軍資金もままならぬ身分だから購入できずで、いずれそのうちに、と思っていた。

廉価版でギンペル/グリューバー演奏のV協奏曲と詰め込みで発売されたことがあったが、しかしそれから数十年、この世から忘れ去られたように、コンヴィチュニーのブラ1は、市場から姿を消してしまった。

そして、多くのの音源が覆刻されCD化されるのに、この音源は未だ国内発売がなく、過去に輸入盤でCDとなったが現在廃盤となっている。
エテルナかドイツ・シャルプラッテンに音源があると思われるから、ぜひリマスターの上で覆刻願いたいものだ。

ブラ1ファン、コンヴィチュニーファンの羨望の的にもなっている・・・と言いたいところだが、決してそうではないのが現状のようで、多分コンヴィチュニー/ゲヴァントハウス管に、ブラ1の録音があったことを知る人が少ないせいだろう。

なんとか市場にあるコンヴィチュニーの音盤はほとんど収集することができたが、それに伴い今から10年ほど昔からコンヴィチュニーのブラ1がどうしても聞きたいと思うようになり、そのために覚えたネットオークションで提供者を待ち続けた。

それからしばらくして出品があり、少し高額だったがなんとか落札。

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こうしていまようやく手元に念願のブラ1がある。

ブログに早い段階に書くところだったが、今見返スト、写真を掲載しただけに終わっていることが分かり、そのこともあって本日改めて書くこととなった。

今まで何回この音盤を聴いたことか。
聞けば聞くほどに、この演奏の素晴らしさが、そして新しい発見があるから、昨日も今朝も聞いてしまった程。

これは今まで小生も評価してきた、ミュンシュ盤以上の出来ではないだろうか。
依頼掲示板には、コンヴィチュニーのブラ1を何度となく紹介してきたが、いかんせん音盤が廃盤、入手困難だから聴くことがにも叶わぬ夢、多少興味があってもオークションなどで苦労して入手する人は限られた。

なぜこの素晴らしい、そしてただでさえ数少ないコンヴィチュニーとゲヴァントハウス管の、ステレオ録音の比較的状態のよい音が縁が復刻されないのか。

さらにこの音源は、1962年コンヴィチュニー最後のライブ録音でもあるのに、なんの事情があるのか知らないが、このような付加価値もつき、そして多くのブラ1の中でもトップランクに称されるこの演奏を、闇に葬ってしまうことが許されるのだろうか。

そんなことがあるとするなら、非常にもったいないことだし、多くのブラ1ファンの機会損失であろう。

数は少ないが、コンヴィチュニーの熱狂的愛好者にとっては、多分喉から手の音盤であろうから、なんとしても覆刻を望ものである。

バンベルク響との新世界も、問題だったウイーン響とのブルックナー4番も長い年月の末良い状態で覆刻となったから、いずれはそうなると思うが、ブラ1ファンは多いのだから、なんとか早めていただきたい。

小生はコンヴィチュニーのブラ1を形容して、掲示版などには、フルヴェンを「自由の中の規律」、コンヴィチュニーを「規律の中の自由」、などと今思えば訳のわからないような、そしてさらにコンヴィチュニーのブラ1を、西洋式石積みによる城壁ではなく、日本式の、不揃いな石を組み合わせて使うが出来上がりは寸分の隙もない緻密な作りのように表現したことがあった。

今でもだいたいそのような感想を持っているが、追加して言うなら、ここでのゲヴァントハウス管の紡ぎ出す音色に言及しなければならない。

おそらくベートーヴェン全集やシューマン全集を聞いてだと思うのだが、渋い音、いぶし銀の音、中には古色蒼然と形容するのを見受けるほど、このオケの音色に関しての論評はおしなべてそうなっている。

しかしそのことの大半は、録音によるものだと考えたほうが良さそうである。

というのは、まず国内発売のLPそれに最近のいくつかのCDにおいての音色は、いずれもそのような感想を与えるのに一役買ってしまっているからであり、もしエテルナのオリジナル盤や、せめてベルリンクラシックスの初期CD盤を聴けば、さらにさらに最後の録音であり、コンヴィチュニーとゲヴァントハウス管では、かなり優秀な部類のブラ1を聴けば、先に挙げたような形容詞が本当に妥当否かがわかろうというもの。

無骨だとか素朴だとか重心が低いだとか、あるいはドイツ的だとか、コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管の演奏やpケの音色を言い表してきた修辞法が、ほんの表面でしかないことに気づくはずだ。

ビブラートを強くかけない弦の音色は、ベートーヴェンやシューマンで聞くと、乾いていて艶がなく、したがって素朴で古めかしく聞こえることもあるが、良い状態の録音で聞くと、弦楽器に柔らかさと艶が加わり、倍音・ハーモニクスが聞こえてくるように響き、むしろヴィブラートたっぷりの、ウイーンフィルの弦とは方向の異なる心地良い響きを出していることがわかる。

コンヴィチュニー晩年のゲヴァントハウスは、かなりい質が落ちた、そう言った物知り顔の論評が一部でみかけることがあるが、そのようなものが的を得てないことは、この演奏を聴けば一目瞭然である。

言えることは、コンヴィチュニーには、出来不出来が割とあって、録音自体が少ないから、そのような演奏も復刻されているから、不出来の時の演奏ですべてを語るのは公平性を欠くことになる。

したがってそれぞれの演奏についてのコメントが必要とされるのは言うまでもないが、ごく最近まで代表的音盤しかなかったが、2001年に合いついで発売となった2つの全集でかなり変わるかも知れない。

現にここ10年で、コンヴィチュニーの愛好者が、かなり増えたように思うのはハズレではないと思う。

とはいってもしかし、残念ながら、このブラ1の演奏を聞く機会に恵まれないことが、いまでもそういった偏った見方の論調の存在する原因だと小生は思っている。

よく鍛錬された、素晴らしい技術の上に成り立つ上に、それまでにないほどゲヴァントハウス管の集中度が感じられ、ライブというのに一切瑕疵がない。

コンヴィチュニーも、まさかこれが最後の録音になるとは思っていなかっただろうが、そう思えるように、過去の良き演奏以上の燃焼度の高い統率力で、これぞブラームスというような、入魂の演奏をやってくれた。

小生が素晴らしい演奏の時に使う「音霊」のあるブラームスが聞けることになる。

ここでのゲヴァントハウス管の弦の音色は、ブラームスのハーモニーを奏でるとき、絹と絹・・・あるいは麻と麻とが重なりあって、モアレを美しく出すように、その重なり具合が異次元の響きを醸しだすようなところがあり、弦の音とは違う何かの音が響いてくるようなところがあって、このあたりが他のオケではあまり感じられないところ。

聞かせ所の終楽章のホルンは、おそらくペーター・ダムではないだろうか。
その音色、息の長さと柔らかさは、数ある演奏の中でもおそらく最上の出来だと思うところ。

重厚ではあるが、文字で表現するほど、そして世間で言われるほど重い、言い換えれば鈍い演奏ではなく、緩やかなインテンポで進が、しかしだんだんリニアに音楽が強くなっていき、これまでのライブで見せたコンヴィチュニーの個性の1つである、思い切ったリタルランドしながらのクレッシェンドをセーブした、もう1つ異なる精神次元へと上り詰めるコンヴィチュニーを垣間見ることの出来る演奏である。

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by noanoa1970 | 2011-04-30 11:23 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(10)

未完成ブログ、ゲヴァントハウス管は変貌したのか

実はこのブログ記事、3週間前に書いたのだが、未だに結論が出ないため、今回は断念したもの。

しかし今後の課題として忘れないように、残すことにしたので、恥ずかしながらUPしておくことにした。

コンヴィチュニー時代のゲヴァントハウス管は、実力も、その音色もとても良かった、というのがいわば定説のごとくなってきている。

それでは同じような論評、「コンヴィチュニー以後のLGOは駄目になった」というのがあるが、果たして本当にそうなのか。

このことを確かめたく、ステレオ録音で聴けるゲヴァントハウス管を、歴代の指揮者で聴き比べることにした。

同じ楽曲が望ましかったが、それは無理と分かり断念。

今回はオケの実力と音色が中心だから、指揮者そのものについてはなるべく言及しないつもりだ。

ただし、歴代と言っても、この度小生が聞き及んだものは、ステレオ録音で聞ける3人のカペルマイスター、つまりフランツ・コンヴィチュニー、ヴァーツラフ・ノイマン、そしてクルト・マズア時代の録音の一部と、客演のクルト・ザンデルリンクを加えた音盤。

聞き及んだものは、ほんの一部でしか過ぎないから、的を得てない可能性があることを予め申し上げておかなければならない。

また、このことによって、ゲヴァントハウス管のオケの実力や音の差が、心底明快になるとは決して思ってはいないが、それでもよく言われるような、コンヴィチュニー時代のゲヴァントハウスは素晴らしかったが、それ以後はオケの実力が衰えて、したがってその音楽と音色は、かつての良き時代からは遠いものとなったなどという、かつて読んだ記憶がある某評論家の論評が本当に正しいのか否かを、自己判断するものには成り得るのではないかと思う。

ノスタルジックに、古きよきものを語るという、人間の常はあるとしても、それが的を得ているものか、それとも単に昔語りなのか、そのあたりを追求することは、いわばタブー視されてきたような気がする。

「昔はよかった」、そんな言葉が耳から離れない年齢に小生もなってきたが、それ故に、今一度そのようなものが神話か迷信か、それともやはり真実なのかを、自分の耳で確かめたいと思ったのが今回のいきさつであった。

そして、今回思いついたのは、小生が最も好んでいる、フランツ・コンヴィチュニーと、その時代のゲヴァントハウス管の実力やオケの音色が、それ以後の代表的な2人プラス一人の指揮者の時代と、愛好家達によって言われるほどの、そんなにも大きな違いが、ほんとうにあるのか、ここらでぜひ確認しておきたいという欲求からのことである。

コンヴィチュニーがカペルマイスターに就任したのは1948そして1962に死去したから、14年間務めたことになるが、我々が聴くことが可能なモノは、主に積極的に録音を残した1950年代になってから、そしてステレオ録音は60年代になってからで、極少数にしか過ぎなかった。


ノイマンは1964~1968の4年間、マズアは、1970-1996四半世紀あまりと、3人の中では一番長く、彼らの時代になると、はほぼ全てがステレオ録音である。

小生は普段モノラルであれ、ステレオ録音であれ、差別はしないが、比較に際しては、録音の条件をなるべく同じようにしたほうが良いだろうと思い、演奏比較ではないこともあって、ステレオ録音から選択することにした。

おそらくコンヴィチュニー時代も、マズア時代にもオケ自体には、様々な変化があっただろうから、事実を確認するためには、各年代別に細かく聞き分けることが必要と思うが、それをやるには、コンヴィチュニー以外の手持ちの音盤が少なすぎるから、それは今後の課題とし、今回は代表的な録音のもとで、ということになってしまった。

さて、何をを取り上げるか迷ったのだが、録音に差がありすぎると、正当な評価ができない可能性があるから、特にコンヴィチュニーは、比較的録音の良いステレオ盤から選ぶことにした。

オケの人数や楽器編成が、なるべく似通っているもので選択することにした。
たまたまチョスの参考となるCD選集「ゲヴァントハウス名演集」があったからそれを大いに利用することにした。

コンヴィチュニーはブルックナーの5番1961。
ノイマンはマーラーの5番1967。
そしてマズアは、ベートーヴェンの9番。1971
客演のザンデルリンクはブルックナーの3番。1965をチョイス。

主に以上を聴いて、今回は指揮者云々よりも、オケの力と音色がどのように変化したのか、あるいはそうでないのかの確認を試みた。

・・・しかし、虚しく挫折・・・今のところそれについてのコメントが出来ない状態。
いずれ書こうと思うが、ザンプル数が少ないので自信なし。
次回やるとすれば、シャイーを含めた検証が必要だろう。

今回は未完成に終わるがそれも致し方ない、無謀なことに取り組んでしまったのだから。
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by noanoa1970 | 2011-04-29 14:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(10)

GWの予定はイタリアンで

もちろんイタリアに行くのではないし、得意のイタリア料理で誰かをもてなすのでもない。

そう、GWといっても、残念なことに小生の場合、日常と全く変わることはない。

かつてGW直前にあった、あのワクワク感が薄れてしまったのは、寂しい気もするが、今ではこの期間、どこに行っても混雑するから、家の中に閉じこもることがほとんどである。
ディランの歌に「どこにもいけない」というのがあるが、小生は「どこにもいかない」である。

その気になれば、いつでもそうすることが出来る時間が取れる年令になった小生、ここは1つ、GWというものを名前だけ利用し、普段手を付けてない領域に手を伸ばすことにした。

その領域とはずばり、イタリアオペラだ。

ドイツオペラはかなり家事ってきたと思うが、イタリアンは、あのベルカントが肌に合わないため、これまで避けてきたのが実情だ。

おまけに少し昔はLDがものすごく高価だったこともあり、購入するならば、ドイツオペラとなってしまったことも手伝ったから、超有名イタリアオペラでさえ、全部は見聞きしていない。

しかも観るというより、俗にいうハイライト盤を聴くだけでお茶を濁してきた、と言ったほうが当たっているかも知れない。

そこでよい機会だから、というのは、昨年11月BS-hiで放映され、録画しておいた一連のメトロポリタンオペラが、全てイタリアンだったから、これをジックリと観ると決めた。

演目は

①プッチーニの「トスカ」 ジョセフ・コラネリ指揮、メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱団。
《演出》リュック・ボンディ

②ヴェルディの「アイーダ」 ダニエレ・ガッティ指揮、同上、メトロポリタンバレー団。
《演出》ソニヤ・フリゼル

③プッチーニの「トゥーランドット」 アンドリス・ネルソンス指揮、同上。
《演出》フランコ・ゼッフィレッリ

④ オッフェンバックの「ホフマン物語」 ジェームズ・レヴァイン指揮、同上。
《演出》 バートレット・シェア

さらに今年録画しておいた、ミラノ・スカラ座オペラ公演から

⑤『ランスへの旅』(ロッシーニ)
⑥『ドン・カルロ』(ヴェルディ)
⑦『マリア・ストゥアルダ』(ドニゼッティ)
⑧『アイーダ』(ヴェルディ)

こちらを先に上げるべきだったが、バレンボイムが指揮する「アイーダ」が興味をひく。
興味はドニゼッティの「マリーステュアート」。
歴史的にも関心がある、このスコットランド女王とイングランド女王の覇権争いをどのようにオペラ化したのかが興味の的。

そして「ホフマン物語」も舟歌と名前だけ知る不届き者だから、敬意を払ってみなければ。

「ランス」にいたっては名前すら記憶の彼方。
ストーリーと背景ぐらいは予習しなくては。

メトロとミラノでのアイーダの、演出の違いを観ることができるが、8本ものオペラ、GW期間中に観ることが、果たして出来るだろうか。
しかし例え見れなくても、いつだってその気になれば・・・・だから気楽といえばお気楽。
無理すると、ろくなことはない。

イタリアンが続くから、それまでにと、いま観ている小澤の「オランダ人」、オケが前に出過ぎ、演出が負けている感があるので、音だけで聴くほうが、より良いと思うが、しかし小澤にしては、かなり良い出来のほうではないかと思う。

小澤のオペラは、特にワーグナーは、コレから開花するのではないだろうか。
でも小澤の「指輪」は、今のところちょっと考えられない。

メトロポリタンのカルメンがあったはずだと、録画内容を今チェックしてみると、さらに同じメトロのオペラが5つあることがわかった。
これも録画しておいたものだ。

カルメン
薔薇の騎士
シモン・ボッカネグラ
ハムレット
アルミーダ

オールイタリアンではないが、これも候補に入れなくてはならない。
そうなると合計13本となり、全部はとても無理だから、興味が有るものを優先選択することにした。

第1回目、とても迷うが、バレンボイムに敬意を表してミラノスカラ座公演「アイーダ」から始めるとするか。font>

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by noanoa1970 | 2011-04-29 09:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

ノイマン/ゲヴァントハウス管のマラ5アダージョ

テンシュテットのゆったりおおらかな演奏の次に、シェルヒェンの思っても見なかった、ロマンチックな演奏を聴いて、久しぶりに胸が熱くなった。

録音のせいもあるだろうが、テンシュテット盤は、ハープがすごく引き立っている。
そして指定のアダージェットを速度記号とは解さないで、さらにゆっくりめのアダージョで演奏しているが、艶がノッた弦パートの音色が、一段と美しさを表現していた。

シェルヘン盤は、シンバルの音がやたら強調されているが、これはライブ録音のせいだと思わる。
しかし途中、転調の場面で不自然に音量が突然大きくなるのは、録音のせいではなく、シェルヒェン独特のいつもの事であろう。

計測したわけではないが、ゆったりしたテンシュテットより、さらに時間をかけたように聴感上感じる。

あの変人のシェルヒェンが、まるで変身でもしたかのような、ロマンチックな音楽を聴かせるとは、夢想だにしていなかったから、これは嬉しい発見であった。

全曲まるごと聞くのであれば、もうこのあたりで聴き止め、というところだが、アダージョ楽章だけなら、と思って今度は、ノイマンを聴くことにした。

ノイマンというより本音を言えば、コンヴィチュニー以外でのゲヴァントハウス管を聞きたかったのだ。

ノイマンはスメタナとドヴォルザークをチェコフィルでほんの少し聴いていただけで、そうでなければ、わざわざそれもマーラーなどを聴く気にはなれない。

そんなふうに思っていたが、実際聴いてみてそれが誤った考えであることを、思い知らされてしまった。

ノイマンって、こんな演奏が出来る指揮者だったのだ、そんな風に思うほど、この演奏の出来は素晴らしい。

正直言ってコンヴィチュニー亡き後のゲヴァントハウス管は、実力も、オケの持ち味のシルキーな音色も、それらが無くなってしまった、そう思っていた。

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この演奏は1965年録音だから、コンヴィチュニーが亡くなってから、たった2年しかたってないから、オケの総合力が急激に衰えるはずもなく、そのことは指揮者の依存度が高かった証拠であろう。

ハッキリ言えば、コンヴィチュニー時代のゲヴァントハウス管の音楽は優秀だったが、ノイマン時代になって、伸び悩んでいるというのが、巷の解釈で、翻せばノイマンという指揮者の力がないということになる。

またチェコフィルという同郷のオケを振ったときの音楽と比べて、生粋のドイツオケであるゲヴァントハウス管の場合は、何が良くないのかわからないが、その音楽がこなれてないという論評もあった。

ノイマン/ゲヴァントハウス管の時代は、たった数年でしかなく、両者での録音は極少数でしかない。

チェコフィルとは20年もの付き合いだから、叛東ドイツ叛ソ連という政治心情の持ち主でもあったから、楽団員とそりが合わなかったのかも知れない。

しかし、このマラ5の演奏は、ノイマンの指揮者としての力量も含めた、そんな表層的な見方を大きく覆すような演奏であった。

ゲヴァントハウス管も、コンヴィチュニー時代の最後、録音状態が良かった時を凌駕する、エテルナの録音技術と相まって、さらに緻密なシルキートーンを聴かせてくれた。

嬉しいことに、弦の奏法はコンヴィチュニー時代とほとんど変わってなく、ビブラートはかなり抑えめ。

しかし録音状態がかなり良いから、かねてから言われた、ゲヴァントハウス管の渋いあるいは、いぶし銀の音色というよりは、もう少し艶やかな弦の音色、シルキートーンとも言うべき音色が聞こえてくる。

そういえばノイマンは、かつて指揮者になる前は、スメタナ弦楽四重奏団の第1vn奏者及びビオラ奏者を務めていたから、弦楽器の聞かせ所でもあるこのアダージョ楽章は得意だったのかも知れない。

ゲヴァントハウス管の弦の音色は、先に聞いた演奏がかなり甘くロマンチックに聞こえたのに比し、心情告白心情吐露を吐くようなときの喉奥の声のような感じがする。

このあたりは、迫り来る故郷チェコ弾圧が微妙に影を落としていたのかも知れない。
プラハの春1968年、おそらくチェコに移る最後の時、スメタナの「わが祖国」全曲を、ゲヴァントハウス管と録音したのも、ひょっとしたら、演奏音楽以上の何かがあったのかも知れない。
のちのチェコフィルに比べて、相当力が入った演奏だ。

ノイマンという人物は、単に音楽家芸術家という範疇にはおさまらない、社会性のある人間と言える。

したがって、彼の音楽は出来不出来が激しく散見されるが、気合がノッたときにはすごい演奏をしてくれ,その代表がマラ5ということができそうだ。

望郷の念が極端に強くなったと思われる時期のスメタナ、ドヴォルザークにもそのことが言え、それはチェコフィルとの演奏以上に、ゲヴァントハウス管時代に言えるような気がする。

したがってゲヴァントハウス管に対するコンヴィチュニー亡き後の評価は、ノイマン時代でのものではなさそうだ。

マズア時代のゲヴァントハウス管の検証が必要だが、それは今後の課題としよう。

ノイマンのマラ5アダージョ、あまりも素晴らしいので、全ての楽章を聞き直したが、楽章間のつながり・・・絆と言い換えてもいいのだが、それがとても有機的なところが、今まで聴いた他の演奏とは違うように思う。
そういう意味で、世間で定評があるインバル盤、小生にはその良さが全くわからない。

あぁ、ノイマンが指揮をしながら、感情込めて歌っている声がまた聞こえる。

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by noanoa1970 | 2011-04-28 10:36 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

マラ5・アダージョをシェルヒェンで

最近、聞く音楽が少なくなってきたようだ。

不定期的に昔から、音楽が聞けない時期が来ることがあったが、今回の要因は、それとは違って、あたらしい音盤を入手していないためである。

事実今年に入ってから、もう5ヶ月近くなるのに、1枚たりとも入手してないのだ。
それでも、過去に入手したがあまり真剣に聴いてなかった音盤を、取り出して聴いてきた。

それは必要なことで、数多くの音盤コレクションを持っている人をかなり見かけ、中には1万枚も所有しているという人もいる。

クラシック愛好年齢が15歳以上現在50歳と仮定すると、1日1枚聴いたとしても35年間でようやく12000枚聞けることになる。

実際に関わる年数は、もう少し少ないであろうと思っていいし、1日1枚必ずCDを聴くのも結構大変なことだから、実態はもう少し少なくなると思われる。

推測するに、そういう人は、チョイ聴きして放っておいた、あるいは全く未聴の音盤を相当お持ちではないだろうか。

小生はさほどの枚数は持ってないが、それでもチョイ聴きしたままの音盤は、少なからずある。

音響装置と音盤の相性や聴く側の体調などなどの条件で、音盤の表面的な自己判断をしてしまうことは、いけないことと思うのだが、そうなることもままある。

しかし音響装置の調整がうまくいったときや、気分が良いなどの環境が整ったときに、そういう音盤を聞くと、以前聴いたときと全く違う印象を得ることがあり、そして評価も劇的に変化することがある。

さて、本日はそのような音盤として、ヘルマン・シェルヒェンのマーラー5番からアダージョを取り上げることにした。

使用したスピーカーは、調整が勝手ありえなかったほど、すごくうまくいったYAMAHA<NS1000、QUADが故障したからやむなく使っていたが、ここ数年あることが切っけけで、苦節40年、クラシックもタンノイを凌駕するぐらい、素晴らしい音を聴かせてくれるようになったのだ。

アダージョ、もちろん全曲を聴いた上で、あえて取り上げることにしたのは、以前聴いたときはアダージョ楽章まできちんと聴かなかった・・・というより聴けなかったからだ。

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小生所有の音盤は、フランス国立放送管とのライブ演奏で、最初に聴いたときのスピーカーは、QUAD、ESL-63だったが、過渡特性が良すぎるのか、ライブ録音のアラを全部だしたから、音のバランスが良くなくて、シンバルの音がやたらと前に出てしまい、得意のはずのハープは、かなり引っ込み気味であった。

QUAD,他の音盤は難なくこなすのに、この音盤はどうしても相性がわるいらしく、弦の音色もギスギスしたから、それ以来棚の奥にしまいっぱなしになっていた音盤であった。

実は本日、先にテンシュテット/ロンドンフィルの演奏を、これも久しぶりだったが聴いて、改めてその良さがわかったので、こちらを取り上げようと思ったのだが、そういえばほとんど聴かずじまいのシェルヒェンがあったと、棚を探し出してそれを聴いたところ、以前の印象とはまるで違い、特にアダージョ楽章のすばらしさは天下一品ではないのかと、シェルヒェンに変更したというわけだ。

シェルヒェンという指揮者は変わり者である、という見方を以前からしてきたし、そのことは一連のベートーヴェンを聴けば分かりやすい。

まるで学生の素人オケを、好き勝手な解釈で操ろうとするが、あまりにも瞬間瞬間に、テンポを揺らすは、ルバートするは、こんな時にと思うようなところからクレッシェンドするは、勝手に編曲するは、それらが相まってか、オケが全くついていけず、ある箇所では完全に音楽が破綻しているところも散見される。

しかし、そんな細々したところは、聞き終えたときには全く気になっていなくて、むしろそうまでしてオケがいっぱいいっぱいになろうと関せず、自分の思いのたけを表現させたそのひたむきな姿勢に、感動すら覚えてしまうから厄介な指揮者なのだ。

だからだろう、熱心なファンが少なからず存在するのも、今では見られなくなってしまった「カリスマ」を、みて取れるからとも言えそうだ。

マラ5も尋常な演奏ではなく、前にテンシュテットのおおらかな演奏を聞いたから、余計に奇異に映る。

聴いていて、何か他の演奏とは音楽が違うような気がして、先ほど調べると、常識では考えられないようなこと、譜面にある小節を大胆にカットしているとのことだ。

それも200小節に及ぶいというから、聞こえてくる音楽は通常の演奏とは別物のように聞こえるところがあるのも頷ける。

なぜ200小節もカットしたのかは、大変興味があるが、本日はそこには触れないで、というよりまだ推測もしてないから、いずれまたということにする。

奇異な楽章が続くシェルヒェンだが、4楽章のアダージョになると、これが面白いことに「まとも」、まともすぎる以上にまともな演奏に変身する。

いや、「まとも」というよりその言葉を超越した言葉が適当だと思うが、今すぐにその言葉が見当たらない。

それまでの演奏が奇異だから「まとも」といったが、先に聞いたテンシュテットのアダージョ以上に情緒的だから、こういう演奏を聞くとシェルヒェンの本質はさらに遠くなって、並の人間の想像力を超えた存在、つまり怪物というしかなくなってしまう。

ベートーヴェンの第9、3楽章でも見せなかった、甘味で情緒的で、心の奥の襞をくすぐり、優しく撫でるような音楽がここには存在する。

聞き方としては、通常ではあまり感心しないが、シェルヒェンのマラ5は、アダージョだけ聴くのもいいと思う。

そんな聴き方も悪くないのではないか。

マーラーの5番アダージョ楽章は、おそらくそのような聞き方にも十分耐えるばかりか、十分通用する音楽ではないだろうか。

マーラーの音楽、特に交響曲を小生は、全ての楽章をひっくるめたときは、ブルックナートの決定的な違いだと思うのだが、あまり良くわからない音楽だが、楽章単位ではそれぞれ意味合いを強く投げかけることが多いと思う。

楽章ごとの独立具合が強いのは、マーラーの音楽の特徴ではないだろうか。

そしてマーラーは、こちらの精神状態が良い時でないと、聞けない音楽でもある。

さらに聴くものを振り回すから、相当注意位が必要だ。

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by noanoa1970 | 2011-04-27 18:10 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

お詫びがてらに

今朝早い音楽番組を録画したのを先程見て驚いた。

まだ録画前のものをチラ見したとき、ベートーヴェンの第9の演奏のさなかで、このような時期にやるのは珍しいから、番組表では「ズービン・メータ」となっているのに、何かの都合で、年末
のヘルムート・リリングの再放送かと思ったが、テナーの福井さんが歌うのを観て、これは違うと、改めて録画が終わったものを見た。

すると4月10日、ズービン・メータが指揮をした第9で、東日品大震災のチャリティコンサート、チケット代は義援金に当てるということだった。

先のブログで、小生が批判したのは間違いで良かったと、そして少々後ろめたさも手伝いながら演奏を聴いた。

しかし、もし東京だけでの1回限りのコンサートで終わるなら、依然として厳しいことを言わなければならない。
どうか継続して、出来れば全国で公演していただきたいものだ。

NHKであれば、「復興の象徴となる音楽」を誰かに依頼することも可能なはず。
それを携えて、復興支援コンサートなるものを公演していただくとさらに良いだろう。

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演奏の前に、メータも、楽団員も、観客も、全員が長い間黙祷したのは、追悼の心はモチロンのこと、この日のコンサートに臨む全員が、緊張感を持続する儀式としても意味を持つ。

したがってメータとN響の第9、いかなる音楽を聴かせてくれるのかの期待が否応なしに膨らむ。

テナーの志田さんは、岩手の出身で、今回の災害で家屋が破壊されたというし、親類縁者に災害に遭われた方がいる団員も、少なからずいると思う。

今回のコンサートが、3.12北米ツアーのお詫び公演や、方便の為の公演に終わらないように、これからも注目していきたいが、とにかくも、このようなチャリティ公演をすることにしたのは、評価しておかねばならない。

ただ勘違いしないで欲しいのは、自分たちの演奏は、被災現地の人々には届かないということ。
被災地の人たちは、TVのクラシック番組など見ている暇も余裕もないということだ。
余程のクラシックファンでも、そうだと思う。

音楽関係者が、そしてN響の団員が、口々に言っている、音楽で、音楽の力で、被災した人たちを、元気づけ勇気づけ、明るくなってもらいたいと、本気で思うのなら、現地に入って、被災者と顔を付きあわせて、演奏するしかないのではないか。

このようなことを、言わざるを得ないほど、特にクラシック音楽分野の人達は、的が外れたことを平気で言うのが目について仕方が無い。

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さてメータの第9はどうだったか

「津波のような第9」・・・こんな時にたとえは良くないのは承知だが、メータはじめ団員全体が、何らかの強迫観念に取り付かれでもしているかのようだ。

別の良い言葉にするなら、「被災者の気持ちと、なんとか同化しようとしている」と言っても良い。

そのことは、ものすごく速いテンポをインテンポで突き進むが、聴かせどころではリタルランド、クレッシェンドを生かし切った演奏にあらわれていて、まさに「疾風怒涛」の第9という演奏であった。

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小生はメータの第9を初めて見聞きしたが、こんなにテンポの速い指揮者だとは今まで思ったことがなかった。

やはり、このコンサートに臨んでの気持ちに、いつもと違う何かがあったのだろう。
演奏直前にメータが入った言葉の中に、ショプ性はそのヒントがあるように思う。

黙祷に入る前、メータは、被災された人たち、その家族、そして・・・「ペットに哀悼の意を表する」といった。

今まで誰がいったい「ペット」に対する哀悼の意を唱えただろうか。
こんな時、「ペット」にまで心配りができる人、そうざらにはいない。
そして、メータが、きっと心の大変おおらかな優しい人であろうことを確信した。

小生はこの一言を聞いたとき、メータのなみなみならぬ想いを見たような気がする。

そういう気持ちの、ものすごく入った状態だから、あのような疾風怒濤の如くの演奏になったのか。

少し練習不足があったのか、N響はやや固くなっていたようで、メータの棒に十分な反応をしないところもあったが、ピッコロ、オーボエが音を少し外しただけで、前のめりにならずよく健闘した。

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歌手陣は、やはり志田さんが大検討。
顔を真っ赤にしてまで歌いきった姿は感動もの。

合唱もペースを乱すことなく、メータの棒にしたがって、カチッとしたハーモニーを聴かせてくれた。

テンポが極速い割には、細かいところまできっちりと抑えていて、メータの新側面を垣間見ることができた演奏であった。

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by NOANOA1970 | 2011-04-24 13:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

なぜ日本を代表するオケは・・・・

小生は先のブログで、東日本大震災の翌日、北米へ演奏旅行に出かけたあるオケを、あえて非難した記事を書いた。

それはその時、彼らの代表が言い放った言葉が、いかにも言い訳じみて聞こえたからであり、同時に言った、「良い演奏を届けることが我々の使命」というもの。

後日それはたしかに、その時のコンサートはTVで放映されたが、まだ震災の真っ只中のことだから、被災地のみなさんは絶対に観ることがかなわなかったはず。

いったいこの人、誰に届けるつもりで、あのように言ったのだろうか。

多分いずれすぐに、放送されるということを知っていて、あのように言ったと思うが、あの未曽有の大震災の中、被災地の人たちに伝わるとでもほんとうに思っての発言だったのか。

小生はこれらの「芸術至上主義的」言動から、いわゆる芸術家と称する人たちの社会意識の欠如を見たような気がしてならない。

音楽をやることが使命・・・というのならば、少人数のユニットを組んで、被災地を回って、ミニコンサートを開催して聞いてもらうか、あるいはそれがかなわないのであれば、全国ツアーを企画し、その収益を全て義援金にするとか、何らかの方法で協力できるはずであろう。

非クラシック畑の、かなり多くの様々な人達が、何らかの形で義援行為をしようとしているにもかかわらず、クラシック分野の人たちのそのような行為は、今のところ一切聞こえてこない。

ただ、被災地の仙台フィルのメンバーだけが、ユニットを組んで、避難先を回る、巡回コンサートをやったというニュースを見聞きしたのみである。

直接被災にあった土地のオーケストラのメンバーが、このようなことをやっていると言うのに、何も被害にあってない土地のオーケストラは、いったい何をやっているのだろうか。

聴くこともかなわぬ被災地の人々に、我々の使命は演奏で、良い演奏をし、それを届けること・・・などと、あまりにも身勝手な言葉を、まだ発しようというのだろうか。

特に唯一の公のオーケストラ。
公共放送局が義援金募集を国民に募るなら、自らも義援の行動をして見せてほしい。

NHKは、「日本復活」の為の音楽を、然るべき作曲家に依頼し、それを持ってオーケストラには、「日本・東日本復興のための全国ツアー」を企画実施しするぐらいのことをやっtらどうか。

真剣に考えれば、アイディア派いくらでもでるし、資金は国民からの視聴料があるから、民法のようにCM激変の煽りは食わないはず。

全国ツアーコンサートチケット売上は、全て義援金に当てるぐらいの気構えを見せていただきたい。

自分のチケット代金が義援金となるなら、きっと国民も賛同しコンサートは盛況となろう。

N響の理事は、北米旅行先のインタービューで、「演奏家の使命は演奏することにある。
日本が厳しい状況にあるからこそ、優れた演奏を行い、立ち上がる日本の力強さを示し、
そしてその演奏を日本にも届けたい」・・・そう言ったが、方便に終わることないよう、いまこそ行動が求められるのだと思う。


いみじくも言ったN響理事の言葉、「日本が厳しい状況にあるからこそ、優れた演奏を行い、立ち上がる日本の力強さを示す」の言葉を反故にしないようにして頂きたい。

海外のオケがすでにアクションを起こしたのに比べても、日本のオケそして日本を代表するオケが、未だになんのアクションも起こさないのは、誠に残念なことである。

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by noanoa1970 | 2011-04-22 15:46 | トピックス | Comments(0)

聖金曜日にちなみ、ルカ受難曲を聴く。

小生は、キリスト教徒ではないが、キリスト教の祭事には関心を持っている。

それは、クラシック音楽と宗教、とくにキリスト教よは密接な関係があり、クラシック音楽はキリスト教の発展と強く結びついていて、今日に至る音楽の発展は、キリスト教が背景にあると言っても、過言ではないと思うからである。

もうひとつ、キリスト教の祭事は、古代ケルト他、他民族の宗教儀式と関連がある、というより、それらをうまく取り入れたとも考えられるから、その意味においても興味がある。

キリストの復活祭を「イースター」といい、近くのキリスト協会の子供たちが、様々な衣装を着て変身して、行進する姿を見ることがあるし、卵に着色したり卵で人形を作ったりする風習がある。そして、その風習はキリスト教圏だけではないらしい。

卵を崇めるのは、母神信仰・・・つまり豊醇な母なる大地は、月のウサギによって、もたらされた玉子の殻で出来ており、宇宙は卵から出来ているという信仰があったからだとも言う。

蛇が脱皮を繰り返しながら成長することや、他の樹木に寄生して生きる「ヤドリギ」を、長寿の象徴としたのだろうか、それらを崇拝する信仰もあった。

こういう自然崇拝に近いものは、元来のキリスト教では、考えられないから、異民族の宗教的概念の模倣及び輸入であろう。

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NAXOS 8.557149
イザベッラ・クロシンスカ - Izabela Klosinska (ソプラノ)
Krzysztof Kolberger (朗読)
アダム・クルシェフスキ - Adam Kruszewski (バリトン)
ロムアルト・テサロヴィチ - Romuald Tesarowicz (バス)
ワルシャワ少年合唱団 - Warsaw Boys Choir
ワルシャワ・フィルハーモニー合唱団 - Warsaw Philharmonic Choir
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 - Warsaw Philharmonic Orchestra
アントニ・ヴィト - Antoni Wit (指揮者)

本日取り上げる(ルカ)受難曲は、キリスト教の聖週間における典礼と密接に結びついているから、復活祭前の1週間における宗教的音楽としても、適した音楽ということになる。


「復活祭」にちなみ、難しい用語が出てくるから、一度整理しておくことにした。

復活祭は、春分の日の後最初の満月の次の日曜日。
そして、復活祭前日までを受難節という。

受難節は、日曜日を除く40日で、これは、キリストの40日間の断食祈祷からである。
受難最初の日を、灰の水曜日という。

ややこしいが、定理に従うと、
春分の日が3月21日(月)
春分の日後最初の満月は、4月18日(月)

したがって、復活祭は4月24日(日)
受難節は復活祭前日までだから、4月23日までとなる。

灰の水曜日は3月9日(水)
肝心の、キリスト受難日である、聖金曜日はちょうど今日(4月22日(金)ということになる。

今年は、あの東日本大地震と大津波が、未曽有の大災害をもたらしたから、きっと世界中がこの祭事に際し、改めて日本の復活をも祈ってくれることと思う。

「ルカ受難曲」には、大バッハ他の作品もあるが、今日聴いたのは、「ペンデレツキ」の作品だ。

【十字架よ、唯一の希望よ】という、冒頭から、まずはそのインパクトの強さに驚かされる。

再生時のヴォリュームを上げすぎないように、という注意書きを読んだ記憶があるが、それは正しくそのとおりで、上げ気味のいつものヴォリュームだと、ツイーターが吹っ飛ぶおそれが多分にあるぐらいだ。

内容は他の受難曲とほとんど差はないが、特徴的なのは、キリスト自身のアリアが存在すること。
以下のように語られる。

【我が神よ、我が神よ、我をご覧下さい。
なぜ我をお見捨てになるのか。
我が神よ、呼び求めても、答えてくださらない。
主よ、我が言葉にお耳をお貸し下さい。、
我がうめきご理解ください。】

受難曲から派生した・・・と、あえて言うが、ベートーヴェン唯一のオラトリオ、「オリーブ山上のキリスト」も聞きたくなってくる。

マタイ受難曲第63曲b、息を引き取ったイエスに、「本当にこの方は、神の子だったのだ」前後の、この曲の聞かせ所が、ルカ受難曲には少ししかないのが残念といえば残念だ。

イエスキリストの死に際し

【全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。】と、「エリエリ・レマ・サバクタニ」はないまま、割と簡単になっているが、多分これは上のキリスト自身のアリアがあるためであろう。

マタイにある、地震についての語りも、省略されている。

マタイ受難曲が「キリストの死」をハイライトしたことを思うと、やや物足りないが、しかし、そこをペンデレツキは、見事に補っているようだ。

楽曲の中に「神の怒りの日」のフレーズがあるのではと探したが、今のところ発見できてはいない。

一番小生が興味を持ったのは、スターバト・マーテル冒頭から、かなり長いあいだ、アカペラの男性合唱が、たった1音の連続で、「スターバト・マーテル」を歌い、やがて女性コーラスが不協的和声で加わるところ。

ここはいつ聞いても涙腺が緩み、単独のスターバトマーテルに十分匹敵するものとなっているように思う。

ペンデレツキはこの方法を好んだらしく、他でも使っているが、単純な音型を使った手法にもかかわらず、慟哭あるいは悲しみを必死に堪える、2人のマリアの様子が眼に浮かぶようで、かなりインパクトある音楽となっているのがすごいところ。

ペンデレツキは、この曲を、アウシュヴィッツの悲劇、そして第二次世界大戦での受難の曲として書いたと言われるが、そのことを発展させて、東日本大震災の受難追悼に聴くことも、十分似合っていると思う処である。

受難曲あるいは詩篇からの派生音楽として、先に挙げた「オリーブ山上のキリスト」そして「スターバト・マーテル」ほかがあるが、今日はこの後ベートーヴェンを、ヘルムート・コッホそしてプーランクをジョルジュ・プレートルで聞くことにした。

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by noanoa1970 | 2011-04-21 18:35 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

おとだま・おとかえ・・・フリッチャイ

小生はずいぶん前から、「音魂」「音霊」という自分の造語を使って、演奏の印象を述べることがあった。

もちろんその造語は、「言魂」「言霊」からの発想であるのは、いうまでもない。

そのような音楽を表出する指揮者として、小生はよくF・コンヴィチュニーを挙げてきたが、フェレンツ・フリッチャイもそういう一人と言ってよいだろう。

ご存知のとおり、そして以前のブログにて、新旧ある彼の「新世界」の演奏において、その演奏スタイルが、激変していることについて書いた記憶がある。

不治の病を宣告されて、入退院を繰り返し、一時的な復帰後の演奏スタイルは、それまでのザッハリッヒなスタイルから一変して、表現主義的とも言えるような演奏スタイルへと変化した。

スタジオ録音とライブでは演奏スタイルが変わる指揮者もいるにはいるが、それはあくまでその指揮者の演奏スタイルから推測可能なものでの些細な変化であって、フリッチャイ程の大きな変化ではない。

しからばなぜフリッチャイは、このような劇的な演奏スタイルの変化を見せたのだろうか。

このことについて、多くの人は「病気」が原因とし、不治の病を知って、厭世的になり、それが音楽に反映したなどというが、それ以上に迫るものを小生は知らない。

本人が語らないから、いや、たとえ本人が語ったとしても、本当のことは、わからないが、推測することは、残された人の特権だから、ここは小生の思いを推測を兼ねてしてみたい。

タイトルを「おとだま」・・・「音魂」「音霊」そして「おとかえ」・・・「音変え」「音替え」「音換え「音代え」としたのは、不治の病に冒されたフリッチャイだが、決して厭世的な気分ではなく、(そのことは彼の音楽を聴けば一目瞭然で、音楽のエネルギーは何も削がれてはおらず、逆に以前よりもエネルギッシュで、かつ、深みに達した感がある)アップテンポからスローテンポへの変化はあるが、そのような表面的な変化で、厭世的だというのは的外れで、強い意志の変化があってか、以前よりもアグレッシブさを感じさせると、小生は思っているからである。

そしてその要因は、音霊→音代えにあると推測したのである。

古代から日本人は、国中になにか不吉なことが起こると遷都をした。

日常的には、言葉に宿る霊的なものを大切に、つまり言葉=音声が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じてきた。

吉兆の言葉は吉事をもたらし、不吉な言葉を発すれば凶事が起こるとされたのである。

例えはあまり良くないが、ヒゲを剃(す)るをヒゲを剃(そ)るといったり、スルメをアタリメというのも、「する」という、忌み言葉を嫌ったからであろう。

結婚式のスピーチで、分かれる離れる切れるなどの言葉を使わないようにするのも、単に縁起を担ぐというだけでなく、「言霊」に対する信仰の名残といっても良いだろう。

フリッチャイは不治の病を宣告されるが、この苦境に勝ってこの先も音楽に専念したいという願望を持ち続けた。

今の苦境を断ち切るためには、どうしたらよいかを考えたに違いない。

そして病床で考えた末に思いついたのが、音楽における音魂の存在であり、現状を打破するための「音代え」、すなわち演奏スタイルの大幅な変革であった。

音楽に宿る「音霊」に気づき、災い転じて福と成す為に、「ことかえ 」ならぬ「音代え」によって凶事から脱しようとしたのではないだろうか。

言霊は、東洋思想あるいは日本独自のものでなく、幅広く世界的なものであるといい、キリスト教や他の宗教にも、呪文や詔や祈祷文というj形で存在するというから、異文化圏のフリッチャイがそのことを思いついたとしても、なんの不思議もない。

フリッチャイの晩年の音楽は、スローテンポになったことは事実だが、(騙されやすいのだが、)そのことを称して、厭世的になったというものは一切無く、音楽を聴けばよくわかることなのだが、1音1音に霊が乗り、その上で非常に冷静な音楽構成をし、音のパースペクティブを慮った深淵で巨大な音楽をつくっていることからも、決して彼岸を見ていたわけではないのだ。

彼の音楽から見えるものは、音楽への情熱と生きることへの執念である。

演奏スタイルの変貌は、生きて音楽をやりたいという願望の成果であり、執念であり情念の結果である。

スローテンポという表面的な事象だけに目を奪われないで、音楽をジックリ聞くと、現状を脱却するという意気込みを、演奏という表現行為によって、そして楽譜の向こうの作者への尊崇の念によく現れているような気がしてならない。

晩年のフリッチャイは、アグレッシブである。

そのことを体感させてくれる、代表的なな音楽は、やはりベートーヴェンだ。

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本日は5番と7番のカップリングの音盤で聴くことにした。

リピート無しで38分かけた運命も素晴らしいが、7番はそれにも増して素晴らしい。

まず特徴的なのは、出てくる音の響かせかたそのものが、通常とは趣きを異にするもの。

各パートの音が非常に鮮明で、かつ、ミクスチャーされた音が、鋭さと柔軟さが相まって、(全体的にスローテンポではあるが、そして注意してないと気がつきにくいが)、楽章を追うごとにテンションがリニアに上がっていき、終楽章では1つ1つの音が有機的なつながりを持ち、噛み締めるようなリズムとともに、ツッティにつき進んでいく。

音楽のテンションが急激に変化するカルロス・クライバー/バイエルンとは、自然でリニアな音楽のが持つ訴求力・・・「音霊」の存在感という意味で、対局にある演奏と言えるだろう。

聴き終えた後、何時までも心に響き残る音楽と、聴いているうちは躍動感に満ち心弾むのだが、聴き終えるとそれっきりで、後に残るものが少ない音楽。

後者を音霊のある音楽と、小生は言う事にしている。

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by noanoa1970 | 2011-04-13 09:51 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(8)