たまにはこんなブラームスも・・その2

棚を漁って面白げなLPレコードをピックアップしておいたものを、徐々に聴いているところ、

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比較的安価だった廉価盤の輸入盤、コレクションの中でそんなには多くはないが、その中からスメタナSQとウラジミール・ルジーハのクラリネットによるブラームス。

ジャケットが漫画チックで、いかにも安っぽいから、中身も大したことがないように思えてしまうのは、致し方ないところだが、外観とは逆で中身の演奏は相当によい。

スメタナSQのブラームスは、何故か録音が少なく、他にはコチアンSQとユニットを組んだ弦楽六重奏と、弦楽四重奏曲第3番変ロ長調しかないようである。

室内楽の宝庫である、ブラームス作品の録音が極端に少ないのは、実に不思議なことだが何か理由があるのだろうか。

小生個人的には、スメタナSQの音色は、ブラームスにはあまりそぐわないように思うのだが・・・

ブラームス作品が少ないという意味では、本日取り上げるクラ5は、残された貴重な録音だといえるが、果たしてその演奏はいかに。

暖かく柔らかく人を包み込むようなブラームス。
スメタナSQの表情も、ルジーハのクラリネットの音色も、暖色系等の音楽を作っている。
この演奏では、北ドイツのブラームスといったイメージが醸し出すところはまったく存在しない。

スメタナSQの弦の音色は、ブラームスにはそぐわしくないような、柔らかさとしっとり感を横溢させ、しかもかなり歌うから、他の演奏のいくつかで、ブラームスが見せる緊張感や寂寞感は、ほとんど聞こえてこない。

ブラームスがその最後の作品群で到達した境地、涅槃寂静というものがあるとすれば、これはそれに近い表現の演奏のように受け取ることも可能だ。

少々飛躍するが、諦観・・・「吾唯足ることを知る」のような境地に到達したブラームスを、演奏方法と音色で表現すれば、この演奏が最も相応しいのかもしれない。

クラリネットの音色は、甘い香りを漂わせるが、いつも必ず仄暗さを併せ持つ。

ブラームスが最晩年の作品に、クラリネットの曲を3曲書いたことには、クラリネットの音色が醸し出すものに、大いに関系がありそうだ。

ブラームスには、一見明るく聞こえるが常に潜む暗さ、表面に出るものと本心は違うというクラリネットの概念が似合っていると小生は思うし、さらには心の揺れを打ち明けられず、いつまでも言い出しかねている、そんなイメージによる演奏スタイルがブラームス的だと思わぬでもなかった。

しかし、その逆の、ほんのりと明るく暖かいクラリネットの音色を出すルジーハと、それに加え柔和な弦の音色が相まって、今まで聴いてきたブラームスの音楽、そしてその演奏スタイルとは異なるももの。

それが先日のプリンツ/ウイーン室内合奏団であり、今回のスメタナSQ/ウラジミール・ルジーハの演奏だ。

カール・ライスターのいくつかの演奏録音とは、趣を異にしているが、このような演奏も決して悪くない。

こんなブラームス・・・ブラームスの人物像に、若干の変化を与えるようだ。

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by noanoa1970 | 2011-02-28 06:43 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

司馬遼太郎の傑作が

このドラマ時代劇が放映されたのは、確か1965か6年ごろ、小生が高校生1年か2年のころである。

東海地方では確か、土曜日の午後2時からの放映だったが、遠方の学校に通っていて、通学に1.5時間ほどかかるので、少しでも余分な時間をかけることに遭遇すると、本数の少ないバスと汽車に乗り遅れ、帰宅時にはすでにドラマが始まっており、物語の展開を知るのに重要な部分が見れなくなってしまう。

勿論家庭用ビデオデッキなどは無かっただろうし、もしあったとしても、高価すぎて購入できるはずもない。
古くなった一体型ステレオを親戚に譲り、ようやく、コンポーネントオーディオ装置に目覚めだしたころだ。

司馬遼太郎原作の『新選組血風録』
・・・を見るために、放映がある土曜日2時に間に合うよう、小生は友人たちが誘うのも振り切るようにして、一目散に家へと急いだ。
勿論、TV番組しかも時代劇を見る為などとは、口が裂けても言えなかった。

実に不思議なことだが、学校でこの番組が話題になることはなかった。
見た人が少なかったのか、いやそうではなく、見ても話題にするのを何故かためらったのだろうと思う。

栗塚旭、舟橋元、島田順司、左右田一平が常時出演する1話仕立ての時代ドラマは、妙に心にしみる内容が多かったし、劇伴音楽が実に素晴らしいので、画質の良くないテレビを食い入るように見つめ誰が作曲したのかを確かめると、それが渡辺岳夫であった。

軍歌調の曲が多いが、時にはバラード風の物悲しい音楽を挿入するから、劇の内容と相まって感涙ものであった。

後年、京都の白沙村荘で行われた知人を偲ぶ会で、偶然同じテーブルに栗塚旭さんが座っておられ、酒を酌み交わしながら、高校時代の土曜日の話をすると、あの渋かった顔ではなく、実に柔和に年老いた顔が、優しく笑っていたのを思い出す。

「菊一文字」は、沖田が所有した名刀であるが、小生は番組の中でその名前を知り、のちに京都新京極にある同じ名前の刃物屋で、ペティナイフを求めたことがある。

新選組血風録の影響は、小生にとって実に大きいものであった。
 
youtubeに新選組血風録に挿入された「風去りぬ」・・劇伴音楽があったので・・・懐かしい!


ドラマ開始前に流れる主題歌「損線組の旗はゆく」もいい、これは軍歌調。
2つともに渡辺岳夫の作品だ。


新選組血風録は、その後もいろいろな役者たちによって映画やTVドラマ化され、小生はそのほとんどを観たが、刷り込みではなく、やはりなんといっても素晴らしいのは、栗塚が土方役、島田が沖田役を演じたTVドラマ版で、どうしても一番心に残る。

番組が始まる前までに到着する、乗り物の時刻に決して乗り遅れないよう、一心不乱に急いで帰宅させるほどのパワーがあったドラマだから、さもありなん。

本日この話題を取り上げたのは、NHK-BSの4月からの改変の知らせで、BS1が2系統になり、その1つ、BSプレミアムというエンターテインメイント重視のチャンネルで、新選組血風録を放映するというニュースをキャッチしたからである。

再放送好きのNHKが、あの古いTV時代劇ドラマを今になって放映するのだと、そしてデジタルリマスターされているに違いないからと、期待していたのだったが、ついさっきネットで調べると、それはとんでもない誤解で、小生のほとんど知らない役者によってリメイクされたものということが分かった。

主な配役は下記の通りだが、小生は3人ともにまったく知らない。
土方歳三(永井大)
近藤勇(宅間孝行)
沖田総司(辻本祐樹)

経験では、リメイクがオリジナルを凌駕したことはないから、あまり期待できないし、土方は、栗塚さんの、そして沖田は、屈託のない無邪気さをハイライトした島田さんの名演技で、頭が固定されてしまっているから、あの味は2度と出まいと思っている。

全26話あったオリジナルにくらべ、今回のリメイクでは12話で終わるから、半分以上の説話が抜けることになるのは、かなりつらいところだ。

しかしリメイク版が、果たしてどのようなキャラクターで、かれらを描くのか、このことは興味の対象であることは間違いないから、楽しみに待つことにしよう。

BSプレミアム
BS時代劇「新選組血風録」(全12回)
4月3日(日)スタート
毎週日曜夜6:45-7:30 
※初回は後6:45-7:58

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by noanoa1970 | 2011-02-26 06:25 | トピックス | Comments(2)

たまにはこういうブラームスも

「こういうブラームス」でもと、やや否定的ニュアンスで、タイトルに付けた理由は、小生のブラームス観に、「厳しさ」や「寂寞感」を、他のなによりも先行させることが強く、どうしても好きな曲とその演奏の傾向が、それにそぐわった傾向になっているようだからであった。

だから、「こういうブラームス」とは、小生のブラームス観からは、いささか遠いところにあるブラームスであり、そういうブラームスを表現をする演奏のことになる。

それは、クラリネット五重奏曲であり、ウイーン室内合奏団、クラリネットがアルフレート。プリンツによる演奏のことだ。

これも一昨日、レコード棚から見つけて引っ張り出しておいたLPレコードだ。
珍しいことに、オイロディスク原盤のキングレコード発売である。

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このLPは30年ほど前に、雑誌で絶賛されていたのを読んで入手したものだ。
その頃はまだ音楽雑誌の評論家による、レコード紹介や批評を信頼し参考に出来ていた良き時代でもあった。

レコードジャケットの帯には、誰が考えた文句か「優美でふくよかなウイーンの香り」と記されている。

それで実際に聴いた感じはというと。
一番特徴が分かりやすいと思われる、2楽章でいえば、今まで聴いてきた演奏に比べると、まずはテンポが非常にゆったりしていること。

そして実によく歌っていることがあげられるし、その歌い方は、これをウイーン風というのか否かはわからないが、語尾を少し長く伸ばすという表現をとっていること。

クラリネットの音色も、LPレコードで聴いたせいかプリンツ固有のものかは、ハッキリいえないが、倍音がよく出ていて、それこそふくよかに、そして少々明るめに響く。

弦パートとクラリネットのアンサンブル関係が、バックとソロイストという関係性が濃くて、
主役はあくまでもクラリネットというがごとくのクラリネットハイライト型の演奏と聴こえる。

とはいうものの、今まで聴いた演奏では、いずれもが、とくに1Vnの高音弦の強い音が緊張感を醸し出すことが多いが、ウイーン室内合奏団では、同じ箇所がのびのびとしたやわらかい音に響く。

対比の意味で先ほど、ベルリンゾリステンとカールライスター盤を聴いてみたが、やはりその通りの傾向で、このあたりに、よく言われるような、ベルリンフィルとウイーンフィルの音色の伝統的相違があるのかもしれない。

ベルリンゾリステンでは、クラリネットを含む各パートが一体となっているように感じるのだが、ウイーン室内合奏団では、先ほども言ったようにクラリネットが主役、そして弦のアンサンブルも、アンサンブル重視というより、各々のパートが其々主張し合っているように聞こえ、不思議なのはそれできちんとつじつまが合っていることである。

2楽章、いつもは「寂寥感」という言葉がふさわしいように聴いていたのだが、ウイ0ンとプリンツの演奏からはそういった感じは起こらない。

穏やかで優しく、そして(普段は隠しているが)愛情あふれるブラームスが、そこにはあった。

すでに記憶が遠のいているのだが、かつてよく聴いた、ウラッハあるいはケルの歴史的演奏では果たしてどうだったか、いずれ聴き直してみる必要がありそうだ。

「優雅でふくよかな」という、ジャケット帯のキャッチは、まさに大当たりである。

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by noanoa1970 | 2011-02-25 10:57 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

スメタナSQ、「アメリカ」の最初の録音

昨日レコード棚を探してとも、とうとう見つからなかったレーデルのバッハの代わりに非常に懐かしいレコードを発見した。

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スメタナ四重奏団が演奏した、多分最初のドヴォルザークの「アメリカ」の録音。
コロムビアレコードから発売となった、ヒストリカルシリーズというタイトルの廉価盤。

原盤はスプラフォンで、正確な録音年月日が不明だが、カップリングのシューベルトの「死と乙女」が1953年だからそれほど差はないと思われ、50年代のモノラル盤だ。

入手したのは、確か70年代のことで、各社の廉価盤が花盛りの時代であった。

今レコードそのものを手に持つと、廉価盤でもあのころは、しっかりとした重さがあって、その後出現したウスッペラで軽いステレオ盤と違って、厚みと重みがあって、ターンテーブルに乗せても安定感があり反ってもいない。

懐かしさと、薄れかつつあった演奏の記憶が、完全に消えてしまわないよう、早速聴いてみることにした。

スメタナ四重奏団の「アメリカ」の現在までの録音回数は5回だそうで、さっき聴いた1950年代、1966年、1978年、1980年で、残る1つは情報が得られず、後者2つは日本でのDENONによる録音で80年はPCM録音でもある。訂正・・・残る1つは 1987.9.13の録音、プラハ芸術の森にてスプラフォンとDENON共同政策小生はスラフォン原盤のPCM録音を所有しているから、年代の違う2つのアメリカ演奏の比較ができると期待して聴いた。

スメタナSQ、最初と最後の録音の比較ができるということになったわけだ。

40年代にチェコフィル内で創立されたユニットとのこと、室内楽団は入れ替わりが結構激しいから、30年近く時を隔てる初期盤と後期盤では、メンバーが入れ替わっている可能性が高いが、初期メンバーの情報もなかった。

しかし海外版のウイキに記載されてた情報によれば、以下のとおりである。
その前に面白いことを発見。
1st violin
Václav Neumann とあるので、もしやと思ってさらに調べると、なんと指揮者のヴァーツラフ・ノイマンのことであった。
1Vnというからには、ノイマン、初期のリーダー的存在だったかもしれない。


1st violin
Václav Neumann (1920-1995), from 1945 to 1947
Jiří Novák (1924-2010), since 1947

2nd violin
Lubomír Kostecký (born 1922)

Viola
Jaroslav Rybenský, from 1945 to 1956
Milan Škampa (born 1928), since 1956

Cello
Antonín Kohout (born 1919)

早い時期に、ノイマンが交代しただけで、1947年からはそのままのメンバーが、続いていたようだが、そうなると是非とも初期盤の正確な録音月日が知りたいところだ。

なぜそんなにこだわるのかといえば、小生が聴いた2つの新旧のアメリカの演奏に、かなりの表現の違いがあるように聴こえたからだ。

80年代の録音では、グローバル路線を行くスメタナSQの演奏スタイルが、普遍性はあるのだが、民族性が犠牲になってしまったように聴こえて、モーツァルトやベートーヴェンでは評価できるものの、ドヴォルザークになると、やや物足りなさを覚えていたし、アンザンブル力もアグレッシヴさも年のせいなのか、衰え気味のところが見えてしまって、弦楽器の音色は美しいものの、音楽が間延びしていた。

だからアメリカをはじめとするドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェクの作品は、ヤナーチェクSQで聴くことが殆どになっていた。

80年録音に比べると、初期盤はずいぶん趣を異にしていて、音楽の勢いがありながら、よく歌い、しかもところどころに、軽いポルタメントを入れ込んでいて、さらにリズムの取り方、アクセントのつけ方に、スラブの伝統を見ることができる表現方法の演奏なのだ。

それで、80年録音の弛緩したアメリカと大いに違いがあるのは、きっとメンバーが交代した影響なのだろうと思ったわけだ。

しかしもし初期盤の録音が1947年以前でなかったら、メンバーはノイマンの代わりに、1947年イルジ・ノヴァークが入ったのちメンバー交代がされてないから、ほかの問題・・・解釈の変更などがある可能性が高くなる。

・・・と、ここまで来て、よくよく先ほどのメンバー推移を見返すと、見落としていた重要なことに気が付いた。

以下のように、ヴィオラも1956年を境に入れ替わっているのだ。
Viola
Jaroslav Rybenský, from 1945 to 1956
Milan Škampa (born 1928), since 1956

初期盤の録音が1956年以前であれば、ヴィオラのメンバー交代前であり、1956年以降からの録音、すなわちスメタナのアメリカのほとんどの録音は、ヴィオラの交代メンバーであった、ミラン・シュカンパ参加後の録音ということになる。

そしてアメリカの第2主題を、歌うように奏するという、重要な位置を占めるヴィオラのメンバーが交代するということは、小生が80年録音が気に入らなかった最大の要因の、第2主題の歌いまわしが、メンバーが交代することによって変化してしまったからではないだろうか。

ミラン・シュカンパ 氏には申し訳ないが、初期盤の録音が1956年以前という推理が、もし当たっているとすれば、ライベンスキーのヴィオラの歌いまわしのほうが小生には合っていることになる。

すなわちスメタナの級盤と新盤で、表現方法が異なり、小生の好みでなくなったのは、ヴィオラ奏者の交代によるところが原因だったのではないか、そう推理できるのだ。

スメタナ初期盤およびヤナーチェク旧盤の、ヴィオラの歌いまわしは、実に素晴らしい。
ヤナーチェクにおいても旧盤と新盤では、特に第2主題の歌いまわしに大きな違いがある。

これでスメタナ、ヤナーチェク2つのチェコの巨頭SQによるアメリカ演奏は、小生の中でようやく互角となった。

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by noanoa1970 | 2011-02-24 15:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

カルメナバッハ

バッハは60歳を過ぎてからたっぷり聴く。
若い時にはそう思っていたのだが、いまだバッハを聴きこんでいない。

大げさに言えば、手当たり次第にバッハを聴き込むことは、神の領域に土足で上がりこむようなもの。

そんな風に思っていた。

しかしもうとっくに還暦を過ぎ、残りの命のほうが少なくなってきた今、ここらでバッハを自分なりに極めなくてはと思うのだが、どうも足が鈍るのである。

今日は、今まで聴いてきたほとんど有名曲の中から、あまりい厳しくないものをと、レコード棚から探したが、見つからなかった。

探し物は、クルト・レーデルとミュンヘン・プロ・アルテ室内合奏団の管弦楽組曲2番であったが、いくら探しても運悪く見つからなかった。

最近聴きたいと思うCDやレコードは、必ずといって探せないことがよくある。
探しているものだけが、何度探しても見つからないのだ。

この現象はここの所数回続けて起こっているので、不思議なことだと思うようになった。
以前ではそのような現象は、ほとんど起こった例しがなかったからである。

もっとも整理整頓が悪いのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、それでもお目当ての音盤だけが見つからないのは、何かの因果関係があるようで、気持ちのいいものではない。

それでも不幸中の幸で、長い間聴かれずに棚に眠っていて、忘れ去られようとしている音盤、それが昔よく聴いた思い出あるものが見つかることがある。

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探していたレコードと同じジャケットの記憶から、てっきりそうだと思って取り出したのは、管弦楽組曲ではなく、同じ演奏家によるバッハのオムニバス盤であった。
3番からアリア・・俗にG線上のアリアと呼ばれるものだけが収録されている。
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それでかわりにこのアルバムを聴いたが、どうしても組曲2番の印象が頭から離れない。
聴き直しができてないが、組曲2番の印象について、思うままに書いてみた。

お目当ての組曲が、この演奏家たちでなぜ聴きたかったかといえば、それはレーデルのフルートである。

Ouverture、Rondeau、Sarabande 、bourrée、Menuet、 Polonaise、Badinerie と7曲すべてフルートが活躍するこの曲。

古い舞曲をアレンジして作られていて、不思議なことは、短調でできているにもかかわらず、長調のように聴こえること。

意まではピリオドアプローチが、バロック音楽演奏の主流のような観を呈しているが、レーデルが盛んにレコーディングした50年代60年代では、まだその兆しが見えてはていなく、したがってモダン楽器による演奏だ。

フルートはもちろんバロックフルーテではなく、レーデルは金属でできたモダンフルートを使用している。

ピアノ弾き振りは、ある程度見ることができるが、フルートの吹き振りは、相当珍しい。

自分バッハの解釈と指揮をするのだから、レ^デルの吹き方は、今までのフルート奏者のそれとはだいぶ異なっていて、小生はそのあたりが気に入っているのだ。

「装飾音符」を大量に入れ込んだ演奏…一言でいえばそういうことになる。

バッハにそういった装飾音符を入れて、華美になるのを嫌う人もたくさんいて、デーレーデルのバッハは軽い、そういう方もいなくはないであろう。

しかしいくら神聖極まりないバッハとはいえ、世俗曲の、それにおそらく
発祥は、庶民の・・・たとえばアイルランドの古代舞曲が原型である向きもあるこの組曲が厳しいものでもないであろう。

短調のようで長調に聴こえ、そして神聖的な響きもある・・・バッハは計算ずくでそうしたに違いない。
これは仮説にもならないことだが、すなわち、バッハにおいては、いずれの音楽においても、聖と俗が共存しているのではないのだろうか。

今後多くのバッハ作品を聴く上での、小生のポイントとしてみたい。

カルメノバッハというタイトルにしたが、軽いというのは決してレーデルの演奏を、並み居るバッハ演奏と比較して、1段低いといっているのではなく、このようなバッハ解釈も道理であるし、レーデルが紡ぎ出す音楽そのものを聴けば、アイルランド発祥の「コントラダンス」のように、ある集まりで皆が揃ってダンスを踊る時や、休憩時の談笑や飲食を楽しむためのBGMとしても相応しいと思えるようなバッハであることがわかる。

聴いていて楽しいバッハが、そうざらにあるわけではないが、レーデルの組曲2番は、それに該当するように思う。

少し無理すれば何とか購入できた廉価盤の中には、レアかつ非常に素晴らしい鴛鴦が収録されているものが、少なくなかったが、このLPもその類に入れてよいだろう。

今なら、ピリオド系の演奏家の中には、装飾音符を入れ込んだ演奏を見かけることもあるが、かなり前からレーデルがそのような演奏方法を取り入れた背景には、モーツァルティウム音楽院での研究の成果が反映されているのではないだろうか。

軽快で楽しいバッハ。
そんな演奏の存在を、少しは認めてあげようではありませんか。
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by noanoa1970 | 2011-02-23 17:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

マイミクさんの御父上の訃報に

小生がMixiを初めてすぐに、数少ないマイミクになっていただいたのが「エレさん」。
2007年9月末のことであった。

未だにお会いする機会に恵まれないのだが、日記の内容から推測される人柄の良さ、文化芸術に造詣が深く、自らエレキギターを訓練中、さらにはワイン好き・お酒好きというから、近頃の女性にはあまり拝見することのない、実に多趣味で懐の深い女性である。

魅力的な個性ある女性だからだろう、今では数多くの彼女のファン:マイミクをお持ちになっておられるようだ。

彼女が日記をアップするとすぐに、コメント返信」が30も40も付けられる。

フル勤務と家事をこなすのに、少しでも時間がもったいないにも拘らず、いつもとても丁寧な返信を、全員にされている。

小生は、返信するのがかなり重荷であろうと、勝手に思っていて、最近コメントの代わりに、なるべく「イイネ」ボタンを押すようにしている。

しかし御父上の死という悲しいお知らせを目にしては、返信せざるを得なかった。

こういう時には、常套文句を書き述べておくのが、失礼のないことであろうが、記念すべきそして思いである、最初のマイミクさんのエレさんには、何とか自分の言葉で・・・と想い、出来る限りそうしたつもりだ。

文面の中で、「今日はフォーレのレクイエムを聴いて、御父上が天国に行くのを少しでもお手伝いします」などと、不遜なことを書いてしまったが、「レクイエム」は「鎮魂ミサ曲」すなわち、死者の魂を鎮めるものではなく、死者が何事もなく天国に無事旅立つようにと、残されたものが祈るための曲だ。

御父上のことは、勿論お会いしたことはないが、彼女の以前の日記から、ある程度存じ上げていたから、小生のシチューションで、可能な限りなことをと考えて、フォーレのレクイエムを聴いた。

フォーレのレクイエムは「怒りの日」がないから、エレさんの優しいお父上を天国に運ぶために祈る曲としては、適しているのではないだろうか。

逆に、CMで使われっぱなしの、ヴェルディのような「怒りの日」であったら、死者も生存者も両方で、恨み辛みを声高に叫ぶようで、全く適していない。

エレさんのお父上のお人なりを考慮し、選択肢の多いこの曲の中から選んだのは、実に静謐な祈りのあるレクイエムを聞かせてくれる、小生保有では一番新しいCDで聞くことにした。

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Requiem, Op. 48
リサ・ベックリー - Lisa Beckley (ソプラノ)
ニコラス・ゲッジ - Nicholas Gedge (バス・バリトン)
スコラ・カントルム・オブ・オックスフォード - Oxford Schola Cantorum
カーム・キャリー - Colm Carey (オルガン)
オックスフォード・カメラータ - Oxford Camerata
ジェレミー・サマリー - Jeremy Summerly (指揮者)

CD レーベル : Naxos *classic 8550765

名も知らぬ演奏者たちが、ややもすると、聴く前の不安を嬉しい方に裏切って、素晴らしい演奏をすることが最近よく経験することだが、本CDもその類である。

何事もなく順調に、天国に旅するひとの応援になっただろうか。

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by noanoa1970 | 2011-02-19 11:11 | トピックス | Comments(2)

悪徳スパイウエア感染騒動記

昨晩遅くドイツのサイトで、少しばかりの調べものをしていて、あるものをクリックすると、突然DLが始まり、あっという間にインストールが開始された。

あれ、やばいかなと思ったが、そのあまりにもの素早さに、キャンセルするのも間に合わず、ひょっとして何かが入ってしまったかな、そう思いつつPCを再起動してみた。

後になって考えると、こういう場合、再起動もまずかったのかも知れないが、いずれどのみちシャトダウンと起動をすることになるのだから、時間の問題だ。

どうなるのか、少々の不安を抱えつつも、PCはいつも通りに立ち上がった。
デスクトップをツラツラと眺めたが以前と変わらない。

やれやれ一安心と、違う調べ物をすることにして、IEを立ち上げてインターネットを接続。GOOGLEで検索したものを開いたその瞬間だった。

急にそいつが出現したのだ。
そいつは「System Tool 」という名前を持つ得体のしれないもので、画面のほぼいっぱいに、どうやら、ウイルスチェックスキャンの結果を表す表を出現させた。

こんなにも素早くファイルスキャンができるはずはないのに、そしてSystem Tool とはいったい何ものなのかと、ネットで調べるべく検索をかけ、HPをクリックした瞬間、今度はデスクトップ一面に別物が開いた。

言語はすべて英語だから、わからないところもあるのだが、ここでようやくこれは「スパイウエア」ではないのかと気が付くに至った。

しかもウイルスチェックソフトと見せかけ、チェックしたふりをし、あなたのPCは、スパイウエアにファイルが感染し、ファイアーウォールが働いて、アプリなどが立ち上がらなくいなっている。
これを退治するためには、しかるべきところにお金を振り込めば、対策ソフトを提供する。

大まかにはこのようなことがメッセージされていた。
そうしているうち、さらにPCデスクトップ画面が、青いバックに白い大きな文字でCAUTION、そのほかなにやら書かれているものに変わった。

これはピンチ、回復には相当な知恵と時間を要すことだろう、そう思いつつマウスもキーボードも使えない状態で思案しながら、しばらく眺めていると、今度はPCがシャットダウン。

時間を置くのもまどろしく、急いでPCを立ち上げようと電源を入れると、愛用のWINーXPは、「ようこそ」までは今までと変わることなく順当に進んだが、画面にアイコンやホルダーなどが表示されようとした瞬間、ほぼ画面いっぱいに先ほどと同じ表示が出るではないか。

邪魔だからとりあえず引っ込んでもらおうと、×印をクリックしてもいなくならない。
するとその下部に小さな箱が出現し、わけのわからない問いかけが書かれていて、YES NOのどちらかを選択せよとある。

こういう場合はNOが無難とばかり押したが、相変わらずそのでかい画面は張り付いている。
もう一つ出現している画面も、意地悪く一筋縄では立ち退いてくれない…というより削除の難しいことは想像できるから、ネット検索時間中だけは、余所に行ってもらいたいだけなのだが、実に意地悪く作ったと見え、こいつも立ち退かない。

さらに厄介なことは、画面を覆うように文字がたくさん出現し、こいつがアイコンやフォルダーを見にくくし、先の2つは移動が可能だが、こいつはペタと張り付いているからHPを見るときに非常に邪魔になるのだ。

こんなデスクトップを前にして、やれることは1つしかない。
画面右クリック、画面のプロパティからデスクトップタブを選択。
デスクトップのカストマイズで、背景の色を以前と同じ濃紺に指定。
適用、OKをボタンで、画面の背景は濃紺になるから、画面フルの黒文字は消えるだろう。
そう思って実施したが適用ボタンが隠れ状態となって、OKだけでは反応しない。何回かややり直すうち、ふと、アナログ的な考えで、画面の色を選択する際最初に濃紺に行かず、ダミーで何かを選択してから、再度目的を選択してみたらどうかという考えが浮かんだので実施。
こんなだましテクで、黒文字のお化けは一時退避してくれた。

残りの2つはHPが開けば、下に入り込むから、そう邪魔にはならないし、移動可能だから隅のほうに寄せることだって可能だ。

でもやはりあのように大きな、そして人の不安を煽るものが貼りついているのは嫌だからと、後先考えずに、YESボタンを押すと、やっとのことで×印ボタンが有効となって、邪魔者は一応画面から消えた。(こいつは何かの信号・・・「起動ごとに出現させるような合図」をPCに送っていると考えられる)

それからというもの、ネットでSystem Tool を語るスパイウエア情報を取るべく、一生懸命になっていて、15分ほどたったころに、いきなり画面いっぱいに、青を背景とした白字の看板のようなものが出現し、さらに15分たったころに、そのまま画面が固まってしまった。

どうやら30分たつと画面が固まるから、PCを再度起動しなければならないし、画面に出る邪魔者を消す作業画面も再度やらなくてはならない。

何とも厄介な奴に感染してしまったものだ。

PCはWINアップデート情報を提供していたが、自動更新となっていたので、自らは実施しなかったことに原因があるのだろうか。

こうなってくると、過去のほんの些細な事柄が、すべて今回の原因に思えてくる。

結局、昨夜深夜1時にこの事件が発生、それからあれやこれや格闘して、とうとう徹夜だ。
徹夜なんぞは、学生時代以降はやったことがないが、PCが破壊状態という切羽詰まった状態は、普段ではできないことをやらせてしまう。

立ち上がる速度はものすごく遅くなったが、インターネットには繋がるので、少しだけ安心した。
ブログ更新は何とか可能だ。

しかしそのあとで分かったことは、メールソフトOEが立ち上がらないこと、アプリケーションソフトが立ち上がらないことだったが、これは重要問題だから背筋が凍りそうになった。

武器はインターネットからの情報だけで、それも30分単位で一旦途切れることになり竿起動するまでに都度10分必要だ。

それでも仕方なく、取れるだけの情報を取り始め、「システムの復元」という強い見方があるのを発見した。

それを実行するためには、スタートからヘルプとサポートに進まねばならないが、PCはうんともすんとも反応を示さない。

関連付けがクリアーされrているのか、ファアーウォールが働いて合図を拒んでいるのか、エクセル、ワードを立ち上げようとしても反応がない。
OEも同じこと。

どうやらこのスパイウエア、被爆者が対処の方法を取ろうと、システムの復元を実施することがわかっていて、それを拒否するプログラムを書いていると見受けられる。

セーフモードならいいかもしれないと参考物を頼りに、セーフモードで入ろうとして、起動時F8キーを押したが、押し方がまずいのか、タイミングなのか立ち上がらない。

仕方なく通常モードでウイルススキャンをかけてみようと、アイコンを探すがアイコンが消えている。
勿論ウイルスセキュリティが立ち上がらないばかりか、どうやらアイコンが、System Toolらしい見慣れぬ アイコンに変更されてしまっている。

CDも読み込まなくなったし、DLしたEXEファイルも開いてくれないから、通常のWINモードでは絶対に駆除は無理だと分かった。
万事休す

PCクリーンアップ再インスト、別PCを購入しデータを移管、そんな考えが頭をめぐるが、なにしろ手間と経費が掛かってしまう。
マーチンギターとロレックスサブマリーナを、「コメ兵に売ろうか」なんというよからぬことまで考えた。

しかし手間がかかるのは一番嫌なことだから、何とか頑張ってみようと、用事があって外出した後すぐに行動に移した。

実は外出先で、今後の対応をいろいろ考えていて、セーフモードにチャレンジするしかない、という結論になったのだ。

セーフモード下のシステムの復元でPCをウイルス感染前の状態に戻し、その上でウイルスソフトでスキャンし、感染ファイルを検出する、そして削除あるいは隔離…これが手順となるわけだ。

すでに10回未満のトライをしたが、それでもこれにかけなければ大きな損失になるからと、何回でもやってやるぞ、という気持ちになって帰宅した。

何回チャレンジしても、ウインドズが立ち上がってしまうので、これにもファイアーウォールが働いていて、起動させないようにしているのかと思い、つくづくいやらしいやつだ、ウイルスをばらまくばかりでなく、金銭を要求するのだから、卑劣極まりない、しかし頭の良いやつでもあるなと、あきれた関心を持ちつつ、ひたすら再起動時F8を実行した。

何回トライしただろう、さすがにもう嫌になりつつあったころ、連続してキーをたたいていたのを、わずかにしたのが功を奏したのか、たたくタイミングが良かったのか、いつもと立ち上がる様子が違い、黒い背景で色い文字のセーフモードがやっと立ち上がってきた。

やった!・・・そう思いながらネット接続を試みるが、エラー表示が返る。
しまった!セーフモードでは、もともとネット接続が不可能なのを知らなかった。

DLなど必要なものは、すべてWINモードでやって置き、デスクトップにおいておくか、詳細手順をプリントアウトして、次の作業が円滑に進むようにしておくべきだった。

もう一度ウインドウズに戻って、ネットを活用しなければならない。
不安はあったが、セーフモードで起動するということが確認できたから、そんなに怖くはない。

膨大な作業時間を要し、2日目に復元を実行。

やっとのことで、ウインドウズがまともに動いていて、今のところ邪魔者も一切出てこなくなっている。

ウイルスセキュリティのフルスキャンで検出された感染ファイルが24個。それらはすべて削除したが、心配な琴がまだある・・・・

果たしてウイルスセキュリティのソフトで、System Tool 感染ファイルがすべて検出されたかどうかだ。

概して既存の市販ウイウルスチェックソフトは、スパイウエアには、そんなに強くないからだ。

System Tool はトロイの木馬の亜種のようで、作られたスパイウエアは、それ専門の検出駆除ソフトがあるようなのだ。

明日はこの手のソフトをDLして、全て発見したか否か確認してみるつもり。

作業終了後4時間がたつが、PCは今のところ、どうやら順調に動いている。
明日も順調であってほしいものだ。

今日は好少しは安心して、ぐっすり眠ることができそうだ。

このウイルスはHPをほんの一瞬クリックしただけで侵入したから、あだるとしとでないからといって決して安心できない。
例え優良と思しきものでも、海外のサイトは要注意だ。
悪いやつはしたたかでこっそりと、気が付かぬようにリンクを貼っているからだ。

最低でもウイルスチェックとウインドウズなどのアップデートは、機械任せにしないで自ら確認するのが肝心だということを学んだ1日だった。

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by noanoa1970 | 2011-02-16 23:22 | トピックス | Comments(7)

Round About MidnightをCDとSACDで聴く

ベスト調整をした・・・と本人は思っている音響装置で、jAZZを聴こうと取り出したのがこれ。

CDとSACDでの音の違いが比較確認可能だから、調整チェックを兼ねて両方聴くことにした。

この音盤を聴くのは、もう数年ぶりのことだから、両音盤の音の印象はもう記憶に薄い。

1956年の録音、プレステージ録音よりはかなり優れていると思うが、LPはまだしも、CDで聞くとやはり音がやや尖っている。

オープントランペットは勿論、ミュートでさえも、耳をやや刺激する歪音が強めに出るようで、かなり厳しい音で再生される。
JAZZファンの方の中には、このような音が50年代のJAZZ録音の音、あるいはマイルスの音である、そう思われている人も、少なくないだろう。

しかし大雑把に言うと、マイルスのトランペットは、バップの流れを汲んだもの、すなわちダイナミックさと先鋭なところ、それにクール時代の陰影に富んだ音とがあるように思う。

そして「Round About Midnight」は、上の2つの特徴をよく表した曲であろう。

さらにマイルスの音は、鋭いところも、決して金属が鳴らされているように尖ってはいないのであって、「トランペットが楽器である」ことを、哲学としているかのように、小生は受け止めている。

ここで聴き取るトランペットは、柔らかさと鋭さの共存と交代、そして時間的変化であり、それは逆の関係ではなく、いわばリニアに変化する裏表の関係、つまり裏と表の境目にグラデーションがあるかのものであると小生は思っている。

CDでは、かなり良い線を行っているとは思うけれど、残念ながら直接音が勝ち過ぎてていて、やや臨場感にかけ、白と黒の間、グレーゾーンの階調が少ない。

この音盤のみでで音響装置の調整をしたとするなら、真ん中の音が犠牲となりやすいから、他の音盤ではあまり芳しくない音の傾向になることは多分間違いないだろう。

その意味で、音響調整に使う音盤には、相当気を使わねばならない。
気に入っているからといって使うことや、ほんの数種類での調整はかえって逆効果だろう。
音の違いは確認できても、それが良い音か否かとは別次元のものだ。(オーディオファンが陥りやすい点がここにある)

ブルーノート盤を素晴らしく鳴らすことに、拘っているJAZZファンもいるようで、それはそれで一つの方向性だから、否定はしないが、小生は幅広く音楽を聴くから、なるべくオールラウンドで、しかし妥協は決してしない音の環境づくりを続けたい。

小生も昔から、調整時に使用する音盤が決まっている傾向にあるのだが、今回は頼りにしていたQUADが使えなくなってしまったから、最初から丁寧にやらざるを得なかった。

QUADが壊れた後仕方なく、今までまともに鳴らなかったダイナミックSP、YAMAHA1000の調整をセッティングからやり直し、気に入った音で鳴るのに要した時間は、2か月間延べ50時間ほどだ。

経費をまったくかけない作業だから、その事で返って調整の緻密さを要求されたのである。
確かにSPコードを変更すれば音は変わる、しかしその音がよくなったのかそうでないのかは微妙なところ。
お金をつぎ込んだことが、その評価を狂わし、高いコードに交換したからよい音のはず・・・なんていう、虚構アドヴァンテージが働くから注意しなければならない。

さて、米COLUMBIAといえば、それまでマイルスが主に録音したプレステージに比べ、お金持ちの会社だから、そのころでは最新の録音機材を揃えていたと思われ、録音年代から見れば、これもかなり良い録音といえるのかもしれない。

CDは、DSDマスターリングの国内盤で、今まで発売されたものの中で良いのかそうでないのかは不明だが、1955~6年の録音からすれば、どんなCDでもかなり高レベルなのだろう。

しかしそれでも限界はあって、CDを大音量で鳴らすと、隠れていた弱点があらわになってしまう。
全てにわたって出てくる音が強くて硬く、そして音楽が大げさに聴こえてしまうから、巨人(能力に長けた人でなく文字通り大きな人)が演奏しているように、SPからフルに音が溢れ、要するに「五月蠅い」のである。

さらにもう少し音量を上げて聴くと、レンジの狭さ、ベースの音の籠り・・・余分な音を引き連れて鳴るからあたかも低音が出ているように錯覚するし、結果音が耳に触る。

初めは音響装置の調整がよくないのかと思ったが、苦労して調整したし、今まで色々な音源を聴いて不満はなかったから、元凶は音盤にあるのではと、試しにSACDに代えて再生することにした。

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流石はSACD、CDとはかなりの違いがあるが、しかし音の好き嫌いは大いにわかれることだろう。

ミュートトランペットの音は勿論、オープンの音もCDとは少し違って、通常のトランペットの尖った少し耳を刺激するような、音の角が取れ、柔らかく丸い音になり、JAZZとは思えないほど、おとなしい音になった。

JAZZっぽいから、メリハリの強いCDのほうがいい、という人も存在するだろうことは想像できるが、やはりSACDで聴くほうが小生には断然音楽的に聴こえる。
ドンシャリ傾向の強いやや荒っぽい音は、JAZZの特徴の一つではあるが、演奏されることによって創出される音は、なによりも音楽でなくてはならない。

CDに存在した音に付随する、ゴミや汚れなど余分な音が拭い去られ、したがってSACDでは、CDよりも相当ヴォリュームを上げて聴きたくなる。

ベースの低音も、普段CDで聴いている時より相当軽く聞こえるから、あたかも低音が出てないかのように聞こえる。
小生はやってないが、SACD録音をスペアナで計測すれば、聴感上はさておき実際には、CDをかなり凌駕するのではなかろうか。(このあたりが不思議なところである)

重たく聞こえてくるのは、楽器の音の他に何かが加わっているからであろうし、ドラムスのハイハットも、単なる音響でなく音楽として聴こえるから、リズムがよりヴィヴィッドに聴こえ、演奏が生きてくる。

概してJAZZファンオンリー、過去に存在したJAZZ喫茶も含む、の音響装置の調整は、小生が知る限り、非常に偏っていることが多く、たとえばクラシック音楽の室内楽や声楽入り大編成音楽を聴くと、とんでもない音で鳴ってしまうのを経験したことがある。

多分この原因は、例えば「ブルーノート」のバンゲルダーがプロデュースした音盤再生を、最重点にした調整結果が、もたらしたものなのではなかろうか。

JAZZでもヴォーカルには不向きの調整となっていることが、往々にしてあり、より良い音で聴ける音楽の範囲・・・JAZZの中でさえ範囲が狭くなるように小生は思うのである。

JAZZにはJBL、クラシックにはタンノイがよい・・・決まり文句のように言われてきたことは、実は調整不良のシンボルではなかったのだろうか。

小生の装置の調整は、主にクラシック音楽の各々のジャンルにて行ってきたが、果たしてJAZZではどうか、特に今日聴いた50年代の金管とピアノ他のリズムセクションのユニットの音盤は、古い他ジャンルインストルメンタル再生の調整の良否を判断するのに好都合だ。

改めてJAZZの一片を聴いた限りだが、小生のYAMAHA1000は、クラシック音楽を再生するときとほぼ同じ高レベル再生の音を聴かせてくれた。
どうやら一から出直し調整をしてきた甲斐があったようだ。

過去に行ったさまざまな調整は、QUAD健在時代、このSPを本格的に聴くわけではなかったから、それでずいぶん甘い調整に終わっていたのだろう。

さらに望むところは、その当時の録音の特徴とされるプロデューサーの録音技術及び演奏の質や雰囲気がもしもうまく再生できれば大成功といえる。
具体的に言うと、ブルーノートやプレステージ録音との違い。
・・そんなことまで分かるようならば、素晴らしいのだが。

ジャンル、年代を問わず、幅広く音楽を聴く人の音響装置調整には、録音が良いとされる音盤ばかりでは、ベストな調整はできない・・・こう断言できそうだ。
だからたとえSP録音のLP復刻盤でも、それだけではいけないのはもちろんだが、プラスして実施すると、調整時の参考音源としても相応しくなるわけだ。

小生の見解では、音楽の種類によって、再生に良否が出やすい装置は、未だ調整不良である、そういってよい。

その意味においても、Round About Midnightは、小生にとってはGood choiceだったようだ。

SACDで聴くと、CD時に全体を支配する音の籠りがスッカリ取れて、余分な音がなくなり、チョット聴きの耳には物足りなさを感じるかもしれないが、演奏者が自分の出番に備える様子さえもがわかりそうな、そんな細かい雰囲気や息遣いがとてもリアルだ。

SACDは、場の空気感さえも表現するような能力を持っているようで、CDとは印象がかなり違って聴こえる。

ただし求めるものは、人それぞれ。
CDで満足したって不思議ではないし、確かにSACDでの改善ポイントは極小さいもので、しかも表面には出にくいものだ。

近年SACD売上不良を感じる原因は、コストパフォーマンスがよくない点と、中級価格帯製品では最近ではとても安価になったとはいえ、買い替え需要がまだ少ないせいなのだろうが、今後SACDが果たして伸びていくのかを考えると、かなり難しいといえそうだ。
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by noanoa1970 | 2011-02-13 17:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ドロルツSQを聴く

ドヴォルザークといえば、日本人好みの有名曲が多いが、弦楽四重奏12番ヘ長調 「アメリカ」もご多分に漏れないことだろう。

小生はもちろん気に入っており、とりわけこの曲の演奏を、ヤナーチェクSQの1963年5月DECCA録音そして同じ年6月のDG録音の音盤が特にお気に入りだ。(DECCA盤とDG盤は同じ音源かもしれない)

他には、ウィーンコンツェルトハウスSQや50年代にスプラフォン録音された初期スメタナSQ,ブラフSQ、さらには80年代のヤナーチェクSQ、デジタル時代のスメタナSQなどを聴いている。

それで今のところ最もお気に入りの演奏が、ヤナーチェクSQのDECCA録音(あるいはDG録音)なのだ。

ヤナーチェクSQの、「アメリカ」の演奏がなぜお気に入りかは、以前ブログ記事「新世界」の愛聴盤・・・「フランツ・コンヴィチュニー」の中で述べた。

全てのSQを聴いたわけではないから、断定などは到底出来ぬことだが、小生が今まで聴いた演奏の中では、ヤナーチェクSQがよい。

良い点は数々あるが、中でも代表的なものは、1楽章出る第2主題の2小節目・・これは楽譜通りに弾いている演奏はほとんどないのだが、それだけに表現力の見せ所でもあって、テンポ・アゴーギグも含め、そのこなし方、歌いまわしが小生の感性にピッタリマッチングしているからだ。
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これを聴いてしまうと、多くの方が評価するスメタナSQでは物足りないし、しっくりこない。
それに1987年スプラフォン録音のスメタナSQの演奏は、どうも音楽が弛緩しているように聴こえるから、60年代そして多分メンバーが交代していると思われる、80年代の録音と比較してさえ、ヤナーチェクSQに軍備を揚げることになる。

しかし人間は欲深いもので、ヤナーチェクSQで満足しているにもかかわらず、もっと他によい演奏録音がありはいないか・・・など考えるのである。

こういう欲求が、音盤をむやみに増やしていく原因なのだとは思うが、好きな曲ほどその傾向が強いようで、多分どこまで行っても完全な満足などはあり得ないのだろう。

そんな折、音楽を本格的に聴き始め、レコ芸を読み漁っていた時代に、廉価盤で発売されていたが、あの時代、廉価盤になる演奏家は1流ではないから、優れた演奏ではない、そんな意識を持地つつ、それでも経済的理由で、廉価版盤を購入する機会は少なくなかった。

今思えば、そんなことは絶対にないわけで、廉価版の常連演奏家の演奏に、素晴らしいものが多い事実は確認できることである。

「高価格の商品が良い商品である」、という間違った概念が植えつけられたのは、幼年期実際に、戦後の復興期の製品の洗礼を受けるとともに、その裏返しとして、舶来製品を崇拝するといういわば神話を自分の中に形成したからだと思う。

舶来品嗜好という一種のブランド志向は、いまだに心の片隅に存在する。

ドロルツSQの名前は、廉価版で知ることになるのだが、室内楽にはそれほど興味がなかったころであり、もっぱら大編成の楽曲に目が行っていた時期でもあったし、超有名弦楽四重奏曲の一部は、大全集の中に、おもにウイーンコンツェルトハウスSQの演奏があったから、触手が伸びるはずもなく、ただ名前を知るだけにとどまった。

どうしたことか、室内楽ユニットの情報は、今も昔も満足するほどには充実していない。

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少ない情報の中から、ようやくドロルツSQが、ベルリンフィルメンバーによって構成されたユニットであることを知り、どうも小生の好きな室内楽ユニットが、何故かベルリンフィルのメンバーから構成されているものが多いのでは、と思い始めた。

ベルリンフィルハーモニー八重奏団しかりベルリンフィル弦楽四重奏団、フィルハーモニアSQ、ブランディスSQしかり、未聴のユニットも数多い。
そして知らなかったが、このドロルツSQもそうである。

オーケストラのコンマスが中心となって、室内楽ユニットを形成する例は他にも多いが、ベルリンフィルの場合は、コンマスにとどまらず、首席でさえない人が頭を務めるユニットがあり、それも全て揚げられないほど沢山存在する。

そしてこのことはやはり、ベルリンフィルそのものの実力を、端的に表すものであるように思う。

素性が何かを知らずに聴いて、素晴らしいと思ったブランディスSQが、ベルリンフィルメンバーによるユニットだったこと。

ベルリンフィルメンバーによる室内楽ユニットが素晴らしい演奏をすること、考えられる理由は、緻密なアンサンブルとしっかりとした構成力、そして何よりもユニット個々人の腕前が相当凄いことにある。

さらに忘れてはならないのがユニット個々人の信頼関係、そして多分オーケストラサイドも、室内楽ユニットを形成することを、推進しているのではないかと推察できる。

ユニットでの演奏もオケとしての演奏においても、相乗効果を惹起するからだろう。

小生はオケのメンバー出身のユニット、しかもベルリンフィルのメンバーというところに、かれらの演奏スタイルの特徴の一旦があるのではないかと思っている。

手練手管をあまり使わない演奏方法が信条のような、ドロルツSQの「アメリカ」は、基本的には早めのテンポで素直に進んでいき、ところどころでアッチェレランドおよびクレッシェンド・エ・ディミヌエンドがあるが、それはごくわずかなもの。

ヤナーチェクSQのような方言は一切使用せず、民族色濃い表現は全くしていない。
しかし小生が好きな1楽章第2主題の表現は、演奏方法はまったく異なるのだが、ヤナーチェクSQの方言と同じレベルで、心に響いてくるものがある。

ドヴォルザーク本国のユニットでなく、米・西欧のユニットで、方言ライクを使わずにここまでの表現をなしえたSQは、ドロルツSQを置いてないだろう・・・そんな印象を強く持つ演奏であった。

これでお国のユニット以外の演奏で、素晴らしいと小生が自信を持って言える「アメリカ」の演奏が、ようやく発見できることとなった。

このCDにはスメタナの「わが生涯」がカップリングされているが、本命とされるヤナーチェクSQのそれと全く遜色ないばかりか、こちらのほうがより劇的で、音魂溢れる…これは名演といってよいのだと思う。

個々人の技量は素晴らしく、息がピタリと合っていて、ほぼ完全といえるこのような演奏が、その昔は廉価盤であった。

今回復刻されなかったら、永久に闇の向こうに消えていただろう。
素晴らしい演奏なのに、葬り去られたものがある一方、演奏の質を問わず、何でもかんでも音源さえ見つかれば、復刻して安価な価格で売りさばこうとする。(そんなことをやっても売れないと思うのだが)

こういうことがクラシック音盤業界をダメにしているのだろう。
優れたフィルター機能の復権を要求したいが、フィルターになれる人材は、もうすでに存在しないようだ。
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by noanoa1970 | 2011-02-13 15:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

The Longest Dayを半分観る

BShiで、リマスターされたこの映画を、放送するという情報を得て、思わず心が弾んだ。

正確には覚えていないが、映画が作成されたのが1962年だから、早くてその年、あるいは1963年のことだったかもしれない。

その年、小生には実に珍しいことなのだが、父親と二人で映画館に足を運んで、この映画を観た。
父親と二人で映画を見たのは、これが最初で最後であろう。

The Longest Dayは、「史上最大の作戦」という名前で、わが国では認知されていたが、CGなどはない時代だから、実物をたくさん使用したつくりの、文字通り史上最大の大スペクタクル映画であった。

しかし映画を見たのは、今から45年以上前のことだから、詳細な記憶はすでにないのだが、それでも凄まじい砲撃の中の上陸シーン、パラシュート降下部隊が目的地にうまく降下できなかったエピソード、レジスタンスの活躍、時折挿入されるユーモア・・・たとえば塀を挟んでドイツ軍と米軍が意近距離ですれ違うがお互いが気づかない・・などいくつかは覚えている。

この映画はドイツ側と連合国側の話が交互に出現していて、巨大な戦争にも拘らず、話の内容は個のエピソードが多い。
そんな印象を子供ながらに持ったものであった。

小生も個のエピソードや、戦闘シーンばかりに目を奪われ、なぜ連合国がノルマンディに上陸作戦を展開しようとしたのか、ドイツ軍は事前にその情報をキャッチし、十全な備えができなかったのはなぜか、戦車を活用しなかったのか、結果なぜドイツ軍が上陸を許し負けたのかという重要ポイントに注目することなど、思いもつかない中学生であった。

そればかりか、小生は米国あるいは連合国は日本の敵国なのに、どういうわけか、ドイツ軍をやっつけるシーンを見て感動さえ覚えたのが正直なところであった。

第2次大戦関連の戦争映画を見る自分に、勧善懲悪思想が移入されていたと思われ、この傾向は、TV戦争番組「コンバット」「ギャラントメン」でも同じことだった。

3時間という長編映画だから、まだ半分少ししか見ていないが、子供のころには気づかなかったものが、あれこれ存在することが分かった。

劇伴音楽にはベートーヴェンの「運命」が使われていて、映画の冒頭で鳴らされるが、当時はまったく気が付いてなかった。

現在はすっかりクラシック音楽好きになって、演奏は誰かがすぐに気になる性質だからしょうがないが、運命の動機の鳴らし方から推測すると、カイルベルトの指揮ぶりによく似ているように聞こえる・・・しかし多分違うのだろう。

さらに、運命の4つのリズムは、大太鼓や小太鼓さらにほかの楽器によって、タ・タ・タ・タンと、かなりの頻度で挿入されている。

この上陸作戦決行の日を「運命の日」と捉え、そこからベートーヴェンの「運命」では、いかにもという気がしないでもないが、それはそれでいいのかもしれない。

天候不順で作戦が実行されずに過ごす連合国側は、総勢15万人の兵士を船の中に閉じ込めることになり、衛生上も食料も、精神的にも疲労しかけていたのだろう。
そのような背景から強く上陸作戦開始を待ち望む、連合国側の心理状態が描かれているが、この大切なシーンは、後半の戦闘シーンの犠牲となったようで、凝視して観ないとさらっと通過してしまう。

一方ドイツ側は、いずれどこかに連合国側の上陸があるとは認識していたが、悪天候続きのため、一部を除いた、ほとんどの司令部をはじめとする中枢は気が付かない。

天候を味方にしていると高をくくったところにドイツ軍の失敗があったようだ。
また、これはフィクションだと思うが、命令系統や意思決定力があいまいで、何事も総統、すなわちヒトラーにお伺いを立てないと、決まらないという体質を弱点として描いていた。

しかも、エピソードとして、睡眠中だから重要な意思決定の伺いもできないでいる側近を描き、即断力の欠如が招いたことであったともいう。

今でいうリスクヘッジ策の欠如であろうが、小生はドイツ軍にはそのようなことはないものと信じたいが・・・・。

長々と続く戦闘場面に目が行ってしまうが、この映画の重要ポイントは、冒頭から30分位までの、戦闘に至る経緯の場面であろう。

もう一つ今まで見たことから気が付いたことがある。
それは映画に登場する俳優陣に、かなりの大物がたくさんいるということだ。

初めて見たときに分かったのは、映画やTVで見て知っている西部劇出演の俳優の数人であったが、今注意深くみてみると、すごい俳優の面々を確認できた。

西部劇でおなじみの、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ロッド・スタイガー、スチュアート・ホイットマン、ロバート・ライアン。
エリザベステイラーの夫でもあったリチャード・バートン。
『眼下の敵』のドイツUボート艦長役で有名なクルト・ユルゲンス。
まだ若いロカビリー歌手ポール・アンカ。
ほかにも、帰らざる河でマリリンモンローと共演した ロバート・ミッチャム。
ナタリー・ウッドの前夫、ロバート・ワグナー。
なかなか気が付かなかったショーン・コネリー。
ほかにも有名な俳優が多く出演している。

なお、デジタルリマスターされた映像は、思っていたよりも、相当きれいで、カラーでないことだけが残念なという状態だ。
コンピューター技術で、カラー化されたヴァージョンもあるというから見てみたい。

・・・・多分続く(予定)

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by noanoa1970 | 2011-02-10 17:21 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(2)