ご連絡

小生のブログを訪問下さる皆様に。

都合によって、しばらく・・・多分年内、ブログの更新を中断させていただきます。

気分が変われば、いずれまた御眼通りかなうかもしれません。

それまでの間、宜しくお願いいたします。


noanoa1970
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by noanoa1970 | 2010-11-23 17:05 | トピックス | Comments(8)

極私的音楽発見・・・大物

大発見をした・・・と喜んだら、すでに指摘されていた。
しかし自身の耳での発見だから、それでも大満足だ。

しこうして、その発見とは。

大バッハの有名なロ短調ミサと、小生がこの上なく好む、ドヴォルザークのレクイエムとの類似。
ロ短調ミサの第3曲、すなわち2番目のKyrie eleisonの音型が、ドヴォルザークのレクイエムの冒頭そして随所に出現するモチーフに類似しているのに気がついた。

とても無気味に聞こえる「ファ、ソ♭、ミ、ファ」という、ドヴォルザークがレクイエムのKyrie eleisonで使用した音型は、バッハのロ短調ミサからの引用ではないか。

もう何度も聴いてきたドヴォルザークを、昨夜聴いていた時、そう想い確認のため両曲を聴いてみた結果、引用であることを確信した次第。

大曲からの引用をモチーフとした大曲。
ドヴォルザークがバッハの引用をしたという、確信に近い指摘大発見とばかり喜び勇んで、バッハの影響とドヴォルザークの関係を調べようとしたが、何もヒントがない。

その代わりに、ウイキペディアに小生が発見したものと同じような記述があり、やはり大物同士だから、このことに気がついた先人のどなたかが記述したと見うけられる。

したがって、オリジナルの私的大発見という分けにはいかぬが、音楽のリスニングからの自身による発見に可なりの満足を味わっているところ。

しかし、バッハとドヴォルザークの影響関係は謎のままだ。
推理としては「対位法」を学ぶ意図があって、バッハを研究した折、大先輩のバッハを尊崇の念で、同じKyrie eleisonに引用したのではないだろうか。

ドヴォルザークはワーグナーそしてブラームスから多大な影響を受けたといわれるが、それはあくまでも好敵手としての範疇で、実はバッハから、もっとも多大な影響をうけたに違いない・・そう思ってしまうほど衝撃的な引用である。

モチーフとして何度も再現させていることが、その証ではないだろうか。
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by noanoa1970 | 2010-11-14 17:06 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

ゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲

昨日のブログにて、私的音楽発見のことを書こうと思って書き始めたが、そこに辿りつかずに、単なるコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲の感想に終始してしまった。

実を言うと、書きたかったのは、カップリングされているカール・ゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 作品28の極私的発見のことだった。

それで、忘れぬうちに改めて書いておこうと思う。

小生にとって、ゴルトマルクは初耳の作曲家だ。
生存は、1830~1915というからブラームスやブルッフ、あるいはドヴォルザークとほぼ同世代のハンガリー生まれのユダヤ系でウイーンで活躍したそうだ。

作風はブラームスあるいはブルッフの様な所が散見されるが、小生が驚いたのは、終楽章に入ってからのこと。

2楽章ではその兆候が少しあって、それはベートーヴェンの第9からの明らかな・・・とおもわれる引用で、さらにもっと顕著なのが終楽章の冒頭。

これは明らかに、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲終楽章冒頭・・・・2楽章にすぐ続き、ヴァイオリンのソロで開始される所からの引用ではないか。

ただし短調に変化させているから、民族色の濃い、例えばユダヤの踊りの音楽の様にも聞こえる。
しかし、これは明らかにベートーヴェンの引用だと、小生は思う。

そしてこの音型が曲全体を支配する構成となっていて、かなり印象的だ。
こころなしか、終楽章全体の構成もベートーヴェンのそれに至極類似しているようだ。

中間には、ドヴォルザークがよく使用するスラブ色の濃いメロディが聞こえて、ゴルトマルクが同世代の作曲家をよく観察していたことを、推察させるものである。

ゴルトマルクが引用し、短調に編曲して使用したとみられる、ベートーヴェンが使用したフレーズのオリジナルは、ユダヤの民族音楽的の香りがして来る。

この推論が当たっているか否かの証明は不可能だが。
こんな風に推理をしていくこと、それも小生の音楽極私的発見である。

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by noanoa1970 | 2010-11-13 06:45 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

就寝時の音楽

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相変わらず眠りに就く前に、床の中で音楽を聴いている。

かれこれ2週間ほどになるが、どうやら癖になってしまったらしい。

小生はDLが面倒なので、未だにメモリー録音媒体を所有してない。

よって、音楽媒体は、当然のことながら便利なCDだ。

かつてCECから、LPレコードプレーヤーのような形をした、複数枚再現可能なCDプレーヤーが発売されていて、かなり安価で、息子が購入したのだが、そのうち壊れてしまったようだ。

有れば至極便利だとは思うが、就寝前の一時のことだから、CD1枚の時間が過ごせれば、たいていは不足はない。

がいちばん困るのは、CD1枚を全部聴いてもなお、眠りに就けない時がたまにあることだが、かといってリピートをかけておく気にはなれない。

しかしそのような時でも、聴いた音楽を頭の中で、反芻していると、それまでどれだけの時間を要したかはわからぬが、いつの間にか眠りに入る。

極私的音楽発見というものは、そのような時にこそ、得られることが多いものである。

そのことは多分、いかにその音楽に集中できるか、という証左であり、小生にとって、眠りに就く前のひと時も、その重要な時間であることは、間違いないところである。

昨夜取り出したCDは、「コルンゴルト」のヴァイオリン協奏曲。

ひと昔前に、にわかにブームとなったコルンゴルト。
1997年の生誕100年に、『コルンゴルト・ルネッサンス』が起こり、注目されるようになったが、それ以前は、其の名前を聴いた人はごく少数だった感のある音楽家の一人である。

むろん、小生の音楽需要の歴史の中でも、この人の名前は、20世紀の後半までは、全く未知の存在であったことは言うまでもない。

初めて聴くことになった「死の都」は、小生がかつて読んで気に入っていた、福永武彦の「廃市」と風景が重なり、お気に入りのCDである。

余り多くの作品を聴いたわけではなく、劇音楽「空騒ぎ」他にすぎない。

以前ブログに・・・ココ「どこもかしこもから騒ぎ」というタイトルの記事をUPしたのを思い出した。

いずれの作品も、一言で「聴き易い」音楽だということがいえる。

甘いメロディーの、映画音楽の様な所があるかと思えば、かといってそれだけではなく、表現主義的手法が感じられるオペラ「死の都」の様な、およそ現代のクラシック音楽の作曲家らしからぬところがあり、多分そのような作風から、生存時の評価は余り高くなかったようだ。

ヴァイオリン協奏曲も、甘いメロディーの、とろけそうな曲想が支配する。
後期ロマン主義の音楽的手法の域を、出ることがないため、そのことが凄く耳触りのよい音楽となっている。

2楽章のアンダンテは、サラサーテの影響を感じるし、3楽章はフランスの6人組・・・プーランク的なものをも感じることが出来る。

1945年の作品であるが、調性に基づいて作品が形成されており、しかもそれが古さを感じさせないで、すんなりと耳に入ってきて記憶に残ることは、有りそうで実は、そうざらにあることではないように思う。

音楽に集中してしまい、なかなか眠りに就くことが出来ず、2度聴いてしまった。

おかげで、今日はかなり寝眠い。

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by noanoa1970 | 2010-11-12 10:47 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

音楽ごく私的発見・・バッハとシューマン

いわゆる名曲と呼ばれる分野の音楽を聴くときの、楽しみの一つに、異なる演奏を聴き、その解釈の微妙な違いを確認することがある。

そして、さらに何度も聴いてきた楽曲を改めて聴くことによる愉しみは、何かあたらしい発見をしたときである。

さて昨日の発見・・・すでにだれかが何処かで言及している可能性が、ないわけではないと思うが、今のところその様な記述をみた事はない。

だから、これはオリジナルの発見であるとばかり、一人ほくそえんでいる。

これまで何回となく、さまざまな演奏で聴いてきた、シューマンのピアノ協奏曲イ短調。

この最終楽章の主題は、バッハのメヌエットからの引用ではなかろうか。

(バッハのメヌエットとして有名な曲だが、近年、ペツォールトによる作品と判明した)・・・ペツォールト:メヌエットト長調 BWV Anh.114 と極めて類似していること。

ウィキに上の様な記述があった。
バッハのメヌエットと呼ばれているものは、実はバッハの作品ではなく、ペツォールトによる作品だと云う。

しかし、もし小生の発見、すなわちシューマンがバッハのメヌエットを引用した・・・ということが事実だと仮定すると、バッハ研究家でもあったシューマンが、当時の楽譜そのほかの情報を閲覧し、そしてそのうえでバッハの作品であることを疑わなかったとするならば、上記ウイキの記述は正当と言えるのであろうか。

メヌエット引用が事実とすれば、メヌエットは明らかにバッハの作品であるというお墨付きを、バッハ研究家でもあるシューマンがあたえたも同然になるから、ハンス=ヨアヒム・シュルツェのペツォールトの作品とする指摘は、的を得てないということになるのではないか。


分かりやすいように、下記にyoutubeの音楽動画を貼っておく
類似は容易におわかりのことと思う。





なんども出現する、シューマンの終楽章の主題は、メヌエットのリズムを少々変形したもので、つかわれている音符・・ただしシューマンは最後のドをオクターブ髙くしているが、「ソドレミファソドド」の音型は、全く同一だ。

久しぶりの、音楽私的発見。
小生には、このような楽しみ方も有る。

そうなると、シューマンとバッハの関係性を追うことになるが、シューマンがバッハを引用したという記述があるにはあり、それを「音楽の捧げもの」とするものがあったが、どの個所かの言及がないためいまだ確認できずにいる。

しかし小生が気づいた、メヌエットとシューマンのピアノ協奏曲終楽章の類似は、偶然ではないと推量してもよいのではないか。

これは明らかに「引用」に違いない。

裏付けは取れないが、協奏曲作曲時シューマンは、かなりバッハを研究していたし、ライプチッヒに滞在して、初演はライプチッヒで行われたというから、この私的発見もまんざらでもないように小生は思っている。
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by noanoa1970 | 2010-11-08 15:44 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

眠りに就くとき

ここ1週間ほど、眠りに就くときに、音楽を流すことにしている。
音楽を聴いている最中に、そのまま眠る偕楽を味わうためだ。

ヘッドフォンは使用せずに、普段使っている装置のヴォリュームを弱小にして聞く。

幸いなるか今の装置は、ヴォリュームを極端に絞っても、キチンとした音を出してくれる。
これは、ヴォルテージ駆動と言われるアンプがなせる技なのか、微弱音でもYAMAHA1000を見事にドライヴする。

だから、ときとしておもわず聴き入ってしまい、CDすべてを聴くことのなり、眠りに就こうとするのを妨げることもある。

日中と夜間の視聴のため、措置の電源はいれっぱなし。
エコからは遠いが、このおかげか、得も言われぬ音を再生してくれるから、これはもうたまらない。

強弱の変化に富んだ音楽より、たとえば室内楽などを、よくチョイスするのだが、面白いことを発見した。

同じソフトを日中に視聴した時に比べ、就寝前に床の中で聴くそれは、新しい・・・まるで初めて聞くような錯覚に陥ることしばし。

したがって、今までとは違う受けとめ方が可能になる。

其の1つの例が、一昨日の夜に聴いたラヴェルの室内楽。
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収録曲は以下の通り。
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一段と静寂な夜のしじまの中、カントロフとルヴィエのコンビによるラヴェルは、昼間とはちがった顔を見せてくれる。

ラヴェルには、妙な色気があるのを、知ることになった。

昨夜は、フォーレのピアノ五重奏を連続して、全曲聴こうとしたのだが、フォーレの長い語り口、何を言わんとしているのか、ついぞ発見出来ないまま、途中で眠りに就いたようだ。

今夜はマスネの管弦楽をと思っているが、少し強弱の差があり過ぎるかもしれぬので、バックスの室内楽に変更するかも。

イギリスの近代音楽の弦楽合奏曲も、5夜にわたって聞いてきたが、これもフランスものの室内楽同様、かなりいい。

当分は、イギリスとフランスの室内楽が中心となりそうだ。

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by noanoa1970 | 2010-11-06 10:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)