「ほっ」と。キャンペーン

こんなに大きなアケビが

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庭の垣根に、アケビが蔓を這わせてから数か月。
余り日光が当たらないはずの垣根の裏に、アケビが思いがけないほど大きな実を付けた。

毎年、垣根の表のには、小さな・・・10cmほどのアケビの実がなることがあって、確か去年は5個ほどの収獲だった。

アケビの白い種の部分も甘くておいしいのだが、皮を醤油と味醂そして七味でソテーするのも、おつな味で、小生はことさら好んでいる。

今年もアケビがその身を付けてくれて、表側にはいつも通りの大きさの実をつけた。
しかし、普段は回ることが出来ず、したがって見るのが少し難しい垣根の裏側に、市販のものでもこんなに大きなものを見た事が無いぐらい、巨大なアケビを発見した。

20cm以上はあるものすごく大きいもので、まさに巨大である。
300gほどのアケビが2個収獲できた。

何も管理もしなく、野生のまま為すがママ放置しておいたのに、どういうわけか解らないが、こんなにも大きな実をつけた。

このぐらい大きなものだから、応用範囲が広がるので、いままで試したことのない料理をトライして見たい。

すぐに思いつくのは「天ぷら」だが、はたして成功するか否か。
おそらく、ほんのり甘いなめらかな舌触りになるだろう。

今夜の夕食がたのしみだ。

by noanoa1970 | 2010-10-28 11:20 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

哀れ、最後のサンカの末裔

報道されることが殆どない「サンカ」を扱ったドキュメンタリー番組。

10月16日テレビ朝日放送の「報道発 ドキュメンタリ宣言 知られざる日本の原風景“サンカ”~最後の末裔が語った真実~」を観た。

小生が小学4年か5年生の時だから1960年前後、学校帰りに近道であった、名古屋市千種区猫が洞にある猫が洞池を通ることがあったのだが、そこである時テント小屋があるのを見つけた。

少し遠くから立ち止まって見ていると、子どもが出てきたのだが、テントから母親と思しき人が出てきて、子どもをテント内に素早く連れ込んででしまった。

母親は丈の短い着物を着ており、割と小ざっぱりした身なりだったから、浮浪者とは考えにくく、次の日に同じ場所に行くと、昨日在ったテント小屋は、きれいサッパリ無くなっていた。

そう云う体験から数十年経ち、ある時「サンカ」という存在を知ることになり、あの時のテント小屋は「サンカ」ではなかったかという、推測から今や確信となっていったのだった。

そういう経緯があって、小生の主たる民俗学的興味の「サンカ」の報道番組があるという情報を得て、しかもサンカの末裔が登場するという、前代未聞の報道番組を期待して見ることにしたのだった。

詳細はここでは触れないが、番組で報道された、サンカの末裔の兄妹の妹、Mさんについての番外情報・・・これぞ知られざる真実か、を意外な形で発見したので、ここに揚げることにした。

Mさんは番組でも登場し、かつて住んでいた「背ぶり」の場所に案内したり、当時の家族親類の写真を懐かしく見ながら、これはだれ誰・・と説明していた。
何時頃取材したのかはわからぬが、このときの番組内ではMさんは、まだ洒脱だった様だ。

記事によると、2008年、そのMさんが、決して健康的文化的生活とは言えない中、亡くなってしまったという。
昭和22年生まれだそうだから、小生とほぼ同年代、60歳という若さで亡くなったことになる。

ここに挙げられている記事は、行政がいかに人権を無視したのかという事件を示すとともに、そして「サンカ」ひいては少数民族などに対する行政の不法行為を示すもの、事実ならば決してみのがせないことである。

地域住民の・・・割と親切なことに比べ、行政の・・・まさに文字通りお役所仕事ぶりが伺える。

サンカの特殊性をネタにした、行政批判側の記事とも取れ、一方的ではあるし、この記事に対しての反論や弁明がないため、すべてを鵜呑みには出来かねるが、事件内容が行政の善意の産物の行為だったというには、余りにも御粗末ではないだろうか。

報道ではこの点にはまったく触れてなかったが、おそらくネタをつかんでいたのではないかと推測される。
ここまで踏み込んだ報道であれば、さらによかったと思うのは欲張り過ぎだろうか。

記事内容は以下の通り、記事はかなり詳細にわたっている。

「最後のサンカ」の孤独死と、預金を勝手に引き出す東松山市職員!
地方行政を読む - 東松山市
2009年 5月 02日(土曜日) 00:00
「日本一の福祉都市」をめざす東松山・坂本市政でまたも不祥事!
「最後のサンカ」の孤独死と、預金を勝手に引き出す東松山市職員!
不正行為のウラにまたしても坂本市長ファミリーの陰!!


 昭和22年に生まれ、昨年4月26日に没したMさん(60・女性)。定住することなく、山間を移動しながら生業を営んできた「サンカ」(山窩)と呼ばれた人々の、最後のひとりである。Mさんの両親はサンカ研究の先駆者であった三角寛も取材しており、記録によれば9人兄弟の4女にあたる。セブリ(瀬降り)と呼ばれる河川敷のテント集落で生まれたMさんは母の死後、施設をへて就職し結婚。一時は建設会社の寮で生活していたのだが、再び夫と河川敷に小屋を建て住み着いた。やがて夫が亡くなり平成11年の冬、小屋が火災で全焼。Mさんは以前から面倒を見てくれていた農家が「生活保護」を申請し、農家が経営するアパートに移り住むことになった。

「保護者」は「日本一の福祉都市」を目指す東松山市。だがMさんに対する市の扱いは非常識きわまりないもの……いや、文盲のMさんにとっては、はっきりいえば「殺人的」だった。彼女に生活保護措置をとらず、布団さえ与えず、Mさんの預金を勝手に引き出していた東松山市。あげくにはMさんの死後、彼女の遺産を無断で遺族に分配していたのだ!

Mさんに「生活保護」措置をとらなかった東松山市
あまりにも痛々しいMさんの布団すらない孤独死
「いったい市役所は、Mさんに何をしてあげたのか」
 社会福祉協議会を舞台にしたリーマン社債1億円焦げ付き問題発生から、坂本祐之輔市長らによる市職員恫喝、それにさかのぼる常軌を逸した市役所内部での官製談合(職員2名が逮捕)など、「福祉の充実」を看板にした東松山市政が揺れている。こうしたなか、新たな不祥事が発覚した。

 昨年4月26日に死去したMさんは、近所の要請もあって数年前から東松山市役所福祉課による「生活支援」を受けていた。ところが、どういうわけか市役所が「預かっていた」Mさん名義の預金通帳から、死亡前後に多額の現金が引き出されているのである。約200万円あった貯金は、Mさんが亡くなった当日から3日後にかけて、40万円、50万円という大きさでATMから下ろされているのだ。(詳細な内容は後述)。

 Mさんが東松山市福祉課に“保護”された経緯を知る行政関係者は、こう述べる。

「Mさんは、昭和30年代頃まで東京を含む関東地方の山間で暮らしていたサンカ(山窩)とよばれる人々の末裔です。夫を亡くし孤独な身となり、障害も持つMさんをかわいそうに思った近所の人が『自分が経営しているアパートに入居させてもよいから、市で保護してあげてほしい』と申し出て、この人と市役所との話し合いでアパート入居となり、以後、福祉課のケースワーカーの訪問をしばしば受けながら暮らすようになったのです」

 ここまでの話なら「美談」といえるだろう。しかし、現実はそうならなかったのである。
「アパートの家主さんは、『Mさんはぜひ、生活保護で措置してあげてほしい』と市役所につよく要望していました。Mさんが障害を持つ高齢者だったからです。そして、てっきり生活保護を受給して暮らせるようになったと思っていたのに、Mさんが亡くなってから部屋に入るとコタツに冷蔵庫があるものの、布団もないありさま。そのコタツや冷蔵庫も近所の人があげたものです。市からケースワーカーが週2日来ていたにもかかわらず、です。『いったい、市役所はMさんにどんな暮らしをさせていたのか』と、近所では怒り出す人もいました」(前出の市民)

 本紙が取材してみたところ、驚くべき事実が次々と明らかになった。まず、東松山市福祉課はMさんに生活保護を受給させていなかった。そして驚くべきことに、Mさんの障害者年金が定期的に振り込まれる預金通帳を市役所が預かっていたのだ。残された通帳によると、その残高は死の直前の4月15日には201万1,649円にもなる。その前の2月18日までさかのぼると、数日おきに数千円から27,000円程度まで(これは振り込みなので家賃ではないかと思われる)、9回にわたって出金されている。

「残高が200万円くらいもある通帳が出てきたというので、家主さんを含め近所の人は驚いていました。まさか市役所がそんなものを預かっているとは、想像もつかなかったものですから。『そんな金を預かっていたなら、なんで布団くらい買ってやらなかったんだ』と、Mさんが不憫でなりませんでした」(同)

 Mさんに対する東松山市役所のあまりに杜撰な仕打ちに、事情を知る市民の怒りは高まるばかりだ。しかし、ことはそれだけにとどまらなかったのである。

市福祉課の常識で考えられぬ不法な「無権代理」行為!
遺産分割協議もないまま個人の遺産を勝手に分配
坂本市政下の東松山市役所は“無法地帯”か?
 Mさん名義の預金通帳から、残高が最高額だった4月15日以降に出金された額と日時等は、表のとおりである(カッコ内は残高)。

Mさんの預金通帳による出金記録(H21.4.15以降)

4月17日   12,000円 (1,999,649円)
4月25日   10,000円
4月25日  400,000円
4月25日      105円  ※手数料
4月26日  500,000円
4月26日      210円  ※手数料
4月28日  500,000円 (589,334円)


 以上は、本紙が遺族らの協力で提供された通帳コピーの記載によるものだ。Mさんが亡くなったのは4月26日。その前日を含め、死後に至るまで3回にわたり、計140万円が引き出されている。

 生前のMさんとよく言葉を交わしたという近所の人は語る。

「Mさんにこんな多くの貯金があったなんて、驚きです。生活保護を受けているとばかり思っていたものですから。でも、なんでMさん名義のお金がこれだけあるのに、あんなにみじめな暮らしを市役所の担当者はさせていたんでしょうか」

 Mさんが市役所の保護を受けた頃から事情をよく知る人は、こう語っている。

「いっしょに暮らしていた兄が亡くなったとき、貯金を100万円くらい引き継いだのです。その後、Mさん自身に支給される障害年金が口座に入金され続けたのですが、Mさんはこれを自分で一向に使えないままで、貯まっていったのです。Mさんは『役所の人がお金を自由に使わせてくれない』ってボヤいていましたが、私たちは『そんなことないよ。ちゃんと相談してごらん』とアドバイスしていました。結局、預金通帳は東松山市役所の福祉課が預かっていて、市の担当職員がお金の出し入れ一切をやっていたのです」

 実は、一見「親切」に思えそうな東松山市福祉課のこの行為は、法を逸脱する重大な誤りだったのである。これについては、後述する。

 それにしても、福祉課の担当職員は、何を判断基準にして大小の金額をMさん名義の預金口座から引き出していたのか。これらの金額の使途について、Mさんの世話をやいていた住民の一人が不審に思い、市役所福祉課に説明を求めた。これらは、東松山市役所が使用している事務箋に書き留められている。

福祉課が説明した「Mさん預金の引き出し内訳」

貯金高   1,989,649円
市役所支出   496,171円
M子支払分   200,000円
H子支払分   200,000円
S次支払分   500,000円
不明金      3,217円
貯金残高    590,261円 (H20.9.30 解約時残金)
S郎支払分   250,000円
寺支払分     60,000円 (高済寺)
現在の残金   280.261円


 ここにある「M子」「H子」「S次」「S郎」は、元々のメモには実名記載されており、Mさんの親族である。なんと東松山市福祉課は、遺産分割協議もないまま勝手に故人の遺した金員を親族に分配したのだ!

 これは弁護士すら正式の委任がなければできない「無権代理」行為そのものである。もちろん、刑事犯罪に該当する不法行為である。

 本紙は、この事実を把握した後、口座を扱っていた銀行支店や行政専門家のもとを訪れ、これまでの調査で明らかになった事実について見解を問うた。銀行支店の担当者は、こう語った。

「亡くなった方の名義である預金口座は、当然銀行側がお客様の死亡を把握すれば、すぐに凍結して出金を止めます。遺族による遺産分割協議の成立を見て、初めて出金させるのが原則です。ただ事情によっては葬儀費用その他で当座の現金が必要な場合、所定の手続きで出金させていただくことになっています。Mさんのケースについては、驚いています。市役所がお客様の預金通帳を預かって出金を代行していたことは、自動支払機を使う限り把握しようがありませんでした。もちろん東松山市役所から当店扱いの預金通帳を預かって管理しているというようなお話は、一切ありません」

 世の中では「振り込め詐欺」が横行している。それゆえ他人名義の口座の扱いは、その代行について厳密にチェックされるように指導がされている。ところが東松山市福祉課は、こんな世間的常識のイロハに属する手続きすら怠っていたのである。

 元行政マンは、こう述べる。

「孤独で身寄りがなかったり、親族が近くにいなかったりする痴呆症や精神障害の高齢者等についてその財産管理を代行するのは『成年後見制度』を活用することになっています。障害や痴呆の程度等によって、後見人、補佐、補助の3通りの代行者・援助者が任命されることになっており、親族かその人の住む自治体の首長が裁判所に成年後見制度活用の申し立てをし、保護を行うのです。これが自治体の福祉行政の基本です。東松山市福祉課は、民法や制度をまったく無視した独断、我流でMさんを『保護』したのであり、これは刑事犯罪に匹敵する大きな誤りです」

Mさん担当のケースワーカーは「坂本市長の親族」
東松山市役所は「犯罪者の伏魔殿」か?
東松山市民よ、もはや坂本市政の転換は急務だ!
 またも犯罪行為である。東松山市役所の中には、財産権を含む基本的人権の尊重を重要な柱とする憲法をはじめ、法律というものはまったく存在しないのだろうか? 

 昨年の官製談合事件、坂本市長と側近らによるリーマンブラザーズ債焦げ付き1億円損失の隠蔽工作や職員恫喝、坂本市長ファミリーによる高齢者配食サービスを舞台にした福祉の「食い物」化、同じく坂本ファミリー・ルートの関与が濃厚な大東文化大学との不可解な土地取引・小学校敷地引渡しなどに続き、次々と腐臭ただよう悪事の片鱗が見えてくる。東松山市役所とは、まるで「犯罪者の伏魔殿」ではないか。

 先の元行政マン氏は、次のようにも述べる。

「東松山市によるMさんの扱いには、驚きを通り越したものがあります。しかし、地方公務員というものは、県レベルでの研修交流も行われ、人事交流もあるので、この市だけが他の自治体と比べてことさら違法行為が多いことを、職員の責任だけに帰するのも変です。むしろ、成年後見制度の適用の鍵を握っているのは、坂本市長のような自治体首長であり、市長が怠慢で職責を果そうとしないため、福祉課レベルで行政行為としては不自然なことが横行している、と解釈することも可能でしょうけれども。それにしても非常識きわまりない。ひとつ間違えば、担当者が横領の刑事犯罪で逮捕される重大な逸脱行為なんですから」

 本紙は、次のような情報も得て、裏づけも得た。Mさんを担当した職員(ケースワーカーK氏)は坂本市長の親族なのだ。週に2回もMさんを担当しつつも、布団すら与えず、いったい何をしていたのか。

「日本一の福祉都市」という目標を掲げつつも、福祉を食い物にし、そして福祉でしっかり守らなければならないはずの弱者をないがしろにする東松山市政。

 いまや坂本市政の転換は、東松山市民にとって焦眉の課題といえるのではないか。市民はいまこそ「主権在民」という言葉の意味をもう一度、よく噛みしめるべきだろう。こんな犯罪的リーダーを選んでしまったのは、他ならぬ東松山市民なのだ。■
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by noanoa1970 | 2010-10-22 11:49 | 歴史 | Comments(2)

美味しいご紹介

最近はブログの更新がママならず、今回もすでに1週間以上たってしまった。

MIXI経由ですと、更新情報がその都度記載されるからまだしも、URLダイレクト訪問の方で、この間何度も訪問して下さった方には、大変申しわけなく思っております。

それで、お詫びと言うには大変おこがましいのだけれど、余り知られてないが、実に美味しい食材を御紹介させていただきます。

野菜が高騰しているとはいえ、徐々に落ち着きを見せ始め、種類も豊富になってきて、しかも美味しくなる季節です。

これからの季節、みなさん「鍋物」お好きではないでしょうか?

本日小生がお勧めしたいのは、「鍋料理」に使って、凄く美味しく素材が生きる「秘密のみそだれ」。
20年ほど前にこの素材の存在を知ってから、やみつきとなったのですが、小生の住む地区では入手困難なため、金沢の営業所の後輩に、その都度頼んで送ってもらってきました。

金沢を中心とした北陸の町にしか、それは販売されてなかったからです。

言いかえれば、ものすごくマイナーな存在の食品素材ということです。

しかしながら、最初にそれを利用しての「鍋」は、かなり衝撃的で、思わず「うまい」と唸るほどだったのでした。

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まつやの「とり野菜みそ」というネーミングで、田舎の名の知れない食品会社の産物であることがすぐにわかるほど、パッケージもまったく垢ぬけてなく、したがって、其の雰囲気から推測されるその味も、推して知るべしと、ほとんど期待してなかったのでしたが、いざ鍋を味わう段になって、その推測がまったく正反対のものに変っていったのをおぼえています。

小生もかつては料理の道に進みかけた人間で、食べることはもちろん、料理をすることがこのうえなく好きな人間だ。

それで、ある時この「とり野菜みそ」のアジを表現すべく、ありとあらゆる、今まで培った料理上の知恵を出して、模倣再現を試みたのだが、つかわれている調味料などの素材は見当がつくものの、それらを調合し、その味にするには到底かなわなく、模倣再現を断念したことがあった。

多分「味噌」そのものが一番の要因だと思うが、特別なオリジナルを使用しているらしく、市販の味噌では同じ味は再現不可能であったのだろう。

それで、いまではインターネット通販で、だれにも簡単に入手できることがわかったから、是非皆さんに、このうえなく美味しい、そして今まで未知の鍋の世界を味わっていただきたく、ブログで紹介することにした。

紹介の「まつや」のHPで語られているが、「とり野菜みそ」というのは「採り野菜味噌」。
つまり野菜を、美味しくたくさん食べることが出来るというところからのネーミングとされている。

しかし、小生があれこれ試したところ、「鶏肉」はもっともよく合う素材の1つ、今が旬の「牡蠣」、「鮟鱇」にも、「豚肉」さえもがよく合うし、「イノシシ」が入手可能ならば最高ではないだろうか。

入手の問題はあるにしろ、小生は「イノシシ」を強く勧めたい。

この味噌、なぜか植物だけの鍋でもOKだし、イノシシなど癖があるものもOK,それに海の幸でも十分すぎるほどの美味しい力を発揮してくれる。

今スーパーに行くと、市販のタレや加工味噌など、目移りしてしまうぐらい並んでいるが、北陸地方のスーパー意外にはほとんど並ばない「まつやのとり野菜みそ」、実に美味しいから是非通販で入手されるといいと思う。

まつやHPはココ先ほどまつやのHPを見るうと、商品種類が増えているが、お勧めは写真掲載した昔からあるもの。

1袋200g入りで約200円と、調味料としては高い戸思うかもしれないが、得られるその味を考慮すれば、決して高くはないと思う。

「とり野菜みそ」で検索すると、多くの通販サイトが発見出来、多分どこからでも発注可能とおもわれる。

マイナーからメジャーになりつつの予感があるが、味は今のところは落ちてないようだ。

by noanoa1970 | 2010-10-19 13:38 | 「食」についてのエッセイ | Comments(2)

DVDオーディオで聴く「復活」

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たった1枚のDVDオーディオ所有ディスク、それはメータとイスラエルフィルのマーラー「復活」。

もう足掛け10年ほど前になるが、DVDを見るために購入したプレーヤーガ、マルチ対応だったから、かねてから音質が凄いと評判だったDVDオーディオディスクを一度聴いてみたいと思った。

しかし、ショップに行くも、ソフトは10数点しか発売されてなく、声楽付きの楽曲はと言えばこの「復活」ぐらいだったため、世間では評判の余り芳しくないイスラエルフィルとのものを選択せざるを得を得なかったのであった。

同じメータの復活ならば、ウイーンフィルとの演奏が評価されていたのだが、ほかの音盤は触手が全く動かなかったために、いわばしかたなく選んだに過ぎなかった。

この演奏については、ほかのブログにも相当な酷評があって、それはおおよそ以下の通り。

・集中力が高いとか、凝縮された表現と言うような、緊張感につつまれた演奏ではありません
・緩んだ雰囲気とか大味な演奏と言われてしまうような・・・
・モタ~っとした響きが全体を支配しているのが、なんとも・・・
・デッドなティンパニがどうも演奏に溶け込まない
・この演奏はメータ自身の姿勢が甘すぎる
・何の感慨もなく、この楽章も終って行きそうです
・弦の優しい響きもこのオケの特徴か、下品な金管との釣り合いもとれないオケです
・オケのメンバーも献身的に音楽をしようとはしていない
・これでは感動などありえない

プロではなく、アマチュアの好事家の言葉だから、これに反論すべくもないことだけれど、今回DVDオーディオで聴いてみて、明かなる違いがあることが分かった。

そして、CD評や録音されたものにおける演奏比較で、前々から気になっていることがある。
その重要なひとつがリスニング環境についてだ。

ほとんど多くの場合、CDの評価でオーディオ装置などの環境ついて触れられてないことだ。

オーディオ装置や、厳密にいえば、聴く部屋によって、音盤の録音に対する評価は、かなり異なってくる。

今回DVDオーディオという優れたフォーマットで、演奏録音ともに、世間での評価の余りよくないメータの「復活」を聴いて其の事が顕著となったように思われる。

いちばんの相違点としてあえて挙げれば、ティンパニーのデッドな音、そして金管の下品な音など「音」に関することが小生の視聴印象とまったく反対であったことだ。

ティンパニーがデッドなのではなく、これは使用するマレットが、柔らかい質のものであるということで、これなど多分普通のCDフォーマットでも聴きとれそうに思うのだが、悪評した人は一体いかなる環境で聴いたのだろうかと疑いたくなってしまう。

金管の下品上品などの聞え方も、オケの資質というよりも、ヒヤリング環境にその原因があることのほうが大だろう。

弦の優しい響きがイスラエルフィルの特徴か・・・などという論評は、録音がたまたま自分の環境に合っているからで、金管が下品に響くことと等価であろう、しかしDVDオーディオを小生の環境で聴くかぎりにおいては感じられない。

よって其の評価を違えることは、DVDとCDというフォーマットの違いもさることながら、装置そのほかのリスニング環境:再生能力に原因があると多分に推測されること。さらに『耳』の問題も大きいが。

緩んだ空気とか、モターッとした響きの印象などは、DVDオーディオと小生のリスニング環境下で聴く限りは全くといって無い。

これらのことは低音部が頭打ちとなってしまうCDフォーマットと、十分に低音を再生できない音響装置を含むリスニング環境両方の問題だ。

そしてこのことは、小生が以前から危惧している、録音が悪い、あるいは自分のリスニング環境に適してない音質の録音の場合、それが要因で、演奏そのものの良否の判定につながりやすいことを物語っているのではないか。

言いかえれば、録音が良いことが演奏の評価を高まる傾向はないだろうか。
例を挙げれば、ハイティンクやコリン・デイビスの一部の録音にその傾向が強いように思うのは、小生だけだろうか。

そして、たとえばパソコンとアクティブスピーカーでCD評を語る人や、ポータブルプレーヤーとイヤフォンで聴いて語る人など、それぞれの装置でよい響きのするものを、録音演奏ともに認める傾向があるのではないだろうか。

ステレオ録音絶対主義者もよく見掛けるが、ひょっとすると、彼らもそういう一族であるのかも知れない。

そしてDVDオーディオで聴くメータの「復活」は、大編成のオケの、器楽と音声・・しかも女性のソロとコーラスという、再生の比較的難しい録音にもかかわらず、細かいニュアンスから、ダイナミズムに富んだ音まで無理なく、そしてあえて言うならば、生のコンサートでは、埋もれてしまい聴けないような、マーラーにとっては大切だと思われる超微弱な音まで再現を可能にするものだ。

ダイナミックレンジだけがDVDオーディオの取柄でなく、音楽の表情さえも情報としてあたえてくれ易いのではないか。

市場ではこのDVDオーディオフォーマット、余り人気がないようだが、マルチディスクプレーヤーのハードの価格も相当安価になったし、音質や録音時間など、どれをとってもCDやSACDを凌駕するのだから、ソフトの安価な提供を含めメーカーにがんばっていただきたい。

たとえば、CDでは約15枚の「ニーベルングの指輪」が、1夜ごとにDVDオーディオ4枚程度に収録されればいろいろなメリットがあろうはず。

はたしてDVDオーディオの復権はなるのだろうか。

by noanoa1970 | 2010-10-10 16:15 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

ロバータ・フラック健在なり

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2010東京JAZZ FES.に出演したロバータ・フラック。

彼女の歌を初めて聞いたのは、1972年のこと。
当時京都銀閣寺畔で、NOANOAという、ピザ&スパゲッティの店をオープンしたときのことだった。

いつもFMラジオを聞きながら、開店準備をしていたのだが、其の時にヒットチャートの上位を独占し何時も流れていた曲が、The First Time Ever I Saw Your Face「愛は面影の中に」そしてHey, That’s No Way To Say Goodbye 「さよならを言わないで」で、この2曲が連続して流れるという・・・快挙をなしとげたのだった。

2曲ともに非常に気に入ったので、早速レコード屋に飛んで行って、アルバム「FIRST TAKE 」を入手した。

そうした出会いがあってから、アルバム「第2章」と『クワイエット・ファイア』そしてダニーハザウェイとのデュエットアルバムを聴くにおよび、好きな唄い手のひとりとなった。

しかしそれも、「やさしくうたって」以前の話で、この歌のヒット後、彼女への興味は徐々に薄れていたのが正直なところ。

アルバム「FIRST TAKE 」では、「ロン・カーター」、「エリック・ゲイル」などのジャズメンがバックを務めていたことも特徴的であったが、今回の東京JAZZ FESにおいてもジャージーな雰囲気を出している姿が印象的であった。

驚いたのは、N響のストリングスパートをバックにして唄い切ったこと、JAZZ風に、シンコペーションを多用して「The First Time Ever I Saw Your Face」を唄ったこと、そしていちばんの感動は、声量こそいささか失われている感があるものの、歌唱力が40年前と比べ、いささかも変化していなかったこと。

一瞬浅川マキと思うような風貌だが、よくよく見ると70年代当時のかわいらしさは、少し残っていて、70歳の年齢を全く感じさせなくひと安心。

この人昔からそうだったが、少しブルーノートがかった音程の採り方は、JAZZはさることながら、やはりブルース・・・リズム感あるR&Bでより歌唱力を発揮することであろう。

とても良いものを見せてもらったNHKにも、一応感謝の念を送っておこう。

2010東京JAZZヴァージョンではないが、オリジナルアルバムにより近い「The First Time Ever I Saw Your Face」


by noanoa1970 | 2010-10-08 06:02 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

国会こそ事業仕訳が必用

・・・無駄そのものは、所信表明や代表質問における国会での党論の仕方と内容。

ほぼ同様の質問と、金太郎あめの様な回答。

税金・国費が勿体ない。

1問ごとに丁々発止の議論しないと「暖簾に腕押し」である。

政府は時が流れ、終了時間が来るのをひたすら待っている。

「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という諺の典型。

by noanoa1970 | 2010-10-07 16:05 | トピックス | Comments(0)

代表質問観戦

国会中継で代表質問を観戦
質問にまともに答えようとする意志がないのは、毎度のことであるが、この大事な時、我が国のTOPは、実にダラシナク成り下がってしまったのを確信することとなった。

だれが見ても回答文を自らが関与して作成したとは思えない。
政治主導とは何であろう。
まあ、それは百歩譲っても、原稿内容をあらかじめ良く読んでないから、総理大臣の言葉には魂が全くなく、覇気もない。

以下のニュースは、その様な気配を捉えた稲田氏の質問に対して、総理大臣が、いたちの最後っ屁のように、吐いた言葉だ。

まるで、子どもの喧嘩の捨て台詞である。

2つ目の・・・・「原稿を見ないで自分の言葉で答弁を」と要求した稲田氏は、「官僚が作成した原稿を見ずに答弁するよう求めた」・・とあるように、総理大臣の感性の微塵もない、覇気のない、やる気もない、当たり障りがなく、したがって何も具体策のない答弁に噛みついたものだ。

しかし総理大臣は、稲田氏の向かって最後に「それなら原稿を読まずに質問するべき・・・」云々と、例のごとく問題を巧みにすり替えた。

稲田氏の質問書は、自らが中心となって作成したものだろうことは、発言の力をもってみれば、一目りょう然。

これに対し、総理大臣の答弁は、自ら関与しない官僚作成の原稿による答弁だから、始めて見る文面のごとく、自らが十分理解してないので答弁に迫力がない。

こんな、眠くなるような答弁の姿勢を、TVで見せられる、国民の立場になってくれ、と言いたくなる。

体制維持が、隠された重点実施項目のこの内閣は、思うよりずっと短命に終わるかもしれない。
民主党自体も政治政党の体をなしてないようにも・・・



【代表質問】首相「これほど汚い言葉使わなかった」と質問者を挑発
2010.10.6 14:58
 菅直人首相は6日午後の衆院本会議での代表質問で、自民党の稲田朋美氏の質問に対し、「私も野党時代、かなり厳しい言葉を使ったが、これほど汚い言葉は使わなかった」と非難。さらに、官僚が作成した原稿を見ずに答弁するよう求めた稲田氏に対し、「それなら原稿を読まないで質問するのが筋だ」と挑発した。

出典)産経ニュースより

by noanoa1970 | 2010-10-06 15:53 | トピックス | Comments(0)

「ひじき」は凄い!

ここ最近、特に夜中に足が「つる」ようになった。

運動疲労ならば、その箇所は大体決まるのだろうが、足の至る個所に分布して「つる」のである。

足の筋肉のどこかを少し動かしただけで、途端に「つる」時もあれば、徐々に激しくなってくる場合もある。

なんとか耐えうるものから、激痛が走るものまで、其の範囲はとても広く、頭痛のタネとなった。

主治医に相談しても、良い解決策がないらしく、何時もあいまいにされお茶を濁される始末。

運動疲労の場合は、塩を舐めるとわずかな時間で症状が改善されrたが、最近のものはそう簡単にはいかない。

激しい痛みが5分も続くときがあって、いずれは救急車をと、考えることもあるぐらいだ。

何とかならないかとネットを駆使して調べてみると、さまざまな原因とその解決法が記載されていたが、いままで全く思いもつかないことが書かれているのを発見。

それがミネラル成分のマグネシウム(Mg)とカルシウム(Ca) 。
数年前までは割と大食漢であったがために、ミネラル成分や栄養素は自然とkュう修されていたにお違いない、いやむしろ摂取し過ぎの成分も多かったと思う。

食事制限をし始め、おかげで胃が小さくなったのか、食欲も以前よりは減少し、したがって食事の量が総体的に減った。

多分それが原因で、必用なミネラル成分の摂取がままならなくなったのではないか、そして手足の「つり」の犯人は、マグネシウムとカルシウム不足だと推量した。

それで、其の2つを高度に満足する食品はと探すと、意外な食品がそれに相当することがわかった。

最近ではほとんど口にしなくなってしまった食品「ヒジキ」がそれだ。
そういえば、小学校の給食では、全くパン食には合わない「ひじき」のメニューがあった。

100g中マグネシウムが567mg、カルシウムが1400mgと、あらゆる自然食品中で最高の成分値である。

ほかには「アルファルファ」=スーパーベジタブルというものもあるが、いつでも入手出来るわけではなく、サプリメントに頼るのも賢明でない。

やはり天然の海の幸「ひじき」がよい。

それで家内に頼んで、薄味で炊いて食べようと、「ひじき」を購入してもらったが、パッケージは昔のあの円筒形の包みではなく、中身がほんの少ししか入ってない、小さな長方形であった。

おまけにそこでは国産がなく、韓国産しかなかったといって、それを購入してきたのだった。

いまや「ひじき」も、昔ほど採れなくなってしまったのだろうか。

早速調理してもらい、毎食ごとに少しずつ食べだして3日が経った。

実はその夜から手足の「つり」がピタリとおさまっていて、今日で4日目を迎えている。

「ひじき」が効いたのだと、思わざるを得なく、とても有りがたいことだ。

それまでは「ひじき」とあまり縁のない食生活を送ってきた。
そして美味しいとは決して言えない食品であるが、実にありがたい。

「ひじき」の御蔭で、夜中の苦痛から脱け出せた。

by noanoa1970 | 2010-10-06 10:21 | トピックス | Comments(2)

十月は木犀の国

この季節に散歩していると、時々あたりから心地よい匂いが漂ってくる。
香りの主は・・・・木犀だ。

まだあの金色の小さな、木々の間に密集して咲いている姿は見えないが、そこはかとなく漂う気品ある空気が好きである。

昨日朝の雨の中、玄関わきに植えてある銀木犀が、まだ蕾の段階にもかかわらず、上品な香りを放ちつつあるのに気がついた。

思い違いかもしれないが、どうも金木犀と銀木犀では香のエキスがちがうようだ。

花の密集度が違う性もあるだろうが、香の熟成度が、金は南国的で情熱的そして銀は北欧的で儚い・・・そんな風にも感じられる。

今の季節、鶯の声は聞こえるが、その姿を探すことが困難なように、木犀もその香は漂うが、どこにその源があるかを特定することはむずかしい。

そういう云わば神秘性も、小生が木犀を愛でる根拠となっているのかもしれない。

そう云えば、京都修学院の家内の実家の裏庭には、とても大きな金木犀があって、この季節になると、一斉に金色の花をつけていた。

遠い記憶では、満開のときよりも、咲きはじめのほうが、香がつよかったようだが、はたして事実はどうであろうか。

ともかくも、木犀の御蔭で、10月初めの朝夕の散歩は、実に気分がよい。

ブラッドベリの「10月はたそがれの国」の中に、「木犀の香」という短編を、載せていただきたかったなんて勝手に想ってもみる。

幻想的な彼らしい物語が出来たに違いない。

ブラッドベリは木犀の香りを知っていただろうか。

作品に、「たんぽぽのお酒」があるから、木犀、知っていたに違いない。

by noanoa1970 | 2010-10-05 06:33 | トピックス | Comments(3)