「ほっ」と。キャンペーン

浅田真央の敗因は選曲にあり

浅田真央の失敗は予想していた。

こういうと後だしジャンケンだといわれるかもしれないが、このことは家内にも事前に話しておいたことだ。

最大の失敗の原因を、小生は「選曲」にあるとみている。

ゲンが良いという理由で今回も選定したSPでは「ハチャトリアン」の「仮面舞踏会」そしてフリーではなんとラフマニノフの前奏曲「鐘」。

いずれの曲も、まだ少女の域を脱しきれてない、あの浅田真央には似つかわしくない。
特に「鐘」はバックに宗教的なものを秘めた非常に重い作品で、「神の怒りの日」のフレーズも登場するもの。

こんな曲が、あどけなさをまだ持っている少女に合うわけがないのだ。
彼女の持ち味は「天真爛漫」ではないのか。

「鐘」ではどんなにうまく滑ったとしても、曲想がスケーティングに合ってないから、当然練習時から苦労の連続であっただろう。

浅田の情感とあまりにものアンマッチの難曲がゆえに、3アクセルは超難関、だからそれを無事に乗り越えることばかりに集中し、肝心の全体の滑らかさに繋がっていかなかった。

また浅田は、この曲を理解できずに、伴奏音楽という概念でしか捉え切れなかったのだろう。
いや理解しようと努めたが、どうにも自分の中で違和感を感じていたのではないだろうか。
自分の中に十分音楽を取り込めてない。

したがって、滑りを曲に合わせるのが精一杯の滑りのようだった。

だから思わぬところで、つまらないミスをしてしまい、スムーズさを欠いてしまい。

こういうのは、練習不足とか、緊張とか、重圧に負けた結果ではなく、音楽の流れと滑りのアンマッチ、その原因はどう見ても、選曲のミスである。

19歳といえば、そろそろ大人であるが、浅田の場合はまだ「少女」である。
そこがキム・ヨナとの最大の差であり違いだ。

そして選曲のミスが今回の最大の敗因である・・・こう小生は思っている。

浅田には今のところ、もっと明るい曲想のもの。
そしてリズミカルな曲のほうが似合っている。

重圧感がある曲が似合うには、まだまだ時間がかかりそうだ。

その点キム・ヨナは、大人の「女」の雰囲気と「少女」の両面を持ち合わせており、どちらでも対応できるから、SPの007、フリーのガーシュインのPコンはよい選曲であった。

浅田がキム・ヨナに勝てるときが来るのは、浅田が大人の女性になった時かもしれない。
「シナが作れる」ようになれば、チャンスがある。

by noanoa1970 | 2010-02-27 09:49 | トピックス | Comments(0)

丁稚羊羹

丁稚羊羹と言えば、京都京福電鉄修学院駅から、踏切を超え、高野川方面に少し行った左角にある「双鳩堂」がなじみであった。

他には一乗寺下がり松の「中谷」が京都では有名だ。

しかし本日は、一昨日購入してきた近江八幡「和た与」の丁稚羊羹。

京都の丁稚羊羹も「和た与」のものも、竹皮に包まれているが、割と乾燥ぽい京都のものに比べ、
「和た与」は、瑞々しいのが特徴。

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ものすごく大きな竹皮は、多分あらかじめ水につけて水分を吸いこませたのだろう。
その甲斐あって羊羹自身も、ほどよい湿り気があり、ややもすると混ぜ物の粉などの味に負けてしまうことが多いにもかかわらず、上質の小豆の餡の味と香りが立っている。

小豆餡の羊羹が高くて、帰省の際にお土産にできなかった、丁稚奉公のためにできたとされるが、ここの丁稚羊羹は、そのような次元のものではなく、高級和菓子の様相を呈している。

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実に大きな竹皮に包まれるが、中身は薄くて小さいのでびっくりしてしまうが、味はとても素晴らしい。

気になって竹皮の価格を調べると、大きいものが1枚で@40から50円する。

通常ならこのような単価のものを、よほどの高級精肉店でもない限り、包装に使うことはまずあり得ないが、丁稚羊羹は其れを頑固に守っている。

この点は、その味覚と並んで、評価したいところだ。

竹皮にどのような加工がされるかは、わからないが、竹皮自体に防腐の力があるから、過度な防腐処理をしない限り、輸入品でもいたしかたないだろう。

こんなに大きな竹皮を、常時仕入れることが可能だから凄いが、これも今だけのことになるかもしれない。

昔は牛肉を買うと、竹の皮で包んでくれた。
天然の竹皮は乾燥を防ぎ、細菌から守る役割もするのだろう。

現在のように、肉などを包む包装が、竹皮もどきばかりになってしまったのが、とても残念である。

小生の居住する地域は、竹林が多く、筍の産地でもあったが、近年開発が進み、ほとんどの竹林が無くなりつつある。

竹皮も筍も、いずれ幻となってしまうのかもしれない。

by noanoa1970 | 2010-02-25 09:48 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

剣客商売のロケ地

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「剣客商売」はこの写真の場所、近江八幡にある「八幡堀」でのロケが多かった。
写真の場所より上手の琵琶湖に近いところが、いつもの場所だ。
おはるが小平を乗せた船を漕いで、里山の住家から町に渡る風景が毎度描かれる。

昨日は剣客商売の故郷、近江八幡へ。
狙いは八幡堀と、多分今まで食したもので一番美味しい「外郎」、「丁稚羊羹」を求めるため。

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定休日とは知らずに行ったのだが、幸運にも丁稚羊羹の大量の注文があったとかで、運よく開いていた。

この店の外郎と丁稚羊羹は実に美味しい。
独特の粘りと食感があり、後味がとてもいい。
「外郎」を「うゐろう餅」というだけのことはある。

by noanoa1970 | 2010-02-24 09:42 | 動画・ムーヴィー・映画 | Comments(2)

泉州は信太の生まれ・・・

藤田まことが演じた「あんかけの時次郎」は、いうまでもなく、「沓掛の時次郎」のパロディだが、これについては小生、少々苦い思い出がある。

「沓掛の・・・」という読み方を、ずいぶん長い間「あんかけの・・・」と読むものとばかり思い込んでいたのである。

このことは当然ながら「てなもんや三度笠」の影響だ。

藤田まことの口上は、「あっしゃ泉州は信太の生まれ、あんかけの時次郎ともうしやす・・・」というものだったが、今考えて見ると、長谷川伸からのこのパロディは、なかなかのもの。

当時は泉州も信太もわからなかったが、この地「信太」は、葛の葉白狐で有名な、信太の森のあるところ。
すなわち信太=キツネで、「油揚げが入ったもの」を「しのだうどん・そば」、あるいは「しのだ丼」というがごとしである。

「信太の生まれ・・・」とは、油揚げが入った、うどん、それも「あんかけ」をを想定してのことだろう。

なぜあんかけの時次郎が、泉州は信太の生まれなのか、これで謎が解けた。
実に奥深いネーミングである。
よく観察すると、そこに面白いこと・・・陰陽師、安倍晴明と蘆屋道満の争いの逸話にも影を落とす、が見えてくるから、お笑い番組の単なる面白ネーミングだからと言って決してバカにできない。



「沓掛」が「あんかけ」でないことを知ったのは、碓氷峠を超えて、軽井沢に行った、なんと大学1年生の時であった。

でも「沓」は「あん」と読めないこともないような・・・・(笑)

by noanoa1970 | 2010-02-21 10:13 | Comments(2)

てなもんや三度笠・剣客商売の・・・

「藤田まこと」が亡くなった。
思えば昭和30年代後半、小生がまだ小学6年生か中学生の頃、CBCテレビの夕方からこの番組は始まった。

今でもなお有名な台詞「あたり前田のクラッカー」は、そのクラッカーのあまり美味しくないのに比べ、かなりヒットした。
クラッカーには粉末のスープの元が入っていたが、これも相当なものだった。

財津一郎がバカ長い刀を挿して登場し、刀を抜くのに四苦八苦する姿や、食い意地が張っていた白木みのるの「珍念」がいつも茶々を入れるのも、当時はさほどでもなかったが、のちに相当ビッグなタレントやコメディアンとなる人たちが参加した。

「ハヤシもあるでよう」の南利明 、たまに出演していた伴淳三郎、なぜか好きだった 平参平、ほかにてんぷくトリオなど、多彩なゲストも出演した。

日曜日の昼に放映されたと記憶にあるのだが、どうもそうではなく夕方の放送だったようだ。
どうやら、「スチャラカ社員」と混同したようだ。

「ミゼット」でおなじみの、大村崑と佐々十郎の「やりくりアパート」も、放映は確か日曜日の夕方だったから、「てなもんや」とは多少の年代のずれがあるのかもしれない。

「白木みのる」といえば、出演当時から見ていた付近に御ひとはすべて、よくしゃべり、こまっしゃくれた、そして台詞の上手な子役だ・・・そう思っていた。

ところがある時、どこから聞いてきたのかは知らないが、近所のおばさんが「白木みのる、本当は大人らしいよ」…そういう会話が耳に飛び込んできた。

これにはすっかり仰天した思い出がある。




それから40年あまり、藤田が出演したTVドラマで、小生が一番好きな番組「剣客商売」を見ることになった。

といってもこのドラマは、なぜか放映が連続せずに、何かのつなぎに放映されることが多かったから、すべてをみることができてない。

しかし藤田の渋い芝居と、キレのある太刀まわり、そして人情ある内容、そして何よりもいつものロケ地である近江八幡の八幡堀の風景。
さすがは「池波正太郎」、このドラマになくてはならなくなった、常に登場する旬の食材と、そのベストな調理法が必ず盛り込まれる。

これを藤田扮する秋山小兵衛が、若い女房のおはる:小林綾子に指南する場面があって、山里に近い住居に暮らす、彼らの日常の 生活が盛り込まれる。

途中で配役変更となったが、小兵衛の息子:秋山大治郎とその女房:三冬は、新旧どれもとてもいい配役だった。

平幹二朗 扮する田沼意次と、藤田まことの秋山小兵衛が旧知の仲だという設定も、意外性があってよい。

またドラマでの事件の当事者や国、毎回かなりの大物ゲストが登場するのも、この番組の特徴であろう。

かなりお金をかけて制作されたようであるが、いずれのシリーズも、中部地区ではメインにならない存在でしかなかった。
かなりの愛好家も多いと予想されるので、藤田まことの残した作品でも、かなりのウエイトを占める優秀作品と思われるから、再放送を是非お願いしたいところだ。

平岩弓枝の「御宿かわせみ」藤沢周平の一連の小説や映画にも似た雰囲気がある時代劇ドラマである。

もう往年の、実に渋い個性の「藤田まこと」を見る機会が無くなったのは、誠に残念なことだ。もう少し…最低でもあと5年は生きて、「剣客商売」の続編を残してほしかった。

小生には「必殺」よりも、「はぐれ」よりも、「仕掛人」よりも「剣客商売」の藤田が好きである。

by noanoa1970 | 2010-02-18 14:13 | トピックス | Comments(0)

'We Are The World: 25 Years For Haiti'

前作は1985年。
この時は、小生が知るそうそうたるメンバーが参加した。
音楽そのものも、メイキングビデオも見て感激した。

其れから25年。
ハイチ巨大地震救済の為に、再び多くのミュージシャンたちが結集した。

ジェイミー・フォックスの案内で始まるVTRが、このHP:http://ow.ly/17KFDで確認できる

この新ヴァージョンの参加者で、小生が知っているのは、ごくわずか、ジャネット・ジャクソン、バーブラ・ストライザンド、トニー・ヴェネット、そしてセリーヌ・ディオンぐらいで、後のミュージシャンは全く知らないひとばかりだが、みんな歌が上手で情感がこもっていて、前作に引けを取らない。

ジャネットにダブらせたマイケルの顔が印象的だ。

ただ惜しむらくは、最近はやりのテクノトーン・・・音声を電子的に変換したものを使用した個所があったこと。
小生はあの、アブラゼミのようなトーンは大の苦手だ。

あのトーンが聞こえると、思わず耳を防ぎたくなってしまうのだ。

それを除けば、この新ヴァージョンは十分合格点が与えられる。
黒人の参加者が多いのも、とてもよいことだ。

アフリカもそうだが、今度のハイチも、これだけで救われることがないことは明らかであるが、少なくとも、寄付の意味でも、有料DLで答えねばならない。

案内VTRは無料で見ることが可能だが、是非DLしていただきたい。
200円から270円の寄付に相当する。

by noanoa1970 | 2010-02-16 14:17 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

サヨリの刺身で・・・

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サヨリは小生の好きな魚だ。
ところがサヨリはなぜか、旬の今頃から新緑の季節にもかかわらず、その姿を魚屋や寿司屋で見ることはまれである。

したがってサヨリに巡り合えるのは、ある種奇跡に近いようなところがあるし、その姿も、己を主張しないやさしい味と、ほんのりした甘甘さが、実に美味しい魚である。

昨日、桑名で古くからある魚屋の大手ショッピングモールの店で、サヨリの刺身があるのに気がつき、さっそく入手した。

一昔前なら、自分で刺身にするところだが、最近はナイフの手入れも悪いままで、其れに何より面倒さが先に立ってしまうから、今夜の酒の友に、サヨリをいただくことを念頭に、刺身にしたものを購入。

合わせる酒を何にしようかと、少し迷ったがここは一番合うと思われる「〆張鶴」で行くことにした。

この酒も先日の「八海山」も、新潟の酒だが、新潟の酒の多くは、「淡麗でキレのよさがある」、という言葉で表現されることが多い。
〆張鶴も八海山もこの言葉が当てはまるが、それだけでなく、芳醇さが加わるし、通常吟醸酒の特権のような果物臭と香りが、本醸造であるにもかかわらず漂ってくる。

どちらも日本酒度が高いので「辛口」とされるが、「辛口」という表現で語ることはできない。
どちらも奥のほうから、絵にも言われる甘みが伝わるからだ。

ブラインドテストすれば、吟醸酒と判断する人は多いだろう。

酵母が何かは調べてはいないが、協会7か9号かあるいは10号と推測した。
いずれもフルーティな香りの酵母で、小生はこれらの酵母を使用した日本酒をこの上なく気に入っている。

サヨリを扇面のさらに盛りつけ、醤油入れも少しこだわって古いものを出した。
杯はもちろん古伊万里の波柄の猪口。

〆張鶴にジャストフィット、試しに八海山でも試してみたが、ことらは比べると、少々存在感があるからサヨリでは、酒が勝ちすぎるような気がした。

白身の刺身には「〆張鶴」のほうが合うのかもしれない。

by noanoa1970 | 2010-02-16 10:07 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

八海山

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新潟の先輩から送っていただいた銘酒「八海山」本醸造。

新しい酒を開けるときに、いつも使うお気に入りの、波の絵柄の蕎麦猪口に注いで飲むことにした。

この酒は「〆張鶴」と比べると、キレと鮮烈さでは、〆張鶴に軍配が上がるが、酷と深みでは八海山に分があるようだ。

しかし、いずれも新潟の酒らしく、すっきりとのど越しがよい。
八海山は、何も肴がなくても十分そのままで飲けてしまう。

何もないのは少し寂しいから、本日は簡単に「板ワサ」を、古伊万里の小皿に盛り付けた。

〆張鶴に比べ、旨みと甘みが濃い酒だから、塩けの強い肴は適当ではない。
よって「板ワサ」あるいは「焼海苔」、何も付けないそのままの「あたりめ」あたりが最適だろう。

冷やで飲んだが、多分この酒は「ひと肌間」が最適と検分した。
次回はそれで試してみることにする。

〆張鶴を春から夏に似合う酒とするなら、八海山は秋から冬にかけての季節に似合う酒だ。

どちらも甲乙つけがたいが、季節に合わせて飲み分けるのがいいのではなかろうか。

by noanoa1970 | 2010-02-14 09:38 | 「食」についてのエッセイ | Comments(0)

バンクーバーオリンピックの音楽

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開会式を見た。
いろいろ興味は尽きないが、中でも先住民に対するカナダ国家の、手厚い協調政策の片りんがうかがえるものであった。

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先住民たちと、ヨーロッパ大陸から渡ってきた、イギリス(スコチッシュ、アイリッシュを含む)、フランスなどの民との、軋轢の歴史の国でもあるカナダは、今まであまり気にしたことがなかったが、これを機会に学習しなければならない。

聖火が灯されるまで、約3時間十分楽しませてもらった。

情報では、1985年マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作、プロデュースがクインシー・ジョーンズで多くのミュージシャンたちが集った「アフリカ難民救済」のためのチャリティ、「We Are The World」がすべて当時とは別の歌い手で構成される曲を演奏すると聴いていたので、其れを1番の楽しみとしていたが、あいにく開会式では演奏しなかった。

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しかし、ジョニ・ミッチエルの「Both Sides Now」:青春の光と影が、少年が飛行するバックに流れたり、K.D.ラングが、レナード・コーエンの「ハレルヤ」を歌ったり、一瞬カーリー・サイモンかと思ってしまったソプラノ歌手、ミーシャ・ブルーガーゴスマンが「オリンピック参加」を歌ったり、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が流れたり、アイルランドかスコットランドの古謡「オールド・ウエイ」がチーフタンズ風の演奏と歌で流れたり、ブライアン・アダムスとネリー・ファータドのデュエットが
があったりで、カナダの音楽的ルーツをも思わせるような選曲で、コンサートとしても十分楽しめた。

そして、昨日無くなったという、リュージュの選手を哀悼する意味での、オリンピック旗の反旗が印象的だった。

セリーヌ・ディオンも参加するという、「We Are The World」は、多分閉会式に演奏されるのだろう。
そうなると、閉会式も楽しみなことである。

by noanoa1970 | 2010-02-13 15:02 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

私ってこんな

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朝川マキのLPを、すべて棚から出したときに、見つけたのが、「中山ラビ」のファーストアルバム。
1972年に発売されたもの。

この年小生は、それまで住んでいた岩倉のアパート下宿から、松ヶ崎のアパートに引っ越していた。
五山の火送りの「妙法」のある山の麓あたりにあり、2階建ての、当時はまだ珍しい鍵付きのアパート下宿であった。

このころ小生は、なぜかクラシック音楽から遠いところに身を置くようになり、ロック、JAZZ、そしてフォークなどを好んで聴くようになった。

其れはDRACが学園闘争の中、廃部童謡になり、その後遺症があったのと、あれやこれやでかなり無気力状態になりかけた時でもあった。

そんな折、学館コンサートで聴いた、西岡恭蔵、そして大塚まさじ&永井洋の「ディランⅡ」を、再びFM放送で聞くに及んで、夜な夜な通っていたハードロック喫茶をやめにして、関西フォークをよく聴くようになった。

その頃だったと思うが、大学正門を出て今出川通りを左に、出町柳方面へ向かう途中の道路の左側に、古い民家を改造して作ったと思しき、曰くありそうな喫茶店があるのを発見した。

入り口には、詩の朗読やミニコンサートライブの案内が多く貼られていて、何かの小集団活動家たちのたまり場のような雰囲気があり、少し入りにくかったが、コーヒーを飲みに入ったことがあった。

その時「中山ラビ」という・・・「ラビ」とはユダヤ教徒なのかしらと思わせるような名前だったので、印象があった。

しばらくして彼女が歌手であることを知り、入手したのが「私ってこんな」つまり彼女のファーストアルバムであった。

このアルバムは、数回聞いただけで、もうずいぶん長いこと聴いてなかったから、懐かしいのと同時に、彼女の歌声がどのようなものであったかを確認するために、ターンテーブルに乗せた。

1969京都フォークキャンプの復刻CDを15年ほど前に入手して、その中に彼女が歌う曲が1曲あったのが、彼女の歌を聴いた最近のことになる。
「船がやってくる(時)」When the Ship Comes Inという、ボブ・ディランの曲を取り上げて歌っていた。

このアルバムでも彼女はディランの曲を取り上げ、「私が望むものは」・・・岡林の「私たちが望むものは」のアンサーソングだと一部では言われているようだが、この曲はディランの「時代は変わる」あるいは「I shall be released」のいずれかか、またはうまくミックスしたものであるから、岡林へのアンサーソングと位置付けるには、少々無理があろう。

あの時代さまざまな歌い手はディランの影響を強く受けた。
其れはあの民謡風の平準なメロディに、やや難解な詩をつけて、しわがれ声と、ホンキートンクとでも言えるような、少々調子外れの歌い方のミスマッチが過去のだれよりも鮮烈であったからではないだろうか。

小生はディランの曲自体は好きなのだが、ディランの歌い方が好きになれなかったから、ジョーンバエズの「ディランを歌う」というアルバムをもっぱら聴いた覚えがある。

しかし今となっては、そんなディランの歌い方も、全く苦にならなくなった。

中山ラビも、ご多分にもれずディランから影響を受けた歌い手であった。
そして「ディランⅡ 」はその名が示す通り、西岡恭蔵に至ってもその初期アルバム「ディランにて」は、全編ディランであった。

中山ラビ・・・その名前は頭から消え去ることはなかったが、小生が購入したアルバムは、この1枚だけ。
噂に聞くと彼女は今も健在で、歌を歌ったりしていると聞くし、「ほんやら洞」の経営者として活躍しているらしい。

中山は、金延 幸子と声の共通点があるような気がする。
この時代は、女性の活躍が目立ち始めたころでもあり、大学闘争でへこんで、四畳半に閉じこもった学生たちを、叱咤激励鼓舞し、ある時は聖母マリアのようにやさしく包むような存在でもあった。

by noanoa1970 | 2010-02-11 17:47 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)