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最も速いボレロの演奏家かも

ラヴェルのボレロ、その中でも速いといわれるものは「マゼール」フィルハーモニア管であるといわれている。

また遅いのは例によってチェリヴィダッケだが、小生手持ちの中で計測したところ、これは以前にも書いたが、デルヴォーのものが最も遅い演奏だった。

そしてこの「ピエール・デルヴォー」の演奏は、大手CDショップがキャッチコピーにした、「フレイタス・ブランコ」の演奏、世界一遅いボレロを上回る遅い速度のボレロでもあった。

したがってこの演奏が世界最遅の演奏となる。(多分)

今日聴いたボレロは実に驚いた。
これは多分世界最速のボレロではないだろうか。

小生は今回初めて聴く機会を得たのだが、テンポは始終ほぼ一定、何かにしゃにむに突き進んでいくといったような、ボレロ演奏に多くみられる特徴もなく、ただただ超快速のインテンポを守っている。

だから各楽器の変化によるオケのトーンの変化よりは、小太鼓のリズムのほうが強調されるように聞こえる、しかしこれは録音のせいかもしれない。

爽快、痛快・・・まるでミニマル音楽のような引き込み方のボレロである。

多分ラヴェル本人が聴けば、トスカニーニの演奏以上にクレームを発することであろう。

これはバレー音楽などというジャンルではなく、コンピュターが演奏したテクノポップのように響いてくるが、それがいやに心地よいのである。

演奏は1950年代なのだが、まさに今通用するボレロ演奏だと思う。


ちなみに演奏時間は・・・
通常は13分台から15分台、遅いものは18分台のものまで分布するが、この演奏はなんと・・・・

手元の時計による計測なので、誤差はあると思うが、「8分台半ば」の演奏だ。

時間だけでは、速いと感じることは多くはないが、この演奏は体感的にも、時間的にも実に速いが、それが演奏上悪影響するところがあるかといえば、それがまったくない。

と言うことは、非常に優秀なオケであるという証拠である。

種明かしをすると、アーサー・フィドラーが指揮した、主兵ボストンポップス管弦楽団の演奏である。

続けて数回聴いてもまったく飽きない、スタンダードではないだろうが、小生の好きな演奏である。

ここよりDL可能だ

聴いてみる価値は十分あると思う。

by noanoa1970 | 2009-11-27 14:07 | ボレロ | Comments(0)

どう思いますか

前にもUPしましたが、皆様方の意見をぜひ伺わせていただきたく再度UOします。
今度はスキャナーで読み取ったものなので、以前のデジカメ写真よりは、リアルだと思います。

手にとても馴染むし、削った痕跡もあるようなので、小生は「石器」だと思うのですが・・・

大きさは大人の手で握ったときちょうど使いやすい・・・たとえば肉をカットしたり、皮を剥いだりするのに適しているように思われます。

はたして「石器」なのか、それとも「自然石」なのか・・・
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by noanoa1970 | 2009-11-27 12:55 | 歴史 | Comments(3)

エリー・ナイ トリオの「ドゥムキー」

これはぜひとも聞いてみたかったレア盤だ。
どなたがパブリックドメインにUPしたのかはわからないが、とても感謝したい。
短い6曲プラス終曲の構成だが、曲の通りではないつなぎ目がある、全部で7ファイルにわかれていることから見ても、SP盤から起こしたものであろう。

全部で、多分4枚にわたるSP盤から落とす手間もさることながら、このようなレア盤を聞かせてやろうという、熱心さは実にありがたく大いに評価すべきことだ。

1930年代の録音で、エリー・ナイトリオの参加者は、Pf:Elly Ney 、Vn.:Florizel von Reuter 、Vc.:Ludwig Hoelscher というメンバーである。

エリー・ナイ以外の演奏家の詳細を少々
Florizel von Reuter ロイター,フロリゼル・フォン (ロイター,フロリゼルフォン)   Reuter,Florizel von    
1890‐1985。ウィーン国立音楽院のバイオリン科の教授を長年つとめた。母親が自動書記の能力を持っていたことから、彼女が受け取った17カ国語にも及ぶ言語による通信を分析して『ある音楽家のスピリチュアルな体験』を出版。続いて母親の友人からの通信をテーマにした『癒しの天使』を出版したころから、彼自身にも自動書記の能力が発現し『見えざる友との対話』を出版する。作家コナン・ドイルとも親交があり、イエスの問題についても意見を交換。晩年は英国とドイツでスピリチュアリズムについての講演を行なっている。
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Ludwig Hoelscher については下記の情報がある。
「ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)は、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席を務めたドイツの名チェリスト。わずか29歳にしてベルリン音楽大学の教授になり、晩年まで現役奏者としてドイツ・チェロ界を牽引するまさに重鎮的存在であり続けました。

農民達の「エレジーと楽しみ」・・・そんな曲想のこの曲、ドヴォルザークの地元の演奏家たちの演奏が評価されることが多いが、非スラブ系の生粋のドイツ人の手になる演奏で聞いても、違和感がないばかりか、お国柄を超越するものであることは、やはりドヴォルザークが、民族を内包しつつも、それを超越した普遍的な作曲家であったことを物語る証拠でもある。

歴史的録音であるが、この演奏はドヴォルザークの普遍性が確認できる演奏でもある。

by noanoa1970 | 2009-11-26 11:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

開封確認要求メッセージの功罪か

小生の使用する「アウトルックエキスプレス」:OEでは、相手がメールを開封したか否かを手元で確認できる「開封確認メッセージの要求」というツールがあり、小生はそれを活用している。

めったにないことだが、割と緊急の場合、もし相手がメールを見ない(小生の学生時代の人間には、その手が非常に多い)場合には、別の手段で連絡する必要があるからだ。
いわゆる情報連絡のリスクヘッジだ。

まぁ他人に自分のメルアドを教えること=一日に最低一回は、受信メールのチェックをすること・・・そんな認識もない人が多いのも問題であるのだが・・・

先日10数名に、小生が頻繁に活用させていただいていて、非常にありがたくそして素晴らしい、「パブリックドメイン」のURL紹介と、内容についての感想等のメールを送った。

相手は一応クラシック音楽付きの、学生時代の知人友人であるが、「開封確認メッセージ」が帰った人が6割強、後の人はメールを見たのか、そうでないのかも判明しないまま、すでに2週間がたつ。

受信側が「開封確認要求メッセージ」に「はい」を付けると、送信者側に開封が確認された旨の連絡が自動的に入る、この便利なツール。(メールソフトが違うと効果は出ないが)

小生の学生時代の知人友人には、メール送信に対する「返信」の代りだと思っている人が多いのか、小生が送った情報について、・・・たとえば誰誰の何何をDLして聞いてみたが、素晴らしかったとか、往年の名演奏だと言われた割には大したことはなかったとか、忙しくてDLする暇がないとか、今はもうこの手には興味がないとか・・・

何らかのリアクションがあると思うのだが、返信が一切ないのは、どういうわけなのだろうか。

親しい中にも礼儀あり・・・と昔の人が言ったが、何らかの役に立つであろうと、ほんの少しの手間しかかかってはいないけど、小生自身かなり良いと思ったので、昔の仲間に同様のよさを味わってもらえたら・・・そんな気持ちでメールしたのだったのだが。

長い間メールを見ていなかった人は、チョクチョク経験したことがあるが、そいうい人でも気がついた時には遅めの返信をくれるものである。
こういうことは、他の人ではありえない、(ブログでも紹介したが、ブログを見たクラシック好きの方からも、丁寧なリアクションがあった)しかし、学生時代の知人友人に送ったときは、リアクションの「返信」は一切ない。

一人だけIBMに勤めていた人間だけは、必ず返信をくれるが、そのことから見ると、ほとんどの学生時代の知人友人は、どうもITのマナーを学習しないまま、(ITをいち早く活用した企業ではそれなりの教育をしたから)一応使うことができるようになってきた人間であるらしい。

もしDL方法が分からないときは連絡をくれとも書いたので、連絡がないということは、DL出来たと見ていいのか(それなら何らかのリアクションがあるはずだろうに)、それともまったくわからないのか、あるいは無視なのか。

送信者は何らかの反応を求めている・・・そのようなベーシックな・・・相手の気持ちに、少しだけでも立つて考えてみるということには無頓着だ・・・しかしあまりにも無頓着過ぎるのではないだろうか。

小生もそういう環境で会社勤めをしてきたから、・・・というよりそんなことは、メール以外・・・日常生活においても必要なマナーだろうと思うが・・・・

誰かから親切に、有効であろう情報(例えあまり関心のない情報であろうと)が寄せられたら、それに対してのリアクションは必ずする・・・少なくとも小生はそうしているつもりだ。

しかも送信相手は、クラシック音楽という共通項での友人知人なのだから、DLしたのか、良かったのかどうか、など必ずリアクションがあるはずだ。

昔のクラシック音楽の掲示板でも、ネットマナーもルールも知らないままの「団塊の世代」云々と言われたことがあったが、その典型なのだろうか。

そしてITが普及したとはいえ、まだまだメールを見ないで済む・・・ということは日常活用しないことであろうから、多分ネットも活用しない人種が多い証拠と言えるのかもしれない。

そして「開封確認メッセ-ジの要求」という便利ツールの逆効果なのかもしれない。
これに「はい」とボタンを押すだけで事足りると、勘違いしているのだろうか。

そうなのかもしれない
で・・・いったんこのツールの活用をやめて様子を見ることにしようか。
でも2週間もメールを見ない人間が存在することに、今更ながら仰天してしまう。

by noanoa1970 | 2009-11-23 16:12 | トピックス | Comments(0)

気分を変えて・・・メイエルのラヴェルでも

昨日、いったん止まったかと思われた「出会い系サイト」殻の連絡メール。
今日はタイトルを「セレブ・・・」と変えて、すでに5件も送信されてきた。

同じ業者からのものと思われるが、別の業者のごとくタイトルを変えての送信は悪質だ。
多分相当しつこく続くのだろう。

朝からとても気分が悪いので、気分直しにと、プーランクかドビュッシーでも、と思ったが、先日DLして置いた貴重な音源で、マルセルメイエルというフランスの6人組時代の女流ピアニストの存在に気がついた。

1950年代中期のピアノ得音がいかなるものか、そしてなにより、ドビュッシー、ラヴェル、サティそして続く6人組のその時代、同じ空気を吸ったピアニストがどのような演奏を聞かせてくれるのか、大変興味を持って聞くことにした。

「鏡」、「クープランンの墓」、「夜のガスパール」、そして「亡き王女のためのパヴァーヌ」・・つまりラヴェルの代表的ピアノ曲が、居ながらにして聞くことができるというわけだ。

「メイエル」についての詳細レポートはここ
ピアニスト一世氏のHPで紹介されている。

氏はHPの中で、彼女の弾くバッハについて「光の屈折により微細な色調変化を示す黒真珠のネックレスのようだ」と述べているが、例え方の違いこそあれ、小生はほとんど同じような感想を、彼女の「ラヴェル」に持った。

バッハは聞いていないが、多分そのことはラヴェルであるがゆえに、なお一層その傾向が強まるものと、推測する。

ラヴェルのピアノ曲の特徴を、一言で言うのも気が引けるが、平たく言ってしまうと、「ピアノの88鍵・・・最低域から最高域までの、すべてを生かしきった音の変化にその特徴がきわめて顕著」ではないだろうか。

そのため聴く側としての評価は、演奏技術はもちろん、録音状態にかなり影響されるものと考えられるのだが、この一連の録音は合格で、彼女の演奏技術が十分発揮できるレベルのものであったことが非常に素晴らしいことであった。

このことは、「鏡」第1曲、蛾(Noctuelles)を聴けばすぐに分かろう。
続く「悲しみの鳥」以降がどれだけ素晴らしいかということを予感させるに十分である。

凛とした鮮烈なピアノの音は、小生はラヴェルにピッタリ・・のように強く思われる。
ミケランジェリの音に類似したピアノに聞こえるが、ミケランジェリほど神経質なところはないし、色彩感は彼女に軍配が上がりそうだ。

今までほとんど聞かなかった彼女の演奏だが、まだまだ認識していないが、非常に優れた「知られざる演奏家」がなんと多いことか。

自分で音源を入手するには、相当のきっかけに巡り合わなければ難しいこと。
このような発見も、パブリックドメインの効用である。

ラヴェル好きの方は絶対に聞いておくべき演奏だ・・・そのように強く思われる。


by noanoa1970 | 2009-11-22 11:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

信じたくはないが・・・怒りの追記

一日に10通以上も来るスパム、見るのも嫌なので面倒ながら、削除をしていた。
来るのは、「出会いサイト」の連絡メールである。

内容がどんなものかと、1通開いてみると、いつの間にか、小生がこのサイトの会員に登録されていることが判明。

もちろん自分で登録した覚えはないから、誰かが小生のメルアドを使用して登録した結果であろう。
そして他には心当たりは全くないから、先に書いたタイミングから推測しても、可能性としてはやはり故意にやられたものに間違いない。

メール、WEBを活用してから15年この方、ただの一度もこのようなことはなかったし、信用できる通販・・・特に大手CDショップか大手通販サイト以外に、小生のメルアドを知る第3者のはいない。

今回はどう考えても、作為的な行為の結果とみるべきであろう。

そこで「忠告」として、一応(といっても先方は本人からの登録だと思ったと言い訳するであろうから、あまり役に立たないと思うが)、「小生は会員登録した覚えはない、これ以上メールを送り続けると、告訴の手続きをする」とのWEB連絡欄に書きこんだ。

会員登録制のキチンとしたWEBサイトの多くは、「もし本人が登録した覚えがない場合は、その旨連絡ください」としてあるが、このWEBサイトにはそれがない所から見ても相当怪しいことが分かろうというもの。

先方に実在を確認させるから、多少の危険はあったが、そのままにしておいても、メール受信はされたと思うはずだから、いつまでたってもメールが来てしまうことになるから、結果は同じこと。

スパムと思ったが、そうではなく、「出会いサイト」からの情報連絡のようだから、メールソフトやセキュリティソフトはそのまま通過してしまう。

午前中に、相手に「メールを送り続けると、告訴するということ、知らぬ間に会員登録されている理由を明らかにせよ(こんなことを書いても埒が明かないことは分かっているのだが)・・とダメモトで書き込んだ。

するとそれからは、今になってもまだ1通もメールは来てないので、脅しが効いたのだろうか。
しばらく様子を見ることとした。

これで終了となれば、一安心というか、削除の手間が省けるのだが。

味の批判されたこと(客のクレームは、宝物であるという商売の基本も知らないで、丁寧に作り方の基本や使用チーズ・・・つまり改善方法を書き込んだことを、なぜアドバイスと受け止めないのかが不思議で理解できないのだが)を、逆恨みして、このようなつまらないことを平気でやる、小生と何らかの関係がある人間が、少なくとも近くに存在することに、実に嫌気がさした。

本人がこのブログを見ている形跡はないと思うが、もし見ているのなら、このような幼稚な仕業は2度としないで欲しい。

もし今度やったら、該当WEBに連絡し、差出人のドメイン名を調べ、「どのドメインのメールサーバから送信されたのかを確認することで、発信メールの出所を突き止め、しかるべき手段を使って告発するから、そのつもりでいてください。

by noanoa1970 | 2009-11-21 16:45 | トピックス | Comments(0)

信じたくはないが・・・・

これはかなりの憶測ですから誤解を招く恐れが多分にあるとは思いますが、どうしても腑に落ちないので・・・・

ある人のブログ・・・このブログは、小生が京都で始めたピザとスパゲッティの店を所管する財団法人の直接の関係者なのだが

以前からとても気になっていた、最近この店のピザの味について、かなり強烈にコメントしたことがあった。

小生の当時の評判の味からは遠く、観光客相手に、安易な作り方そしてものすごく法外な値段をつけていて、「京都に行ったら、この店のピザを食べろ」と、かねてから皆さんに言ってきた小生の面目が丸つぶれ状態の、悲惨なピザになってしまった。

おととしバイト仲間で集まった時にも、「ピザの味が落ちた」という話が出たぐらい、その味はひどかった。

その店が「京都の旦那衆お気に入り・・・」という企画の、ある雑誌に掲載される旨のブログ内容であったから、ここで一言言っておかないと・・・そう思って、小生のその店のピザの味批判と、ついでに小生のときと同じ作り方をしている長浜の「ベルペイ」に行って試食しなさい・・と言う旨のコメントを付けた。

店を作ったそして初代シェフとして、今のあのピザの味には到底納得できなかったし、あれではだんだん客足が遠のくことを危惧したからに他ならない。

「京都の旦那衆お気に入り」・・・確かに昔はそのような感じがあったが、今やそれとは全く無縁の・・・観光客相手の安易な作り方と味で、美味しいピザを提供し対価を頂くという姿勢がないこと、そして何しろ当該店は京都で1番古いピザの店でもあるから、今のままの味には全く納得がいかない。

そんな日常で満足しきっている、ぬるま湯につかったサービス業の姿勢に、苦言を呈したのだった。

コメントには当方のメルアドが必須だったのでそれと、HNでは失礼だと思い実名でコメントしたのだった。

いつまでたってもコメント返しはなく、放置され、そればかりか、次の日から今まで来たこともない「出会いサイト」からスパムメールが頻繁に・・・一日5件以上も来ることになった。

知らぬ間柄ではないのに、コメント返しもないままの状態。
しかも翌日からのスパムメールとあっては、他にまったく心当たりはないから、ひょっとして・・・と思ってはいけないと思いながらも疑いを禁じ得ない。

味に対する批判と、こういう風に作るべきと、プロの立場でのコメントに、まったく素人であるが湯家に、碌碌店の管理もままならず店のメニューや味については厨房にまかせっきりとなっているのだろうが、経営者のはしくれとしても、そのあたりは気おつかっていく必要があるのに、この男・・・まだ30代半ばと思うが、芸術関連の大家の子孫というだけでプライドだけは強いらしい。

考えたくはないが、この男、新婚時代に京都の家を貸してくれということで、すぐ見たいからと呼び出し、家を見せ夫婦で納得したので、格安で貸すことにしたのだが、それから数日たってから突然電話で「なかったことにしてくれ」と言ってきた。

家を見せたときに、新婚だからこのような古い家ではよくないのでは・・と言ったのだが、財団法人となっている自分の生まれた家と変わらないから、どうということはない、そういっていたにもかかわらず、「あの話はなしにしてほしい」という突然の電話だった。

事情が変わったのだろうと思いつつ、家を見たいからすぐ鍵をっ持ってきてほしいといい、切羽詰まったようだったので、その為だけにわざわざ驚異とまで鍵を届けに行ったこともあったのに・・・・

理由も言わず「なかったことに・・・白紙に戻してほしい」と言われて納得ができかねることぐらいは常識だろうに。

そのようないきさつや、小生がその店の創始者で初代チーフと知っているにもかかわらず、ノーリアクションという失礼な態度には、やはり呆れ果てるしかないだろう。

去年庭園の中の茶室から火事を出し、それより以前は母屋の台所から火事を出した。
これらも、管理がまったくできてないということに他ならない。

優遇を受けるために税金が使われている財団法人であるから、気遣いは十分しなければならないのに、いまだに自分たちの財産のようにしか認識してないのも、大変困ったものである。


他から小生のメールアドレスが漏れたのかもしれないが、信じたくはないがあまりにもタイミングがよすぎる。

自分のメルアドを公開したのは、仲間以外には今回が初めて、危険な時はフリーメールを使うことにしている。
しかし知った人で、失礼かと思って実名と本メルアドでコメントをした。

このことが原因でなければと思うが、あまりにものタイミングのよさなので、疑いを禁じ得ないのが正直な気持である。

スパムメールは引き続き、今朝は10件も来ていた。

by noanoa1970 | 2009-11-21 11:16 | トピックス | Comments(0)

新しい酒を古い器で

ことわざに「新しい酒は新しい袋に・・・」というものがある。
キリストの言葉であるとされ、ユダヤ教という古い教えでなく、これからはキリスト教という新しい教えに従えという意味が含むともいわれる。

古い袋は、せっかくの新しい酒を入れても、すぐに破れてしまい、役に立たず、もったいないということであろうが、このことわざは、味の面でも理解が可能ではないだろうか。

ワインを入れて使った袋には、古いワインの「降り」が付着する。
その「降り」によって、せっかくの新酒のフレッシュな味が損なわれるから…という理屈も成り立ちそうだ。

昨日は新種「ボジョレーヌーヴォー」が解禁だとかで、いつものことながら、盛んにニュースで、取り上げられていた。

日本人は「世界初」という言葉が好きなようで、世界で誰よりもいち早く、この酒が味わえることを無情の喜びとする人種が多いらしい。

毎年映し出されるカウントダウンと乾杯の映像にはうんざりするが、今年は異変が起こっているようで、それはボジョレーヌーヴォーでは、おそらくはじめてのペペットボトル詰めが発売されたことではなかろうか。

経済環境悪化の折の苦肉の策とも言えそうだが、小生はかねてから「ボージョレヌーヴォー」のコストパフォーマンスには、不信を持っている。

産地側の意図的な宣伝文句…今年のは・・・「50年に1度の自信作」というキャッチであった。

ボジョレーヌーヴォーが1000円以下で入手できる・・・いい話だとは思うが、そもそも今までの値段が高すぎたのではないか。

小生はボージョレヌーヴォーの愛好家でもないし、毎年飲むわけでもないが、いつも値段の付け方には疑問を持っていて、あんなものは当然1000円以下、せいぜい500円が妥当な線だろうと思っていた。

産地側がいかに「今年は葡萄の豊作年」などと宣伝しようが、それが味に反映しないのがボジョレーヌーヴォー。

あのションベン臭い味が好みの諸氏もいるので、無下に否定はできないが、小性の好みからはかなり遠い位置にある飲み物である。

しかしペットボトル、1000円以下といういわば快挙ともいえる販売方法と、ちょうど牡蠣が手に入ったので・・・本音は値段長安いから買うことにしたのだけれど・・・近くの大型ショッピングセンターの目抜き通りに陳列してあるのを発見し、入手してきた。

ボジョレーヌーヴオーと言えば通常「赤」であるが、「白」のヌーヴォーも、この時期発売されるから、シャブリの代わりにはならないが、多分シャンとしたフレッシュな味であろうと推測し、「白」を同時に入手した。

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入手した「白」は、フィリップドメリーのマコンヴィラージュのヌーヴォーである。

昨夜スクリューキャップの蓋をあけて飲んでみたが、安物のシャブリかに酸味をプラスしたような味で、牡蠣に合わないことはないが、そのままで味わうにはかなりしんどいものであった。

牡蠣の味にまったく変化がなく、牡蠣本来の海の味が殺されてしまう結果となってしまい、評価は著しい「×」。

新しい酒を明治期の古いガラスの器で飲むことにしたが、あいにくその効果はなかったようだ。

大手酒屋チェーンが、自社で詰め替えて発売した1本1500円の安物シャブリに完全に負けてしまう結果となった。

「白」のヌーヴォーは、「赤」より、その特徴が出やすいと思っていたが、「50年に一度の自信作」は「白」には適応されないのだろうか。

このワイン派そのまま料理用に回すこととし、今度は「赤」を試飲してみることに推した。
はたして50年に一度・・・という宣伝文句は正しいのだろうか。

by noanoa1970 | 2009-11-20 10:21 | 「食」についてのエッセイ | Comments(6)

森は異界の象徴

異界への恐怖と、その反対の憧れ・・・つまり非キリスト教社会に対する憧憬の念の象徴として「森」の存在があった。

シューマンはおそらくそのような情念から「森の情景」を作ったのではないだろうか。

「怖いもの見たさ」・・・そうフランスに「もう森にはいかない」という古謡があり、それは森のハーブが枯れたから森にはいかないという内容であった。

ハーブは古来、薬草でもありそして魔よけでもあったかあら、ハーブが枯れたときには森に行くことは禁忌だったのだろう。

先日「呪われた場所」について言及したが、今日は「予言の鳥」について少々。

古来「鳥」は冥界と現世を行き来する動物とされ、広く世界の諸民族において、鳥は霊にまつわる信仰対象とされてきた。

「鳥居」や、ノアの方舟の「鳩」、八咫烏、3本足の鳥、鳥葬、などなど「鳥」は翼をもち、自由に空を飛べるがゆえに、信仰の対象:異界と現世を行き来でき、また太陽に近い所を飛べるから、太陽信仰の、お使いあるいは使者としての地位を獲得していったものと思われる。

そのような異界と常界を結ぶ「鳥」の予言とは、一体何であったのだろう。

「森の情景」前9曲の中で、最も風変わりなこの曲、そも和声を聴くと小生は、シューマンから半世紀以上後の、神秘主義音楽や、ドビュッシー、ラヴェルの新古典あるいは印象派の音楽を想起してしまう。

シューマンは、かなり稀にシューマンらしさのない、言いかえれば斬新なトーンを聴かせることがあるが、この曲はその筆頭であろう。

この曲だけを抽出して聞いたならば、おそらく誰もシューマンが作った曲とは思わないだろう。

シューマンが、「予言の鳥」に、神秘的なものや異界を感じたか、それはロマン主義的和声を崩してでも表現したかった何かがあったからに違いない。

冒頭を単に鳥の鳴き声の模倣とみる、多くの見かたには小生は納得ができない。
よって小生は、異界と常界を行き来する鳥のしぐさ・・(飛んでいるような様子をも含め)、の表現と捉えることにした。

「森の情景」には、シューマンの様々な思いが、きめ細やかな手法に支えられて、それぞれの曲が趣の異なる音楽を作っている。

個と全体の調和が完璧な、素晴らしい作品だ。

まるで、短い言葉であらゆる世界を表現できる「俳句」のようでもある。

by noanoa1970 | 2009-11-19 07:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

播州室津の殻付き牡蠣

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息子が出張のついでに播州明石の牡蠣を送ってくれた。
出張先の兵庫県立粒子医療センターは、ガンを粒子をピンポイントで照射し治療する最前線の医療機関である。

ここに電子画像解析システムが導入され、そのシステムエンジニアとして出張が多い。
かなり辺鄙な、播磨化学公園都市の中にあり、最寄りの姫路駅…最寄りといってもそこから30Kあるから、駅から、レンタカーを借りてゆくとのこと。

途中の山道也川では諸動物も、ほたるでさえ見ることができると聞いた。
しかし施設は相当立派なものである。

名古屋では計画があるのだが、経済環境険しい中、市長が見直しをするとかで、おそらく実現しそうにもないが、こういう先端技術の治療期間は必須だと思う。
兵庫県はよくぞ投資をしたものと感心する。

昨日届いた牡蠣は、播州室津好吉田水産のもの。

今年は少し小振りだそうだが、久しぶりの殻つきの牡蠣だ。

さてどのように食すか、しばらく考えたのだが、早く食べたいので、手っ取り早く焼き牡蠣にした。

この時期そしてせっかくだから、炭を起こして囲炉裏で焼こうかとも思ったが、はやる気持ちを抑えきれず、いつもはお好み焼きに使う、ホットプレートを使うことにした。

すぐに食べたいという欲求からの、とっさのアイディアであったが、これが大成功。
牡蠣を並べ蓋をしてしばらくすると、心配をよそに、牡蠣の蓋は無事全部あいた。

これだと網の上での時下焼きに比べて、情緒はないが、汁のこぼれも少なく抜群だ。
播州の牡蠣がみなそうなのかはわからないが、伊勢の牡蠣に比べて塩味が強い。

多分洗浄に浄化された海水を使用するからなのだろうか。
したがって、焼き牡蠣は、そのままで、レモンを絞って食すと大変美味であった。

30個余りあったので、残りをやはり牡蠣フライで食べたいと思い、先ほど家内を手ほどきして殻をはいだ。

多分殻つきの牡蠣は、すべての家庭に受け入れられるわけではない、そう思うのはやはり殻を剥く手間があるからだと思う。

焼き牡蠣にしたって、どのようなもので焼いてよいのか、なかなか思いつかないことであろう。
これは多分どこの家庭にもある「ホットプレート」が一番重宝する。

殻をむくのは、なれないと大変な作業だし、多分家庭には殻剥き器はないことだろう。
小生の家でもやはり殻剥き器、今はないので、先の尖ったアイスピックのようなものと、ナイフとフォークのフォークがあれば、簡単に剥くことができる。

最初は身を傷つけてしまうこともあるが、そのうちコツ・・・どこからこじ開けるかさえつかめば、すんなりと開いてくれる。

会を商売にしている店は、素人の一般家庭においても、割と楽に殻が剥けるということや、その方法を消費者に伝えないと、むき身の牡蠣ばかりが売れる結果になってしまうのではないか。

せっかくの殻つきの美味しい牡蠣を、消費者が家庭で食すことができれば、何もバカ高い料理屋や、浜に出向いて食すということもなく、もっともっと殻つき牡蠣の消費が増えると思うのだが・・・・

比較するまでもないが、殻つき牡蠣はむき身の牡蠣と比べ数段の差があるし、第一最も美味しい「生」で味わえるのは、殻付き牡蠣しかないのだから。

先ほど剥いたそばからつまんでみたが、海水の塩味の間から、何とも言えないあの独特の甘みと香りが口中に広がるのを感じた。

牡蠣の甘みを味わいたいなら、殻付き牡蠣に限る。

さぁ今夜は待望の牡蠣フライだ。
牡蠣フライには、タルタルソース何かよりも、絶対ウスターソーズがいいね。

by noanoa1970 | 2009-11-18 18:08 | 季節の栞 | Comments(2)