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今朝はスターバト・マーテルとワルキューレ第3幕

今日はハイドンの200回目の命日に当たるだそうだ。
ドラティの交響曲全集から何かを聞こうかと思ったが、やめにしてほんの少しだけ敬意を払い、「スターバト・マーテル」を聴くことにした。

スターバト・マーテルは古今東西に名曲が多い。
しかしなぜかハイドンのそれは、録音も多くなく、演奏の機会にもあまり恵まれてこなかったように思われる。

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小生もたまたまエラートが発売した「スターバト・マーテル」ばかり収録されたCDのセットを入手してこの曲に行き着いたので、この曲が目当てではなかったぐらいであった。

このセットにはシューベルトの「スターバト・マーテル」が収録されていて、すでに所有していたが、何種類あってもよいペルゴレージのそれも含め、安価に入手可能であったから、そしてハイドンもシューベルトもそれぞれが貴重な録音であったので購入したのだった。

普段からあまり聞かないハイドンで、大きな特徴があるわけはないが、何か大きなものに身をゆだねて安心して聴ける音楽で、深夜に聴く宗教音楽とは違って、早朝に聴いても十分耐えうる音楽だ。

しかし聴きながら、午後になったらカラヤンのワルキューレ第3幕の、しかも後半部分を分厚いブックレットに収録されている対訳を見ながら聴こうと決めた。

確認したかったのはただ一つ。

ヴォータンとブリュンヒルデの岩山での別れのシーンのこと。
あれからかなり多くの演奏者でこの部分を聴いたのだが、小生はやはりカラヤンの音楽の表情に軍配を上げたくなっていた。
それがなぜかを再確認するためというのが、その理由である。

第3幕の聴きどころは多いが、中でもその白眉は、ヴォータンがブリュンヒルデの神性を消し去るために、口づけするところ。
この時は両者無言で、音楽だけが流れるが、その時の音楽の表情付け・・・ワーグナーの真骨頂でもあるが、なによりもその時の音楽は、父娘の愛情をどう捉えたかに大きく左右される。

父と娘の、語られない情感・それぞれの思いを、いかに表現するかにかかっているのだ。
ここに「解釈」というものが存在する。

映像付きだとどうしても、視覚に目が移り、指揮者の解釈にまでたどりつかないから、こういうところはCDやLP・・・音だけの楽劇も重要だと小生は思っている。

さてカラヤンは・・・・
木管の弱奏で始まり金管が葬送行進曲あるいは運命の動機を奏で、弦が美しいメロディをやさしく奏でる。

永遠の眠りに就こうとしているブリュンヒルデへの、ヴォータンの深い感謝と愛情そしてブリュンヒルデの、眠りに就く恐怖が今はすっかり消し去って、父ヴォータンの本当の目的・・・いずれジークフリートとブリュンヒルデが結ばれるであろうという予感を抱きながら横たわる。

そんなブリュンヒルデの、来るべき未来のための安息であるという確証は、父ヴォータンの真意、すなわち時分から神性をはく奪した=神族から人間族へと変身させた本当の理由が理解できたからだ。

そしてそれはヴォータンが仕組んだ恣意的「運命」によってではなく、もっと大きな…いわば真の宇宙的「運命」によってなされたものという確信がブリュンヒルデの心に宿った。

ワーフナーは、巧みにそのあたりの心情の変化による未来への希望を、音で表現しようとし、カラヤンは視覚、すなわち演出効果に依存することは全くなしで、見事にそのことを表現しきっている。

ここにカラヤンの偉大さがあるが、逆にいえば演出には、相当の力量の持ち主を必要としたことであろうことが予想される。

恐らくカラヤンの「指輪」あるいは「ワルキューレ」の演出者は、この世では考えられないのかもしれない。

ヴィーラントなどのワーグナー一族でさえ困難なことであったと思われるから、映像が残されなかったことは、一つの幸いであったかもしれない。

2度目があったとしたら、カラヤン自身が演出を担当した可能性が高いと、小生は思っている。

by noanoa1970 | 2009-05-31 16:21 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

レコード業界にモノ申す

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上の写真は言うまでもなく、「複写機」である。
小生が現役時代この機種の前身から営業推進活動をし、この機種「Able」が爆発的に売れるようになった、デジタル複写機の元祖である。

自宅で使用するには、大きすぎるのだが、性能が素晴らしいので、退職したのちに自宅に設置している。

すでに10年以上経過し、普通なら買い替えの時期が来ているが、何の不都合もなく稼働しているすぐれものだ。

そして複写機は小生にとっては、この10年余りなくてはならないものになっていた。

その理由はもちろん仕事上のこともあるが、それよりも、あのCDの極小の解説文が見えにくくなて、それを読むために複写機で拡大していたからだ。

若い時には、さして気にならなかったが、(それでもLPのジャケットの裏や、中に別添付されているものに比べると、かなりつらいものがあったのは事実)ここ数年の視力の衰えで、今やCDの解説文はそのままでは判読不可能になったのだった。

その意味で複写機は大変重宝していたのだが、それとて欠点があり、あのCDの極細の文章をコピー拡大すると、文字はにじみ、ところどころがかすれてしまい、時には肝心のキーポイント文字が判読不可能な時もある。
断っておくが、これは複写機が悪いのではない。

トナーがいかに微粒子であるにせよ、インクを使用した印刷機で印刷したものを拡大・・・250から400%するとどうしてもそうなるのだ。

それで、最近はやり方を変えてスキャナーの高精細モードで読み込んだものを、PCに落とし、必要ならば修正後PC側で拡大して読むことにしているのだ。

この方法は大成功で、すべて卓上で仕事が可能だから、複写機を使うよりは良いのだが、手間がかかることは似たり寄ったりだ。

小生は前から思っていたのだが、特にオールドクラシックファンも多いとの予想で、物を申してみたい。

各レコード業界のCD製作者、解説などの担当者は、あの極小文字が万人に判読可能か否か、考えたことがあるのだろうかと。

せっかくお金をかけて誰かに依頼をし、その原稿を基に作成した解説や説明文。
若者ならばいざ知らず、還暦を越えた・・・そうクラシックCD購入のマジョリティたると予想される団塊の世代の人には、あのスタイル(CD発売以来全く変化していない)CD収録の音楽他についての情報の発信方法が一方的すぎるのではないか。

こんなことを言うと、音楽だから聴けばそれでよいから、解説他の情報は不要・・・そういう輩が必ずいるが、音楽・・・(特別視するわけじゃないが)特にクラシック音楽は、文学同様さまざまなスタイルがあり、そのスタイルによっては、音楽にまつわるサムシングエルスが大いに必要になることも多いのだ。
ことオペラに及んでは対訳も必要だ。

そんな問題提起をしながら、小生は一つの解決方法を提案したいと思う。

それはインターネットを使うことである。
今やPCの普及はインターネットの普及とともに発展し、ほとんどの人が例え「OFFICE」などのPCアプリケーションを知らなくても、インターネットを使える時代である。

そしてかつての巨大クラシック掲示板、あるいはMIXIコミュ、大手CDショップのネット売り上げなどなどから推測するに、クラシックファンの中に相当数のネット使用者がいるものとの予見が立つ。(どこか専門機関で調査すれば統計データが出ることだろう)

提案骨子は以下の通り

*CD解説をネット配信する。

*要なら有料でも構わない。

*ID登録をして、CD番号を入力すると、今までCDについていたものより数倍中身の濃い情報がそこにある。

*パンジャパン、そして輸入版を顧慮したパンワールドへと発展させれば、その解説他の情報を観たユーザーが、購買意欲をかきたてられ、購買が増すことも予想される。

*さすれば今不審なレコード業界にも、光明の光が見えてくるようになるやも知れない。

*クラシック通の市民ユーザーに、ネットを通じ、解説やさまざまな情報の付け加え、生の感想評価などももらうようにすると、さらに面白いことになりそうだ。

*今のところは大手CDショップがそのことを、ほんの少し代弁している要素もあるが、コアなクラシックファンにはほとんどその情報は有効とは言えない。

*ネットでもしオペラや楽劇の大役を観ることが可能なら、同時にPCでCDを聴くことが可能だから一石二鳥。

今の世の中でこのようなことは技術的には可能なことだから、やろうと思えばすぐに可能なはず。
そしてCDにまつわる情報のファイルは、恐らくレコード音楽業界上においても、われわれユーザーにおいても大きな財産になるに違いないと、小生は思うのだ。

レーベルが違う云々の、出来ないことの言い訳や理由はあろうが、少なくとも単独レコード会社でだけでもいいから、実行していただきたい。

しかし一番困るのは、安価だが解説の一切ない輸入盤で、小生が今少し若くてやる気があったなら、このようなビジネスモデルを作り上げてみたいところだが、残念ながら勇気と、知恵と資金がないし設備もない。

誰か・・・アイディアは提供しましたから、どこかの誰か・・・ネットCD解説のビジネスモデル作り上げていただけないだろうか。

情報内容はプロ並みのものが求められることも申し添えておきましょう。

「CD解説アーカイブ」・・・ぜひ実現させたいものである。

by noanoa1970 | 2009-05-30 14:12 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(5)

見事なり、老人の知恵

昨夜TV番組でのこと。
「怒り」をネタにその怒りの根拠が理解できるか否かをゲストに問い、同時に視聴者の意見をアンケート報告するというもの。

MCは某関西の番組で、政治バトルを激しく討論しあう「・・・委員会」の司会者と「TVタックル」に常連で出ている、「大竹まこと」である。

この番組は複雑な怒りの情念を単純に「理解できる」「理解できない」に分け、それに「大竹」が突っ込みを入れてお茶を濁すという、狙いの希薄な俗悪番組なので、全く面白みは無いが、昨夜は他に見るべき番組がなかったので見ることにした。

その中で「怒り」の一つとして、中年・・・いやもう高年齢だろうか、の女性が言っていることが耳についた。

それは、「電車やバスの席を譲ってもらって当然のように振舞っている高年齢の人が目につく」
「非常にみっともないので同じ高年齢者として、我慢がならない」ということだった。

この言動自体の評価はさておいて、それを聞いていて小生が思い出したのは、40年前のある光景だった。

小生はかねてから「萩」に行きたかったので、先に友人たちと一緒に山陽方面に旅行をすることになっていた、今の家内と、「小郡」で待ち合わせるために、京都から出発した。

時刻表やスケジュールは、すべてお任せで、決めらた通りに電車に乗るだけで、何事もなく待ち合わせに成功。

小郡からは2人で行動し、萩を見物し、山陰線で京都まで帰ることにして、列車を乗り継いで山陰線特急に乗ることができた。

しかし列車は普通席は満員、仕方なく指定席をウロウロして、長旅のこともあって開いている席に座ることにした。
車掌が来て、もし空席だったら改めて指定券を購入しようと決めていたが、車掌は来ず、特急列車が停車するたびに、指定席の人が来たら、気まずい・・・と思いながら2人とも心平たんではなかったのだった。

いくつかの駅を列車が過ぎた後、益田だったか浜田だったかで、割と多くの乗客が列車に乗り込んできた。

我々は、座っている指定席の権利者が乗ってくるという予感のもとに、半分腰が浮き加減状態だった。

案の定1組の老夫婦が乗車してきた・・・割と身なりの良い、良家の人らしいと思えるような老夫婦であった。
多分年のころは60代後半ぐらいだったように思われた。

その老夫婦は、各々切符を手にしながら、我々が座っている席の前に来て、席番号と切符を交互に見て「あぁここだここだ」と言った。

そもそも指定券を持たずに座っていた我々は、後ろめたい気持ちと、もし該当乗客が来たら申し訳ないと思う気持ちで支配されていたから、落ち着かない気持ちでうつりゆく車窓の景色も心に刻むこともなく座っていた。

だぁらその老夫婦の言動にすぐさま反応し「すみません、今席をかわりますから・・・」そういって、棚から荷物を下ろし、老夫婦にお詫びの言葉を言ってすぐさま席を替わった。

老夫婦は、我々をとがめることもなく、無言で席に座った。

我々は、少し後ろめたい気持ちを持ちながら、しかしそれは当然のことだから、むしろスッキリした気分になって、これから先の長い列車の旅も苦にすることなく、通路に立った。

列車はしばらく走り続け、いくつかの駅で停車したが、席は開かなかった。

そのうち、列車が松江に到着すると、またかなりの乗客が乗車してきた。
そしてその中の1組の乗客が、かつて我々が座っていた・・・そして今は我々が席を替わった老夫婦が座る席の前に来て、老夫婦に何やら言っているのが聞こえた。

「ここは私たちが予約した席です・・・・」と、その声は聞こえたようだった。

するとしばらくして、その老夫婦は席を立ち、松江から乗車した1組の男女の中年カップルと交代した。

驚くべき事の真相が、眼前で行われ、しかも当事者の一人となったことに、初めて気がついて、驚くやら唖然とするやら・・・・

我々は老夫婦の巧妙な「芝居」に、まんまと一杯食わされた事に気づくことになったのだ。

恐らくこの老夫婦は、過去の経験から、年寄りに席を替わってくれない若者に多く遭遇していて、そんなことの苦い経験からこのような手段を思い付き、あるとき実行に移したら、見事に成功した経験から、いわば常套手段的に、この技を使うことにしたのであろう。

普通席では、このような事は実現できないから、過去は誰かが席を譲ってくれるのを待つ身であったのだろうが、若者の前で立っているにもかかわらず、席を譲る若者には遭遇しなっかった。

60代後半のように見受けられるから、年寄り・・・という程ではないように見えるのか、それともすぐに降りるだろうと思われるのか、席を譲るものはいなかったのだろう、しかしとにかくその老夫婦は席に座りたいのであった。

山陰線は長距離路線だから、老夫婦は長旅なのかもしれない。

また外観は元気そうだが、ひょっとしたら、何か持病でも持っていたのかもしれない。
そして列車に乗るのに指定券を買おうと思ったが、あいにく満席だったのかもしれない。

しかし彼ら老夫婦が我々にした行為は「だまし」である。
しかも我々のように、指定券なしに指定席に座っているものがいて、それはかなりの確率で存在すると知っての行為であるといえる。

多分あの老夫婦は、今までの経験から、学生や若者にそれが多く、それらが座っている席の前に進んでいって、チケットと席番号を見比べるふりをし、「あぁここだここだ・・」と小声で、しかし聞こえるように呟く、そして反応を素早く見抜く技術を身につけていたのだろう。

鋭い勘でそういう人を見抜いて仕掛ける巧。
一日の長というか、こうなるとベテランの技といっても過言でないようなお手並みである。


老夫婦は、本当の座席権利者に席を代わってしばらく我々の横に立って、チラッと我々の顔を見るようなしぐさをしたが、悪びれた様子は微塵も見せないまま、しばらくすると平気な顔をしてその車両から違う車両へと移動していった。

その時のあの老夫婦の心持・・・どのようなものであっただろう。
ぜひとも聴いてみたい衝動にかられたものだ。

我々は声には出さなかったが、顔を見合せながら、あの老夫婦の巧妙な手口に、ただ驚くばかりだった。

40年たった今でも、あの時のその話が話題になるほど老夫婦の行為は、それが良家の上品な老夫婦に見えたから、余計に衝撃的だったが、指定券なしで指定席に座ったという自分たちのよくない行為が付いて回るから、老夫婦については、ことさら深く追及しないようになっていたのだった。


吉野弘の「夕焼け」という詩があり、高田渡が曲をつけて歌ったが、その詩のこと強く今思い出す。

満員電車で老人が立ち若者が座っている。
老人が女性の前に立つ。女性は老人に席をゆずった。
しかし老人は礼も言わずに、次の駅で降りた。

次にまた老人が娘の前に立った。
娘は今度も老人に席を譲った。

礼を言って老人は次の駅で降りた。
また次に老人が娘の前に立ったが、娘は今度は席を譲らなかった。
次の駅が来ても、老人は降りず、次の駅そして次の駅も・・・

娘は顔を伏せ自分の行為を反省するかのように、うつ向いて長い時間を耐え続けた。
外は美しい夕日が沈もうとしているのに
娘にははそんなきれいな景色を見る余裕も、感性もないまま
歯を食いしばり耐えている娘。

・・・このような光景を読んだ詩である。

あの老夫婦の行為、昔はかなり頭にきた・・・というより、世の中にこのようなことが平気でできる老夫婦の存在があるなど疑ったことがなかったので、かなり強い衝撃も受けたが、今ではなんとなくわかりそうな気さえするのは、自分がそういう年齢に近づいたからだろうか。

そして昔も今も変わらず、棒弱無人な若者を、少なからず見る機会が多いからなのだろうか。

by noanoa1970 | 2009-05-29 11:31 | 怖い話 | Comments(2)

「聖パウロ」を聴く・・・回心と転向をめぐって

1970年代初期、各所でぼっ発していた大学紛争がその終焉を遂げようとしていた時でもあった。
セクトの活動家はともかく、全共闘として活動した学生は、就職活動という宿命には逆らえなかったようで、今までの過激とも思えるような学生運動の潮流から、その大半は意識的に身をそらすようになった。

そのような潮流の中、それでもかつて自身が参加したさまざまな形態の活動を、あるものは懐かしみ、またあるものはあの時は仕方なかったといい、そしてあるものは自己矛盾を起こしながら、ひっそりとした日常生活に埋没しようととした。

中には女性を求めて、4畳半のアパートで同棲生活に入った者もいた。

そんな中、多くの学生が漠とした挫折感を味わうこととなったのであった。

それでも純真な彼らの多くは、確固とした考え方が希薄のままで時代の波に流された自分に対しての反省と自己喪失回避の大きなよりどころとして、手中にしたのが、橋川 文三の「日本浪曼派批判序説」、 磯田光一の「比較転向論序説」、吉本隆明 の「転向論」、遠藤習作の「沈黙」や「海と毒薬」、あるいは秋元 松代の戯曲「 常陸 坊 海 尊」などであった。

これらの著作は「転向」という概念でくくられるものだ。

メンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」を聞き及ぶこととなり、「パウロ」について調べてみると、彼はかつてユダヤ教徒であったがキリスト教徒に改宗し、キリストの弟子として加わり、新約聖書の中で重要な著述をした人物であることが分かった。

メンデルスゾーンもやはりユダヤ人でユダヤ教徒からプロテスタントに改宗した人物だ。

そのころのドイツではカトリックとプロテスタントの大きな反目もあったのに、プロテスタントに改宗した理由は定かではないが、恐らくは北ドイツ地区の宗教状況からであっただろうし、また商業的理由もあったと推測され、メンデルスゾーン自身においては、大バッハへのオマージュとが重なっていたことによるのかもしれない。

改宗は我々・・・日本人が考えるほど安易なものではなかったはずで、宗教=生活のヨーロッパ人にとっての改宗は、得られるものと引き換えに・・・多分それ以上に精神的苦痛や、さまざまな軋轢などの大きな犠牲を伴なったことだろう。

改宗は回心であると同時に、一種の転向である。

パウロもメンデルスゾーンも改宗、回心、転向を余儀なくされた、同じ境遇の人物としてみれば、メンデルスゾーンが「聖パウロ」を題材にした長大なオラトリオを書きあげた理由は、なんとなく想像がつきそうだ。

メンデルスゾーンはパウロの中に、パウロ的回心・・・つまりユダヤ教からキリスト教へと改宗した自分を、なんとか正当化したいという欲求に駆られ、救いを求めたたのではないか。

メンデルスゾーンは改宗した後も、改宗名を使用することを拒み、「メンデルスゾーン」という、明らかに誰にでもユダヤ人とわかる名前を用いたとされる。

このことは改宗したことへの、メンデルスゾーンのせめてもの旧ユダヤ教徒としての抵抗を表わすものだろう。

彼の心のうちには、改宗=善ではないもの、という図式が常にあったのだろう。

改修後の演奏会におけるカトリック教徒の妨害などを経験すれば、何のための改宗かという疑問と、後悔の念が、頭をよぎることは多かったであろう。

改宗=善という図式を得るためのよりどころとして作ったのが「聖パウロ」であった…このような推測が仮説として成り立つように思っている。

メンデルスゾーンは、聖パウロをモチーフとした作品を完成したとき、「目から鱗が落ちたような・・・」気分になったのではないだろうか。

「目から鱗・・・」は、キリストによってパウロにもたらされた効能の逸話である。

バッハのオマージュとしての引用を随所にちりばめ、親しみやすいメロディと和声で書かれ、恐らくプロテスタント庶民にも理解されやすい形で書かれたこのオラトリオは、近年でこそ接する機会にも恵まれているが、かつては音盤も演奏会もほとんどない状態であったように思う。
しかしメンデルスゾーンを語る上では、欠かせない作品であるように思われる。

小生の大好きなヤノヴィッツとゲヴァントハウス管弦楽団のライブ演奏の録音しか聴いてはいないが、これで十分すぎるほど素晴らしい。

合唱がマズアらしく、少年合唱隊であることも、静謐感があって心地よい。

テオ・アダム(聖パウロ)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ローゼマリー・ラング、
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ、
ゴトハルト・シュティア、
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター
演奏 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
指揮 クルト・マズア

by noanoa1970 | 2009-05-27 16:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(5)

カラヤンのワルキューレの演出は

ワーグナーの楽劇をCD(音だけで)で聴くことは、その情報量は絶対的に不足するものだ。
単にオペラではなく、楽劇という名称で呼ばれることは、そのことをも多分に意味するもの里、小生は思っている。

しかし、以前からほんのり気づいていたことがあり、それは小生だけのことかもしれないのだが、映像が音楽を超えてしまうこと、つまり平たく言えば、演出効果が音楽そのものを阻害しているようなところが散見されるということだ。

このことは演奏会にも当てはまることがあって、あのライブ感・・・演奏者や指揮者のパフォーマンスが音楽そのものを違うベクトルに導くことがある。

小生はこのことを「行列してまで食べるラーメン」と揶揄するのだが、視覚と聴覚が混在するライブでは、演奏そのものの正当な評価がしにくくなりやすいものだとも思うことがある。

その意味では、音盤に録音された演奏を、何度となく聴くうちにおける自身の評価のほうに、小生は軍配を上げたいのである。

もちろん、このことでライブを否定するつもりもないし、すごいライブもあるのは事実だが、ほとんどの場合においては、そのような極上のライブでの音楽は、時とともに、輝きを失い、ぼんやりと淡い思い出・・・・妙な表現だが、一期一会的感慨のみが支配するものになってしまうことが多い。

それでもライブがよいのは、一種の選民思想のような優越感、音楽をたった1000人程の会場で占有しているという独占意識、何も通さないで見聞きしているという透明感、そしてコンサートホールの優れた音響空間による音響、加えて自身の音楽愛好の歴史上の足跡的記録・・・など理由は多い。

話がそれてきたが、ライブ至上主義者の音楽愛好家でも、オペラとなるとその機会も極端に少なくなるし、何しろチケットはバカ高いから、ライブだけに頼ることは難しい。

だからバイロイトで「指輪」4部作を全曲観賞することを夢にしているものが結構多いことも事実であるようだ。

小生などはそれとは違い、DVDやLDで・・・しかし視覚効果と音響効果を少し考慮し、家の中にしつらえた液晶プロジェクターで、100インチスクリーンに投影して見ることが精一杯。

時にはライブを観たいという気持ちになるものの、バカ高いチケット代に使うよりは、手軽にいつなん時にも楽しめる、ソフトに当てるほうを選択してしまうという軟弱な愛好家だ。

「指輪」に関して言えば、LDやDVD、あるいはVTRで数種類は観てきて、それはそれでそれぞれよかったといえるが、何しろ映像化されるものは、比較的新しいものばかりで、往年の演奏は本日話題の「カラヤン盤」でさえないのである。

カラヤンの「ワルキューレ」をここ数日聞き及んでいて、わかったことは、カラヤン以前の「指輪」との大きな変貌の痕跡を垣間見たこと。

大胆にいえば、すなわち「神話」の世界からの音楽的脱却が、初めてカラヤンによってなされたのではないか、という仮説が成り立ちそうな気配を感じたことであった。

このことは、視覚のない音楽だけで楽劇を聴いていたから感じ得たことで、視覚聴覚すなわち映像化されたものでは気が付き得なかったことではないだろうか。

クナッパーツブッシュのような劇的神話の世界を表現した「指輪」と比較すると、いかにカラヤンが反神話の世界へと挑戦したのかがよくわかる。

ショルティの「指輪」は、クナッパーブッシュの延長線上にあるといっても過言ではない・・・そう小生は思うところが多い。

さてそのようなカラヤンのワルキューレ、もし演出が可能とするならば、はたしてどのようなものが相応しいか。

ここ数日考えてみたが、あいにくというか当たり前のことだが、このような大それたことなど到底出来っこないことを思い知った。

いろいろな考えは錯綜したが、結局のところいまでもその残像が残っていることがある。

ワルキューレは「父と娘」の、愛情がありながら、そしてそれをお互いが理解しながらも、現実という過酷な運命が、それを許さなかったという悲劇の物語・・・そのようにとらえても間違いではない。

ラインの黄金を手に入れようと世界支配を企んだヴォータンが、人間界に子孫を残すこと、そのことで英雄を作り上げ、自分の思いを遂げさせようとした。という解釈は、ワルキューレであるブリュンヒルデを脇役へと追いやってしまうが、小生はブリュンヒルデこそがワルキューレのみならず、4部作を通じての、主役ともいえる重要なキャストであると思うのである。

継母フリッカとの間の確執。
父親ヴォータンに寄せるブリュンヒルデのエレクトラコンプレックス。
ヴォータンの最愛の娘であり、彼の一番の理解者としてのブリュンヒルデ。

この物語はつまり、父と娘の愛情の物語なのである。
このことをカラヤンは敏感にキャチしていたのではなかろうか。

さまざまに揺れ動く、親娘の愛情の心理状態を、カラヤンはキャストの歌唱と、それを補完しつくすようなオケの微細なそして丁寧な表情づくりで、完成させようとした。

小生がズーット想起していたものは・・・・
小津安二郎の映画「晩春」であった。

便利に自分の女房のように使ってしまってきた娘。
その娘の結婚を考える父親は、女房をなくした父親を心配して結婚に踏み切らない娘を案じて、父親自ら結婚すると言って嘘をつく。
娘は再婚するという父親を、汚いと思うが、それが自分を結婚させるためだと知る。
父と娘は離ればなれになる前に、京都へ旅行し、旅館での夜、娘は父親に対する思いを吐露する。

ワルキューレの物語の筋とは違うが、岩山でのシーンに「私は貴方の望むものをやったにすぎいません」・・・
というところがある。

ヴォータンは、ジークリンデを助けようとフンディングと戦うジークムントとを、本当は生かしておきたかったのだが、自らが明示したルーネ文字の契約(フリッカが言う結婚の契約)違反を見逃すわけにいかず、ジークムントを殺すことになる。

その命を受けたブリュンヒルデは、そんなヴォータンの胸の内を察し、ジークムントを助けようとするが、命令にそむいた罰でヴォータンに追われ、火の岩山に眠らされることとなる。

岩山でのブリュンヒルデの言動は、ヴォータンの本意通りにした行為であるという、ブリュンヒルデのヴォータンに対する愛情の吐露でもある。

小津もワーグナーも、「父と娘の分かれ」というテーマで片方は映画、片方は楽劇と分野こそ違え、その中心軸に置いたことは、2人の天才の共通項としてとらえると非常に面白いことである。

神話的劇的演出から近代社会・・・たとえばシェローに見られるような、産業革命前後の世界を彷彿させるような演出、そして最近のクプファーのややオーソドックスなもの、ペーターコンヴィチュニーに見られる突拍子もないような演出、さらにごく最近の新国での、ワルハラが病院(最近のTV、医者のドラマで、外科病棟をワルハラと言っているものがあって、かぶっていたのには笑ってしまった)という演出まで、さまざまな演出が今まであったが、今まで述べてきたことから考えれば、何れも物足りない。

カラヤンの「指輪」・・・特に「ワルキューレ」は、並大抵の演出では多分その意図するところが十分に発揮できないのかもしれない。

もし有能なカラヤンの「指輪」解釈のできる演出者がいるとして、カラヤンの音楽に映像をつけ映画にしてくれたら・・・と思うところもあるが、いや、やはりそれは改悪となる可能性が非常に高いから、望まないほうがよいのだろう。

by noanoa1970 | 2009-05-26 11:39 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

カラヤンのワルキューレを聴く

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ここ数日でカラヤンとBPOによる「ニーベルングの指輪」から、「ワルキューレ」を聞いた。
購入したのは1971年、価格はべらぼうに高く、1セット50000円であった。
今ではその3分の1でオペラを聴くには便利なCDが入手可能だから、相対的価値は落ちていく一方だ。

流石にLP両面で5枚・・・10面は聴くのに勇気がいるから、その気になった時に一気に聞くしかない。
そう思って重い腰を上げたのだった。

カラヤンの「ニーベルングの指輪」は、あまり評価されてこなかった歴史がある。

その理由はいろいろあろうが、多分その中で最も多いのが「アンチ・カラヤン」という漠として評価にも批判にもなってないような抽象論が、大手を振ってまかり通っていたからだろう。

カラヤンをけなすこと=音楽通である
どういうわけかそんな意識が芽生えていたクラシックファンはものすごく多かったように思う。

「指輪」に関してさらに言えば、そのころ・・・1960年代後半から70年代初期は、ショルティがWPOと有名音楽プロデューサー「カルーショウ」のもとでDECCAに録音したものが、音楽評論家に持ち上げられ、「指輪」一世風靡…黄金時代の幕開けを作りだした時期であった。

声の張りを失ったハンスホッターの「ヴォータン」や、おぞましくも強烈な唄声を聴かせた、ビルギット・ニルソンの「ブリュンヒルデ」を、こぞって絶賛したのもカラヤンの「指輪」の評価を落としめた要因の1つであった。

音楽雑誌などに掲載される音楽評論家の言動が、大きな権威をもっていた時代であったし、今のようにソースが安価になって、その気になれば誰でも容易に入手可能になった時代ではなかったから、愛好家たちは、彼らの言動を頼りに…LPレコードを購入した。

「指輪」はLP20枚弱、価格が約50000円程であったから、クラシック愛好家の中でもごく少数しか入手できない代物であった。
だからいざ買うと決めたら、頼るものはやはり、多くの評論家なるものの意見であったのもいたしかたない。

学生時代の音楽サークルの仲間のうち、「指輪」全曲を所有していたものは、50数名のうち2~3名にしかすぎず、しかも保有のすべてがショルティ盤であった。
当時、ショルティの「指輪」全曲視聴会なるものも開催されて、小生も参加したが、何が何やらさっぱりわからないまま、ハイライトなどで耳にした個所を除くと、ほとんど退屈で苦痛の時間を過ごすことになった思い出がある。

下宿の身の上ではとても入手不可能であった小生が「指輪」全曲盤を入手できたのは、バイトをしだし少し余裕ができた1971年ごろのことであった。

評判のショルティ盤か、購入時期の少し前に発売されたカラヤン盤かどちらを選択するか迷ったが、サークルメンバーが何れもショルティ盤を選択していたから、同じものにするのが嫌、その理由だけでカラヤン盤を選択することにしたのだった。

さてこのカラヤン盤、レコード業界での評判はあまり良くなかったのだが、小生は特に「ワルキューレ」に限っては、カラヤン盤を今でも好んでいるのだ。

その大きな理由は、そのキャストにある。

「ワルキューレ」は、戦争で死んだ英雄をワルハラに連れていく・・・死者を運ぶ女性神である。
そしてその性質というと、まるでジャンヌダルクのように、勇猛果敢な闘争心あふれる勇ましい女性として位置づけられていることが多い。

一方「ジークリンデ」は、略奪され無理やり野蛮な部族長の妻にさせられた悲劇の女性としての位置づけだ。
だからややか細い声のソプラノ歌手が適しているというのが通年で、大まかに言ってしまえば、演奏史的にみると、やはりそのようなキャストが多いと思われる。

「フリッカ」は主神ヴォータンの後妻で、結婚の女神、そしてこの楽劇では唯一ヴオータンにたてつくことができる存在で、ある種ヒステリックな一面が強い女性として位置づけられる。

もちろん今までの話は1980年代後半までぐらいの話で、最近の演出は思いもつかないようなものが多く、多少面食らうことが多い。

最近カラヤンの1958年スカラ座での録音が発売され、その時のキャストは以下のようである。

ヴォータン:ハンス・ホッター→トーマス・ステュアート
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン→レジーヌ・クレスパン
ジークムント:ルートヴィヒ・ズートハウス→ジョン・ヴィッカーズ
ジークリンデ:レオニー・リザネク→グンドゥラ・ヤノヴィッツ
フンディング:ゴットロープ・フリック→マルッティ・タルヴェラ
フリッカ:ジーン・マデイラ→ジョゼフィン・ヴィージー


それがひと世代たってからBPOと録音した「指輪」全曲盤の「ワルキューレ」では→の右にあるように、大胆なキャストによって、とても大きく楽想が変化した。

これには処々の事情があることを加味しなくてはならないが、小生が着目するのは、やはり女性陣のキャストだ。

ブリュンヒルデ役に定番と言っても過言ではないビルギット・ニルソン、このころは声の張りもあり抜群のヴォータンのはまり役、ハンス・ホッター、ジークリンデ役には声のよく通るレオニー・リザネク。
ワーグナーの楽劇ではフルトベングラーもコンヴィチュニーも起用した、ズートハウスといった、劇場型と言うと言い過ぎかもしれないが、大向こうをうならせるような歌手陣を起用している。

それがそれが・・・ここが大きなこの楽劇の表情を大きく変える原動力となっていると、小生は思うのだが

ブリュンヒルデをレジーヌ・クレスパン
ジークリンデに(カラヤン好みであるという理由はさておき)グンドゥラ・ヤノヴィッツ
フリッカにはまるでソプラノであるかのような声の持ち主ジョゼフィン・ヴィージー

・・・これまでの指輪演奏史からは少し距離のあるキャストを起用した。

そのようなキャストを起用したカラヤンの意図は知る由もないが、推して知るところはこうだ。

1つ例をあげるとブリュンヒルデ役。
ビルギット・ニルソンというジャンヌダルク的性格の位置づけの歌い手から、レジーヌ・クレスパンという柔らかな声の美しいがどこか影を感じさせることができる歌い手の起用。
付け加え、悲劇の女性ジークリンデには高域の声のふるわせ方が非常に美しく、それでいて芯のとお他歌い方を披露してくれる、小生が好きな、グンドラ・ヤノヴィッツ。

この2人の女性とフリッカ役の、とてもあのヒステリックなところなどが見られなく、ジークリンデ役としてさえ通用するようなジョゼフィン・ヴィージー。
この3人の起用こそがまさしくカラヤンの意図したところだろう。

カラヤンは、ワルキューレの解釈を従来の古典的神話の世界から、人間性溢れる・・・価値観を人間の内面性に置いた物語としてとらえようとしたのではないか。

言い換えれば、従来のドラマティックな劇場型オペラとしての「ワルキューレ」でなく、近代あるいは現代社会における人間の葛藤・・・家族・親子・兄弟・嫁・舅・姑・他人家族・・・の日常生活の中に興きえるさまざまな心の内面的葛藤を表現したかったのではないだろうか。

さすれば劇的な声の表現は不要で、オケというとキャストの情念的背景を補完する・・・細かい表情までを見事に出し切る必要がある。

カラヤンの「指輪」を、きらびやか、派手であると論評したものも多かった記憶があるが、それはワルキューレの騎航とかジークフリートの葬送とかノートンを研つ音とか、そんなごく1部しか聞いてないことを意味するものといえる。

また一部でカラヤンの「指輪」は室内楽的だともいわれるが、一方で派手できらびやか、他方で室内楽的などという正反対とも思えるような言動が出ることの原因は、やはり音楽そのものを、ジックリ聞いてないで物事を語っているという一つの証拠であるといえるだろう。

室内楽的であるということを、前向きに解釈するなら、オケの表情付けが細やかであるということに他ならない。
つまり・・・場面の、キャストの声と一体となった心理的背景の表現にすぐれているということだ。

最近ではDVDによる映像化されたものを見聞きすることが多くなってきてしまっているが、音だけの「ワルキューレ」・・特にカラヤンのそれを聴くと、そのことが顕著にわかる。

映像によるオケの埋没・・・・小生がそのように感じるだけかもしれないが、映像で見る「指輪」は、どのような演出においても、それはそれでよくわかるし面白いのだけれど、オケが遊離しているように感じてしまう。

久しぶりに、しかもLPでカラヤンの「ワルキューレ」を聞いて、そのこと・・・オケの表情の豊かさすなわちカラヤンの棒さばきが、どれほどすごいのか、そして多分カラヤンが選出したであろうキャストたちによる相乗効果が、これほど発揮されていることを、改めて認識させてくれた。

さてそうなるとこれが映像化されていたと仮定すると、一体どのような演出がふさわしかったのか・・・
とても気になるところであるが、その話は後日妄想的に書くことにしたい。

by noanoa1970 | 2009-05-24 16:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)

インフルエンザ騒動に思う

リスクヘッジ策として、最悪の事態を考えておくことは重要だろう。
状況を見ながらそれを緩和したり規制を解除していくというやり方は、その常套手段だといわれているからだ。

今回の政府のこれまでのやり方を見ると、いつもの・・・・いつも情報を小出しにするから、時間を追うごとに事態が重大になっていき、取り返しがつかないことが多かったのに比べ、相当な進歩であると一定の評価はできるだろう。

深夜の政府会見などは、万人受けを狙った政府のヤラセではないかとさえ思うこともあったぐらいだ。

しかし、いまだ意思決定の仕方は、自力では出来ないようで、諸外国などのある権威に大きな依存をしているように思われる。

これは意思決定の仕方が、民主主義的・・・すなわちある集団の総意のもとでしか決定されない、我が国の長い組織上の歴史を物語ることでもある。

「船頭多くして・・・・」、「会議は踊る」などという言葉通りのことが、たとえば国家的危機状況の時にさえ行われないとは限らない。

なんでも官僚が悪いとは言わないが、このような日本的思考パターンを作り上げてきたのは、官僚機構であることは推測が容易だ。

いつものことだがそれに加えて、マスコミの各メディアの愚かさがそれを助長する。

その例はいくつかあるが、たとえば
アメリカから帰国した女子高生のインフルエンザ感染について、成田から自宅に帰るまでの女子高生の足取りを、実際にトレースする映像。

TV3面記事的バラエティ番組化したこのような報道、一体何のためにやっているのだろう?
移動経路や使用した公共交通機関名をあからさまにすることで、またそれを声高にTVという巨大メディアで流すことによって得られるものといえば、悪戯なパニック煽動そのものでしかないことぐらいわかっているはずなのに、マスコミというヤツは、自らの立場と報道による結果のことをまったくわきまえない。

批判をしたかと思うと、返す刀で面白おかしく煽動する。
彼らのあくどさは、あるキャスターのいいわけに象徴的だ。

自らがマスコミの片棒担ぎの最先端にもかかわらず、口先だけでマスコミ批判あるいは自己批判めいたことを言って、自らの欺瞞を見破られないがごとく、自分の身の保全を図ること。

このような番組キャスターが一番危険人物であることを、見抜く必要がある。

インフルエンザの報道に関して、政府の最悪の事態想定のリスクヘッジ策をそのまま鵜呑みにした、過熱報道。

先にあげた帰国女子高生の足取りの追跡もそうだが、このようなことばかりしているから、世の中の受け止め方はそうでもないにもかかわらず、インフルエンザに感染した生徒を排出することになった高校の校長は、まるで社会的責任があるかのように、記者会見で涙を流すことになる。

あの姿を見て、校長の人柄のよさを感じ得た人もいるだろうが、小生は背景にあるマスコミの暴力の影を見てしまう。

マスコミの報道に関する意思決定にも、恐らく忌まわしき日本型意思決定方式・・・官僚的民主主義があり、しかもそれが資本の論理によってほとんど支配されているからたちが悪い。

国家的危機状況下で、一番右往左往するのは、我が国のマスコミではなかろうかと大いなる心配をすることになる。

また今回のことで学ぶことといえば、危機管理の方法であるが、いくらマニュアルが出来ていてそれを忠実にに実施しようとしても、初期段階でそれが絵に描いた餅、人、物、金、情報各分野で破綻をきたすことが明らかになったこと。

国家的危機は、歴史から学べば十分そのほとんどが予想可能なはずであろうから、マニュアルがいくつあっても、訓練でそれに慣れていたとしても、すぐに実行不可能になるようなものでは全く意味がない。

マスクと手洗い、うがい・・・それが本当に当面のインフルエンザの防止策だとすれば、マスクがないなどという状況が起こっているのは全くおかしな話だ。

マスクなど効果がないと思っていたに違いないことは、疫病危機管理策として、マスクの備蓄が政府によってなされてないことから見ても明らかではないか。

マスクマスクと一方で言いながらマスクが市場にない状況
これはほんのひとつのささいな現象の例にすぎないが、これこそが人的大パニックを引き起こす小さな要因であることに気がつかなくてはならない。

インフルエンザ発症地区でのマスク使用率が高いというが、人間はそんなものである。
自分に害がないと自分で感じている間はさほどでもないが、実際はそうでもないにもかかわらず、何かの力によって、自分がそう感じ始めた瞬間、突然意識が目覚める。

そのような仕掛けを、いとも簡単に可能にするのは、メディアが最先端であろう。
今やこの国の運命を握っているのはマスメディアといっても過言ではない。

しからば、マスメディアの社会的責任・・・こんなことを個々には真剣に考えているマスコミ人も居るのだろうが、集団となるとそのような考え方は成立しなくなる特徴を持つから、希望的観測にしか過ぎないが、このような時期だからこそマスコミの原点(それがあると期待しつつ)に立ち返る勇気をもつ時ではなかろうか。

マスコミが自らの批判をしながらも、平気で日常に埋没することのあくどさを見抜かなければならない。

by noanoa1970 | 2009-05-22 10:54 | トピックス | Comments(0)

日本昭和村にはガッカリ

昭和の風景があるという噂の日本昭和村に行ってきた。
東海北陸道、美濃・関JCTから東海縦貫道を中央道土岐方面に向かう途中にある。
東海縦貫道は、西濃から東濃へと延びる中山道に相当するもの。

日本昭和村には、美濃加茂SAからダイレクトに入場できるから至極便利である。
途中東海北陸道川島PA・オアシスパークに立ち寄って休憩をとりながら向かった。

ここも高速道路からダイレクトに入れるアミューズメントパーク。
淡水魚水族館というものも設置されていて、自然あふれる新スタイルのテーマパークである。
平日であったが、子供連れの家族でにぎわっていた。

さて期待の昭和村。
小生は幼年期から青年期あたりの日本の原風景をいくばくか期待したのだが、結果は・・・

結論からいえば、ここには「昭和」などは無かった。

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それでは貴方の「昭和」とは何か?と問われると、即答には窮するが、少なくとも、昭和を初期中期後期と分けた形で、それぞれの時代の持つ特徴を生活者の視点でとらえたものが望まれたのに、ここはごった煮のような、そして取ってつけたような似非昭和しか存在しなかった。

「昭和村」というニックネームをつけ、疑似体験によって、「昭和」を懐かしむことのできるテーマパークとして、大々的に宣伝する割に、ここには「昭和」がない。

建物も、調度品も、方々にある店も、自然も、すべてが昭和の仮面をかぶった現代そのものである。

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施設の一部であり重要に思えた映画館と演劇の建物は休館。
この村の名誉村長である中村玉緒の名前からとられた「玉緒の家」は、単なる土産物屋で、相当ガッカリさせられることとなった。

店は方々にあるが、「昭和」を本当に感じさせるものはごく少なく、ほとんどが今風の土産物屋と化しているのは、このテーマパークのコンセプトの大きなブレなのだろう。

目先の売り上げが前面に出すぎているから、今は珍しさで来客もあるようだが、当期利益を得るための、あるいはリピーターを確保するための、「年間パスポート」は恐らく売れ行きが良くないと思わざるを得ない。

何もかもが中途半端であり、ここには多くの人が期待するような「昭和」は無い。

テーマのない似非テーマパークとしか思えない。

昭和を懐かしむ世代が、何を求めているのかがわかってないのではないか。

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ウイークデイで人出が少ないせいもあろうが、入場料を取りながら休館の施設があるなどもってのほかで、誰もが懐かしい紙芝居は、紙芝居屋の自転車が路に置かれているだけである。

時間を決めて実演をするなど可能なはずだがそれすらない。

このような・・・・ハードのみのテーマパークでは、何れ飽きられ、結果存続が危ぶまれるに違いない。

平成記念公園「日本昭和村」は岐阜県が整備し、株式会社ファームが運営する公設民営方式の公園です。
・・・との説明書きがあるが、恐らくはこの公設民営方式という中途半端さが影響しているのかもしれない。
やりたいことが公の規制などで出来ない、すべて民間であれば恐らくは、もっと中身の濃い、したがって中途半端にならないテーマパークになりえただろうに・・・・

町全体を保存し、対象のイメージを強く残した大正村、明治期の建物をそのまま移築した明治村に比べると、魅力度は今一である。

「昭和」を感じさせない「昭和村」。
ネーミングミスと言ってしまえばそれまでだが・・・・

by noanoa1970 | 2009-05-19 10:16 | トピックス | Comments(0)

夢の話

幼児期には病弱だった小生、高熱を出すと、決まってみる夢があった。
しかし今はもう、その夢を見ない。

最近決まったように見る夢の1つは、仲間たちと・・・昔の友人、以前の会社の仲間、学生時代のサークルの仲間などさまざまであるが・・・会議出張、旅行などで遠方に行き、どこか空いているところに車を停める。

宿泊する大きなホテル、あるいは旅館の部屋に入ってから、用事を済ませ、食事に行って帰るのだが、自分の部屋がわからない。

うろうろしていると仲間はすでに帰り支度をしている。
焦って部屋を探し、自分の荷物を持って出ようと、走り回って探すのだが、あいにく一向に部屋は見つからず、荷物もないまま帰るはめになる。

諦めきれないが、仕方なく車で帰ろうとするのだが、停めておいたところに車がない。

仲間たちはそれぞれ帰ってしまうのだが、小生だけが取り残されて、自分の車を探し続ける。

そうするうちに他の場面へと切り替わっていってしまう・・・・

昨夜の夢は
「28」がキーワードだった。
大学入試が28日。
しかしその日は会社の重要な会議の日。
しかも「アラモ」を観て感想文を(どこに出すかは不明)提出しなければならない日。

「アラモ」はDVDで詩有しているにもかかわらず、夢の中では持ってないことになっており、それをLDで所有している友人に頼んで借りなくてはならないなどと考えている。

28日は重要なことが知らない間にスケジュールに入っていて、どうしたらいいものかと思案に明け暮れる・・・・

(大学の体育の出席似数足りなくて、単位が取れなくなる・・・そんな夢は今でも時々見ることがある。)

急に場面が変わってどこかの原っぱにいる。
そこでは何人かが軟式野球の練習をしている。
小生は頼み込んでバッターボックスに立たせてもらう。

何球かボールを打つのだが、その時の感触が妙にリアル。
ファールチップした時の感触が生々しいし、10球ほど打った中でセンター前に好打した時の手の感触は実戦さながらだ。

その中の1球が長打となって、ワンバウンドしながら向かいの家に飛び込むと、家の親父が出てきて畳に傷がついたと怒っている。

それでもう野球をやめて帰ろうとすると、なんと野球をやっていた場所というのが、相当な高さのある場所で、帰るには急な鉄製の階段を延々と降りなくてはならない。

前向きでは怖いから後ろ向きになって降りよう・・・これは昔教えてもらったことだから・・などと思いながら降りるのだが、うまくいかずに足を踏み外し、まっさかさまに落ちる。

しかし落ちながらも、何とかなる・・・死にはしない、と心の中で思っているのが面白い。

地面に落ちるのかと思うと、落ちたのは水の中。
一緒にいた仲間も同じように落ちてきて、「あぁよかった」と言い合う。

心臓がドキドキして目が覚める時と、これは夢の中の話だから・・・と夢の中で思っている時がある。

小生の夢は対外完結せずに場面が激しく入れ替わってしまうことが多い。
落ちる夢の比率は飛ぶ夢のそれよりも100倍も多い。

今までで空を飛ぶ夢を数回見たことがあるが、それは相当気持がよかった。
本当にスーパーマンのように、行きたいところを念じて地面を蹴ると、体が浮き上がって空を滑空しているのだから。

今夜はどんな夢を見るのだろうか・・・滅多に見れない飛ぶ夢。
近々見てみたいものだ。


夢の話といえば、夢野久作が「正夢」という短編を書いている。

夢野にしては珍しく、小川未明や鈴木三重吉の書いた話・・・子供のための教訓のような内容である。

ある街にたくさんの放浪者たちが集まって話していた。
ある一人が、神様のような白い着物の老人から教えられたところを掘ってみると、ダイヤモンドの指輪が埋まっていたと話す。

すると別の一人が、その一人を殴り倒していった。「それは俺が落としたものだ」。

その光景を眺めていたある男が、倒れている男を連れて行くからといい、放浪者たちにいくばくかの銭を渡して倒れている引き取る。

家に連れ帰った男は、医者を呼んで、男の体を切り刻んで中のダイヤの指輪を探すように言った。

それを見ていた男の娘と息子がこっそりと医者に言う。
「この指輪を代わりにするから、どうかあの男を助けてやって」と。

それで医者は探すふりをして男に言った。
「お腹の中を探したらこんなものが出てきました」。
そう言って男の子供から預かったダイヤの指輪を男に見せた。
男は見るや否や、すぐにそれが自分の家のものであることを悟る。

そして事の顛末を聞いた男は、自分の悪行と子供たちの美しい心を知ることに尾なり、回診したように放浪者たちを集めてたくさんのご馳走をふるまった。

そして男は最初にダイヤの指輪を拾ったという放浪者に言った。
「他人のものは返すべき」だと。

するとその男が言うには、「あれは夢の中の話なのです」と・・・
さらにその男を殴り倒した放浪者も、「指輪を落としたのは夢の中の話でした」という。

夢の中の話同士の喧嘩だったのかと、皆腹を抱えて笑ったのですが、 けれども連れ帰って切り刻もうとした男は、笑わないでこう言った。
「お前達の夢は正夢であった。御蔭で俺は善人になる事が出来た」と。


「じゃ、あの白い着物の老人は本当の神様だったのか」
 と放浪者の一人がいう。

「否、神様はここに居る。
この二人の子供が俺の心を直した本当の神様だ」

・・・そう云って紳士は二人を抱き上げ、そして一同は一時に万歳を叫びました。

これが夢野久作の「正夢」という短編。

小生の夢とは違い、きちんとした落ちがある。

しかし小生の夢にはいつも落ちなどは無く、完結しないままで、始まったのか終わったのかもわからないことが多い。

・・・でも夢を見る、あるいは見ることを願う気持ちは、なんとなく心が躍る楽しみがある。

by noanoa1970 | 2009-05-14 11:58 | 歴史 | Comments(0)

忌野清志郎とオーティスレディング

先日訃報に接することとなってしまった忌野清志郎。
小生は彼の熱心な愛好者ではないのだけれど、彼の音楽を聴いていて思うことがあった。
それは彼の「スローバラード」という曲。

聴いた瞬間、小生ははかつて・・・1960年代に一世を風靡した多くのソウルシンガーの中で特に短命だったがはっきりとした言葉遣いで、それこそソウルフルな歌を歌った「オーティスレディング」にどこかしら似ているものを感じていた。


オーティスのI've Been Loving You too Long 、Try a Little Tenderness を聞いてみるとそのことがよくわかるはずだ。



不思議なことに「オーティスレディング」でtoutubeを検索すると、忌野清志郎がたくさん出てきて、中に思いがけないものを発見。
以下がそれである。



「ドッグオブザベイ」は確か1967か8年に全米チャート1位にランクされた曲で、彼が飛行機事故で死ぬ少し前に録音されたもの。

ラジオからは毎晩のようにこの曲が流れていたことがあった。


スローバラードから想像した通り、忌野清志郎はオーティスから多大な影響を受けていたと、ものの本には書かれている。

オーティスが日本人に認知されるようになったのは恐らく「ドッグオブザベイ」のヒットだったであろうから、さすれば忌野清志郎は高校1年か2年の時からすでにオーティスを聴いていたことになる。

このころソウルはようやく認知されたばかり、R&Bという言葉が一般的ではなかったった時代だから忌野清志郎の早熟さがうかがい知れる。

オーティスと忌野清志郎に共通するのは、言葉の使い方の巧みさで、特に忌野清志郎はどの曲でもその菓子の意味合いがよくわかる歌い方。
それに加えて音楽的に破たんしてないことが素晴らしいところであろう。

日本語でロックやブルースそしてフォークを歌う歌い手は多いが、こういう歌い手はそうはいない。
特にポップスやロックでは皆無といってよいだろう。
何れもが何かを犠牲にして音を作っており、中には歌わなくても・・・超え=楽器の延長であるだけのものもいる。

そういう意味からしても、惜しい逸材をなくしてしまったものだと悔やまれる。

by noanoa1970 | 2009-05-13 17:32 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)